幸田露伴 「五重塔」 (明治24年11月)その4(批評の紹介)


 露伴についての批評は比較的少ないのではないかと思う。ネットで調べると結構な量がでているが、図書館で開架されている本は一冊しかなかった。この作品についてそれほど多様な評価があるとも思えないので、一つの批評について簡単に触れよう。

 登尾 豊氏の
 「五重塔」の暴風雨 
--露伴文学再評価のために--
 という批評で、日本文学研究資料叢書の「幸田露伴・樋口一葉」(昭和57年発行 有精堂出版株式会社)((「国語国文学研究」第六号、昭和46年4月発行に発表されたもの))に納められている。
 「十兵衛にとって五重塔は何であったのか。彼が五重塔に賭けた夢、我慾に支配されない彼を恩ある源太に対立させてまで五重塔建築にかりたてたものは何か。
 天才的な手腕はありながら世間智に疎く世に埋もれて、<のつそり>と緯名されることに甘んじてきた大工が、感応寺五重塔の場合に限って、自分の手で建てたいと別人のようなふるまいにおよぶ。これは<長屋の羽目板の繕ひやら馬小屋箱溝の数仕事>(其六)ばかりに一生を埋める悲哀に根ざした、一世一代、ぎりぎりの存在の主張であった。」
 
 まず、「十兵衛にとって五重塔は何であったのか」などという抽象的な問いに批評の質が現れている。昭和46年というと1971年で、この文章も如何にも時代を反映した大げさで無内容な文章である。これでは思想が一般に支持を失うのもやむを得ない。当時は「ぎりぎりの存在の主張」とかいうと大したことのように思えたのであろう。それに「一世一代」とか付け加えるともっと重みが増したように感じられたのかもしれない。
 十兵衛を「我欲に支配されない」とすること、「恩ある源太に対立させてまで」と、源太に対する恩に非常に大きな意義を与えていることは、作者の思想と同じである。批判的な分析は出来ない事を示している。
 「五重塔築造は、<大工となつて生てゐる生甲斐>を与えてくれるものとして十兵衛にあるのだが、その<生甲斐>とは、胸いっぱいの仕事をし、それによって<死んでも立派に名を残す>ことである。断っておくと、この<死んでも立派に名を残す>ということは、自己の存在の痕跡を永遠に刻むということであって、ここに世俗的・現世的慾望の充足にかかわる、いわゆる<出世慾、名誉慾>を見ることは妥当でない。つまり、十兵衛は生の確証を得たいだけなのである。五重塔築造は十兵衛にとって、自己の全存在の投入を期しそれだけが目的の無償の行為の志向にほかならない。その同じ心を作者は別の箇所で<今度といふ今度は一世一代、腕一杯の物を建てたら死んでも恨は無い>(其十)とも語らせている。」
 ここには現世的欲望を否定的に評価する価値観が現れている。わざわざ断って「出世欲、名誉欲」を否定して、しかも、それに対立的な社会的欲望を対置するのではなく、具体的欲望自体を否定して、「生の確証を得たいだけ」などという正体不明の欲望とはもはや言えない抽象的精神を対置している。現世に生きる人間において具体的欲望を否定して抽象的・一般的欲望に解消する事は非現実的な観念上の遊びとなる。「出世欲、名誉欲」を目の敵にして、他に欲望が無いかのように、「出世欲、名誉欲」が純粋な形で存在し、それが無条件に否定されるべきもののように考えるのは思想として単純すぎる。
 このような評価は十兵衛の主観に無批判的で、しかもその主観の内容を一層抽象化したもので、十兵衛の主観の客観的な内容を問題にしていない。十兵衛の我の内容はいわゆる「出世欲、名誉欲」ではないにしても、世俗的・現世的欲望には違いない。もともと「出世欲・名誉欲」であるかどうかなどを特別に問題にするというのが愚かしいことである。十兵衛の欲と同様どのような「出世欲、名誉欲」であろうと、その内容を具体的に理解することなく単純に批判する事などできるものではない。
 世俗的・現世的欲望であれば、それが単に内的欲望であれば問題ないにしても、その欲望を実現するとなると、人間関係の中に踏み込む。その場合は、彼の意図とか目的とは関係なく実現する欲望の客観的内容が問題になる。それが意図や目的の具体的内容である。ここでは五重塔を建てることにともなって人間関係の現実的矛盾が生じる。この場合塔を立てたいという自分の欲望だけに集中して、その実現に伴う人間関係の現実的矛盾に無関心であったり、それを認識しなかったり、その影響を意図しなかったとすることは肯定的な特徴ではないし、現実的でもない。「十兵衛は生の確証を得たいだけなのである」というが、それをどのように得たいかが、十兵衛の欲望の具体的内容として十兵衛の特徴となり、その欲望の内容に応じた社会的影響を及ぼす。彼はどのような場合でも自分の持つ欲望のこのような具体的で客観的内容に対して責任を持たねばならない。「生の確証を得たいだけ」なのではなくて、「五重塔」を立てたいというのが欲望の内容である。このようにはっきりした具体的欲望を「生の確証を得たいだけ」などと無内容な抽象化をする必要はない。生の確証を得たいのはだれにでも言えることで、どのように確証するかが欲望の具体的内容であり、その人物の具体的特徴となる。
