「時代閉塞の現状」(明治43年8月)


 啄木は、この評論で、実生活との一致の点で高く評価していた自然主義の批判を試みている。啄木は、自然主義が内包していた基本的な矛盾として、「自己主張的傾向」と「科学的、運命論的、自己否定的傾向(純粋自然主義)」を取り上げている。両者の分離が決定的となった、抱月の観照論が発表されたこの時期に、魚住折蘆が自然主義的思潮の特徴として自己主張の側面を取り上げたのは、時を得ている。しかし、そこには「重大なる誤謬」が含まれている。それは、魚住が、この「相矛盾せる両傾向の不思議なる五年間の共棲」が、「両者共通の怨敵たるオオソリテイ――国家というものに対抗するために政略的に行われた結婚であるとしていることである」。
 啄木は、魚住の主張を「明白なる誤謬、むしろ明白なる虚偽である」と強い調子で批判している。この点に啄木と魚住の、日本の現状の認識における基本的な対立があった。魚住の論とまったく逆に、啄木は国家との対立はなく、それが日本的な精神の基本的な特徴だとしている。
 「我々日本の青年は、いまだかつてかの強権に対して何らかの確執をも醸したことがないのである。したがって国家が我々にとって怨敵となるべき機会もいまだかつてなかったのである。」、「我々の今日および今日までの境遇がかの強権を敵としうる境遇の不幸よりもさらにいっそう不幸なものである」。われわれと強権との間には、「予想外に大きい疎隔(不和ではない)の横たわっている」。「国家ちょう問題が我々の脳裡に入ってくるのは、ただそれが我々の個人的利害に関係する時だけである。」
 この「個人的利害に関係するときだけ」という指摘は重要である。日本の青年は、一般的な課題として国家や権力あるいは社会一般について考えることができない、あるいは考えることを回避している。啄木が問題にしているのは、現実一般の思想的把握としての国家である。魚住は国家、権威を、曖昧で意味が不明な、現実的に無意味な抽象物として扱っており、啄木はその批判を通して社会に対する具体的な批判意識を生み出そうとしている。それは啄木自身がもっていた抽象的な批判意識の克服である。
 啄木は、「むろん思想上の事は、かならずしも特殊の接触、特殊の機会によってのみ発生するものではない。」と断った上で、我々青年が、徴兵検査や教育の問題や、無法なる試験制度や、高率の租税の費途などといった、国家と個人の関係において、「かの強権に対する自由討究を始めしむる動機たる性質はもっているに違いない」と考える。しかし、現状は、たの強権についての理解はまったく進んでいない。ここから啄木は、その理解が進まないことの日本的に非常に重要な特徴を捕らえている。
 徴兵や教育や租税の特殊な接触、関係において、個人は特殊な不平や不満や批判意識を持っている。思想はこういう事情からのみ発生する物ではないが、こうした不平や不満や批判意識が、思想的な批判意識に深まることもあるはずであるし、それが精神の発展であろう。しかし、日本ではそうならない。そうならないような特殊な論理が発達している。経験的な事実から出発して思想の世界に深化していくのではなく、対立を回避し、対立を誤魔化し、服従を対立と言いくるめる虚偽が思想の形式で発達している。魚住の思想もその一つである。啄木は対立回避の論理を問題にしている。
 国家主義は「我々の父兄の手にある間はその国家を保護し、発達さする最重要の武器なる」。つまり、父兄の国家主義は、国家を第一と考え個人は国家の発展のために生きるべきだという国家の単純な肯定である。しかし、青年の愛国主義は、それとは違った、父兄の国家主義と対立するかのような形式を持っている。国家は強大でなければならぬが、それに「お手伝いするのはごめんだ」とか、国家が帝国主義でもって強大になっていくのは結構であるが、「正義だの、人道だのということにはおかまいなしに一生懸命儲けなければならぬ。国のためなんて考える暇があるものか!」という形式になる。
 個別的な関係において国家や権力や社会一般に対して個別的な感情や意識として不平や不満を持つちまた吐露しても、一般的な批判意識に発展しないかぎり、それは対立ではなく批判意識ではない。思想として国家を問題にしない、批判しない、従属する、という傾向が、個人主義という思想形式をとり、しかもそれが国家と対立するものと解釈される。国家への服従が、国家からの独立や分離の形式をとり、それを思想化したのが魚住の評論である。啄木は自然主義と、それを評価する魚住の評論の中に、国家と対立する形式をとる国家主義という特有の論理を取り出している。
 日本には、国家との個別的な対立から思想的な対立へと論理が発展することがなく逆に、個別的な対立を契機として、対立の形式をもったまま、国家に対する従属や隷属を肯定する意識へと転化する独特の思想形式がある。この啄木の指摘は、その後の日本の思想史に対しても生きている。肯定と否定を問わず、啄木や魚住に対する評価は、啄木の批判の正しさと重要性を証明している。多くの批評家は、国家や権力と対立する点で、啄木や魚住を高く評価する形式で、国家への服従や隷属を促し、国家に対する批判意識の解消の努力をしている。
 
