「一年間の回顧」(明治43年1月1日)


  啄木は冒頭で、「自然主義は文学を解放した。」と書いている。しかし、どういう束縛からどのように解放したかを書いていない。だから、「一度解放された文学の主潮は、然し乍ら色々の理由からまだ行くべき処まで行かずに、途中で停滞し、弛緩しようとする傾向を作つた。」と書いているが、途中の意味も停滞の意味も弛緩の意味もわからない。そして実際は停滞し弛緩したのではなく、行くべき所へ行ったのであって、決して不徹底であったのではない。
 啄木は「何を以て停滞弛緩の傾向といふ歟」と自問して、「其処に何となく気脱けのした、敵を失つたやうな(戦闘力の散漫した)、一段落のついたやうな心持のあつた事」を挙げている。敵とは何かを書いていないが、啄木は、文学が敵と闘うべきだと考えており、敵と闘う意志を失ったことをもって、不徹底と主張している。啄木は思想の突破口を求めて一面的な規定に入り込んでいる。文学の目的が敵と闘うことである、という規定は、歴史上のどんなすぐれた作品に対しても適用できないことは明らかである。この規定自体はまったく評価するに値しない。
 啄木はこの評論で、問題の一側面を掴んでそれを何とか一般性へ広げようと努力している所なので無駄な文章が多い。「観照と実行」に関する議論を無駄話であつた、とする文章も、観照は観念的実行であると言えるし、実行は直接的な観照であり、創作は実行の一種であり、読書も準備的実行である、としている。こうした屁理屈を並べた上で啄木は、次の結論を示している。
 
 ■尤あの問題は、若し真に充実した主観を有つた人の間に真面目に論議せられるならば、当然、文学と実生活との関係から実際的な文学の目的論を生み、更に作家と実生活上の諸問題との交渉に及んで、其処に進歩したる日本人の反省を一層深くすべき鍵を見出したであらうと思はれる。が、事実に於て、当時の論壇は目的論に向はずして、本性論に還つた。
 
 啄木は夫婦は愛によって成り立つもので、文学は観照の所産であることも分かりきった本性論である、とこの後でくり返している。自然主義者がありきたりの本性論を書く以外になくなったことが弛緩であり停滞である。啄木はこの停滞を打破するのが実行であると考えている。岩野泡鳴が缶詰業を営むために樺太に行ったことは、文学に関係していないが、「然し乍ら、常に目的論を回避し、実生活を顧慮する事を屑しとせざる現時の文学者批評家の、卑怯な、空想的な態度には関係してゐないと言へぬ。」としている。
 文学の停滞・弛緩を缶詰工場で解決することはできない。文学の問題は文学独自の問題である。天渓は目的論に向かわずに本性論にとどまった。それが天渓の理論的な素養であり能力である。啄木は文学の本性論にとどまることが出来ず、実行を持ち出し、目的論を持ち出している。実行と目的を掲げることは芸術理論の前進ではない。しかし、本性論に実行と目的を対置することは、本性論を発展させる具体的な契機となりうるし、芸術理論は実際はそのように展開していく。それは本性論と対立し、それを超える議論という視点を否定し、本性論の一部分として位置づけられることによって具体的な意味を持つ様になる。したがって、本性論と対立している限りは理論的に誤りであり、無思想である。
 啄木はこれ以上の内容を何も書いていない。しかし、「而して我々の新らしい反省は、現在いかなる方向に進みつつあるか。はたいかに進むべきであるか。すべて其等についての私の意見は更に他の機会を待つて発表する事にする。」という文章で締めくくっている所を見ると、啄木は目的論をもって自分の新しい論の展開点だと考えているようである。


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