「くれの二十八日」 内田魯庵 (明治31年3月) その 1 


    まえがき

 小説の内容の社会性とか、小説が客観的な世界を描いているという場合には、その内容は、社会に対する批判意識の描写と考えられる。実際に批判的描写こそが現実社会の端的な描写となる。しかし、社会の批判的描写とは何かを理解することはその形態が無限であるために、非常に困難である。現今の官僚どもの横暴は目に余るものがある、という苦悩と、家の雌鶏が近頃卵を生まないし、歩き振りに力がない、という苦悩のいづれが社会的に高度の苦悩を反映しているかはにわかに決定しがたい。それこそ、小説全体の描写におけるその位置づけによって決定される。
 社会を批判的に描写することを、社会を否定的に評価する人物を描くことと考える場合の作品がこの「くれの廿十八日」である。社会が悪い、世の中が悪い、状況が悪い、金持ちが悪い、ブルジョアが悪い、資本主義が悪い、等々の意識はわれわれの社会では単に平凡な日常的意識であり、何ら批判的な意識ではない。
 社会現象のあれこれを否定的に評価することが、深い社会認識としての批判意識とはまったく違った内容と結びついていることがあるし、逆の場合もある。社会が悪いとか資本主義が悪いとか、ブルジョアが悪いとか言った言葉に含まれている内容が、実は単に金がないとか、異性にもてないとか、やることなすことうまくいかないとか、等々の個別的不満に端を発しているばかりでなく、それ以上の内容を持たない場合がある。その不満のレベルは、その不満の実践的な解決の仕方によって知ることができる。社会に対する批判意識が、小金を獲得することで、あるいは適当な地位を得ることで解消されたなら、その批判意識の内実は、小金であり、社会的な地位である。
 これらすべての個別的な不満は深い社会矛盾に根ざしているが、個別的な不満を本質的な社会矛盾と連関させ、個別的な不満を昇華して社会的批判にまで到達させるには非常に高度の意識的発展を必要とする。本質的な社会矛盾は多くの偶然的な瑣末な現象の背後に隠れているので、それを発見するのは容易でないし、資本主義社会においては、本質的な理論的研究なしには決して発見できない。

 この批評を書いた1988年頃は、まだ社会的な批判意識の虚偽性を批判することに意義があると考えていた。その後社会批判としていう意識形態自体が日常生活からほとんど消え失せてしまい批判の価値も失われた。しかし、このような意識形態は、社会的なに不満が蓄積されれば必ず社会現象として復活するだろう。現象的な批判意識の理解において重要なことは、現象的な不満と本質的矛盾には多くの媒介項が存在すること、つまり、現象的個別的な不満は巨大な社会現象と直接的に結び付くものではないことを理解することである。
 四迷について何度か言及しているのは、同じ小冊子に四迷の作品の分析を連載していたためである。

(この「まえがき」は、1996年にnifty FBUN 13番にアップした時に補足したものです。)


 「社会小説」と呼ばれる明治三十年代の作品は明治社会に対するロマン主義的批判意識の最終的形態であり、日露戦争後の第二次産業革命によって完全に止めを刺された。明治二十九年の「社会小説出発の予告」から明治三十一年金子筑水の「所謂社会小説」まで続いた論争も、内田魯庵の「くれの廿八日」をはじめとする一連の作品も何ら歴史的価値を持たない。
 「社会小説」はまず言葉として植物樹木とか動物哺乳類といった言葉と同じ不合理を含んでいる。「動物哺乳類」が動物と哺乳類についての無知を想起させるように、「社会小説」も社会と小説ないし芸術についての誤った観念から生まれた言葉である。鳥類や両生類が動物内部の特質であることを忘れて動物哺乳類を設定すれば鳥類や両生類が動物でなくなるとともに動物の概念も著しく限定され歪められる。ところが文学世界では自然科学の世界ではあり得ないこの種の馬鹿げた用語が常識として通用している。