 個人主義の具体的内容は、普遍性を持つことがなく、瑣末な利害の主張であることにおいて国家から分離し独立していると見られ、さらにそれに、反国家、反社会、反官僚といった一般的な意義が与えられる。こうした思想の傾向は、自らが普遍性に到達することの出来ない無力な精神であるにことにとどまらず、思想が普遍性に高まることを押し止めようとする、普遍性を破壊する思想である。個別的な自己に拘泥する瑣末な個人主義を、反国家、反権力と解釈することは、現実の従属、隷属、依存を肯定的に位置づけることであり、従属を徹底することであり、従属に対する不平や不満を従属の契機にしようとする卑屈な精神である。直接的な国家主義と、国家主義と対立し、国家と分離する形式を持った二つの国家主義が国民を支配しており、国家や権力に対する批判意識はまったく形成されない。ここに樗牛の変化の秘密がある。正義、人道、国家のありかたに無関心であること、関心を持つことさえ出来ない思想的な不自由を、オーソリティに対する批判だと解釈するのが魚住である。虚無主義も又国家主義の一つである。対立ではなく、日本的な論理としての従属であり、常に積極的な国家主義に転化する必然を内包している。絶望的に従属的はいつでも絶望的な支持に転化する。この従属を反オーソリティと主張する魚住は徹底して絶望的に従属的であり、その魚住を反国家、反オーソリティの点で高くする後の研究家はさらに絶望的に従属的である。
 
 ■かの早くから我々の間に竄入している哲学的虚無主義のごときも、またこの愛国心の一歩だけ進歩したものであることはいうまでもない。それは一見かの強権を敵としているようであるけれども、そうではない。むしろ当然敵とすべき者に服従した結果なのである。彼らはじつにいっさいの人間の活動を白眼をもって見るごとく、強権の存在に対してもまたまったく没交渉なのである――それだけ絶望的なのである。
 かくて魚住氏のいわゆる共通の怨敵が実際において存在しないことは明らかになった。むろんそれは、かの敵が敵たる性質をもっていないということでない。我々がそれを敵にしていないということである。そうしてこの結合(矛盾せる両思想の)は、むしろそういう外部的原因からではなく、じつにこの両思想の対立が認められた最初から今日に至るまでの間、両者がともに敵をもたなかったということに原因しているのである。
 
 哲学的虚無主義は、一見強権を敵としているようであるが、実際は「愛国心の一歩だけ進歩したものである」という指摘は、啄木のすぐれた論理的センスを示している。国家や権力に対する批判意識がまったく発展しない日本では、対立の形式にまで無批判性や従属的な意識が発展し整備される。普遍的批判意識の形式もすべて虚偽で埋めつくされている。無批判的な精神が無限的に細分化し発展していくのが、精神の日本的な発展である。強権を敵とする形式をとってまで服従を粉飾し、しかもそれを従属と思わずに自身も敵対と思い込んで、無意識的に粉飾していることが絶望的な服従である。客観的には、敵は敵たる性質をもっていないのではないが、それを敵にする論理を我々が持っておらず、服従する論理のみを発展させている。
 自然主義内部の矛盾した二つの思想を結合させていたのは、魚住の主張する、オーソリティに対する反対ではなく、両者が共に敵を持たなかったこと、両者がともに絶望的にオーソリティ隷属し服従していたことにある。魚住は、服従、従属を敵対としており、対立でないものを対立として粉飾しているのであるから、それは誤謬ではなく、虚偽といった方が適切である。というのは、魚住は客観的には服従を肯定し奨励しているからである。それは、服従を敵対とする論理であり、したがって、反国家、反オーソリティを骨抜きにし、あるいは粉飾するものである。
 
 ■魚住氏はさらに同じ誤謬から、自然主義者のある人々がかつてその主義と国家主義との間にある妥協を試みたのを見て、「不徹底」だと咎めている。私は今論者の心持だけは充分了解することができる。しかしすでに国家が今日まで我々の敵ではなかった以上、また自然主義という言葉の内容たる思想の中心がどこにあるか解らない状態にある以上、何を標準として我々はしかく軽々しく不徹底呼ばわりをすることができよう。そうしてまたその不徹底が、たとい論者のいわゆる自己主張の思想からいっては不徹底であるにしても、自然主義としての不徹底ではかならずしもないのである。
 すべてこれらの誤謬は、論者がすでに自然主義という名に含まるる相矛盾する傾向を指摘しておきながら、なおかつそれに対して厳密なる検覈を加えずにいるところから来ているのである。いっさいの近代的傾向を自然主義という名によって呼ぼうとする笑うべき「ローマ帝国」的妄想から来ているのである。そうしてこの無定見は、じつは、今日自然主義という名を口にするほとんどすべての人の無定見なのである。
 
