「百回通信」(明治42年10月)


 この評論は、啄木が生活のために岩手日報に掲載したもので、全体としてジャーナリスティックな軽い文章であるが、啄木の現実認識あるいは文学観に関係するものをいくつか拾っておこう。
 啄木は地租軽減問題について、政友会の領袖の注目すべき発言を紹介している。
 
 ■今日の日本に於て自然増収の如き財源あらば、之を積極的事業に支出して以て戦後大経営を全うし益々国力の発揮を期すべきに、桂卿の政策ここに出でず、増収二千万金を官吏増俸、所得税営業税の軽減等に用ひんとするが故に、そんな余裕があるならといふ訳にて国民多数の宿願たる減租論起り来りたる次第にて、米価低落の今日之を抑制せんとするは却つて反抗の度を高むる所以なるべく、政友会の党議が如何に決すべきかは未定の問題なれども、現時議会内に於ける減組論の勢力日を逐ふて盛んになりつゝある者の如し。吾人は政府の政策積施的に出でざりしを返す返すも遺憾とす。一言にして言へば地租軽減論は政府自ら勃興せしめたるものなり。とは其談話の内容に有之候。
 
 啄木は産業の振興に強い関心をもっており、日記でも書簡でも評論でもたびたび産業の振興について書いている。しかし、地租軽減問題について踏み込んだ判断をしていない。政策そのものに関心をもっておらず、「桂卿の八方美人的なる一視同仁主義と政友会の不得要領なる妥協主義とが、不即不離の間に兎も角もいらざる騒ぎを抑へつゝあるは至極結構なる事」といった文明批判的な文章が目立っている。
 一般的な情勢として、「日本の現状を以て真に主義主張の争ひをなす迄に進歩したるものとは信ずること能はず」とするのは正しいが、それも表面的な批判で、この批判が啄木自身にも当てはまる。日本では、産業資本家と地主の利害関係は、対立すると同時に、小農生産の限界を超えることができない地主が産業資本に乗り換えていくことも必然である。産業資本と地主は利害関係をはっきりした独自の形式で追求することができないし、労働者階級もいま形成されているところである。そのために主義主張ははっきりした内容を持つことが出来ず、政策も確定できず、つねにその場の利害に支配されながら、成る様になっていくのが日本史の有り様である。このことが啄木の思想や文学観にもそのままのかたちで反映している。
 啄木は伊藤博文を非常に高く評価しているが、この場合も政策についての踏み込んだ批評はない。啄木はその偉大さをたたえ、「生涯を一貫したる穏和なる進歩主義」と評価し、「新日本の規模は実に公の真情によりて形作られたり」としているが、主に人格的な形式的側面から評価している。「其損害は意外に大なりと難ども、吾人は韓人の慰むべきを知りて、未だ真に憎むべき所以を知らず。寛大にして情を解する公も亦、吾人と共に韓人の心事を悲しみしならん。」と書いているところからすると、国家主義的な観点から対外政策を積極的に肯定しているのではないにしても、対外政策に対する批判的な意識も見られない。啄木は、日露戦争の結果としての日本の現状に批判的であったが、戦争そのものに対して批判的な意識を持っていないし、対外政策について深い知識を持っていない。新聞記事らしい軽い文章であるが、啄木の社会認識がまだ具体的な内容をもっていないことがよくわかる。啄木の精神は文壇的な関心に強く縛られており、それをこれから解体し、超えることを課題にしたところである。
 
 工場法案についても啄木はまず産業の発展を主眼にしている。「案は即ち工場組織に伴ふ危害を予防し、職工の衛生、教育、風紀、生活等を改善し、以て一国工業の秩序ある進歩を図るを目的とするもの」である。
 
 ■ ◎即ち、同案の一大眼目たるべき労働時間の如きは何等の制限を設けず、但十六歳未満の男子及び一般女子に対して、八時間以上十二時間てふ、あれども無きに等しき範囲を附し、十二歳以下の小児の労働を禁じ、外に傷病者扶助、休息時間、誘拐雇人の予防、傭使の方法、工場の構造設備等の事頂を現定してあるに過ぎざる者の如く候。
 ◎是を以て是を見るに、政府今回の工場法案なるものは、実に唯従来勅令を以て規定し若くは行政警察の方針として採用し来りたる所のものを形式的に一括したるに過ぎずと言ぷべし。吾人は政府が十年の長日月を費やして為したる調査事業の結果此の如きに出でざるを見て、所謂大山鳴動して黙鼠出づるの嘆なき能はず候。吾人と雖ども、日本今日の工業及び社会状態にかんがみて、総ての工場に八時間労働を強ふる程に空想家には非ず。且又工場法案を以て労働者の権利のみを規定せしめんとし、のみならず、社会一切の問題を単り労働者の幸福の犠牲たらしめんとする普通社会主義者の愚昧なる偏見に同意する者には非ざれども、該案の規定が労働者失職問題を閑却したるが如きに対しては不平なき能はず。之一例のみ、案の公表せられたる暁には猶幾多の不平あるべき事と存候。
 
