『野分』 越智治雄著 (「国文学」14巻5号、一九六九年四月) 

 越智氏は冒頭で作品を扱う方法についてまず次のように述べている。
 
 ■ 「野分」は明治四十年一月に発表された作品だが、ほぼ同時期の漱石の現実の生の様相は、のちの『道草』(大四・六〜九)に描かれていると言ってよいだろう。もっとも、『道草』をもってただちに「野分」創作前後の漱石の心事をうかがうことは危険であるに相違ない。
 
 このやり方は非常に危険で、方法として致命的である。越智氏はこの方法がいかに危険であるかを理解しておらず、そのために、この方法を実践することでそれがいかに危険であるかを示している。漱石の他の作品や実生活から細切れの材料を寄せ集めて「野分」を論ずることは、作品の内容を解体し破壊することである。そして、「野分」や『虞美人草』に描かれた社会的な批判意識を解体し破壊することが越智氏の批評以後の基本的な課題となっている。
 越智氏の長い批評には、思想的な内容はまったくない。生活者の論理を道也に対置する批評に思想的な内容がないことは誰にでもわかるし、そのことに著者自身も異存はないであろう。道義や理想や思想ではなく、日常生活を重視することが論旨であるから、その批評に思想が含まれる必要はないし、含まれていない。だから、全体として批判するに足る内容は含まれていないが、この方法が生み出す特有の読み方についてだけ紹介しておこう。
 
 ■もとより、「野分」の場合、夫婦の対話は一種の滑稽味に包まれている点はみのがせない。しかしともかく、文学者道也の論理を相対化できる妻の論理が対置されていたことは否定できまい。なるほど、「細君の姿勢は中途半把」(十)なのだが、それが生活者の論理でもあるのではないか。したがって、妻に「御前は主義が嫌だと云ふのかね」(三)という道也の言葉は、考えてみれば滑稽だろう。もちろん先述のごとく、作意は現代の青年に訴える道也の一つの主義にあった。それは『虞美人草』(明治四〇・六〜一○)を一つのセオリーをもって支えようとした漱石とも、無関係ではない。しかし、作者漱石の生活者としての実感から発した描写が、十分意識的とは言えぬにしても、主義と対置されて現われるところに、むしろ問題はある。言うまでもなくここで問おうとしているのは作者の私生活とこの作品との関連ではない。主義で押し切った「野分」の背後に、漱石の現実感覚、生活感覚が暗々に働いていた点にある。「干乾にならぬ余程前から妻君は既に不平である」(一)という視点の強力さを最もよく知っているのは、ほかならぬ作者漱石であったのだ。
 
 越智氏は、道也の思想が漱石の思想で、道也の周囲の人間関係として描かれた部分は経験的な直感によって「暗々裏に」捕らえられたものだと思っている。そうではない、道也の人間関係として描かれた部分は、漱石の道徳的な批判意識によって想定された人間関係であり、道義の具体的な内容である。
 道也の道義の内容は妻や兄との関係である。道也の社会的な批判意識は、地方の有力者に対する批判として形成され、その後その批判意識は、自分の持つ個別の人間関係に矛盾を持ちこむまで徹底されている。地方の有力者に対する批判意識が現実的な内容を持ち得ないことは前提されており、その対立の結果として地位と収入を失うことに道義の意義があり、そのことによって、自分の個人的な人間関係に矛盾を生み出し、現実的な内容を獲得することが道也の道義的な意識の発展である。抽象的な社会的批判意識において自己を肯定する道学者や批判的な学者と違うゆえんである。
 道也が日常生活のなかで生み出す妻との対立は、その道義的な意識が創り出す人間関係としてのみ描写されている。道也の道義的な批判意識が創り出した人間関係だからこそ、「道草」の段階ではそれがより高度の批判意識による再認識へと発展する必然性を持っている。
 妻や兄との対立は、道義的意識を持つことによる偶然的成果でないことを道也は次のように説明している。
 
