「夏目漱石」 瀬沼茂樹著 1962年(1970年7月 東京大学出版会 UP選書51より引用)
 
 瀬沼氏は、「野分」について、次のように好意的に評価している。
 
 ■ 『野分』は、前記の手紙が証するように、秋霜烈日の意気をこめた烈風にも似た、青年に訴える思想小説である。鈴木三重吉に与えた「教訓の手紙」の趣意をみずから具体化してみせたイプセン流の問題小説でもある。小説としては技巧が拙劣で、人物も風俗も生彩に乏しいが、白井道也の思想、換言すれば漱石の思想が直截に語られ、初期の作品のなかでも、重要でもあれば、また愛すべき作品である。(p117)
 
 瀬沼氏は、『野分』を肯定的に評価している。思想小説であり、問題小説であり、愛すべき作品である、と書いている。しかし、小説としては技巧が拙劣で、人物も風俗も生彩に乏しい、としている。この対立的な評価はどんな関係にあるのか。
 瀬沼氏は肯定的に評価する点では唐木順三などと違っている。しかし、具体的な評価の点では同じであり、否定的評価が具体化している点に違いがある。愛すべき作品と感じ取っていても、その肯定的な意義を規定することの難しさが瀬沼氏の批評に現れている。
 
 ■ ところで、道也の「正しい道」とは何であろうか、敢て「一人坊つち」をよしとし、「動くべき社会をわがカにて動かす」のを「天職」とまで考え、「人格」をつくりあげている「道」とはなんであろうか。(p118)

 瀬沼氏は、漱石と道也の思想を肯定的に評価する観点からこのように問いかけている。多くの批評家が道也に対してこの疑問を投げかける。この疑問を投げかける場合、一般にこの問いの答えがありえない、ということを理解しておかねばならない。道也の特徴は、その「道」を発見していないことにあるのではない。ない「道」を発見しようとする意志と、そのために実践的に努力していることが道也の特徴である。道也の特徴はこの目標を実現しようとする手段の中にあることを示さねばならない。その意義を批評が発見することができない場合には、道也に「道」をことは求め、示していないことをもって道也の努力の意義を否定することになる。
 瀬沼氏は、道也の思想をその演説の中に捕らえ(道也の演説は道也の精神としてはもっとも貧しい部分である)、その理想、人格、道の内容が不分明に終わっていることを指摘した後次のように指摘している。
 
 ■ 道也は「高く、偉いなる、公なる、あるもの」に仕え、「人の為にする」ことにおいて「一人坊つちの崇高」に、喬木のように自由で独立でありえた。すくなくともその人格の光は貧困と病気とに社会を呪いつつ「一人坊つちの病気」にすさんでゆく高柳周作を絶望から救いあげる力となり、あるいは道也の兄や妻のような卑小な俗物の自利的態度を超えて行く勝利を結果してはいるが、果していうように暗黒の世界、「金以上の趣味とか文学とか人生とか社会とか云ふ問題」について、実に「金を儲ける為めに金を使ふ」--この資本家的営利精神について、その根源である金権の力そのものにさかのぼって、道徳的自制にまで滲透して、光明をもたらすものであろうか。はたして、この問題は各人の「賢明なる自利心」にまたなければならぬ道徳的自制--「人格」論で解きうるものであろうか。道也の「人格論」は、このままでは、現実社会からはじきだされながら、その故に赤貧と孤独との中に追いつめられながら、「わたしは痩せてゐる。痩せてはゐるが大丈夫」と、痩せ肩をそびやかす福沢諭吉のいわゆる「痩我慢の説」に終始するにとどまるであろう。しかし漱石は三重吉に与えた「教訓の手紙」と同じ口調で、次のように文学または文学者の特質をいうことで、この解決されない問題を文学の核心または文学者の責務として、実人生の内容的価値として、文学の中に真正面からとりあげようとする一つの地点にまでたどりついていた。
 「文学は人生其物である。苦痛にあれ、困窮にあれ、窮愁にあれ、凡そ人生の行路にあたるものは即ち文学で、それ等を嘗め得たものが文学者である。文学者と云ふものは(中略)円熟して深厚な趣味を体して、人間の万事を臆面なく取り捌いたり、感得したりする普通以上の吾々を指すのであります。(中略)ほかの学問が出来得る限り研究を妨害する事物を避けて、次第に人生に遠ざかるに引き易へて文学者は進んで此障害の中に飛び込むのであります」
 漱石は白井道也をかりてこの障害の中に一歩とびこんだのである。文学はもはや漱石にとって大学講師の余技であることを、彼自身の内面的要求からしても許さないところまできていることを自覚しはじめたのである。★(p121)

