『かのやうに』 (明治45年1月) 


 この作品で鴎外は自分を上流社会の若殿に移入して、上品で知的でロマンチックな生活を楽しんでいる。洋行の様子を懐古的に詳しく書いているのは、古い自分を総括したあと、よかった時代を反芻して味わい直そうということであろう。しかし、反芻して、新しい味わいがあるだろうか。
 秀麿の心理状態を簡単に説明すれば、無聊に苦んでいると云うより外はない。それも何事もすることの出来ない、低い刺戟に饑えている人の感ずる退屈とは違う。内に眠っている事業に圧迫せられるような心持である。潜勢力の苦痛である。三国時代の英雄は髀に肉を生じたのを見て歎じた。それと同じように、余所目には痩せて血色の悪い秀麿が、自己の力を知覚していて、脳髄が医者の謂う無動作性萎縮に陥いらねば好いがと憂えている。そして思量の体操をする積りで、哲学の本なんぞを読み耽っているのである。
 秀麿は上流社会にいることに満足しているのではない。上流社会にいながら、大きな才能による苦悩を抱えている、というのが鴎外の満足である。保守的なインテリらしいロマンチズムである。才能故の苦悩の中にいながら、人を気づかって愛想よくしていることが却って思索への沈潜を印象づけている。自己自身に沈潜しているために人づきあいがいいとはいえないが、つまり決して自分から愛想をふりまくことはないが、その苦悩故に可愛い小間使いに崇拝され、すぐれた友人にも一目置かれている。これが鴎外の満足である。ただ、力量を示すことはできず、力量や葛藤が奥底に隠れているのだ、と説明し主張しなければならないことに多少の不満が残るであろう。
 洋行中の手紙に書き込まれた思想は耳学問的な、百科事典の抜き書きの様な、宴会場での気炎のようなもので、特に問題すべき内容を持たない。この学問が突き当たっている困難は、神話と進化論の対立や歴史と神話の対立である。それは学問上の対立ではなく、神話を信じている父親の考え方と自分の学問が対立しているらしい、という葛藤である。らしい、というのは、父親の考え方と秀麿の学問は具体的には一度も対立しないからである。
 秀麿は、体を壊すほどに勉強し、頭を病んでいるのではないかと思われるほど苦悩している。しかし、葛藤の内容は父親の意見との対立である。しかも、具体的に対立するのではなく、対立するのではないかと危惧する葛藤である。大きな才能を持ち、徹底した追求を信条とする秀麿の学問は、父親の考え方との対立で行き詰まっている。学問にとって障害はいくらでもある。才能の欠如や、学問をする機会に恵まれないことや、研究を弾圧されることや、父親の意見と対立することや、叔父さんが気に入ってくれないことや、従兄弟が関心をもってくれないこと、等々である。秀麿は父親との対立をおそれて、しかも、父親を悲しませるのではないかという配慮から著述にとりかかれない。しかし、自分 の力が衰えてはいけないので、三国志の英雄と同じように、当面読書に精出している。
 秀麿にとっては父親との関係、家庭的なあたたかな雰囲気は、歴史的な大事業と同じくらい大切である。才能は大きい事になっているから、秀麿が父親との関係を大切にする気持ちも同等に巨大で、したがって葛藤は奥深く深刻で、三国志の英雄並みである。大事業をやってのける才能が、ふつふつと仕事をやれと要求しているのに、父親のことを思うと、どうも手をつけられない。この苦悩をかかえて読書をして、人とのつきあいもせず、体も弱る。ただ、かわいらしい、若い、小間使いのお雪が崇拝しているのがわずかな慰めである。しかし、色気で喜んでいるのではない。もっと純粋なものである、と秀麿は主張している。
 秀麿は、この葛藤がどれほど深く、どのように解決されたかを友人の綾小路に語っている。綾小路は秀麿の才能と知識と努力を崇拝している。三時まで本を読んでいたので「目を見張った」と書いている。
