『舞姫』 論争 (2) 

 第三妄として鴎外が批判した忍月の全文を引用しよう。
 次ぎに本篇二頁下段「余は幼なきころより巖重なる家庭の教へを受け云々」より以下六十余行は殆んど無用の文字なり。何となれば本篇の主眼は太田其人の履歴に在らずして恋愛と功名との相関に在ればなり。彼が生立の状況洋行の源因就學の有様を描きたりとて本篇に幾干の光彩を増すや、本篇に幾干の関係あるや、予は毫も之が必要を見ざるなり。
 鴎外はこの文章を引用したあと、
 「此六十余行を分析すれば、一として太田生が在欧中の命運に關係せざるものなし。先づ太田が出身、學位を受くること、官命を帯びて西に航すること、叙して十一行中に在り。これなくば誰か太田の何人なるを知らむ。次の三行には航西の途を叙したり。こゝまでにて太田が母の事、明に見ゆ。これなくば誰か太田が母の死を聞きて伯林に留まる心を解せむ。伯林の境を叙すること十九行。比熱閙の状富麗の景なくば、後の寂蓼荒漢の天地は遂に伯林の本色とや思はれむ。これより下二十九行は太田が公命を帯びたる性質を略叙して、忽ち叉これをヘイ去したり。彼が政治家法律家を以て自ら居らずといふ処は、其「ロマンチック」的生活に傾く張本ならずや。太田生の履歴が一篇の主眼にあらずといふも、太田の履歴なくば誰か彼が遭遇を追尋することを楽まむ。さるを毫も其必要を見ずといふ。其妄三つ。
 このあと、豊太郎の性質の前後の矛盾についての反論に入っている。この問題も結局は主題の理解において生じている対立なので、具体的には豊太郎を検討することではじめて理解しうる。ここでは、簡単に触れておこう。
 この問題について嘉部氏は比較的簡単に論じている。それは、この論争については鴎外が正しくて、忍月に見るべき主張がないと考えるからであろう。「舞姫論争の論理(三)」はつぎのように結論づけている。
 「第三妄」に関しては、鴎外の論議が正しかったようである。この論に対しては、たとえば山崎一穎氏は「これは鴎外の論を首肯してよかろう」と評価している。山崎氏の場合は、「気取半之丞に与ふる書」の鴎外の論を取り上げての評価であるが、この論についての忍月と鴎外の応酬を通しての最終的な評価にもなり得る。しかし、途中での論点の移動については既述の通り首肯し難い面もある。
 この「第三妄」を「重複論」と要約して呼ぶことがある。鴎外の「又彼重複論の至るに逢ひたり」という文からの流用だと思われるが、内容を要約することばとしては適当ではあるまい。(嘉部氏 140頁)
 ここには、嘉部氏が鴎外の論争のやり方に批判的であっても、論争や作品の内容の基本的理解においては批判的でありえず、従来の批評と同じレベルにあり、それを克服する意識が見られないことがはっきりでている。
 ここでも、忍月はすべての問題と同様、主題との関係で論じている。ここでの対立は主題の内容のとらえ方と連関して、小説における主題一般の理解や、文学そのものの理解の仕方にある。この問題の無理解は嘉部氏の次の文章にも反映している。
 ここで鴎外は、忍月が「殆んど無用」と切り捨てた62行を、順を追って取り上げ、全体とのかかわりを説いている。鴎外の反論は62行までと、その後のつながりというような些細な問題に拘泥せず、真正面から切り返している。この反論に関しては鴎外の言い分の方がもっともであって、忍月の評は見当はずれと言わざるを得ない。極端に言えば、この問題については、忍月の鑑賞能力や小説観さえ疑わざるをえないのである。
 忍月はそれでもなお主張を変えず、「舞姫再評」において「第三妄」を「返上」した。
                                                                                                    (嘉部氏132頁)
 この嘉部氏の結論はまったく逆で、忍月ではなく鴎外が文学というものを理解していないし、戦後の批評がこの部分において忍月を否定し鴎外を肯定的に評価してきたことは、戦後批評が文学理論において基本的に間違っている事を示している。