 道也を敗北と孤立によって特徴づけるのではなく、自由で独立的で、高柳周作を絶望から救いあげる力を持ち、自利的態度を超えていた、と評価した後、しかし、と瀬沼氏は反転している。瀬沼死は、道也にないものを求めてそれを道也の限界としている。道也の「道」は、暗黒の世界に光明をもたらすものであろうか、という疑問は、この疑問が何を意味しているかによって答えが違ってくる。道也の「道」が社会の暗黒を解決してしまうことができるのか、という意味ならば、答えは、できない、である。それは道也の「道」だけではなく、誰のどんな「道」であろうと理想であろうと理論であろうと、そんなことはできない。だから、それができないことは道也の精神の限界ではない。道也が、社会的な変革、自己の変革の端緒に立っており、これが正当な出発点であり、その第一歩を踏み出しており、「明暗」に至る道がここに踏み出されている、という意味では、暗黒の世界に光明をもたらしている、と応えることができる。この作品の意義はこの点にある。
 瀬沼氏は道也の積極的な成果には触れておらず、正宗白鳥や唐木順三の評価を継承して、地位と収入を失い孤立する道成の思想は、「痩せ我慢の説」に終始するにとどまるのではないか、と危惧している。痩せ我慢の説である、と結論してはいないが、痩せ我慢の説ではない、という説明はない。そして、そのあと、「この解決されない問題を文学の核心または文学者の責務として、実人生の内容的価値として、文学の中に真正面からとりあげようとする一つの地点にまでたどりついていた。」として再び「野分」の到達点を肯定的に評価している。瀬沼氏は、道也の決意が、小説家の道を踏み出した漱石の決意と重なっていることを指摘しているが、それは作品の評価ではない。
 瀬沼氏は、「野分」を肯定的に評価するのか否定的に評価するのか、つまり具体的にどのように評価するのかがはっきりしておらず、判断を迷っている。道也の生き方が、文学に真正面に取り組み始めた漱石と同じだとして高く評価しているものの、それが道を示しておらず、「このままでは」痩せ我慢の説になる以外にない、と評価する点では、つまり道也の努力に成果はありえない、とする点では、疑問符をつけながら同意している。道也、漱石が文学者としての人生に真剣に取り組んでいる、しかし、成果ははっきりしない、ということである。実際はこれは、批評としてはっきりさせることができない、ということであるが、道也の成果がない、と想定されている。道也は「道」を示すために人生に真正面から取り組んでいるが、「道」は発見されず、示すこともできない。しかし、「道」以外の何が成果として得られているか、というのがこの作品を肯定的に評価するための課題である。
 
 『虞美人草』の評価では、唐木順三や片岡良一の評価を超えることが、つまり肯定的に評価することがさらに困難であることがわかる。瀬沼氏はこれらの諸氏の評価から一歩も出ていない。
 瀬沼氏は、「野分」の道也の演説に注目したのと同様、『虞美人草』については、甲野の「哲学」的な日記に注目している。しかし、これは道也、甲野の思想の形式をとった抽象的な図式であり、哲学というほどのものではなく、自分なりに思想を整理した部分ではあるものの、精神の一部分にすぎない。だからそれは、部分として扱うべきであって、それを道也の、また甲野の、まして漱石の思想と見なしてはならない。
 この哲学について瀬沼氏は次のように指摘している。
 
 ■ここで、漱石はむしろ「業深き人」を暗い眼でみて、なんとかしなければならぬと考えはじめている。「業」や「我」は日常的生に深くかかわっているにせよ、人間的生にとって「三世に跨がる」ような根源的条件でもあるのではないか、それは人間内部の問題として「道義」とどう関係するのであるか、生存欲と道義欲との問題はまだ深く関係づけられて考えられてはいない。

 道義の問題を深く捕らえるというのは、道義欲と生存欲がどんな関係にあるかを考えることではない。片岡氏も瀬沼氏もそのように考えているが漱石はそうした方向には進まなかったし、この作品でもそんなことには触れていない。だから瀬沼氏はないものを、そしてある必要のないものを求めているのであり、自分の価値観が描写されていないと指摘しているにすぎない。瀬沼氏は、政宗白鳥や唐木順三や片岡良一とともに、この作品を道義的な作品と見た上で、自分の道義的な価値観に基づいてその限界を語っている。しかし、『虞美人草』は、道義を超えようとする、超える過程で生ずる矛盾を描いた作品であって、決して道義的な作品ではない。
 
 ■ 小説『虞美人草』は、この悲劇の哲学を含意して、一切の結構がたてられたとすれば、道義と我執との問題は小説の中にこそとかるべきことがらであるかもしれぬ。小説の主題は藤尾とその母に代表せられる我の世界と甲野欽吾や宗近兄妹に代表せられる道義の世界の葛藤であり、道義が我に勝を制する一種の勧懲小説の趣をみせ、結構の形式からいえば、悲劇のセオリの趣旨を貫徹しているかにみえる。(p126)