 生の確証を、腹一杯ご飯を食べることで確証したいというなら影響は少ない。家族とか米屋とか医者に関係するだけで、しかもその結果に対しては自分で責任をとる以外にないことははっきりしているから問題は起こりにくい。しかし、十兵衛の場合は違う、具体的な競争がある。そして、競争が必然である社会において、競争を必然とする仕事において、競争の意識を主観から取り除くことによって競争を回避しようというのが基本的な思想である。実際はできないことであるから、思想が歪んでくる。
 「五重塔築造は十兵衛にとって、自己の全存在の投入を期し」などという文章も大げさで無内容な文章である。「自己の全存在の投入を期し」というその自己の全存在の内容を具体的に見れば、内容がまずしく、多くの経験的蓄積を伴わないものである事がわかる。問題は十兵衛がどのような自己であるか、全存在の投入とは具体的にはどのようなものかが問題であるがそこには関心を持っていない。全力の投入かに見える現象形態に無批判的で、それが全力の投入であるかどうかについて検討する必要をまったく感じていない。あるいは全力とはどのようなことか、どのような形態がありうるかについて考察する必要を感じていない。
 「<生甲斐>を求める彼の願望は痛ましくも重い。もはや明らかなように感応寺五重塔は十兵衛にとって、自己の存在の明証であった。
 自己の存在の明証を求める心、それは世俗のいかなる慾望をも超えて永遠につながろうとする、芸術家の精神である。その所有は、赤貧に甘んじてき、五重塔築造にも無償の夢を見る--無我慾、脱俗の十兵衛にしてはじめて可能であったと言えるが、彼を動かしているものは、我の欲求である。我の欲求とは人間的存在の根源に発するぎりぎりの自己主張、精神の裸形が抱く欲求の謂で、世俗の虚飾を追う我慾とは別物である。十兵衛は我の人、彼にあるのは芸術家の我以外の何物でもない。
 「もはや明らか」と思えるのはそのように何度も断定しているからにすぎず、実は明らかではない。「世俗のいかなる欲望をも越えて」とか言っても、十兵衛の欲望が五重塔を建てることにあることは変わらない。「彼の願望は痛ましくも重い」とか「自己の存在の明証であった」などという言葉が空虚であるのは、十兵衛の願望の内容や、十兵衛が明らかにしている「自己」をその実践において明らかにすることなく、感傷的な言葉を連ねているからである。このような分析抜きの抽象的で感傷的な規定の上に、永遠とか芸術とか赤貧とか無我欲、脱俗とかぎりぎりとか、精神の裸形とかの形式的な言葉を適当に連ねてもなんら意味のある文章にはならない。大げさなだけである。「芸術家の我以外の何物でもない」というのは、どのような我であるかを規定するものではないし、我を規定していないために、それが決して芸術家の我とも言えないものである事にも気がつかない。
 「塔を建てるなら独力でという、傍目には<我執>とも見える頑固さ(其十八、其二十二)も、十兵衛の芸術家としての我に由来する。他人の力に寄生し、あるいは他人の力を含んだ自己の存在の明証などありえないことを、彼は<のつそり>の本能で知っているのである。」
 しかし、よく見ると、十兵衛は他人の力に寄生し、しかも自分が依存的であることを意識できないほどに依存的であることがわかる。作品を批判的に読めば、彼が独力ではなにもできないことがはっきりわかる。「他人の力に寄生する」とは具体的にどのようなものであるかを理解せずに、寄生するのは厭だという十兵衛の言葉をそのままに信じて、それを大げさに言い換えても無駄である。だから「十兵衛の芸術家としての我に由来する」などという言葉も無意味である。
 「十兵衛の我と源太の侠とが朗円上人の無我によって止揚されたときに、感応寺五重塔は十兵衛の手で建ち、嵐に耐えて世の讃歎を浴びながら後世に遣ることになる。逆に言えばのっそり十兵衛という無我慾の、もとより伎倆ある大工の<一心の誠>をこめた所行が真に彼の存在の明証として、永遠の生命を獲得するためには、彼の無垢の精神が上人の世界に抱きとられる必要があったのである。五重塔はその成果としてある。」
