『こころ』ノート 先生と遺書 (四十〜五六)  (一〜一五) (一六)〜(三九 )  
                                 先生と私 (一)〜(十)  (十一)〜(二十) (二一)〜(三六)  両親と私 (一〜一八)


  
 先生と遺書 四十
 
 Kが先生に小声で話しかけてきた。図書館だから小声で話すのだが、先生は「その時に限って、一種変な心持が」した。先生はKが動きだすのを待っていた。しかし、Kが動かないのを見て、奥さんとお嬢さんに何の変化もないことを知って、安心していた。そんなときに予期せずKが小声で話かけてきた。先生はKが話しかけるのを待っているのでもあるし、話しかけないことに安心しているのでもある。この変な気持ちは先生にも意味がわからなかった。
 二人は散歩にでた。Kは例の事件について突然口を切った。Kは先生と違って明確で単純な意志を持っている。お嬢さんとの関係が実際的な方面に向かって一歩も進んでいないことは先生と同じであるが、Kはもともと恋の実際的な方面に向かうかどうかで悩む精神を持っていない。Kは先生に、「どう思う」と言った。どう思う、というのは、恋をどう進めるべきか、進めるべきかどうか、という意味ではなく、恋に落ちた自分をどう思うか、という意味である。恋をどうしようか、ではなくて、恋に落ちる自分だけが問題であって、お嬢さんとの関係は問題にならない。
 先生はこのことを理解しており、さらに、Kが自分の気持ちを確認するために先生に批判を求めていること、Kを尊敬しKを知る先生がKの求める批判してくれると信じていることも理解している。さらに、先生に意見を求めることがKらしくないことも理解している。Kは誰の意見をも求めず、自分一人の信念に従って生きてきて、そのことに自分の価値を見いだし、そうした生きかたができる強さを持っていた。しかし、この信念がこのときぐらつき、先生に意見を求めてきた。先生は、こうしたKのこころを深く理解していた。そのためにまた、先生はこの時はKのこころを自分の都合で無理に解釈しようとした。
 
 先生はKに「何んで私の批評が必要なのか」と尋ねた。Kは「自分の弱い人間であるのが実際恥ずかしい」といった。「迷っているから自分で自分が分らなくなってしまったので、私に公平な批評を求めるより外に仕方がない」と言った。先生はこのKの苦しみを深く理解しているにもかかわらず、この迷うという言葉に飛びついて、迷うという言葉だけを取り出して意味を聞いた。Kは「進んでいいか退いていいか、それに迷うのだ」と説明した。先生は、ここで「すぐ一歩先へ出」た。そして「退こうと思えば退けるのか」と彼に聞いた。先生のこの質問は、Kがお嬢さんとの恋の実際的な効果を求めるつもりなのかどうか、という意味に解釈できるようになっている。これは、K自身とは関係のない、先生自身に関わる質問である。先生は、Kの心にお嬢さんに対する愛情によって行動するという意味を押しつけているが、同時にその意味がKにはわからないようにしている。
 「退こうと思えば退けるのか」という先生の質問に対して、Kの言葉は行き詰まって、ただ苦しいと言った。Kは実際に苦しかった。Kは道に生きることにすべてをかけていた。しかし、かつて禁欲的な生活の中で体を壊し、精神の力も失われ崩壊しようとしたことがある。先生はKの危機を理解して、Kの体と精神の健康を取り戻すために、自分の下宿に呼び寄せた。Kは頑なであったが、信頼する先生の援助には応じた。奥さんとお嬢さんの親切な対応もあって、若者らしい元気を取り戻した。そして、お嬢さんを恋してしまった。
 Kは禁欲主義的な価値観を持っていたが、お嬢さんに対する愛情を嫌悪したり、その愛情を否定することに価値を置いているわけではない。それならば単純な禁欲的な決意で愛情を否定することができる。Kにとって深刻な問題は、自分が再び道に生きることができるかどうか、彼が尊敬する昔の偉人のように強く生きることができるかどうかである。再び元気を回復して、お嬢さんを愛してしまった自分を見て、Kは自分がもう一度道に生きることはできないのではないか、と不安になっている。自分はもう一度道に生きるような強い力を持っていない、自分は弱い人間らしい、と感じている。体と精神が弱って先生に助けられた時は、一時的な疲労であるかもしれなかった。しかし、今は違う。自分が健康な体と精神を持つことができた上で、自分が道から遠ざかっていることがわかる。そして、例えかつてのように厳しく禁欲的に生きたところで、何かを得られるとは思えない。それがKの苦しみである。そして、この苦しみを唯一理解し共感してくれるのは先生である。先生だけである。
 
 先生はKの苦しみを唯一人理解することができ、また理解していたにも関わらず、その理解を深めようとせず、Kの苦しみに関心を持たず、自分の恋だけに関心をもち、あるいは持とうと努力しており、Kの苦しみを自分の恋のために利用しようとした。実際は、利用していると思い込もうとした。先生はKの苦しみを和らげるための言葉をかけなかった。かつて先生はKが苦しんでいる時に、Kを救うために下宿に呼び寄せた。このときも同じ気持ちであれば、「どんなに彼に都合のいい返事を、その渇き切った顔の上に慈雨の如く注いでやったか」わからない。しかし、先生はこのときお嬢さんをめぐってKと対立していると思い込まねばならなかった。だから、先生は、友情を忘れて、自分の都合だけで、Kを痛めつけ打ち倒すことだけを考えていると信じようとした。そして、そのように考えてそれを実行した。
 しかし、本当の不幸は、先生がどのような意図を持ち、どのような実践をしようと、先生の必然性にそった言葉と行動は、Kの信頼とKの精神を決して裏切ることができないところにある。先生とKは、同じ世界の中で、同じ精神の中に生きていたからである。(2009.9.23)
 

 先生と遺書 四一

 Kは先生の批判を求めている。Kは自分を知る先生を信頼して、自分が求めている答を出してくれると思っている。信頼している先生の批判なら素直に聞くことができる。頑であるが先生との関係だけは例外である。他人の意見が何であろうとKが自分の信念を曲げることはないが、先生の批判ならば信念を曲げる必要はない。先生はKの信念を信頼し、信念を強く持つように批判をしてくれる。だからKは先生に意見を求めた。
 先生はKの期待に応える批判をした。しかし、先生の意図は違っていた。先生はKを励ましたのでも慰めたのでもなく、Kの苦悩を利用してKを打ち倒そうと思った。先生は、自分とKは競争関係にあり、Kに打ち勝たねばならない、という危機意識を持とうとしている。Kがお嬢さんの方向に行く可能性があろうとなかろうと、Kがお嬢さんの方向に行くことを阻止することを目的として実践しなければならない。このとき先生は「ただ一打で彼を倒す」、「彼の虚に付け込んだ」、「無論策略からですが」、といった気持ちを自分の中に作り出している。しかし、先生はKにお嬢さんへの恋を諦めて道に生きることを求めたのであり、それはKが求めていた生きかたであり、Kが先生に求めていた批判もそのことであった。
 Kは自分の生きる道のことだけを考えている。先生はお嬢さんとの関係だけを考えている。しかし、先生はお嬢さんとの関係を直接考えることができず、Kとの関係を迂回し考えており、自分がお嬢さんに接近するためには、そのまえにKがお嬢さんに接近するのを阻止する必要がある、と意識している。先生はKを知っており、Kを信頼しており、Kには接近することができる。Kには直接働きかけることができる。
 
 先生は「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と言った。これは二人で房州を旅行している際、Kが先生に向って使った言葉である。これはKの信念である。先生はKが理想と現実の間で苦しんでいると見て、復讐以上に残酷な意味を込めてこの言葉をKに投げつけた。それが残酷であると先生が考えるのは「その一言でKの前に横たわる恋の行手を塞ごうと」する意図を持っているからである。先生はお嬢さんに対する愛情のためにKを打ち倒し、Kを裏切り、お嬢さんのために倫理に反する行動をしている、と思い込んでいる。そのために、倒す、つけこむ、策略、残酷、といった言葉を遠慮なく使っている。それは愛情の強さの証明であるし、Kにお嬢さんを奪われるかもしれないという危機意識である。
 先生は、自分の恋のためにKの信念を利用してKを打ち倒そうとした。しかし、Kは先生のそんな意図に気づかなかった。先生の言葉にそんな意図を含ませることはできなかった。
 ここで先生はKのこれまでの生きかたを説明している。Kは昔から精進という言葉が好きで、それは禁欲というよりまだ厳重な意味を持っていて、道のためには凡てを犠牲にすべきだ、という信条に基づくものだった。だから「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」という言葉は、Kにとっては痛いに違いなかった。先生は、この言葉でKをお嬢さんから引き離し、これまで通りの精進の道を積み重ねて行かせようとした、と言っている。そして、その言葉は単なる利己心の発現でした、と言っている。
 たとえ先生の言葉が利己心の発現であるとしても、言葉の内容はKの生きかた、価値観と一致した、Kが求めていた言葉である。先生はこの言葉でKの恋の道をふさぐと考えているが、Kの恋の道はもともとふさがっている。先生の「向上心のない者は馬鹿だ」という言葉は、Kが恋の道を断念するという意味をまったく含んでいない。先生の言葉は、Kがこれまでの生きかたを積み上げることができないなら馬鹿だ、という意味によってKに打撃を与えた。
 Kは、このもっとも厳しい打撃を素直に受け取り、
 「馬鹿だ」、「僕は馬鹿だ」と答えた。
 先生は、その時のKを見て、「私は思わずぎょっとしました。私にはKがその刹那に居直り強盗のごとく感ぜられたのです。」と書いている。先生は自分の言葉がKにとってどれほど大きな意味を持っていたかを感じ取っている。しかし、先生は、それを理解しようとしなかった。そして、なお自分の関心だけをもってKに対した。
 (2009.9.24)


