Memocho・・・・(〜50) (101〜150)


100. 『虞美人草』・・甲野と浅井と小野 (5.02.20)

  漱石の『虞美人草』の世界は、道也・甲野と、藤尾・浅井の対立の世界であり、小野がその中間で動揺している。中間的な小野は、道徳的な批判対象になると同時に道徳的に肯定される。浅井も藤尾も道徳的批判の対象にならない。甲野も藤尾も道徳的な意識の葛藤の外にあって、同等の力をもって対立している。この対立の本質をなし、この対立を生み出し、支配しているのは、明治の社会の発展を規定している金の力である。その金が作り出す地位の力である。
 『野分』と『虞美人草』は、この金と地位が支配する明治社会を、もっとも抽象的に認識し描写している。小野は、この抽象的な対立における両者の関係の媒介項である。抽象的な関係の媒介として、両者の要素を共有する関係にある。
 金と地位が支配する社会において、金と地位の力を肯定し、それを社会的な力として自分の力として生きようとしているのが浅井であり藤尾である。金と地位を生み出す力は同時に、貧しい人々を生み出す力でもある。したがって、その対比によって、金と地位に依存し、その力で人々を圧迫する生き方を批判する意識が現れる。それが道也と甲野である。金と地位の支配する社会を、基本的に肯定するか、あるいは否定するか、が現実認識の原理的な対立になっている。しかし、甲野は実は金と地位を持つ立場にいるために、金と地位を否定する意志を持ちながら、意識の内部においても、金と地位を否定することが出来ない。それが甲野の苦悩である。

 現実の力関係において、この時代には、金と地位の力が圧倒的な優位にある。金と地位を持たない人間には現実的な力がないように見える。その場合、貧しい人間を救うべきである、という道徳的な意識が生じる。これは、救う事ができない場合の意識である。金と地位がない人間の自立性を発見できない場合の対象認識の形式である。
 ところが、漱石は、もともと『猫』からこの対立を抜け出そうとしていたのであって、この対立の中で道徳的に自己を肯定することはなかった。というのは、漱石は、金と地位の問題を抽象的に問題にしていながら、常に金と地位の実質的な否定を課題にしていたからである。そのために、批評が通俗的だとか勧善懲悪だとかの愚かしい評価をしているにも関わらず、長く古典として読まれている。
 漱石の基本的な課題は、甲野と浅井の同等の対立を超えることである。そして、同等の対立を想定することにおいてこの対立は超えられている。道徳的な意識は、甲野の優位を想定するからである。両者の抽象的な対立の媒介となっている小野を解消し、具体的な現実認識による媒介として展開することが次の課題になる。金と地位の道徳的な否定が漱石の課題になったことはない。



99. 「憐れみ」について(5.02.19)

  デカルト「情念論」より。(著作集 第3巻 白水社 花田圭介訳)
  
  185 「憐れみ」
 「憐れみ」とは、その悪を被るのに値しないと考えられるのに、或る悪を被っているところの人々に対する、「愛」または善意をまじえた、一種の「悲しみ」である。それゆえ、「憐れみ」は、その対象に即していえば、「羨み」の反対であり、また、その対象を見る見方の違いからいえば、「嘲り」の反対である。
 
 186 最も憐れみやすい人々はいかなる人々か。
 自分を非常に弱いものと感じ、不運の苦難にたやすく屈すると感じている人々は、人一倍この「憐れみ」の情念に傾くように思われる。それは、他人の被っている悪は自分にも起こりうると思うからである。したがって、そういう人々は、他の人々に対する「愛」よりも、むしろ自分自身に向かう「愛」によって「憐れみ」に動かされるのである。
 
 187 最も高邁な人々もこの情念に動かされるのは、いかにしてか。
 しかし、それにもかかわらず、最も高邁であって最も強い精神を持つ人々、したがって、自分に関してはいかなる悪をも恐れず、運の支配に超然としている人々も、他の人々の弱さを見、その嘆きを聞くとき、同情をもたないわけではない。というのは、誰に対しても善意をもつことが「高邁」の一部分だからである。(18)しかし、この「憐れみ」に含まれる「悲しみ」は、苦いものではない。その「悲しみ」は、舞台の上に演ぜられる痛ましい事件を見たときにひき起こされる「憐れみ」と同様に、精神の内面にあるというよりはむしろ外面に、感覚のうちにあるものであって、精神は、そのとき他方では、悩める人々に同情することによって自分のなすべきことを果たしていると考える満足を感得しているのである。(19)また、そこには次のようなちがいがある。すなわち、普通人が、嘆く人々に同情するのは、彼らの被っている悪がひどくいやなものだと考えるからであるのに対して、最も偉大な人々の抱く「憐れみ」のおもな対象は、嘆く人々のもつ弱さである。なぜならば、彼ら最も偉大な人々は、たとえいかに悪い事件が起ころうとも、それに堅実に耐ええない人々の「臆病」ほどに大きな悪は何も起こりえないはずだ、と考えているからであり、また、彼らは悪徳を憎むが、さりとて悪徳に屈する人々を憎みはせず、ただそうした人々に対して「憐れみ」を抱くだけだからである。

 188 「憐れみ」に動かされないのは、いかなる人々か。
 他方、「憐れみ」を感じえないような人間とは、次のような人々だけである。すなわち、意地が悪くねたみ深く、生来すべての人間を憎まずにはいられないような人々、あるいは、非常に理性を欠き、かつ幸運によって盲目にされているか、あるいは不運によって絶望的になっているために、もはや自分にはいかなる悪も起こりえないと考えている人々、である。
 
 【なんとまあ、漱石と鴎外の関係によくあてはまることか。】



98. 愛情の描写(5.02.18)

 四迷と一葉は深い愛情を描いた。ほとばしるような感情を描く手際を持っていた。漱石と鴎外は深い愛情を描かなかった。漱石は、深い愛情を持つことができない苦しみを描いた。それはこのうえなく深刻な深い感情であった。『虞美人草』では、男を弄ぶ藤尾を、愛情を持てない女として非難した。そして、『彼岸過迄』から『こころ』までの作品では、藤尾に対する道徳的な批判意識の故に、直接的な愛情に身をゆだねることのできない人間の苦悩を描いた。そしてようやく、直接的な、ストレートな感情と現実認識を得ることができた。その成果が『明暗』である。
 鴎外は、愛情を持つこともできず、描くこともできず、冷たいと言われた。鴎外もそれを知っていたが、愛情を持つことなど思いもよらなかった。だから、感情に乏しく、冷たく見えるのは、理知的だからだ、と主張した。感情に乏しく、冷たい鴎外の非理知的なこの主張を理解するのは、感情に乏しく、冷たい人間ばかりである。知性の豊かな人間は豊かな感情の欠如を知らない。理知も愛情も乏しかった鴎外はそれを知らなかった。



97. 忍耐と財産(5.02.15)

 漱石は自分の住む世界の人間関係や精神が耐えがたいと思っている。そして、その人間関係や精神の本質が地位や財産に対する執着であろう、と考えている。だから、この耐えがたい世界から抜け出す為に、地位や財産を放棄しようとする。地位や財産の規定から自由になることが、この世界に対する批判であると同時に自分自身が精神として自由になることである。『野分』の道也も、『虞美人草』の甲野も、それを基本的な特徴としている。それは非常に困難な課題であると同時に、精神としての成果は大きく、実際に自由を得るための努力であった。
 
 鴎外も自分の住む世界の人間関係や精神を耐えがたいと思い、耐えている。そして、地位と財産を確保し、執着し、地位と残産の力によって耐えている。漱石は精神的な価値を求め、そのために地位と財産を放棄する必要があると考えた。鴎外は地位と財産を求め、そこに自分の精神の安住を求めた。誠実さや真摯さはどこにもないし、そんなものを求めていたのではなく、自己の安定を求めただけである。しかし、それは得られなかった。漱石は則天去私の精神を見つけた。それを十分に確認することなく死んだが発見することは出来た。則天去私とは、矛盾に満ちた自己において必然と一致すること、現実と和解することである。



96. 『虞美人草』について(7) 当為と自然の法則 (5.02.11)

 『虞美人草』執筆当時の明治四十年の書簡をいくつか並べてみると、漱石の苦労がよくわかる。まず、はじめは余裕がある。(岩波書店1996年版 漱石全集第23巻から引用)
 
 ■委細は御面語の上虞美人草は広告丈で一向要領を得ない 人がくる用事が出来る。どんな虞美人草が出来る事やら思へばのんき至極のものなり (5.29 滝田樗陰宛)
 ■今日から愈虜美人草の製造にとりかゝる。何だかいゝ加減な事をかいていくと面白い。 (6.5 小宮豊隆宛)