 秀麿は「まず本当だという言葉からして考えてかからなくてはならない」と根本的なような口調で問題を提出し、事実というのは意識を通過している、だからそれは事実ではない、ウソになっている、と芋づる式に結論を出している。現実に確たるものはなにも存在しない。しかしあるかのように考えないと哲学も化学も成り立たない。意識は全部うそであるから、うそでないかのように考えるということである。
 こうしてできるだけ遠くの方から出発して、哲学者の名前や最新の哲学や化学の知識をずるずる引きずったあと、「かのようにという怪物の正体が少し見え掛つてきた」と綾小路はようやく秀麿の深い考えの尻尾を捕まえた。しかし、鴎外の思考はさらに深く、ここで二人の立場が対立する。
 『「宜しい。ところが、僕はそんな怪物の事は考えずに置く。考えても言わずに置く。』綾小路は生温い香茶をぐっと飲んで、決然と言い放った。」
 と二人の才能ある若者が怪物を相手に奮闘している様子が描かれている。綾小路は鴎外好みの決然としやすい性格の若者である。秀麿も鴎外好みの青年であるが、綾小路と立場が違う。才能を持ち、父親を大切にする徳にも恵まれた人物であるために、友人さえ理解できない深い苦悩を抱えており、「生温い香茶をぐっと飲んで、決然と言い放った。」というわけにいしない。だから、暖炉の前で「秀麿は溜息を衝いた」ということになる。
 
 秀麿は語を続いだ。「まあ、こうだ。君がさっきから怪物々々と云っている、その、かのようにだがね。あれは決して怪物ではない。かのようにがなくては、学問もなければ、芸術もない、宗教もない。人生のあらゆる価値のあるものは、かのようにを中心にしている。昔の人が人格のある単数の神や、複数の神の存在を信じて、その前に頭を屈めたように、僕はかのようにの前に敬虔に頭を屈める。その尊敬の情は熱烈ではないが、澄み切った、純潔な感情なのだ。
 澄みきった純潔なな感情であるとしてもこの上なく愚かである。学問でも芸術でも、真実などなくて、真実である「かのように」やっていけばよい、という秀麿の純潔な感情は批判するにも値しない。「かのように」が父親の権威に従うことを意味する点では、保守的な官僚らしい価値観が表れているし、「かのように」は誤魔化しを得意とする鴎外に都合のいい理屈でもある。しかし、この場合自分の不評を弁明するといった具体的な課題を持たないから、価値観としても誤魔化しとしても真剣ではない。「かのように」が学問の世界に通用するはずがないし、鴎外自身も「かのように」という考え方で学問や芸術の抱える問題に対処しようと思っているわけではない。読書から思いついたその場限りの思いつきを小難しげな甘ったるい苦悩の形式で読者に与え、自分は上流的な空想や留学生活のな気分を楽しみつつ書いている。
 秀麿の抱えている葛藤は父親に話すだけで終わってしまう。「かのように」は、面白半分の形式論議である。「かのように」を原理とするならば、秀麿の「かのように」の主張とまったく逆の「かのように」も可能である。親などないかのように考えることもできるし、義務などないかのように考えることもできる。だから「かのように」は、父親や古い権威に合わせることが望ましい、ということを、いいかげんな思いつきで粉飾して書く不真面目さと、「かのように」が何を意味するかを理解できない無能の産物である。「かのように」という主張をまじめに取り上げるのは、鴎外の不真面目な遊びを本気で取り上げ、鴎外のいいかげんさと無能に翻弄されることである。


 吃逆(明治 45年 5月)

 「かのように」の四カ月後のこの作品にもまだ上流的な優雅な書斎生活を描いている。綾小路と大雑把で生半可な知識をやりとりする気取った会話や、成金に対する軽蔑を上流的と考えるごく貧弱な官僚的な理想像である。宴会の席で宗教談義とも文明談義ともつかぬ取り留めもない話をして、「むづかしいな」と満足している。「かのように」の深刻そうな気取りがはがれて、軽い気分を出そうとしていいかげんさが表に滲み出た作品である。

