啄木 ・ 日記  明治四十五年 (27才)


 1月23日、母が肺結核であることが明かになった。
      30日、クロポトキンの『ロシヤ文学』を買う。
 3月7日、 母カツ死去。
 4月9日、東雲堂書店と第二歌集の出版契約を結んだ。
 4月13日早朝、永眠。
 
 

 一月二日
 新聞によると、三十一日に始めた市内電車の車掌、運転士のストライキが昨日まで続いて、元日の市中はまるで電車の影を見なかつたといふ事である。明治四十五年がストライキの中に来たといふ事は私の興味を惹かないわけに行かなかつた。何だかそれが、保守主義者の好かない事のどんどん日本に起つて来る前兆のやうで、私の頭は久し振りに一志きり急がしかつた。
 
 一月三日
 たとへやうもない不愉快な日であつた。熱がやつばり三十八度の上にのぼつた。ピラミドンをのんだ。
 もう三ケ日もすぎたのに、私の家には、近所の人が門口まで来た外、一人の客もない。
 今日までに送つて来た新年の雑誌は、『スパル』、『詩歌』、『層雲』、[「ローマ字世界』、『精神修養』、「朱欒』。
 市中の電車は二日から復旧した。万朝報によると、市民は皆交通の不便を忍んで罷業者に同情してゐる。それが徳富の国民新聞では、市民が皆罷業者の暴状に憤慨してゐる事になつてゐる。小さい事ながら私は面白いと思つた。国民が、団結すれば勝つといふ事、多数は力なりといふ事を知つて来るのは、オオルド・ニッポンの眼からは無論危険極まる事と見えるに違ひない。
 
 一月二十二日(月)
 今のやうに薬ものんだり、のまなかつたりしてゐるやうでは仕方がないから、進んで施療院に入院する、但し今は母が悪くてゐるから少し待つて貰ひたいといふ返事を佐藤さんへ書いた。
 堀合へ出奔入の来ない通知も出した。来ても臨機の処置以外の世話は病人だらけの家だから出来ないと書いた。
 午頃になつて森田君が来てくれた。外に工夫はなかつたから夏目さんの奥さんへ行つて十円貰つて来たといつて、それを出した。私は全く恐縮した、まだ夏目さんの奥さんにはお日にかゝつた事もないのである。それから征露丸といふ丸薬を百五十許り持つて来てくれた。これは目露戦争の時兵隊に持たせたもので、ケレオソオトと健胃剤が入つてゐるから飲んだらよからうといふ事だつた。さうして千駄木にゐる知人の医者を紹介してくれると言つて、自分で出向いてくれた。
 その医者は、しかし、夕方まで待つても来なかつた。夜になつても来なかつた。母は今日は少し気分がよさゝうだつたが、それでも矢張数回血の交つた啖を吐いた。
 夜に二月ぶりに熱が三十六度七分五厘まで下つた。うれしくて仕方がなかつた。外に理由がないから征露丸のおかげかも知れないと言つて、寝る前にまた二つのんだ。昼には三十八度二分五厘までの熱だつた。
 
 一月二十三日(火)
 昨夜のよろこびばぬかよろこびだつた。今日もやつぱり三十八度以上に発熱した。午前に妻が病院へ行つたついでに散薬を一週間分とピラミドン五つ買つて貰つた。
 朝早く森田君の手紙をみた。アテにして行つた医者は眼科医だつたので、知人と相談して下谷の柿本医師に今日の午後行つて貰ふことにしたといふのだつた。母の喀血は少しとまり気味だつた。
 待ちに待つたが、その手紙の中の医者はとうとう日が暮れても来てくれなかつた。そこで思ひ切つて近所の三浦といふ医者に使ひをやつたところが、三十位の丁寧な代診が来た。診察の結果は、母はもう何年前よりとも知れない痼疾の肺患を持つてゐて、老体の事だから病勢は緩慢に進行したにちがひないが、もう左の肺は殆ど用をなさない位になつてゐるといふ事だつた。
 喀血したからこそ『或は……』と思つてゐたものゝ、これは私にとつては全く初耳だつた。しかし不幸にして私は、医者の言葉を証拠立てる色々の事実を知つてゐた。母がまだ十五六の頃に労性乃ち今の肺病をわづらつたといふ話も母の口から聞いた事があつたし、そればかりか数年前から、母は左を下にして寝れば咳が出て眠れないと言つてゐた。さうして去年私の入院中にも母は多少咯血したことがあるさうである。……私はまた長姉の死因についても考へなければならなかつた。
 三浦の代診の帰つて行つたあとで、薬をとりに行つた妻の戻る少し前に、柿本医師が来てくれた。診察の結果は矢張同じだつた。病気が重いし、老体の事であるから、十中七八は今明両月の寒さを経過することが出来まいといふのである。医師は世慣れた調子で色々親切な注意をして帰られた。薬は三浦からよこした散薬と水薬でいゝといふ事だつた。
 母の病気が分つたと同時に、現在私の家を包んでゐる不幸の原因も分つたやうなものである。私は今日といふ今日こそ自分が全く絶望の境にゐることを承認せざるを得なかつた。私には母をなるべく長く生かしたいといふ希望と、長く生きられては困るといふ心とが、同時に働いてゐる……
 
 一月三十日(火)
 今日は午後にせつ子が子供をつれて本郷まで買物に行き、こしらへ直す筈の私の着物も質屋から出して来た。子供は久振りに玩具だの前掛だのを買つて貰つて喜んだ。
 夕飯が済んでから、私は非常な冒険を犯すやうな心で、俥にのつて神楽坂の相馬屋まで原稿紙を買ひに出かけた。帰りがけに或本屋からクロポトキンの『ロシア文学』を二円五十銭で買つた。寒いには寒かつたが、別に何のこともなかつた。
 本、紙、帳面、俥代すべてゞ恰度四円五十銭だけつかつた。いつも金のない日を送つてゐる者がタマに金を得て、なるべくそれを使ふまいとする心! それからまたそれに裏切る心! 私はかなしかつた。


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