先生と遺書 四二
 
 先生はKの次の言葉を待った。先生はKを打ち倒そうとしたがKが打ち倒されることを予期していない。先生はそれほどKの強さを信じていた。だから、先生はKの言葉を待ってなお進もうとしている。Kが打ち倒されてしまえば、先生はまたお嬢さんと単純な直接的な関係に引き戻されてしまう。先生はKに自分とお嬢さんの間に割り込む力を発揮してもらわなければならない。先生はKの力を信じてKに打撃を与えようとしてさらにKを「待ち伏せ」し、「騙し打ちに」し、Kの人格に「付け込」むほど卑怯な態度をとろうとした。「狼のごとき心を罪のない羊に向けた。」
 しかし、Kは先生の期待に応えなかった。Kは「もうその話は止めよう」と言った。Kはさらに「止めてくれ」と頼むようにいい直した。先生は苦しみ弱っているKに自分では残酷と思われる答を与えた。
 
 「止めてくれって、僕がいい出した事じゃない、もともと君の方から持ち出した話じゃないか。しかし君が止めたければ、止めてもいいが、ただ口の先で止めたって仕方があるまい。君の心でそれを止めるだけの覚悟がなければ。一体君は君の平生の主張をどうするつもりなのか」
 
 先生は「それをやめる覚悟」と言っている。「それ」が何を意味するかを、先生とKは違った内容で解釈できる。先生にとってはお嬢さんとの恋であるが、Kにとっては道である。
 ここで今度はKが先生の言葉から「覚悟」という単語を取り出している。Kは、「覚悟、--覚悟ならない事もない」と言った。
 Kは先生の言葉によって、道に生きることのできない自分は馬鹿だ、自分は馬鹿のままでしかないのではないか、と考えている。自分もそう思うし、先生もそう思っている。先生の言う通りである。この意味で先生の言葉は最後の打撃になった。それはKが求めていた打撃である。先生はKがお嬢さんの方向に動くことを阻止するつもりであったが、実際はKが道生きることを諦める覚悟を促し、道の方向に動くことを辞めさせてしまった。Kがお嬢さんの方向に行く可能性はもともとなかった。だから、先生は、Kが道に生きることを辞めさせ道に生きるKを打ち倒してしまった。Kの覚悟について先生に責任はない。K自身が覚悟を決め、K自身が選ぶべき、それ以外にない道を進むことを先生が促進しただけである。Kは先生を信頼していたから、最後の決断のために先生の意見を必要としていた。そして、先生は、まったく違った意図のもとでKが求める答を与えた。それは、二人の人生の必然から来る結論であって、二人の意図とは関係のないものである。彼らの個別的な意図では人生の道を変えることはできない。何をしても人生の道を促進するだけである。二人はそんな関係にある。
 二人はそれぎり話を切り上げて寒い公園を歩いて帰った。Kは覚悟を決めそうである。先生はKが覚悟を決める力を持っていることを知っている。Kは覚悟を決めて決定的な行動にでる。だから、先生も覚悟しなければならない。Kが覚悟を決めるならば、先生がKとの関係を経由してお嬢さんとの関係を一歩進めることはもうできなくなる。Kは解釈の余地のない決定的な行動をとるだろう。それがどんなものかは分からないが、Kがお嬢さんとの恋を進めるかもしれないという危惧を持つことはできなくなる。だから、先生も覚悟を決めなければならない。(2009.9.25)
 

先生と遺書 四三
 
 先生はここで、Kが自分の生きかたを変えることはできないこと、それほどKの過去は重い意味を持っていたことを説明し、自分はこの点においてKのこころを見抜いていたつもりだった、と書いている。
 それにもかかわらず先生はKに追い打ちをかけた。家に帰ってから取り留めもない世間話をわざとKに仕向けた。Kはただ迷惑そうであった。先生はここで、Kは恐れるに足りない、と思った。お嬢さんに対する先生の愛情にとってはKが意味を持たなくなっている。
 何をしても先生が及ばなかったKが恐れるに足りない人物になったことは、たとえ恋に関わるだけの一時的なものであるにしても、先生にとってはお嬢さんとの関係を離れて、K自身の変調を印象づける。心身共に疲労していたKを助けた先生にとって、心から信頼できる唯一の友人であるKがKらしくなくなっていることは、お嬢さんとの関係を超えた、新しい深刻な問題である。
 先生はKと闘って勝利したという安心をもって静かな眠りに落ちた。しかし、突然先生の名を呼ぶ声で眼を覚ました。襖が二尺ばかり開いて、Kの黒い影がたっていた。そしてKは「もう寝たのか」と聞いた。先生が「何か用か」と聞き返すと、Kは「大した用でもない、ただもう寝たか、まだ起きているかと思って、便所へ行ったついでに聞いてみただけだ」と答えた。Kの声は不断よりも落ち付いていたくらいだった。
 この単純な事件は先生に真摯で真剣なこころを呼び起こしている。Kはどこか変調をきたしてKらしくなくなっていた。もう寝たのかという無意味な会話はKらしくなかった。しかし、Kの声は不断よりも落ち着いていてKらしかった。こうした印象は先生にとって何か不思議なことだった。凡てが夢ではないかと思うくらいだった。それでKに確かめるとKは確かに襖を開けて名を呼んだ、と言った。しかし、何故そんなことをしたのかと尋ねると、はっきりした返事をしなかった。そして、調子の抜けた頃になって、近頃は熟睡が出来るのか、と言った。先生はまた変に感じた。先生がお嬢さんとの関係で考えていたKにこれまでとは違った何かが起こっている。これは、先生自身の精神の重要な、基本的な変化であり変調でもある。
 昨夕のことが気になっている先生はまたKを追求した。このときの先生は格段に緊張し真剣になっている。しかし、Kはまともに答えなかった。先生は、「あの事件について何か話すつもりではなかったのかと念を押して」みた。そうではなかった。もしそうであれば不思議でも変でもない。そんな話ではなくなっているために先生は変に思い、気になっている。Kはそうではないと強い調子でいい切った。そうではないらしいことは先生にもわかる。先生が念を押して聞いたのは、そうではないことが分かっているからである。
 先生は、ここで「突然彼の用いた『覚悟』という言葉を連想し出しました。すると今までまるで気にならなかったその二字が妙な力で私の頭を抑え始めたのです。」と書いている。先生は、Kが自分とお嬢さんとの関係から決定的に離れていることを感じ取って、この「覚悟」という言葉にすがりついた。そして、先生もまた最後の覚悟を決めなければならなかった。先生はKの変調が気になり、お嬢さんとの関係を離れてKがどうなっているのかという深刻な関心が生じた瞬間に、最後の努力をしてKから離れてお嬢さんとの関係を一歩進めようとしている。(2009.9.26)
 


 先生と遺書 四四
 
 先生はKの果断に富んだ性格をよく知っていたが、お嬢さんとの関係ではKは優柔であると考えていた。しかし、先生はKの「覚悟」という言葉を何度も咀嚼して、Kはこの場合でも果断ではないかと思いはじめた。そして「覚悟」という言葉を手がかりにKとお嬢さんを再び結びつけて、Kがお嬢さんに対して進んで行く覚悟をしたという意味に解釈した。先生は「覚悟」という言葉の意味をK自身に即して考えることができなかった。
 先生は「覚悟」という意味をこのように解釈した上で、ここで最後の決断が必要だと考え、勇気を奮い起こした。しかし、二日経っても三日経っても機会を捕まえられなかった。先生は、Kがいない時に奥さんと談判を開こうと考えていたことを理由にあげているが、先生がなかなか決断できないのは、こうした外的な理由によるのではない。先生は決断ができないために、決断しないための外的な事情を造り出している。
 先生は一週間迷った。先生は一週間経って堪えきれなくなって、仮病をつかって奥さんにお嬢さんとの結婚を申し込んだ。先生は結婚を申し込むために身動きとれない状態に堪えきれなくなる必要がある。そして、一週間も堪えた果てに勇気を奮い起こして、その勇気で仮病をつかった。「奥さんからもお嬢さんからも、K自身からも、起きろという催促を受けた私は、生返事をしただけで、十時頃まで蒲団を被って寝て」いた。先生は、結婚を申し込むのにこんな回りくどいことをしなければならない。漱石は、先生が結婚を申し込むために余計なことをいろいろとやるはめになる事情をうまく描いている。
 詰まらない時間を潰して、詰まらない言葉をしゃべって、その末に先生はまず「Kが近頃何かいいはしなかったか」と奥さんに聞いた。
 先生は、結婚を申し込むその時にもまずKのことを気にしなければならない。先生は結婚を申し込むためにKにかかわっていろろいと努力してきたからである。そして、先生は、結婚に関わるこの余計な努力によって自分の運命と精神を創り出している。(2009.9.27)