 小説はすべて社会的である。社会的か非社会的かでなく、すべての作品の社会性が具体的に規定されねばならない。社会性とは社会的本質をいかに深くあるいはいかに浅く反映しているかであり、それが作品の質、内容である。ところが私的、家庭的、恋愛的等の対立物として社会性が規定される場合、社会性はそれらの現象に排除された特殊なジャンル--大体は政治的と考えられる--となり、内容規定ではなくなる。実際「社会小説」は特殊な、主観的な、非本質的内容を持つ作品である。
 「社会小説」に関する論争は「社会性」をどのように獲得するのか、根本的には「社会性」とは何かについてまったく考えておらず、個別的な現象から大規模な社会的広がりを持った作品という程度の量的観測しかもっていなかった。この論争の論点を整理した金子筑水も同じである。この論争が全体として全く見るべきものがないのは、賛成派も反対派も、論争を整理した金子筑水も、上述のような個別と一般の分離的対立を前提した上で争っており、理論本来の領域である両者の関係にまったく踏み込めず、関係について考えようとさえしていないからである。そして、予告された「社会小説」が登場せず、創作活動との関係を持たなかったために、鋭い問題意識に発展することなく短期問に終息した。(1)
 (1)この問題はプロレタリア文学運動の発展にともなって深刻な創作上の問題となり「目的意識論争」として研究された。この論争でも両者の関連が理論的課題とならず、解決されないまま次々に新しい論争を生み出していき、個別と一般、現象と本質、自由と必然等々の基本的カテゴリーの連関が具体的で焦眉の問題として解決を求められている。
 作品としては明治三十年の「くれの廿八日」が「社会小説」の中でも内田魯庵の作品中でも一番できのよい作品である。木村氏によると発表当時「帝国文学」が高く評価したというし、明治四十年の白鳥、花袋の賞賛も紹介されている。(2)
  「数年前までの硯友社諸氏の作の今日となりて多く読むに堪へざるに反し『浮雲』なほ読むに足るべく、嵯峨の屋の『流転』、不知庵の『暮れの二十八日」等明治四十年の文壇に出すとも一佳作たるを失はず」(正宗白鳥)
  「戯作気質を極力排した当年の勇者だけあって、少なくも此の一篇は明治文壇の傑作たるを失はない。」(田山花袋)
  (2)社会小説については木村毅氏「明治文学展望」(恒文社1982刊)に詳しい。木村氏は「帝国文学」の時評について「ただし宗教小説、家庭小説と認めたので、社会的価値ついては一向盲目なようである」(二五七ぺ−ジ)と書いているが「帝国文学」の評価が正しい。
 戦後にも次のような高い評価を得ている。
   近代日本の文学史上、いわば自由民権時代の政治小説から明治二十年代の社会小説、社会主義小説へとつづくいわば政治・社会文学の流れと、二葉亭四迷あたりから自然主義へとつづく日本リアリズム文学の主流とが、魯庵という一個の文学的個性を媒介することではからずも統一融合の可能性をはらんだ、きわめて稀な一つの場合というようないみで、こんにちとくに注目されてもいい作品ではなかろうか。(筑摩書房現代文学全集第五三3巻三九七ぺージ)・・・彼の社会小説は、むしろ日本近代文学の健全な成長を目標とする本来の理想の一展開面にほかならなかったということができる。(三九九ぺ−ジ)・・・いずれにしても魯庵の生涯は、二葉亭の彷徨や透谷の夭折に比すべき、日本の近代文学そのものが負う一つの象徴であったというように思われる。(四○一ぺ−ジ、これは昭和三十八年の評価であるが一九八五年の「明治文学史」猪野謙二氏著にも踏襲されている。)
 「くれの廿八日」を評価する人々がこの作品と対立的内容を持つ四迷の名をあげているのは、彼らが「くれの廿八日」をも「浮雲」をも全く理解していないことを示している。
 魯庵の場合主入公は非常にすぐれた、傑出した人物に設定されている。これは「浮雲」や「其面影」の主人公の設定との基本的な対立点であり、社会認識の甘さ、主観性を示す「社会小説」一般の特徴である。
