漱石概観 唐木順三著 (昭和六年執筆、七年発行の『現代日本文学序説』に発表)
                              唐木順三全集第十一巻(筑摩書房昭和43年4月刊)より引用


 ■ 要するに『猫』と『坊つちやん』は、調子にのつた漱石の、出まかせの余技にすぎない。ヒステリックな、日頃の鬱憤の爆発にすぎない。が、爆発にしろ、余技にしろ、本音でないとは言へない。そこに匂ひ出てゐる封建的正義感と癇癪は、同時に彼の骨にくつついてゐるものに外ならない。漱石は、勃興期のブルジョアジイの必然的にかもし出す暴君的勢力を憎んで、それに封建イデオロギイを対立せしめた。同一平面に於けるこの対立の仕方は、必然的に漱石の敗北に帰するは見えすいた理である。一切の生産機関と、それから起る支配機關とを具備して愈々発展しつつあつた日露戦争後の日本ブルジョアジイに対して、何等の地盤をもたず、何等の団結をもたない封建イデオロギイが互角に封抗しえよう筈がない。それから來る必然的な敗北は漱石を益々偏窟にさせる。--窮屈に、依枯地にさせる。--後の博士號拒絶問題、西園寺文相の文士招待拒絶問題等は、その偏窟と依怙地から來る必然的な結果に外ならない。--この敗北にも拘はらず、「愉快、不愉快を唯一の尺度として詩の國を建てんとするとき、勢ひ対象を制限せざるを得なくなるのは理の當然である。★(p19)

 唐木氏の主張は基本的に正宗白鳥の主張と同じである。唐木氏はそれを一歩進めて、漱石の作品と実践の特徴を階級的に規定している。支配階級としての機構を整えつつあるブルジョアジイとの対立において、すでに現実的基盤を失った封建的イデオロギーの敗北は必然である、言う説明は説得力を持っており、分かりやすい。ただし、漱石の作品と実践を、日頃の鬱憤だとか偏窟だとか依怙地と解釈した上で、それを古いイデオロギーと現実社会との対立として説明しているだけだから、わかりにくく書く方が無理であろう。唐木氏の説明が分かりやすいのは、漱石が偏窟で依怙地だったと指摘しているにすぎないからである。たとえ理由付けは難しげな言葉を使っていても結論は誰にでもわかる性格付けである。
 このあと、この基本規定からの必然的な帰結の形式をとって、風が吹けば桶屋が儲かる式の因果関係を連ねて漱石が「野分」を書かざるを得なかったと説明している。この部分は恣意的な推論だから特に問題にする必要はない。
 
 ■ 『野分』は『草枕』と『坊つちやん』の二傾向の綜合であると同時に、先に言つた如くまたひとつの転向点であり、新しい出発点でもある。その意味はかうである。『猫』『坊つちやん』に於けるブルジョアジイに対する反抗は、要するに無鉄砲と癇癪に始まり、自己の優越感と快哉に終つてゐるのに対し、『野分』の主人公の対立は常に「瓢然として去る」を特徴とする。道也先生は決して無鉄砲と癇癪で動くことをしない。高柳との問答はこの消息を明示してゐる。★(p22)

 階級規定とも弁証法ともとれるような大げさな文章が少々滑稽味を帯びている。根拠は社会的で階級的であるにしても、そして何やら総合を問題にしているにしても、ようするに、さすがに漱石も癇癪持ちで依怙地だけではやっていけなくて、飄然として去る精神となる、という作品の表面的な特徴を並べているにすぎないからである。これはどういう話になるのであろうか。
 
 ■かくして漱石は、『坊つちやん』に於ける無鉄砲な正面衝突から『野分』の解脱へ移つた。
 だが、これは明らかにブルジョアジイに対する敗北を意味する。一切の人格、教養を無視し、或はそれを利用することによつて剰余価値の蓄積に余念のないブルジョア社会機構内に於て、「わたしは痩せてゐる。痩せては居るが大丈夫」といふ道也先生の「人格論」は、痩我慢であると同時に、社会の中心機構から疎外されたインテリゲンチアの唯一の逃避場である。
 自己の一面を道也先生に於て理想化し、「一人坊つちの崇高」を説いた漱石は、ひるがへつて、現實の自己に注意を向けざるを得なくなつた。自ら凌雲閣に登つて、仙人と共に岩崎を罵倒して人格の尊嚴を説いた道也先生から眼をうつして、ブルジョアジイにしばられ、社会と俗念にとらはれ、拘泥の沼に沈吟する現實の人間に眼を移さざるを得なくなつた。「高い、暗い、日のあたらぬ所から、うらゝかな春の世を、寄り付けぬ遠くに眺めてゐる」(二一頁)『虞美人草』の甲野を経て、『三四郎』『それから』『門』『行人』『心』への推移は、我々にこの消息を示すであらう。
 『虞美人草』(四十年六月以後)に多くの頁をさくことは、我々には愚である。はじめての新聞小説のために、固くなつてゐると同時に、読者を倦かせないために筋を面白くはこばせようとする意識に煩はされて、我々を退屈させる。美辞麗句の洪水、伏線への関心、其処から生れる匠氣、なんとなく品のない、また思想のない小説である。★(p26)

