『こころ』ノート  先生と私 (二十一)〜(三十六)  (一)〜(十)  (十一)〜(二十) 両親と私 (一〜一八)


 先生と私 二一

 私は、田舎に帰る事になった。漱石はここで一息入れている。これまでに基本的な問題を描いてしまったから。それに、問題に区切りをつけておきたかったのだろう。


 先生と私 二二

 私は父親の病状が心配で田舎に帰った。父親は、翌日から床を上げた。父親は私が学校の家業を放り出して、休み前に帰って来たことが大きな満足であった。
 ここには、父の病状に対する心配があり、その心配に対する満足があり、お互いの愛情があり気遣いがある。しかし、それがすべてである。ここには、こういうものの一切を否定するなにか不明な精神世界がない。それを持っている先生に対する心配や愛情や信頼や気遣いは、その不明な世界との関係をもっている。しかし、田舎の精神にはその不明な世界との関係がない。だから、素朴で単純である。


 先生と私 二三
 
 父と先生は世間的に見ればよく似ている。両方とも目立たないおとなしい人物で、他に認められる点では零である。しかし、先生は、将棋を差したがる父と違って、歓楽の交際から出る親しみを期待する事がまったくできないにもかかわらず、私の心臓の血潮の奥の鼓動に触れるものをもっていた。私に何も与える事ができない、と言う先生は、私の肉の中に食い込む精神を持っている。それは経験的意識の中には見つける事のできない普遍的精神である。先生は具体的な普遍的精神を得たわけではなく、私に与えているわけではないが、普遍的精神を求める世界にいる。それが私をとらえている。普遍的精神は無限的で、飽きることはない。
 私が田舎に帰ってしばらくすると、両親にとっても私は陳腐になる。田舎の日常生活は私には退屈になっている。「私は国へ帰るたびに、父にも母にも解らない変な所を東京から持つて帰つた。」これは、都会で経験的な意識の中にも生れてくる普遍的精神である。先生はそれを取り出して純化した世界に進もうとしている。その精神は都会と田舎を引き離す。私は東京に帰りたくなる。精神のこの傾向は一度生れたら抑える事はできないものである。


 先生と私 二四

 先生は「死」について考えている。それ以上のことは書いていない。ここで一歩踏み込むのは偏見か無理解である。


 先生と私 二五

 卒業論文に取り組む様子からすると、私は真面目で優秀な学生である。「練り上げた思想を系統的に纏める手数を省くために」とあるから、「私の選択した問題は先生の専門と縁故の近い」思想に関わるものであるらしい。
 先生は、知識を与えてくれた上に書物を貸してくれたが、内容については指導しようとしなかった。先生は「非常の読書家であつた」が、今は書物に興味を持たなくなった。「いくら本を読んでもそれほどえらくならないと思ふ」ようになったからである。しかし、先生は、学者や学問を批判していない。「世間に背を向けた人の非難がましい態度」を取れないほどに批判は深刻になっている。私はそのことを理解できないので、この態度を「偉い」とも思わなかった。
 漱石は、多くの読書と経験の後に、西洋の学問から窺い知る事のできない、日本の社会に生れる独自の精神に気づき、それを批判的に理解するという課題を得ていた。明治社会に生れている日本の社会的精神はどんな姿をしているのかを理解しなければならない。日本の社会に生れている精神が何であり、どうなるのかは、書物には書かれていない。そのことに日本の学者は気づいていないし、関心を持っていない。いまだに書物の世界だけに興味を持っている。その世界に先生は興味を持たなくなった。批判しなくなったのは、批判しても決して理解されないからであり、批判するよりその精神を独自に研究する事を課題にしているからであり、それがまだ明らかでないからであり、それを明かにする事だけが本当の批判だからである。先生には漱石のこの精神が投影されている。