 傑出した人物を設定した場合、その力量を社会に対する変革的影響力において具体的に描写し証明しなければならない。四迷は当時の日本でそれを発見できず、批判意織が影響力を持ちえない必然性とその段階に特有の苦悩を描いた。魯庵は傑出した人物の明治社会における必然性に顧慮することなく、平凡な生活の中でも偉大でありうる人物を設定している。「社会小説」は一般に明治社会の必然的流れからかけはなれた私生活上ではじめて偉大な人物を設定できるのであり、そのためにすべてが「家庭小説」とも言われる。
 四迷の主人公の場合その優れた特質は社会的本質の反映形態となっているから、歴史的な位置づけによって外見と対立的な本質として発見し析出しなければならない。したがって主人公の主観の分析は社会分析となる。「社会小説」の場合主人公の観念、理想、批判意識が優れた人物の特質として描かれており、この理想は作家の主観を反映しているから、我々は優れた人物とは何かを分析する場合作家の思想を得ることになる。そして社会小説の場合作家はいづれも社会的本質を反映する能力を欠いている。
  「猟官だの、買収だの、政綱だの、マニフェストだの外資輸入での増税だの軍備緊粛だのと駆立てるが、トドの結局は弗箱一杯の金子を貯め色の全白い奴を四五人も飼殺したいばかりの国利民福論で自分等が酒が飲みたさに祭礼騒をする町内の若者と何辺に相違がある。策士と金看板打つた大政治家が何をした? 高価で政党を売付けて機密費を暖たまる駆引きが精一杯で真向に殖産興業を振翳して国益の急先鋒と称する大実業家が何をした?不相応な配当に株の相場を狂わし手拭紙にもならぬ株券を売飛ばす魂胆が満身の智恵袋だ。」(現代文学全集53筑摩書房昭和三十二年一○二ページ)
 これが純之助の批判意識である。
  「自分の経論は他の政略的殖民若くは貨殖的移民と全く違いて、本と道徳の理想に根基したものゆえ、自分の鄙しき道徳と拙き力量とでは畢竟蚊蚋山を負うの大望で或はカベーが実際的能力なくしてイカリヤ国創建に失敗したほどに成功しないかも知れぬが--しかしプラトン以来前腎が幾度か期畫して幾度か失敗した理想共和主義を我が溶爐に陶冶して道徳的新乾坤を山紫水明の楽郷に開くは縦令砂上城郭の嘲弄を買うてやぶるゝも、又丈夫が一世の本懐とするにたる快事である。」(一三三ぺ−ジ)
 これが純之助の理想とする社会的事業である。
 純之助は対象の本質を限定することを厳しい批判と思い込んでいるが、これは自分の認識力の制恨、無力を証明しているに過ぎない。純之助は資本主義が生産する価値のうちブルジョアの個人消費にまわる部分だけに、しかも消費形式だけに注目している。資本主義に特徴的な蓄積される価値部分、つまり社会的機構の形勢のための条件となり、資本家の社会的勢力として現象する本質的部分には目がとどかない。つまり彼は貧乏人の目を見はらせるブルジョア的贅沢に驚嘆し、敬意を持ち、嫉妬し、声高な悲憤憶慨でブルジョアを喜ばしているだけであり、目前の社会変革の過程は無論のことブルジョアの社会的地位の力さえ認識していない。
 純之助はこのような見すぼらしい社会把握にもとづいて、対立物としての、同レべルにある理想を持っている。引用第二に示した理想を実現するのに必要な手段は「土地百エ−カー、馬三頭、乳牛五頭、羊三十頭、鶏五十羽」である。何を根拠に量を設定したのか、これらの資材をどのように調達するのか--妻に「さしあたって渡航費一万円」と言っているからこれも妻の世話になる気であったのかもしれない--どのように経営するかについて考えている様子もない。はっきりしているのはこのような理想は資本家の個人消費部分だけでも十分に実現できるから、資本家が純之助的理想などに目もくれず「色の全白い仏を四五人も飼殺しに」するために浪費しているのはまったく我慢がならないだろうということである。
