「夏目漱石の作品」片岡良一著 昭和42年12月 鷺の宮書店 

一つの転機--『二百十日』と『野分』-- (昭和二十八年八月)

 片岡氏は、『野分』と『虞美人草』の批評において、漱石の批判意識と激しく対立している。漱石の作品の登場以来、そして特に戦後のこの時期に、日本のインテリにとって、漱石の道徳的な批判意識の発展を批判することが非常に重要な課題であったことがよくわかる。この伝統は21世紀の今日まで受け継がれている。すべての批判の要点は、漱石の批判意識の現実的無力を指摘することである。漱石は、批判意識の徹底のために現実的に無力化し孤立する過程を描いているのであるから、批判意識の現実的無力を指摘するためには理論的な無知以外に多くを必要としない。批判の意志を持つだけで十分である。片岡氏は、表面的な因果関係を連ねることで必然性の形式をとっているものの、内容は支離滅裂である。しかし、要点は単純であるから、細かな点をすべてにわたって批判する必要はないだろう。
 
 ■こうして『野分」は予定通り四十年一月のホトトギスに発表されたのであったが、それほどの熱意と意気込みとをもって書かれたものでありながら、作品としてはさしたる成功を収め得なかった。第一そこに描かれた道也の勝利は、勝利というにはむしろあまりにみじめなものでしかあり得なかった。まともな闘いを姿勢しただけリアリスティツクになったのであった作者が、どちらかといえば私小説風な身辺事情に即して、不当に抑圧的な力を代表するものとして道也の兄や細君のような人々を選んだことが、そういう結果を必至としたのであった。それは一面いえば不可能な勝利を可能のかたちに形象化するための、昔の浮瑠璃や歌舞伎の手法などにも似たところのあるような描ぎ方であったが、とにかく兄も細君もそういう役割を担うにふさわしいほどの人物ではなく、同じ金力や権力に圧しつぶされた卑小な俗物に過ぎないのである。そういういわば端役のような人たちとの小競合いでしかないのだから、道也の勝利も当然みじめさのかげを帯びざるを得なくなっているのである。(p97)
 
 漱石は道也の現実的勝利を問題にしていない。現実的勝利がないことを理解しつつなお批判意識を徹底することが漱石の覚悟である。だから勝利を描いておらず、敗北を描いていることにおいて、対立の成果は惨めではなかったし、闘いはまともであった。片岡氏が現実的なまともな闘いを知らず、認めていないだけである。一介の教師であった道也が地方の有力者を個人として批判して勝利するはずがない。道也の批判が誰にも支持されず、道也が孤立したことを漱石は批判意識の成果だと考えており、道也もそのように意識している。漱石は、兄や細君を不当な抑圧者として描写していないし、彼らに対して勝利したとも書いていない。兄や細君からも批判され、信頼を失うことが道也の成果である、と漱石は描いている。ただ、彼らは道也の道徳的な批判意識の実践の結果として具体的に対立しており、漱石は、そこに生じた成果の意義をまだ認識できていない。しかし、この新しい関係を創り出したのは道也の主体的で実践な批判意識である。
 金や地位に対する批判意識を徹底して、実践的に金や地位を失った結果として、道也は現実的で具体的な対立を獲得し、それを意識化する課題を得る。それは自分自身の批判意識の再検討でもあり発展である。批判意識によって実践的に新しい人間関係を創り出し、同時に新しい精神を形成している。社会的な批判意識は、地方の有力者との関係を経由して兄や細君との関係の中に生きている。それが漱石の批判意識の現実的な成果である。地位や金との闘いを、社会一般や金持ちや権力者に対する抽象的な批判としてのみ持つのではなく、現実的な具体的な人間関係における対立まで押し進めることが道也の力であるにもかかわらず、それが片岡氏には惨めさに見える。しかし、実際は、金力や権力との抽象的な闘いを掲げて具体的な生活において妥協する場合に、闘いはみじめさのかげを帯びる。それは、漱石の批判意識を抽象的に批判する片岡氏の意識がみじめさを帯びていることによくあらわれている。といっても、片岡氏の場合は、闘いではなく、闘ってはならない、という主張による漱石との闘いであるから、闘いの惨めさではなく、金や権力との関係でいえば、闘わない惨めさ、従属の惨めさである。
 漱石は、道也が社会的な批判意識を徹底した結果として、地位と収入を失い孤立する過程を描いているのであるから、それを惨めというのなら惨めという以外にない。漱石はこういう破滅的な人生を選択することによって得られる新たな精神を探求している。片岡氏にはそれが理解できないし関心も持たないから、地位と収入を失い孤立したことを惨めとしか感じ取れない。しかし、それにも関わらず、それが惨めであることを強調しているのは、道也が惨めな気分に陥っておらず、批判的な意識によって自己肯定しているために、道也の精神が惨めである、と指摘する必要を感じているからである。道也が本当に惨めな運命に陥り、成果もなく破滅するのなら、片岡氏が、惨めだとか通俗小説だとか、浅露なひびきだとかの惨めな解釈をする必要を感じなかったであろう。
 道也の実践には精神的には多くの果実があった。それだけではない。道也の実践の過程は、現実との関係においてその批判意識の限界を超えた普遍的価値を持っている。実践の過程の方がはるかに多くを含んでおり、その実践を意識化する過程は実践からはるかに遅れてついていくのであり、その内容豊かな実践を創り出しているのが道也の批判意識である。道也が金持ちや権力者と真剣に闘う場合、現実的な敗北と孤立が徹底するほど批判意識は徹底している。それが真剣であり徹底するほど孤立することが漱石には分かっているからこそ、漱石はその過程を勝利の過程として描いている。誰であろうと、真面目に考察するなら真剣な闘の結果を孤立の過程として想定する以外になく、またこうした闘いにのみ成果がある。それが真剣な闘いであり、成果のある闘いであるからこそ片岡氏はそれが惨めな闘いだと指摘している。片岡氏を含めて、道也の闘いの惨めさの証明のために、どれほど多くの批評家がどれほど多くの文章を書いてきたかを思えば、それだけでも巨大な成果である。
 
