『こころ』ノート 先生と遺書 (一)〜(十五 ) (十六〜三六)    先生と私 (一)〜(十)  (十一)〜(二十) (二十一)〜(三十六) 両親と私 (一〜一八)


 先生と遺書 一
 
 漱石はまず、先生が置かれた状況がどのようなものであるかを書いている。先生は非常に微妙な、複雑な、不明確な状況にある。
 先生は私の手紙を読んで、私の地位のためになんとかしなければと、思った。これは真実である。しかし、努力はしなかった。交際のない生活をしていたために地位の周旋などできない、ということもあったが、私の地位などどうでもよかったからである。これもまた真実である。この二つが真実であるというのは、先生は、自分をどうすれば好いのかを思い煩っていたということである。自分をどうすれば好いのか、というのは、私の地位を得るためという世俗的な努力をするか、それとも、私の地位をも私との個人的な関係をも無視して、自分の思想にのみ関心をむけるかである。その上での人間関係を形成できるかどうかである。それがまだはっきりしないのがこのときの先生が置かれた状況である。
 この問題は、抽象的には、「このまま人間の中に取り残されたミイラのように存在して行こうか、それとも……」という問題である。これは、ハムレットの「To be or not to be」を思い出させる。be の内容はハムレットとは違うが、それでも日本の歴史的条件のもとで十分な抽象性に到達している。先生はこの問題に答えることができずに煩悶していた。先生が私の地位のために努力するのは、世俗的関心の中にミイラのように存在していくことである。しかし、かといって、死を選ぶことは実際にミイラになるに過ぎない。だから、決心がつかず、煩悶している。私の地位などどうでもいいとしても、それに変わる、それをどうでもいいことにするだけの別の問題をまだ捕まえていない。だから煩悶している。
 先生の過去を私に伝えることが、先生のなすべき、なし得る、この煩悶から逃れる只一つの方法である。それによってのみ、先生は自分の過去の意味を明かにし、意義あるものにすることができる。だから、先生は自分の過去を語るために、私に東京に出てくる様に電報を打った。しかし、私は出て来れなかった。「私は実際あの電報を打つ時に、あなたの御父さんの事を忘れてゐたのです。」と先生は書いている。先生は、私に話す決心をした時には、私の地位のことも私の父親の病気のことも忘れていた。しかし、私が東京に出て行けない、と電報を打ったために、再び煩悶を初めて、私に悪いことをしたという意味の返事を書こうと思った。しかし、これは一行も書かなかった。この時は先生はすでに、自分の過去を私のために書く決意ができていたからである。それをどのように書くか、という内容がまだはっきりしていない。しかし、ぼんやりしたものであるが、書くべきことがあり、書くべきことを書けるという意識が生れつつあった。


先生と遺書 二
 
 先生は、手紙を書きはじめた。思う様に事件なり思想なりが運ばないのが苦痛であるが、書くべき重い過去と思索があるから、書くのを止めることはできない。それは、先生が義務を重んじる真面目な性格だからではない。私に対する義務を別として、義務を超えて、自己の必然として、先生は自分の苦悩に満ちた過去を書かずにいられない。先生の過去は、苦悩に満ちたものであるが、個人的な経験としては、命とともに葬りさるべきものである。しかし、その苦悩が一般的な価値を持つことができるなら、それを書かずにいられない。苦悩に満ちた人生を、興味本位で覗き込んで、同情し憐れむのではなく、その苦悩に怯むことなく、それが何であるかを理解することに真剣に取り組む人がいるならば、そのような一般的な関心をもって先生の人生を拾い上げる人物がいるならば、苦悩を書き残しておかねばならない。
 先生から見て私は尊敬を払い得るほどの意見を持っているわけではなかった。私には、思想的背景もなく経験もなかった。しかし、先生の思想を理解するために、先生の過去を展開して呉れと私が迫ったとき、先生は私を尊敬した。私が、無遠慮に、先生の腹の中から、或る生きたものを捕らまえようとする決心を見せたからである。先生はこのような真面目さをこれまでに経験したことがなかった。先生は自分の苦悩に満ちた人生が、その倫理的に暗い人生が、理解され克服される必要がある、と感じている。それが新しい思想の出発点になることができると感じている。先生は、先生の心臓の血を啜る真面目さのある私には、それができるだろうと期待することができた。だから、自分の過去を書くことができた。そうすれば、先生の人生にも意義がある。先生は自己を肯定することができる。自分の苦悩に満ちた人生が、新しい思想を生み出す契機になるのなら、先生は満足である。