 先生と私 二六

 私は自由になった。義務としての学問の課題をやりこなして「私はすぐ先生の家へ行つた。」世間的な義務から自由になったところから先生の世界が始まる。その義務としての学問は先生に近い思想を扱ったものであったし、私は「自分の論文に対して充分の自信と満足をもっていた」からいっそう先生の世界に近づいたと感じていた。
 しかし、先生は大学の学問に対してと同様に私の学問にも関心をもたなかった。自由な気力に満ちていた私は、先生の態度を暗い消極的な態度だとみて、先生の態度に逆襲し、先生に生命を吹き込むために、先生を外に誘い出した。私は芝笛を鳴らすことが上手であった。「私が得意にそれを吹きつづけると、先生は知らん顔をしてよそを向いて歩いた。」


先生と私 二七

 私は、先生が私の学問の内容に関心を持たなかったことに多少失望した。しかし、先生のこの態度は批判を控えている点でむしろ社交的であったし、先生は私の努力を認めていた。それはこの後の対応でわかる。私はまだ先生の精神世界にはまだ一歩も踏み込んでいない。先生の精神世界に接近し、十分な信頼関係を築いた後、そして、真面目な学問的な努力の後に、漸く私はそのことを思い知る機会を得た。それが先生を知る本当の第一歩である。
 先生と私が初めて声を交わしたのは、先生が眼鏡を落としたときだった。この時はまったくの偶然であった。先生と私の会話が新しい世界に踏み込むのは、先生が帽子を落とした時からである。これは、先生の信頼を得た時である。帽子を受け取った先生は変な事を私に聞いた。
 
 「突然だが、君の家には財産が余程あるんですか。」
 
 先生は比較的裕福な生活をしていた。私は、先生がどうして遊んで暮らして行けるのかと疑問を持った事があるが、そんな質問はぶしつけだと思って先生の暮らし向きについて聞いた事はなかった。私の関心は先生の精神にあったからである。ところが、私が先生の精神に近い課題を卒業論文に選んで、高揚した気分で先生を連れ出したとき、先生は突然、あるいは漸く、財産の話をはじめた。
 
 「これでも元は財産家なんだがなあ」
 「これでも元は財産家なんですよ、君」
 
 漱石のこれまでの作品の必然的な成果であるとは言え、あまりにも大胆なこの言葉に私は答える事が出来なかった。世間的な関心をまったく失って、普遍的精神の世界に住んでいると思われる先生が、財産を問題にするというのはどういう関心からであるかがまったく理解できないからである。
 このことについて、漱石はわざわざ説明している。それは、漱石がみた日本の現状においては、この言葉の意味が理解される可能性がないからである。
 
 私は先生が私のうちの財産を聞いたり、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない私は無論そこに気が付くはずがなかった。
 
 財産や病気についての話が、普通の談話でないことを、つまり先生の精神世界の話であることを理解することは非常に難しい。
 


 先生と私 二八
 
 先生はまず、財産の始末を付けておいた方がいいと、ごく一般的な話をしている。私にはせいぜい無意味な注意としか思えなかったが、高揚した気分にとってはあまりに実際的な話なので驚いた。しかし、年長者に対する敬意から、そのことは口に出さなかった。私が先生の言葉の意味を理解できるはずがなかった。
 先生は、私の御父さんが亡くなることを予想しているかのような言い方については「許して呉れ玉へ」と謝った。しかし、「先生の口気は珍しく苦々しかった。」先生の言いたいのはこのことではない。私は先生の口気の苦々しさには気づいたが、その意味を理解することはできず、先生が実際的な話をすることに不満をもったことについて、「そんな事をちっとも気に掛けちゃいません」と弁解したが、先生はそれには構わず、さらに一歩踏み込んでいる。
 先生は家族や親類のことを尋ねた。それがいい人かどうか、を尋ねた。田舎者だから悪い者はいないようですと答えると、「田舎者は何故悪くないんですか」とさらに追求してきた。そして、平生はみんな善人で普通の人間であるが、いざという間際に急に悪人に変わる、などとあまりにも平凡で通俗的な話に踏み込んで、此処で途切れる様子もなく、さらにこんな話を進めるようであった。先生は何を目的に、どんな興味をもってこんな実際的で通俗的な、学問や思想の世界にいる先生には似つかわしくない話を、しかもどこまで続けていくつもりなのかまったく理解できなかった。
 私は、特に興味もなく、聴きたくもなく、先生らしくもない話を中断させるために、何か言おうとした。すると、偶然後ろの方で犬が急に吠えだして、子供が駆けてきて犬を叱りつけたために先生の話は中断した。子供は、犬を叱っただけでなく、先生に軽い注意を与えた。
 