 魚住の論が服従を粉飾して敵対とす虚偽であることを明かにした後、啄木は、魚住の評論の方法について、より一般的な視点から批判している。魚住の評論はまず、権威に対する従属、服従という基本的な傾向から出発した虚偽である。さらに、それは一般的な思考方法としての日本に共通の弱点を持っている。この批判も現在まで広く通用する批判である。
 国家主義との妥協を不徹底だとするのは、魚住の論からすると当然の帰結であるが、その帰結は、国家に対する服従を対立と粉飾する虚偽のさらなる展開である。自然主義が国家や権威との対立を含んでいたとするならば、妥協は不徹底である。しかし、国家との対立を含んでいたのではなく、隷属し服従していたのであれば、妥協は不徹底ではなく徹底である。こうして不徹底と徹底の意味は逆になる。あるいは、徹底も不徹底も意味を持たなくなる。魚住が自然主義の思想として取り上げている特徴は、ますます不明になり、虚偽の拡大である。国家主義との妥協という規定も、不徹底という来ていも、徹底すべきだという当為も、すべてが誤謬であり、虚偽であり、虚偽の延長であり徹底である。
 魚住は国家に対する隷属を対立と規定し、妥協を対立の不徹底と規定し、一層の隷属を対立の徹底と規定する。魚住は隷属の徹底を対立と解釈することで隷属の徹底を肯定している。現実の関係とまったく逆の流れになるのが魚住の論理の必然である。そして、こうした逆転の系列が生じるのは、魚住の最初の自然主義理解の必然的な帰結である。
 魚住は、自然主義が内部に含む矛盾を具体的に考察しておらず、厳密に規定せずに、いいかげんで大雑把に特徴ずけており、そのためにどんな結論をも任意に導き出すことができる。魚住は、国家や権威との対立を回避する傾向の特徴として、具体的な内容を消去し、具体的な内容を粉飾することを必然としている。何もかもを大雑把な抽象的な言葉の中に丸め込んでしまう思想的な特徴は、国家に対する隷属的傾向の特徴である。啄木は魚住の考察の抽象性の特徴をうまく説明している。魚住の大雑把さ、抽象性は、単に思考能力の無力ではなく、無力ではあるが、その無力は、国家や権力に対する無批判性、従属性によるものである。従属性が生み出す特有の抽象性である。だからまた、批判意識の形成にとって、国家や権力に対する批判意識の真のあり方が決定的な意味をもっている。啄木は基本的な傾向としてその批判意識を持っていたために、魚住の論理の弱点を明かにすることができた。啄木が国家を問題にしたことの意義はここにあるのであって、魚住とともに反国家の当為を掲げたことにあるのではない。
 
 「具体的」ということを強く意識していた啄木は、この評論で思想の具体的展開の力を持ちつつある。自然主義という思潮の意味を具体的に考察することなく、さらに反国家や反オーソリティの言葉の意味を厳密に考えることもなく、大雑把に論を進めていく魚住が、まったくの錯誤、虚偽に陥るのは意図しての事ではない。厳密な考察を本能的に回避しており、厳密な考察、具体的な思想というものを知らず、空虚な抽象性の道を辿りつつ、思想内容として自然的に権力への従属を押し進めていく。それが従属的な傾向をもつ日本的精神に特有の論理の進行形式である。啄木は、国家や社会に対する批判意識を、思想の具体性の獲得として展開するという、非常に大きな仕事にとりかかっている。啄木は思想というものを非常に巧く捕らえている。
 啄木は、花袋、藤村、天渓、抱月、泡鳴、白鳥、さらに風葉や青果等の名前を挙げて、それらがむしろ「まったく共通した点が見いだしがたい」と指摘している。作品だけでなく、人生に対する態度までがまったく相違している。そして、「それらの矛盾は、ただに一見して矛盾に見えるばかりでなく、見れば見るほどどこまでも矛盾しているのである。」と結論している。
 啄木は具体的な思考を獲得して、区別がよく見える様になっている。だから、魚住がなにもかもを十把一絡げにして、しかも国家との対立という虚偽の規定を与えることを的確に批判して、内在的な矛盾を指摘している。啄木が問題にしているのは、この具体的思考が失われている、というこの思考方法である。思想の具体相が見えない場合は、自然主義は全体として自然主義であり、全体として自己主張であり、全体として反オーソリティであり、全体として任意のものでありうる。この抽象的な方法では、まったく逆の主張をすることも可能である。これこそが思想としての誤謬であり虚偽であり粉飾であり従属の一般的な思想的特徴である。
 自然主義という大雑把な規定をやめて、具体的作品を具体的に規定しなければならない。またそれをやらねばならないほど、できるほどに十分に作品は分化してきている。そして、作品自体が、文学思潮が分化してきたからこそ、魚住のようにそれをまとめる場合に、極端に抽象的になり、無内容になり、反オーソリティというありもしない特徴によって括らねばならないし、またそれが可能になる。みればみるほど矛盾してくるものを、それぞれを規定せずに、大雑把にまとめると虚偽になる。そしてこの虚偽には社会的な意義が有る。魚住は、この分化の時期に合わせて、この時期にふさわしい誤謬・虚偽を提出している点で時を得ている。国家あるいは社会を批判的に見る場合は、自然主義の思潮を具体的に理解することができる。国家との対立を個別に執着する個人主義に解消する魚住の場合は、思潮を具体的に見ることができず、抽象的な規定の内容はまったく逆になり、隷属の肯定になる。この基本的に対立する現実認識が日露戦争の後に社会的必然として生まれている。したがって、魚住もそれに対立する啄木も、その対立において社会的要請に応えているのであり、これが、思想の階級的な対立であり、形成過程である。
 啄木はこのあと、抽象性の特徴として、具体的矛盾を規定できないばかりでなく、まったく違うかにみえる思潮の同一性を理解できない側面からも批判している。啄木には、自然主義内部の矛盾が見えると同時に、時代思潮として、新浪漫主義者や芸術紙上主義者と自然主義者に共通の特徴があることもよく見える。魚住が自然主義という言葉を抽象化することによって、具体的な特徴も全体的な特徴もまったく見失うことになっている、というこの批判の仕方も非常に論理的である。啄木が指摘している区別も同一性も、社会的な批判意識を具体化する過程で発見された規定である。国家や社会に対する批判意識を持つことができれば、文学思潮の具体相も全体像も見えてくる。またこれが国家や社会に対する批判意識そのものであり具体的内容である。魚住にはそれらのすべてが見えない。だから、意識してではなく、自らの思想的な無力によって虚偽をふりまいている。啄木は、その思想的特徴を具体的に批判している。あるいは、その批判において具体的な思想を形成しつつある。
 
