『こころ』ノート 先生と私 (一)〜(十)     先生と私(十一〜二十)


 先生と私 一

「私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。」
 
 この冒頭の文章は、作品の展開の全体を含んだ深い意味を持っている。先生も私も名前を持たない。個人も個性も表現されておらず、問題にされていない。先生個人の特徴を問題にしないことがまず宣言されて、そのことが二人の関係の特徴として静かに意味深く描写されている。
 私が先生と知り合いになったのは鎌倉である。東京で知り合うのとは違った、疎遠な、希薄な関係である。二人は暑中休暇で来ていた鎌倉で偶然に出会った。私は特に目的もなく友達に呼ばれて避暑に来た。友達は急に電報で国元に帰ることになり、私は、鎌倉に居っても可し、帰っても可い、という境遇で一人で鎌倉に取り残された。海には避暑にきた男や女が大勢来ていた。私は毎日海へ這入りに出掛けて、にぎやかな景色の中で愉快に過ごしていた。私はこの雑踏の中で先生を見つけた。


  先生と私 二
 
先生は一人の西洋人を伴れていた。西洋人が私の注意を惹いた。先生は目立たない人物で、印象はぼんやりしている。「どうもどこかで見た事のある顔のように思われてならなかった」。
 私は先生に特に興味を持ったのではない。「その時の私は屈托がないというよりむしろ無聊に苦しんでいた」。だから、時刻を見計らって出掛けた。先生は一人でやってきて一人で泳ぎだした。私は急に後が追いかけたくなって泳いだが、先生は妙な方向から岸の方へ帰りはじめた。陸に上がって掛茶屋に入ると、先生は入れ違いに外へ出て行った。先生と私は縁が薄く、接点がない。
 鴎外は自己を対象化した優れた人物を描いたが、漱石は優れない人物を描いた。無特徴の先生はその到達点である。鴎外が描く人物は、遠くから見ても、物陰に居てもに目立つほど優れている。将来が有望だとか、高位を得ているとか、語学が達者で、博識で、教養があって、同情深いとか冷たいほどに理性的であるとか、挙げればきりがないほど優れた特徴をもっている。しかし、先生には優れた特徴はなく、個性的でもなく、魅力的でもなく、明るくもなく、暗くもない。
 先生と私には、利害や趣味や性格の一致はない。先生には私の無聊を癒すための個性の面白さも楽しさもない。先生と私の出会いは偶然である。偶然以外の関係がないことが必然の内容である。特に重要なことは、出会いに思想的・普遍的な関心が関わらないことである。この時期の漱石は、普遍性に対する形式的な関心を否定しさっている。先生と知り合いになる可能性のある唯一人の「私」は、人間関係上の因果に苦しめられることも普遍性に対する関心もない、元気で自由な若者である。特に思想的関心から自由な若者である。「私」は普遍性に対する興味、思想に毒されていない。ただ、素直で、元気で真面目な青年である。
 漱石は「猫」以来の社会的な批判意識を、形式的な無思想として代助の生活とともに捨てた。日本のインテリ社会に広がっている普遍的精神、思想、道徳的精神等あらゆるものを徹底して否定し消し去ることが漱石の精神の流れであった。しかし、結果は無ではない。インテリ世界の価値観として現象的に、経験的に理解できるあらゆるものでないもの、それを先生は持っている。それが無特徴の特徴である。それが「こころ」である。
 あらゆる経験的なものを否定して、自己に沈み込むのは理性の力であり、先生は沈み込むべき自己を持っている。これは日本では非常に稀な精神なので、無特徴であるにもかかわらず先生は特徴的に見える。しかし、この特徴が何であるかは分からないものである。漱石はこの何であるかが分からないほどに深いものを掴んでいるか掴もうとしている。先生と私の出会いの描写にはそれを描こうとする漱石の自信と覚悟が見える。