 「叔父さん、はいって来る時、家に誰もいなかったかい」と聞いた。
 「誰もいなかったよ」
 「姉さんやおっかさんが勝手の方にいたのに」
 「そうか、いたのかい」
 「ああ。叔父さん、今日はって、断ってはいって来ると好かったのに」
 
 漱石は、先生の話が核心に触れようとするところで中断している。先生の話は大学の学者先生でも言わない程に通俗的である。しかし、これこそが漱石が発見した思想の核心であり、ここから、ここを経由して、ここを離れずに普遍性の世界に飛躍しなければならない。そのことを、私も読者もゆっくり考えなければならない。この通俗的に見える話は、『猫』以来の漱石の追求の成果である。そして、それは非常に深刻で複雑であるから、簡単に説明できるものではないし、理解できるものではない。真剣にかみしめて、中断しつつ、じっくり考えなければならない。初期の漱石が考えていた様に、普遍性の世界に一気に飛躍する事は精神が現実的な内容を失う事である。ここでは、どうしても犬を叱る子供の軽い注意が必要である。
 
 「今斥候長になってるところなんだよ」
 小供はこう断って、躑躅の間を下の方へ駈け下りて行った。犬も尻尾を高く巻いて小供の後を追い掛けた。
 
 先生の話を中断させてくれた現実は、こうしてまた自分の世界に戻って云った。ここから再び先生は普遍性の世界に踏み込んでいく。


先生と私 二九 

 先生との談話は、犬と子供のために中断して要領を得ないでしまった。先生の談話が要領を得ないと感じ取るのは非常に難しい。経験的な意識にとっては、ごく当たり前の、誰でも知っている、分かりやすい内容だからである。私に先生の談話が要領を得なかったのは、先生の談話に求めていたものがそこになかったからである。先生が、私の頭の中になかったことを話はじめたからである。普遍的精神に関心をもっていた高揚した私の気分は、利害の念などまるで頭に持っていなかった。金の問題が遠くの方に見えた。しかし、金の問題が遠くの方に見える場合は普遍的精神もまた遠い世界である。
 それでも私は、先生の談話の中で「人間がいざといふ間際に、誰でも悪人になるといふ言葉の意味」にひっかかることができた。ここで漱石は、私の精神レベルを非常に高く想定していて、「単なる言葉としては、これだけでも私に解らない事はなかった。しかし私はこの句についてもっと知りたかった。」と書いている。
 この句についてもっと知る、とはどういうことであろうか。私はこの言葉の「意味」を問題にしている。「人間がいざといふ間際に、誰でも悪人になる」という言葉の意味を、人間がどんな間際に、どんな悪人になるのか、その具体的な実例を知りたい、というのなら、経験的な意識による興味である。私はずっとそうした興味を持たなかった。だから、私はこの場合でも、この言葉、この句に何か自分の知らない普遍的な意味があるのではないか、と考え、知りたがっている。
 日が暮れてきて、帰らなければならなくなった。漱石はここでも間を空けている。一日に一つか二つの内容をだけを書くように配慮しているようである。
 しかし、私はついに勇気を出して、「人間がいざといふ間際に、誰でも悪人になる」というのはどういう意味か、と先生に聞いた。すると、先生は深い意味はなくて、単なる事実だ、と説明している。これは私の求める説明ではない。だから私は、「私の伺ひたいのは、いざといふ間際といふ意味なんです。一体何んな場合を指すのですか」と質問している。すると、
 
