芥川龍之介 1918年 大正07年    『地獄変』  『枯野抄』




『地獄変』

 『戯作三昧』にはテーマがない。芥川はテーマを模索中で、テーマが見つからないことをテーマにしている。芥川は、風呂屋で聞く風評と、その風評を気にする馬琴と、風評を気にする自分を気にする馬琴の自尊心を繰り返し描いている。風評をまず気にして、気にしない決意に至ることが作品の内容である。漱石も『二百十日』で作家としての決意を描いている。漱石はそこで、抽象的であるが、独自の世界に踏み込もうとする気分を描いている。芥川は、独自の内容に取り組む前に、風評に取り組んでおり、風評に依存して作品を書いている。
 
 風評に依存しないこと自体が内容である場合は形式主義になる。芥川は『地獄変』にそれを描いている。世間の風評、常識に対立すること自体が作品の目的であり内容である。良秀は、「人がらは至つて卑しい方で」、「誰にでも嫌はれて」、「吝嗇で、慳貪で、恥知らずで、怠けもので、強慾で」、「横柄で高慢で」、「横紙破りな男」で、「醜いものが好き」である。しかし、「たった一つ人間らしい、情愛のある所が」あって、「一人娘の小女房をまるで気違ひのやうに可愛がつてゐた」。しかし、「一人娘の断末魔を嬉しさうに眺めてゐた」ほどの画家である。こうむやみに単純に「しかし」で常識を覆すことは、ごく平凡で常識的で形式的である。
 芥川は常識を超えた天才を想定しているが常識を超えていない。良秀は常識的な非常識人である。天才が仕事がら非常識にならざるを得ない場合もあり、独創性の点から常識と対立する事はある。しかし、芸術家を天才にするのは芸術の内容だけである。内容の追求の過程でやむを得ず常識と対立するのではなく、常識と対立することを信条とするのは単なる非常識家である。芸術についての芥川の誤った理解が、非常識性を天才性と考える平凡な発想を生み出している。
 芥川は、自然主義的な芸術観を踏襲して、画家の才能は見たものを生き生きと写し取る事だと考えている。絵の材料を「見る」ための非常識な努力が天才性とされるのはこのためである。内容への関心も内容的な苦悩も描かれていない。絵を描くための技術的な努力は無限的であり、非常識でもありうるが、形式は独自に無限的ではありえず、内容上の限界がある。良秀の技術の追求は、限界を超えて内容を破壊している。しかし、芥川は形式が内容の限界を超えるところ、あるいは内容を失った形式に芸術性を見いだしている。それが形式主義の特徴である。この形式主義のために作品自体も内容形式ともに崩壊している。間違った芸術観に基づく不自然な想定をそれらしく表現しているために、文章がわざとらしく、うそうそしい作り物になっている。
 作品の山場となる最後の場面で、技術の形式的な追求がこの作品の内容を破壊している。大殿が良秀の娘を焼き殺すことになった必然はない。「では地獄変の屏風を描かうとすれば、地獄を見なければなるまいな。」という大殿の「では」は、『羅生門』の「では、己が引剥をしようと恨むまいな。」という下人の「では」に似ている。こんなつまらない「では」で盗人になることや、娘を焼き殺すことを自然にする事はできない。娘を焼き殺すことで大殿が気味悪く笑うのが自然に見えるは芥川の悪趣味である。娘が焼き殺されることに夢中になることができる良秀は愚かで薄情なだけの男である。天才でも芸術家でもない。良秀は、娘が焼け死ぬ事実に何を見ているのか。良秀は、焔と、人間が焼け死ぬ様を外面的に知るだけである。良秀は「私は総じて、見たものでなければ描けませぬ。」と言うが、見ても見る能力はない。娘が焼け死ぬ事実を見ても運命の悲惨さを見ることができない。娘の苦しみも、娘を目の前で焼き殺される親の苦しみも理解できないのでは、芸術家としては何も見ていないに等しい。良秀は娘が焼け死ぬ形式を見る事はできるが、そのすさまじさ、悲惨さを精神の内容として理解することはできない。
 大殿が良秀の芸術家としての気質を試すために娘を焼き殺すことも、良秀がそれに「恍惚として法悦の輝きを」見せる事も、芥川がそこに「不可思議な威厳」を見いだすのも、芥川の誤った芸術理解と悪趣味の創造物である。内容といい、その内容に、というより無内容に規定された文体といい、非常にできのわるい作品である。このような作品でもなかなか書けるものではないが、このような作品を書くほどの才能がある場合は、書くべきでないと思う程度の作品である。四迷、一葉、漱石、そして芥川自身に即して言えば、ごくつまらない作品である。


