啄木 ・ 書簡  明治三十五年 (17才)


   この年の啄木は、書簡にも日記とほとんど同じ文章を書いている。俗を超えた高尚な芸術と生活を求めることが基本的な特徴で、積極的に評価すれば、現実生活の具体的内容を抽象することが先ず第一の課題になっている。しかし、その過程を意識しているわけではない。抽象的な精神世界での具体的な内容を捕らえていないし、捕らえようとしているわけでもない。
 
 ■十一月十八日 小石川より 小林茂雄宛
 
 花郷様私は今日本一の大都会と云ふこの東京に立つてあります!!!
 私は生き乍ら埋められた百四十万の骸骨累々たる大なる墓を見ました。あゝこの偉なる墳塋を。ーそして私自身もその寒髑髏の一つなのか ?これが私東京にきて先づ第一に起つた疑惑であります。疑惑は疑惑をはらみ想像は想像を駆つて今の私の胸はさながら極熱大紅蓮の渦乱のうちにあります。私が「汝は何所より来て何所に行くか」ととひまする時それに答へることの出来る人はこの世に果して幾人ありませふか ? かのこざかしくも蠢々としてうごめく天下無量の人間(?)はさらば(帰する所もなくて)何の為めに生きて居るでありませうか……斯く考へて来て私は私自らの存在をも疑はずには居られませんかつた。
 あゝ然し乍ら、かの混瞑の鉾先鋭く私の心を襲ひまする千百の疑惑の中に居りまして何故私が生きて居るか? (私は自身の値を客観的に精査することが出来ませんが)たゞ一つ、あらゆる紛糾の中に居りましてそしてそれらから超脱して居ることの出来る私の心があるからであると考へます。人は自惚とも笑ひませふ。然し私だけは値ある自覚と思ひます。そして若し私にこの世の中に高ぶるたゞ一つの信念がなかつたならば今頃は或はすでに芳原遊廓の小公子となり了りたらんも計られません。
 煩悶 ? この一語は嘗而私も多く用ひ又私の友達も常に用ひた極めて一見陳套の言葉であります……然らば「煩悶とは何ぞ」。私は自ら斯く問ふてそしてこの一語に極めて新らしい意味を有することを見出しました。
 宇宙に於きまして最大の煩悶を胸に描いた人は最大の人間である……そして又極めて小なる煩悶に苦しむ者は平凡なる生涯よりも尚卑しき者である……この一語で世の中の所謂「詩人」の品評が出来ると思ひます。或人は詩人哲人を最も豪い者の様に云ひます、又或る人はそれを最も値なき者の様に云ひます。この第二類の場合には二つの解釈があります。その一つは評者が「絶対」に対する人心煩悶の値を知らぬ時。その二は被評者が平凡なるよりも卑しき小煩悶に蠢々たる時。かゝる要なき談理の筆に時費さんを恐れまするので、私はもう申しませんが、世の中の所謂自称詩人の所謂煩悶とは抑々どれ程値ある者でありませふか ?
 
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 ▲啄木は37年1月1日の日記に次の様に書いている。
 
 年はまた新らしくなれり。手に希望と栄光との花束を携へて新世の幸なす初日の光は眩ゆく地上に舞ひ来れり。かくて我は十有九才の源頭に立ちぬ。如何にして過ぎ来しや、如何にして過ぎ去なんとするや、こは我今語るべき事に非ず。我はたゞ十八年の歳月を暗中に葬り去りて、更らに悠久なる希望の未来に対せるを知る。
 
 自負と希望を持つ若者であれば、新年にあたって誰もが思いつき、書きつけずにいられないないこの種の文章を、35年の啄木は、書簡ということもあり、いかにも高尚で難しいことを考えているかのような文章に仕立てている。35年の文章の方が空虚である。
 啄木は抽象的な世界でものを考えるための材料を持っておらず、抽象的で平凡な思いつきを難しげに書く技術を持っているだけである。啄木らしいのは、文章が軽く、深刻ぶっているだけで真面目な文章ではないことである。啄木は、この程度の空虚な文章が深い内容をもっていると思い込むほどに非現実的でも無能でもなかった。啄木は無知と無経験の中で言葉遊びを楽しんでいるだけである。知識と経験によってこの種の抽象的な言葉遊びは消えていく。


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