 十日後くらいから少し不満が出てくる。
 
 ■御手紙拝見長い手紙をかく余裕がない毎日虞美人草の事ばかり考へてゐる今日社から原稿をとりにくる九十七枚わたした。
 折角苦心してかいた所もあとから読み直すと何だこんなものかと思ふ事多し。つまらない。 (6.17 松根東洋城宛)
 
 一カ月後には、藤尾との対立に苛立っている。有名な書簡である。
 
 ■虞美人草はいやになつた。早く女を殺して仕舞たい。熱くてうるさくつて馬鹿気てゐる。是インスピレーシヨンの言なり。 (7.16 高浜虚子宛)
 ■虞美人草は毎日かいてゐる。藤尾といふ女にそんな同情をもつてはいけない。あれは嫌な女だ。詩的であるが大人しくない。徳義心が欠乏した女である。あいつを仕舞に殺すのが一篇の主意である。うまく殺せなければ助けてやる。然し助かれば猶々藤尾なるものは駄目な人間になる。最後に哲学をつける。此哲学は一つのセオリーである。僕は此セオリーを説明する為めに全篇をかいてゐるのである。だから決してあんな女.をいゝと思つちやいけない。小夜子といふ女の方がいくら可憐だか分りやしない。 (7.19 小宮豊隆宛)
 ■虞美人草はだらだら小説七顛八倒虞美人草と名づけて未だ執筆中 (7.26 鈴木三重吉宛)

 藤尾をやりこめたい、というのが漱石の意識の表に出た道徳的当為である。こうした強い意志を表明するのは、藤尾を殺すことができない、という漱石の現実感覚が背後にあるからである。藤尾を殺してしまいたいと、思いながらどうしても殺せないので七顛八倒している。その事情を漱石は、次の書簡で書いている。

 ■日々暑い事だ。偖旅行の儀は延引又延行今月の半頃ならばと思つてゐるが一方では段々考へて見ると例の小説がどうも百回以上になりさうだ。短かく切り上げるのは容易だが自然に背く〔と〕調子がとれなくなる。如何に漱石が威張つても自然の法則に背く訳には参らん。従つて自然がソレ自身をコンシユームして結末がつく迄は書かなければならない。するとことによると君と同伴行脚の栄を辱ふする訳に参らんかも知れぬ。旅行も大事だが虞美人草は胃病よりも大事だから其辺はどうか御勘弁を願ひたい。トルストイ。イプセン。ツルゲネフ。杯は怖い事更になけれど只自然の法則は怖い。もし自然の法則に背けば虞美人草は成立せず。従つて誰がどう云つてもゾラが自然派でフローベルが何とか派でも其他の人が何とか蚊とか云つてもどうしても自然の命令に従つて虞美人草をかいて仕舞はねばならぬ万一八月下旬に自然から御許が出たら早速端書をあげる。夫迄は吉原の美人でも見てインスピレーシヨンを起して居たまへ。もし自然の進行が長引けば此年一杯でも原稿紙に向つてゐなければならない。鳴呼苦しいかな。 (8.5 宛鈴木三重吉)
 
 漱石は藤尾を殺すという当為を立てているが、自然の法則に背くことは出来ない。漱石の意識の中で、道徳的当為と『虞美人草』の持つ自然の法則が対立している。自然とは、藤尾や母親や小野が力を持っており、道徳的当為によって反省することも破滅することもない、という現実である。漱石が苦しんでいるのは、漱石の精神の中でこの自然の法則が優位にあり、それを描く能力があるからである。
 漱石の精神は、表面的な道徳的当為の意識と、現実的な法則的な精神が対立している。この場合道徳的な精神が非本質的で意味がないのではない。漱石のこの作品の自然の法則は、漱石の道徳的な当為のもとでのみ形成される特有の自然的な法則である。だから、道徳的な当為も、自然法則についての意識も漱石の一つの現実的精神であり、この全体が矛盾に満ちた、生き生きした漱石の精神の運動である。そのようなものとしてこの作品を理解しなければならない。
 漱石が道徳的な当為と、こうした現実の法則の狭間で苦しんでいるにも関わらず、この小説を勧善懲悪というのは愚かである。「早く女を殺して仕舞たい」という書簡の文章は、漱石の精神のごく一部分の表明にすぎない。それを漱石の全体的な特徴であるかのように理解するのはまったくの偏見であり、自分の都合による勝手な解釈である。
 一般に、漱石の書簡や断片や経験的な事実によって、それを参照して作品を理解することはできない。漱石の精神は作品のなかにもっとも高度に複雑に実現されており、作品自体にすべてが含まれている。高度で複雑な内容を含んだ作品がもっとも分かりやすい。だから、作品の理解によって、それにもとづいて書簡や断片や漱石の経験を理解することができる。その結果として再びそれを参照して作品の理解を促すことも出来る。書簡や断片や経験的事実から自分に都合のいいものを寄せ集めて、それによって作品を解釈するのは、アプリオリな図式によって作品を解体し、細切れにすることであり、作品を外的に理解することである。
 
 ■昨日は暑中見舞の書状難有拝見、杉村氏帰京にて御多忙の事と推察致候
 小生未だ小説を脱稿せず百回でやまざる故どこ迄行くか夫子自身心元なし Penelope's web と申す事あり。永劫に虞美人草攻となる了簡なり。
 細民はナマ芋を薄く切つて、夫れに敷割杯を食つて居る由。芋の薄切は猿と択ぶ所なし。残忍なる世の中なり。而して彼等は朝から晩迄真面目に働いてゐる。
 岩崎の徒を見よ!!!
 終日人の事業の妨害をして(否企てゝ)さうして三食に米を食つてゐる奴等もある。漱石子の事業は此等の敗徳漢を筆誅するにあり。 (8.16 中村古峡宛)

 漱石はこうして、細民の労苦と岩崎の徒を対立させ、細民の立場に立つことを表明することをもって、七顛八倒小説の決着としている。細民の立場に立つという道徳的当為を飽くまで維持した上で、その内部に生まれる自然の法則を明らかにすることが漱石の現実認識である。この現実認識の発展として、『三四郎』が生み出される。



95. 伊豆利彦著 『夏目漱石』(5.02.09)

 この著書は、1990年に書かれているが、15年後の現在にふさわしい啓蒙的な書物である。日本の現状に対する危機意識と、その現状にとって漱石の研究がいかに重要であるかが、新しい世代に対する期待を込めて書かれている。
   
  千円札で日々私達に親しい漱石ですが、その生涯と文学は私達の生活から遠いもののように思われがちです。しかし、今までの学者や評論家がなすりつけた様々な偏見をはぎ取り、今の社会に生活し、この社会の矛盾に苦しみ、人間的な生活の実現を求めて日々を生きる私達自身の眼と心で新しく読み直して見れば、意外に私達に親しい漱石なのではないでしょうか。長い間、学生たちだけでなく、読書会の主婦たちと一緒に読んで来て、そのことを強く感じています。私は漱石を、文豪として遠くに見るのでなく、私たちと同じ問題に同じように苦しみ、同じように戦った私たちの作家として、私たちの手に取り返したいのです。
  
 伊豆氏は「おわりに」にこのように書いている。学生や主婦たちと漱石を読んできたことが、学者や評論家がなすりつけた偏見をはぎ取る必要を感じるための一つの大きな力になっているのであろう。実際、漱石をこのように読むことが必要であり、しかもそれが可能になっている。漱石は1907年の『野分』で作家になる覚悟を描いた。漱石が自分の作品の理解を期待した100年後まであとわずかである。漱石の精神はこれまでの学者や評論家の手から、ごく普通の国民的な精神として一般に受け入れられ、取り返されるに違いない。
 この著書は、新書版の200頁あまりで漱石の全体を論じており、個々の作品への具体的な踏み込みはない。漱石をストレートに肯定的に捕らえており、新しい漱石を作り出すための出発点となっている。漱石を貶め、歪める批評と違って、こうした肯定的な評価は、却って主張が当たり前で平凡に見えるかもしれない。しかし、漱石を理解するにあたっては、ストレートな肯定的評価を維持することがまず基本的な困難であり、この基礎の上にのみ、新しい漱石像を生み出すことができる。