 ごく平凡な新聞記事であるが、啄木が日本の資本主義の発展について表面的に楽観的に観察していることがわかる。産業の発展と労働者の生活の改善を当為としてかかげてそれを自然的な過程と考えており、その発展の中で下層の階級が成長してくることにまだ関心をもっていない。啄木は、漱石が当初から持っている金持ちや権力者に対する強い反発や批判意識を持っていない。金持ちや権力者との対立的な意識より、それらを含めた社会全体に対する文学者としての個人的な優位の意識を強く持っており、それが社会認識の内容である。漱石の批判意識も「野分」に見られるように、文学者としての道也が金持ちや権力者の意識を変える使命を持っていると考えていた。文学者の社会的な優位を確信していた啄木もこの点で同じであるが、若い啄木はその幻想に深く支配されている。漱石にとっても啄木にとっても歴史の主体は金持ちや権力者であり、さらに文学者がその上に立つべき主体である。すぐれた人格者や天才が主体と考えているために、歴史の客観的な必然だとか、歴史の発展において貧しい人々や労働者が持つ役割やその力強さや創造性に認識が届かない。文学者を歴史的発展の主体と考えることが、現実認識の深化の障害になっている。文学者を歴史発展の主体と考えた上で、その自己認識を批判的に認識する過程で現実認識を発展させるのが漱石と啄木の共通点である。
 しかし、このような現実認識が日本の歴史的発展に遅れているわけではない。啄木が指摘している桂内閣と政友会の互いの妥協や迷走は、日本の資本主義が特有の形成過程にあり、階級的対立が明確に形成されておらず、日露戦争後のこの時期に漱石や啄木の眼前でまさに形成されつつあることを反映しており、その現実に啄木も漱石も直面している。漱石と啄木はまさに日露戦争後の社会関係の変化に沿って現実認識を発展させており、階級関係の発展と共に階級関係が社会認識の基礎になる。
 
 啄木のこうした関心は大雑把であるとは言え文壇的文学者とは違っており、文壇的な社会認識から啄木を引き離しつつある。
 文芸取り締まりに関連して永井荷風を「その第一は感情の清新にして豊富に且つ大胆なる点にして、第二は在来の倫理思想、国家思想に対する反抗的表白の卒直に且つ明白なる点に御座候」と評価した上で否定的な評価を下している。しかし、こうした批判には啄木の批判意識の不徹底が見える。
 
 ■◎一言にして之を言へば、荷風氏の非愛国思想なるものは、実は欧米心酔思想也。も少し適切に言へば、氏が昨年迄数年間滞在して、遊楽これ事としたる巴里生活の回顧のみ。彼は日本のあらゆる自然、人事に対して何の躊躇もなく軽鹿し嘲笑す。而して、二言目には直ちに巴里の華やかさを★(p195)云ふ也。
 ◎譬へて言へば、田舎の小都会の金持の放蕩息子が、一二年東京に出て新橋柳橋の芸者にチヤホヤされ、帰り来りて土地の女の土臭きを逢ふ人毎に罵倒する。その厭味たつぷりの口吻其儘に御座候。而して荷風氏自身は実に名うての富豪の長男にして、朝から晩まで何の用もなき閑人たる也。
 ◎日本人の多数が保持する道徳形式に満足する能はざるは小生も同感也。日本の国土、社会の現状に満足する能はざるも同感なり。小生も嘗て日本に生れたるを以て小生自身の最大なる不幸なりと思惟したる時代ありき。然し乍ら我等は遂に日本人なり、何処に行きたりとて日本人なり。漫然祖国を罵りたりとて畢竟何するものぞ。
 ◎小生は日本の現状に満足せず。と同時に、浅層軽薄なる所謂非愛国者の徒にも加担する能はず候。在来の倫理思想を排するものは、更に一層深大なる倫理思想を有する者ならざる可らず。而して現在の日本を愛する能はざる者は、また更に一層真に日本を愛する者ならざる可らず。小生は、荷風氏の作物を得て、早天雲翳を望みたるが如く喜べる一部の青年を懲れまずんばあらず候。
 ◎夫れ国を愛すると否とは、彼の教育家と共に机上に云々すべき空間題に非ず。真に愛する能はずんば去るぺきのみ。真面目に思想する者にとりては実に死活の問題たり。既に去る能はずんば、よろしく先づ其国を改善すべし。然り而して一国国民生活の改善は、実に自己自身の生活の改善に初まらざるべからず。自由批評といふ言葉は好し。然れども、批評は其結論の実行を予想するに於て初めて価値あり。然り、空論畢竟何かせん。吾人は唯真面目に自己の生活に従事すべし。若し日本人に愛すべからざる性癖習慣ありとすれぼ、先づ吾人自身よりその性癖習慣を除却する事に努力すべきのみ。
 