 ■つまり作者は、正面きった闘いの情熱に憑かれたかわりに、十分な沈潜と従って自分自身の主張や内面を吟味しようとする厳しさを失っていたのである。深く吟味すれば無力感や闘いの不可能を思う気もちが出て来る自分の内面生活であることを忘れ、そういう内面生活を正しく整理することを忘れて、それだけまだ整理されきらぬ気もちの上に立って、果敢な闘いを姿勢することになっていたのである。闘いの情熱にうわずって暗い現実への沈潜的な格闘を欠いたのだともいえよう。(p98)
 
 片岡氏は、現実的な敗北と孤立を惨めさであると指摘した後に、ここでは、漱石の精神を否定的に評価している。漱石の社会的批判意識と対立する片岡氏の無批判性の告白である。
 片岡氏は、正面きった闘いの情熱抜きに自分の内面の吟味が可能であると思っているだけでなく、闘いと内面の吟味が対立すると考え、内面の吟味を優位においており、内面の吟味によって正面切った闘いの情熱を否定している。闘っても無力感と闘いの不可能を思う気持ちが出てくるだけだから、闘う前に、あるいは無意味な闘いをやめて、まず気持ちを整理するべきだ、と考えている。闘いによって得られる無力感や闘いの不可能の認識と、闘わずに得られる無力感や闘いの不可能の認識はまったく違う。闘いによって得られる闘いの不可能の認識だけが深刻で具体的な現実認識でありまた自己認識である。闘わずに、深く吟味して得られる無力感や闘いの不可能の認識を肯定するのは、闘う意識がなく、闘う意識と闘おうとする意識に生まれる現実認識である。そうした自己認識は独自の無限性を持つが、それは闘うための現実認識ではなく、闘わないための現実認識の系列を創り出すのであり、片岡氏はそれを求めており、それを持たない漱石に対して非常な不満を持っている。
 
 ■自分自身の世界を全面的につき詰めようとするかわりに--つきつめてそこからつき抜けようと努めるかわりに、そうしてつき詰め足りないままの一面的な主張をかざして、周囲に対する闘いを挑もうとしたのであってみれば、そこに或る種の浅露さが生れて来るというのも、むしろ是非ない結果であったことになろう。前に作者の開眼という丈字を使って来たし、事実これはこの作者における逃避的態度から積極的態度への転換にともなう、文学意識の切りかえを示す、その意味で極めて重要な意義を持つ作品であったことにはなるのだけれど、この時の作者はこうしてまだ自分自身の問題(生の道)を追求するのが文学の道だという自覚にまでは到達していなかったのであり、従ってその闘いも批判も自分自身に向けられるというものにはならず、もっぱら他を裁くという浅さにおいてのみ示されるということにならざるを得なくなっていたのである。そこにこの期の転換の未だしさがあったことになるのであった。(p101)
 