 藤棚 (明治45.6.15)

 秀麿は相変わらず母親が心配するほど引きこもって勉強している。しかし、上流の世界でも西洋音楽を理解する人はまだまだ少ないので、秀麿が音楽会に引っぱり出された、という話である。
 「話は又一転して、近頃多く出る、道徳を看板に懸けた新聞や小冊子の事になつた。そして子爵の口から、多少同情のある詞も出た。秀麿はそれを聞いて、今更のやうに父と自分との間に、時代の懸隔のあることを想はせられて、直らずにゐる創の痛が微細な刺激に促されて起るやうに、悲しいやうな、心細いやうな感じに襲はれた。さう云ふ物を書いてゐる人が営利とかなんとか、為にする所があつて情を偽つてゐる場合は論外である。さうではなくて、書く人は誠実に世の為、人の為と思つて書いても、大抵自分々々の狭い見解から、無遠慮に他を排して、どうかすると信教の自由などと云ふものの無かつた時代に後戻りをしたやうに、自分の迷信までを人に強いようとする。それを聴かないものに、片端から乱臣賊子の刻印を打つ。これも矢張り毒に対する恐怖に支配せられてゐるのである。幸な事には、さう云ふ運動は一時頭をもたげても、大した勢力を得ずにしまふから好いが、若しそれが地盤を作ってしまふと気の利いたものは面従腹背の人になる。毒に対する恐怖が却つて毒を醸しだす事になる。」
 秀麿は新しい勢力を警戒し、新しい勢力が地盤を作ってしまうことに危機意識を持っている。父親のような古い考え方でこの新しい勢力に対すると却って新しい勢力が地盤を作ってしまう、と危惧している。ここでは、父親との対立は、新しい勢力への対処の違いである。秀麿にとって、留学時代の古き良き時代は遠い懐かしい過去になりつつある。電車で会った渡辺の「あつちにゐる間のやうに、あらゆる煩累の糸を切り放されて、空中に浮かんだ飛行船のやうな心持ちには、どうしてもなられませんなあ」というのは、秀麿や渡辺の、留学時代を頂点としているインテリ達の偽らざる感慨であろう。しかし、ただ危惧するだけで真剣な関心ではない。秀麿の言葉は何を意味しているかわからないようになっている。それは、鴎外が現実を具体的に認識できないからであり、それは具体的な意見を書くとどこでどんな問題になるとも知れないという用心から来る無能である。
 この作品では「かのように」と違って、秀麿は音楽会での上流社会にも溶け込めないでいる。藤棚の作りは人工的すぎて秀麿の趣味にあわず、貴い方々や美しい人たちを遠くから眺めている。秀麿にとってその世界は溶け込むことができないほど遠く貴く、憧れの世界である。秀麿は、その貴い世界とわずかながらも関係をもっている自分に満足している。
 秀麿は社会の秩序と云ふことを考へた。自由だの解放だのと云ふものは、皆現代人が在来の秩序を破らうとする意嚮の名である。そしてそれを新しい道徳だと云つてゐる。併し秩序は道徳を外に表現してゐるもので道徳自身ではない。秩序と云ふ外形の縛には、随分古くなつて、固くなつて、改まらなくてはならなくなる所も出来る。道徳自身から見れば、外形の秩序はなんでもない。さうは、云ふものゝ、秩序其物の価値も少くはない。秩序があつてこそ、社会は種々の不利な破壊力に抗抵して行くことが出来る。秩序を無用の抑圧だとして、無制限の自由で人生の階調が成り立つと思つてゐる人達は、人間の欲望の力を侮つてゐるのではあるまいか。余り楽天観に過ぎてゐるのではあるまいか。若し秩序を破り、重みをなくしてしまつたら、存外人生の階調の反対が現れて来はすまいか。人は天使でも獣でもない。Le malheur vent que qui vent faire l'ange feit la bete である。