 先生と遺書 三
 
 先生は二十歳にならない時分に両親を亡くした。先生の家には相当の財産があり、鷹揚に育てられ、知識もなく経験も分別もないままに、先生は一人になった。先生は財産を自由に使うことができるようになったが、それは、財産の側から言えば、財産が先生を完全に支配することである。その財産は、日本ではごくありがちな、現実的な理想として求められがちな裕福な生活に十分で、精神や人間関係を崩壊させるのに多すぎもせず少なすぎもしない量の財産である。
 漱石はずっとこの種の財産に規定された精神を描いてきた。漱石が『虞美人草』に描いた甲野さんは、自分がこの財産に縛られていると感じて、この財産を放棄して、「たちんぼう」になることだけが自分を救う道であると考えていた。しかし、財産の支配力は非常に強く、財産を放棄する意志は、日本の社会的・歴史的な条件では余りにも例外的なあり得ない精神であって、財産の支配から抜け出す方法として一般的ではなく、また財産からの分離過程としての具体的内容を持つことができない。この点は、「それから」の代助も同じである。漱石はこうした過去の描写の意味を深く理解した上で、財産に執着し、したがって財産に完全に、隙間なく支配される先生の運命を描いている。
 両親が亡くなったとき、先生はすでに東京へ出る筈になっていた。つまり、先生の財産は都会と田舎の分離の流れの中に投じられることがすでに決まっていた。財産によって鷹揚に育てられたことの意味は、先生が遭遇した歴史的条件のもとでの財産の運動について何の知識も経験も分別も持つことができず、この財産の運動に振り回されるということである。先生は、自分の財産の運動の意味を理解できない無知と無経験のために、財産の運動が引き起こす結果をすぐさま個人の行為や動作に対する倫理的な批判形式によって認識することになる。こうして、先生は徹底した倫理的な精神の展開の担い手になるように運命づけられている。


先生と遺書 四
 
 一人残された先生は、叔父を頼り、叔父も先生の世話をした。先生は東京の高等学校へ入った。その頃の学生は、殺伐で粗野で職人と喧嘩をするくらいに質朴で、要するにまだ、田舎から出てきたばかりの都会生活ができていない時代の乱暴なエリートである。先生はそうした時代に、両親が残した財産のおかげで、比較的豊で、人から羨ましがられるくらいの境遇にいた。
 こうした状況の設定を見ると、漱石が当時のインテリが置かれた社会状況を、いかに深く批判的に捕らえているかがわかる。
 先生は、気楽な学生生活を送れることを叔父に感謝していた。叔父は事業家だった。県会議員にもなったほど、時代の流れに身を投じていた。
 先生の父親は、
 
 「先祖から譲られた遺産を大事に守っていく篤実一方の男でした。楽しみには、茶だの花だのをやりました。それから詩集などを読む事も好きでした。書画骨董といった風のものにも、多くの趣味をもっている様子でした。」
 
 とある。これは、『坊ちやん』の「いか銀」を思い出させる。「いか銀」より裕福なので「いか銀」より上品である。この「比較的上品な嗜好をもった田舎紳士」というのは、要するに、祖先から受け継いだ財産を守りながらちびちびと消費する、という意味である。そして、
 
 「父はよく叔父を評して、自分よりも遥かに働きのある頼もしい人のようにいっていました。自分のように、親から財産を譲られたものは、どうしても固有の材幹が鈍る、つまり世の中と闘う必要がないからいけないのだともいっていました。」
 
 とあるように、叔父に対して、あるいは社会に対して、寛容で、善良で、物分かりのいい人物である。しかし、こうした言葉が現実にどのような意味を持つかを理解しているわけではない。先生と先生の父親の篤実だとか善良さは、社会的な無知でもある。父親は無経験でも無知でもないが、社会が、あるい財産が、先生の父や先生の理解を超えて運動をはじめる時代には、この程度の財産を持つ多くの人びとの共通の運命として自然に無知になる。時代の流れについていけなくなる。
 先生の父親のように、財産を守ってちびちびと趣味的に消費する人々が、その篤実と善良さのゆえに財産を守って行けるならば、とうてい資本主義社会は成立しない。この資本主義社会の成立期にあって、財産は先生や先生の父親の意志と関わりなく、対立して、独自の欲望を引き起こしつつ、自分の運動を始める。先生は、その運動に振り回されるという意味で無力であった。
 こうして、漱石は、『猫』以来探求の明治社会のインテリに対する批判意識を、その基礎である財産の運動にまで深めている。