 この点で、やや批判的に見る必要があるのは、伊豆氏が、漱石の作品内容と歴史的な事実を直接に結びつけようとしていることである。歴史的な事実と作品は直接的な対応関係にはない。歴史的な事実と作品の内容の関係の理解は、両者の間を分解し無限の媒介を発見することにあり、そのことによって直接的な関係もまったく別様に見えてくる。時代と作品との直接的な関係を発見しようとする場合、結論を啓蒙することになる。しかし、直接的な関係は結論ではなく出発点にすぎない。そのことを意識してこの著作を読むべきであろう。
 たとえば、
 漱石が電車事件に関心を持ち、堺利彦と交友関係があり、さらに、たとえ自分を社会主義者だと考えたとしても、そうした事実は漱石の思想の内容とは直接的な関係はない。漱石の思想は思想として別に研究し、電車事件は電車事件として歴史的な位置づけが必要であり、その結果として電車事件や堺利彦との関係も初めて明らかになる。そのような方法をとらなければ、関係はこじつけであり、断定にすぎない。伊豆氏も漱石の新しい研究が始まるべきであることを強調している。この著作は結論ではなく出発点として読まれるべきであり、そこに大きな意義がある。そして、そうした読み方こそこの著書を肯定的に読むことである。



94. 『虞美人草』について(6)-罪の意識 (5.02.01)

 「舞姫」のエリスは破滅した。エリスの破滅に対して豊太郎は何ら罪を負わない。豊太郎は眠っていた。豊太郎は悪意を持たず、悪人ではない。豊太郎は眠る男である。豊太郎は出世し、エリスの破滅が感傷的に記憶に残った。作家としての鴎外にもなんら罪の意識は生まれなかった。鴎外も家族も、この作品を朗読して、よくできていると感激した。鴎外も家族も豊太郎も、エリスを救う意志はなく、豊太郎を救う意志だけを持っていた。
 「舞姫」に見られるように、エリスが破滅しさえすれば、八方丸く治まる。エリスを救おうとすると複雑な矛盾・葛藤が生ずる。人間関係も精神もかき乱される。
 
 漱石は『虞美人草』で、貧しい小夜子を救おうとした。それは甲野・宗近の、そして漱石の道徳的な意志の実践である。この場合、エリスを破滅させた鴎外と違って罪の意識が生じる。漱石にとって、小夜子を救うことは藤尾を否定することである。藤尾の強い我が大人しい小夜子の我を殺すと、思われたからである。だから、甲野と宗近は、小夜子を助け、藤尾から小野さんを取り上げて小夜子と結びつけた。こうして強い我は否定され、弱い我が救われた。
 しかし、ここで、道也を継承してきた甲野・宗近の意識とのずれが生じる。もともと道也は、個人の弱点を問題にしていなかった。社会一般の堕落を問題にしており、世間のすべての人間に共通する弱点を批判していた。ここから現実に一歩踏み出すと、現実の矛盾に突き当たる。藤尾と小夜子の対立は、強い我と弱い我との対立以上の内容を含んでいる。
 金と地位に依存しない学問と人格を得るために、道也は地位を失う覚悟をした。それは客観的な立場としては貧しい孤堂や小夜子と同じ立場に立つことである。小夜子は大人しい自我であると同時に、より本質的には貧しい自我である。孤堂や小夜子の立場に立つ、という価値観から言えば、小夜子に藤尾の地位を与えることは、小夜子を救うことになるであろうか、という疑問が生ずる。それは、小夜子を第二の藤尾にすることであり、金と地位に依存する自我に変えることであり、したがって、道也と甲野の価値観からすれば、自我を堕落させ破滅させることである。だから、藤尾を破滅させたことも、小夜子を助けたことも、無に帰することになる。
 漱石は小夜子を救う意志を持っており、それを小説の上で実践した結果として、藤尾を破滅させただけでなく、小夜子をも破滅させたことになる。自分の運命の破滅を代償にしてでも道徳的であろうとした漱石は深刻な罪を負うことになった。しかも、問題はそれが善意の結果として生じたことであり、何故そうなったのか、さらに、では小夜子を救い、甲野と自分を罪から救うにはどうすればいいかが全く分からないことである。
 鴎外の場合は、エリスを破滅させることを問題の解決とした。豊太郎に罪を負わせない、という意味でうまくエリスを破滅させることができた。しかし、漱石は、読者の誰もが感じるほどにはなはだまずく問題を解決した。解決したのではなく、非常に難しい問題を抱え込んだ。そして、この矛盾を抱え込んだことによって、「明暗」にたどりつくことができた。エリスを破滅させた鴎外は大きな問題を抱えることはなかった。奥さんがわがままだとか、文壇が自分を評価しないとか、上司とうまくいかない、といった程度の、漱石が、「動けば反吐を吐く」といった世界で、反吐を吐きつづけただけである。だから、鴎外と家族が思ったほどに、「舞姫」はよくできていたのではなかった。
 
 こうして、漱石は「虞美人草」で大きな罪を負うことになった。そして、こうした視点から見た場合の必然的な結果として、次のより本質的な問題は、漱石が小夜子に対して何ら罪を負うことができなかった、ということである。
 「こころ」の先生も、Kの死に対して罪がある、と思うことができた間は自己肯定的であった。しかし、Kの死に対して何ら罪を持たないことを理解したとき、平安を得たと同時に絶望的であった。



93. 『虞美人草』について(5) (5.01.15)

 甲野さんは哲学者である。甲野さんは、我の強い藤尾が小夜子を殺す、という。世間体のために嘘をつく母親は謎の女である、という。藤尾の我が強く母親が虚偽に満ちているとしても、それにこだわる事が哲学であろうか。哲学は藤尾や母親を離れて、普遍的な、根源的な問題を考察すべきではなかろうか。
 「野分」の道也にとって道とは、自らが悟りを開く事ではなかった。我の藤尾や謎の母親を世俗として見捨てて、超俗的な自我になることが課題ではない。我の女や謎の女に満ちている世の中を変えるために、その世俗を捨てた自己が必要であった。だから、我の女や謎の女を自分から切り離すことはできない。これこそが甲野さんの、そして漱石にとって本質的な、放置する事のできない、妥協する事のできない問題であった。この問題の本質的解決のために、この現象を謎として、この謎に関わる自己をも謎として問い続ける事が哲学である。そして、漱石は「明暗」に至る作品の系列によってこの謎を解いた。我の女を現実の必然において超える事、謎の女の現実的な秘密を解きあかす事、それを課題に出来ない場合は、この作品は、勧善懲悪の通俗小説であり、謎の女はなんら謎ではない。甲のさんはすぐれた哲学者である。



92. 『虞美人草』について(4) (5.01.14)

 道義的甲野が我の女の藤尾に勝つことはあり得ない。勝てないから道義的なのである。道義的甲野が藤尾に勝つ自然なディテールを描く事ができれば才能の欠如である。小夜子を助け藤尾を破滅させる方法はない。漱石は方法を発見できなかったから、無理に殺した。だから、小夜子を救う方法は道義的にではなく、別の方法を見つけなければならない。小夜子を救う自然な方法は、少なくとも道義による闘いでは得られない。
 小夜子を救う現実的で合理的な方法や法則が見つからない限りは、小夜子の破滅が自然である。小夜子を救うことを当為として真剣に掲げている場合は、この現実を受け入れねばならない。漱石はこの現実を受け入れて、道義によって救うことはできないこと、できないことが道義という形式で意識されている、ということを理解した。

 この現実を法則においてではなく、個人の事情において受け入れにくい場合がある。それが鴎外の「舞姫」である。
 漱石が小夜子を救って藤尾を破滅させると、批評家が不自然だとか勧善懲悪だとかいって漱石を懲らしめにかかる。それならば、豊太郎がエリスを破滅させたからといって、例え褒めないまでも、擁護する必要はないはずである。エリスを捨てて大臣を選ぶ事は現実としては自然であるから。しかし、この愚かで軽薄な馬鹿息子を擁護するために、文学史上どれほどおおくの努力が積み重ねられてきた事か。それは、本来法則的には自然であるはずのエリスの破滅を、鴎外が自分の都合のためにこの上なく不自然なものにしてしまったからである。
 エリスの破滅に関わって、というか関わらないために、豊太郎は寒けにあたっただけで一週間も寝ていた。まるで奇蹟である。その間に、豊太郎がエリスを残して東洋に去ることを相沢がエリスに告げて、エリスは愛する豊太郎の意志を確認する事もなく、相沢の言葉をそのまま信じて、気が狂ってしまった。これは奇蹟ではなくつじつまのあわないばかげた作り物である。さらに、責任逃れのためなら何日でも寝ていられるような軽薄で臆病な留学生を一本釣りで抜きあげるような間抜けな大臣がヨーロッパを回遊していた、という途方もない前提がある。もともと、途方に暮れて泣いているところに豊太郎が来あわせる、という、うっかり狂犬病の犬の尻尾を踏んでしまったくらいの偶然が事の発端であった。
 これらのすべての馬鹿馬鹿しいほどの偶然の組み合わせにも関わらず、全体の印象を自然にしているのは、留学生豊太郎の出世とエリスの破滅である。不自然な偶然の組み合わせは鴎外の都合によるものであるが、鴎外は「虞美人草」の漱石と違って、エリスの破滅を認める現実感覚において自然であった。エリスを救うなどという感覚は鴎外のどこを探してもでてこない。しかし、エリスの破滅が出世の妨げになるのではないか、という危惧があったために、この現実を自然として受け入れる事はできず、この自然に不自然な工夫を加えた。
 