『枯野抄』

 芥川がこの作品に描いているいくつものつまらない精神は、誰でも知っているもので特に詮索するほどの内容を含まない。しかし、多くの読者にとって、芭蕉の死を前にこんな精神しか持つことができない世界の存在を理解する事は難しいだろう。芥川の貧相な精神世界では、芭蕉の死は生物としての死としてのみ意識されており、偉大な普遍的精神の死であることを誰も意識していない。弟子達は芭蕉の精神を理解もせず受け継ぎもせず、芭蕉を個性として尊敬しておらず愛してもいない。芭蕉の精神は弟子の中に生きていなかった。弟子達には自分に対するつまらない関心があるだけだから、芭蕉の死によって失うものはなく、悲しみもない。彼等は偉大な普遍的精神が死を迎えたことを知らない。彼等は芭蕉の死を知らないのだから、芥川が、深い悲しみを表す事も感じる事も、虚偽であり誇張であると感じるのは当然である。
 芥川は『地獄変』で、娘が焼き殺される様子を芸術の素材と見ることを偉大な芸術家的精神として描いた。娘の死も芭蕉の死も生物としての死である。普遍的精神を知らない芥川は、人間の死が精神の死でもあることを意識することができない。
 芥川の精神世界は、実際このようなものであったのだろう。そして、この精神世界を現実と思っており、この精神世界の限界に気づいていない。芥川は、芭蕉の精神の死を知る事も感じる事もできない自分の精神世界を、特殊な世界として批判的に意識し、客観化していない。
 
 ■が、かうして愈末期の水をとつて見ると、自分の実際の心もちは全然その芝居めいた予測を裏切つて、如何にも冷淡に澄みわたつてゐる。のみならず、更に其角が意外だつた事には、文字通り骨と皮ばかりに痩せ衰へた、致死期の師匠の不気味な姿は、殆面を背けずにはゐられなかつた程、烈しい嫌悪の情を彼に起させた。いや、単に烈しいと云つたのでは、まだ十分な表現ではない。それは恰も目に見えない毒物のやうに、生理的な作用さへも及ぼして来る、最も堪へ難い種類の嫌悪であつた。彼はこの時、偶然な契機によつて、醜き一切に対する反感を師匠の病躯の上に洩らしたのであらうか。或は又「生」の享楽家たる彼にとつて、そこに象徴された「死」の事実が、この上もなく呪ふ可き自然の威嚇だつたのであらうか。――兎に角、垂死の芭蕉の顔に、云ひやうのない不快を感じた其角は、殆何の悲しみもなく、その紫がかつたうすい唇に、一刷毛の水を塗るや否や、顔をしかめて引き下つた。尤もその引き下る時に、自責に似た一種の心もちが、刹那に彼の心をかすめもしたが、彼のさきに感じてゐた嫌悪の情は、さう云ふ道徳感に顧慮すべく、余り強烈だつたものらしい。
 
 芥川の憐れむべき貧弱な感性と無知がここにある。芥川が拾い上げる事のできる精神は、師匠の不気味な姿に対する嫌悪である。その嫌悪についての解釈は、『羅生門』の下人が老婆に対する憎悪を「あらゆる悪に対する反感」に拡大したのと同じである。芥川の精神世界には、老婆に対する憎悪や、師匠の不気味な姿に対する嫌悪のような瑣末な心理だけがある。智恵といえばそれを誇張し、拡大することだけである。そして小心な精神は、「自責に似た一種の心もち」を書き添えずにおれない。言葉は大仰で精神は極端に貧相で臆病である。
 芥川はこの貧相な世界について、「が、それを道徳的に非難して見た所で、本来薄情に出来上つた自分たち人間をどうしよう。――かう云ふ厭世的な感慨に沈みながら、しかもそれに沈み得る事を得意にしてゐた支考は、・・」と書いている。芥川は自分の世界が薄情であることに以前から気づいている。しかし、それを意識すること自体に意義を見いだし、意識することを得意にしており、それを得意にする事をも意識しているが、その薄情を肯定しており、その薄情を克服することを課題としていない。
 この作品に描かれた、精神も感情もない干からびた世界に安住するのは難しいであろう。鴎外はその世界を意識しつつ生涯をかけて弁護しつづけたが安心を得る事は出来ず、安心を得ている、満足である、と主張し続けた。出世による慰めを得る事のできた鴎外と違って、芥川は鴎外よりはるかに深刻にこの世界を耐えがたく意識することができただろう。だから、この薄情な世界でより深刻に苦悩し、それを表明することができる点で芥川は鴎外とは違った道を辿るのであろう。


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