先生と遺書 五
 
 先生が初めて国へ帰った時、先生の家には、叔父夫婦が住んでいた。先生が家を残して東京に出たための措置である。先生は田舎の由緒ある家をどうすればよいか苦しんだ果てに叔父に管理を任せた。田舎の状況に応じた当然の対処が、先生にとっては意外な結果を引き起こす。それは、実際は自然な結果であり、意外に思う先生の意識が非現実的である。現実が先生の意識を超えて動いている。
 先生は東京に出ても、精神は故郷の家を離れなかった。東京も故郷も先生にとっては同じ価値を持っていた。東京にも故郷にも何の矛盾もなく、両方が快適で安楽で幸福な場所であった。別の言い方をすれば、両方とも特別に重要な真剣な価値を持つことがなかった。
 叔父夫婦は、先生の家に住みはじめたあと、先生に結婚を勧め始めた。叔父夫婦は、先生が嫁を貰って家を継ぐべきだ、と考えている。田舎の価値観として当然である。しかし、先生は田舎の家を叔父の管理に任せて、時々休暇に帰るだけで、相続するだとか、そのために嫁を貰うなどとはまるで考えなかった。先生も、叔父夫婦が結婚を勧める理由は分かったし、結婚して家を相続することを嫌っている訳でもなかった。ただ、今は、東京と故郷とを行き来して呑気に暮らすこと以外は考えられなかった。どうすべきか真面目に判断する必要を感じていない。そうするうちに、先生の意志と関わりなく事態が自然に進んでいく。


先生と遺書 六
 
 先生には両親はなく財産はある。しかし、財産の管理は叔父に任せており、財産を管理する義務も相続する義務も負うことなく、生活に追われることもなく、一切の義務から解放されて一人で気楽に善良に呑気に学生生活を送っている。義務もなく、目的もなく、必要もなく、日々を無為に過ごすのは自由に見えるが、現実には自由の欠如である。例外的な、非生産的な、無為の生活である。
 先生は、こんな生活の中で突然結婚を勧められた。叔父の娘と結婚すれば、双方に便宜である、という話であった。父もそんな事を話していた。それは両者にとって、特に両家の財産の維持にとって自然で無理の無い話である。しかし、先生は、財産の管理と相続にまだ関心を持たなかった。だから、結婚にも関心を持たなかった。先生は断った。断ることに積極的な理由があるわけではなく、ただ、都会と田舎を往復しつつ修学するという今の生活を続けたかったからである。
 この結婚問題は、「それから」の代助が、父親の会社経営の利害のために結婚を勧められたのと同じである。代助は財産を捨てて三千代を選んだ。父親や兄の世界で生活することはできない、という判断が先行している。先生にはそうした判断はまったくない。ただ、代助のような遊民生活を送っていて動こうとしない。それが、財産をかすめ取られて、田舎から放り出されることで動きはじめる。そして、残された財産の力で純粋な孤立した代助になる。先生が、自分の財産や、財産に守られた生活のことをまるで考えず、恋だとか、従姉妹どうしでは愛が生れない、などという下らないことを考えていられるのは、財産のことを考えていないからである。財産によって生活と精神が完全に支配されているからである。代助の場合、三千代との愛が真剣になったのは、自分の財産や遊民生活をどうすべきかに真剣な関心を持っているからで、その関心が愛を生み出した。しかし、先生には積極的精神は何もない。財産との分離がそれを生み出す。


先生と遺書 七
 
 あなたにも覚えがあるでしょう、生れた所は空気の色が違います、土地の匂いも格別です、父や母の記憶も濃かに漂っています。一年のうちで、七、八の二月をその中に包まれて、穴に入った蛇のように凝としているのは、私に取って何よりも温かい好い心持だったのです。
 