 これが片岡氏の結論である。漱石は社会に対する批判意識を徹底し、それが生み出す人間関係の矛盾を深刻に受け止めることで、自分自身の世界を全面的に突き詰めて、そこから突き抜けようと努力して、突き抜けることができた。その過程を片岡氏は理解できず、さらにその過程と対立する思想を持っているために、それが「他を裁くという浅露さ」に見えるし通俗的に見える。片岡氏には漱石の社会的な批判意識は浅薄で通俗的に見えるし、漱石の批判意識の立場に立てば、片岡氏の批評こそ、「他を裁くという浅露さ」に見えるし通俗的に見える。片岡氏には、社会的な批判意識を欠いた自然主義文壇の作品が「作者自身が当面する問題と全面的に取り組むことによって、いかに行くべきかの道を探求」しているように見えて、漱石が人生のすべてをかけて「いかに行くべきかの道を探求」している作品が通俗的に見える。それは片岡氏の社会的価値観によるのであり、片岡氏は漱石の社会的批判意識が非現実的で無意味に見えるだけでなく、そうであることを指摘し、明らかにしなければならない、という思想的な使命をも感じているのである。
  (昭和二十八年八月)★(p101)
 
 
 『虞美人草』の世界 (昭和二十五年五月春陽堂文庫解説)
 
 片岡氏の「野分」「虞美人草」に対する評価の基本的な特徴は、ふたつの作品で得られている精神の内容を理解できないことである。片岡氏は、甲野の「予想した悲劇を、為すが儘の発展に任せて、隻手をだに下さぬは、業深き人の所為に対して、隻手の無能なるを知るが故である」という文章を引用して、「こういう悲劇論の書出しが、甲野さんの無力感を端的に示すものであることは、もとよりいうまでもあるまい。」としている。漱石はここで「野分」の道也から一歩前進した甲野の現実認識を示している。「隻手の無能なるを知る」というのは、個別的な闘いの無意味を知ったという、新しい現実認識の表明である。「隻手の無能なるを知る」のは知る能力であって無力感ではない。知ることを無力だと思うのは片岡氏の無能である。
 片岡氏は、甲野の知の力を無力感だと解釈した上で、それを「時代的なものの照り返しであった」としている。時代を「閉塞」的ととらえて、甲野を暗い無力感にとらえられていると考えて両者を関連づけるのは単純なこじつけである。
 片岡氏の『虞美人草』理解は矛盾撞着が甚だしく、支離滅裂といっていいほどである。しかし、これは、漱石のこの二作品を道義的作品として批判する場合に例外なく追い込まれる矛盾であるから、長い引用を紹介して、その矛盾の要点だけを指摘しておこう。
 
 ■・・彼は、この作に描かれているほど悲しく沈んだ思索人なのでありながら、そういう自意識から来る疑惑や苦悩や自己省察などは少しも持たない、常に周囲に対する優越意識を生き通して、「驚くうちは楽みがある。女は仕合ぜなものだ。」などという、意地悪く侮蔑的な言葉を冷然と口にすることも出来る人間になっているのである。つまり、この作の場合には、明るく調和的な人間生活に対する否定的要素であるところの、「業」とか「我執」とかいうものへの追求が、作者自身をもこめた人間一般の問題としてなされるかわりに、藤尾なりその母なりという特定の人間だけの問題として、従ってもっぱらきびしくそういう人間たちを裁こうとするだけの意識をもって、なされているのである。それがこの作を、作者自身の求道的情熱の上にある、第一義の純丈学であらせるかわりに、他を裁き或は教えようとするだけの啓蒙的情熱に上釣った、通俗的作為の物語にしてしまったのであると同時に、『坊つちやん』以来のこの作者を特徴づけた姿勢が、そこにいよいよはっきりと認められることにもなったのである。それを衆愚意識の上に立った優越意識ないしは指導者意識のあらわれといっても、人間否定にも連なりかねない怒りの発現といってもよかろう。豊隆への手紙によれば、作者ははじめから藤尾を殺すつもりであったという。彼女と一しょに道を求めるのではなく、自分の信ずる道のために、邪魔になるいやな奴などこの世から抹殺してしまおうとせずにはいられぬほどの、はげしい怒りである。人聞をおもちゃのように操って、善玉悪玉の対立する通俗世界を作為することなど、そうした心境からいえばもとより極めて容易なーむしろ必然的なことであったろう。
 しかも、そういう悪玉は人間の力をもってどうすることも出来ず、従って悲劇的な破局は必至だというのが、「虞美人草』に示された漱石の感懐の一面だった。そうして殺すよりほか仕方がないとか、死ななきゃなおらないとかいうのは、すでに見て来た人間におけるよき道義的可能性への信仰とは、明かに矛盾するものではないか。その意味で漱石の悲劇論は明白な矛盾の上にあるものだったのであり、それを必至としたものが、当時の漱石における人間への信頼と、道を愛するが故に人間を憎まずにはいられなかった気もちとの、はっきりした分裂にあったのである。人間のために道を求める丈学者の苦悩ではなくて、道のために人間を裁く道学者の怒りが、それを必至としたともいえよう。★(p107)
 