さう云ふ人達は秩序を破って、新しい道徳を得ようとしてゐるが、義務と克己となしに、道徳が成り立つだらうか。よしや欲望と欲望との均斉を纔かに保つことを得るとしても、それで人生の能事が畢るだらうか。人生にそれ以上の要求はないだらうか。只官能の受用を得る丈が人生の極致であらうか。さう云ふ人達は動もすれば自然に還れと云つてゐるが、その蓄へてゐて縦たうとしてゐる官能的欲望が、果して自然であらうか。その自然は此藤棚のやうになつた自然ではあるまいか。(p143)
 鴎外の頭は空虚である。愚かしい形式論議を本気で書いているらしい。この空虚な形式主義もやはり保身的な臆病が育てたものである。小理屈を並べて、現在の秩序を守るべきだと主張しているにすぎない。
 この上流の社会は秀麿にとってかけがえのない世界であり、自分を位置づける秩序である。秀麿はこの世界に溶け込むことはできないが、その世界が秩序としてあるからこそ、その世界に憧れ、自分がその世界の一部分であると感じ、その世界に接近できている幸福を感じることができる。この地位こそが、この世界に近づけない人間に対する優位の証である。自由や解放や道徳やその他どんな名前の思想であろうと、目の前にあるこの秩序を揺るがすことはむろんのこと、その秩序に疑問を持つことだけでも秀麿の人生にとって、価値観にとって本質的な危機である。自分が生涯をかけて努力し、ようやくその一部分となる名誉を得たその世界が今批判にさらされている。その秩序が崩壊することはないにしても、その秩序を至上としない価値観が広がればその世界を支えにしている秀麿の価値観は意味を失う。近寄りがたいその世界が社会の上にそびえ立つ事が自分の価値の証であり、その誰もが近づけるわけではない秩序の世界に自分がいることが秀麿の、そして鴎外の価値のすべてである。安楽でロマンチックな夢想の中に、それが今揺らぎ始めているという危機感が生まれている。

 槌一下(大正2年7月)

 大正二年ともなると、秀麿も上流気取りを楽しんでいる気分ではなくなっている。上流インテリにも新しい動きが出てきて、そちらにも色気を感じるし、上流世界でも不愉快なことが起こる。「帰つた当座はえらい学者になつて来たさうだと云ふ噂が、同族間に立つてゐたが、なんの為出来した事もなくて月日が立つうちに、うようよゐる若殿原の一人に数へられて、上流社会では特に人の注意を引かぬやうになつた。」とは上流階級に見切りをつけたかつけられたかの雰囲気があるし、日記の冒頭の「己も近頃は意外に交際が広くなつたので」という文章も明治時代の秀麿殿の言葉とは全く違う。こんな荒っぽい気分になったのにはわけがある。
 秀麿にとって上流社会と接することはこのうえなく名誉であり喜びである。高貴な人たちを駅で見送ることにさえ自分の地位の高さを感じる満足がある。「殊に地位の極高い人には蔭ながら敬意を表して、己は山を賑はす枯木の一本としてそれを送るのである。」という文章はほとんどゴーゴリの描く官僚のような素朴さが現れている。しかし、やはり日本では事態はゴーゴリ的にではなく鴎外的に進行する。
 ここには鴎外らしい細かに屈折した心理が描かれていて味わい深いので長い引用をしておこう。
 或る日さう云ふ人を送りに往つた時、こんな事があつた。其人は只一度食卓を共にして語を交へたことのある、高貴な方である。それが汽車の出るより早く停車場に着いて、休憩所に入られた。己は休憩所の外に立つてゐた。するとその人の前に進んで暇乞をするものがぽつぼつある。己は特別に入懇にせられたわけでもないので、差し控へてゐた。その時己の隣に己より身分の低い人が立つてゐて、己に「あなたもお暇乞をせられてはどうですか」と囁いた。「さあ」と云つて、己は躊躇した。なる程同じ身分のもので、暇乞に出たものも、それまでに二三人あつた。己は継子根性のやうに誤解せられたくは無い。そこでつひ暇乞をする気になつて、二三歩進み出た。忽ち一人の男が己の右の肩尖に手を掛けて押し戻しながら、「今日は一般の謁見はありません」と云つた。己は驚いて一歩下がつた。そしてその男と顔を見合せた。其男は知らぬ男である。併し或る団体の或る階級の服装をしてゐる。それを見れば、其男の高貴な方に対する関係は、略察することが出来るのである。