 藤尾が破滅し、小夜子が救われるのは、現実感覚からすれば不自然である。現実はこのようになっていない。だから、漱石の現実感覚は修正されなければならず、漱石はこの後より現実的な精神を得た。
 エリスが破滅し、豊太郎が出世するのは関係の全体としては自然である。現実はこのようになっている。だから、豊太郎が一週間も寝ていたのは余計な苦労であり工夫である。しかし、この余計な苦労と工夫をしないではいられないのが、鴎外の特徴である。エリスを破滅させるのは自然の法則であって、鴎外の特徴ではない。そこで寝ているのが鴎外の特徴である。だから、批評は、エリスを破滅させたことにおいてではなく、この愚かな工夫において、責任を逃れるためには何でもやるというこの恥知らずな精神を弁護しなければならなかった。しかも、自分が何を弁護しているかを理解できなかった。豊太郎は自分の手を汚さないために寝ていたのではない、などと擁護するわけにいかなかったであろう。



91. 『野分』について (5.01.13)

 掲示板に関連して、人間の本質がエゴイズムである、という規定の批判について、少し書いておこうと思う。
 
 人間は、自分自身の利益のために、幸福のために生きる、という側面と、自分の利益や幸福を犠牲にしてでも人のためや世の中に生きる、という基本的に二つの側面が現象として誰の目にもつく。この二つの側面のどちらを本質とするか、あるいは、この両者を本質とするか、がまず常識的な感覚で、これは理論でもなんでもない。しかし、この対立を超えた理論の世界に入ることは非常に難しい。
 「野分」で漱石は、自分の利益や幸福のためではなく、世の中のために生きる、という側面を徹底して描いた。道を説き、正義を説いて、そのことで声望を得て議員になるなら、たとえどんな意識を持っていても、そこに自分の利益や幸福を求めているという側面を指摘する事ができる。漱石は道也の利益を徹底的に排除して、破滅的な人生を描写した。
 こうして、漱石は、この二つのどちらを原理とすべきか、という問いに対して、社会のために、道のために生きるべきだ、という当為を純化して描写した。この場合、道也の生き方を肯定するのは理論的な課題となり、非常に難しくなる。
 作品には、道徳的な生き方の肯定が表にでているので、この表面をはぎ取って内部に入る事が理論的な課題になるが、その時に自分自身の利益の肯定を対立物として主張すれば、常識の世界に取り残される。漱石の「野分」によって通俗的な認識に追い込まれる。といっても、理想や主義を掲げて自分を犠牲にして生きる道也を否定するのは勇気のいることなので、何人もの批評家が、少しづつ道也を批判する視点を蓄積して、ようやく、はっきりした否定に到達する。この否定の観点を最初に整理したのが、1971年の越智治雄氏の「野分」という批評である。あとは坂道を転がり落ちるようなもので道也批判に突き進んでいる。
 この場合、社会のため、という主義や理想を否定するために、生活者の論理をたてる。要点は、二つある。道也は、主義や理想を掲げているが、結局道の内容を示す事はできず、つまり社会に対して貢献はできない、と指摘される。道を示すことが理論的に可能であるかのような、あるいは課題となりうるかのようなこの愚かな要求と、道也の精神の積極性をどこにも発見できない理論的無能のために、道也の成果がまず否定される。その上で、ただ、無意味な理想を掲げるだけで、自分の生活さえうまく支える事が出来ず、奥さんを困らせているだけである、という説得力のある、しかし理論とは全く関係の無い罵倒が続く。高柳が信用しているが、高柳にしても肺病でのたれ死ぬのははっきりしているし、道也も同じである。敗北者でありながら、理想を掲げてあたかも社会に対する勝利者のように思っているのは滑稽である、ということになる。要するに個の幸福、個の利害を守る事が出来なかった事を無能として評価している。こんな罵倒を浴びせるのは自分の俗物根性を披露することになるのでなかなか勇気がいるが、その勇気の根拠となるのは、道也を肯定する事ができない、という確信である。この確信を生み出すのは理論的な無能である。
 主義や理想を掲げても生活者として無能である。だから滑稽である。しかし、無能で滑稽であってもなお理想を掲げるのは立派といえないこともない。これが、最初にあげた、自分の幸福のために生きる事と、社会のために生きることを対立させ、このどちらかの側面を重視し、あるいは両方を認める折衷主義である。この世界を抜け出すのが難しい。



90. 『虞美人草』について(3) (5.01.12)

 「虞美人草」はいやになつた。早く女を殺して仕舞たい。熱くてうるさくつて馬鹿げてゐる。是インスピレーシヨンの言なり。(M.40.7.16-高浜虚子宛書簡)。
 
 藤尾といふ女にそんな同情をもつてはいけない。あれは嫌な女だ。詩的であるが大人しくない。道義心が欠乏した女である。あいつを仕舞に殺すのが一篇の主意である。うまく殺せなければ助けてやる。然し助かれば猶々藤尾なるものは駄目な人間になる。最後に哲学をつける。此哲学は一つのセオリーである。僕は此セオリーを説明する為めに全篇をかいてゐるのである。だから、決してあんな女をいゝと思つちやいけない。小夜子といふ女の方がいくら可憐だか分りやしない。(M.40.7.19-小宮豊隆宛書簡) 。

 漱石は高い人格性によって、社会を啓蒙しようとしていた。藤尾を殺すのは、漱石の人格的な意志であり当為である。掲げられた当為と、具体的な精神の内容は違うとは言え、漱石の場合は重要な、真剣な意義を持っていた。この書簡は、大げさで軽い文章であるとはいえ、漱石は部分的にはこう思っていたであろうし, こう思う事の限界を感じていたとしても、こうする以外に無い事を感じていただろう。作品の流れとして藤尾を殺す意志をもち、当為を掲げていることは、藤尾を殺す以外に方法がない、ということと、殺す事ができにくい、ということである。
 漱石は藤尾をうまく殺すことはできなかった。はなはだまずく殺した。鴎外の「舞姫」のように、寝ている間に気が狂ってしまうような藤尾ではない。うまく殺す事ができなかったことも、それでも、何とか殺すところまで持って行ったのも漱石の精神の特徴である。この結末は甲野の哲学が現実に対して、藤尾に対して無力であること、漱石の当為が現実に通用しないことを示している。藤尾は甲野の道義を受け入れる可能性がないように描かれている。藤尾が生きて反省したならばこの作品は遥かに厳しく否定されたであろう。藤尾と甲野の和解はあり得ない。藤尾も甲野も妥協しない。それは「野分」の覚悟の帰結である。藤尾と甲野精神は接点を持たない。だから、偶然的な死によって結末をつける以外になかった。甲野の哲学の必然的な帰結として、藤尾の不自然な死のみが自然である。
 藤尾の死は藤尾と関わる限りでの甲野の精神の死でもある。二人の関係の描写がもたらした気分は、藤尾と道義的に関わりをもつことが不毛で面倒で嫌になった、ということであろう。藤尾一人をこらしめる事は道義の本来の目的ではありえない。しかし、物語の進展は、道義というものが藤尾個人との関係に収束する傾向を持つことを示している。漱石が苛立つのも当然である。道也と甲野の人格は、まだ藤尾に囚われており、藤尾から自由になることができなかった、ということであるから。
 しかし、漱石の道徳的当為も、道徳的意識も、その意識の外皮にすぎない。藤尾の死によってこの外皮が破れた。



89. 『虞美人草』について(2) (5.01.11)

文学は、読者を道徳的に啓蒙すべきである。人格によって世の中を導くべきである。「野分」の道也は、そう考えた。漱石もそう考えた。「虞美人草」にはそうした意図がある。しかし、この作品は通俗的と言われ、漱石自身もこの作品の弱点を認めないわけにいかなかった。
 より一般的に言えば、文学は理想を描き、理想によって読者を導くべきであり、そこに芸術としての意義があるのではないか。そうではなく、現実を道徳的に導くことは通俗的で、悲惨であろうと絶望的であろうと、現実をあるがままに描くことがいいのか。あるいは、意図はよかったにしても、道徳の内容が悪かったのか。
 作品において藤尾を殺す事は通俗的と非難され、作品においてエリスを精神的に殺す事は悲劇的な感傷として評価される。道徳的に藤尾を殺す事は許されないが、出世のための都合によってエリスを殺す事は評価される。基本的には、貧しいエリスの破滅は自然であり、裕福な藤尾の破滅は不自然である。
 こうした精神の現象はどのような関係にあるのか。