 ■魚住氏はこの一見収攬しがたき混乱の状態に対して、きわめて都合のよい解釈を与えている。曰く、「この奇なる結合(自己主張の思想とデターミニスチックの思想の)名が自然主義である」と。けだしこれこの状態に対する最も都合のよい、かつ最も気の利いた解釈である。しかし我々は覚悟しなければならぬ。この解釈を承認する上は、さらにある驚くべき大罪を犯さねばならぬということを。なぜなれば、人間の思想は、それが人間自体に関するものなるかぎり、かならず何らかの意味において自己主張的、自己否定的の二者を出ずることができないのである。すなわち、もし我々が今論者の言を承認すれば、今後永久にいっさいの人間の思想に対して、「自然主義」という冠詞をつけて呼ばねばならなくなるのである。
 
 魚住の主張が具体性を解消する無思想であることの説明が非常にいい。魚住の思想の展開は論理の必然としてより大きな虚偽を重ねることになる。「奇なる結合」というのは、いかにも都合のよい、気のきいた、その後の日本の歴史においても繰り返し使用される言葉である。あらゆる区別を捨象することが「奇なる結合」である。あらゆる区別を捨象する魚住の論理からすると、文学の思潮だけでなく、人間に関するものすべてを「自然主義」と呼ばなければならなくなる。魚住の自己主張とデターミニスチックな思想の結合は、服従と隷属の肯定である。それを反オーソリティとよび、それを自然主義とよび、あらゆる形式の隷属の自己主張をも反オーソリティと呼ぶこと、これが魚住の混乱であり、隷属を肯定する新たな思想である。そして、魚住自身この絶望的な服従の中にいるために、その論理に囚われてというより、従属の論理を創り出しているのであり、普遍性に発展しようとする思想に対して、概念崩しとしての、混乱、誤謬、虚偽を振りまいている。悪意があってのことではないが、自分の安易な立場の対象化としての思想が客観的にこのような意義をもっており、そうした利害の中に生きているのが、魚住を典型的な実例とする新たに形成されつつあるインテリ階級である。そして、それこそが積極的な批判の形式さえとる所の、もっとも深刻で絶望的な服従であり、魚住は絶望的な服従の思想を説くイデオローグとなっている。魚住の評論は時を得ており、啄木の批判も時を得ており、両者とも歴史の必然が生み出した相互に連関する思想である。


 ■この論者の誤謬は、自然主義発生当時に立帰って考えればいっそう明瞭である。自然主義と称えらるる自己否定的の傾向は、誰も知るごとく日露戦争以後において初めて徐々に起ってきたものであるにかかわらず、一方はそれよりもずっと以前――十年以前からあったのである。新しき名は新しく起った者に与えらるべきであろうか、はたまたそれと前からあった者との結合に与えらるべきであろうか。そうしてこの結合は、前にもいったごとく、両者とも敵をもたなかった(一方は敵をもつべき性質のものでなく、一方は敵をもっていなかった)ことに起因していたのである。べつの見方をすれば、両者の経済的状態の一時的共通(一方は理想をもつべき性質のものではなく、一方は理想を失っていた)に起因しているのである。そうしてさらに詳しくいえば、純粋自然主義はじつに反省の形において他の一方から分化したものであったのである。
 