 忍月はすべての論争の基礎に「恋愛と功名」の葛藤を主題として想定している。この作品の主題をこのように捉えるのは間違いであるが、作品を主題において捉えようとするのは正しい感覚である。嘉部氏のいう「全体とのかかわり」の意味は、常に主題を問題にしている忍月とは理解がまったく違っている。忍月にとっての全体の中心には主題がある。その意味での「全体」からすると豊太郎の経歴は無用であると忍月は主張している。
 また忍月は、「舞姫三評(続)」で、「『石炭をば早や積果てつ中等室の卓』云々より『鈴索を引き鳴らして謁を通じ』云々等に至るまでくどい程書き並べながら、足下は太田を称して省筆に長じたりと言ふ、真に笑ふべし」と書いている。「恋愛と功名」の葛藤を主題とすれば、最初の部分の文章も無用ということになる。主題の内容を取り違えたにしても、忍月にとっては、こういう経歴の描写は何らかの主題に関連して描写されたものとは思えなかったのである。
 忍月は基本的にこの作品を高く評価している。それは、この作品が、いまだに文学史上に残っている戯作的内容を完全に払拭し、大きな主題を捉えていると思ったからであろう。実際この作品は古い戯作的精神からはるかに離れた作品である。ただ、忍月にはその大きな主題の描写が不十分に見えた。「恋愛と功名」の葛藤に焦点をあてるならば、無駄と思える文章を省くことも、豊太郎とエリスの形象をより健全にすることもできるであろうと、考えたのである。しかし、無論これは幻想であって、鴎外にはまったく与り知らぬ思想であった。経歴に限らず、すべての描写が、全体として主題を持たない作品であった。忍月は同じ考えを繰り返したが鴎外には全く通じなかった。同様に忍月も鴎外が描写した精神を理解することができなかった。この作品がテーマを持たない作品であることを理解するためには、この作品が「恋愛と功名」の葛藤を描いたものでないこと、そのような主題はありえないことを理解しなければならないが、それはこの時代において理解することはほとんど不可能なほど困難な課題であって、忍月としてはこのような問題を提出したことに大きな意義がある。そのために、後の批評のすべてがこの問題をめぐって展開されていくのである。

 鴎外の最初の文章「此六十余行を分析すれば、一として太田生が在欧中の命運に關係せざるものなし。」という文章は、主題を描写するという感覚のないことをよく示している。鴎外は豊太郎の命運が彼自身の目で自然であるように綿密に描く事が小説の整合性として必要だと考えている。しかし、忍月にとっては、この種の整合性は意味をもたない。在欧中の命運との関係があるとしても、主題との関係がなければ無用である。
 このような対立の基礎には、豊太郎の精神の理解における対立がある。豊太郎に対する忍月の具体的な指摘には後に触れるので、ここでは鴎外の文章からうかがい知れる事だけを書いておこう。
 上に続く文章で、「先づ太田が出身、學位を受くること、官命を帯びて西に航すること、叙して十一行中に在り。これなくば誰か太田の何人なるを知らむ。」と書いている。主題を問題にする忍月としてはこうした描写は特別に描く必要はなく、他の展開の中で予測できればそれで十分であった。しかし鴎外にとってはこうした描写が必要な内容であった。描かれた現象の背後になにかがさらに描かれているのではなく、現象として描かれている個別の場面自体がすべての内容であった。このような現象形態をとっている豊太郎を客観化する意識は鴎外にはまったくない。こうした描写を無駄として削除すれば鴎外には描くべきものは何も残らないだろう。
 こうした鴎外の描写方法は、エリートの地位を肯定的に、無批判的に高く評価していることによる。その場合に現象と対立した背後の、あるいは全体において現象の背後に描かれるテーマはありえない。鴎外にとっては豊太郎を高く評価するために経歴が重用であった。同じエリートでも漱石はエリートの人生を単純に無批判的に描く事はなく、エリートの生活は細部に至るまで批判的に検討された上で描写されている。単なる履歴に見える豊太郎の描写はなんら批判意識をもたないために、エリートの生活そのままを肯定しているために意義が生じる描写であって、漱石の作品にはこのような文章はまったくありえない。漱石はエリートの人生の内部にある矛盾を追求し描写した。それが主題であった。その主題は漱石が権力者や金持ちやエリートに対する道徳的な批判意識において現実を観察し描写していく過程で「三四郎」以降にようやく発見したもので、そこから作品に二重化が現れ、作品が小説らしくなった。描かれた個々の現象とその全体の背後にある主題という二重化が生じて、その二重化は作品ごとに深まり、二重化が深まるほど作品は客観性をまし、作者の手から離れ、作者は登場人物を客観的な人物として描写することができるようになった。しかし、鴎外にはこの客観化、二重化の意識はなかった。したがって鴎外は私小説家を抜け出すことができなかった。作品の全系列においてこの二重化の発展はなかった。