 先生は笑い出した。あたかも時機の過ぎた今、もう熱心に説明する張合いがないといった風に。
 
 先生はもう説明する気をなくしている。いざという間際がどんな場合を指すのか、というのは、非常に難しい問題で、ここに肝腎な内容が含まれている。先生はすべてを一挙に説明しようとしていない。だからまたじらしている。「金さ君。金を見ると、どんな君子でもすぐ悪人になるのさ」。
 この返事はあまりに平凡すぎて詰まらない。私は拍子抜けがして、腹を立てた。すると、
 先生は、「そら見給へ」といった。「君の気分だつて、私の返事一つですぐ変るぢやないか」。と。
 ここに答が含まれているとも言える。じっさい、人間の気分は返事一つで変わる。まして、地位や財産に関わるとすべての人間がそれによって変化する。いざという間際というのは、実は特定できないものである。すべての場合がいざという間際である。


 先生と私 三〇
 
 高揚した気分で先生を訪問し、散歩に誘い出した私は、まるで見当違いの話をする先生に腹を立てている。このへんはずっと先生と私のすれ違いと対立を描いているが、これも二人の信頼関係の描写である。私は先生に普遍的精神を求めている。先生はそれを理解して、一歩踏み込んで普遍的精神の話をしている。しかし、私にはそれが普遍的精神の内容の話であることが理解できない。そして、そのことを先生は理解できる。先生は、私が腹を立てていることは、普遍的精神に対する関心の真面目さでもあることを理解している。先生は私の腹立ちを理解しながら、自分の話を進めている。
 私は先生に反撃したくなった。そして、先生が「いざととふ間際に、急に悪人に変る」と言った時に昂奮したことを突いた。話の内容とは関わりがないが、いつも世間から遠い思想の世界に居るはずの先生が、世間とのかかわりで興奮したことが先生としては矛盾ではないか、先生らしくなかったのではないか、と思われたからである。これは私ばかりでなく読者も感じることであろうし、漱石も意図して描いたものである。この質問は先生の痛いところを突いた手応えがあったようにも思えたが、的外れのようにも感じた。
 ここで漱石は、先生が「いきなり道の端へ寄つて」小便をした、と書いて、「私は先生が用を足す間ぼんやり其所に立つてゐた。」と書いている。漱石がどうしてこんなことをわざわざ書くのかが昔はわからなかった。
 先生が小便をしてちょっと間を外したために、「私はとうとう先生をやり込める事を断念した。」そして、「先生が突然そこへ後戻りをした時、私は実際それを忘れていた。」先生が興奮したことは、非常に重要なことであった。私は、そこを突いたが、それが重要なことであるかどうかを理解してのことではない。現象として先生らしくなかったために、痛いところを突いたかもしれない、と思っただけである。だから、先生が小便をしただけで、そのことを忘れてしまう。読者も同じであろう。このことは、それ自体としてはそれほど重大にも見えず、執着するべきほどのことに見えない。しかし、漱石と先生はそれが非常に重要なことであり、その重要性を理解することが難しいことを理解しているので、こうしてゆっくり問題にしている。
 
 「いや見えても構わない。実際昂奮するんだから。私は財産の事をいうときっと昂奮するんです。君にはどう見えるか知らないが、私はこれで大変執念深い男なんだから。人から受けた屈辱や損害は、十年たっても二十年たっても忘れやしないんだから」
 
 先生のこの言葉は、漱石のこれまでの作品の系列から言っても、「こころ」でのこれまでの先生の描写から見ても、またこの後の描写から見ても、理解しにくい言葉である。そして、この言葉を理解できなければ「こころ」の全体も理解できないし、漱石の全体も理解できない。そのために漱石はわざわざ小便をする先生を描いている。そして、漱石は、私にとっていかに、どのようにこの言葉が意外であったかをはっきり説明している。
 