 純之助の理想は小生産者の独立性によって道徳的模範を示すことである。ブルジョアの贅沢に反発して、自分の消費するものは自分で生産し、剰余価値などつくりもしなければ盗みもしない、誰の利益も損なわず誰にも迷惑をかけない--一度だけお吉に大迷惑をかけるが--他人の利益とかかわらない自足的な生活によって完全な道徳的生活を営もうと思っている。目前の資本家的浪費などとうてい作り出せない生産形態、つまり今まさに収奪され破壊されつつある生産形態を理想化している。そしてこの生産形態が資本主義によって駆逐されつつある過去の遺物であるからこそ道徳的幻想を抱くことができる。小生産が支配的であった時代にはその生産力の制限による固有の問題を抱えており理想どころではなかった。この問題の解決として資本主義的生産形態が登場した。資本主養が小生産の限界を克服し固有の矛盾を生じた時、引き返すことのできない小生産形態が道徳的幻想の形で資本主義的矛盾の解決と考えられている。メキシコの原野で--「此富饒の楽土」に先行者がいなけれぱ--孤立して生活するならこんな道徳など意識される必要もないくらい--必要ないのだから実際意識されない--完全に実現される。しかし彼が道徳性をまっとうすべく熱心に働くことで多少とも生産力を発展させ豊かになれば、すぐさま新しい経済関係に巻き込まれ、道徳は傷つきはじめる。またしても養子縁組をして資金を調達し原野を捜さなければならない。そんな原野を放置しておくような時代は終わっているにもかかわらず。
 純之助はお吉の反対にあってメキシコ行きを断念した後「七分は離別咄を為る意気込で全国漫遊の計画を持出した。憚り間違って愈々離別と運ばないまでも、切めて鉄わらじ山河を破って鬱勃たる社志を養はんが為に、全国の農工業を視察して胸中の磊塊を吐かんとしたのである。」一一八ぺ−ジ)と考えている。彼は明治三十一年に、つまり日清戦争後の第一次産業革命による資本主義の爆発的発展に対して、地方を遊説して豪農に訴えた自由民権の志士のような古臭い田舎じみた反動的な立場で対抗しようとしている。無論彼の時代遅れの理想はすでにどんな田舎へ行っても実現できそうにないことくらいは分かっているので、くどくどと下らない理由をつけて撤回している。彼の理想は結局、資本家の浪費に反発して、「労働独立」の道徳を模範的に示すために、肝心の資本家の目にも届かない空想的な場所で実現さるべき当為として残るしかない。純之助の批判意識は、現実についてゆけなくなった無知で古臭い悲憤慷慨型の典型であり、魯庵はすでに小説家としての力量を失っている。そしてこの古臭さが、明治社会を分析することなく、ただ自由民権時代に生まれた批判意識に幻想をもっている批評家の思想と一致し、一定の評価を得ている。
 古い生産形態を道徳的意識で懐古させる資本主義的生産の特徴は、旧来の個別的、独立的生産形態を破壊し、巨大な生産力によってあらゆる人間を社会的生産形態の中にひきずり込み、躍動的で統一された必然性を構成することである。この中では独立生産者の孤立に想定されるような、他人に対する完全な道徳性などありえない。完全な道徳性は、現実に対して高すぎるからではなく、現実の関係から遅れており、狭すぎるから現実に適用できない。だから、この理想を現実に持ち込もうとすると混乱が生ずる。理想のレベルの低さに応じて作品世界も極端に制限されているにもかかわらず滑稽な混乱なしにはすまない。せまくるしい道徳の限界を知っており、道徳が現実に触れて破壊される過程を描く「浮雲」では認識の進化が得られる。ところが現実の諸関係を知らず、現実に意識を従わせる能力がない場合、主人公が道徳的にすぐれていると設定される度合いに応じて理想によって現実を歪めることになり作品が混乱してくる。

 以上が純之助=魯庵の基本的思想である。このような一面的で抽象的で時代後れの思想がひきおこす滑稽な混乱の中から主要なものをいくつか紹介しておこう。

 まず金持ちで無学で理想などまったく解さないお吉が、貧乏人で取得といえば理想を持っているだけの純之助を見初め養子に迎えるのは現実的でない。また理解者である静江との愛情をほのめかしていながら、理想を解しても愛してもいないお吉の養子になるのは志士的理想家としての純之助の資質に反する。志士に反するどころか常識的にもほめられたものではない。