 鴎外はつづけて「次の三行には航西の途を叙したり。こゝまでにて太田が母の事、明に見ゆ。これなくば誰か太田が母の死を聞きて伯林に留まる心を解せむ。」と書いている。これも鴎外にとって重要な豊太郎に特有の葛藤である。母を思う豊太郎のこころが鴎外にとって重用である。ただし、母が豊太郎にとって重要であるのは、その母が死ぬことで豊太郎の感傷の材料となるからである。豊太郎が母を大切に思うことは、母の死によって豊太郎が憂愁な気分をもつことによって証明される。エリスとの関係も同様である。豊太郎のつまらない、甘ったるい感傷の材料になるために死なされるほうはたまったものではないが、豊太郎の感傷は彼女たちの犠牲によってのみ生じるのであるし、積極的な人間関係を持たない豊太郎の深い感情はこうした消極的な関係においてしか描写されない。こうした否定的関係、つまり人間関係が失われることにおいてのみ描写される、豊太郎の「『ロマンチック』的生活に傾く」精神が鴎外にとって深い、高度の精神であった。しかし、深い人間関係がないために生ずる別れの感傷に対する趣味には深刻さはなく、忍月はこれを単に不健全な精神と感じ取る健全な精神をもっていた。
 忍月の観点からすれば、豊太郎はエリスに対しても、出世に対しても真剣でない。忍月が想定し期待した深刻な葛藤と関係のないつまらないことをダラダラと描いているように見える。豊太郎が関心とも言えない関心を持つように描かれており、しかも一方でエリスは精神的に死においやられるし、大臣の覚えもめでたい。単純で明確な主題を想定している忍月にはこういうはっきりしない描写が主題と矛盾しているように見える。ところが鴎外のロマンチズムではこうした瑣末なことへの拘泥を重視する、重要なことに関心を持たない精神が特徴である。忍月の精神からいえばはっきりしない退屈な文章が、鴎外の精神から言えば奥深く見える。瑣末なことに下らない心情を奥深げに書き込むことが鴎外の力量である。したがって、明確なしかし間違った主題を求めている忍月と、主題を持たない鴎外が対立しており、お互いになにをめぐって対立しているか理解できないのであるが、それは誤解にもとづくものではなく、日本の社会の現実認識に於ける対立であって容易にとらえることのできるものではなかった。

 最後に、長くなるが、もう一度嘉部氏を引用して第三妄の批判と関連した批評の特徴について触れておこう。忍月は「舞姫」の主題を読み間違えていたものの、それは鴎外よりも積極的な現実感覚においてであった。戦後の批評は忍月は無論のこと、鴎外の想定をも越えた、はるかに愚かしい、ほとんど信じがたい主題を想定している。このことからも、「舞姫」に対象化されたインテリを肯定する鴎外の思想が社会的な歴史的な主題をとらえているように見えることが、日本史に特有の現象的な現実認識の必然であり、それを超えることがいかに困難であるかがわかる。
 嘉部氏は、忍月が無用の文字とした部分を指摘したあと、次のように指摘している。
 我官長は余を活きたる条例となさんとやしけん(中略)今までは瑣々たる問題にも丁寧を極めていらへしたる余がこの頃より官長に寄する書には連りに法制の細目に拘づらふべきにあらぬを論じて一たび法の精神をだに得たらんには紛々たる万事は破竹の如くなるべしなどゝ広言しぬ(略)
 官長はもと心のまゝに用ゆべき器械をこそ作らんとしたれいかでか喜ぶべき危きは余が当時の地位なりけり、
 とあるが、これは忍月のいう「洋行の源因」に当たる「官長の覚え殊なりしかば洋行して一課の事務を取調べよとの命を受けぬ」という叙述があり、さらに「官長の善き働き手を得たりと奨ますが喜ばしさにたゆみなく勤め」て、ドイツに着いては一月二月と過す程に(中略)取調へも次第に捗り急ぐことをば報告書に作りて送り、さらぬをば写し留めて遂には幾巻をかなしけん」という状態の叙述があってはじめて理解できるのである。  (嘉部氏 131ページ)