 啄木の批判は厳しく見えるが、現実認識の内容としては甘く、啄木がまだ荷風に近い位置にいることを示している。啄木は荷風の作品が日本の現実を批判していると見ており、その批判の仕方が浅薄であると考えている。実際は、荷風の作品には社会的な批判意識はない。荷風の作品を批判的な精神として理解するのは、啄木がまだ日本の社会に対して文明批判的な大雑把な批判意識を持っているからである。国を真に愛するかどうかを問題にする所に批判意識の抽象性が現れている。国家を抽象的に捕らえるとき、荷風が国家と対立しており、その対立の仕方が浅薄であることに弱点があるかのように見える。
 啄木は、荷風が富豪の長男で、「朝から晩まで何の用もなき閑人」として、「田舎の小都会の金持の放蕩息子」の自慢話のような文章を書いていることを批判している。この指摘は的確であるが、この批判が現実認識としてまだ大きな意味を持っていない。荷風は金持ちの長男として自己の生活と実感に即した文章を書いており、それは今新しく生み出されている日本的な精神の一つである。こういう階級が生み出されており、そのなかからその階級を代表する書き手が現れている。荷風が描いている精神は、日本の社会に対する批判意識ではなく、日本に新しく形成された小市民的なインテリの自己肯定的な意識であり、階級的に言えば、また国家を支配階級の意味で理解するならば、支配階級あるいは国家の利益を守るための重要な精神として登場している。荷風の「新帰朝者日記」が国家に対する反逆や批判であるとするのは間違いであるし、したがって、彼等に日本の変革を期待することも、彼等の軽薄さがその責任を終えないと批判するのも余計な批判である。
 啄木は、日本を冷罵する荷風を、社会変革的な意識の欠如という視点から批判して、変革的な批判が日本を真に愛することであり、日本を愛していないなら去るべきだとしている。しかし、荷風は日本を愛していないわけではないだろうし、日本を離れたいとも思わないであろう。啄木の批判は見当違いである。日本の現実を冷罵する荷風の精神は外国では通用しない。荷風の冷罵は日本のなかでこそ高く評価されるのであり、西洋に遥かに遅れた日本であるからこそその冷罵が批判的な現実認識として通用する。荷風の作品は日本で生まれ日本で受け入れられ、日本に深く浸透する精神である。批判が軽く不十分なのではなくて、遅れた日本の現状を肯定する特殊な方法として生まれた精神である。
 
 啄木には、荷風や泡鳴と共通する文明批判的な現実認識があり、批判意識を徹底するためには自己内のこの精神を払拭する必要があった。そのために、啄木にとっては積極的な意義をもっているが、この批判自体は深い内容を持つわけではない。荷風が不真面目に見えるのも泡鳴が真面目に見えるのも啄木の現実認識の限界である。荷風は荷風の階級として真面目であり、それが啄木には受け入れがたくなっており、荷風の精神にかかずらわる必要がないほどに対立的な精神を啄木が今生み出しつつある事を自己認識として早く獲得しなければならない。
 荷風は現実社会に対する批判意識を描いているのではなく、新しい小市民階級の自己肯定的な意識を描いており、それは社会に対する批判意識と対立しており、批判意識を混乱させ堕落させる精神である。歴史的には、こうした批判形式の精神からの分離と対立をはっきり意識することで、対立的な階級意識が形成される。漱石はすでにその課題に意識的に取り組んでいた。その結果として形式的な批判意識を持つ批評家に冷罵されることになった。啄木の使命は荷風の批判意識のの不徹底を批判することではなく、荷風のような精神によって冷罵される精神を獲得することである。無論後には多くの批評家に冷罵されるほどの精神を獲得しているが、まだ荷風の精神から独立しておらず、この四十二年は独立するための試行錯誤の時代である。
 泡鳴の「耽溺」の主人公に英雄を見ることも、泡鳴の事業欲と四迷の社会的変革に対する実践的関心を同一視することも、荷風に批判意識を見いだすのと同様の、啄木の現実認識の未熟さである。四迷は産業の発展に対しても啄木よりはるかに具体的な関心を持っていたし、社会変革的な関心も徹底していた。四迷は社会変革の主体が日本に形成されないことを早くから確信していた。だからロシアに去ったのであって、文学の無力に絶望したからではない。文学的な活動に無力を感じたのは、日本の社会に変革主体が形成されておらず、それを描くことが出来ず、描く可能性がなく、どのような活動においても変革主体が形成されないという現実認識を持っていたからである。文学と事業を対比させ、実践的な事業を文学の優位においたわけではない。
 啄木はまだ文学と現実あるいは、文学と実践の問題を表面的に抽象的に考察しており、それぞれの内容である普遍性を問題にしていない。泡鳴が理想に性急であったために事業に失敗したとして英雄的な精神を感じるのは、その理想や実践の社会的質を問うことができないからである。実践の歴史性、普遍性を問題にしておらず、理想や実践の内容規定に入ることなく形式的に理想と実践、文学と実践を対置している。この対立の具体的内容を問うことが啄木の跳躍点であり、この点を超えるための試行錯誤が四十二年の啄木である。

  


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