先生と遺書 四五
 
 先生はKのことで奥さんにつまらない嘘を言うはめになって、快からず感じている。しかし、Kと先生の関係はもともと奥さんともお嬢さんとも関係がないから、この嘘は奥さんに関係しない。だから、先生だけの内面的な、Kに関わる嘘であり快からぬ感じである。
 先生は突然「奥さん、お嬢さんを私に下さい」と言った。奥さんは驚きもしなかったがしばらく黙って先生の顔を眺めていた。先生が結婚を申し込む事自体は驚くべきことでもなんでもない。誰にとっても自然な結果である。それにも関わらず、先生は唐突で妙な形式で申し込んだ。だから奥さんは「上げてもいいが、あんまり急じゃありませんか」と聞いた。そうして「よく考えたのですか」と念を押した。先生はよく考えたどころではなく、散々悩み散らして迷い続けていた。ただ、それは奥さんやお嬢さんと関わりのないKとの関係でだった。だから、奥さんにしてみれば良く考えての上なのかどうかが分からないし、あんまり急に見える。先生は急ではなくて、あまりにも余計なことを迂回して迷っていた。
 どうしてそんなことになったかは奥さんが説明している。
 
 「宜ござんす、差し上げましょう」といいました。「差し上げるなんて威張った口の利ける境遇ではありません。どうぞ貰って下さい。ご存じの通り父親のない憐れな子です」と後では向うから頼みました。
 
 先生とお嬢さんとの境遇は先生もよく分かっている。そして、先生はお嬢さんを愛しているし、お嬢さんも奥さんも先生を信頼している。お嬢さんが先生を愛しているか愛するようになることも疑いのないことである。先生とお嬢さんと奥さんの関係にはなんの濁りもなんの障害もなんの疑いの余地もない。関係は単純で明瞭である。だから内容がなく内容が分からない。関係の内容が現実的に造られていない。愛情が本物かどうか、実質的であるかどうかがわからない。特に先生自身の愛情が、本当に結婚を望んでいるほど現実的で強いものであるかどうかがわからない。先生はそれを問題にする精神を持っている。先生は財産をかすめ取られた経験があり、自分の財産を目当てに結婚されるのでは相手に騙されることになり、人格が否定されることになる。奥さんとお嬢さんが財産目当てであると疑う根拠はない。しかし、そうではないと信じる根拠もない。客観的な関係は、先生が財産をもっており、お嬢さんは父親のない憐れな子である。疑えば疑える。奥さんやお嬢さんに財産を狙う傾向があるなら、それを疑う根拠がなにかあったなら、それについて現実に検証して、そうでないことを明らかにできれば、疑いを否定した愛情になる。しかし、奥さんにもお嬢さんにもそうした傾向はまったく見えない。だから、先生は結婚に進むにはKを頼りにするしかない。しかし、Kを頼りにしたのではもともとの疑い、不安は解消されない。結婚すれば疑いと不安は消えるかもしれない。しかし、消えないかもしれない。そして、実際はこうした疑いと不安は、恋や結婚に関わる問題ではなく、先生とKの人生全体に関わる問題である。後にそうであることが意識されるようになる。
 話は簡単でかつ明瞭に片付いた。それは先生にも分かっていた。関係が簡単かつ明瞭であるから、話が複雑になりようがない。先生は「事のあまりに訳もなく進行したのを考えて、かえって変な気持になりました。はたして大丈夫なのだろうかという疑念さえ、どこからか頭の底に這い込んで来たくらいです。」と書いているが、かえってではなくて、事があまりにも訳もなく進行してしまうので、変な気持ちになったし大丈夫かという疑念もおこる。だから、Kとの関係でいろいろと疑惑を生み出してそれを乗り越えて結婚を申し込んだのだが、奥さんとお嬢さんとの関係にはどんな障害も作り出せていなかった。先生が問題を複雑にし深化させたのはKとの関係である。
 先生は仮病まで使って勇気を奮い起こして結婚を申し込んだ結果、「大体の上において、私の未来の運命は、これで定められたのだという観念が私のすべてを新たにしました。」実際に先生の運命は新しい基盤の上に定められた。しかし、それは、お嬢さんとの関係ではない。お嬢さんとの関係は結婚以前と変わらない信頼関係のうちにあり、結婚という事実とそれにともなう生活上の信頼の変化が起こるだけであり、運命というほど大きな変化はない。この結婚と結婚までの経過によって、先生の運命はKとの関係で定めらた。先生は、結婚に関係してKとの関係で新しい内容を創り出した。
 先生は結婚を申し込んだ結果に落ち着いていられずに表に出た。そして、お嬢さんに行き合った。お嬢さんは、もう病気は癒ったのかと不思議そうに聞いた。先生は「ええ癒りました、癒りました」と答えて、ずんずん水道橋の方へ曲ってしった。お嬢さんとの結婚を申し込んで、簡単に承知されて、そしてお嬢さんに会ってこんな挨拶をするのは、凡そ美しいお嬢さんと裕福なエリートの、しかも、信頼の厚い愛情も深い真摯な二人の関係としては似つかわしくない。しかし、この関係には非常に深刻な歴史的な内容が含まれている。それは非常に奥深い心理であって、先生自身もKとの関係を手掛かりに後にようやく理解できるほどの精神である。
(2009.9.30)


 先生と遺書 四六
 
 先生が結婚を申し込むと話は簡単明瞭に片づいた。先生は大喜びするのではなくて、自分の未来の運命が是で定められたと感じて町を歩き回った。結婚を断られたのなら先生はこれほど深刻にならなかっただろう。先生は深刻に何かを考えていた。先生は、結婚を申し込んだときの奥さんがどうだったとか、お嬢さんが宅に帰ってどうなっただろうか、今頃奥さんが話をしている時分だろう、といったごくつまらない、無内容なことを考えている。もうあの話が済んだ頃だとも思った。
 先生は深刻に悩んでいるが何を悩んでいるのか解らない。先生は結婚を申し込むまでにいろいろと努力したが、その努力の内容も目的もはっきりしなかった。先生は結婚するためにKと対立していると思い込んでいたが、結婚の話が終ってみると結婚が目的ではなかったように見える。目的が実現されたのに充実は生れない。先生は一体何が不満なのか、不足なのか、好きなお嬢さんと結婚することが決まったのになにを好んで悩んでいるのか。
 このとき先生はKのことを考えなかった。先生は結婚を申し込むまでお嬢さんとの関係をKとの関係でのみ考えていた。Kがお嬢さんを愛していて、Kがお嬢さんに自分の恋を打ち明ける覚悟をした、と想定して、先生も覚悟を決めて仮病を使って結婚を申し込んだ。それにも関わらず先生は結婚を申し込んだ後でKのことを何も考えなかった。結婚にいたる過程を考えれば先生はまず第一に結婚を申し込んだことがKにどんな打撃を与えるかを考えてもよさそうである。しかし、先生はKのことは忘れて自分のことばかりを、しかも、瑣末な無意味なことばかりを考えていた。
 先生がKのことを思い出したのは宅に帰ってKの姿を見てからだった。見て思い出さないことはありえない。それほど結婚の問題とKは離れた問題であった。Kはいつもは「今帰ったのか」と言うが、この時は「病気はもう癒いのか、医者へでも行ったのか」と聞いた。先生が仮病を遣ったので奥さんにもお嬢さんにもKもこう挨拶された。先生の内面と、奥さん、お嬢さん、Kとの現実的な関係は二重になっており、先生の内面の進行には誰も気づいていない。先生自身も自分の「こころ」を理解していない。先生の意識には、Kを見たときはじめてこれまでのKと関係するつまらない行動についての道徳的な反省が分かりやすい表面的な意識として現れた。しかし、先生の意識の中で道徳的な内容を持つのはごく表面的な部分的な意識にすぎない。
 先生は「病気はもう癒いのか、医者へでも行ったのか」と言われた「その刹那に、彼の前に手を突いて、詫まりたくなった」。しかし、詫まらなかった。先生は、二人が広野の真ん中にでもいたなら謝罪しただろうが、奥には人がいるので謝罪できなかった、とここでも外的な理由を上げている。奥に人がいるだけでなぜ謝罪できなかったのかを先生はまだ理解できない。
 先生はお嬢さんとの結婚を決意するために、Kとの対立を想定しKに対して馬鹿馬鹿しい軽率な態度をとってきた。先生の想定からすると、先生はKを出し抜いてお嬢さんに結婚を申し込んだことになり、先生はKのお嬢さんに対する愛情と先生に対する信頼を踏みにじったことになる。だから、先生はKに謝罪しなければならない。道徳的であり真面目である先生の良心が謝罪しないことを許すはずがない。しかし、先生は謝罪しなかった。
 