 嘉部氏が「洋行の原因」の部分を必要と認めるのは、ここに引用された「舞姫」の文章を重視しているからである。「舞姫」が近代的自我の誕生を描写していると考える批評は、その近代的自我というのを、「官長はもと心のまゝに用ゆべき器械をこそ作らんとしたれ独立の思想を懐きて人なみならぬ面もちしたる男」という文章や、その直前にある「奥深く潜みたりしまことの我は、やうやう表にあらはれて、きのふまでの我ならぬ我を攻むるに似たり」といった文章に、鴎外にも想像できなかったばかばかしいほどに大げさな主題を発見している。まるで近代的自我が、ある個人のもとで、鶏が卵を産むかのように忽然と単体で産まれてくるかのようである。しかも、単に「まことの我」があらわれた、と本人が言っている事をとらえて誕生だというのだからおよそ思想として考えられないほど馬鹿げている。「独立の思想を懐きて人なみならぬ面もちしたる男を」などと書くことも、またそれをもってひとなみでない人間であろうと評価することも滑稽である。こうした文章はすべて精神の軽薄さ、自己認識の甘さを示しているものであって、近代的自我の誕生とかいう歴史的精神とはなんの関係もない。
 しかし、近代的な自我の規定を課題にする批評は、それにふさわしい内容を「舞姫」の中に発見することによってその思想の内容を明らかにしている。彼らは自分の思想も、豊太郎の精神の特徴をも理解できないままに、「舞姫」の内容を規定しているから、豊太郎の精神の特徴を検討する事で批評の思想を具体的批判できるだろう。豊太郎の精神を歴史的精神として高く評価することは、豊太郎の精神に対する無批判性という、歴史的精神の規定に対する無知以前の、日常的な感覚における愚かさがある。しかし、豊太郎の肯定がいかに感受性として愚かに見えても、それを肯定する思想は思想として批判しなければならないし、それは単純な課題ではない。

 其妄四つ、で批判されている忍月の文章も短いので、まず忍月の文章を紹介しておこう。
 著者は主人公の人物を説明するに於て頗る前後矛盾の筆を用ゐたり。請ふその所以を挙げむ。
 我心はかの合歓といふ木の葉に似て物ふるれば縮みて避けんとす我心は臆病なり我心は處女に似たり余が幼き頃より長者の教を守りて學の道をたどりしも仕への道を歩みしも皆な勇氣ありて能くしたるにあらず云々(四頁下段)
 是れ著者が明かに太田の人物を明言したるものなり。然るに著者は後に至りて之と反対の言をなしたり。
 余は我身一つの進退につきても又た我身に係らぬ他人の事につきても果断ありと自ら心に誇りしが云々(一四頁上段)
 余は守る所を失はじと思ひて已れに敵するものには抗抵すれども友に対して云々(一二頁上段)
 此果断と云ひ抗抵と云ひ、総て前提の「物ふるれば縮みて避けんとす我心は臆病なり云々」の文字と相撞着して并行する能はざる者なり。是れ著者の粗忽に非ずして何ぞや。
 忍月が「舞姫」から引用した文章に矛盾は見られない。「果断ありと自ら心に誇りしが」、そうではなかった、と告白しているだけである。自己認識であるから、たとえ自分を天才だとか神だとか、同時に俗物だとか卑劣漢だとか考えたとしても個性として矛盾するものではない。忍月は豊太郎のあまりにも俗な、つまり実際と違った自己認識が気に入らなくてつい指摘したくなったのだろう。
 豊太郎は果断ではないし、「敵するものには抵抗すれども」という自己認識が間違っているとしても、そのような自己認識も一つの個性として理解しなければならない。そういう自己認識をするのか豊太郎の個性である。その自己認識の意味を具体的状況やその人物の行為や精神の全体像との連関において具体的に規定すべきである。果断といっても勇気といっても善良といっても、否定的に臆病とか弱いとか言っても、具体的にはそれぞれ特殊な内容がある。忍月は言葉の意味を単純に、無前提に、つまり自分がそれまでに持っていた意味のままに豊太郎に適用して論じているからこうした矛盾を想定する事になり、揚げ足を取られることになる。
