「一日中の楽しき時刻」(明治42年9月)


  (啄木が、文学的空想の世界から現実世界に接近しようとする努力の中で書いた、非常にいい文章である。
全文引用しておこう。)

 復啓、以前は夕方に燈火(あかり)のつく頃と、夜が段々更けて十二時が過ぎ、一時となり一時半となる頃が此上なく楽しきものに候ひしが、近頃はさる事も無御座候。楽しき時刻といふもの何日よりか小生には無くなり候、払暁に起き出でゝ散歩でもしたなら気が清々するかと存じ候へども、一度も実行したことはなし、何か知ら非常に急がしき事の起り来るを待設くる様の気持にて、其日々々を意気地なく送り居候、然し、強ひて言へば、小生にも三つの楽しき時刻(?)あり、一つは毎日東京、地方を合せて五種の新聞を読む時間に候、世の所謂不祥なる出来事、若くは平和ならざる事件の多ければ多き程、この世がまだ望みある様にて何がなく心地よく、一つは尾籠なお話ながら、雪隠(はばかり)に入つてゐる時間にて誰も見る人なければ身心共に初めて自由を得たる如く心落付き候、これらも楽しみといはゞ楽しみなるぺきか、残る一つは日毎に電車にて往復する時間に候、男らしき顔、思切つた事をやりさうな顔、底の知れぬ顔、引しまりたる顔、腹の大きさうな顔、心から楽しさうな顔、乃至は誇らしげなる美人、男欲しさうな若き女などの沢山乗合せたる時は、おのづから心楽しく、若しその反対に挙措何となく落付きがなく、皮膚の色唯黄にて、如何にも日本人らしき人のみなる時は日本人と生れたる此身つくづくいやに成り候。早々
                         (「東京毎日新聞」明治四十二年九月二十四日)
  


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