 ここは、「政治と文学」で発見した思想の具体性が生きている。啄木は魚住の論理の抽象性をさらに時代認識の欠如として批判している。自然主義の自己否定的傾向は日露戦争後に起こった。自己主張はその十年以前からあった。それは区別すべきであり、日露戦争後の傾向を自然主義とよぶべきであろう。しかし、日露戦争以前からの傾向と、日露戦争後の自然主義には共通する特徴がある。その両者の結合は、敵を持たなかったことに起因している。啄木の認識方法は、自然主義の基本的な傾向が、魚住の主張と逆に、敵を持たないことに基礎をもっており、その基本的な傾向の内部で、日露戦争後に新しい自然主義が分化したとなる。自然主義内部の対立は、国家や権威に対する隷属、服従のさまざまの形式への分化である。そしてこの分化を徹底したのが「観照と実行」の対立であった。しかし、こうした対立は、国家や権威に対する無批判性、服従、隷属の基本的な特徴では同じであり、その特徴をそれぞれに分化発展させているにすぎない。この意味で、内部対立はどのような対立であろうと、両者の基本的な関係、特徴を変えるほどの質的な対立ではありえない。
 
 ■かくて今や我々には、自己主張の強烈な欲求が残っているのみである。自然主義発生当時と同じく、今なお理想を失い、方向を失い、出口を失った状態において、長い間鬱積してきたその自身の力を独りで持余しているのである。すでに断絶している純粋自然主義との結合を今なお意識しかねていることや、その他すべて今日の我々青年がもっている内訌的、自滅的傾向は、この理想喪失の悲しむべき状態をきわめて明瞭に語っている。――そうしてこれはじつに「時代閉塞」の結果なのである。
 
 国家との対立をもともともっていなかった自然主義思潮のすべの分化には、今や自己主張の強烈な欲求という主観の形式が残っているだけである。それは、批判意識を持たない無内容で抽象的な「欲求」である。反オーソリティや国家との対立とは名ばかりであって、無内容ゆえに大きな名前をもっているだけである。もともと理想も方向も出口もなかった状態に鬱積してきた自分の力を持て余して、つまりは対立において自己を証明する相手を失っているために自滅的状態になっている。それは社会的に見れば「時代閉塞」の結果であり、精神自体も閉塞した状態に追い詰められ、国家に押しつぶされた隷属状態に陥っている。そして、それをもなお反権威として位置づけようとしている。これが啄木の認識する思想の「具体的」規定である。
 
 ■見よ、我々は今どこに我々の進むべき路を見いだしうるか。ここに一人の青年があって教育家たらむとしているとする。彼は教育とは、時代がそのいっさいの所有を提供して次の時代のためにする犠牲だということを知っている。しかも今日においては教育はただその「今日」に必要なる人物を養成するゆえんにすぎない。そうして彼が教育家としてなしうる仕事は、リーダーの一から五までを一生繰返すか、あるいはその他の学科のどれもごく初歩のところを毎日毎日死ぬまで講義するだけの事である。もしそれ以外の事をなさむとすれば、彼はもう教育界にいることができないのである。また一人の青年があって何らか重要なる発明をなさむとしているとする。しかも今日においては、いっさいの発明はじつにいっさいの労力とともにまったく無価値である――資本という不思議な勢力の援助を得ないかぎりは。
 
 ここからは、これまでに思想として具体的に展開してきたことの、実例的な説明である。我々青年が、次の時代のために教育、啓蒙活動をしようとしても、それはできない。教育と言っても、「リーダーの一から五までを一生繰返す」だけである。個人が発明をしようとしても、資本の援助を得ない限りは無価値である。社会の発展の為に個人が成すべき仕事、なすべき余地はなくなっている。機会は押しつぶされている。それが時代閉塞の情況である。われわれは進むべき進路を見失っている。これが現状であることを認識すべきである。進みべき道を失っていることを認識しなければならない。反国家・反権威を徹底すべきだなどとして、この現状を肯定すべきではない。
 学生は就職の心配をしなければならず、その点で父兄が望む様に学生の気風が着実になったにも関わらず、「その半分は職を得かねて下宿屋にごろごろしている」、さらに「彼らに何十倍、何百倍する多数の青年は、その教育を享ける権利を中途半端で奪われてしまうではないか。」と指摘し、「遊民」という不思議な階級が漸次その数を増しつつあり、彼等は「父兄の財産を食い減すこととむだ話をすることだけである」としている。
 この「遊民」という現実を、漱石は「それから」に描いており、啄木は漱石ににた現実認識を得ていたのであろう。漱石の「それから」は明治四十二年の六月から年末にかけて朝日新聞に掲載されており、啄木は朝日新聞社でこの作品の校正を担当していた。四十二年の断片に「私は漱石氏の『それから』を毎日社にゐて校正しながら、同じ人の他の作品を読んだ時よりも、もっと熱心にあの作に取扱われてある事柄の成行に注意するやうな経験を持つてゐた」と書いている。啄木が『それから』を校正し、この断片を書いた時、現実認識の具体化、つまり生活と思想の一致の端緒をみつけ一致の過程がはじまろうとしていた。それはそれまでの啄木が現実から分離していたことを自覚した成果であり、漱石の『それから』は自分の精神の現実からの分離の意味を初めて具体的に理解し描写した作品である。漱石と啄木は日露戦争後の日本の現実をほぼ同じ時期に同じ方法によってそれぞれに認識しつつあった。そして両者とも同時に二葉亭四迷の精神に近づきつつあった。
 漱石は『門』を書いた後、胃腸病を治療するために六月から入院していた。八月に「時代閉塞の現状」を書いている啄木は、七月一日に漱石の病室を訪ねている。啄木は、前年の五月に死んだ四迷の全集の第二巻の編集・校正を任されており、四迷の翻訳した「煙」の英語版を漱石から借りている。四迷を介した漱石と啄木の邂逅という文学史上のもっとも幸運な偶然であった。漱石の作品を理解する可能性をもった唯一の人物である啄木は、漱石を見舞った翌年の二月に入院し、四十五年の四月十五日には、漱石が啄木の葬儀に参列することになった。漱石は再び孤独な思想的・芸術的追求をしなければならなくなった。
 