 先生にとって故郷はこれほどに温かく快く優しく、精神の奥底に届くほどの深く懐かしい関係を持っている。しかし、この関係は、突然に、単純に、そして永遠に切れる。この感情も永遠に失われる。
 先生が従姉妹との結婚を断ったことで、叔父の態度が違ってきた。叔母も従妹も叔父の男の子まで違ってきた。すると、「私は突然死んだ父や母が、鈍い私の眼を洗って、急に世の中が判然見えるようにしてくれたのではないかと疑いました。」先生は、叔父の変化を見て、それ以外のなんの材料もなく何の媒介もなく、なんの知識もなく、急に世の中の見方を変える。先生は社会との深い関係を持っておらず、知識もない。叔父の態度の変化によっても左右されないほどの社会的な人間関係も知識もなかった。社会とは表面的な関係しかなく、深い人間関係を経験していなかったために、社会や人間の見方は、単純に変化する。叔父の態度の変化によって、社会や人間についての認識が一歩進むのではなく、その質と量だけ内容が深くなるのではなく、叔父の態度の変化だけで主観が支配され、社会を見る主観の形式が変化し、良く思っていたものを突然に悪く思うようになり、社会から主観を分離し、社会を分離的に表面的に観察するようになる。先生の不自由な精神は、そのようにしか変化できない。しかも、ちょっとした経験で、形式が大きく変わる。堅固な精神を持っておらず、偶然によって変化しやすい。
 
 私はたった一人山へ行って、父母の墓の前に跪きました。半は哀悼の意味、半は感謝の心持で跪いたのです。そうして私の未来の幸福が、この冷たい石の下に横たわる彼らの手にまだ握られてでもいるような気分で、私の運命を守るべく彼らに祈りました。
 
 「私の世界は掌を翻へすやうよ変わりました。」というのは、世界が変わったのではない。先生の世間に対する見方が突然に変わったのであり、こうした感傷的な決意によって、この新しい、世の中を悪く見る狭い主観に執着している。その決意の固さは無知と無経験によるのであり、そのような狭い精神を持っていても生きて行けるのは、財産のおかげである。あるいは、財産によって守られているために、こうした狭い決意をするように運命づけられている。
 この変化の意味を漱石ははっきり意識して描いている。
 
 私が十六、七の時でしたろう、始めて世の中に美しいものがあるという事実を発見した時には、一度にはっと驚きました。・・・今までその存在に少しも気の付かなかった異性に対して、盲目の眼が忽ち開いたのです。それ以来私の天地は全く新しいものとなりました。
 
 先生の精神の変化は、現実についての認識が深まることでも広くなることでもない。現実についての経験も知識も同じで表面的で、ただそれに対する評価の形式だけが一変する。だから、「俄然として心づいたのです。何の予感も準備もなく、不意に来たのです。」
 先生の経験と学問は、社会と人間についての新しい材料を蓄積して、現実認識が深くし先生の精神を豊にする力を持っていなかった。先生はそんな生活に迫られていなかった。叔父お叔母の態度が変わったという一点で、同じ現実、同じ人間をすべてまったく違った方法で、違った価値観で見る様になる。俄然、突然の変化というのは、精神が貧困であるための変化の形式である。先生の主観が形式的にこれほど大きな変化をするのは、叔父の変化が財産に関わっているからである。叔父の変化は、先生の人間関係や精神にとって、部分的ではなく、決定的な本質的な意義を持っていた。叔父との関係は、叔父に管理してもらっている財産との関係で、その財産が先生にとって決定的な意義をもっているために、こうした変化がおこる。しかも、形式的な変化だけではなく、質的変化をもたらすようになる。
 