 先生の言葉は元よりもなお昂奮していた。しかし私の驚いたのは、決してその調子ではなかった。むしろ先生の言葉が私の耳に訴える意味そのものであった。先生の口からこんな自白を聞くのは、いかな私にも全くの意外に相違なかった。私は先生の性質の特色として、こんな執着力をいまだかつて想像した事さえなかった。私は先生をもっと弱い人と信じていた。そうしてその弱くて高い処に、私の懐かしみの根を置いていた。一時の気分で先生にちょっと盾を突いてみようとした私は、この言葉の前に小さくなった。
 
 私は先生が昂奮したことにひっかかったが、それは予想外の内容をもっていた。この時は、先生の昂奮よりもその言葉の意味に遥かに大きな衝撃を受けた。弱くて高い処にいると思っていた先生はその表向きの精神の背後にこのように強くて激しい執着力を持っていた。弱くて高い処にいる先生に、ちょっと盾を突いてみようとした私は、先生の強くて激しい精神にぶつかって小さくなった。それに続く言葉はさらに激しく、先生らしくなかった。
 
 「私は他に欺かれたのです。しかも血のつづいた親戚のものから欺かれたのです。私は決してそれを忘れないのです。私の父の前には善人であったらしい彼らは、父の死ぬや否や許しがたい不徳義漢に変ったのです。私は彼らから受けた屈辱と損害を小供の時から今日まで背負わされている。恐らく死ぬまで背負わされ通しでしょう。私は死ぬまでそれを忘れる事ができないんだから。しかし私はまだ復讐をしずにいる。考えると私は個人に対する復讐以上の事を現にやっているんだ。私は彼らを憎むばかりじゃない、彼らが代表している人間というものを、一般に憎む事を覚えたのだ。私はそれで沢山だと思う」
 
 漱石を表面的に理解する場合は、この(三十)に書かれた二つの言葉は、先生らしくなく漱石らしくない。しかし、これが漱石の思想の成果であり、漱石の思想の飛躍を示すものである。だからまた、この言葉は漱石と先生を誤解させる言葉でもある。
 先生は親戚の者から欺かれた。先生はこの不徳義漢から受けた屈辱と損害を決して忘れない。忘れないばかりではない。不徳義漢に対する復讐を今徹底してやっているところである。彼等を不徳義漢として憎むばかりではなく、人間というものを不徳義漢として一般的に憎む事を覚えた。
 ここで先生は「私はそれで沢山だと思う」と言っている。これは、どういうことであろう。叔父が不徳義漢に変わったことを、人間一般に押し広げて不信感を持つ、というのはわかる。しかし、ここで大きな矛盾に突き当たる。というのは、奥さんと私が問題にしていた、奥さんに対する不信感はない、ということ、奥さんを愛し信頼していることと、人間一般に押し広げて不信感を持つことはどんな関係にあるのか、である。