 第三妄までとちがって、第四妄は鴎外は作品に即して説明しており、主張はいちいちもっともである。忍月はもともと間違った主題を想定して批判しており、時代精神としてすでに遅れた立場から批判している。だから、最初から作品に即してまともに反論していれば、本質的な論破はできなくても、忍月に対しての勝利は確実であった。それにもかかわらず、小説の題に関して長々と外国文学の知識をひけらかしたり、形式論議を連ねることで却って悪い印象を与えているのは、鴎外がそうした知識とか形式論議を有効な思想と考え、自分の実力と考えていたからである。鴎外としては必然的な思想的態度であったことは分かるが、それにしても実に無駄な努力をする作家である。
 ここでの忍月の指摘は単なる不満の表明であるから、鴎外の反論だけを検討しよう。鴎外の反論は忍月がこの指摘の前に述べている、肝心の部分への反論の準備段階である。鴎外は単純とはいえ、彼らしく周到な、彼の思想として自然に浮かんでくる手順を踏んでいる。鴎外はここでは、作品に即して整然と反論している。もともと作品を描くにあたって鴎外が主な関心を持っていた内容の説明である。忍月の批評とは逆であるが、作品の構成とは同じ順番になっている。
 冒頭の「論理上の術語」云々の部分は例によって鴎外らしい知識のひけらかしで、まったくたわいないものである。鴎外には論理的な思考能力はなかった。それは四迷や漱石との非常に大きな違いである。鴎外は、エリートによくある凡俗な教養人であった。エリートだから生物学的な意味での脳細胞の働きは並外れていたのかもしれない。しかし論理力というのは自然科学者でない場合は社会的認識の能力である。この作品に見られるようにエリートを肯定していては発展のしようがない。頭がよくても屁理屈がうまくなるだけである。
 この後次のよう反論している。
 「さて太田生が思慮はまことに常なし。そを足下を待ちて知ることかは。彼は自ら云く。學問こそ猶心に飽足らぬところも多かれ。浮世のうきふしをも知りたり。人の心の頼み難きはいふも更なり、われとわが心さへ変り易きをも悟りたり。是れ全篇の発端に見えたる太田生が自ら下したる総評なり。」
 まず「太田生が思慮はまことに常なし、そを足下を待ちて知ることかは。」と断定している。これは豊太郎の基本的な、鴎外にとって決定的に重要な性格づけである。鴎外は、さらに「是れ全篇の発端に見えたる太田生が自ら下したる総評なり。」と自信をもって指摘している。「全篇の発端に見えたる」と書いているのは、これが作品全体の結論的評価であることを示している。ここで注意しなければならないのは、この結論も含めて豊太郎が日記に書き留めた自己認識と鴎外の認識が区別されていないことである。鴎外は豊太郎の自己認識、あるいは告白をそのまま、豊太郎の性格の説明に充てている。豊太郎が自ら下した評価は客観的ではありえない。豊太郎という精神の一つの特徴にすぎない。客観的な規定とは、こういう自己認識を持つ人物の精神とはどんなものかをより広範な視点から規定することである。しかし、鴎外にはそのような第二の視点による二重化はない。豊太郎の自己認識や告白をそのまま豊太郎の客観的な特徴と認め、そのように説明しているのが鴎外の特徴であり、創作方法の特徴でもある。
 表面的には「常なし」という言葉は、否定的な自己認識であるような印象与える。ような、というのは実際は否定的ではなく、表面的には否定的であるが実際の内容においては肯定されるように、肯定的な印象を与えるように工夫されており、そこに作者の主な関心があるからである。こうした工夫は小手先の工夫にすぎないから、読者の精神のレベルによっては、結局は役に立たないだけでなく、そのこと自体が否定的な印象を与える事になる。しかし、豊太郎を二重化することができない鴎外にはそれは理解できず、この「常なし」という特徴を迷うことなく詳しく説明している。
 鴎外はここで、豊太郎の「常なき」性格を四つあげている。それが、「自ら下した総評」の具体的内容になる。
 「さて彼が心の遷りかはるさまを略叙せむに、彼は郷を出づるをり、おのが有爲の人物なることを疑はず。またその心のよく忍ぶべきをも深く信じたり。舟の横濱を離るゝまでは天晴豪傑と思ひしなり。己に郷を離れしをり、悲泣して禁ずること能ばず。是れ一変。」