 先生と遺書 八
 
 先生は、「私は今まで叔父任せにしておいた家の財産について、詳しい知識を得なければ、死んだ父母に対して済まないという気を起したのです。」と書いている。財産に対して自分の欲望や利害からではなく、遠回りな意識を持っている。
 先生は叔父に対して猜疑の眼を持つ様になった。大助が逃げだそうとしていた世界に先生は閉じ込められてしまう。先生は叔父が妾を置くことに道徳的な批判意識をもっていない。これは代助も同じである。しかし、代助と違って、先生は、叔父が自分の財産を使っているのではないか、という疑惑をもっており、それは決して許すことはできない。叔父が先生の財産で妾を置くのなら、叔父の道徳の問題ではなく、先生の財産の問題である。そのために、善良な先生のこころには、財産と関わる厳しく暗い道徳的精神が生れてくる。「多くの善人がいざという場合に突然悪人になる」といった極端に単純で一面的な認識が先生のこころを覆うことになった。
 先生の財産を使うことで叔父の事業は持ち直した。先生の財産は社会の中に組み込まれている。もし、先生がこの財産の運動の中に入るなら、利潤追求の欲望をもっていたなら、先生は利益を得ることができただろうし、利害によって叔父と妥協できただろう。しかし、先生は財産の運用に関心を持っていなかった。
 こうして、財産の運用や叔父との関係といった現実的な問題から離れたところで先生の精神は発展しはじめる。善と悪といった抽象的で一面的な現実認識が主観を支配するようになる。その精神は非常に貧弱で、具体的には人間不信や臆病や動揺といった内容である。


先生と遺書 九
 
 先生は、叔父が財産を胡魔化したという一つの事実から、強情な、そして単純な精神を生みだしている。先生は、叔父に財産の管理を任せていたことを、本当の馬鹿でした、純なる尊い男、正直過ぎた自分、悪く生れて来なかった、生れたままの姿、の人間だったと考え、叔父のために塵に汚れた人間になった、と考えている。大学生にしてはあまりにも単純で幼稚な精神である。
 先生が叔父の希望通り叔父の娘と結婚していたら、先生は財産を増やすことができた。しかし、先生は物質的利益より、恨みや敵視や人間不信を選んだ。先生は、物質的利益より、叔父の策略や下卑た利害心に対する憎しみと、叔父の思い通りにならない意地、さらには、親戚のものを信用しない、敵視する、欺くに違いない、等々といった人間不信の精神を選んだ。精神は厭世的な狭い世界に閉じ込められてしまった。
 
 先生の立場では、叔父のように利益を追求する人間になって財産を増やすか、これを教訓にして用心深い、疑い深い人間になって財産を守るか、今のままの善良さを失わずにまた次の機会に財産をかすめ捕らえるか、この三つしか可能性しかない。そして、これまで何の経験もなく、大学の学問しか知らない先生には、用心深く財産を守る道しかなかった。
 親戚のものは先生の財産を纏めてくれた。それは金額に見積もると予想より少なかった。しかし、裁判をしてまで財産を取り戻す気にもなれなかった。時間が無駄に思えた。残された財産はすべて現金に変えた。不利であったが、叔父の顔を見たくなかったし、故郷を捨てる決心をしたからである。国を立つ前に父と母の墓に参って、それぎり墓を見たこともない。とにかく、残された人間不信と財産だけを頼りに一人で生きる決心をしている。
 先生の財産は父親が残した遺産から随分減ってしまった。しかし、学生生活には十分であった。「実をいふと私はそれから出る利子の半分も使へませんでした。」というから、生活のために消費するだけの先生にとっては、残った財産が十分に大きかった。そして、この財産が先生の人生を完全に支配することになる。先生のような心理は誰でも経験するし持っている。先生の場合は、財産が残ったためにそれが基本的な支配的な心理になってしまった。
 「この余裕ある私の学生生活が私を思いも寄らない境遇に陥し入れたのです。」
 

先生と遺書 十
 
 金に不自由のない先生は、騒々しい下宿を出て、落ち着いた生活ができる住処を求めた。先生は自分の財産と気分にふさわしい素人下宿を見つけた。未亡人と一人娘と下女がいるだけの素人下宿では、財産の用心をする必要もなさそうであった。先生はみなりもよく、大学の制帽を被っていたために信頼された。先生は、財産に守られた若隠居のような生活をはじめた。


先生と遺書 十一

 
 先生は、余裕のある生活にふさわしい立派な住処を見つけた。先生には金も時間もあったから、自分にふさわしい住処を見つけることができたが、それにしても、先生の境遇と精神にあまりにもふさわしい住処に行き当たったために先生らしい問題を抱えることになった。
 