88. 『虞美人草』について(1) (5.01.10)

・1889(明治22)「浮雲」(二葉亭四迷)
・1891(明治24)「舞姫」(森鴎外)
・1898(明治31)「金色夜叉」(尾崎紅葉)
・1907(明治40)「虞美人草」(夏目漱石)

 これらの作品は、出世する人間と、その人間から切り離される人間の関係を描写している。
 
 「浮雲」では、お勢は失職した文三ではなく昇を選んだ。文三は手厳しく切り捨てられた。
 「舞姫」では、豊太郎はエリスを見捨てる意志はなかった。しかし、友人がエリスを切り捨てたためにエリスは精神病になり、豊太郎は道徳的葛藤なしに出世した。
 「金色夜叉」では、貫一は金持ちになって自分を見捨てたお宮を見返し、許しを乞うお宮を許さなかった。
 「虞美人草」では、小野は一度は浅井を使って小夜子に破談を申し入れたが、宗近と甲野に諭されて、自分の行為を恥じた。
 
 出世した人間としてどれが人格的な対処であろうか。もっといい方法があるだろうか。それともこうした疑問が愚問であるのか。愚問であるとする場合、それを問題にせずに読む事ができているだろうか。
 この四つの方法は相互にどんな関係にあるだろうか。「舞姫」の豊太郎を、エリスとの恋愛によって近代的自我の成立と評価し、それを貫徹できなかったことを挫折と言うのなら、「虞美人草」の小野は、一度は挫折しかかったものの、宗近と甲野の助力によって、近代的自我を確立できた、というべきであろう。これらの作品を、明治精神を反映した作品として、一貫した論理のもとに説明できるであろうか。



87. 『野分』と『かのやうに』(4.10.18)

 ▲彼が至る所に容れられぬのは、学問の本体に根拠地を構えての上の去就であるから、彼自身は内に顧みて疚しいところもなければ、意気地がないとも思いつかぬ。頑愚などと云う嘲罵は、掌へ載せて、夏の日の南軒に、虫眼鏡で検査しても了解が出来ん。
 
 道也は学問を立脚点として、世間一般と対立している。学問が自己自身であり、その学問は世間一般の意識と対立している。その学問の具体的内容はまだ分からない。はっきりしているのは、世間一般の常識と対立しており、世間の中に自己を見いだせないことである。自己と一致するものが世間にはどこにもない。そういう主体である。そういう主体が、具体的にどのような精神を形成するか、こういう主体は世間とどのような関係にあるのかが漱石の関心である。
 漱石は、道也と世間や妻との関係の対立的側面にのみ注目して描いている。しかし、実は世間や妻との関係の形成が描かれている。一般的に言って、漱石の場合は、社会との一致が課題になっており、その一致の過程が漱石の作品全体の展開である。
 鴎外の作品は全体が漱石の作品とまったく逆の展開をしている。たとえば、道也とまったく逆の妥協的精神が「かのように」に描かれている。鴎外は妥協的な一致の形式を描いているが、そこには深刻な対立が含まれている。
 
 ▲ 秀麿は気抜けがしたように、両手を力なく垂れて、こん度は自分が寂しく微笑んだ。「そうだね。てんでに自分の職業を遣って、そんな問題はそっとして置くのだろう。僕は職業の選びようが悪かった。ぼんやりして遣ったり、嘘を衝いてやれば造做はないが、正直に、真面目に遣ろうとすると、八方塞がりになる職業を、僕は不幸にして選んだのだ。」
 綾小路の目は一刹那鋼鉄の様に光った。「八方塞がりになったら、突貫して行く積りで、なぜ遣らない。」
 秀麿は又目の縁を赤くした。そして殆ど大人の前に出た子供のような口吻で、声低く云った。「所詮父と妥協して遣る望はあるまいかね。」

 歴史についての秀麿の学問的な確信と父親の歴史観が対立しており、秀麿は父親との対立をさけるために、学問の内容を「かのように」という原理にしたがって、学問の内容を歪めようとしている。道也とまったく違った、学問の内容を問題にしない妥協的精神である。むろん、こんな精神には学問などはじめからありえない。
 ところが、こうした妥協的精神には、特有の非妥協的な対立が内在している。というのは、父親の歴史観と妥協する秀麿の意志は、父親の歴史観と対立するあらゆる歴史観と対立する意志だからである。学問的な場所で、あるいは歴史についての真面目な論議の中で、学問的主張の根拠を、父親の歴史観である、と主張する若者は本当の頑愚であろう。
 しかも、秀麿の意識は父親との深刻な対立をも内包している。秀麿は、自分の都合によっていつでも「かのように」として学問の内容を変更する意志を持っているから、父親との関係しだいで、いつ親でも子でもない「かのように」考えることになるか分からない。その場合は、父親と非妥協的に対立するであろう。学問の客観性を問題にしていないから、非常に流動的で妥協的であるとともに非妥協的である。そして、自分の立場の都合によってどうにでも学問の内容を変更するような主体は、その実践の過程で信用を失い、世間的な人間関係のあらゆる展開において、対立的で孤立的な自己自身になるであろう。つまり、こうした妥協的な一致の展開において対立が発展することになる。
 道也も秀麿も、特有の学問観を持っている。それは社会的な価値観である。その学問、価値観の内容は、その価値観による実践によって具体的に展開される。秀麿のように妥協的であれば、学問が犠牲にされて成果として私生活の矛盾が解消されるかというとそうでもない。道也のように徹底的に非妥協的であれば、流動性を持たず、家庭が破壊されるかというとそうでもない。それぞれが特有の精神の展開をとげており、それが精神の内容である。妥協的と非妥協的の関係も相対的である。鴎外の「最後の一句」には、妥協的精神に特有の非妥協的な意地が描かれている。そして、この妥協的精神が、いかに妻に対して非妥協的であるかは「半日」に描かれている。妻に対して非妥協的であるかに見える道也の態度が、いかに妻の立場と一致しているかは、「野分」と「半日」を比較すれば理解できる。
 こうした関係を理解する場合に重要なことは、こうした一致や対立はすべて日本の歴史的な発展を反映していることであり、抽象的な個人と個人、あるいは個人と社会との関係としての一致や対立としては理解できない、ということである。そして対立は常に一致において生じるのであり、対立の内容は一致であり、一致の内容は対立である、ということである。



87. 『野分』と『三四郎』予告(4.10.6)

 漱石は、『野分』を明治39年12月9日に書き始め、21日夜に書き上げた。『三四郎』予告は、「東京朝日新聞」に1908(明治41)年8月19日に掲載された。このわずかの期間に精神の飛躍的な発展があった。
  
 「田舎の高等学校を卒業して東京の大学に這入つた三四郎が新しい空気に触れる、さうして同輩だの先輩だの若い女だのに接触して色々に動いて来る、手間は此空気のうちに是等の人間を放す丈である、あとは人間が勝手に泳いで、自ら波瀾が出来るだらうと思ふ、さうかうしてゐるうちに読者も作者も此空気にかぶれて是等の人間を知る様になる事と信ずる、もしかぶれ甲斐のしない空気で、知り栄のしない人間であつたら御互に不運と諦めるより仕方がない、たゞ尋常である、摩訶不思議は書けない。」

 この『三四郎』予告は、抽象的には、道也の地方回りの経験に直接含まれている。
 道也の地方回りの経験の意味は、世間との日常的な関係を断ち切り、さらに世間にはびこっている日常的な意識を自分の頭から洗い流す事である。道也は、世間的な関係と意識から独立した自由な人格になるために貧しい生活に堪えている。
 道也が世間から分離され、自由な人格になることは、世間の方から言えば、世間が道也から分離され、独立し、客観的な存在として自由になることである。世間は、道也の道徳的価値観から解き放たれる。これを再び道也の方から言えば、現実世界を自分の主観から解き放ち、偏見を捨て、客観的な世界を独立的な自由な存在として認識することである。しかし、まだ道也の分離は未熟である。
 『野分』を書く漱石の価値観は道也と一致している。道也が世間的関係と意識から自由になる過程は、漱石が世間と共有していた平凡な道徳的意識意識から自由になる事であり、世間を客観的な自由な存在として認識し描写できるようになることである。