 先生と私 三一

 ここは、これまでの関係のまとめとも言うべきもので、内容は単純であるが、これまでの内容を理解していなければ、ここでの会話を理解することはできない。
 私は、叔父を憎むばかりでなく人間一般を憎む、という先生の言葉に萎縮して先に進む事ができなかった。これが私の精神の特徴であり力である。私は、先生に、高いもの、弱いもの、世間から遠い世界での精神性を求めていた。先生がそんな世界にいるものと思って信頼していた。高いもの遠いもの尊いものをそのようなものと想定していた。ところが、先生は、叔父に対する憎しみと人間全体に対する不信感を、それも激しい感情とともに私に示した。先生はそれを私の前だから吐露することができた。私以外の人間にこうした告白をしても無用の誤解を生むだけであり、それが理解される可能性はない。
 私にとって、先生の心の中に叔父への憎しみや財産への執着を発見することは、まったく予想外の展開であった。それによって先生への信頼が壊れる事はない。したがって衝撃とは、自分の先生に対する期待、尊敬、信頼が、表面的な希薄な観念的なものであったことへの衝撃である。先生の告白によって先生へ信頼と尊敬さらに深まり、先生の精神を知りたいという私の欲望を大きくした。先生は、私がまったく想像できない精神を次々に示す事において、衝撃的であり、無限の信頼に価する思想体である。
 この衝撃にさらに矛盾した現象が付け加わっている。先生は、叔父に対する憎しみや財産に対する激しい執着を見せた。ところが、直後には「晴れやか」になり、私に「遊びたまえ」といい、どこにも「厭世的」な態度を見せなかった。この憎しみと厭世的とは別ものである。直接には関係を持たない。これもまた不思議な、理解を要求する精神の現象である。
 先生の精神に対して真面目な関心をもっている私は、自分の期待にとって矛盾した態度にみえる先生に強い疑問、不満を持っている。私は先生の精神を直接的に理解しようとしているために、先生が自分の思想を一歩踏み込んで説明するたびに、その複雑さと深さをすぐには理解できない。自分のこれまでの知識が期待しているものと反する内容が出てくると、私には先生の説明が「不得要領」に見える。
 漱石も先生も、私の真面目な関心にとって先生の説明が「不得要領」に見える事をよく理解している。その不得要領に不満を持つ事が思想への真剣な関心である事を理解できる。私の疑問に対する先生の答は、より深刻で複雑な矛盾の展開である。実際、私は先生の精神の矛盾に満ちた展開に知らず知らずに深刻に引きずり込まれている。先生の思想が矛盾に満ちているおり、その矛盾が先生の思想の内容だからである。矛盾の提出が私の疑問への答えであり、私はさらなる答を求めて先生に追いすがっているが、先生と自分がそうした過程の中にいることをまだ理解できていない。思想にとっては、こうした不得要領にみえるほどの大きな矛盾を創り出す事が第一の課題であり、この矛盾の内実を明かにし展開することは、この矛盾を創り出す事に比べると遥かに容易な課題である。
 私はこの矛盾を理解すべく、先生に思想を隠さない様に、はっきり言うように要求している。先生は何も隠していない。はっきり言っているが、私にそれが理解できないだけである。或いは、私が想定している高い精神、思想、というものが先生が獲得した思想の内容や形式とあまりにも違っているだけである。
 
 さて、漱石は、ここでさらに深刻で重要な問題に踏み込んでいる。
 経験と思想は違うということと両者が深い関係にあることである。先生は私に対して思想を隠していない。しかし、先生の過去の経験について説明していない。私はこのことを混同している。しかし、それは正当な関心でもある。先生の思想がますます理解し難くなってきている私は、先生の思想を具体的に現実的に理解するためには、先生の思想を生み出した過去の経験をも知る必要がある、と思うからである。しかし、それは経験と思想を混同するためではない。現在の思想を知るために過去の経験をも知りたい、思想の血肉を理解するためには、思想の生れた場所である先生の経験をも知る必要がある、と思うからである。
 先生の過去に対する私の関心が、単なる好奇心ではなく、思想的な関心である事は、ここでの私の言葉によってではなく、これまでの先生との関係によってのみ明らかである。私は先生の過去、先生のプライバシーに触れようとしなかった。先生の思想だけに関心を持っていたからで、そのために先生のプライバシーを尊重することができた。しかし、先生に長く接して、先生の説明を聞いていると、先生の思想は理解し難いものである事がわかってくる。そして、それを理解するためには、先生の過去の経験を理解する必要がある事が分かってくる。というのは、先生は過去の経験を否定し、忘れて、過去の経験と離れた思想を得ているのではなく、過去を今現在の思想において、現在の感情において持っているからであり、先生の思想と過去の経験は、この点において現在的な意味を持っており、思想の内容をなしていると思われるからである。だから、私は先生の過去をも要求する。それは思想の具体的内容を要求する、という観点からである。
 先生の経験に、個人的な事情に、個人的な関係や感情に単なる好奇心を示したならば、一度でもそんな態度を示したならば、先生は私を拒絶しただろう。しかし、私は、先生の個人性にはまったく興味を示さず、先生の思想だけに興味を持ち、その点で先生を信頼し尊敬してきた。だから先生も私を信頼した。この成果としてその結果として、私が先生の思想に対する深刻な関心の延長として、私は先生の過去の経験を切実に知りたいと思っている。こうした観点に立っているために、先生の過去がどのようなものであっても、それが残酷なものであっても悲惨なものであっても罪深いものであっても、先生がそれを隠しておきたいものであったとしても、容赦なく暴かねばならない。それで先生に同情するのでも先生を肯定するのでもなく、ただ、先生の思想を理解するためだけに過去の経験が必要である。
 先生もまた、思想に殉じて生きている。思想のためであるなら、自分の過去がどのようなものであっても、それを暴こうとする人に過去を提供する覚悟はある。思想を生み出し、残し、伝えるためであれば、自分の過去は、それが自分の血を暴くものであっても提供するし、それが本望であるし、それによってのみ過去の経験と和解できる。それを超える事が出来る。そうした覚悟を持っており、私の思想的な関心はそうした先生の覚悟と一致している。
 それが、「貴方は真面目ですか」という言葉の意味である。真面目というのは、過去の経験を超えて認識に進む事ができるかどうか、という意味である。


