『百物語』 (明治44年10月) 

 
 この作品も、今朝顔を洗いました、歯を磨きました、程度の経験的な事実を書いて、その隙間に鴎外の自慢や弁明を挿入した作品である。自慢や弁解のついでに小説を書くのか、小説を書くついでに自慢や弁解をかくのか、どちらが主でいづれが従かわからないが、両方なくてはならないものとして描かれている。
 僕をこの催しに誘い出したのは、写真を道楽にしている蔀君と云う人であった。いつも身綺麗にしていて、衣類や持物に、その時々の流行を趁っている。或時僕が脚本の試みをしているのを見てこんな事を言った。「どうもあなたのお書きになるものは少し勝手が違っています。ちょいちょい芝居を御覧になったら好いでしょう」これは親切に言ってくれたのであるが、こっちが却ってその勝手を破壊しようと思っているのだとは、全く気が附いていなかったらしい。僕の試みは試みで終ってしまって、何等の成功をも見なかったが、後継者は段々勝手の違った物を出し出しして、芝居の面目が今ではだいぶ改まりそうになって来ている。つまり捩れた、時代を超絶したような考は持ってもいず、解せようともしなかったのが、蔀君の特色であったらしい。さ程深くもなかった交が絶えてから、もう久しくなっているが、僕はあの人の飽くまで穏健な、目前に提供せられる受用を、程好く享受していると云う風の生活を、今でも羨ましく思っている。蔀君は下町の若旦那の中で、最も聡明な一人であったと云って好かろう。
 こんな文章は鴎外でないと書けない。鴎外は「蔀君と云う人」を今でも羨ましく思うほどで、しかも「最も聡明な一人であった」と褒めている。これは嘘ではないが、この聡明な人物には、自分の精神は高度すぎて理解されなかった、というのが要点である。こんなことを露骨に書けるのが、しかも小説に書くことができる、というのが鴎外である。
 鴎外がここで言いたいのは、鴎外は時代を超絶したような考えを持っていて、芝居の変革の試みをして、それは理解されなかったものの、時間がたつと、結局みんなその方向に進んで行った、つまり自分が時代の先鞭をつけた、ということである。それを素直に書かずに、「蔀君と云う人」を褒めて書くので分かりにくいし、その変革的であることの内容を書かないものだから、先鞭をつけたのか、単に下らなかったのかもはっきりしない。はっきりしているのは、「蔀君と云う人」が非常に優れている人で、鴎外は、その優れた人にも理解できないほど、優れていると自分で考えている事と、芝居に特別関心があるのではなくて、自分が芝居を変革した、ということに関心がある、という事である。
 それから、芝居の中で読書をする場面が不自然であったことも、自分が本当の読書家であるという視点から、例のそれとなくという調子で遠慮なく書かれている。鴎外は本当の読書家であった。ほとんどすべての作品に外国の作家の名前が出てくる事からもそれがわかる。しかし、読書量が多いことは大したことではないし、少なくとも鴎外にとってはいい結果をもたらさなかった。

 太郎という芸者をいつものとおり形式的に観察して描いて、「尾崎紅葉君が頬杖を衝いた写真を写した時、あれは太郎の真似をしたのだと、みんなが云ったほど」とか、「尤も紅葉君は折々狸寐入をする人であったから」などと書き込んでいる。「僕が傍の人に名を聞いて見たら、『君まだ太郎を知らないのですか』と、その人がさも驚いたような返事をした。」とも書いている。鴎外は、こうしたゴシップ記事のような、批判するにも値しない文章を書くのが好きである。こんな文章は批判するにも値しない。しかし、こうした私事に執着した作家が文豪と言われ、作品が高く評価されているのが日本的精神の現状である。インテリにとっては、一般的精神、普遍性よりもこうした個別的な好奇心を反芻するのが快いのであろう。
 
  僕は生れながらの傍観者と云うことに就いて、深く、深く考えてみた。僕には不治の病はない。僕は生まれながらの傍観者である。子供に交って遊んだ初から大人になって社交上尊卑種々の集会に出て行くようになった後まで、どんなに感興の湧き立った時も、僕はその渦巻に身を投じて、心から楽んだことがない。僕は人生の活劇の舞台にいたことはあっても、役らしい役をしたことがない。高がスタチストなのである。さて舞台に上らない時は、魚が水に住むように、傍観者が傍観者の境に安んじているのだから、僕はその時尤もその所を得ているのである。(P99)