 しかし、
 世間との分離一般が必然的に『三四郎』予告に結びつくわけではない。『草枕』の主人公は趣味人として世俗を離れている。その場合は、世俗を無趣味な世界として認識することになる。また、『高瀬舟』の時代の鴎外は、道也と内容は違うが単純な道徳的教訓を描いており、道也と同じように世間から分離し始めている。そして、現実世界から目をそらし、歴史的な資料の中に埋没していく。
 漱石の精神は、『草枕』の趣味的精神から、道也の道徳的精神に移行し、世間との積極的な関わりを目的として、その積極性の徹底によって世間から特有に分離されている。この分離が、現実社会との一致の過程でもある場合にのみ、『三四郎』予告に結びつく事になる。だから、『三四郎』予告の、「此空気のうちに是等の人間を放す丈である」という言葉の意味は、『野分』と『虞美人草』の内容を抜きに理解することはできない。「人間を放す」というのは、人間を、『野分』と『虞美人草』に描いた精神から解き放つことであるから。



86. 「三輪田のお光さん」について(3)(4.08.26)

 商品経済の発展によって明治の社会は、新しい人間関係に再編されていた。その過程を表面的に見れば、富めるものと貧しい者への分解に見え、この再編が、権力者や金持ちに対する道徳的な批判意識を広範に生み出した。権力者・官僚や金持ちに対する道徳的な批判意識は、明治社会に対するもっとも表面的で直接的な、そして保守的な現実認識である。
 エリートインテリである漱石と鴎外は、この道徳的な意識に強く囚われていた。四迷と一葉には、この分解過程は、道徳的意識の展開としては表れない。
 漱石は権力者や金持ちに対する道徳的な批判意識を持ち、貧しく不幸な者を助けるべきである、と考え、その道徳的な価値観において生きようとした。
 鴎外も漱石と同じ道徳的価値観の中で生きた。ただ、同じ道徳的な意識の世界にいて、鴎外は、その道徳的な批判意識から自分を守ろうとした。エリートとして実質的な課題を持つ事のなかった鴎外は、官僚に対する道徳的非難から身を守る必要を強く感じており、用心深く自己を保身した。鴎外は、エリートとして出世するために、非難されることを恐れたのであって、積極的に道徳的に生きようとしたのではない。これが鴎外の臆病であり、度胸のなさであり、卑怯である。
 漱石と鴎外の道徳的な批判意識の対立は、同じ価値観内部の対立である。だから、漱石も鴎外もこの道徳的な批判意識が持つ同じ矛盾にまきこまれ、その矛盾を処理しなければならなかった。もともと、現実の発展と対立しているこのこの保守的な批判意識の持つ矛盾は、現実の発展によって深刻に意識されてくる。この現実認識は、権力者や金持ちを批判する道徳的な意識として出発しながら、現実の発展によって、この道徳的な意識が貧しい人間の立場ではなく、エリートインテリの立場を肯定する意識であることがはっきりしてくる。
 むろん、この道徳的な批判意識の正体が表面化する以前から、この意識は貧しい者を否定する内容を持っており、その否定の特徴は漱石と鴎外のそれぞれの道徳的な意識の特徴として、「虞美人草」と「舞姫」に描写されている。



85. 「三輪田のお光さん」について(2)(4.08.24)

 漱石と鴎外、両文豪の分岐点は、貧しい女性を見捨てて自分一人がエリート社会に入るという、日本史に生じた分離過程をどのように受け入れ、認識するか、である。
 豊太郎とエリス、三四郎とお光さん、の分離過程を承認し、その必然を認識する事が漱石の度胸である。度胸のない鴎外はこの過程をなかなか受け入れる事ができなかった。なかなか、というのは、結局は受け入れたからである。しかし、必然の認識はできなかった。
 両者の分離過程がエリスやお光さんの破滅を意味するならば、この分離を認める度胸は、弱いものを犠牲にする勇気であり、冷酷なことを実践する力であり、貧しい女性に同情する、という自分の道徳的な意識を無視して、否定して、超えて実践する、ということになろう。
 しかし、冷酷なのは、エリスを見捨てなかった鴎外であった。深い情に満ちていたのは、三輪田のお光さんを三四郎に見捨てさせた漱石である。エリスは豊太郎と分離されたことによって破滅したのではなく、分離されないことにおいて破滅した。三四郎と分離された三輪田のお光さんは破滅していない。



84. 「三輪田のお光さん」について(1)(4.08.22)

 ○「舞姫」の豊太郎は、ドイツに留学して、エリスと恋をして、エリスを捨ててエリートの世界に入った。
 ○「三四郎」は、田舎で勉強して、「三輪田のお光さん」も親も望んでいる結婚を無視して、三輪田のお光さんを捨てて、エリートの世界に入った。
 
 同じように見えるこの男女の関係において
 「舞姫」と「三四郎」の大きな違いは、「舞姫」の豊太郎が、エリスを見捨てない事である。漱石の三四郎は「三輪田のお光さん」を見捨てた。漱石はこの度胸を得た。しかし、臆病な鴎外は、エリスを見捨てなかった。
 エリスを見捨てたことと見捨てないことは、対立しているのではない。しかし、これは論理としては遠い先の話である。



83. 「三四郎」ノートについて)(4.07.28)

「三四郎」ノートは、まとまった量になりそうなので、メモ帳から、漱石のページに移動しました。



82
. 「三四郎」ノート(3)(4.07.17)

 女が出て行ったのは、子供におもちゃを買いに行ったことになっている。女は非常に実質的に動いていて、この点は、三四郎がこれから入っていく世界の女たちの無駄の多い生活と大いに違う。
 三四郎は、女と同じ蚊帳に入るのに躊躇している。「けれども蚊がぶんぶん来る。外ではとてもしのぎきれない。」というので中でしのぐことにしたが、中には女がいて、これをしのがねばならない。

 「「失礼ですが、私は癇症でひとの蒲団に寝るのがいやだから……少し蚤よけの工夫をやるから御免なさい」
 三四郎はこんなことを言って、あらかじめ、敷いてある敷布の余っている端を女の寝ている方へ向けてぐるぐる巻きだした。」
 
 「三四郎はこんなことを言って」境界線をひいたが、どんなことを言っても、うまいいいわけはない。いいわけはうまくなかったにしても、うまく工夫した。しかし、うまく工夫できてそれでよかったかどうかはわからない。
 
 「夜はようよう明けた。顔を洗って膳に向かった時、女はにこりと笑って、「ゆうべは蚤は出ませんでしたか」と聞いた。三四郎は「ええ、ありがとう、おかげさまで」というようなことをまじめに答えながら、下を向いて、お猪口の葡萄豆をしきりに突っつきだした。」

 ここでも、「というようなことをまじめに答えながら」と書いている。こんな女を相手にすると三四郎はうろたえる。無理もない。この女は、色の黒い田舎者の女ということになっている。しかし、顔立ちは上等で、言うことは端的で鋭い。色が白くて、綺麗な着物をきていれば、美禰子より美しい気がする。この女は、「草枕」のナミさんや、「虞美人草」の藤尾の血を引いている、漱石好みの女の一人で、漱石の精神を対象化した女の一人である。漱石は田舎者の女を書くことはできなかったし、特に必要でもなかった。この女は、単に漱石好みの女ではなく、実は、漱石の最新の思想的能力を投入した女で、漱石自身の新しい顔であるから、どうしても魅力的な女になる。三四郎と別れてこののまま四日市にいくのが残念であるが、漱石としてもこの女をこれ以上描く力をまだ持っていない。だから、描かないにしても美禰子より大事な女である。美禰子も、ナミさんや藤尾の血をひく漱石自身を対象化した女である。しかし、次第に漱石から遠ざかっていく女である。
 この女は、三四郎の本質的な弱点を指摘する唯一の人物で、今後の漱石が研究すべき課題を言い残して姿を消した。
 
 改札場のきわまで送って来た女は、
「いろいろごやっかいになりまして、……ではごきげんよう」と丁寧にお辞儀をした。三四郎は鞄と傘を片手に持ったまま、あいた手で例の古帽子を取って、ただ一言、
「さよなら」と言った。女はその顔をじっとながめていた、が、やがておちついた調子で、
「あなたはよっぽど度胸のないかたですね」と言って、にやりと笑った。三四郎はプラットフォームの上へはじき出されたような心持ちがした。車の中へはいったら両方の耳がいっそうほてりだした。しばらくはじっと小さくなっていた。
 