■ 「昔から何かしようと思えば大概は一人坊っちになるものです。そんな一人の友達をたよりにするようじゃ何も出来ません。ことによると親類とも仲違になる事が出来て来ます。妻にまで馬鹿にされる事があります。しまいに下女までからかいます」
「私はそんなになったら、不愉快で生きていられないだろうと思います」
「それじゃ、文学者にはなれないです」(六)

 妻に馬鹿にされ下女にからかわれるまで批判意識を徹底することが文学者になることである。この妻と下女との関係は文学者としての道也の決意が創り出したものであり、この人間関係を創り出すことが道也の主体性である。だから、「生活感覚が暗々に働いていた」のではない。
 越智氏は道也の道義的な意識と妻との関係を分離したのち、作品を通じて漱石の病気と狂気を読み取っている。作品の内容を理解することではなく、作品を通して漱石の私生活や病気に関心を持つ人のための批評である。
 
 ■ だから、志士的文学を語った漱石が「野分」に最も大きく影を落としているのは、すでに再三にわたってみてきたように、「自己」の定立という作品の論理を必至とした彼の重苦しい生の実相、実感がそれまでのどの作品とも異なる現実性をもって暗々に語られている点であることをこそむしろ認めるべきだろう。文学は人生そのものだという道也の主張はそういう形でこの作品に実際に具現されていたと言えるのだ。
 
 越智氏は長い文章をこのようにまとめている。大げさで、混乱した、意味のない文章である。


 喜劇の時代(1968.9)
   --『虞美人草』--                        
 
 越智氏は、『虞美人草』を理解するために、喜劇と悲劇の問題を重視している。甲野の言う喜劇とは、道義心を持たずに日常に無批判的に生きることであり、悲劇とはその日常に突然死が訪れる、という単純な意味をもつだけである。この意味での悲劇を甲野は期待しているが、道義を意識せずに生きている人間に突然の悲劇が訪れる必然はない。この訪れることの無い悲劇を期待する立場から初めて可能になる現実認識が『虞美人草』には描かれている。越智氏は、現実には悲劇が訪れないことから、世界が喜劇の世界であると結論し、『虞美人草』全体を喜劇とし、結論として甲野を喜劇的な人物として描き出している。『虞美人草』の中でも、もっとも単純で抽象的な喜劇と悲劇という言葉をつかって甲野の批判意識を喜劇に解消することが越智氏の批評の意味である。「野分」の道也と『虞美人草』の甲野に現実的な成果がない、という批評は単に成果を理解できないということである。
 越智氏の『虞美人草』批評は時期としては『野分』批評より早いが、ここでも、「漱石の生活者としての無意識的な実感」と道義的な批判意識が対立的に捕らえられ、この対立において批判意識が否定されている。
 
 ■ 彼にとってもおそらく第一義の活動(十八)であったはずのものが、彼をいやおうなく喜劇の世界に誘うとしてもよいのである。宗近君の「煮え切らない」という批評に対して、甲野さんは「浮世の鍋の中で」「生きてる所為」(十七)だと答えるが、こういうとき、彼は、まさに煮え切らぬのが現実の性格であり、その中で生きなければならぬ自分であることを、意識してもいると言ってよい。そしてそれは漱石の生活者としての実感の投影が無意識に行なわれている結果であろう。たとえそうした感覚がなお十分強固ではないにしても、悲劇という「偉大なる」(十九)形式を侵蝕する現実に、漱石がまったく気づいていないはずはないのである。
 もちろん漱石は悲劇を信じているだろう。そしてそうである以上、漱石に悲劇の存在は疑われていなかったと言ってもよい。その成立を容易に許さない現実の諸条件にうち克って、悲劇を現前させることにも確信があったはずである。
 