 私は移った日に、その室の床に活けられた花と、その横に立て懸けられた琴を見ました。どっちも私の気に入りませんでした。
 
 先生は、唐めいた趣味を小供のうちからもっていたからかもしれない、と説明している。しかし、その唐めいた自分の趣味をしまいこんで、琴と生け花の趣味を受け入れることにした。先生の頭には、若い女の影がちらついている。そして、「私は始めてそこのお嬢さんに会った時、へどもどした挨拶をしました。」ということになった。しかし、先生はここから先に進めない。
 お嬢さんに対する関心は、先生が言うような、好奇心だとか邪気とかいうものではない。もっと純粋な、もっと淡い、もっと空想的な、もっと曖昧な、もっと正体不明な、もっと空虚な何かである。先生がお嬢さんにたいしてごく平凡な好奇心や邪気でももつことができるなら悲劇は起こらない。お嬢さんに対する関心を、好奇心や邪気と表現するところにも、積極的な情熱を持つことができない先生の特徴が現れている。
 お嬢さんの影は淡くじんわり来る。先生の感情は動かない。自分の意志を持たない。愛情や興味をもっているのかもっていないのかはっきりしない。こうしたところは鴎外に似ている。鴎外もこうした心理をよく知っていて、これを肯定的に描いた。漱石は批判的に描いて、こうした心理の正体は何かを研究している。


 先生と遺書 一二
 
 先生は財産を盗まれた経験から厭世的になった。人を疑う観念が染みついて、汽車に乗った隣の人さえ警戒するほどに神経が鋭くなっていた。先生が閑静な場所を探して下宿をしたのもそのためである。
 しかし、それでも、先生の気分は変わらなかった。奥さんとお嬢さんの様子を観察して、油断のない注意を彼らの上に注いだ。そして、幸か不幸か、先生はそうした自分を批判的に意識していた。「おれは物を偸まない巾着切みたようなものだ、私はこう考えて、自分が厭になる事さえあった」、と。先生は、実際に厭世的な、用心深い、疑り深い、落ち着きの無い、不安な、きょときょとした、等々の精神を持っていたが、それを強く批判的に意識しているために、この特徴がそのまま外に出ることはなかった。厭世的な落ち着きの無い猜疑心だけが先生の特徴ではなく、それを否定的に意識することが先生の基本的な精神である。
 だから、奥さんは先生を勉強家だと褒めた。先生は、奥さんに鷹揚な方だと言われて、顔を赤らめてその言葉を否定した。すると奥さんは、「あなたは自分で気が付かないから、そうおっしゃるんです」と真面目に説明してくれた。先生は、自分は金銭的には鷹揚だったかも知れないが、内生活とは関係がなく、奥さんはそのことには気がつかなかった、と考えている。これは、先生の一面的な自己認識であり、奥さんの方が正しい。先生は、自分を否定的にのみ観察しており、自分を否定的に観察している自分を認識していない。鷹揚な方だと言われて、それを否定して顔を赤らめて否定する精神が、猜疑心より本質的な精神である。
 先生は、自分がお嬢さんを愛することがどうしてできたのかを理解できないし説明もできないので、ただそれが事実だった、と言っている。矛盾したこの事実は事実として認識しやすいが、その意味を理解することは難しい。先生は、「金に対しては人類を疑ったけれども、愛に対しては、まだ人類を疑わなかったのです」と解釈している。これもまた、形式的で的外れな自己認識である。先生は金に対して人類を疑ったとは言えないし、また愛に対してはまだ人類を疑わなかった、とも言えない。先生が他人に対してどんな関係にあるかは関係を展開しなければ分からない。ここではっきりしているのは、先生が人間に対して強い猜疑心を持つと同時にそれを自覚し、批判的に意識していることである。だから、お嬢さんを愛することが出来るし、愛することができればこそ、自分の猜疑心に対する否定的な意識を持つこともできる。
 先生の言うように、猜疑心も愛も事実である。両方とも、消し去ることの出来ない、しかも深い感情であり精神である。そのために、この両者が深刻な葛藤を引き起こす。単に猜疑心が強いだけの人間であれば、お嬢さんに対する真剣な愛情も生れないし、愛されることも信頼されることもなく、したがって、深刻な内的矛盾に引き込まれて苦悩することもない。猜疑心も愛情も事実である。愛情が深刻な猜疑心を生み出し、猜疑心が深刻な愛情を生み出す。そうした事実の真の内容が何であるか、どのようなものであるかは人間関係の展開が示し、また新たに作り出していく。