 先生と私 三二

 「私の論文は自分が評価していたほどに、教授の眼にはよく見えなかったらしい。」と書いている。それはそうである。私の思想は教授の世界とはよほど違ってきている。卒業証書を「意味のあるやうな、又意味のないやうな変な紙に思われた」ということから見ても普通とは違って先生に感化されている。先生も奥さんも卒業証書がどこにあるか知らない。卒業の日の晩餐は先生の食卓で済ますことになっていたが、それは単純なセレモニーで、そのことで何かが始まるとか終るとかいうほどの意味を持っていない。卒業によって先生の思想にも私の思想にも変化が起こるわけではない。
 ここで漱石は、先生について、「『本当をいうと、私は精神的に癇性なんです。それで始終苦しいんです。考えると実に馬鹿馬鹿しい性分だ』といって笑った。」と書いている。
 先生は卒業証書のことを忘れているし、世間離れした呑気な暮らしているし、こだわることのない、遊民的な余裕派的な生活をしているように見える。ところがそういう生活では、「精神的に癇性」になりやすい。現実から離れた、主観内部に食い込んだ非常に細かな矛盾の巣窟に悩まされることになる。先生はそのことを自覚している。そしてそのこと自体を精神性として誇るのではなく、「馬鹿馬鹿しい性分だ」と考え、笑っている。それを克服する過程にあるからである。克服するというのは、それを対象化し、認識対象にすることである。


 先生と私 三

 私は卒業後何をするか決めていない。普通は教師になるか役人になることが多い。奥さんは、私がまだ決めていないのは「財産があるから」だと言っているが、財産があるからではない。卒業後何をするかについて私には大きな選択肢が生れている。私の個別的な利害である地位を求めるか、それとも普遍的精神を得るための道を進むかである。地位とは別に、地位と対立して、芸術や思想や自然科学や政治等々といった普遍的目的のために生きることが選択肢として生れるのは財産があるからではなく、財産がない場合の方が多い。私はまだこの二つの選択肢の前で自分を決めるだけの材料を持っていない。先生の思想にもまだ深く入り込んでいないからである。
 学者がいう生活者の論理というのは、普遍性を求める生活などやめて地位を求めるべきだということである。そうはっきりと主張しないが内実はそうである。この立場から見ると、生活を離れて思想世界に生きている先生は、奥さんがいうよそうに「ごろごろしている」ように見える。先生は「ごろごろ許りしてゐやしないさ」と言っているがその意味は説明していない。説明しても解らないと思っているからであるし、まだ説明できるほど思想ができていないためでもある。
 先生は、「かぶれても構わないから、その代りこの間いった通り、お父さんの生きてるうちに、相当の財産を分けてもらってお置きなさい。それでないと決して油断はならない」と注意している。私が先生にかぶれて思想的関心を持つことは、それが真剣な関心であれば先生にとって歓迎すべきことであるし、止めることのできない人生である。しかし、財産に絡んで面倒な人間関係に巻き込まれることは避けた方がいい。先生の思想はその面倒な関係によって生れたのであるが、それを同様に経験する必要はない。しかし、私にとっては、財産に関わる人間関係も先生の思想もまだはっきりした内容として身についているわけではないから、徹底しない言葉である。卒業して、これから現実をも思想をも知らなければならない。