 越智氏の批評は、漱石が描いている内容とは関係の無い恣意的な憶測ばかりである。越智氏が漱石とはまったく現実認識をもつために、漱石の描いた内容が実際にそのよそうに見えるのであろう。甲野は「煮え切らぬのが現実の性格である」とは意識していない。甲野は現実の世界に生きていかねばならない、と思っているのではなく、現実の世界でどのように生きるべきかを問題にしている。それは、自分の生きている現実世界に対して批判的だからである。そして、その世界と自分の関係について、その世界に対する主体的な批判が無力であり、その批判対象である現実がどのようなものであるかを理解することができず、現実を謎としてしか認識できないことを自覚しているからである。この自覚が「煮え切らぬ」ことの内容である。甲野が「煮え切らぬ」ことは、「漱石の生活者としての実感の投影が無意識的に行われている結果」ではなくて、現実に対する道徳的な批判意識の発展であり、現実認識の深化である。現実に対する積極的な働きかけを内的な衝動とする精神に特有の現実認識である。
 漱石は「猫」以来、批判的意識の対象である現実がいかに強固な力をもっているかをはっきり認識しており、批判意識によって否定される現実を描いたことはなかった。漱石の批判意識の発展は、批判意識が発展すると共に、批判対象がいかに強固であるかを具体的に認識することでもある。
 甲野にとって悲劇、すなわち道義の勝利は当為である。漱石にとっても、甲野にとっても、この道義的な当為が、自己を支えるもっとも重要な価値観である。このことを越智氏は強調している。「繰り返して言えば、喜劇の時代に悲劇を成立させること、『虞美人草』における漱石の賭けはそれを措いては考えられない。」と越智氏は書いている。越智氏にとって、他の多くの評家と同様、この道徳的批判意識が現実に対して勝利できないことが、道徳的批判意識の敗北であり、道也、甲野、さらには漱石の批判意識の敗北であり、この敗北する批判意識において喜劇的であるかのように見える。そのように見えるのは、現実的な敗北の過程が現実認識の発展過程であることを理解できないからである。それは漱石・甲野の敗北、無力ではなく批評の無力である。
 道義的な批判意識が現実と衝突することによって崩壊することは、批判意識の発展であって敗北ではない。漱石は道義的な批判意識によって現実に接触し、現実を認識し、それを作品に描いている。作品は無意識的にではなく、高度の批判意識によって構成されている。道義的な批判意識が現実と衝突することによって崩壊する過程は、漱石の批判意識の発展として意識されている。そして、それを可能にしているのは、漱石のブルジョア的な現実認識である。漱石はブルジョア世界に対するインテリ的な批判意識の無力を理解していた。そして、その無力を知っていたために、敗北を覚悟し、敗北を前提しても闘う覚悟をしており、その闘いによって批判対象と、その批判意識の全体像の発展を必然として描写し続けている。これが、道義的な批判意識の発展の過程であり、勝利の過程である。現実に対するインテリ的な批判意識が現実的な勝利という形式をとることはありえない。それを想定しないのが漱石のブルジョア的な感性である。それは無意識的な過程ではなく、インテリ的な批判意識とブルジョア的な意識の対立という形式によって、深刻に、意識的に取り組まれた認識の発展過程である。
 越智氏は、悲劇を成立させようとした漱石の批判意識が、現実と衝突することを、敗北としてのみ理解している。そして、それは非現実的であり、敗北であり、喜劇的である、と結論する。敗北の過程が具体的な認識の発展過程であることを理解できない。
 
