『舞姫』  1 


 鴎外は漱石と並ぶ二大文豪と呼ばれるほど高い評価を受けている。この二人が並び称されるのは彼らが日本を代表するエリートとしての自分の運命を描いたからである。鴎外は1862年に生まれ漱石は1867年に生まれたから、彼等が生きた時代はほとんど重なっている。その時代をエリートとしてまったく違った人生を送りまったく違った作品を生み出した。この時代のインテリの歴史的な課題は、形成されはじめたエリートとしての自分をどのように位置づけるかであった。エリート世界を批判的に描いた漱石に対して、鴎外は、エリート世界の生活と精神を、無批判的に、常識的に、私小説的な方法で描いた。それにもかかわらず、鴎外のデビュー作である『舞姫』は多くの学者や批評家に近代的自我の目覚めと挫折を描いた歴史的な作品として高く評価されている。それが常識的で無批判的であったために、同様に無批判的なインテリに高い評価を受けることになったのである。
 『舞姫』の豊太郎は学業に優れているだけではなく、人格的にも優れた人物であった。そのために他の留学生の誤解をうけ、地位を失って貧しい舞姫と暮らすことになった。しかし豊太郎の優れた資質はいっそう磨かれ、友人の相沢に助けられ、大臣の眼にとまってエリートの道に復帰した。ただその際愛すべきエリスが精神病になったために別れなければならなかったことが唯一つ心残りである。この作品を要約すればこうした内容の出世物語である。
 鴎外はこの作品でエリートであること自体をあらゆる側面から肯定している。競争に勝ち残ったエリートであるばかりでなく、人格性を重んずる、洗練された、愛情や苦悩や内省を特徴とする人物像である。この点で豊太郎は、四迷の『浮雲』に描かれた露骨な出世主義者である昇と違っている。豊太郎がエリートでありながら近代的な自我の覚醒を担う人物として評価される有名な部分は次の通りである。
 かくて三年ばかりは夢の如くにたちしが、時來れば包みても包みがたきは人の好尚なるらむ、余は父の遺言を守り、母の教に從ひ、人の神童なりなど褒むるが嬉しさに怠らず學びし時より、官長の善き働き手を得たりと奬ますが喜ばしさにたゆみなく勤めし時まで、たゞ所動的、器械的の人物になりて自ら悟らざりしが、今二十五歳になりて、既に久しくこの自由なる大學の風に當りたればにや、心の中なにとなく妥ならず、奧深く潜みたりしまことの我は、やうやう表にあらはれて、きのふまでの我ならぬ我を攻むるに似たり。余は我身の今の世に雄飛すべき政治家になるにも宜しからず、又善く法典を諳じて獄を斷ずる法律家になるにもふさはしからざるを悟りたりと思ひぬ。余は私に思ふやう、我母は余を活きたる辭書となさんとし、我官長は余を活きたる法律となさんとやしけん。辭書たらむは猶ほ堪ふべけれど、法律たらんは忍ぶべからず。今までは瑣々たる問題にも、極めて丁寧にゐらへしつる余が、この頃より官長に寄する書には連りに法制の細目に拘ふべきにあらぬを論じて、一たび法の精神をだに得たらんには、紛々たる萬事は破竹の如くなるべしなどゝ廣言しつ。又大學にては法科の講筵を餘所にして、歴史文學に心を寄せ、漸く蔗を嚼む境に入りぬ。
 官長はもと心のまゝに用ゐるべき器械をこそ作らんとしたりけめ。獨立の思想を懷きて、人なみならぬ面もちしたる男をいかでか喜ぶべき。危きは余が當時の地位なりけり。されどこれのみにては、猶我地位を覆へすに足らざりけんを、日比伯林の留學生の中にて、或る勢力ある一群と余との間に、面白からぬ關係ありて、彼人々は余を猜疑し、又遂に余を讒誣するに至りぬ。されどこれとても其故なくてやは。
 批評家はこんな短い平凡な文章に近代的自我の覚醒が表現されていると言う。しかし、主体が形成されたと考えることと主体が形成されることはべつであろうし、豊太郎の自我が近代的であるか主体的であるなどは本来問題になりえない。豊太郎は近代的であり主体的である。問題はどのような自我であり、どのような主体であるか、である。このような自己認識は、勉強や語学力の競争で勝ち抜いてきたことで自信を持ったエリートの自負にすぎない。このような経験は若いインテリの誰もが経験し、他の人間との接触のなかで解消される一時的な意識である。母や長官の言うことをおとなしく聞いていた世間知らずの優等生が、突然手に負えない自信家になって自分がもっとも優れていると考えはじめるのはめずらしいことではない。こうした平凡な成長を精神上の飛躍として過大評価するほど精神の幼稚さを示すものである。