 結婚後の描写も常識から外れている。お吉の財産で生活していながらお吉には「初めから冷淡で」静江にはやさしく贈り物までする純之助に、お吉が嫉妬し自分の財産がかすめとられていると腹を立てるのば当然であるにもかかわらず、純之助がお吉の不当なヒステリーに耐えているように描いている。金満家で無学で無思想なお吉の人格などどうでもよいと考えているのではないかとさえ思われる。後に純之助は反省しお吉との生活に殉ずることになるが、それもお吉を矯正しようとしてだからバカにした話であることにかわりはない。
 お吉にメキシコへの渡航費一万円を請求するに至ってはもはや尋常ではない。静江が教師をして二十円もらっている時の一万円であるし、結婚後一年もせぬのにどことも知れぬ所へ行ってしまうというのだから神経のつながり方がまともではない。お吉にとってはこんなわけのわからない男より手のつけられない道楽者の方がまだしもといえるほどの災難である。
 純之助の理想にかかわるこの一万円とメキシコ行きのことは、結婚前に条件として仲人に話しておいたにもかかわらず仲人が「此厄介条件を握潰した」ことになっている。これは仲人にとってより魯庵にとっての大厄介で、この一万円を片づけるために、必然性を構成できないロマン主義者の常套手段に訴えざるをえなかった。(3)主観的設定から生じる不都合--これは常に作品の要になる--を主人公の責任にかかわらないように第三者に押しつけている。しかしこれは常にいっそうひどい責任のがれとなって作品の質をおとすことになる。確たる理想を持った切れ者の男が、自分の理想の実現にかかわるだけでなく、相手の女性にとっても決定的な意味を持つ条件を仲人任せにしておいて拮婚後憤慨したり嘆いたりするのは間が抜けているのか計算しての詐欺行為かのどちらかとしか思われない。純之助が間抜けだとは魯庵には到底思われないから、ごまかしの点がどうしても解決すべき課題として心にひっかかる。ロマン主義者が道徳的であろうとしていつもつまづく点である。
  (3)この方法で最も優れた手際を見せているのが森鴎外の「舞姫」である。「くれの廿八日」と違って非常に細かに計算されている。「舞姫」では、仲人が握り潰すのではなく、病気で意識を失っている時に親友相沢が問題を片づけてくれる。豊太郎も出世に都合のよすぎるこのひどい仕打ちを後に恨んでいる。しかし豊太郎の人生に比べれば、金満家の養子で満足している純之助はごまかし方が素朴なだけまだかわいいくらいである。
 結婚は打算ではなかった。無学で無思想で金満家なだけのお吉に惚れたのでもない。いずれも志士としての純之助の資質に反する。ではなぜ結婚したのか。もとより強制はないのだし、打算もなければ愛情もない。こういう現実的理由はどれもこれも純之助の性格に反しており、それ以外の理由でなければならないのだから大した理由などあるばずがない(4)。実際魯庵がどんな理由を思いついたのか常識的感覚でば想像できないほどである。
  (4)純之助が打算でお吉と結婚したと言うなら、貧乏人と金満家の結婚が現実的力によって純之助に新しい意識を与えたであろう。しかし純之助を道徳的志士と想定し、道徳と利害が対立すると考えている魯庵には、四迷のように肯定的人物に打算を与える勇気はない。
  「元来純之助は趺たう狷介敢て人に下らず、堅く自らを信ずる主義を奉じて世間を傲睨する癖物であるが、どうした拍子圓転滑脱の才子肌ならでは及第すまじき養子に見立違ひされて、平生なら冠冕に唾く富貴に冷かな男が苦もなく脱落されて驕慢放縦なる世間知らずと偕老の契りを結んだが、今更考へると千金の身を以てけい鼠のわ縄に陥った様なもので、墨西歌一條が破壊してからは殊に其境界の自由ならぬを嘆息し、一時姑息の考案で強て志士を抑圧けたが畢竟腐索を以て犇馬を留めんとすると同じく胸中鬱勃の念は刻々暫くも絶間なかった。(一一七ぺ−ジ)
  左にも右にも初め赤手を以て事を成さうとしたを、不斗した出来心で豫ての素志に背いて富豪の子と養はれたのが生涯の失策であった。(一三四ぺ−ジ)

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