 夕食のとき、Kは先生に少しも疑いの眼を向けなかった。何も知らない奥さんは嬉しそうだった。先生は、自分だけが凡てを知っていたというが、先生も事実のうちのごくわずかしか知らなかった。先生だけが知っているのは、Kが先生に恋を打ち明けられたにも関わらず先生がKに何も言わずにお嬢さんとの結婚を申し込んだことである。実践の結果は先生がお嬢さんと結婚するというだけのことである。その結果をKが知らなかったとしてもすぐに知ることができるし、それは知らなかった事実を知るだけのことで、Kにとって重大な意味を持つものではない。だから、先生だけが知っている事実、秘密だと思っているものはごくわずかであるし、重要でもない。
 お嬢さんはいつものように食卓に並ばなかった。奥さんが催促しても出て来ないのをKは不思議そうに聞いていた。仕舞にどうしたのかと奥さんに尋ねると、奥さんは「大方極りが悪いのだろう」といった。Kは猶不思議そうに、なんで極りがわるいのが、と聞いた。こういう会話は先生の耳に痛い。漱石はこういうところを強調している。先生は奥さんが結婚のことを話すのではないかと気が気でなかった。奥さんはそのことを話さなかった。先生はほっとしたが、これから先Kに対してどうした態度をとるべきか考えた。先生はKに対していろいろと弁護を拵えて見たが、納得のいく弁護を思いつかなかった。そして、結局「卑怯な私はついに自分で自分をKに説明するのが厭になったのです。」ということになった。実際に先生は卑怯であった。「彼岸過迄」の須永は小説の最後でやっと卑怯であると指摘されただけであるが、先生はそれより遥かに深刻に卑怯になることができた。
 Kを出し抜いて結婚を申し込んだ先生はきまりが悪い。親友を騙したのだから良心が傷む。だから、先生はKに詫びたくなるし、詫びなくてはならないと思う。しかし、先生はKに何を詫びればいいのか。Kに何も言わずに結婚を申し込んだ事実を詫びることにどんな意味があるだろうか。Kにとっては、先生がお嬢さんに結婚を申し込んだことは意外ではあっても、詫びられることではない。Kがお嬢さんを愛したとしてもお嬢さんと結婚する可能性などないしKの関心ですらならない。
 先生はKに何をどう詫びればいいのか。Kに何も知らせずにお嬢さんに結婚を申し込んだことを詫びれば、先生の良心が満足するだろうか。この事実だけが問題であれば、Kは詫びるまでもない、と言うだろうし、実際詫びるまでもないし、詫びれば先生のそれまでの苦悩はすべて許されてしまい、なにをしていたのか分からなくなる。ここで謝罪すると、先生は奥さんにもお嬢さんにもKにもまったく理解されず、誤解される。先生は自分のもっとも重要な精神、自分の苦悩を誰にも理解されなくなり、自己をも欺くことになる。
 良心の発現を抑えているのは何か。良心とは何か。先生の精神にとって良心はどんな位置をもっているのか。先生がお嬢さんと結婚するためにKと対立していたのはどんな意味を持っていたのか。これまでの自分の行動をどのように説明すべきか、自分はどうなっているのか、どうしてこんなつまらない卑怯な態度をとることになるのか。こうした問題は、先生が謝罪すればすべてなくなる。それは先生自身において本質的な欺瞞である。
 先生がKを競争相手と想定したこと、そしてKに何も言わずに結婚を申し込んだことは、Kに対してどんな罪でもないし、奥さんとお嬢さんに対しても罪でもなんでもない。Kに対して軽率であり、友人らしからぬ行為であったが、謝罪するほどのことでもなく、謝罪してもKがそんなことを問題にしないのは分かっている。だから、先生がKに謝罪すれば、すべてがなんでもなくなってしまう。しかし、先生がお嬢さんと結婚するためにKを相手にいろいろとつまらない行動をした事実は、Kに対する道徳的な反省では済まされない深刻な問題を含んでいる。先生は結婚を申し込むためになぜこんな詰まらないことを遣らねばならないのか。結婚を申し込んで、単純に事が終った後で先生はその問題に深刻に直面する。結婚の申し込みが受け入れられるのは初めから分かっていた。それにもかかわらず、先生はKを相手にいろいろな苦悩をして策動をして、やっとのことで結婚を申し込んで、しかも結果としては単純な事実に終ったし満足もない。もしここで謝罪すれば、先生の回り道は、たんに余計な軽率な無意味な行動と苦悩になる。しかし、実際はそんなことではないことが先生には分かる。また、Kに謝罪すれば、Kは先生がお嬢さんを愛していて、愛情のためにKに気をつかっていたのだと考えるだろう。先生についてそれ以上のことを考えることはなく、それが結論になる。奥さんとお嬢さんがその事実を知っても、平凡な愛情による行動だと思うだろう。
 しかし、そうではなく、先生の行動は単純で軽率であるにしても、その単純で軽率な行動を引き起こしたのは先生自身の内面の奥深い何かである。そのことが先生には分かっている。しかし、それが何であるかはわからない。だから、先生には自分が謝罪する気にならない理由がわからない。
 先生の行動はいろいろとつまらない軽率な結果を自分自身に引き起こした。そのことを誰も知らない。だから、先生だけがそれを知らなければならない。知る義務があり、知る能力をもっており、知るための材料を行為として蓄積してきた。先生はお嬢さんとの結婚にあたって、どうして無意味ともみえる回り道をしたのか、そうした行動は先生のどのような運命を意味しているのか、それが先生の直面している問題である。瑣末な行動について反省することは、その瑣末な行動を引き起こした先生の内的な必然性に直面することを避け、自他を誤魔化す欺瞞である。(2009.10.01)


 先生と遺書 四七
 
 先生は自分をKに説明する必要があると思いつつ二三日を過ごした。その間Kに対する絶えざる不安が先生の胸を重くしていた。先生がKに説明しなければならないのは、Kに何も言わずにお嬢さんに結婚を申し込んだ事実ではない。この単純な事実は説明しなければならないことではなく、謝罪しなければならないことである。先生は謝罪するよりもっと難しい、自分がなぜそんなことをしたか、そんなことをした自分とはどんな人間なのかをKに説明しなければならない。
 しかし、先生はKに対して、というより、お嬢さんとの結婚のために愚かしい行動をした自分をKにも自分自身にも説明することができなかった。いつ奥さんが事実を話すかわからないので先生は焦ったが説明することはできない。
 先生は奥さんに頼んで自分のいないときにKに言って貰おうかと思った。先生は何をしていいかわからないので、いろいろとつまらないことを考えている。しかし、事実だけを伝えて貰っても面目ないことに変わりはない。実際どんな説明をしても、間接的であっても直接的であっても面目を失う。拵え事で誤魔化すのではまた不面目を上塗りするだけである。しかし、先生は、面目を失わない説明の仕方を思いつかない。面目を失わない説明とは、Kに先生の苦悩を説明することである。先生のつまらない行動は先生の何か深刻な問題を含んでいることを説明しなければならない。そうでなければKは、先生がお嬢さんに対する愛情のために、つい軽率な行動をとった、と考えてまう。先生の行動を単なる軽率さと理解されれば、軽率さについては謝罪する必要もなく容認されるが、先生の苦悩はKにさえ知られないことになる。
 先生はこの時の迷いについて、「私は正直な路を歩くつもりで、つい足を滑らした馬鹿ものでした。もしくは狡猾な男でした。」と言っている。先生は自分の行動についてKに納得のいく説明をしたかった。先生の行動は軽率では済まされない深刻な問題を含んでいた。しかし、その深刻な問題に突き当たるには、自分がKに対して軽率な行動をしていたことをまず告白すべきであった。その事実が出発点である。その事実から出発して、その事実を謝罪するのではなく、その事実は先生の何を示しているのかを理解しなければならない。そうしていればKは先生を理解しただろう。たとえ事実を先生に即して理解できなくても、その倫理的な軽率さが先生であるとは考えずに、先生と苦悩をともにすることができただろう。先生とKはそれほどの信頼関係にある。しかし、先生はKに自分の軽率さを告白する度胸がなく、その点でKに対して卑怯で狡猾で馬鹿者であった。先生が一歩前へ踏み出すには、自分の軽率な行動の事実をKと奥さんとお嬢さんに知らせなければならなかった。そこから出発すべきであったし、信頼されている先生にはそれができたはずである。しかし、それができないのもまた先生の特徴である。先生が自分を知るにはまだまだ苦しみが足りない。
 先生が迷っている間に事態は進んだ。そうなる以外になかった。奥さんがKに話した。そして、なぜKに話さないのか、と先生を詰った。
 