 「この頃より官長に寄する書には連りに法制の細目に拘ふべきにあらぬを論じて、一たび法の精神をだに得たらんには、紛々たる萬事は破竹の如くなるべしなどゝ廣言しつ。」などというのは、ひいき目に見ても学問を始めたばかりの意気込みを示すだけである。このような抽象的な当為を文章にして長官に寄せるなどというのは空想上としてもばかげている。具体的な細目を知らずに法の精神を明らかにすることはできない。具体的な細目に原理を対置するのはその分野での具体的な知識を持たない証拠である。鴎外はこうした抽象的で大雑把な意識が高度の精神であるかのように思い込んでいる。有能なエリートであればこのような無意味な「廣言」は思いつくことも難しいであろう。
 「官長はもと心のまゝに用ゐるべき器械をこそ作らんとしたりけめ。獨立の思想を懷きて、人なみならぬ面もちしたる男をいかでか喜ぶべき。危きは余が當時の地位なりけり。」これは重いエリート病を患っているのでなければ書けない幼稚な文章である。鴎外は「獨立の思想を懷きて、人なみならぬ面もちしたる男」と説明することはできてもそれを描写することはできない。鴎外は豊太郎が人並み優れていることを他の留学生に妬まれ、讒訴されるという関係によって描いている。一群の勢力との対立が讒訴であることが鴎外らしさである。鴎外は一群の勢力と現実的に対立するほどの自我を描くことはできず、悪意によって地位を失ったと書いて、豊太郎に落ち度がなく他の留学生に悪意があることで単純に対比するだけである。鴎外は社会的な対立の具体的内容も、そのなかで発揮される主体の力をも描くことができずに善悪の単純な形式によって豊太郎の優位を描いている。他の人物を否定的に描くことで主人公を肯定するのは鴎外の常套手段である。
 エリートの地位を無批判的に、保守的に肯定する鴎外の道徳的で独善的な意識は下層の人間に対する抜きがたい蔑視を伴っている。「店に座して客を延く女を見ては、往きてこれに就かん勇気なく」などという文章は、いかにもエリート的である。その女を一人の人間として見ることはない。そこに行くことを道徳的な悪と見て、上品そうに自分には行く勇気がないと告白している。「客を引く女」もそれぞれ矛盾を含んだ独立の人生、人間性を持つことを多少でも認識できるならば、自分の上品さにのみ関心を持つのでないならば、勇気がないなどと謙遜してみせることはないであろう。道徳的に否定的にのみ認識し、そういう世界にそまらないことに人格的な価値があるかのように思う小市民根性がこうした書き方を自然にさせるのである。
 豊太郎がいかにすぐれているかを、取るに足りない真面目さを強調したり、説得力のない抽象的な文章で説明した後、エリスとの関係の描写に入ると、それが何を意味しているかが次第に明らかになる。エリスとの邂逅は、「此三百年前の遺跡を望む毎に、心の恍惚となりて暫し佇みしこと幾度なるを知らず。」といった豊太郎の情緒深い散歩の最中に起きた。これだけでもすでに怪しい雰囲気が漂っている。これは作品の初めの部分と同様の思わせぶりな描写である。鴎外が散歩の風景を並べて、その風景に恍惚となる様子を描くには理由がある。それは、豊太郎のすべての関心が風景にあって、そこででくわす事件を予想もしてなかったということがことさらに重要な意義を持っているからである。