 これが漱石の得た度胸である。鴎外ならまずこんな女を描くことができない。そして、こんな女とインテリの青年を対決させることができない。まして、こんな女にやり込められて小さくなる自分の像に耐える力を持たない。
 「女はその顔をじっとながめていた、が、やがておちついた調子で」というのは、漱石の到達した精神である。美禰子には、漱石の到達点の精神は与えられない。美禰子は美しい女であるが、最先端の理性を持つわけではない。曖昧で、なにかありそうでも、実は何もない。積極的な精神はこの女に持っていかれた。本当の魅力を持つことはできない、ということがこの女と比べるとよくわかる。しかし、本当の魅力を持つことはできないというのは魅力がないというのではない。美禰子がどんな魅力だか弱点だかをもつのかは、久しぶりに「三四郎」を読むのでいまのところはっきりしない。
 三四郎は女と別れた後、「読んでも解らない」ベーコンに逃げ込もうとした。しかし、「他の本でも読めそうにはない。ましてベーコンなどはむろん読む気にならない。」漱石は、ベーコンよりも、女に対する注意を促している。漱石にとって色の黒い女の方がベーコンより大事だから、三四郎がベーコンを読めなくても平気である。
 
  元来あの女はなんだろう。あんな女が世の中にいるものだろうか。女というものは、ああおちついて平気でいられるものだろうか。無教育なのだろうか、大胆なのだろうか。それとも無邪気なのだろうか。要するにいけるところまでいってみなかったから、見当がつかない。思いきってもう少しいってみるとよかった。けれども恐ろしい。別れぎわにあなたは度胸のないかただと言われた時には、びっくりした。二十三年の弱点が一度に露見したような心持ちであった。親でもああうまく言いあてるものではない。……

 元来あの女は新しい漱石である。だから、あんな女は日本中探しても何人もいるわけではない。この女は、ごく観念的な、思想的な女である。ただ、漱石にとってもこの新しい精神像が具体的に何であるかはわからない。長い過程を経て、漱石は「明暗」で、この女のように「落ち着いて平気でいられる」清子を描いた。それまでは漱石もいろいろと考えなければならない。思い切ってもう少しいってみるとよかったが、行ってみたところで解るものではないので、行ってみずに疑問として残しておいたのがよかった。それに、女がどんなものであるかを知る前に、自分の度胸のなさから、女のことではなく、女が指摘した言葉の意味から考え始めなくてはならない。ものごとはいっぺんに解るものではない。三四郎自身のことがわからないのに、この女のことなどわかるわけがない。
 三四郎は、女のことを理解していないが、女を理解できないことを理解しており、その能力に相応しく、自分については、肝心なことを理解している。女の言葉を端的に受け取る能力がある。無論そのための女であり、そのための三四郎である。三四郎は自分に度胸がないことを自覚した。この指摘を深刻に受け止める能力を持っている。それはまた、女の指摘が高度であるという、女についての理解でもある。
 女の言葉によって、「二十三年の弱点が一度に露見した」、ということは、女との関係によってある弱点が露見したのであって、この弱点自体が問題なのではない。三四郎が経験を積み重ねた結果、女湯にざぶざぶ入ることができるようになっても、この露見した弱点が克服されるわけではない。だから、実は、ここでは何かの弱点が露見したのであって、その弱点が何であるかはまだ解らない。女も理解しているわけではない。しかし、色の黒い女は直感的に理解できるだろう、と漱石は推測している。美禰子は教養があって、賢くてもこんなことには認識が届かないようにできている。だから、三四郎のことをよくわかっているようでわかっていない。分かるのは色の黒い女の役目であって美禰子の役目としては荷が重すぎる。分かるというのは教育を受けた三四郎の本質的特徴であって、三四郎の個人的特徴ではない。
 この度胸の問題は、現実社会との関係、主体性の問題で、ごく抽象的な問題であるから無限的な内容を含んでいる。漱石はこの問題に取り組もうとしているのであって、この問題を捕らえようとしているのであって、この問題に解答を与えようとしているのではない。解答を与えることができないことをはっきり意識しているのが漱石の天才である。「草枕」のように、敢えて女の裸を勇気をもって書くのは、現実との関係では、度胸の欠如である。あるいは、三四郎のように女から逃げまどうのではなくて、鴎外の「青年」のように、未亡人との深い関係に踏み込むことが度胸を示すものではない。度胸がどんな意味をもつかのその一端は、「青年」についての批評で触れているので参考になるかもしれない。
 
 どうも、ああ狼狽しちゃだめだ。学問も大学生もあったものじゃない。はなはだ人格に関係してくる。もう少しはしようがあったろう。けれども相手がいつでもああ出るとすると、教育を受けた自分には、あれよりほかに受けようがないとも思われる。するとむやみに女に近づいてはならないというわけになる。なんだか意気地がない。非常に窮屈だ。まるで不具にでも生まれたようなものである。けれども……

 人間だれしも、人の前で狼狽しては情けない。度胸がなく、主体性がなく、独立性がない。はなはだ人格に関係してくる。しかも、「何処の馬の骨だか分からないものに、頭の上がらない位打された様な気がした」のだからよけいである。しかし、そうではないかもしれない。「どこの馬の骨だか分からないもの」にどやされたから狼狽したのかもしれない。というのは、三四郎は「教育を受けた自分には、あれよりほかに受けようがないとも思われる」と、考えており、この狼狽が教育を受けた自分の特徴であると感じているからである。そして、一歩進めれば、教育を受けた自分が、教育のない大胆な女と対峙した時に狼狽した、ということだからである。
 ここに新しい漱石が誕生している。鴎外の青年なら、地位と教養と、さらには金の力で、この女を退けるであろう。あるいは、衝突を回避し、逃げることを、相手を退ける、あるいは無視する、と考え、この女との間に深淵を設けるであろう。そしてこの深淵を地位と教養によってできるだけ深く広くする努力をつづけ、それを独立性であり、自我の確立である、と思うであろう。漱石は違う。この色の黒い女との関係を本質的な問題として維持し、この深淵を埋めようとする。この深淵の向こう側にも認識を広げようとする。
 この深淵を自覚した漱石は、教育のある三四郎がこの女と対等になることはできないであろう、と予感し、予測し、 自覚させる。教育を受けた三四郎が「むやみに女に近づいてはならない」という立場に立っており、そういう意識を持たねばならないとしたら、なんだか意気地がないし、世界が狭くなって窮屈である。教育を受けたために、近づいてはならない世界が広がっているような気がする。それでは教育の意味がはなはだ限定されるのではなかろうか。
 けれども……。
 
 三四郎は急に気をかえて、別の世界のことを思い出した。――これから東京に行く。大学にはいる。有名な学者に接触する。趣味品性の備わった学生と交際する。図書館で研究をする。著作をやる。世間で喝采する。母がうれしがる。というような未来をだらしなく考えて、大いに元気を回復してみると、べつに二十三ページのなかに顔を埋めている必要がなくなった。そこでひょいと頭を上げた。すると筋向こうにいたさっきの男がまた三四郎の方を見ていた。今度は三四郎のほうでもこの男を見返した。

 教育を受けた三四郎は、顔の黒い田舎の女に近づくことはできなくなる。しかし、そのかわり、有名な学者や趣味品性の備わった学生と交際をする、そのた教育を受けた身でなければ見ることもできないし、経験することもできない世界が広がっている。となると、教育のおかげで得るものも大きい。それを考えると、女に言われたことは忘れてしまう。女の指摘は本質的で、三四郎にとっても鋭い指摘であったが、エリートの世界の経験が、洗い流してくれる。
 しかし、教育を受けた者が、あの色の黒い女の世界を視界から失っていいものだろうか。「あなたは度胸がない」と鋭く指摘したあの精神を失い、自分の本質的な弱点についての認識を失い、度胸のなさを持ち続けていていいものであろうか。教育を受けて、なお色の黒い女の世界を含めたすべての世界を認識し、色の黒い女と対峙してもうろたえず、平気でいられるような精神を持つことはできないものであろうか。あのような女の精神を失った世界が本当に充実していると言えるであろうか。こうした疑問が生ずる。三四郎は深く意識していない。しかし、この女から受けた衝撃をもって新しい世界に入る。この女の精神を自分の中に、どのようなものとして持っているかは分からないが、すでに衝撃を受け、色の黒い女を自分の中に持って、美禰子の世界に入るのであって、その意味では無防備で入るのではなく、漱石が提供し得る、もっとも大きな精神的果実をもって、新しい世界に入る。それがわざわざ汽車に乗って熊本から上京したことの意義である。
 漱石は、色の黒い女の世界との関係で三四郎が無力であることをはっきり認識している。しかし、これまでの作品の成果として、この深淵をあわてて埋めようとしない。この深淵はあまりにも深く広い。だから、手順を踏まねばならない。まず、三四郎はあの女の世界から離れる。そして美禰子の世界に接近する。それからどうなるか、はその世界が教えてくれるし、それ以外にない。その道筋は漱石の思い通りにならないことはすでにわかっているし、予測もつかないし、それは現実そのものがこれから造り出すものであろう、ということを漱石は意識している。