 「道理で妾が話したら変な顔をしていましたよ。あなたもよくないじゃありませんか。平生あんなに親しくしている間柄だのに、黙って知らん顔をしているのは」
 
 先生はKと深い信頼関係にあるのにKに何も話さなかった。何を説明すべきか解らなかったからであるが、まず事実をKに話して、それから自分を説明できないことを説明し、自分について知る努力をKと共にすべきであった。それが先生とKの本来の信頼関係である。しかし、先生はつまらない道義的意識にひっかかってそれができなかった。道義的意識を超えようとして道義的意識に捕らわれてしまった。結果として、奥さんには不可解なKにも妙なことになった。
 だから奥さんの話を聞いてKは変な顔をした。Kにとっても奥さんと同様先生がKに話をしないのは不思議である。しかし、Kはそんなことを詮索しない。先生がKに話さないのは何か事情があったのか、Kが告白したことを気にしたのかもしれないと考えるかもしれないが、いづれにしても事実を先生の自然な運命として是認するだけである。先生がお嬢さんに結婚を申し込むことは先生としてごく自然な、当たり前の、先生の運命にふさわしい選択だとKは思う。しかし、先生にとってはそれが一番つらい誤解である。
 Kは変な顔をしたが「この最後の打撃を、最も落ち付いた驚きをもって迎えた」らしい、と先生は考える。しかし、先生がKに知らせずにお嬢さんに結婚を申し込んだことはKにとって打撃ではない。先生との日頃の関係からすれば言わなかったことだけが不思議であるが、信頼関係を壊すような不思議さではない。だから、奥さんが「あなたも喜んで下さい」といった時、Kは「はじめて奥さんの顔を見て微笑を洩らしながら、『おめでとうございます』といったまま席を立った」そして、「茶の間の障子を開ける前に、また奥さんを振り返って、「結婚はいつですか」と聞いた。それから「何かお祝いを上げたいが、私は金がないから上げる事ができません」といった。
 先生は、その話を聞いて胸が塞るような苦しさを覚えた。先生は自分をKに説明することからまた一歩遠のいた。先生にとってお嬢さんとの結婚は嬉しいことである。しかし、先生にとってもっとも重要なことは、結婚するために同時に苦悩を抱え込むことである。先生は自分の人生においてKと同じような困難を抱え込んでいる。平凡な日常的な幸福を味わうことに満足することができなくなっている。先生は奥さんにもお嬢さんにも信頼されているが、Kとの信頼はこの苦悩の部分で造られており、先生にとってかけがえのないものである。そのKに、お嬢さんとの結婚を祝福されて、何かお祝いを上げたいが、金がないからお祝いを上げる事ができない、とお祝いできないことが済まないようなことを言われては先生は絶え難いであろう。
 Kとの信頼関係の中で先生は大きなずれを生み出した。奥さんやお嬢さんとの関係で生れるずれは瑣末な事実である。しかし、先生とKは同じ精神世界にいるために、精神世界における深刻なずれを生みだすことができる。Kとの信頼関係の中でだけ先生は深刻なずれを生み出し、自己の二重性を生み出し、自分の二重性を理解するための現実的な材料を蓄積することができる。先生とKの信頼関係が深いほど先生とKのずれが大きくなり、先生自身の二重性が深刻になり、認識すべき自分が表に現れてくる。(2009.10.02)
 

 先生と遺書 四八
 
 奥さんがKに話をして二日になるが、Kは以前と少しも変わらなかったので先生はKが事情を知ったことに気づかなかった。先生は結婚を申し込んだ後、Kがお嬢さんへの恋を告白したあと少し変わってきていたことを忘れている。Kは新たな覚悟を決めることでまたKらしくなった。Kの覚悟に気がつかない先生は、Kが概観だけでも超然としているのは立派だと反省している。先生は自分の軽率な行動に気を取られているほどにまだ気楽で軽率である。
 Kは先生の結婚を当然のことと思うだけである。先生が「おれは策略で勝っても人間としては負けたのだ」と感じたり、「さぞKが軽蔑している事だろうと」と反省するのは軽薄な独りよがりである。こんな反省をしつつ、Kに事情を話そうかどうかと考えて「ともかくも翌日まで待とうと決心した」ほど先生は呑気であった。とはいえ、先生の優柔不断はKに話すべき内容がはっきりしないからである。話すべき内容がわからないのにKに話を仕掛けても埒があかない。先生がKに何も言わずにお嬢さんに結婚を申し込んだことならすでにKは知っている。先生はKに話す決意をしようにも、Kに話す内容を見つけていない。
 ところが、翌日まで待とうと決心していたその日の晩にKは自殺した。先生とKの室の仕切りの襖が先生が変だと思った晩と同じくらい開いていた。しかし、今度はそこにKの姿はなかった。先生は、「またああ失策った」と「もう取り返しが付かない」と思った。
 先生はこれまでKに対してだけは「また失策った」と思うことを何度もやった。強いKだと信頼していたからKに対してはしくじることができた。しかし、Kが自殺した今は取り返しがつかないことになった。
 Kの死は先生にとってあまりに大きな、先生の全生涯を照らすほどの衝撃だった。先生はその打撃をまともに受け入れることができなかった。Kの死を前にして先生は自分のことだけを考えている。Kとかかわりのないつまらないことを、つまらない自分のことだけを考えている。重要な時、Kだけを考えなければならない時、先生はいつも自分のことを考えている。先生はすぐに机の上に置いてある手紙に目をつけた。先生はKが自分の悲しみや先生に対する非難を書いているかもしれないと思ったが、先生が予期したことは何も書いていなかった。先生は、奥さんやお嬢さんに事情が知られないままであることを知って助かったと思った。Kにもお嬢さんにも奥さんにも信頼されている先生が非難されることはありえない。しかし、先生が余計とも見えるさまざまな苦しみを経験するのは、自分に対する信頼を信頼していないからである。
 先生は自分自身を信頼していない。先生は自分のせいでKが死んだと思った。先生がKを出し抜いてお嬢さんに結婚を申し込んだためにKが自殺した、Kは先生を非難して死んだ、と考えることは、Kの自殺に直面した先生にとっては慰めである。Kの死に道義的な責任を負うことは、Kが先生と共にあることである。先生に道義的責任はない。しかし、先生はまず自分がKに対して道義的責任があると思い、自分を非難している。先生はお嬢さんに結婚を申し込むまでは、Kを打ちのめし、Kを騙しているのだ、と思い込もうとしていた。Kを疑いお嬢さんを疑い、お嬢さんと結婚してKを失って疑うものはなくなり、今は自分を疑っている。
 Kの遺書は単純に真実を書いている。Kの精神は端的であった。先生はそれを理解できないし認めない。自分のつまらない、軽率な行動をまだ処理できておらず、道義的精神にまとわりつかれている。Kが先生にお嬢さんを奪われて失恋したために死んだのなら、あるいは先生に対する信頼が失われたのなら、自分の死後の始末を先生に頼むことはない。Kは先生を信頼し頼ったまま死んだ。お嬢さんも、先生とお嬢さんの結婚もKの視野から消えている。Kにはお嬢さんより大事な自分自身の人生があった。先生はそんなKの人生に思い及ぶことはできない。先生は自分の軽率な行動を無視して自分で許してKのことを考えることはできない。まず、自分のこと、先ず自分の軽率な行為の道義的反省をしなければならない。それを超えることで初めて道義的責任より遥かに深刻な自分の運命について考え、Kの人生と、自分とKの関係を考えることができる。
 先生は、眼につくように机の上においた。それから、襖に迸っている血潮を初めて見た。それほどに先生は動転していた。Kのことや自分とKの関係のことを考える余裕はなかった。自分と奥さんとお嬢さんと自分の軽率な行動について道義的反省をするのが精一杯である。深刻な反省は事態が落ち着いたときに始まる。(2009.10.04)
 

 先生と遺書 四九
 
 先生はKの死に顔を見てただ恐ろしかった。「私は忽然と冷たくなったこの友達によって暗示された運命の恐ろしさを深く感じたのです。」Kの死に顔を見たとき先生の道義的な反省は消えている。先生は道義的罪の意識より遥かに深刻で恐ろしい運命を感じている。
 先生は奥さんと向かい合ったとき、「済みません。私が悪かったのです。あなたにもお嬢さんにも済まない事になりました」と詫まった。しかし、なぜ詫まったのか、何を詫まったのか先生にもわからない。Kの死は奥さんとお嬢さんに済まない事になったのではない。先生にとってどうにも済まないことになった。Kの死は先生の運命と深く関わっている。
 先生はKに対して悪かった。悪いところが解れば反省できる。しかし、Kはなぜ死んだのか。Kの死が先生の運命にとってどんな意味を持っているのか、Kの死に対して先生がどう悪いのかはわからない。先生とKの自殺の関係で分かっているのは、Kがお嬢さんへの恋を先生に告白したにも関わらず、先生がお嬢さんと結婚したことだけである。Kは失恋して死ぬ個性ではないが、先生の道義的責任だけが今のところ先生の運命とKの自殺を繋いでいる。しかし、それでは先生が知るKと、先生だけが知っている自分の不可解な行動と心理の全体を理解することができない。
 奥さんは、「不慮の出来事なら仕方がないじゃありませんか」と言った。不慮の出来事なら仕方がない。しかし、不慮の出来事ではなく、そうなるしかない出来事であって、先生の運命と深く関わっている出来事である。しかし、これがK自身においてどんな出来事で、先生の運命にとってどんな出来事なのか先生にはまだわからない。(2009.10.07)


 先生と遺書 五〇
 
 先生はお嬢さんと奥さんが泣いているのを見てようやく悲しい気分に誘われる事ができた。先生の胸は悲しさのために寛ろいだ。先生はKの死によって、悲しみより遥かに深刻な苦痛と恐怖で締めつけられていた。
 先生はKを雑司ヶ谷に葬った。先生は生きている限りKの墓の前に跪いて月々懺悔を新たにしたかった。先生はKに対して何を懺悔するのかわからないが、ともかく懺悔したかった。Kの死を自分の身近において、自分とKの運命をゆっくり考えなければならない。(2009.10.08)