先生と私 三

 私は、次の日は先生の顔を見たが、何も起こらなかった。先生はいつも一人で、一定の時刻に超然として来て、また超然と帰って行った。
 先生の眼鏡を拾って、「有難う」と一言交わした翌日、私は先生の後につづいて泳いだ。「私は自由と歓喜に充ちた筋肉を動かして海の中で躍り狂った。」私は泳ぐことが愉快であった。これから私と先生は懇意になった。私は、それから三日後に先生の宿を尋ねた。そこで、つきあいを持たない先生が外国人と近づきになったのは不思議なことだとか、外国人はもう鎌倉にいないことだとか、私が先生の顔をどこかで見たように思ったが先生は私と同じ感じを持っていないことなど、を話した。
 私は一種の失望を感じた。私と先生の懇意とはこんなものである。失望が懇意の内容である。
 先生は非社交的で、私に対しても消極的である。しかし、私は先生の消極性に素直に失望を感じるものの、そこに特別の関心を持つわけでもなく、先生の消極性と自分の失望を自然に受け入れて親しんでいる。非社交的で消極的に見えるものが何であるかはまだ分からないが、私は失望を感じながらもそれを自分に対する消極性とも否定性とも感じていない。実際はそれは先生の深刻な積極性の特徴である。先生はむしろ情熱的で積極的な精神をもっている。私は、先生の非社交的な態度にもかかわらず、そのままの形でそこに含まれる内容を感じとり受け入れる力を持っている。先生の二重性を深刻に感じ取らないのが私の素直さであり精神の力である。


先生と私 四

 先生は懇意になったつもりであった私の気持ちをよく失望させた。先生は理解されること期待していなかったし、自分でも自分を理解できなかった。先生はどうしても理解しなければならない自己を抱え込んでいた。それ以外の自己にも他人にも関心を持たなくなり、表面的な偶然的な事柄によって懇意になることはできなくなっていた。
 私は失望しながら、何かが目の前に現れるだろうと思っていた。私は、先生が懇意にならないのは、それが現れないからで、自分が先生から嫌われているのではない、と単純に先生を信頼している。先生が懇意にならなかったのは、私を否定していたからではなく、自分自身を否定していたからである。
 私が先生の精神に直接に深刻な関心を持っていたなら、先生は決して懇意にならなかっただろうし、私も先生を理解することはできなかっただろう。私は何かが目の前に現れるだろうと思っていたが、それをそこに見つけようとしておらず、自然に現れるのを待つともなく期待している。
 私は東京に帰ると鎌倉に居た時の気分が薄れた。大都会の日常に紛れて先生のことを忘れた。東京の生活に慣れて飽きて気分が弛んできて、何か不足を感じはじめた時、先生を思い出した。私はまず現実世界に接触して生きており、その上で自分の現実から離れたところにいる先生を懐かしく感じている。先生を理解するとは、この両者を繋ぐことである。私が若々しく、明るく、現実にまみれていることは、先生を理解するための重要な条件である。普遍性に対する直接的な関心を持っている場合は、先生の精神は尊敬され肯定されても非現実化される。漱石が私の精神の現実性を重視するのは、日本のインテリ世界での普遍性に対する直接的な関心を現実から遊離した偏見だと思っているからである。
 先生は、非社交的でつきあいがなく、大抵宅に居ると、私は聞いていた。しかし、私が先生を訪ねた時二度とも留守であった。これは先生らしくなく、また先生らしく、先生を理解するための新しい現象、現実である。こうした現象が私の好奇心を揺り動かす。非社交的で、自分を閉ざしている先生がこうした矛盾によって自分の姿を表しているからである。