 越智氏のこの長い批評は繰り返しの長さである。登場人物のすべてが文明の中に生きており、喜劇の体現者だ、ということを説明している。こんなことは長く説明するまでもないことで、その矛盾の具体想が人間関係の内容である。越智氏は、すべての人物を取り上げて、あれもこれも喜劇であり、喜劇であることは現実にまみれることである、としている。すべての人間は現実と関わっており、甲野はもっとも深刻に関わっている。しかし、現実とのこの普遍的な意識におけるかかわりの意味が越智氏には理解できない。だから、その批判意識が崩壊し、解消されることが現実と関わることだと考えている。正宗白鳥、唐木順三、片岡良一諸氏が、甲野の批判意識が封建的で通俗的である点で非現実的である、とした批判を、喜劇と悲劇という甲野の言葉をてがかりに、古い、封建的である、という規定を修正したものであり、1965年の平岡氏の批評に対する反批判である。
 越智氏は、すべてを喜劇に解消しながらも、藤尾を肯定し、孤堂・小夜子を批判している。「藤尾にもまたこの詩趣と道義の一致しうる瞬間はあってよいので」と書き、「人間が統一的な存在でありえないところに近代の本質があるとすれば、藤尾もまたその不幸を負っているのにほかならない」と書き、平岡氏が重視した過去の内実について「孤堂先生の身勝手さを批判している部分さえあるのだ」と書き、「小夜子にもまた、日本の文明の様相をみてもよいのである。過去と文明は、小野さんや小夜子の場合、ただ対立しているのではない。その背馳する二つをかかえて彷徨するのが、漱石のみた現実の様相だったのだ。」として、すべてを文明の様相として同質化している。しかし、その文明の現実の中で、小夜子や甲野を敗者とするのが越智氏の批判の要点である。
 こうした準備の後、越智氏は、甲野の批判意識を現実から追い出し、そのことによって甲野をも文明の中の喜劇の演者にしていく。その場合、甲野は「明らかに観念家」である、しかし、現実に対して無力である、という同じ結論が繰り返される。
 
 ■ 宗近老人に言わせれば、これからの人間は生きながら八つ裂の刑を受けることになるのだが(十六)、甲野さんと宗近君を分裂させねばならず、しかもそれを小説の終結部で統一しようと試みている漱石もまた、そのような実感を持っていたのに違いない。そして、認識と行為の乖離、およびそれぞれの限界に漱石が気づかねばならぬとしたら、実は漱石は甲野さんの哲学がとうてい現実の動態を領略できぬことに暗々に気づいていたという推測も不可能ではあるまい。思えば、甲野さんが家を出るという決意を翻して現実世界に踏み止まることを思わせる、末尾の暗示の意味するものは深いのである。

 これは作為的な読み違えに見えるほど愚かしい解釈である。甲野と宗近を分裂させことには「野分」の描写によって得られた漱石の深い現実認識があり、それは甲野と宗近の会話に描かれている。それは喜劇と悲劇という単純な規定と違って非常に複雑な内容を持っており、越智氏の理解力の及ぶところではない。漱石は宗近のような実践的精神の重要性をはっきり意識している。だからこそ、主体的行動の不可能をはっきり認識する甲野の精神も重要であった。実践的精神が重要であっても、その実践の内容を認識しなければならず、実践の対象を認識しなければ、実践の意義がわからない。漱石が甲野と宗近を分裂させたのは、実践の必要と実践の意義を問う必要を理解した漱石の現実認識の、道也からの合法則的な発展である。「現実の動態を領略できぬことに暗々に気づいていたという推測」は馬鹿げている。甲野は主体的行動の無力を認識していることにおいて宗近親子と分離されており、それこそが甲野の批判的意識の特徴である。漱石の課題は、道也のような啓蒙的な活動によっても、また藤尾との個別の対立によっても現実の軽薄を克服することができないことを認識した結果として創造された個性である。「暗々にきづいていた」のではなく、それこそがもっとも重要な現実認識であった。
 
 ■ 漱石は作中に自註を加えて、「此作者は趣なき会話を嫌ふ」(八)と述べた。作者はなるほど詩趣を求めているのだろう。確かに漱石は「世に疲れたる筆」(十)を持っていたのだ。しかしだからと言って、彼は重い現実から完全に目をそらすことはでぎない。「地球は昔しより回転する。明暗は昼夜を捨てぬ。嬉しからぬ親子の半面を最も簡単に叙するは此作者の切なき義務である」(八)と言うのだから、藤尾とその母の示す文明の毒を見ないわけには行かなかった。漱石の内部にもひびが入っていることは疑えまい。こうした註釈は一種の平衡操作だと言ってもよいのである。しかもそれらの自註はほぽ小説の前半で姿を消す。漱石は、『虞美人草』の筆を進めながら、何かが自分の内部で崩れて行くことに気づいているのではなかったか。創作の過程で自己否定が行なわれ、自己発見に達する、かような体験はそれ以前の漱石にはない。(p57)
 
