啄木 ・ 書簡  明治三十六年 (18才)


 ■三月十九日  渋民村より 小林茂雄宛

 やくにも立たず悪口許り上手な私に御清会への出席御すゝめ被下誠に難有存じます私も出て皆様の御詩も拝聴し又例の悪舌も鍛へて見度く思ひますけれども毎日にがい薬をのんで顔をしかめては砂糖こもりを噛り噛り日を暮して居ると云ふ有様ですから御察しを希上ます、毎日夕刻には薬取方々医師の家迄散歩します 
 ■七月二十七日  渋民村より 細越毅夫宛

 美しの御端書只今拝見いたし候。つまらなくのみ起き臥し居候身には、友恋しさの情も一入に御座候。去る十四日よりは来訪の友ひきもきらず。病骨も大いに快方に赴き、うれしく思ひ居候へど、永く筆取り難き弱身の悲しさ衷心の寂蓼は慰めんすべも無之候。今は左に生のワグネル研究に資せし書目を挙げて、告げまほしき感想は次便を期せん。
 
 ■十月二十九日  渋民村より 野村長一宛

 私、今秋出京の企ても病魔の呵責たへがたくて、哀れ水の泡と成り申候。とてもかくても来春まではこの寂しき里に冬籠りの事と定まりて見れば、今更の様に弱き身はかなくなり候。病は脳神経と心臓と、それから持病の胃、名前丈けでも恐ろしき事に候。日夕薬のむが役の秋、思ひのみ沢山に御座候。京は面白き事さぞ多からん、さりとはこの里の寂蓼よ。今日は御画の御礼丈けに止めて、余は心地よき日の次便に譲り申すべく候乱筆の段いくへにも御ゆるし被下度候草々


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