 鴎外の『藤鞆絵』という作品に「懐に金があるときは、親が高利貸にでも苦しめられてゐる、美しい娘に出逢ひたいと思ふ。金なんぞはなくても、責めて身を投げようとする娘でもゐたらと、橋の袂や川岸を見て通る」という文章がある。鴎外はこのあまりにも俗物的な心理を若い人にありがちな心理だと書いている。ところが豊太郎は違う。風景に見とれて恍惚となっていて、不幸な娘に出逢ふなど思いもよらなかったという心理が鴎外にとっては重要である。『藤鞆絵』には優位な立場にたって不幸な娘と人間関係を持とうという下心がある。優位な状況にあっても悪しき下心を持たないことが豊太郎の人格性である。エリスは明日の朝にも葬式を出さねばならず、親方に迫られ、母にも無理を言われて絶望して泣いている。そこに来あわせたのが、周りの風景に見とれている、不幸な娘などには興味のない、夜遊びに行く勇気もないほどに真面目一方の、下心を持ち合わせない好青年であった。どうにもばかばかしい設定であるがこれでも学者や批評家には近代的自我とかみずみずしい自我に見えるし鴎外にもそう見える。
 エリスは貧しく不幸でありながら不幸に鍛えられておらず、哀れで、か弱く、頼るべきものを探している。鴎外はエリスの哀れさをしつこく描いている。エリスが豊太郎の助けを必要とするほど、下心を持たずに援助をする豊太郎の値打ちが上がる。鴎外はこの関係がエリスに対して否定的で冷酷であることを理解しない。金で関係をつけるのにどれほど好都合かという視点からだけ見ているような女性像を鴎外が平気で描くのは、豊太郎が下心を持たない青年であることを強調するためである。『藤鞆絵』で描かれたような下心を持つ若者が、これほどうってつけの不幸な娘に出会うという設定はあまりにもわざとらしいであろう。ところが、実際はもっとわざとらしいにもかかわらず、風景に恍惚となる青年が散歩しているとなると、不幸な娘がさめざめと泣いているのがロマンチックな光景に見える。ありそうもない偶然がおろかな思想にとっては奇跡的な幸運に見える。鴎外はこのような甘ったるい空想の中にどれほどの俗物根性が表れているかをまったく理解でない。豊太郎自身、「この青く清らにて物問ひたげに愁を含める目の、半ば露を宿せる長き睫毛に掩はれたるは、何故に一顧したるのみにて、用心深き我心の底までは徹したるか。」と感じている程である。普段は臆病である豊太郎が、憐憫の情に引きずられて言葉をかけたことにすら「我ながらわが大胆なるに呆れたり」と感じているほどである。豊太郎の純粋さの効果は絶大であると鴎外は考えており、「我が眞率なる心や色に形はれたりけん。『君は善き人なりと見ゆ。彼の如く酷くはあらじ。又我母の如く』」と、一瞬にして信頼関係が生じたことになっている。
 『藤鞆絵』に描かれている若者や、エリスの座長の心理は豊太郎の内的な心理でもある。鴎外は自己内の精神を対立的に分離して描いている。鴎外の中に同居しているこの精神は同じである。豊太郎の純心は金の力で関係をつけようとする下心がない、という単純な規定であり、下心がないことによってのみ成立している。これ以外の積極的な関係を想定できない鴎外は、主観内のこの二つの精神を分離してそれが絶対的な対立関係にあるかのように考え、下心がないことによって豊太郎を肯定している。しかし、豊太郎は下心がないことによってのみ肯定され、下心は純粋性無垢でないこと以上を意味しない。鴎外の主観にはこの対立した精神しかなく、それは相互に支えあっている。豊太郎は金の力でエリスを支配しようとする座長と対比して肯定されている。鴎外が豊太郎の純粋無垢を下心から区別し、下心によって正当化し、下心によって支えているのであるから、事態の展開の中でその対立物が豊太郎の純粋無垢の具体的な内容となって現れてくる。しかし、自分の精神を批判的に反省し、客観化することができなかった鴎外には両者の同一性も相互転化も理解できず、それだけ転化の過程を無批判的に、その転化の具体例を作品として示すことになった。この作品はこの邂逅の場面に描かれた同情に満ちた青年の精神が、不幸な娘に対して冷淡で冷酷でもあることを明らかにしていく。鴎外がこの邂逅の場面を含めて豊太郎が同情深い道徳的な青年だと思っているのは多くの批評と同じである。
 「「我を救ひ玉へ、君。わが耻なき人とならんを。母はわが彼の言葉に從はねばとて、我を打ちき。父は死にたり。明日は葬らではかなはぬに、家に一錢の貯だになし。」