 鴎外は傍観者である。傍観者が自分を顧みて傍観者だと言うのは傍観者らしい意見であって傍観者の客観的規定ではない。傍観者であることの意味を規定できないのが傍観者の傍観者たる所以である。鴎外は傍観者である事に安んじている と書いている。傍観者は、どのような境に安んじているのか。
 人が満足や幸福に到達するかどうかは偶然的である。だから、鴎外が幸福を得なかったとしてもそれは鴎外の資質、能力にとって偶然的である。傍観者である事が、物事を客観的に認識する能力であればそれは優れた個性であり能力である。しかし、鴎外は傍観者である事が社会的にどんな意味を持つかを問題にしていない。傍観者と言われ、冷たいと言われると、自分は傍観者である、しかし、傍観者として安んじている、と自分の中に閉じこもって反論し、傍観者である事がどんなことかという批判意識に蓋をしようとする。傍観者という規定の具体的な内容に入らないように本能的に自己を防衛している。
 鴎外が傍観者であったというのは、自分の個性や思想を他人との対立関係の中で生産的に消費する事ができなかったということである。鴎外は諸対立、諸関係の埒外に立つことで自己を守り続けた。しかも、保守的な官僚としての立場によって自分を守った。同等の、あるいは自分に不利な対立関係の中で、個性と思想を貫徹し、対立の中で自己を消耗しつつ自己を形成するという過程を回避し、対立の外にとどまる事で自己を守り続けた。他との対立によって自己を形成する事ができず、他との対立によって自己を検証しようとしなかった。傍観者として常に自己内にとどまり、この自己内に退く傾向を発展させた。それが傍観者である。
 鴎外は傍観者の境に安んじていたであろうか。自己との宥和を得る事ができたであろうか。漱石は常に自分の思想に批判的で、自分に対する批判的意識を自分の本質としていた。傍観者という側面からいえば、漱石は自分の批判意識は傍観者の意識ではないかという批判意識を常に持っており、その観点から常に自分の今の思想を批判していたから苦闘の連続であった。こういう精神には自己との宥和があるし、自分の住むべき精神の境地がある。漱石は傍観者の立場を卑怯と言ったが、鴎外はこれを高い境地だと言う。
 鴎外は傍観者であった。自分の言動が引き起こす諸対立を率直に受け入れることなく、傍観者として身を引き、安全を確保しながら弁解し、強弁し、ごまかしつつ自己を維持した。こうしたやり方が成功すれば他との関係では対立をも引き起こさなくなる。信頼関係の崩壊である。では、自己との関係で宥和はあるだろうか。孤高を自称し自認するとしても、傍観者を自称し自認するとしても、それは自己の深い認識でもないし批判的意識でもない。単なる別解釈の対置であり、居直りである。鴎外の能力としてそれ以外になかったという意味では、傍観者が「尤もその所を得ている」と言えるだろう。しかし、傍観者を肯定する根拠は示されないので、他人に対して説得力をもたない。説得力をもたない強弁であることを鴎外は知らずにいることができるであろうか。誰にも理解される必要はない、という境地に安住できるであろうか。思想的な正しさの確信はどこにもない状態で、他人の評価を無視することができるであろうか。
 鴎外は、新しい自己を創造する矛盾によって自己を主張し、発展する力をもたない。自己に執着し、自分の評判を保持しようとするのが内的葛藤である。こうした努力自体が自己との宥和がない事の証明であり、宥和の努力にすぎず、宥和は当為にすぎないばかりでなく、自分の安んずるべき境地をも他人に対して主張しなくてはならない。鴎外は自身の評判や名誉のために、したがって、自分に対する他人の評価を問題にして小説を書いた。しかも、正面から戦うのではなく、一歩さがって、見下す態度で対立を回避した。鴎外はこの対立形式において傍観者と言われているのであり、決して、他人の評判を気にしない傍観者ではない。鴎外の自己に対する執着は、自分に対する評価を問題にしているから、傍観者を自認する事は、自分に対する批判や非難を受け付けない、という宣言である。それは、自分に対する悪い評判に対抗することができなくなった、ということの別の表現であるから、その境地に安住することは到底できないであろう。それは虚しい当為にとどまるしかない。
