『木精』 (明治43年1月) 

 これは「杯」と同じ主張を別の形式で描いた作品である。腹に何かを持っていて、それを遠回しに描き、しかも意地だけははっきりと示すやり方は寓意というより、底意地、うらみつらみ、負け惜しみというべきである。
 深山薄雪草が白い花を付けているところで、ブロンドのフランツが、山に向かってハルロオと呼ぶ、というのは詩的であるが内容はあまりにも俗世にまみれている。
 フランツは純朴で、木精を呼べば答えるものと信じていた、呼べば応えるのが嬉しかった。寓意で示すほどのことでもないが、寓意でなければ示されない事でもある。この木精が、父の手伝いのために暫く山にこなかった間に、ハルロオと呼んでも答えなくなった。自分が聞かなかっただけかと思ったがそうではなかった。木精は応えていない。これはどういうことだろう、とフランツは考える。自分の呼びかけが間違っているのではないか、という疑問を持つ能力はないほどに素朴である。
 フランツは雨に濡れるのも知らずに、じいつと考えている。余り不思議なので、夢ではないかとも思って見た。しかしどうも夢ではなさそうである。
 暫くしてフランツは何か思い付いたというような風で、「木精は死んだのだ」とつぶやいた。そしてぼんやり自分の住んでいる村の方へ引き返した。
 フランツは木精を素朴に信じて、木精が応えるのを当たり前の事としてハルロオと呼びかけてきた。自分は純朴のままである、だから、応えなくなったのは、木精のせいであろう。何が起こったか分からないが、死んだのであろう、と考える。まさか自分が死んでいるのではないかとは考えない。幸い、それは誤解であった。同じ日の夕方、木精を気に掛けていたフランツが再び山に行った時、木精の声が聞こえた。
 群れを離れてやはりじいっとして聞いているフランツが顔にも喜びが閃いた。それは木精の死なないことを知ったからである。
 フランツは何と思ってか、そのまま踵を旋らして、自分の住んでいる村の方へ帰った。
 歩きながらフランツはこんな事を考えた。あの子供達はどこから来たのだろう。麓の方に新しい村が出来て、遠い国から海を渡って来た人達がそこに住んでいるということだ。あれはおおかたその村の子供達だろう。あれが呼ぶハルロオには木精が答える。自分のハルロオに答えないので、木精が死んだかと思ったのは、間違であった。木精は死なない。しかしもう自分は呼ぶことは廃そう。こん度呼んで見たら、答えるかも知れないが、もう廃そう。
 何という無反省な負けじ魂であろう。こんな話ではなかった筈である。妻のヒステリーに耐えたし、新聞記者になぐられても自分は節度を守ったなどと偽善らしく自己弁護し、妻が催眠術をかけられたかもしれないと疑惑を公表するたぐいの作品で世間に呼びかけて、応えられなくなったのは、文壇や世間が死んだことだろうか。鴎外の呼びかけは、いつでも純真などと言えるものではなかった。世間は死んだものと思っていたら、「血色の好い丈夫さうな子供」には応えていたので死んでいるわけではなかった、死んでさえいなければそのうち自分を理解する事もあるだろう、よかったよかった、自分は誤解されても信頼を失わずに寛大に待ちつづければ、自分は自分のままで信頼されることがあるだろう、と書いている。そんな関係ではないであろう。これは寓意ではなくて嘘である。日清日露の戦争を経て、洋行帰りの保守的な官僚の自慢話は世間に受け入れられなくなったのであって、鴎外と社会の関係はブロンドのフランツと木精の話とは全然違っている。一度は反省してみせるが、その原因を考えると世間の方が死んでいたのかと思ったが、よくよく考えたら世間は死んだのではなくて、自分を理解できなくなっているだけで、生きているのならそのうち何とか理解力も出てくるだろうという話である。なんともひどい解釈である。
 こういううそで固めた解釈は寓意的な、はっきりしない形式でなければ描けない。これは反論されないための、自分を守るための、自分の主張をはっきりさせないための臆病な反撃である。

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