 「郷を離れしをり、悲泣して禁ずること能はず」、これは特に変化というほどもないし、非難されるべきことでもない。郷を、あるいは親を思う気持ちが強いと書いているだけである。といっても、作品では「せきあへぬ涙に手巾を濡らしつるを」と書いているだけで、それがどんな内容であるかはまるで書かれていない。具体的内容のないごく浅い感傷にすぎないが、鴎外の想定としては、母を思う深い感情がある、という意味である。こうした感情は有為の人物であることと矛盾するものでもない。自分が冷酷だと思っていたが、とか卑劣漢だと思っていたが、という反省では、印象だけでも否定的な痕跡を残す恐れがあるが、どこをどうみても非難される余地がないように工夫されている。こうした書き方に厭味が生れるが、それは豊太郎に対する批判的な感受性にのみ感じられることであるから鴎外の理解の及ぶところではなく、関心の外である。
 「その伯林に學べるや、政治及法律を吾事にあらずとして、歴史文學に心を寄せ、奥深く潜みし眞の我は次第々々に表に顯れて、昨日までの我ならぬ我を攻撃するに似たりと思ひぬ。其言の拙なるは麹亭の指斥せし如くなるべけれど、我は自らかく思ひしなり。是れ二変。」
 これは、好みとか興味が法律から歴史文学に変わったことで、若い時代にはだれもが経験することである。国家的、社会的課題としても優劣はない。歴史文学に対する関心がより普遍的だとか一般的だとか思うとすればそれは誤解であるし、鴎外もそうは書いていない。ただ、この前に、「一たび、法の精神をだに得たらんには、紛々たる万事は破竹の如くなるべしなどゝ広言しつ」とあるから、やはり肯定的な特徴の一つとして描いているらしい。すぐあとに、「官長はもと心のまゝに用ゐるべき機械をこそ作らんとしたりけめ。独立の思想を懐きて、人なみならぬ面もちしたる男をいかでか喜ぶべき。危ふきは余が当時の地位なりけり」とあるところからみると、官長などとちがった特別にすぐれた資質をもった人物であるかのように描いているようである。
 客観的に見れば、細目の問題が一般論によって、破竹のごとくなるなどと一般論のみを特別にありがたがるのは、まだ具体的内容を知る前の、若い精神の意気込みとしてのみ評価できる。思想としてはまったく無知で平凡なよくある考え方である。若い鴎外がこのように考えるのもやむをえない。しかし、こうした考え方に何らの疑問をもたないことには、鴎外がごく常識的で平凡なエリートであることがあらわれている。こうした、思想的な無知に基づく幻想を、独立の思想であるかのごとく考え、しかも「人なみならぬ面もちしたる男」などと自己認識しているのも、平凡で普通に見られる現象だとはいえ、軽薄な、できるだけ速やかに解消されねばならない特徴である。
 忍月が指摘したように、ベルリンでの描写がはじまるまでの豊太郎についての説明はまったく自己弁護とか、自慢話に属するもので、主題の描写という観点からはまったく必要のない、しかもつまらない内容を自慢しているだけの厭味な印象を与える部分である。しかし、鴎外にとっては豊太郎がいかに優秀な人物であるかを説明するために必要な文章であった。ただ、それはごく抽象的な説明で、しかも「いつも一級の首にしるされたりしに」とか、「管長のおぼえ殊なりしかば」とか語学力について「いづくにていつの間にかくは学び得つると問はぬことなかりき」などと、普通には気恥ずかしくなるような内容であるから説得力を持たず、そうした自己認識をもっている妙な男であるという印象を与える。鴎外は学歴やエリート的地位を無批判的に高く評価しているために、このような肯定的評価が抽象的で真実味に欠けている事には気がつかない。鴎外は豊太郎を情けないほど、見苦しいほど肯定的に描いているが、忍月はこうした描写を豊太郎の肯定的特徴と見なさなかったであろう。
 「彼の軽薄汚慧なる同郷予弟の間に立ちて呆然自失し、我心はかの合歓といふ木の葉に似て、物触るれば縮みて避けむとす、我心は臆病なり、我心は処女に似たりといへる、是れ三変。」