 啄木は、強権の勢力が国内の隅々まで支配しており、「青年を囲繞する空気は、今やもうすこしも流動しなくなった」と書いている。そして、現代社会組織の発達が完成していることは、「その制度の有する欠陥の日一日明白になっていることによって知ることができる」とうまく説明している。戦争とか豊作とか饑饉とか、の偶然の大事件でも起こらない限り、国民に主体的に動く能力、気配はない。これが基本的な情況である。これを啄木は「時代閉塞の現状」と読んでいる。この「時代閉塞の現状」において、「我々のうち最も急進的な人たち」は、「彼らの入れられている箱の最も板の薄い処、もしくは空隙(現代社会組織の欠陥)に向ってまったく盲目的に突進している。今日の小説や詩や歌のほとんどすべてが女郎買、淫売買、ないし野合、姦通の記録であるのはけっして偶然ではない。」
 啄木は文学思潮の現状を閉塞状態と見ており、それをさまざまに肯定的に評価することのすべてを閉塞情況そのものであるとして一括して批判している。その基本的な傾向は、かの強権に対する隷属であり、それを明かにすることによってこの閉塞情況から脱出する道を探ることができる、と考えている。
 
 ■そうしてまた我々の一部は、「未来」を奪われたる現状に対して、不思議なる方法によってその敬意と服従とを表している。元禄時代に対する回顧がそれである。見よ、彼らの亡国的感情が、その祖先が一度遭遇した時代閉塞の状態に対する同感と思慕とによって、いかに遺憾なくその美しさを発揮しているかを。
 かくて今や我々青年は、この自滅の状態から脱出するために、ついにその「敵」の存在を意識しなければならぬ時期に到達しているのである。それは我々の希望やないしその他の理由によるのではない、じつに必至である。我々はいっせいに起ってまずこの時代閉塞の現状に宣戦しなければならぬ。自然主義を捨て、盲目的反抗と元禄の回顧とを罷めて全精神を明日の考察――我々自身の時代に対する組織的考察に傾注しなければならぬのである。
 
 時代閉塞の情況とは、絶望的な服従的精神の浸透である。「急進的な人たち」においても、服従的な精神が徹底しており、服従を反国家、反権力と解釈するほどの誤謬を侵し、虚偽を広めている。かれらは、自分を押さえ込み、閉塞させている敵と闘うのではなく、その敵との戦いを回避し、敵との遭遇を恐れ、闘う意志を失い、また持ったこともなく、服従的、隷属的自己の表明として、「彼らの入れられている箱の最も板の薄い処、もしくは空隙(現代社会組織の欠陥)に向ってまったく盲目的に突進している。」これを、父兄は批判しているが、その権利はないし必要もない。それは、彼等が追い込んで、服従を強いた結果として、その成果として、その父兄に絶対的に服従している姿であり、彼等の意図に沿うものであるどころか、彼らに対する不思議な方法による敬意と服従だからである。両者は対立しておらず一致している。対立は外見にすぎない。魚住はその外観を実質的な対立と思い込んでいるにすぎない。それは時代閉塞の情況における、時代閉塞の情況を肯定的する特有の現実認識のあり方である。
 この絶望的な服従の思想情況からすると、この「自滅の状態から脱出するために、ついにその『敵』の存在を意識しなければならぬ時期に到達している」。青年は強権の支配のもとで、自ら閉塞情況に陥りさらに閉塞しつつある。この情況から脱出する方法として、啄木は自己を主張しなければならないとか、主体的な自己を確立しなければならない、という個人主義による主体の主張から一歩踏み出して、、さらにかの強権と敵対しなければならない、敵対を徹底しなければならない、とする当為から一歩踏み出して、敵を認識しなければならない、としている。さらに、啄木は『敵』として括弧で括っている。それは、自滅の状態からの脱出の為には、敵が存在することとその敵が何であるかの認識が重要だからである。敵の姿はまだ明確に認識されておらず、したがって敵と対立する当為が重要なのではない。それは、国家を敵とし、オーソリティを敵とすることを魚住は主張しているにもかかわらず、その主張は敵との対立ではなく、敵に対する絶対的な服従だからである。重要なことは、敵対を煽ること、当為として掲げることではなくて、敵が何であるか、闘うべき敵は何か、について社会を具体的に認識しなければならないことである。それが明日の考察であり、「我々自身の時代に対する組織的考察」である。この組織的考察は、反国家や反オーソリティを掲げることに対置されている。敵対を掲げているのではなく、敵対と対立した意味を持つところの、敵を認識し、対立とは何かを社会的に認識しなければならない、という当為が明日の考察である。そうでなければ対立にならないという認識が重要である。というのは、すでに敵対の形式をとった服従がはびこっており、その現状においては、敵対とは何かをも明かにしなければならないからである。国家への反抗という抽象的な当為こそは、日本的に発展した隷属的精神であり、自滅的思想である。それをどのように超えるかが啄木の思想的な課題である。もちろん、啄木としてもそれを具体的に明確に意識しているわけではない。しかし、課題を正確に捕らえている所が天才的であり、そのために多くの反動的な批評家によってこの評論は歪められている。
 