 先生と私 五
 
 私の好奇心は意外な形で報われた。私が先生にふいに出会って声を掛けた時、先生は突然立ち止まって、「何うして……、何うして……」と、異様な調子でくり返した。先生は、私に会って懐かしむのでも喜ぶのでも、冷静に穏やかに応えるのでもなかった。先生の声は沈んでいた。表情には一種の曇があった。これは何を意味するのだろうか。
 先生はさらに、
 「誰の墓へ参りに行ったか、妻が其人の名を云ひましたか」と聞いて、言わなかったと知って得心したらしかった。「何うして…、何うして…」という異様な調子も、私が突然会いに来たことにではなく、奥さんにかかわるものらしい。
 先生は孤独で静かで淋しく、理解し難く、いつもより口数を利かなかった。しかし、私はこういう先生に窮屈を感じていない。先生が毎月参っている墓は、自分の宅の墓ではなかった、親類の墓でもなかった。先生は一町程歩いたあと、「あすこには私の友達の墓があるんです」と言った。先生が友達の墓に毎月参ることも、先生の淋しさと関係があるらしく見える。先生の抱える問題は深くて複雑で、ある一つの大きな矛盾によって理解できるようなものではなく、細かな矛盾の連続の全体によってのみ理解できる。


 先生と私 六

 私が時々先生を訪問するようになっても、先生との関係は変わらなかった。先生は近づくことのできない何かをもった淋しい人のままであった。漱石はこの淋しい先生について、
 
 「人間を愛し得る人、愛せずにはいられない人、それでいて自分の懐に入ろうとするものを、手をひろげて抱き締める事のできない人、――これが先生であった。」
 
 と書いている。漱石はこの作品では、愛し得る人物を描くことができると思ったのだろう。愛し得る人、愛せずにはいられない人でなければ本当に淋しい人間ではない。漱石はこれまでに、愛情を持てない人物を描いてきた。この時漱石は、愛し得る人、愛せずにはいられない人が、日本の社会ではどうしてもそうした運命を辿るものであることを理解したのであろう。
 先生は静かで淋しいだけでなかった「変な曇りが其顔を横切る事があった。」私はそれを雑司ヶ谷の墓地で、ふいに先生を呼びかけた時に認めた。私は忘れていたこの曇りを、墓参に伴れて行って下さい、と言った時に再び認めた。そこには微かな不安らしいものも認められた。
 「私はあなたに話す事のできないある理由があって、他といっしょにあすこへ墓参りには行きたくないのです。自分の妻さえまだ伴れて行った事がないのです」
 先生の曇り、不安の正体も、墓参りに一人で行く理由も分からない。しかし、このはっきりした言葉から、先生が淋しい、孤独な、弱い人ではなく、何か強い意志を持った、激しい気性の人であることがわかる。先生は、強い愛情を持つことのできる人である。