 これは子爵の若殿である秀麿ではなくて高級官僚鴎外である。鴎外は高貴な方々に対しては細心の気を配っている。高貴な方に少しでも近づきになることは名誉であるし自慢である、しかし失礼があってはならない。ここまでは保守的官僚として誰にでもある心理である。鴎外はここから一歩踏み込む。自分より身分の低い人に、「あなたもお暇乞をせられてはどうですか」とくすぐられて、身分の低い人との違いを意識して、さらに「己は継子根性のやうに誤解せられたくは無い」という、二重にひねくれた自尊心にも促されて、臆病な鴎外は暇乞いをする勇気を得た。この場面では、上流社会に対する卑屈さと下の身分に対する傲慢さの両方がちょうどいい具合に絡み合っている。臆病やら傲慢やら卑屈やらがうまく絡み合って、高貴な人に暇乞いをする勇気を得た瞬間に、鴎外は自分より身分の低いと思われる男に「今日は一般の謁見はありません」と言われた。高貴な人に心底遠慮していたのに、ねじれた自尊心からようやく臆病な勇気を奮い立たせたのに、身分の低い者に身分の低い者と同じに扱われたのだから鴎外が煮え立つのも当然である。事が身分の琴線に触れると、冷めた香茶を飲み干したり暖炉の前でため息をついて見せる秀麿とはまるで違って、不満やら憤懣やら口惜しさとも怒りともなんともたとえがたい感情と言葉が抑えがたく沸きだしてくる。
 己は自分の修養の足らぬことを告白しなくてはならない。己は一瞬間怒を発して其男と相対して立つてゐた。一般の謁見の無いことは己も知つてゐる。併し同じ身分のものが二三人出た跡である。そしてその二三人が特別の用務を帯ぴてゐなかつたことは、周囲の状況から判断することが出来る。己の出さうにした時、其男の拒んだのは、発車の時間が次第に近づいて来た為めもあらう。又暇乞に出る人数が余り多くなるのを憚つた為めもあらう。時間を斟酌し、人数を制限するのは、高貴な方の随員たる其男が、職務を執行する上に於いて、当然の事であらう。併しなぜ己の肩尖を衝いたか。己は高貴な方の前へ駆け寄りはしない。徐かに歩いてゐる。言語を以て抑留するに、十分の余裕がある。若しそれ間だるく思ふなら、なぜ己の前に立ち塞がらない。なんの必要があつて肩を衝いたか。
 これまでの秀麿と違って申し分なく具体的である。しかも全部嘘である。秀麿は高貴な方に対しては慎重な上にも慎重に行動している。ところが、その過ぎた用心深さが裏目に出て、自分が軽薄な行動をとったかのように扱われてしまった。心底卑屈に礼儀を尽した体面を軽く扱われて鴎外の自尊心が煮えたぎっているが、それを外に出すほど鴎外は率直ではない。だから、「なぜ己の肩尖を衝いたか」という、この一点が気に入らない「かのように」描いている。
 こうして話はあらゆる事態を考慮して事態の核心に入っていくようでありながら、妙な方向にずれていき、結局鴎外の内面世界に退いていく。
 己は告白しなくてはならない。それは己が其男と相対して立つてゐた瞬間に、二つの概念が己の写象の前を掠めて過ぎた事である。一つは「城鼠社狐」と云ふ概念であつた。これは漢文で書いた歴史を読ませられた時、己の意識の上に黏り附いた套語から出てゐる。今一つは「決闘」といふ概念であつた。これは西洋の本を読むやうになつた後に己の受けた印象から出てゐる。勿論侮辱とか復讐とか云ふことは、どの国にもあるが、功利主義の一時盛んになつた頃に人となつた己は、洋行した後に始て Point d'honneur などと云ふものに支配せられてゐる社会を、目のあたりに見て、やうく決闘と云ふものを自分の身辺に存在する事実として認めたのである。