 ■明日の考察! これじつに我々が今日においてなすべき唯一である、そうしてまたすべてである。
 その考察が、いかなる方面にいかにして始めらるべきであるか。それはむろん人々各自の自由である。しかしこの際において、我々青年が過去においていかにその「自己」を主張し、いかにそれを失敗してきたかを考えてみれば、だいたいにおいて我々の今後の方向が予測されぬでもない。
 
 抽象的敵対の当為を掲げることから「明日の考察」へ、具体的認識の獲得へ、これが啄木の主張である。明日の考察は、日本の社会情勢の全体的な認識である。だから、各自の置かれた情況によって自由に、具体的課題において行われるべきである。その具体的内容は啄木にもわからない。しかし、この認識に失敗してきた情況を反省すれば、「だいたいにおいて我々の今後の方向が予測されぬでもない。」とし、これまでの批判意識がどのように批判を回避してきたかを認識することがその第一歩になるだろう、としている。合理的な「明日の考察」というのはこうした方法的な意味をもっている。
 
 ■けだし、我々明治の青年が、まったくその父兄の手によって造りだされた明治新社会の完成のために有用な人物となるべく教育されてきた間に、べつに青年自体の権利を認識し、自発的に自己を主張し始めたのは、誰も知るごとく、日清戦争の結果によって国民全体がその国民的自覚の勃興を示してから間もなくの事であった、すでに自然主義運動の先蹤として一部の間に認められているごとく、樗牛の個人主義がすなわちその第一声であった。(そうしてその際においても、我々はまだかの既成強権に対して第二者たる意識を持ちえなかった。樗牛は後年彼の友人が自然主義と国家的観念との間に妥協を試みたごとく、その日蓮論の中に彼の主義対既成強権の圧制結婚を企てている)
 
 明治社会の建設に有用な人物を形成する過程で、日清戦争の結果として、国民的自覚が生まれ、個人の権利を主張する樗牛の個人主義が現れた。しかし、その個人主義は、権力との関係を意識していたわけではない。権力との関係をまったく意識しておらず、そして、後年既成強権との圧政的結婚を企てている。樗牛の個人主義は、もともと既成強権と対立していたのではなかった。だから、樗牛の個人主義が国家主義に移行するのは自然である。
 青年が権利を認識し自己を主張することは、まだ批判意識ではない。それが批判意識となるためには、敵を意識し、敵の何かるかを認識し、いかに闘うかを認識しなければならない。国家あるいは社会との関係を批判的に具体的に認識しなければならない。それが初めて具体的な批判意識の形成であり、具体的な自己の主張であり、具体的な自己の形成であり、具体的な内容を持つ個人主義である。
 樗牛の個人主義は、国家を意識しておらず、したがって国家と分離していなかった。国家は認識対象外であり、国家の発展と個の発展は同一であることが意識されない前提となっており、したがって無意識的な従属であった。そして、強権との関係が問われる時代になったとき、樗牛ははっきりと国家主義者となった。樗牛の個人主義の破滅の原因は、かの思想それ自身の中にあり、それが明かになるとともに青年の心は樗牛から去った。
 啄木は樗牛の個人主義の限界が、「既成」に対する批判意識を持たなかったことにあるとしており、さらに、自己意識のあり方の第二の経験である「宗教的欲求」もまた同じであったとしている。宗教的欲求への満足は、樗牛の個人主義とは「方法と目的の場所との差違があるのみである。自力によって既成の中に自己を主張せんとしたのが、他力によって既成のほかに同じことをなさんとしたまでである。」と批判している。この二つの経験が失敗したのは、「既成」に対する批判意識を持たなかったからである。そして、純粋自然主義との結合という第三の経験も失敗に終わった。この経験が教えるものは、「いっさいの美しき理想は皆虚偽である!」
 この三つの失敗の反省によって明日の考察がどのようなものであるかのおおよその傾向を知ることができる。また、それを知るために啄木は自然主義の経験を総括したのであり、自然主義についての考察が「時代閉塞の現状」という日本の社会についの現実認識である。