 漱石は、現実から眼をそらそうとしたことはない。現実との積極的な関係を形成することのみが関心である。道也と甲野の意識も現実との積極的な関係を形成する過程であり、その過程としての成果を蓄積している。「藤尾とその母の示す文明の毒をみないわけには行かなかった」という文章は故意の読み違いである。藤尾とその母こそが批判対象であり、「みないわけには行かなかった」ような対象ではない。漱石の内部で何かが崩れていたのではなく、急速で積極的な思想の形成過程があり、漱石はそれを自覚していた。越智氏はそれを全く理解していない。思想の崩壊過程にあるのは越智氏自身である。越智氏は、まず『虞美人草』を、漱石の批判意識が崩壊していく過程であると捕らえ、批判意識の崩壊が固定的な思想からの自由であると解釈した上で、「創作の過程で自己否定が行なわれ、自己発見に達する」として、批判意識の崩壊を肯定している。越智氏の関心は、原理・原則を否定することである。
 
 ■・・悲劇は藤尾の死のみに収敏する。つまり、甲野さんがひき受けねばならぬはずの不定形な現実に向かうよりは、むしろそれに対立する一つの原則の確立に作者の力は注がれていると言ってよい。
 漱石は原則、原理をもって現実を定形化しようとする。「草枕」と同様に極度に人工的な文体もまた、徹底した意識家が観念によって現実をねじ伏せようとするための方法にほかならぬ。そしてそれなくしてはこの作品はとうてい完成をみることなく破綻したに違いないのである。・・(中略)・・悲劇はまさに人生の第一義は道義にありとの命題を脳裏に樹立する(十九)。甲野さんは悲劇の性格について述べたのだが、それでは悲劇の成立する契機はどこにあるのだろう。流動する不定形な現実と一つの原則の対立こそがそれでなければなるまい。甲野さんが「理形」を見ることのできる存在だったことは偶然ではないのだ。・・(中略)・・喜劇の現実性と対比するとき、悲劇は本来観念の世界に近いと言ってよいだろうが、甲野さんの哲学自体も観念として整合してはいても、必ずしも現実に対して強力ではないのである。同様にあの人工的な文体は現実の深い相の見え始めた後の漱石の嫌厭の情を誘わずにはおかなかったのだ。
 