 この仮定は成り立たない。『虞美人草』には悲劇の哲学は貫徹していない。漱石は貫徹しようとしたができなかった。哲学的な単純なセオリーが貫徹できないように描いたのが漱石の力量でありそれが、漱石の精神の自己否定的で発展的な内容である。道義と我の対立という抽象的な図式を一方に掲げつつ、漱石はそうした抽象的思想と対立する内容を多く描き込んでおり、その両者の関係の全体が作品の内容である。善が悪に勝利するとか、道義が我執に勝利するなどという図式が現実的な内容を持つことはできない。漱石はそんな単純なことを書いていない。甲野の図式以外の内容を読み取ることができない場合に、この作品は勧善懲悪の作品に見える。
 
 ■「紫の女」であるような高慢な虚栄心が、そのなかに蔵する「悪」または「罪」の自覚によって、死に赴いた、すなわち「虚栄の毒に斃れた」と解釈せられるにせよ、自己に対する関係において、「第二義以下の活動の無意味なる事」を自覚した上でのことであったろうか。作者の道義意識が藤尾を罰したということはできても、藤尾の主体において、後の『こころ』の先生が自己を罰したように罪の意識を含んでいないのであれば、道義そのものの主体としての人間的自己はその生存の「必要な条件」をみたしたことにはなるまい。
 第二に、藤尾の死が他人に対する関係で自己の出立点にたちかえり、業の深さを悟ったとしても、わずかに「謎の女」であるその母においてだけである。しかもその母の「不行届」は「未来に於けるわが運命の自覚」において我を抑える功利的な気配をもつものであって、「根抵から洗はれる」ような質をふくんでいるとは読みとれない。いわんやその他の作中人物において、悲劇の厳粛な意義が道義の渋滞のない運行を「脳裡に樹立する」ような内的葛藤において発展してはいない。
 
 瀬沼氏は、そうした発展を求めているのであろうか。そうした発展がありうると考えているのであろうか。そうした発展を描けば、批評家の指摘する勧善懲悪小説になったであろう。そのようになっていないことがこの小説の価値である。だから、そのような発展をこの小説のセオリーとして読み取り、その発展を基準にして作品を評価することは批評家の特徴であって作品の特徴ではない。そうした批評の求める内容を描いていないところに作品の価値があり、内容がある。
 母も藤尾も根底から洗われることはない。藤尾の死も母親の反省も、作品の流れからすると無理な描写である。しかし、無理な描写には無理になるだけの理由があり、無理になることの意味を理解すべきである。無理な結末になるように作品が構成されていることこそ積極的な内容である。漱石が自分の価値観から藤尾を無理な死に追いやった、というのは、藤尾の個性が漱石に無理な死を描くように追いやったということであり、漱石の中に藤尾や母親の個性が現実的な力をもって生きていたということである。さらに、その現実的な力に対抗しうる批判的精神を求めていた漱石が、この段階ではそれを発見できず、また、また発見できないからこそ道義的批判という形式をとるのであり、したがって彼女達の精神を反省させる方法など発見できるはずもなく、藤尾や母親の現実性と、それに対する道義的批判の無効性をこの小説で描くことになった。最後の場面は、そのような破綻を示してもなお道義的意志を貫くべきであるという漱石の意志を示しているのであり、それにもまた現実的な意義がある。『虞美人草』は単純な勧善懲悪小説ではない。漱石がこれまでに経験的に得たすべての精神がまだ明確な規定を持たずに投入されており、「明暗」にいたるすべての作品を萌芽として含んでいる。内容が明確でないままに非常に複雑な含んでおり、それが理解できないために批評は甲野の単純なセオリーや漱石の書簡を手がかりにしてこの小説を勧善懲悪小説と見なそうとする無理な努力をしている。瀬沼氏の批評ではすでに余りにも時代錯誤的な封建的道徳意識という批判は消えている。しかし、勧善懲悪小説であるという評価は受け継がれている。
 瀬沼氏は、片岡氏の言う人間の「業」や「我」を捕らえることが根源的である、という指摘と、唐木氏の、漱石が古い因習的な道義的意識に囚われている、という指摘を継承しており、『虞美人草』を肯定的に捕らえることができていない。しかし、意志としては肯定的に捕らえようとしており、白鳥、唐木、片岡諸氏に見られた、悪意を含んだ批判意識は感じられない。「野分」「虞美人草」を肯定的に評価しようとする数少ない批評の一つである。

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