 先生と遺書 五一
 
 先生は、Kはどうして自殺したのかと質問された。先生にとってもこれがわからない。早く御前が殺したと白状してしまえ、という気がするが、先生がKをどうして殺したのかという次の質問に答えることができない。次の疑問に進まずに自分がKを殺したと道徳的に反省すれば先生は俗物になる。
 Kが自殺したのは、Kの遺書にあった通り薄志弱行で到底行先の望みがないからである。それだけでは意味がわからないので、誰もが自分流の理由を想定する。新聞は親から勘当されたからだ、気が狂ったからだ、といった個別の理由をあげている。個別の原因を挙げるのは、Kがなんらかの個別の欲望を満たすことが出来なかったから自殺した、と考えることである。Kは禁欲的であったから個別的な欲望が実現されなかったことが自殺の原因ではありえない。先生はそれをよく知っているから自殺の原因がわからない。
 先生は自分が自殺と関わっていると思っているが、どう関わっているかはわからない。だから、まずKの自殺の原因の詮索が奥さんやお嬢さんの迷惑になることを恐れている。先生は結婚する前から奥さんとお嬢さんに非常に気をつかっている。愛情からであるが、自分の世界と距離を置いている点でKに対する態度とは違っている。Kに対しては卑怯であることもできたが、奥さんとお嬢さんに対してはわずかの迷惑も自分に許すことがない。先生は、Kの自殺についての反省でも、お嬢さんや奥さんに対する対応でも、非常に倫理的である。この倫理的な意識が事態の認識と合理的な対応を妨げている。
 先生の倫理的な態度は、自分を厳しく非難し奥さんやお嬢さんを擁護する形式をとっているが、客観的には保守的で自己保身的な対応になっている。しかし、これは先生の自己認識の出発点であり、先生はこの倫理的な立場に止まらない。自分に対する非難を回避し、誤魔化すために保身的なのではなく、自己認識がまだ足りないだけである。倫理的に厳しく自分を反省するところから出発して、Kの自殺に直面し続けることでより深刻な自己否定的認識に到達する。ただし、倫理的形式による抽象的な全体的な否定である。
 
 先生は引っ越しして、大学を卒業してお嬢さんと結婚した。万事予期通りで、先生もお嬢さんも幸福である。しかし、先生の幸福には黒い影が随いていた。先生は、此の幸福が最後に先生を悲しい運命に連れて行く導火線ではなかろうかと思った。先生の幸福に暗い影を落としているのはKの自殺であるように見える。Kの自殺も関係しているが、複雑に関係している。先生がお嬢さんと結婚したのは、Kと関わりない自然な結果である。Kがいなければ先生がお嬢さんに結婚を申し込む勇気がでなかったという意味でのみKは先生の結婚と関係している。先生とKはお嬢さんとの関係とは別に独自の深い関係を持っている。先生はお嬢さんを愛したことを契機に自分が持っている暗い影に気づいていた。その影がKに対する先生の対応とKの自殺によって大きくなった。Kの自殺によって影が生れたのではなく、Kの自殺が影の原因ではない。しかし、先生の暗い影とKの自殺は関係している。正体がはっきりしないこの暗い影が何であるかを理解するためには、Kがなぜ自殺したのか、つまりは、Kの自殺と先生がどのように関わっているかを理解しなければならない。先生は自分を理解するためにはまず自分より明快で分かりやすいKを理解しなければならない。先生の暗い影を理解する鍵をKが残してくれた。
 先生を悲しい運命に連れて行くもっとも重要な導火線は、先生とお嬢さんの幸福な生活である。先生は自分の暗い影を意識しており、お嬢さんとの結婚に踏み込めなかった。お嬢さんを愛しており、愛する人と結婚し、幸福な生活を手に入れれば結婚前の暗い影は解消されるかも知れない、と先生は考えていた。だから、もし幸福な生活の中でも暗い影が消えないなら暗い影を解消することはできないことが明らかになる。
 
 先生は妻と二人でKの墓参りをした。妻が、二人揃って御参りをしたらKが嘸喜ぶだろうと言ったからである。実際それはKの供養になるだろう。しかし、先生はそのことを理解できず、Kの墓を前にして腹の中でただ自分が悪かったとくり返した。そして、それ以後決して妻と一所にKの墓参りをしなかった。先生は倫理的反省をどうしても超えることができない。
 先生がKの自殺について自分が悪かったと反省することが長く続くと倫理的にひねくれた偽善に見えるし、実際にそうなる。先生は自分を倫理的に厳しく否定して責めるだけだから偽善は外に現れないが、もし自分が悪かったと奥さんやお嬢さんに説明して謝罪をすればまったくの俗物になる。先生は非常に微妙なところに位置している。
 先生が原因で、先生の過失によってKが自殺したのであれば、先生の反省によって、先生の意識次第でKの自殺は避けられたかもしれない。避けられたにも関わらず自殺したのなら、自殺を止められなかった先生に責任があり、先生が悪い。しかし、もし、先生が悪いのでなく、先生が原因でないのならKの自殺を避けることはできない。KはK自身において自殺した。その場合先生が、自分が悪いと繰り返し反省するのは間違いである。先生はもっと深刻な反省に進まなければならない。(2009.10.09)
 

 先生と遺書 五二
 
 先生はKに対して自分が悪かった、と感じ考えていた。先生は自分の不安の原因はKに対する罪だと思っている。先生は結婚して幸福であったが不安は解消されなかった。先生もそれを予感して恐れていた。結婚してもKの自殺の事実は消えないから先生の不安は解消されない、と考えることもできる。しかし、先生は奥さんやお嬢さんに対する不信感を特に根拠もなく持っていて、そのために結婚に踏み切ることができなかった。結婚して奥さんもお嬢さんも先生の財産を目当てにしているのではないことがはっきりすれば不安がなくなるか、というとそうではない。個別の幸福では不安と猜疑はなくならなかった。先生もそうではないかと思っていた。先生の猜疑心、人間関係に対する警戒心がそれほど強いことを自分で理解しているからである。先生は田舎での苦い経験からそれまでの人間関係を完全に断ち切ることで、猜疑心、人間不信を解消する機会をも自ら断ち切っていた。その結果が、静かな素人下宿である。静かな素人下宿では人間不信を解消する方法はない。唯一のそして微かな可能性がKとの関係にあった。
 
 先生は自分の運命とKがどのように関係しているかを理解できない。しかし、Kが先生に恋を打ち明けて、先生が結婚を申し込んだ経過があるために幸福な結婚生活とKの自殺が常に結びついてくる。実際は順序が逆で、幸福な結婚生活の中でも先生はKとの関係を忘れず、自分の人生においてKとの関係がもっとも重要な意味を持っていると考えている。先生にとってKの自殺は幸福な結婚生活よりも重要である。妻は自分が愛されていることを知っているが、先生のこの価値観を影として感じている。そこにこそ先生の精神の意味があり先生らしさがある。しかし、その意味が解らないために、妻はそうではないことが分かっていても、私を嫌っているのではないか、何かを隠している、のではないか、と疑って見ないではいられない。そうは思っていなくても、それ以外に考えられない。それは、Kの自殺の理由がわからないのと同じである。先生が苦しいのは、Kの自殺の理由と、自分の暗い影の理由、あるいは正体がわからないからである。
 先生は妻が自分の影に苦しんでいるのを見て何度も「有の儘」を打ち明けようとした。しかし、有の儘とは何かが解らない。Kがお嬢さんへの恋を告白したにも関わらず先生がお嬢さんと結婚した、という事実は説明にならない。それを暗い影の意味として説明すれば、はっきりした虚偽である。先生が懺悔の言葉を並べれば妻は嬉し涙をこぼして先生の罪を許しただろう。しかし、それでは何も解決しない。そのことでは先生の暗い影はなくならない。まだ別の秘密があることにすぐに気がつくだろう。だから、先生が懺悔し妻が涙を流して許したのは茶番であったことになる。そんなことは先生も妻もできるものではない。先生は妻に懺悔しなかった理由を、「妻の記憶に暗黒な一点を印するに忍びなかった」からだと言っているが、これは間違いである。妻に告白しても、暗黒な一点を消し去ることはできない。そして、先生が妻を愛して信頼しているなら、先生の運命である暗黒な一点を妻に印することに堪えるべきである。妻の不安なこころを純白のままにしておくことはできないし、純白のままにしておくのは妻に対する信頼ではない。たとえそれが理解し難い物であっても、妻にも暗黒な一点を残し共有すべきである。それができないのが先生の限界である。先生は自分の精神の限界を時々感じて、それを卑怯だと表現している。これもその卑怯の一つである。先生は決定的な時に一歩を踏み出すことが出来ない。そのために先生は自殺しなければならない。
 先生は不安を解消するために書物に溺れた。不安の正体が解らないのだから書物に溺れても不安は解消されない。学問的な、思想的な価値のある課題は、この不安の正体を明らかにすることだけである。思想上の、歴史的な基本的課題であるこの不安を捕らえておきながら、その課題から離れた無意味な学問に溺れることはできない。だから書物に溺れるのをやめて腕組みをして世の中を眺めだした。
 妻はそれを、財産があって生活に困らないからだと観察しているようであった。財産がなければ先生のような生活はできないから、まず財産があるからだというのは正しい。しかし、先生はそうではない、という。それは、先生が自分の影と財産の関係を理解していないからである。財産と先生の影は直接的な関係ではなく、多くの複雑な媒介で結ばれているが、その媒介のすべてと影は財産によって規定されている。だから、妻の言う意味とは違って先生が腕組みをして世の中を眺めているのも、暗い影を持つのも財産があるためである。
 財産が基礎にあって、先生は不安を持っている。叔父に欺かれた先生は、他人を道徳的に批判する意識を強く持つようになった。そして、自分自身は道徳的に確かであると思っていた。世間はどうあろうと、自分は立派な人間だという信念が何処かにあった。それが、Kの死という深刻な事実で破壊された。先生は、Kを出し抜いて結婚を申し込んだことによって、自分と叔父は同じ人間である、というところまで自己認識を進めた。先生が、自分と叔父が同じであると考えるは、自分がKを裏切ったと反省するのと同じレベルである。この程度の反省なら誰でも、どんな俗物でもするものである。先生の特徴はこの反省に止まることなく、つまり、この反省を懺悔して自己を肯定することなく、自己否定をさらに一歩すすめることである。(2009.10.10)