 省略したのは、現実との関係による敗北の部分である。敗北の過程で発展している認識の内容を理解できない越智氏は、原則、原理と現実との関係を理解していない。越智氏は、現実と原則・原理が対立すると思っている。あるいは、現実と観念が対立していると思っており、漱石の原則、原理、観念と現実が対立しており、前者が崩壊して後者が勝利する過程が、漱石の意識内で暗々裏に進んでいると考えている。
 原則、原理、観念は現実認識の内容である。現実に非現実として対立するのではない。それは現実の普遍的な反映として経験的な反映と対立しているが、現実と対立しているのではない。経験的な認識を普遍的な認識に高めるのが現実認識の発展である。越智氏は、経験的な意識が現実と一致し、原則、原理、観念は現実と対立すると素朴に信じている。こうした極端な無知によってのみ、「生活者の論理」などという無意味な言葉によって道也や甲野を批判できる。現実が常に変化し発展するという意味では不定形である。そして、原則、原理、観念も同じ意味で不定形である。原理、原則、観念が固定的で現実が不定形である、というのは越智氏の偏見である。現実の反映としての原則、原理は常に他方の現実の反映としての経験的意識と対立し、その対立において発展し、その発展は両者の一致の過程でもある。その過程を漱石が描いているにもかかわらず、越智氏は認識の発展過程を、つまり認識と現実の一致の過程を、あくまで現実と観念の対立として捕らえ、「原則、原理をもって現実を定形化しようとする」と捕らえる。「原則、原理をもって現実を定形化しようとする」努力において、原則、原理は変化するのであって、第一義が道義にある、という甲野の原理はこの作品によって破綻しており、破綻させたのも漱石の現実認識であり、その破綻はもともと甲野の意識に組み込まれている。そして、こうした矛盾こそが現実認識の内容であり、現実との一致の過程であって、観念の崩壊ではない。
 越智氏は、甲野について「その哲学にしても彼の救いになりうるか、どうか」と書いている。越智氏は、「救いになる」ことがどんなことかを考えるべきである。越智氏が求めている救いにはならないだろうし、甲野も漱石もそんな救いを求めていない。「確かに、誠も真面日も欠くことはでぎぬにしても、それが喜劇の世界で絶対に有効だという保証はあるまい。むしろ喜劇の残酷さはそれらをさえ笑殺しかねない」と書いている。越智氏は、「有効」という言葉の意味を考えるべきである。越智氏の考える有効を甲野も漱石も有効と認めていない。そして、漱石の誠と真面目は、「野分」によって、喜劇と対立し、喜劇に笑殺されるものとして意識的に形成されている。そこにこそ意義があり、その意義こそ越智氏に理解できないものである。
 
 ■・・かくて、あの一つのフィルターをとおした場合、「虞美人草』中の生き残った若い世代は、すべて喜劇の人物である。世界は原則を持たない。統一は失われたままなのだ。
 漱石はおそらくそうした発見に到達していたはずなのである。もはや単純な意識の勝利はない。江藤淳氏は『夏目漱石』(昭.三一・一)において次の指摘をしている。「代助は既に甲野の人格主義が一つの我執であることを知っている」。換言すれば、甲野さんは自己のエゴイズムに対する否定を行いえていないということになるだろう。確かにそうだ。しかし甲野さんがもし喜劇を引ぎ受ける決意を固めるとすれば、そこに初めて自己否定が現われるはずである。また、宗近君の「アクション」は第一義の発露として絶対的な意味を保証されていたのだが、喜劇の世界でどれだけその意味を確保できるだろう。彼は自身の小野さんに対する行為はエゴイズムから発したものでないことを繰り返し強調するが(十八〕、それを疑えば彼の行為は完全に意味を変じないではいられまい。同様に甲野さんが(16)自身のエゴイズムを意識すれば、悲劇の哲学はとうてい語れない。悲劇の哲学も実に危うい場所にまとめられているので、悲劇のみな(p59)らず、その哲学も崩壊の可能性は十分考えられるのである。(17)もちろんそれは世界の意味の崩壊とアナロジーをなしていると言ってよい。
 
 すべて喜劇の人物である、というのは、すべて現実のなかで生きているということである。生きていて現実の中で生きていなことがあろうか。愚かなフィルターによる愚かな結論である。『虞美人草』には非常に複雑な精神の展開が描かれており、単純な意識の勝利などはじめから問題になっていない。どんな意識もどんな主義も自己に発する点からすればすべて主観であり我執であり、エゴイズムである。そして、甲野ほど深刻に人格主義を否定する能力を持つ人物はいない。人格主義の具体的な否定と発展は、主観的な意識としてのエゴイズムという抽象体に解消することとはまったく違った課題である。すべての意識は主観的であるから、それをエゴイズムや我執に解消することほど楽な仕事は無い。漱石が現実認識の発展を具体的に、非常に綿密に規定していることをまったく理解できず、目につくものをなにもかもエゴイズムのごみために投げ込むことが越智氏の批評である。しかし、その目につくものは非常に少なくまた貧弱であり、ごみために投げ込んでも惜しくないものである。
 

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