 この小さな事件は、鴎外がなによりも大事にしている身分という逆鱗に触れたために、侮辱や復讐といった鴎外が持つもっとも強い感情を刺激している。身分こそ鴎外の価値観のすべてである。鴎外は「かのように」の秀麿のように上流社会に安住できる立場にいない。鴎外が身分をいかに重視しても身分は不安定である。上流的な気分を味わうこともあるが、その気分をぶち壊す機会の方が遥かに多い。暖炉の前で思索しながら、若くて美しい小間使いに崇拝されることにロマンチックに酔うのは、上流にに憧れる秀麿の夢想である。「今日は一般の謁見はありません」と制止されるだけで「なぜ己の肩尖を衝いたか」と屈折した感情に煮え立つのが、上流に憧れても上流になることができない秀麿の現実である。
 鴎外の怒りは、身分に関わる失態から逸れて、まず 「なぜ己の肩尖を衝いたか」というどう見ても身分の低い男に非がありそうな点に絞られ、さらに「城鼠社狐」という漢文の世界や洋行で知った「決闘」といった知識自慢の横道に逸れている。本をたくさん読んでいるというのはこの事件とは関わりのない毎度の話である。鴎外としては問題を深く掘り下げ、怒りを増幅しているつもりであるが、実際は臆病に現実の衝突を回避し、自分の怒りを歪めている。このようにして怒りを納める努力をしても、実際は問題を避けているだけであるから、怒りは内向して蓄積され、ゆがんだ自尊心をますます歪め、「かのように」で登場した上流的な秀麿から現実の鴎外に近づいている。
 併し己の肩を衝いた男と相対して立つてゐて、そんな事実が己の意識に上つたのは、真に一瞬間の事である。一体己は何事によらず、意志の第一発動を其儘行為として現したことが無い。これは怯儒かも知れない。若しこれに沈着と云ふやうな美徳の名を附けたら、それは文飾であらう。兎に角利害関係から見れば、己は此性質のために屈辱を甘んじ受けることが多い。そこで右の揚合にも、意志の第一発動はたわいもなく消えてしまつて、己は忽ち反省した。そして己の怒を発したのは、かの高貴な方に対して己の持つてゐなくてはならぬ尊敬が、まだ十分でなかつたのだと悟つた。(p149)
 身分の憤激を消すのは身分である。下の身分の者に対する怒りは上の身分の者に対する卑屈さで癒される。これはこの事件に限る事ではなく、上の身分との衝突は下の身分との衝突で解消され、下の身分の者との衝突は、身分の違いを思い知らせる事で、自分が上の身分の人々だけを相手にしているという軽蔑によって解消する。鴎外はこの葛藤の中で生きている。それは怯懦でもあり沈着でもある。怯懦が生み出す沈着である。しかし、意識に上るのが一瞬であるというのも、意志の第一発動がたわいもなく消えてしまったというのも事実ではない。鴎外はこの意識を蓄積し増幅しつつ一生意識し続けるし、屈辱を我慢する事は決してなかった。ただ身の安全のために「意志の第一発動を其儘行為として現したことが無い」だけで、復讐の為の機会を可能な限り追求した。小説もその手段であった。そして、怯懦な沈着は、陰険で執念深い冷酷さになった。
 
 己はさう思つてからは、二目と其男を顧みなかつた。
 そして幸な事には其男の顔が己の記憶の中から全く消えてしまつた。事によつたら今日互に名を知り合つて、語を交してゐる人達の中に、其男が交つてゐるかも知れない。そして其男は己を怯儒な人間として記憶してゐるかも知れない。併しそんな事はどうでも好い。
 これは鴎外の自尊心が傷つけられた時のいつもの対処である。こうしたことを鴎外は決して忘れなかった。「併しそんな事はどうでも好い」と書くほどであるから鴎外がこの事件をいかに根に持っているかがわかる。