 先生と遺書 一三
 
 奥さんの信頼が先生の気分に影響してきた。先生が喧騒を避けて閑静な下宿を選んだことがいいように働いた。「要するに奥さん始め家のものが、僻んだ私の眼や疑い深い私の様子に、てんから取り合わなかったのが、私に大きな幸福を与えたのでしょう。」と先生は考えている。しかし、同時に、奥さんが実際に先生を鷹揚だと観察していたのか、あるいは先生のこせつきが外に出なかったために奥さんが気がつかなかったのかもしれない、とも考えている。実際のところがよくわからない。だから、気分の変化も確定的ではない。
 先生は、他人と衝突することのない、猜疑心が刺激されることのない安全な場所を選んだ。そのために、先生のこころは和らいだが、それは一時的な平穏にすぎない。先生の猜疑心は、現実の人間関係に衝突することで初めて深刻に現実的に解消される。先生の猜疑心がどんなもので、猜疑心を否定する自分の精神がどんなものか、その両方の精神が社会の中でどんな位置と意味を持っているのかは、現実的な人間関係の矛盾の中でのみ認識できる。そのことによってのみ、自分を変えることもできる。しかし、先生はその矛盾を経験する機会を避けた。そのために、猜疑心が消えることなくくすぶりつづけ、静かに深く先生の精神に食い込んでいき、結局はやはり人間関係のより深刻な矛盾の中で検証しなければならなくなる。
 先生の心が静まると家族のものと冗談をいうようになり、茶を飲むようにもなった。先生はこれだけで交際の区域が増えたように感じましたと、言っているから、いかに交際の範囲が狭いかが分かる。この交際のために、「大切な勉強の時間が潰されること」が何度もあっても、それは妨害にならなかった。それは、先生にとって大切な勉強の時間などなかったからである。先生は自分の身を守ることに主な関心を持っていて、自分を何かに投入するべき目的は学問でも他のものでも何も持っていなかった。金と時間のある裕福な暇人であるからこそ自分自身をまもって周囲に用心の目を向けることができたしそのことしか関心がなかった。
 時たま先生はお嬢さんと二人きりになることがあった。すると、それがうれしい楽しい時間にはならず、先生の心は妙に不安になった。そして、なんだかそわそわしてきた。それだけではない。「自分で自分を裏切るやうな不自然な態度が私を苦しめるのです。」とあるように、不自然な態度をとると同時に、その不自然な態度を意識して、その態度に苦しんでいる。人間関係が接近してくると妙な心理が沸きだしてくる。先生自身にも、こうした自分の態度とそれについての苦い反省の正体が何かがなかなか理解できない。非常に複雑なそして、日本に広く存在する精神である。


 先生と遺書 一四
 
 先生は、お嬢さんの立ったあとでほっと一息するが、同時に物足りないようなまた済まないような気持になった。こうした正体不明の妙な心理は、お嬢さん以外の人に対してははっきりした猜疑心になる。先生は、奥さんの様子を能く観察していると、何だか自分の娘と私とを接近させたがっているらしくも見えるし、先生に対して暗に警戒するところもあるように見えた。
 先生は、奥さんの態度をどっちかに片付けてもらいと考え、そさらにもう一歩踏み込んだ疑いをもった。先生は、奥さんの態度のどっちかが本当で、どっちかが偽りだろうと迷い、さらに、何でそんな妙な事をするかを疑った。そして、必竟女だからああなのだ、女というものはどうせ愚なものだ、という否定的な結論に落ち着いた。
 先生は、自分の意志を持たない。欲望も目的もない。お嬢さんや奥さんがどう考えているかを疑い、なぜそんなことをするかと疑いを積み重ねている。こうした疑いは、お嬢さんや奥さん自身の特徴とは関わりがなく、先生の主観の内部だけで展開される。だから、自分の疑いを確かめることも晴らすこともできずに、はっきりしない疑いをつぎつぎに思いついている。その疑いによって何かを実践するのではない。先生は、なにも実践しないような、自分が動かないように自分を縛るだけの疑いを作り出している。
 