 先生と遺書 五三
 
 先生は書物で自分を忘れようとした。酒で自分を忘れようとしたがそれもできなかった。書物でも酒でも自分の暗い影を消し去ることはできない。そのことが妻と母親にはわかる。すると彼女たちは、「自然な立場から」先生を解釈する。自然な立場からの解釈とはKの自殺の原因を勘当だとか気が狂ったためといった個別の事実に求める新聞と同じ解釈である。先生が住んでいる狭い世界の中に不満の原因を探すと自分以外には見つからない、と妻は思う。だから「何処が気に入らないのか遠慮なく云って呉れ」と頼んだ。先生の影の原因が自分にあって、自分が悪いのであれば、妻はそれを反省して修正する。できなくても努力をするだけでも安心できる。そう思うのは先生も同じである。自分がKに対してどのように悪かったのか、自分のどこが悪いのかが解れば、Kの墓に言い訳もたつし、妻にも説明できるし、何よりも自分自身に対して説明ができる。自分を忘れる必要はない。しかし、先生の影には個別の原因はない。
 妻は「Kさんが生きていたら、あなたもそんなにはならなかったでしょう」といった。Kが自殺しないならば、KはKではないし先生は先生ではない。Kは先生の関係において自殺し、先生は自殺したKを自分の運命として受け入れる。先生が先生でなければ、先生にも妻にも今の幸福はない。先生は妻に対してもKに対しても、日本ではめったにない深い愛情と信頼を持っている。先生は愛する能力があり信頼する能力があり、より深い愛情や信頼を求める能力がある。そこに暗い影を生み出すの日本の社会である。先生の妻も、Kも、先生と知り合った「私」も、不安な影を持つ先生によって幸福や信頼や深い思索を経験している。
 
 先生は時々妻に謝った。これも酒を飲むのと同じ一時しのぎである。先生が何を謝っているのかわからないから、暗い影は消えない。先生自身にとっても同じである。そして、こうした無益な努力の結果自分の孤独に突き当たることになった。理解させる手段があるのに理解させる勇気が出せない、と思うのは間違いである。理解させるべき内容がないから理解させる手段もない。だから、まず経験的に理解させる手段がないことを知り、次に理解させるべき内容がないことを知らなければならない。叔父に財産を捕られたために世間と断絶した生活に逃避して、その中で唯一の親友であるKを失い、今また世の中でたった一人愛し信頼している妻にも自分を説明することができず、理解もされないことを思い知らされたことが先生の努力の成果である。先生は、自分が「どこからも切り離されて世の中にたった一人住んでいるような気」がするようになった。こうして先生は一歩一歩Kに近づいている。
 
 先生は、まずKに対して悪かった、と考えていた。しかし、自分の罪を謝罪することはできず、自分の影を信愛する妻にも理解されないために、自分が悪かったという罪の意識から、自分が誰にも理解されない孤独な人間であるという、より深刻な、対処のできにくい、解決策の見つけにくい基本的な自己意識に深化している。
 こうした自己認識の深化ととにも、Kの自殺の原因についての理解も深化する。先生はKの死因を繰り返し考えていた。先生がKの自殺を自分の運命との関係で考え続けているために、先生の幸福な生活に暗い影がつきまとっていた。それが先生の孤独感を生み出した。先生は妻や母に愛され信頼されているにも関わらず、自分が世の中で立った一人であると考えはじめた。Kが自殺したのは、失恋のためだと極めてかかっていた間は、先生はむしろ自己肯定的で、部分的な罪を反省しているだけだった。幸福であった先生は、Kが孤独であったこと、寂寞のなかに生きていたことを理解できなかった。長い苦悩の結果Kと同じ境遇に立って、「Kが私のようにたった一人で淋しくって仕方がなくなった結果、急に所決したのではなかろうかと疑い出し」た。Kの自殺は失恋のためというような個別の原因による単純な現象ではなくなった。自殺はKの偶然的な個別的な不幸によるのではなく、K自身の避けられない運命であったのかもしれない。そして、それは個別の幸福で癒されることのできない先生自身の運命であるかもしれない。そう思うと先生はゾッとした。「私もKの歩いた路を、Kと同じように辿っているのだという予覚が、折々風のように私の胸を横過り始めたからです。」
 
 Kの死因は失恋であると考えている場合、先生はKに対して悪いことをした、という道徳的な罪の意識において自己を認識し反省する。そして、自分は財産をかすめ取った叔父と変わらない、と自己否定的に反省する。先生は叔父と同じであり、死ぬまで道徳的であり続けたKと対立することになる。叔父と同じ不道徳な人間としてKに済まないことをしたことになる。しかし、自分が世界のなかで立った一人で淋しく生きていることを知った時、自分が叔父と同じであることを超えて、対立していると思っていたKと同じであることを認識するようになる。これが深刻な反省の始まりである。この深刻な反省に比べれば、自分がKを出し抜いただとか、自分は叔父と同じだ、といった反省は気楽な自己肯定的な反省である。先生の苦しみは平凡な道徳的反省に止まることができず、そのために謝罪できなかったことである。より深い反省能力を持っているために、先生は奥さんにも妻にも自分自身に対しても謝罪せず、不可解な影を持ち続けることで孤立を深めてきた。そして、Kと自分の関係をより深刻に認識できるようになった。先生の自己認識が、叔父との共通点を超えてKとの共通点にまで深まると、先生の自己認識はさらに一般化される。(2009.10.11)
 

 先生と遺書 五四
 
 妻の母が病気になった。先生は母の看病をした。それは、病人自身のためでもあるし、愛する妻のためでもあるし、もっと大きな意味からいうと人間の為であった、と先生は考えている。先生は何かしたくてたまらなかったが、何もできず何をすれば満足なのかわからなかった。母の病気を看病する機会を得た先生は力の及ぶ限り懇切に看病することで、幾分でも善いことをした、と自覚した。罪滅ぼしをした気分になった。
 先生は人間の為と思って母の看病をした。しかし、それは人間の為ではないとはいえないまでも、やはり、母のためであり妻のためであり自分のためであり、個別の善である。人間の為というのは先生の希望である。このことから、先生が自分の暗い影を解消するためには、幾分でも人間の為に、人間の役に立っている、と確信できなければならないことがわかる。先生が個別の罪で苦しんでいるのなら、個別の善によって罪滅ぼしという自己肯定的な気分を持つことができる。しかし、先生の影を個別の善で消すことはできない。同じように先生の影は個別の幸福では消えなかった。
 母が死んで先生と妻は二人ぎりになった。妻は先生に、世の中で頼りにするもののは一人しかいなくなったと云った。妻は先生を心から信頼し頼っていた。しかし、先生は自分自身を頼りにすることができなかった。結婚生活は幸福で妻を愛していたが、それでも先生は孤独でひとりぼっちであった。何のために生きているかが、自分の価値がどこにあるのかが解らない。妻との幸福な生活だけに満足することはできない。幸福な生活にKの影がさしてくるからである。その影は今では、Kを裏切った、Kに悪いことをした、という道徳的な罪の意識として入ってくるではなく、Kと同じように生きる目的を失ってしまった、あるいは、生きる目的を得ることができなかったし、できない、という自己認識になっている。この認識を妻の愛情と幸福な生活という個別的な満足で否定することはできない。
 
 先生は自分を頼りにすることができず、自分の幸福に安住できない。先生が自己を頼りにし肯定するためには、人間の為になっているという確信をもてなければならない。しかし、その確信を得る手段、方法、やるべき内容、目的がない。妻との幸福な生活では足りない何か、自分を満たす何か、自分が頼りにできて、自己を肯定できる何かがあるのか、あればどのようなものなのか、が解らない。分かっているのはひたすら道を求めていたKも生きる目的を失っていて、それを自覚して覚悟して死んだということと、先生も同じではないか、ということである。
 母が亡くなった後、先生はできるだけ妻を親切に愛情をもって取り扱った。先生の親切には妻の母の看護をしたと同じ意味で、人間の為というほどの意味もあった。妻は満足らしく見えたが、やはり先生を理解できないための暗い影がつきまとっていた。先生は妻に自分のことを説明しようとしない。先生にも理解できない内容を妻に説明できるわけではないが、先生はその説明できない苦悩を妻と共有しようとしていない。自分の苦悩は誰とも共有できるものではなく、自分だけがその苦悩に堪えるべきだとと先生は考えている。あるいは、自分の苦悩を共有できるのはKだけであると考えている。
 妻は当然先生とぴったり一つになれない、と感じていて、実際にぴったり一つになれなかった。しかし、ぴったり一つになることが理想的な人間関係ではない。先生もまたぴったり一致することを求めていて、ぴったり一致できないもの、説明できないものを妻のこころに残したくないと考えている。先生は、妻との対立をも妻と共有する、という積極性を持たない。先生は結局は矛盾を恐れて、矛盾の完全な解決を求めて、矛盾の中に生きることを諦める。矛盾の中に生きる力、矛盾に堪え得る精神を自分の中に見つけ出すことができず、実践的にも生み出すことができない。
 こうして愛情が深くなるにつれて孤立感も寂しさも深まる。愛するほど影が目につく。そうした生活を続けていくうちに、先生には恐ろしい影が閃くようになった。先生は人間の罪というものを深く感じた。そして、罪を償う為に、罪を否定するために、Kの墓に毎月行った。母を看病した。愛する妻を一層深く愛した。さらには、自分を無にしてひとに親切にするだけでなく、知らない路傍の人から鞭打たれたいとまで思った。さらに自分で自分を鞭打つべきだ、と思った。自分で自分を殺すべきだと思った。そして、愛する妻のために、死んだ気で生きてきた。
 先生は徹底的に自己を否定する精神を持つことでKと似てくる。Kは日常的なあらゆる望みを絶って道を求めたが、道は見つからなかった。日常的な個別的な欲望以外の目的を道として追い求めたがそれは見つからなかった。先生は道を求めていなかったが、信頼している叔父から財産を盗まれた経験から、人間関係一般に対する不信感を持ち、不信感のまったくない人間関係を求めていた。しかし、幸福な、愛情と信頼のある生活ではその人間不信を否定することはできなかった。世界のどこにも目的も充実も居場所もないという、自覚が得られただけである。
 先生が死んだ気で生きた間も、先生も妻も幸福であった。ただ、先生にも妻にも容易ならない影が一点あった。先生はそのことで妻が気の毒だと思っている。しかし、先生の深い倫理的反省と、自己否定的な精神が特有の深い愛情を生み出しており、その愛情のために妻は幸福である。たとえ容易ならん一点があったとしても幸福である。もしその容易ならん一点をも、理解できないまでも共有できたなら妻はもっと幸福であったろう。しかし、その一歩を先生は踏み出すことができない。先生は自己否定に止まる。自己否定の先に何が有るかはぼんやりともわからない。否定の結果がなにであるかが解れば、あるいはそこになにかがあると予感できれば、先生は新しく出発しなければならない。それができないことの苦悩を漱石は書こうとしている。(2009.10.12)