 又或る日矢張目上の人を送りに往つた時、こんな事があつた。其人は顕要の地位に居る人である。それで平生心易く交際してゐても、今日のやうなはればれしい日になると、己は努めて近所に寄らずにゐる。己はけふも隅の方に立つてゐた。すると隣に或る皮肉家がゐて、己に囁いた。「どうだい。皆物欲しげな顔ばかりだなあ。」己はこれを聞いて只無意味に微笑した丈であつたが、実は心中に強い刺戟を受けた。此詞は魔の杖の如くに、己の周囲の紳士淑女を獣の姿にしたのである。なる程さう云はれてから見ると、どの男もどの女も、今日立つて行く人に何物をか求めてゐるらしく見える。それから己は自分を顧みて見た。実際今日立つて行く人には、まさか己を生かしたり殺したりすることは出来ぬが、少くも己を浮ばせたり己を沈ませたりすることは出来る。そして其人に睨まれたくないと云ふ情は、慥に己の心のどこかに潜んでゐる。して見れば、己も獣の群の中の獣である。己はむねが悪くなつた。このむねの悪い己の心持は、停車揚を出た後まで残つてゐた。(p150)
 鴎外は『己は継子根性のやうに誤解せられたくは無い』という自尊心をもっている。つまり身分の高い人に近づきたいのに、ひねくれて遠ざかるというのではなく、端的に率直に近づきたい。しかし、「物欲しげな顔」をして近づくのは自尊心が許さない。身分の低い者に対しても高い者に対しても感情は屈折している。近づきたいが近づきにくく、どのように近づけば安全で人格的かに細心の注意を払っている。これが鴎外の臆病であり用心深さであり、ゆがみであり陰気さであったが、鴎外にとってはそれがあらゆる弱点を排除した、人格的な独立的な心理の探求であった。鴎外にとって、「物欲しげな顔」を見せる事は我慢のならないことであっただろう。鴎外はエリスに対しても決して「物欲しげな顔」を出さなかった。上に対しても下に対しても「物欲しげな顔」をせずに物を手に入れようとした。鴎外にとって、物欲しげでなく、継子根性でもなく、何もほしがらず、何も望まない態度を保持したまま、尊敬され、愛され、取り立てられ、望む物を与えられる事が重要であった。それは非常に悪い欲しがり方であったが鴎外はよい欲しがりかただと思っていた。俗物的な、物欲しげな、下等な出世主義、二葉亭四迷の描いた昇のような下品な出世主義者ではなく、知的で上品で自尊心をもった、自分の実力と人格的な力だけで出世し、求めるのではなく、認められ求められて出世するのが、鴎外の求める形式であった。鴎外はこの価値観を貫いたが、それは鴎外の精神を冷酷にし、不誠実にし、偽善に満ちた二重性を生み出す事になった。用心深く臆病な鴎外は、自分の意思や欲望を表に出し、それが否定されることを恐れており、自己本保身の故に徹底的に妥協的であったが、表向きは非妥協性を貫いた。それが鴎外の妥協の形式である。彼の自尊心や臆病が自己の否定を恐れるために、非妥協性の形式をとって妥協を貫こうとした。そうした迂遠な方法は余計な問題を引き起こすだけであったが、鴎外にとってはそれが小説を描く情熱であり材料でもあった。
 「己の周囲の紳士淑女を獣の姿にした」のは鴎外のこの価値観である。彼らは獣ではないし、たとえ物欲しげな顔をしていたとしても、人格的に鴎外に劣るわけではない。しかし、鴎外は周囲の紳士淑女を獣と見、自分の中には「心のどこかに潜んでゐる」ことだけを認め、自分には物欲しげな顔はないと信じ、またないと主張し、そのことに自分の人格的な価値があると思っている。鴎外の精神には胸が悪くなるものがある。それはは、この「どこかに潜んでいる」獣の精神ではなく、自分の内部にある獣を軽蔑していると思っているその精神である。

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