 甲野の思索は自己に向かっている。藤尾や母親を批判することの無力を理解しているからである。藤尾や母親との対立関係における苦悩や自己省察が甲野の特徴である。「藤尾なりその母なりという特定の人間だけの問題として」いるのであれば、「衆愚意識の上に立った優越意識」ではないであろう。さらに、「隻手の無能なるを知る」無力感が甲野の特徴であるなら、「指導者意識」も論外である。「隻手の無能なるを知る」という甲野の現実認識は、「他を裁き或は教えようとするだけの啓蒙的情熱に上釣った、通俗的作為の物語」ではないことを示している。さらに「人間をおもちゃのように操って、善玉悪玉の対立する通俗世界を作為する」ことも甲野の言葉と矛盾している。漱石が甲野を「隻手の無能なるを知る」人物として描いているのは、藤尾と母親が、道義的意識によって操ることができない人物であること、彼女たちは独立した強い個性であって、甲野の批判意識が通用しない人物として描かれていることと対応している。甲野がこのような意識を持つことは、漱石が、藤尾と母親を甲野の批判を受け入れるのではなく、甲野の精神の価値をまったく否定し軽蔑する個性として描く自由と力を意味している。だからこそ、彼女たちを否定する必要を感じている漱石が、無理な結末をつけて藤尾の死を描かなければならなかった。だから道義が勝利する無理な結末こそ、漱石が藤尾や母親をおもちゃとして扱ったのではなく、道義的な意識の干渉を一切拒否する現実的な力として描いていることを示している。
 片岡氏の指摘は支離滅裂である。しかし、その支離滅裂な指摘にも必然の流れがある。それは、漱石の道徳的批判意識が、「野分」では金持ちや権力者を批判対象にしており、『虞美人草』では、藤尾や母親を批判対象するにいたった現実認識の具体化、批判意識の発展を否定していることである。漱石の批判意識のこの社会的傾向が片岡氏には受け入れがたい。特定の対象に対する批判意識を解消し、人間の「業」や「我執」といった人間一般の課題に取り組むべきだ、としている。しかし、これも実は片岡氏が自分では理解することのできない虚偽意識である。
 片岡氏自身は、人間の「業」や「我執」を問題にしているのではなく、藤尾や母親を批判する漱石の意識を批判している。そして、藤尾や母親と対立する甲野や宗近や小夜子を批判している。それが片岡氏の現実感覚であり、この点で漱石と敵対的に対立しており、漱石の批判意識に捕らえられている。
 漱石のこの時期の藤尾や母親との関係の限界は、十分に藤尾や母親を批判的にとらえることができず、したがって甲野や小夜子を肯定的な独立的個性として描くことができず、両者が十分に分離しておらず、相互に依存的な関係を抜け出すことができなかったことである。そのために、漱石は意志として、意図として批判する必要を感じており、その批判意識が表にでることになり、藤尾や母親に対する否定的な説明と小夜子についての肯定的説明が目立つことになっている。そうした弱点にも関わらず、すでに特に藤尾や母親を個性的・独立的に描いており、それを否定しきれないことに漱石はいらだっていた。片岡氏は、そうした漱石の苦労も理解できず、漱石が藤尾や母親を道義によって否定し、「人間をおもちゃのように操って」いると感じている。漱石が書簡でうったえているのは、藤尾や母親を道義によって否定することができず、書けば書くほどのさばってくる、という必然のことである。
 
 ■そういう封建的なるものへの好みに強くひかれていた漱石であったからこそ、彼の愛する女性は、はっきりした自我もなければ積極的な生の目標もなく、男が結婚などするなといえばそんなものかと思いこもうとするだけの、いわゆるすなおさにのみ生きる糸子や、漠然とした男への期待に生きて、いつまでも佗しげに待ち続ける小夜子のような入たちでしかなかったのである。そういう好みが、京人形や都おどりを或る意味では第一義だとする観察などとも結びつく。強く積極★(p109)的に生きようとする藤尾が、殺すよりほか仕方のない「我執の女」としてしか映らぬのも、これでは止むを得ぬことになろう。保津川の激濡に第一義の壮快を感ずる激情が、そんな女など殺してしまえ、そんな人聞にとって悲劇は必然なのだと考えるほどの強い我執に転化しているのであることを、甲野さんが鋭く反省ぜずにはいられなくなるほどの自照性がこの作にあったら、上記のような作者の整理されない心境的矛盾こそが、直接的に甲野さんの無力感と結びつくべきものであることなども、すぐに明瞭になったのではないかと思う。
 