先生と私 三四 

 私は位置を求めることに熱心ではない。父の病気と死についても、本気で心配していない。父の運命が気の毒だとは思うが深刻ではない。私の運命が地位や財産に深く関わっており、あるいは地位や財産に興味を持っていたなら、田舎の両親との関係も父の運命に対する感情も違っていただろう。私の関心や感情は大きく変化しつつある。これは歴史的な変化である。普遍的精神を経由すると、田舎の両親にと対する感情も関係も深く高度になる。
 先生は自分の死を問題にしている。先生の死は私にとっても奥さんにとっても深刻な問題であるが、先生の死は私にとっても奥さんにとっても現実味を持っていない。先生は自分が死んだら奥さんがどうなるかだけを心配している。


先生と私 三五

 先生はまだ自分の死の話をしている。先生の両親が一度に死んだことについては、「そんな話は御止しよ。つまらないから」と遮っている。先生の関心は自分の死後の奥さんのことである。先生は自分のものをぜんぶ奥さんに遣る、と言っているが、奥さんは関心を示さない。奥さんがそんなものをほしがるのではないことは分かっているが、先生が奥さんに残すことが出来るのはそれだけであるし、自分の死後のことについてはそんなことしか話すことがない。
 先生は、「おれが死んだらは止して頂戴。縁起でもない。」と奥さんが厭がるとそれぎり死の話を止めた。先生は自分の死を感傷的に考えているのではない。実質的に、自分の死後奥さんがどうなるかを心配している。しかし、奥さんにとっては、先生が生きていることだけが人生の支えであるから、先生の心配は実質的ではない。先生の死についての話も財産の話も、意味のない無駄な話になる。それが二人の信頼関係である。鴎外であると、財産や収入の話は、それこそが人生の重大事として深刻な話になる。すべての会話や関心は財産や地位に関わっている。先生も奥さんも私も財産に対してはついでの話になるだけで、どんなに先生が注意をしても真剣な関心を持つことはできなくなっている。先生にとっても財産は思想的には問題になるが、財産に対する執着が直接的な関心としてあるわけではない。
 
 漱石はここで、
 私は先生の宅とこの木犀とを、以前から心のうちで、離す事のできないもののように、いっしょに記憶していた。私が偶然その樹の前に立って、再びこの宅の玄関を跨ぐべき次の秋に思いを馳せた時、今まで格子の間から射していた玄関の電燈がふっと消えた。
 という文章と、
 用事もなさそうな男女がぞろぞろ動く中に、私は今日私といっしょに卒業したなにがしに会った。彼は私を無理やりにある酒場(バー)へ連れ込んだ。私はそこで麦酒(ビール)の泡のような彼の気炎を聞かされた。私の下宿へ帰ったのは十二時過ぎであった。
 という文章を対比的にならべている。私はこの二つの世界の中間に住んでいる。


先生と私 三六

 私は、国へ帰っても研究を続けるつもりで書物を買っている。そのために田舎からの注文を煩わしく思っているが、なんとかこなしている。私がやろうとしている研究と、土産物を買うことは、たとえば女の半襟を買うことは対立してくるものである。時間的な煩わしさだけではなく、価値観の変化によって、そうしたことが楽しみではなくなって義務になってくる。母親の注文による鞄は、金具がぴかぴかして滑稽なものであるが、田舎にしてみればそれは生活上、価値観上大事なものである。都会に出て行く若者はこうした価値観を失っていく。そして、新しい人間関係と精神をつくり上げ、身につける。


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