 ここでは端的に「臆病」と否定的な言葉で表現している。しかし、すぐさま「處女に似たり」といいかえて印象を和らげているし、「合歓木といふ木の葉に似て」も肯定的な印象を持たせるであろう。この文章はその直前にある、「彼人々は余が倶に麦酒の杯をも挙げず、球突きの棒をも取らぬを、かたくななる心と慾を制する力とに帰して、且は嘲り且は嫉みたりけん。されどこは余を知らねばなり」という文章につづく説明である。これは外面的には否定的に見られても、たとえ嘲られても実は、真面目であったからで、という意味である事があまりにも露骨に書かれている。その上でようやく、しかも否定的な印象を与えないように用心深く、それは「かたくななる心と慾を制する力」ではなくて、「物触れば縮みて避けんとす」る心ですよと解釈を加えている。それに追い打ちを書けるように、この論争では、「彼の軽薄汚慧なる同郷予弟の間に立ちて呆然自失し」とまで書いている。こんなことを地道に積み重ねていくと、臆病とか弱いとか否定的な自己認識を書き込んでも、それは反省の深さを意味するだけで、より深く自己肯定しうると考えているのであるから、素朴であるし、無知な自信でもある。この部分のちょっとしたまとめになるので、長くなるが、これに続く文章を「舞姫」本文から引用しておこう。
 「彼人々は余が倶に麥酒の杯をも擧げず、球突きの棒をも取らぬを、かたくななる心と慾を制する力とに歸して、且は嘲り且は嫉みたりけん。されどこは余を知らねばなり。嗚呼、此故よしは、我身だに知らざりしを、怎でか人に知らるべき。わが心はかの合歡といふ木の葉に似て、物觸れば縮みて避けんとす。我心は處女に似たり。余が幼き頃より長者の教を守りて、學の道をたどりしも、仕の道をあゆみしも、皆な勇氣ありて能くしたるにあらず、耐忍勉強の力と見えしも、皆な自ら欺き、人をさへ欺きつるにて、人のたどらせたる道を、唯だ一條にたどりしのみ。餘所に心の亂れざりしは、外物を棄てゝ顧みぬ程の勇氣ありしにあらず、唯外物に恐れて自らわが手足を縛せしのみ。故郷を立ちいづる前にも、我が有爲の人物なることを疑はず、また我心の能く耐へんことをも深く信じたりき。嗚呼、彼も一時。舟の横濱を離るゝまでは、天晴豪傑と思ひし身も、せきあへぬ涙に手巾を濡らしつるを我れ乍ら怪しと思ひしが、これぞなかなかに我本性なりける。此心は生れながらにやありけん、また早く父を失ひて母の手に育てられしによりてや生じけん。
 彼人々の嘲るはさることなり。されど嫉むはおろかならずや。この弱くふびんなる心を。
 鴎外が弱き心、常なき心を豊太郎の基本的な特徴とするのは、豊太郎にはエリスを捨てる意志がなく、弱き、常なき心の故に、意に反して、また不幸にも別れる事になった、それは悲しく、哀れで、ふびんなこころである、というためである。さらに、豊太郎の内的矛盾の発見などは課題でもないし、認識能力としてももともともっていないために、豊太郎を肯定しようとする本能に導かれ多面的な観方をつかって説明している。鴎外は、日常生活でも見られる、真面目過ぎてとか、かしこすぎて、とかいう否定の形式をとった自己弁護の方法が有効と思うほどに素朴に豊太郎を高くしていた。鴎外はこうした説明も、こうした説明を必要とすることも、またこの弱き心や常なき心が、全体として、自分の意志においてエリスを捨てる精神とは違った、まったく別の堕落した精神である事を理解できなかった。

 以上三変は、特に変化と言えるほどでもない、平凡な特徴である。そこに重要な特徴が描写されていると考えるのは豊太郎を高く評価する観点において生ずる偏見にすぎない。鴎外はエリートとしての豊太郎の平凡な心理を描写しているだけであるから、人生における大きな精神的変化を描写することはできない。しかし、其妄四つのうちで、豊太郎の変化を説明した「第四変」からは重用な問題がでてくる。嘉部氏も、他の批評も、第三変までと第四変を区別している。第三変と第四変の違いは、第三変までが、作品のうえでは豊太郎の単純な説明であるが、第四変からは、豊太郎の実践とかエリスとの関係が描かれた部分に対する評価であるから、自己認識は同時に人間関係や実践に対する評価でもあり、単純な自己認識として片づけるわけにいかないからである。鴎外はここに要点が或る事を意識しており、その困難をのりきるために、作品においても論争においてもながながと豊太郎の特徴を描写し、説明する必要があった。
 

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