 先生と遺書 五五
 
 先生は、死んだ積もりで生きていこうとしたが、それでも外界の刺激で躍り上がることがあった。しかし、なにかやろうとすると、御前は何をする資格もない男だという意識がでてきてすぐにしおれた。先生は道に生きようとしたKと違って飽くまでも道徳的意識の限界内で反省している。自分は社会に対して何もする資格がない、と感じている。実際はやるべき、やって満足できる内容を見つけられない。個別のどんな仕事にも、自分の人間不信を否定するだけの積極的な意義を見い出すことができない。罪の意識で否定される程度の目的しか見つからない。何をやっても自分の罪、自分の影、自分の人間不信は消えない。
 先生は「波瀾も曲折もない単調な生活を続けて来た私の内面には、常にこうした苦しい戦争があった」と書いている。先生の苦悩は、波瀾も曲折も困難もない人生に生れる。波瀾も曲折もない世界には積極的な現実が生れない。先生が経験できたもっとも大きな波瀾はKとの関係である。Kとの関係で罪の意識を持つことができて、倫理的反省の意識が発展した。ところが、この自己否定的な反省を超えて、牢屋を突き破って、積極的精神に移行することができない。先生は、罪があるからだと意識しているが、実際は罪の意識を超える現実的な関係が見つからないから罪の意識の内部に止まっている。先生は、道徳的意識の発展を経由して、波瀾も曲折もない生活に生れる精神の限界の自覚にたどり着いている。
 
 先生は自分の人生が目的と意義を持ち得ないことを知って、死だけが残された道だと考えるようになった。死が運命のもっとも楽な道だと思いながらも生きていたのは妻のためである。妻を愛して、妻も先生を愛していても、先生は妻を自分の運命の道連れにしようとは思わない。しかし『門』のようにひっそりと二人だけの幸福の世界に生きることもできない。道を求めて死んだKの人生が先生の中にもある。先生はKと同じ運命を持ち、同じ精神を持ち、同じ孤独を味わっていながらKを理解しなかった。先生はKを理解できる唯一の人間であるにも関わらず、理解を求められた唯一の機会に先生はお嬢さんへの恋に引かれてKから離れた。そして、その成果として罪の意識を経由してKと自分の人生を深く理解することができた。
 先生はKに対して倫理的な罪を負うわけではない。倫理的な罪の意識を経由して、自分とKが同じ運命を辿っており、無目的で無意義を人生に陥ってそこから抜け出すことができないことを知った。だからKと同じに自殺するしかない、と考えている。漱石もそう考えている。先生には自己肯定の可能性がない。
 漱石の作品の系列は、『門』までは自己肯定的な精神を描いている。自己否定的精神の傾向は『吾輩は猫である』からあったが、それが表に出て主要な精神になるのは『彼岸過迄』からである。『こころ』が自己否定的精神の頂点である。漱石の作品の自己肯定的精神は、自分が普遍的精神のうちにあると確信していた。その普遍的精神においてどんな困難にも、どんな批判にも軽蔑にも堪える覚悟ができていた。世の中の金持ちや権力者や俗物と対立する精神が普遍的な批判意識であった。金持ちを批判して、俗物を批判して、正義感を掲げて、社会変革を掲げて、そこに世間と対立する普遍性があるものと信じて、その精神を、あるいはその普遍的精神を求める生きかたを肯定的に描いてきた。その普遍的精神の追求の結果、『こころ』ではその普遍的精神は無である、という結論にたどり着いている。
 ここから、これまでにあったどのような普遍的精神にも引き返すことはできない。すべての自己肯定を否定するのが先生の精神の到達点であり真価である。自己否定を徹底すれば何が生れるのかは解らない、解らなくなった、というのが重要な結論である。その普遍的精神を僅かの兆しでも意識すると、その普遍性において自己肯定が始まる。しかし、そうした抽象的な普遍性を漱石は認めない。それがない、という確信こそがここで得られた普遍的精神である。そして、漱石の新しい普遍的精神は、『明暗』に結実する。『明暗』には、これまでに見られたどんな種類の抽象的普遍的精神も見られない。しかし、これこそが真の普遍的精神の実現である。(2009.10.13)


 先生と遺書 五六
 
 明治天皇が崩御して明治が終った。死のうと思いながら妻を不憫に思って死ねなかった先生は、明治の精神とともに死ぬことに歴史的な意義を見いだした。新しい時代に対応できなくなった古い精神に、新しい精神を生み出すために時代に殉死するという意味を与えることができるならば死ぬ覚悟もできる。
 死ぬ覚悟ができたもう一つの理由は、倫理的な精神において自己を否定するに至った人生を『私』に書き残すことができたからである。先生は自分自身にも不可思議な自分の運命を詳しく叙述し、倫理的精神の終焉の顛末の理解を後世に委ねた。
 先生が自分の過去を記録したのは、先生個人を知らせるためではない。人間を知る上で、明治の精神を知る上で役に立つと思ったからである。先生の人生の意義は自分の人生の理解を課題として残すことにあるから、人生を書き残すのは自分自身のためでもある。自己否定に到る人生を記録することが先生に唯一可能な自己肯定である。先生は、「しかし私は今その要求を果たしました。もう何にもする事はありません。」と満足気に書いている。先生は、自分の経験を伝えること以上にやるべきことは何もないと確信している。そして、自殺によって自己否定の徹底を示し、過去の抽象的普遍性に引き返す可能性を否定し、死をもって新しい普遍的精神への出発点としている。
 先生は、最後まで妻には自分の死の事実も理由も知らせなかった。先生の人生は日本の後の世代のすべてが知らなければならない課題である。しかし、先生は妻だけはたった一人の例外だと考えている。「妻が己れの過去に対してもつ記憶を、なるべく純白に保存しておいてやりたいのが私の唯一の希望なのです」と。
 先生は、自分の運命の理解を100年後の未来に託し、現在においては自己を肯定しなかった。最後まで淋しい人間として生きて、妻とも苦悩を共有しなかった。先生の精神には倫理的否定が最後までまとわりついている。積極的な思想的否定には到達しない。倫理的精神を超える瞬間に積極的精神が生れ、妻だけでなく誰にでも話すことができる。たとえ、具体的に捕らえることが出来なくても話さねばならない内容が生れる。漱石にとっては、先生はそれができない人間であるという認識が重要である。漱石は長い苦悩の果てにようやく徹底した自己否定に到達した。それは、日本には到底生れない、理解されない、しかし、日本でこそ生れなければならない精神である。漱石が自己内で否定しなければならず、否定しなければ一歩も現実に向かって進むことの出来ないと考えた倫理的精神の牢屋が日本的精神の基本的な限界をなしているからである。だから、先生は、自分の精神の理解を後の世代である「私」にだけ託して、妻と先生の現在の誰にも理解を求めなかった。それはできないことだと淋しく諦めている。明治の精神に絶望しているとしても、愛し信頼する妻だけにでも、愛情に満ちた純白な精神に一点の苦悩を残すのが愛情であると考えるべきであるが、自分の人生が理解される可能性がないと考えている先生が、自分の人生が妻にとって負担であると考えるのもしかたがない。実際に、それはその後100年経っても理解されることはなく、今でも理解されていない。
 100年後の現在から言えば、先生は妻に重い荷物を残すべきであると言える。妻は先生を愛し信頼しているから、その重荷に堪えるだろうし、重荷に堪える方が幸福だろうし、重荷のない人生がいかに淋しい人生であるかを先生は知っているはずである。すべての日本の国民は、先生の自己否定的な倫理的精神を根深く持っている。その精神を日本の国民は一人の例外もなく知らなければならない。(2009.10.14)


漱石目次へ   home