 ■かくて我々の今後の方針は、以上三次の経験によってほぼ限定されているのである。すなわち我々の理想はもはや「善」や「美」に対する空想であるわけはない。いっさいの空想を峻拒して、そこに残るただ一つの真実――「必要」! これじつに我々が未来に向って求むべきいっさいである。我々は今最も厳密に、大胆に、自由に「今日」を研究して、そこに我々自身にとっての「明日」の必要を発見しなければならぬ。必要は最も確実なる理想である。
 さらに、すでに我々が我々の理想を発見した時において、それをいかにしていかなるところに求むべきか。「既成」の内にか。外にか。「既成」をそのままにしてか、しないでか。あるいはまた自力によってか、他力によってか、それはもういうまでもない。今日の我々は過去の我々ではないのである。したがって過去における失敗をふたたびするはずはないのである。
 文学――かの自然主義運動の前半、彼らの「真実」の発見と承認とが、「批評」として刺戟をもっていた時代が過ぎて以来、ようやくただの記述、ただの説話に傾いてきている文学も、かくてまたその眠れる精神が目を覚してくるのではあるまいか。なぜなれば、我々全青年の心が「明日」を占領した時、その時「今日」のいっさいが初めて最も適切なる批評を享くるからである。時代に没頭していては時代を批評することができない。私の文学に求むるところは批評である。
 
 三つの経験から導き出されることは、「いっさいの空想を峻拒して、そこに残るただ一つの真実――「必要」!」である。啄木はここでは、理想とは必要である、としている。理想は現実と対立した、現実にないものを現実に対置して与えるものではない。現実の内部から必要として生み出されるものである。現実の必要を満たすものだけが理想である。そして、明日の必要は「「今日」を研究して発見すべきものである。したがって、それは実生活の必要としてそこに現前するものではない。したがって、かの強権でもない。強権は、そこに存在するのであり、それと対立しなければならないことははっきりしている。対立できずに服従していることが閉塞情況であるから、対立の具体的内容を社会的に発見しなければならない、ということである。そして、その内容が、われわれの「必要」とするものであろう。
 こうして啄木は長谷川天渓の現実主義に接近している。しかし、すでに天渓を批判していた啄木はこの時点にとどまることができない。そして、さらに一歩を進めようとして、では、その必要をどのようにして発見するか、を問題にしている。しかし、実はこの地点にまで到達したとき、天渓と同じようにそれ以上は進めずに立ち止まらなければならない。実際に立ち止まっており、立ち止まる所まで到達しており、ただ、そこに立ち止まることになっていることをまだ意識していない。啄木は「明日の必要」を、天渓と同じように、現実的でないものとしており、この評論では現実的でなんものの深刻な批判にまで到達して、次の一歩、つまり現実とは何かという問いに進もうとしている。しかし、ここには非常に深い深淵が横たわっており、それを超えることは容易ではない。現状を超えること、時代を超えること、既成を超えること、ただし記述、説話ではなく、時代を批評すること、それは過去と現在を批判して、我々の手で、新しい明日を創り出す批判でなければならない。それが、文学に必要な批評である。それがどのようなものかは啄木にはわからないし、また方法としてもこれ以上進むことはできない。
 中野重治は、「啄木に関する断片」(1926年11月)で、「ここに我々は、彼のいう必要とは何を指すかを明確に理解する。そは実に『必然』(Notwendigkeit)以外の何ものでもない。必然こそ最も確実な理想である。」と指摘している。中野を批判する批評家は問題とするに足りない。しかし、必要を必然と言い換える中野の指摘が正しいとすることはできない。中野はいつも正しい指摘をしていながら抽象性にとどまるために常に厳しく批判されている。啄木の「必要」を「必然」と言い換えることはなんか思想を具体化しないばかりか、抽象化するものである。というのは、啄木が問題にしているのは、「必然」ではなく、「必然」とは何かであり、その端緒を見つけた所だからである。だから、啄木を継承するには、「必要」を「必然」と言い換えることなく、「必要」として啄木が表現したことの限界を明かにすべきである。そして、この「必要」の理解を継承して、「必然」とは何かを明かにする契機として理解すべきである。啄木の努力は抽象性を否定して具体化を求めることにあるのだから、それを「必然」というまだ理解されていない抽象的カテゴリーに引き戻すべきではなく、「必要」は「必要」としてその啄木的な意味だけを規定しなければならない。

  


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