 鴎外の内部にある純粋無垢と対立した意識はエリスの像に現れる。豊太郎の人格性はエリスのこのような露骨な訴えを必要としている。愛らしく頬に涙を流しながら「家に一錢の貯だになし」と露骨なことを言って「跡は欷歔の聲のみ」などという描写は、豊太郎の人格にふさわしい人物がいかに通俗的であるかを示している。エリスの一銭の金もないという訴えによって豊太郎の人格性は意味を与えられる。頬に涙を見せながら「一銭の金もない」と訴えることは、常識的にはよほど変な話であるが、金に困りきっている少女に対して下心を持たないことが豊太郎の人格性であるから、エリスは涙を流して金がないと訴えなければならない。鴎外にとって、金もなく父親は死ぬといった不幸な少女のの現実性など問題にならない。エリスの不幸は豊太郎の下心の欠如を証明する手段としてのみ描かれている。下心があるはずのところにないことが人格性なのである。
 風景に恍惚となることや、エリスの家のドアの前で「暫し茫然として立ちたりしが」という描写は下心に関わる豊太郎のもう一つの特徴である。エリスとの関係では下心があるかないかだけが問題であるために、具体的関心や感情を持たないことが豊太郎の特徴になる。常識的にはドアの前で呆然とすることとエリスの家までおしかけることは矛盾するように思われるが、鴎外には下心さえなければどんな言動も美しくみえる。父親の死体の傍らで、エリスを「彼は優れて美なり。乳の如き色の顏は燈火に映じて微紅を潮したり。」と観察することは頭に色気が廻りすぎているとしか思えないが、鴎外にとっては豊太郎のロマンチックな愛情表現である。金銭的援助にもかかわらず下心を持たないことが豊太郎の人格性を十分に保証していると考える、つまり少女の不幸を必要とする豊太郎にとって父親の死体の傍にいるからこそ美しくロマンチックなな場面であるし、「家に一錢の貯だになし」と訴えるからこそたまらなく魅力的である。
  豊太郎は十分な同情心には満ちていたが、散歩の途中だったので同情心を満足させるほどの金を持っていなかった。だから時計を与えて、住所を知らせることで次に会う機会を得ている。こうした細かな工夫はリアルな展開のように見えても芸術的創造にはならない。こうした工夫が流れの自然さを形作るにしても、流れの自然さとリアリティは別である。豊太郎的な同情が自然に展開すること自体が全体として非現実的でありリアルでない。貧しい少女が助けを必要としていて、下心のない純真無垢の青年に偶然巡り合い、その気もないのに再会する事情を自然に展開しても、それが自然であるほどばからしい作り物になる。金を援助することで信頼関係が形成される過程を美しく描こうとするとはなんとつまらない近代的自我であろう。エリスと再び会うためのこうした工夫はつまらない精神を描写するための創造であり、その自然な流れの中にエリートらしい俗物根性が隠されている。
 豊太郎が二三マルクのほかに一時の金を用立てるための時計までおいたことに鴎外は絶大な効果を見込んでいる。「少女は驚き感ぜしさま見えて、余が辭別のために出したる手を唇にあてたるが、はらはらと落つる熱き涙を我手の背に濺ぎつ。」と。豊太郎のような援助が他に期待できないことはエリスの窮状が物語っている。座長のように「家に一錢の貯だに」ないエリスを食い物にしようと思うのが普通である。それなのに、下心もなく、感謝を期待することさえないとはなんと驚くべく感動すべきことか、ということである。こうした思想は特に問題にすべくもない素朴で善良な思想であるように思われる。しかし、この思想がエリートの立場で実践されると、面倒で小市民的な関係を反映した思想としての必然が姿を表す。実践的な援助にもかかわらず、一切の見返りを求めないことが重要な意味を持ってくると、同情の対象にとっては非常に高くつくことになる。このような価値観は、無心の親切であるからこそ無条件的な全幅の信頼を期待しうるという特有の矛盾を内包しているからである。

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