 先生と私 七
 
 私は先生と懇意になるにつれて先生を不思議に思うことがある。しかし、私はその不思議をいつも其儘にして打ち過ぎた。漱石は、私をそのように描いている。不思議に思うことがあっても、そのことに興味を持つことなく、研究する好奇心も持たなかった私だから、私は先生と人間らしい交際ができた。「もし私の好奇心が幾分でも先生の心に向かって研究的に働き掛けたなら、二人の間を繋ぐ同情の糸は、何の容赦もなくその時ふつりと切れてしまったろう。」と漱石は書いている。先生と私の出会いの描写でもっとも難しく、漱石が細心の注意を払って描いて来たのはこのことである。
 先生は「冷たい眼で研究されるのを絶えず恐れていた」。暖かい眼で研究することはできない。研究すること自体が冷たい眼である。私は、研究する興味を持たず冷たい眼を持たなかった。人間らしい暖かいこころを持っていた。そういう青年にだけ先生は自分の精神を伝えることができる。
 研究する好奇心を持たないこと、冷たい眼を持たないこと、暖かいこころを持つこと、これは心の持ちかたの問題ではない。現実認識、社会認識、人間認識という精神の内容の問題である。だから、「私」の精神を想定し創造して描くことは非常に難しい。漱石の長年の研究だけがこの「私」を生み出すことができる。「私」は、素朴で無関心で無知な青年ではない。「私」は、普遍的な、現実的な、広い精神を持つ、かつて描かれたことがなく、その後理解されたこともない青年である。
 研究的な好奇心を持つこと自体が冷たい眼を持つことになるのは、日本の社会に生れている研究的な精神によっては先生を理解できないからである。先生は奥深いどこかに自分のこころを押し込めている。そのために非社交的である。自分の特徴を外に出さないし、表に出す特徴を持っていない。その先生の「こころ」が、時々小さな矛盾を生み出して表に出てくる。その一つ一つの矛盾に興味を持ち、好奇心を持ち、その矛盾によって先生を肯定的にか否定的にか評価し先生に近づく時、先生との関係は切れる。先生の矛盾は余りにも深く広く、僅かの矛盾によってその全体象理解することはできない。自分の苦悩の深さと複雑さを経験的に理解している先生は、自分が理解されないことを理解しており、その深刻さのために、自分でもまだ自分のこころを理解できないでいる。先生のこころは、日本の社会的人間関係の中で創られ、その社会的人間関係と精神を否定することで、その中では決して理解されない内容を持つことになった。そのことを先生は経験的に理解している。だから、先生を理解するためには、表に現れる多くの矛盾をありのままに受け入れて、その矛盾の全体の関係を先生の精神として理解しなければならない。先生が生み出す矛盾のすべてが、先生のこころの形成過程でもある。だから、先生が生み出す矛盾の一つ一つにこだわらない広い精神をもっていなければ、どんなに先生に同情的で、どんなに熱心で、どんなに真面目で、どんなに理解を希望していても決して理解できない。それは意志や意図にかかわりなく一面的な好奇心になり、冷たい眼になる。そして、これこそが日本の社会で克服されねばならない精神であり、先生と私の精神は、日本の社会ではまだ生み出されていない、漱石がこれから生み出さねばならないと考えている精神である。だから、先生と私の精神と関係は、日本の社会が生み出す精神と関係の全体と深刻な対立関係にあり、そのために、多くの国民の関心を引きつけている。
 
 「あなたは何でそうたびたび私のようなものの宅へやって来るのですか」
 「何でといって、そんな特別な意味はありません。――しかしお邪魔なんですか」
 「邪魔だとはいいません」
 
 先生には、私が何故来るのか分からない。私と先生との関係に利害はない。私は、先生の特定の矛盾、特定の特徴に興味をもっているのでもない。淋しくて風変わりな先生を研究するためでもなく、その淋しくて風変わりなところが面白いのでもない。来ることに特別の意味はない。先生は私に対して特別に親切に、懇意に接しているわけではない。それは自分を偽ることであるから先生にはできない。その淋しく風変わりで理解し難く自分を閉ざしている先生をそのまま受け入れて、なんの疑問ももたずに会いに来るのは何故なのか、先生には分からない。本当に分からないから懇意にしている。何か個別の興味をもって近づいてくる場合は、先生は警戒し、拒否するだろう。私自身にも、なぜ来るのか分からない。先生にも私にも、何故お互いに懇意になっているのかわからない。淋しく風変わりな先生も、それに特別の興味を示さない私も、二人の関係も、日本の社会にはありそうもない精神であり関係である。そして、これを理解し超えていかねば信頼関係を生み出すことができないような精神であり関係である。
 先生には同級生との交際もあるが、私程に親しみをもっていない。親しみをもっているのは、何故来るのかわからない私だけである。
 
 「私は淋しい人間です」と先生がいった。「だからあなたの来て下さる事を喜んでいます。だからなぜそうたびたび来るのかといって聞いたのです」
 「そりゃまたなぜです」
 私がこう聞き返した時、先生は何とも答えなかった。ただ私の顔を見て「あなたは幾歳ですか」といった。
 この問答は私にとってすこぶる不得要領のものであったが、私はその時底まで押さずに帰ってしまった。しかもそれから四日と経たないうちにまた先生を訪問した。先生は座敷へ出るや否や笑い出した。
 「また来ましたね」といった。
 「ええ来ました」といって自分も笑った。
 
