祇園精舎 (朗読・YOUTUBE http://www.youtube.com/watch?v=QFBn-EQHwr8)


 祇園精舎の無常観
 

 祇園精舎の文章は戦記物語一般の序文、あるいは歴史的激動についての一般的な規定というべきもので、平家物語の内容との直接的な関係はなく、平家物語の固有の序文としての意味を持つものではない。この文章は歴史的な激動を経験した民族精神が世の中を無常と見る世界観を表わしている。
 
 世は常ならぬものであり、存在は空しく、歴史は空無である、という否定的現実感を表現する無常観は徒然草のような世捨て人の感慨に相応しい。しかしこの感慨は平家物語にはふさわしくない。存在の空無を説く無常観は、個別存在に執着した、個別存在の規定から離れることのできない観念であり、歴史的な激動を反映した感慨ではなく、存在の実体としての概念の領域に到達することができない精神である。こうした個別存在に執着した無常観の内容は限定的で否定的で消極的である。
 
 無常観には否定的な意味の背後に肯定的な意味が含まれている。否定的とは、存在するものは永遠ではなく消滅するものである、という意味であり、肯定とは常ならぬものが常に形成され、打ち立てられることである。絶対的な力つまり実体とはこの両者の同一性である。打ち立てられなければ滅びることはない。栄えがなければ枯れもなく、盛がなければ衰微もない。栄華が高ければ衰微も深く、盛が壮大であれば没落も激しく大きい。衰微と没落の内容は栄華であり盛である。
 
 
 平家物語は無常の典型であり、平家物語にこそ祇園精舎の序文は相応しい。だから結果としてこの序文は平家物語の序文として歴史に残っている。平家物語の内容としての無常観を説いた祇園精舎は、存在の空無を説く否定的無常観として理解されるべきではない。世を無常と見る世界観に含まれる積極的な内容を読み込むことが平家物語を理解することである。
 
 個別の存在を無常のものとするもの、個別の存在を滅ぼすものが無常の内容である。存在するものすべてを常無きものとするものが現実の力、否定の力であり、尽きることの無い、常なるものとしての絶対的な否定の力である。そして、この否定の力の強大さ、絶対性を表現するものこそ、この絶対的な力によって否定される存在である。否定の力に対立する肯定する力を表現するものが平家である。否定の絶対的な力の偉大さを示すものは、この絶対的な力によって否定される無常なるものの強大さであり華麗さである。無常の否定と対立する力があり、世を無常とする絶対的な力と対立して亡ぶことによって絶対的な力の偉大さを自ら表現する歴史的な力を持つことが平家の特徴である。
 
 平家が滅びることが感慨深く感じられるのは平家が力強く、とりわけ華やかな時代精神を作り出したからである。滅びてはならないものが滅びることこそが無常である。無意味なものが滅びても無常ではない。盛んなものほど、積極的なものほど滅びるに値する。それは滅ぼす力の偉大さをも示しており、したがってまた新たな創造の力をも示している。このことが祇園精舎の深い感慨を引き起こすのであり、そのために平家物語に特有の序文として歴史に残ることになった。
 
 この序文に続いて平家がどのように権力の基礎を作り上げたかを簡単に説明している。この文章は序文としての祇園精舎とは分離した文章である。
 平氏は、桓武天皇の親王からでて、王氏を出て人臣に連なり受領になることによって、実質的に領地を管理し、政治力と武力と経済力を手に入れた。そして、西国の受領であった時に日宋貿易によって富を蓄えた。荘園の形成と日宋貿易が歴史的に新しい社会関係である。平家は人臣としての経済的支配を六代続けた後、忠盛の時に殿上に仙籍を得るにいたった。
 このときの平氏の力は貴族を倒すことではなく、貴族に認められ、貴族化することによって権力を得ることであった。しかし、人臣として荘園の支配力と財力を蓄えた平氏は貴族化しても古い貴族とは違う。新しい貴族である。平清盛は武家として初めての公卿であり、歴史の変革期に生まれた新しい武家的貴族である。
 貴族政治が時代に合わなくなり腐敗した次代平氏が新しい力を吹き込んだ。平氏は貴族政治を武家の精神において受け継ぐ形式で貴族社会を否定した。まだ社会全体を武家社会として形成する時代ではなかった。この華やかな独特の精神は平氏全盛時代を築いた清盛の死後僅か四年という短い期間に花開いた後に源氏によって滅ぼされた。これによって平家は独特である。平家は貴族らしく華やかに滅びる。しかも、貴族の腐敗の影がない。貴族はすでに腐敗しており、無常に値しない。平氏には平氏を滅ぼして新しい時代をつくりだした源氏とは違う趣があり魅力がある。平家は無常に値する。