 鴎外はこの傍観者の立場から、飾磨屋と太郎を観察している。この観察に傍観者としての鴎外の立場がうまく描かれている。傍観者は、自己に安住する事ができず、傍観者として自己を肯定するために常に他を否定しなければならない。傍観者というのは、不安と不満と猜疑心に満ちた境である。
 「無形の創痍を受けてそれが癒えずにいる為めに、傍観者になったのではあるまいか。」、「世間にはもう飾磨屋の破産を云々するものもある。豪遊の名を一時に擅にしてから、もうだいぶ久しくなるのだから、内証は或はそうなっているかも知れない。」と飾磨屋を観察し、太郎については、「なぜ死期の近い病人の体を蝨が離れるように、あの女は離れないだろう。」と言った不幸の観点からながながと陰気な空想を楽しんでいる。これが傍観者の好奇心である。普遍的な、実体的なものへの関心のかけらもない、ゴシップ好きの好奇心である。飾磨屋と太郎の運命の社会的な意味まで関心は到達しない。鴎外の好奇心は派手な催しの中で地味に見える飾磨屋と太郎の背後に不幸を想定するだけである。それが傍観者としての鴎外が必要としている社会認識である。同じ傍観者でも、鴎外の傍観者的境地には、隠された悲劇はなく、誰にも理解されないにしてもそれは高い境地である。この高い境地に立つと他人の不幸や弱点がよく見えるようになる。誰も羨むことができないほど高い境地である。
 失礼な事をしても構わないと云うような人ではないのですが、無頓着なので、そんな事をもするのですね」と云った。
 傍観者と云うものは、やはり多少人を馬鹿にしているに極まっていはしないかと僕は思った。
 傍観者というのは、ただ傍観しているだけでなく、馬鹿にされても黙っているのではなく、実は人を馬鹿にしているのだ、と念を押している。鴎外としてはこれを添えておかないと傍観者の境地に点睛を欠くことになる。鴎外は飾磨屋とちがって他人に無頓着なところはなかった。傍観者であっても敗北者ではなくて、勝者として傍観し、その証拠に人を馬鹿にしている、と鴎外は表明しなければならなかった。
 鴎外は傍観者であり、多少ではなかったが人を馬鹿にしていた。正確には、自分は人を馬鹿にしている、と主張し、人を馬鹿にできる立場にいる、と主張しなければならなくなっていた。鴎外の場合人を馬鹿にするというのはもともとは、意志や意図ではなく、基本的な人間関係の問題であった。鴎外の不誠実、誤魔化し、強弁は客観的には、まるで人を馬鹿にした対応である。そして、鴎外の不誠実、誤魔化し、強弁はうまくいかず、したがってまた人を馬鹿にした立場に納まる事も難しく、結果として、自分は人を馬鹿にした不真面目な不誠実な態度をとっているのではなく余裕であり遊びであるのがそう見えるだけだ、という弁解をやめて、自分が人を馬鹿にしているように見えるのは、実際に自分が人を馬鹿にしているからで、それは自分が高いからだ、と主張しなければならない傍観者の境地に追い込まれてしまった。自分の人を馬鹿にした態度は、自分の偉さによる当然の、すくなくともやむを得ない態度であり、人が馬鹿にされたと感じるのは自分の精神の威力を感じ取っているのだ、というのが傍観者の立場である。
 自分は多少人を馬鹿にしている、と告白しなければ自分の高さが理解されないというのは、なんとも哀れな精神である。しかも、鴎外は自分が人を馬鹿にしていると告白することが自分の高さの表明であると信じている。対立を回避し、着実に後退しながら、なお自分の高さを粘り強く描き続けるのは鴎外にしかできない難儀な仕事である。

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