 この不得要領の問答は二人の深い信頼関係をよく表現している。日本の社会になくてはならず、しかも存在しない信頼関係である。先生は淋しい人間だから私との交際を喜んでいる。しかし、懇意にできるのは、なぜたびたび来るのか分からない人間だけである。先生は懇意になるためのものを何も持たないから私が何故来るのかわからない。私はそれでもいいから来るだけである。このときの不得要領な問答についても、私は底まで押さずに帰っている。そして、理由もなくまた訪ねている。「また来ましたね」、「ええ来ました」というだけで、なぜ来たのかお互いにわからないし、それを明かにしようともしていない。この共通の精神によって二人は信頼しあい、懇意になっている。日本の社会が生み出すあらゆる信頼関係と精神を否定した、あるなんらかの関係と精神がここに生れようとしている。漱石もこれまでの長い作品の系列の結果、ようやく漱石らしい信頼関係をこのように描くことができた。漱石が持つ矛盾が生み出す、しみじみと深い精神であり関係である。
 先生はここでは、「私」が淋しい人間だから来るのではないか、淋しい人間だから動いて何かにぶつかりたいのではないか、と解釈している。しかし、私は、「私はちっとも淋しくはありません」と答えている。実際私は淋しい人間ではないし、淋しいから来るのではない。淋しいから来ると思っているのは、先生にもまだ自分と私の関係が理解できていないからである。
 先生は、私が淋しいから来ると否定的に解釈しているために、「私にはあなたのためにその淋しさを根元から引き抜いて上げるだけの力がないんだから」「今に私の宅の方へは足が向かなくなります」と自分と私との関係がこれ以上深まることなく離れていくと考えている。「その淋しさを根元から引き抜いて上げるだけの力がない」というのは、先生は自己を否定するだけで、私に与えるべき肯定的な精神の力がないと考えているからである。しかし、そうはならないし、そうはならなかった。それは、すでにこれまでの描写にも現れている。淋しい自己否定的な先生だけが生み出すことのできる信頼関係と肯定的な精神があり、「私」は唯一それを受け入れることの出来る青年であり、先生は私との関係で肯定的精神を創り出すことができるからである。ただ、先生はまだその精神と関係を創り出していない。
 

先生と私 八 

 「珍らしい事。私に呑めとおっしゃった事は滅多にないのにね」
 「お前は嫌いだからさ。しかし稀には飲むといいよ。好い心持になるよ」
 「ちっともならないわ。苦しいぎりで。でもあなたは大変ご愉快そうね、少しご酒を召し上がると」
 「時によると大変愉快になる。しかしいつでもというわけにはいかない」
 「今夜はいかがです」
 「今夜は好い心持だね」
 「これから毎晩少しずつ召し上がると宜ござんすよ」
 「そうはいかない」
 「召し上がって下さいよ。その方が淋しくなくって好いから」
 
 私は、先生の奥さんに、ただ美しい人という印象を受けた。先生と奥さんの会話には、お互いを気づかう優しい関係がよく出ている。しかし、淋しい夫婦だった。


先生と私 九

 先生と奥さんは淋しい夫婦だった。しかし、仲のいい夫婦だった。先生は優しく奥さんは素直で、二人で音楽会や芝居に行き、二人で旅にも出た。
 私はこの仲のいい夫婦のいさかいを一度だけ聞いた。奥さんは泣いている様であった。
 
 「妻が私を誤解するのです。それを誤解だといって聞かせても承知しないのです。つい腹を立てたのです」
 「どんなに先生を誤解なさるんですか」
 先生は私のこの問いに答えようとはしなかった。
 「妻が考えているような人間なら、私だってこんなに苦しんでいやしない」
 先生がどんなに苦しんでいるか、これも私には想像の及ばない問題であった。
 
 奥さんは先生をどんなに誤解するのか。奥さんは先生を誤解して、先生はその誤解を解くことができないようである。先生はどんなことを苦しんでいるのか。淋しくて仲のいい夫婦というのはどういう関係でどういう精神なのか。