 片岡氏の言う、封建的なるものへの好みという歴史認識は、京人形や都おどりと結びつく程度の話である。華美と贅沢のための財産を求める藤尾と母親を、積極的に生きようとすると評価し、それに対立する糸子や小夜子を、消極的と対比するならともかく、「自我もなければ積極的な生の目標もなく」と否定するのは片岡氏の好みによる恣意的な否定である。そして、「隻手の無能なるを知る」甲野は、「そんな女など殺してしまえ」などと思うはずはなく、藤尾や母親は謎として捕らえられている。甲野にとって藤尾も母親も批判対象であると同時にそれが何であるかも対処の方法もわからない謎となっており、謎として現実世界を我が物顔に生きている。殺してしまえ、ではなく、批判してしまえですらなく、それが何かわからなくなっている。批判意識のこうした深化が、「隻手の無能なるを知る」ことであり、悲劇の必然に期待することである。しかし、片岡氏は、「殺してしまえ」、と考えることと、悲劇が必然だと考えることの批判意識の決定的な違いを理解できず、これを同等と考えている。漱石は藤尾や母親を独立的な個性として描き、それを謎とする甲野を描き、悲劇の必然に期待することを言葉として描いたが、悲劇の必然を描くことはできなかった。だから、作家として、殺してしまわなければならない、と考え、不自然であってもあえて藤尾の死を描いた。この矛盾がこの作品によって得た漱石の大きな成果である。
 片岡氏はこうしした理解のもとで、漱石を封建的な意識の持ち主とし、さらにそれを「市民的道義の確立を阻んでいた絶対主義治下の封建的残滓の問題である。」としている。明治の社会を、閉塞状態だとか、絶対主義治下の封建的残滓、という言葉で表現していても、明治の社会に対する批判意識を意味するものではないことの実例である。片岡氏が、悲劇論だとか喜劇論だとか絶対主義だとか市民的道義だとかの言葉を連ねるのは、明治の社会に対する批判意識ではない。こうした言葉は、明治の社会に対して深刻に批判的であった甲野と漱石の批判意識を批判するためのまやかしの言葉である。片岡氏は、「淋しく沈んだ人間として造型しようとした甲野さんが、陰性の優越意識に安住した、意地悪くキザな、ニュアンスの乏しい人間ともならざるを得なかったのである。」★(p111)とまず感じ取っており、その感性と同等の理屈を大げさな言葉を使って説明しているにすぎない。甲野が優越意識に安住した、意地悪くキザな男であることを説明するための理屈などどう工夫しても内容は知れている。だから、大げさな言葉が必要なのである。
 
 片岡氏は、甲野に対するこの軽薄な批判に続けて、次のように書いている。
 
 ■このことは、また一方からいえば、丈学は作者自身の新しい生の道を求めるためのものではあっても、わかりきった道をひとのために説くものではないのだという近代文学的自覚が、まだ漱石のものになっていなかったのであることをも、端的に反映する事実になっていたのであった。
 
 漱石がわかりきった道をひとのために説いているのではないことは、片岡氏が作品をまったく理解していないことからも明らかである。近代文学を「作者自身の新しい生の道を求めるためのもの」などと規定できるものではない。芸術家がそのように自覚することもあろうし、そのような側面を持つこともあるが、それは近代文学的自覚の一般的特徴ではない。そして、このような側面から見た場合、漱石の作品こそ「作者自身の新しい生の道を求めるためのもの」としての著しい特徴を持っているにもかかわらず、それを理解していないのだから、片岡氏は、自分の書いている文章の意味を理解しておらず、その意味を問う必要をも理解していない。片岡氏の文章は非常に大雑把で、作品の理解に何の役にもたたず、分かりやすいようでいながら何を主張しているのかさっぱりわからない。それは、文章が一行ごとに、段落ごとに矛盾撞着しているにもかかわらず、それに気づかずに論理的で必然の形式をとりながら文章を書き進めているからである。全体として罵倒と、意識的でないにせよ誹謗や中傷としか思えないような文章のあとに、漱石の作品に対する国民的な支持に正面から抵抗することもできず、肯定的な評価を付け加えている。これもまた片岡氏の主張をわかりにくく、統一性のないものにしている。
 

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