 なんとなく高度の内容を含んでいそうな文章であるが、実はなにもない。弁証法の用語である「止揚」という言葉も当時はやったものであるが、こういう言葉はなるべく使わない方がいいということがよくわかる。上人も十兵衛も無我ではないし、十兵衛の「こころの誠」は非常に浅く、「誠」とは言いがたいものである。永遠の生命とか無垢の精神と評価できるものではない。批評は上人や十兵衛の自我や誠の内容を検討する必要を認めておらずただ直感的にそれが無我であり純粋であり永遠であると信じており、その上でさらにそれを敷衍してさまざまの言葉を並べている。実際はそうではない。ただ十兵衛の精神の単純さはこのような単純な批評を引き出すための素材としては利用しやすい特徴を持っているのであろう。
 「露伴と鴎外らとの距離は、見かけほど、正確に言うと従来の文学史的位置づけが離れているほどには遠くない。たとえば、「五重塔」で大我につながりうるかたちで個人の我というものを考えた露伴とエゴイズムの悪を見つめて<則夫去私>を標榜するにいたった晩年の漱石との似通いに注目してみるがいい。にもかかわらず今日、一方は近代文学史の主脈として位置づけられ、他方は高峰であっても離れ山として扱われ、あまつさえ、明治末期以後の露伴文学の展開は文学史の圏外に放置されている。西洋的知性の有無がこの結果を招いたのであろうか。西洋近代文学の方法で書かれた作品以外は、近代文学として扱われる資格をもたないのであろうか。繰り返して言うが、日本の近代文学の実質は近代と反近代、言いかえれば西洋と非西洋とがかかわりあう総体としてあったので、非西洋といえども、積極的に評価しうる視点が必要である。」
 露伴と鴎外との距離は大きくない。しかし、漱石との距離は巨大である。漱石の基本的な課題は、とくに三四郎以後はこの十兵衛に描写されたような自我を本質的に批判する事であった。晩年の漱石はそれを明確に理解し描写している。しかし、大我とか則天去私とかの言葉の印象によって我を形式的にのみ理解する場合はその対立は理解できず、形式的な共通性が発見される。そのために、思想として確定されているわけではないが、経験的、歴史的に下されている漱石と露伴の決定的な違いの正当性を理解できないのである。こうした形式論議は漱石の描いた我の具体的内容と露伴の描いた我の具体的内容を分析することで克服しなければならない。露伴が「文学史の離れ山として扱われ」ているのは、彼の社会観察、描写がごく表面的で社会の深層に届かなかったからである。


 もう一つ、小田切秀雄氏の「明治文学史」(潮文庫)から一文を紹介しておこう。
 「露伴はこうした主題を伝奇的な設定のなかにくりひろげながら、かれ自身の意慾の主体的、観念的なはげしさによって描写を横溢させ、芸術にうちこむ人間の強烈な意志の力が現実の矛盾を克服してゆく物語をつくりだしたのである。こうしたかれの傾向が最もみごとな完成を示したのは『五重塔』(『国会』二四年二月〜二五年三月)で、のっそり十兵衛という名人気質で"我"の強いしかし世才のない江戸の大工が、上野谷中の感応寺の五重塔建設のさいに親方をおしのけて請けおい、世間からの義理や迫害に屈せずに、独力でこれに取り組んで、全能力を傾け尽しついに仕上げるが、まもなく大暴風雨が江戸を襲って塔は危機的な試練を受ける。しかし、この建築にこめられていた十兵衛の意志と芸との力が、ついに自然の猛威をしりぞけた。--暴風雨とそれにたえる塔との描写は、比類少ない描写力の活気を示したすばらしいものであり、この部分をふくめて、自然と社会の秩序との拘束的な力にたいして人間の可能性を力強く固執しようとする露伴の意慾は、たしかに"一種沈痛深刻なる哲理の其中に存するある"を読者に感じさせないではいなかった。
 しかし、露伴のこうした意慾の活気は、明治社会の現実の矛盾や重圧を受けとめてこれを現実的に分析し、批判し、破壊し、打開してゆく性質のものではなく、絶対主義秩序に批判的に対立する思想性や疑惑やをひそめたものでもなかった。かれの主人公の多くが近代前的な職人や技芸者やであり、その芸術への打ちこみ方も古風な職人的、名人気質的なものとして現われていたのは、以上のことと関係している。このことは、明治の開化にとりのこされた民衆のなかにひそめられていた人間的な情熱や意慾やの、独自な形態に触れたものとして注目にあたいする側面をもちながらも、近代的な人間性の自覚や要求とはまだ直接に結びつきえない性質のものであり、露伴の作品と近代文学とのずれもそのことと結びついていた。かれの作品が強烈に提示した"理想"が、近代文学の基本的な発展のための"哲理"となることができず、透谷によって"一種の哲理"とされ、さらにその透谷によってのちに、露伴の理想派としての"理想"が近代的な"内部生命"の要求と離れていることを批判されざるをえなかったゆえんである(透谷の明治二六年五月『内部生命論』)。