先生と私 十

 先生と奥さんが口論をしたのは、奥さんが先生を誤解するからである。先生は奥さんの誤解を解くことができずに、怒ったまま家を出てきた。そして先生は、「怒って出たから妻はさぞ心配をしているだろう。」と奥さんを気遣っている。そして、先生は、奥さんは先生より他に頼るものがいないから可哀相だ、と説明し、さらに、奥さんを可哀相に思う先生の方は、どう見えるか、強い人に見えるか、弱い人に見えるか、私に問いかけている。この(十)は誤解の最初の大雑把な説明である。
 奥さんには先生以外に頼る者がいないが、先生はどうか。先生にも奥さん以外に頼る者はいない。この点は奥さんと同じである。そんな先生が強く見えるか弱く見えるか、という先生の問いに、私は「中くらいに見える」と答えている。先生の質問には含まれていない、直感的に深い理解で、漱石の理解力が投影されている。先生は中間的で、強くもあり弱くもある。
 先生は奥さん以上に頼る者はいない。先生は、奥さんしか頼る者がいないだけでなく、自己自身を否定しているから、自己を頼ることもできない。だから非常に弱い自己である。しかし、自己を徹底して否定しているのは自己であり、また自己否定は自己確信でもある。自己否定において自立しており、他に頼ることなく独立しているのだから、強くもある。強いか弱いかという形式規定では先生の精神には届かない。先生は、現象的に見て弱いところもあり強いところもあり、一つの現象が弱くも見えるし強くも見える。強いと見ることもできないし弱いと見ることもできない。強いて言えば中間くらいに見える。
 
 「もう遅いから早く帰りたまえ。私も早く帰ってやるんだから、妻君のために」
 
 という先生の言葉に私は強い印象を受けている。こんな言葉は日本では聴くことはできないが、実は日本らしい深刻な内容を持っている。先生は奥さんのためにこころを遣っている。先生にとって奥さんが何よりも誰よりも大事で、先生がすべての心遣いを奥さんにむけていることがこの言葉に現れている。そして、この言葉に先生と奥さんの間の誤解の意味を微かに窺い知ることができる。先生のこの言葉には、自分自身の肯定、自分の欲望、自分の喜びがなく、妻のためというやさしい愛情が全面に出ている。先生の自己は否定されている。先生は自分の欲望や意志やすべての精神を否定して、自己に価値がないと考えている。先生を愛している奥さんにとっては、これが淋しい。先生にとっても自己否定は淋しい。先生を愛している奥さんは、先生が楽しくしているのが一番うれしく、自分の幸福である。自分のためにこころを配ってくれることは分かっているが、だからこそ、何よりも、先生自身が楽しくしていることを願っている。奥さんもまた先生のことに第一に心を配っている。こうして淋しい、愛し合う夫婦ができあがっている。
 
 先生と奥さんの間に起こった波瀾は、愛情を壊すものではなく、信頼関係を壊すものでなく、愛情と信頼をより深くするものである。だから、波瀾が関係を破壊することはないという意味では結局大したことではない。また波瀾は滅多に起こるものでもない。そして、先生も奥さんもお互いを一番大事に思っており、お互い以外に大事な人間関係を持たないし必要としていない。そのことをお互いに理解している。だから先生は、「私たちは最も幸福に生れた人間の一対であるべき筈です」という。私はこの言葉に不審を持っている。先生は幸福なのか、幸福でないのか。この新たな問題もまた葬られてしまった。
 先生と奥さんは愛し合っており、幸福である。これほど幸福な夫婦は、日本では例外的であろう。しかし、淋しい夫婦で、幸福である筈の夫婦である。幸福でないのではない。二人の間には断絶がある。なにか判らない断絶があり、それが二人を苦しめている。そして、この断絶と苦しみが二人を深く結びつけている。だから断絶ではないのにそれを断絶だと思うのが奥さんの誤解であるが、先生はそれが断絶ではないことを説明できないし理解もできていないし、したがって断絶をなくすことができておらず、断絶が存在する。だから、波瀾は大したことでないのではなく、非常に重要なを持っている。先生と奥さんにとっても日本の歴史にとっても。


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