 こういう猜疑心に悩まされながら、というより、こういう猜疑心に悩まされているために、先生はお嬢さんだけは疑うことも見くびることもできず、信仰に近い愛を持っていた。この愛は具体的な内容を持たない点で宗教的とも言っていいほど崇高で、お嬢さんの事を考えると、気高い気分が自分に乗り移ってくるように思った。高い神聖な感じの愛というのは、先生の際限の無い猜疑心をまったく捨て去った、全体を丸ごと信じる愛情である。根拠のない、やむにやまれない、猜疑心を棄てたいばかりに生れたような、猜疑心の対立物であるような愛である。
 そして、お嬢さんにこうした愛情を持つようになってからは、奥さんに対する疑いは誤解に基づくもので、奥さんは矛盾した態度をとっているのではなく、「ただ自分が正当と認める程度以上に、二人が密着するのを忌むのだと解釈」することで単純に解消された。しかし、猜疑心は奥さんやお嬢さんとかかわりなく先生自身の頭にどうしようもなく湧いてくるものであるし、それを解消する気分もおなじように無根拠に偶然的な理由付けによって生れるのだから、一時的に解消されてもまたどんな形式の猜疑心が生れるものかは分からない。先生のすべての心理は、現実的な根拠のない、実践的な意味を持たない妄想に類する物であり、先生自身がその猜疑心に悩まされながら、どうすることも、それが何であるかもわからない状況になっており、そのことがまた新しい苦悩である。


先生と遺書 一五
 
 先生は、奥さんの態度を観察して、奥さんが先生を十分信用していることを確かめた。先生は、お嬢さんを絶対的に信じていた。先生は次第に打ち解けて、国元での事情を話した。奥さんは大変感動してお嬢さんは泣いた。先生も話をしてよかったと思った。
 ところが、奥さんと親密にあることをまず愉快に感じたものの、親密になるとまた猜疑心が起こってきた。先生の猜疑心は些細なことから、しかも、奥さんが先生に親切になり、先生を信頼し、先生を大事にするほど、どこからともなく沸きだしてくる。
 先生は財産を持っていて、財産を守るためにいつも用心している。自分に近づくのは財産に近づいているのではないかと疑う。先生に近づいているのか財産に近づいているのかをはっきりさせる方法はない。奥さんが無人で淋しいから客を置いて世話をする、というは嘘ではないと思われる。しかし、経済状態は豊かという程ではないので、利害関係から考えるとお嬢さんを先生に近づけることは利益である。それは、奥さんやお嬢さんや先生のどんな心理にも関係のない事実である。だから、疑う根拠はある。奥さんやお嬢さんが意識していなくても、無意識的にでも利害の意識が動いているかもしれない。そう疑うことができる状況にあり、先生は猜疑心を持っている。
 先生は奥さんを疑っても、お嬢さんには愛情を持ち信頼していた。しかし、この愛情にも根拠はないから、やはり次にはお嬢さんも策略家ではなかろうか、という猜疑心が起こり、さらには、奥さんとお嬢さんが背後で打ち合わせをして先生に親切にしているのではないか、とまで猜疑心が募ってくる。しかも、お嬢さんを信じて愛していることも事実であるから非常に苦しくなってくる。そして、先生は身動きができなくなる。
 先生のこうしたややこしいが単純な同じ傾向を持つ煩悶は、先生が財産を守ろうとする意識を持つために人間関係に積極的に踏み込むことができず、また踏み込まなくても生きて行けるところから生れる。先生は、現実的で実践的な関係の中で確認する以外にない問題を内面的にのみ抱え込んで、関係に踏み込む前にまえに苦しんでいる。そして、先生の苦しみは、自分が積極的な行動を起こすことができないことを意識することによってさらに強められる。いくらお嬢さんを愛していても猜疑心は消えない。猜疑心も愛情も先生の本質的な意識として繰り返し先生の意識に湧いてくる。この湧いてくる意識を実践的に処理するために、積極的な行動をする度胸はないし、しなければならない状況にはない。先生は信頼されており、動かなくても困ることはないし、恥をかくことも無い。動かない状態で、すべてがうまくいっており、財産も守られている。奥さんでもお嬢さんでも、その他の誰でも、先生が財産を持っているかぎり、先生に接近するのは財産が目当てである可能性はある。だから、愛情をもっていても猜疑心も残る。奥さんもお嬢さんも策略家でない可能性もあるが、確定的に検証する方法は絶対にない。こうした猜疑心に苦しめられている為に、先生はどうしても、策略や計算のない純粋な人間関係を求めることになり、その確証が得られないために、どうしても動くことができない。


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