 これが落ちの部分である。結論は正宗白鳥と同じで、唐木氏の理解は『虞美人草』を含めた漱石の作品の内的な思想に届かないということである。唐木氏は、漱石が癇癪持ちで偏窟で依怙地であるといった程度のつまらない話をイデオロギー的な形式でくるんでいるにすぎない。そして、そのイデオロギー的な図式もそのつまらない内容にふさわしいものである。漱石は封建的イデオロギーの持ち主ではなかった。漱石は日本における進歩的なブルジョア的精神の典型である。だから、ブルジョアと対立する封建的イデオロギーというのは二重に間違っている。「一切の人格、教養を無視し、或はそれを利用することによつて剰余価値の蓄積に余念のないブルジョア社会機構」というのは馬鹿げている。無視することと利用することはまったく対立している。剰余価値を生み出すためには、支配の機構としても、搾取の対象である労働者の育成にしてもブルジョア的な人格と教養が必要である。それを形成すること自体がブルジョア的な課題である。
 漱石が求めていたのは封建的な人格ではなく、ブルジョア的な人格であり教養である。初期から独占的な性格を持っていた日本のブルジョアジーは、藩閥政府の力によって農民を搾取し、あるいはアジアを侵略することによって資本を蓄積した。日清戦争後ようやく資本が自己運動する力を得たとは言え、日露戦争を経由して資本はますます独占的であると同時に軍事的性格を強めている。そうした日本特有の歪んだ資本主義にとって、「剰余価値の蓄積に余念のないブルジョア社会機構」を創り出すことは困難な課題であった。
 漱石の道也は、目の前の社会をブルジョア的な観点から堕落と考えており、蓄積された富のブルジョア的に合理的な分配を求めている。富を堕落のために使うべきではない、と考えており、富の収奪や蓄積に反対しているわけではないし、富自体を批判しているわけではない。『虞美人草』でいえば、漱石はブルジョア的な成果を、孤堂や小夜子にも及ぼすべきだと考えている。小夜子は貧しい階級として肯定されているのではなく、小夜子はブルジョア的な富の分配を受けるべきである、という視点から肯定されている。「野分」の道也が自分自身の利益をすべて放棄することによって、この合理的な分配を求めているのは、道也が、社会的な道徳的な形式をとって自分の利益を求めているのではないことを証明する必要があると漱石が考えるからである。自分の利益ではなく、社会的に合理的な分配を、社会的発展のために、思想的に学問的にのみ求める立場にいることを実践で示す必要があったからである。
 漱石が道也の禁欲主義的な道義的人格の実践的徹底を必要としたのは、日本の資本蓄積が、非常に分かりやすい道徳的腐敗の形式をとっており、それに対する道徳的批判が社会に受け入れられやすく、資本主義の発展に伴ってますます拡大していくプチブル的な、特にインテリの地位の分配を求める思想がこの批判意識の形式をとるからである。四迷が「浮雲」で描いた昇のような出世主義者と、それに対する道徳的な批判意識が同等に形成され、それぞれが資本主義の発展の中に組み込まれていく過程が進行しており、漱石はそのすべてに対して批判的であろうとした。それが人格的な孤立である。それは、やせ我慢ではなく、逃避でもなく、ブルジョア的精神の発展の一つの形成過程である。
 道也の禁欲主義も、甲野の必然に対する期待も実は非常に楽観的であった。しかし、そうした楽観的な社会認識は日露戦争の結果とともに崩壊するのであり、そうした社会認識自体は根本的に問い直されねばならなくなる。腐敗した金持ちを批判し、貧しい小夜子を助けるという道義は、漱石が批判している日本の資本主義が生み出す特有のプチブル的な現実認識ではないか、ということが批判的認識の対象となる。それが「三四郎」以下の作品である。
 
 正宗白鳥や唐木氏が漱石の道也や甲野を激しく批判するのにはそれなりの理由がある。漱石はまず「野分」で、自分の批判意識を、現実社会のすべての実践と精神のありかたに対する非妥協的な批判にまで徹底し、抽象化した。それを出発点として、その成果として、「虞美人草」では、自分の批判意識が、実際は、日本の堕落したブルジョアに隷属するインテリの精神に対する批判という限界を持っている、という具体的課題の獲得であった。それは、漱石が正宗白鳥や唐木氏を、ブルジョア的な視点から批判対象としてはっきり捕らえたということであり、それが彼らの批評によって証明されている。批判の矛先が自分の方に向かってきていることを感じ取って、彼らはそれがあたかも漱石の敗北であり、逃避であるかのように説明し、自分自身に対する批判を回避しようとしている。それは彼らの階級的な本能である。
 このあと唐木氏は、漱石の朝日新聞入社に関連して「俗人的な喜びを露はに示している」だとかの、下司のかんぐり程度の批評を並べている。もともと漱石の作品に対する階級的反発があり、漱石を思想として扱うことはできず、漱石の主観の二重性を指摘くらいが能力の限界であり、その貧弱な思想を単純な階級的図式や大げさな言葉で飾っているにすぎない。漱石が道也や甲野の孤立の過程を精神の成果として描いているにも関わらず、彼らにはその過程が、敗北にしか見えないし、その敗北の中で自己を肯定していることはやせ我慢にしか見えない。それは下司のかんぐりではなく認識能力の限界のために実際にそのように感じられそのように見えている。「野分」と「虞美人草」を読んで、道也や甲野が世俗的な意味での勝利者でないことがわからない人間などいるはずがないにもかかわらず、多くの批評はこの言うまでもない現象をさまざまに説明している。漱石の精神の成果が、批評の無能を100年にも渡って暴露し続けている、ということになる。残念ながら道也の覚悟は必要であり効果的であった。

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