 登尾氏の批評とよく似ている。小田切氏は露伴の描く人物に「意欲の主体性、観念的なはげしさ」、現実の矛盾を克服していく「人間の強烈な意志の力」を認めている。「五重塔」については、「自然と社会の秩序との拘束的な力にたいして人間の可能性を力強く固執しようとする露伴の意慾」を認めている。作品に意欲は示されているが、その意欲は実質的な内容も力も持たない。そのことはやはり小田切氏も感じるのであって、後半の文章は前半の高い評価をまったく否定している。現実変革的ではなく、絶対主義的秩序に対立する思想でないとした上で、職人的とか名人気質といった現象的な特徴をあげ、近代文学とずれていると結論している。
 この小田切氏の特徴も、十兵衛その他露伴の描く人物の我の具体的内容を理解できないことである。小田切氏は近代的自我とか主体性ということばを好んで使う。しかし、この言葉の意味は氏の批評をどれほどよんでもはっきりしない。そのことはここにもはっきり出ている。氏の主体性という言葉は、露伴の描く人物によくでている表面的な決意とか意地の激しさ、意欲を表に出すこと以上を意味しない。ところが実際は十兵衛は非常に主体性のない人物である。それが理解できないのは、氏の自我とか主体性という範疇が、硬化した、死んだ範疇となっているからである。これは、明治の文学作品に官僚批判の意識形態を求めるのと同様、作品の具体的内容を理解する妨げになっている。
 たとえば主体性という範疇を持って対象に向かう場合、その範疇に前もって、ある特定の内容を与えそれによって内容を分類するのでは作品を死体として扱う事になるし、範疇自身も生命を失っていることになる。まして、主体性という範疇を、激しい意気込みとか意欲という表面的な決意の形式としてのみ理解していればどのような現象をも理解することは不可能である。ある範疇を持って対象に向かう場合、そのカテゴリー自身が無限的な力を内包している場合は、つまり自己を分解し自己の単純性を解消して複雑化する力を持っている場合は、対象の内容を自己に取り入れ自己自身を対象化し具体化することになる。十兵衛のような精神形体は主体的ではないこと、意欲に満ちて形式的には積極的に見えるが、本質的には消極的であり主体性が欠如しているという内容を主体性の範疇の中に取り込み、また他の作品に向かった場合は、すでにこのように獲得された具体的内容を一層具体化すべく、そこに描写されたりあるいは現実に展開されるものの具体的内容を取り込み、こうして主体性という範疇の規定は無限に豊かになっていく。主体性の範疇はこのようにして出発点であるとともに常に終着点でもなければならない。範疇が硬化していれば、すべての多様な対象を単純な形式に分解するだけで、すべての対象に対し、単純な規定を繰り返すことになる。実際にそうしてきたのである。
 自我の内容は実践において規定されねばない。自我は実践において社会関係に組み込まれ、自己の社会性を明らかにする。社会的諸関係の中での積極性は無限に多様である。我を押し出す場合もあろうし、我を押し殺して我を通す場合もある。激しい形態をとることも氷のように冷静な形態をとることもある。それは個性による事もあるし、状況に強制される場合もあろう。その形式の無限性は文学作品や現実的実践的活動の中から吸収される。その結果として、主体性のもっとも抽象的な規定は社会的諸関係の総体であると正しく規定され、主体性の具体的内容を無限に取り込むとともに、それを概括することのできる生きた範疇となる。主体性の度合いは、多様性と質を含めていかに高度に社会性を内包しているかの量的規定になる。だから、主観の形態である激しさとか冷静さとかは、量的規定でさえない単なる形式規定となる。小田切氏においてはこの形式が主体の内容となっており、実際の所"やる気十分"くらいが主体性の意味となっている。
 形式がどうであれ、主体的であるとは、社会関係に対して自我をいかに深く、広く押しつけるかである。そしてそのためには自我が深く広く社会関係を内包していなければならない。いかに深く広く社会関係を内包しているかが、主体性の強弱の基準となる。自他の関係で言えば、いかに多くの多様な他我を自己のものとしているかである。十兵衛のように孤立している場合はしたがって主体的ではありえない。十兵衛の情熱の形式の激しさは広く深い人間関係を欠如した人間に特有の、つまり主体性を欠如した人間に特有の情熱である。一般に日本史上では、小田切氏のような形式規定では評価はまったく逆転した評価になる。小田切氏は傾向としてロマン主義的な人物に主体性を認めて、ロマン主義的な精神を越えた四迷、一葉、漱石の人物に対しては主体性の欠如を認めることになる。これについてはまた別の機会に問題にするとして、ここでは簡単な指摘にとどめておく。

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