 こうして様々の精神を取り込みながら、漱石の三四郎は、元気になって「ひょいと頭を上げた」瞬間に、目の前に東京のインテリを見いだした。色の黒い田舎の女は、田舎の女ではなかったし、日本でも珍しい女である。そして、この男も、東京のインテリとしても珍しく、日本にも珍しい特別の男であった。



81. 「三四郎」ノート(2)(4.07.15)

 三四郎は、これからエリートになる。その証拠に高等学校の帽子をかぶっている。色の黒い田舎の女にかかわるのは、この帽子に対して面目無い。
 「けれどもついて来るのだからしかたがない。女のほうでは、この帽子をむろん、ただのきたない帽子と思っている。」
 三四郎には、自分はエリートだから、ついてくるな、と宣言する勇気はない。そもそも、女が怖じ気づくような、恐れ入るような、尊敬おくあたわざるような風貌、態度を持っていない。三四郎はまだエリート意識を強く持っていない。それは三四郎の自由なとらわれない精神でもある。鴎外の青年は、自分がエリートである、という意識を鎧のようにもっていて、自分を守っている。外界との関係で、失敗するか自分の望むような評価を受けないとか、エリートとして認められない経験をすると、自分はエリートだから、高尚すぎて理解されない、と考えてますます鎧を分厚くして、次第に堅苦しい、融通の聞かない、了見の狭い、意地の強い人間になっていく。しかし、三四郎は確定した価値観にとらわれていない。それは田舎者らしい無知でもある。しかし、鴎外の青年も無知である点では同じであり、自分の精神を鎧で固めてしまっているために、自由度が少なく、発展の余地が少なく、無知を確定している。
 こうした三四郎を、女のほうは、親しみやすい真面目な青年だと思っている。二人は「三四郎にも女にも相応なきたない看板」のかかった宿に入った。しかも、二人連れではないと断るはずのところを、のべつにしゃべられて、「やむをえず無言のまま二人とも梅の四番へ通されてしまった。」。三四郎がどうにもしゃきっとしないし、できないので、自然に梅の四番に通される。女はただ、当然と思ってついてきている。二人で差し向かいに座っていてもまずいので、三四郎は、風呂に逃げ込んで、「少し考えた」
 
 「こいつはやっかいだとじゃぶじゃぶやっていると、廊下に足音がする。だれか便所へはいった様子である。やがて出て来た。手を洗う。それが済んだら、ぎいと風呂場の戸を半分あけた。例の女が入口から、『ちいと流しましょうか』と聞いた。三四郎は大きな声で、
 『いえ、たくさんです』と断った。しかし女は出ていかない。かえってはいって来た。そうして帯を解きだした。三四郎といっしょに湯を使う気とみえる。べつに恥かしい様子も見えない。三四郎はたちまち湯槽を飛び出した。そこそこにからだをふいて座敷へ帰って、座蒲団の上にすわって、少なからず驚いていると、下女が宿帳を持って来た。」
 
 「三四郎といっしょに湯を使う気とみえる。」というのは、三四郎の気分のような漱石の気分のような書き方である。漱石は女の自由にさせるつもりなのだろう。で、女は自由に入ってきて、「ちいと流しましょうか」という。三四郎は、ちいと流してもらいたくて風呂に入ったのではない。だから、「少なからず驚いた。」この「少なからず」というのは、大変というには、意外性や不思議や不可解が混じっているからであろうか。
 
 この場面は、漱石にとっては、「草枕」の描写の反省でもある。だから、含みが多い。
 
 「注意をしたものか、せぬものかと、浮きながら考える間に、女の影は遺憾なく、余が前に、早くもあらわれた。漲ぎり渡る湯煙りの、やわらかな光線を一分子ごとに含んで、薄紅の暖かに見える奥に、漾わす黒髪を雲とながして、あらん限りの背丈を、すらりと伸した女の姿を見た時は、礼儀の、作法の、風紀のと云う感じはことごとく、わが脳裏を去って、ただひたすらに、うつくしい画題を見出し得たとのみ思った。
 古代希臘の彫刻はいざ知らず、・・」
 
 漱石はこのとぼけた描写のあとにも滑稽なほどの趣味的な無駄口を並べている。これでは文学にならない。ナミさんはこの世を風流として趣味として眺めようとする男に合わせて風流に行動している。これは社会において不真面目である。汽車のじいさんや色の黒い女にはこんな風流染みた不真面目さはない。風流人の無駄口は、この「ちいと流しましょうか」が洗い流してくれる。そのうえ、「いえ、たくさんです」と断っても、かえって入ってきて、帯を解き出す」始末では風流ぶっているわけにいかない。これでは、「草枕」の詩人も少なからず驚くであろう。漱石は「草枕」の垢を洗い流したかったのであろう。三四郎も女も真面目である。
 
 「やがて女は帰って来た。『どうも、失礼いたしました』と言っている。三四郎は『いいや』と答えた。
 三四郎は鞄の中から帳面を取り出して日記をつけだした。書く事も何もない。女がいなければ書く事がたくさんあるように思われた。すると女は「ちょいと出てまいります」と言って部屋を出ていった。三四郎はますます日記が書けなくなった。どこへ行ったんだろうと考え出した。
 
 この「と言っている」というのも、人ごとのようで面白い。三四郎の「いいや」も焦点がはっきりしていない。ここの三四郎には時々漱石が入っているようにみえる。漱石もそうすることを面白がっているらしい。
 鴎外の作品でよく見られるが、日記はインテリの逃避場所である。三四郎もインテリらしく振る舞おうとして、日記を取り出したが書くことがない。「女がいなければ書く事がたくさんあるように思われた。」というのは、大変いい。女が出て言って、「ますます日記が書けなくなった」というのはもっといい。もともと書けないのに、ますます書けなくなるのが非常にいい。三四郎はこんなところで、日記を書くほど陰気でもないし、内に閉じこもってもいない。度胸はないけれども、女に強い関心を持っている。それは、三四郎が新しい世界に接して、その世界との関係で、新しい人間との関係で、自分自身を知り、形成する過程である。その能力が三四郎らしい自由な雰囲気を造り出している。
 
 鴎外の場合は逆である。世界中の美しい女に興味を持っているように見えてれ、それは自分自身に対する関心であるが、その自分自身がエリートの偏狭な自尊心として固まっており、そのために鴎外の青年は三四郎のように女に引きずり回されることがない。飽くまで自分自身の中にとどまる。つまり、自分の世界に閉じこもっており、世界が広がらない。田舎から出てきた三四郎は、なんとか日記やベーコンなどのインテリ世界に引きこもろうと努力しているが、それができずに、うろたえつつ、大いに興味をかき立てられつつ、自分の世界を広げている。

 三四郎の精神がこのような大きな運動をすることができるのは、漱石が、じいさんや色の黒い女を三四郎の周りに配置し、それをとりこむ能力を三四郎に与えているからである。三四郎が、社会の中で自由に行動し、自由に呼吸する、というのは、そういう意味である。



80. 「三四郎」ノート(1)(4.07.13)

 「 うとうととして目がさめると女はいつのまにか、隣のじいさんと話を始めている。このじいさんはたしかに前の前の駅から乗ったいなか者である。発車まぎわに頓狂な声を出して駆け込んで来て、いきなり肌をぬいだと思ったら背中にお灸のあとがいっぱいあったので、三四郎の記憶に残っている。」
 
 これが、「三四郎」の冒頭の文章で、印象深い。田舎ほど女の色が黒いもので、この女も色が黒い。しかし、この女は顔立ちが上等なので、「それで三四郎は五分に一度ぐらいは目を上げて女の方を見ていた。」それでも、三四郎は寝てしまった。
 「背中にお灸のあとがいっぱいあ」る田舎者のじいさんは、三四郎が寝ている間にこの上等の顔をした女と懇意になっいた。じいさんが乗ってきた時、「女はにこりと笑って、さあおかけと言ってじいさんに席を譲っていた。」から、これもてきぱきしている。三四郎は、爺さんと女と三輪田の御光さんの、田舎者ぶりを観察したり思い出しただけで、あとはすることもなくて、たわいなく眠ってしまった。その間にじいさんと女は懇意になった。
 じいさんと女は眠くならない。日露戦争のおかげで、生活が大変になっていて、話すことがある。「じいさんはこんな事を言って、しきりに女を慰めていた。やがて汽車がとまったら、ではお大事にと、女に挨拶をして元気よく出て行った。」
 戦争のために生活が苦しいのが共通しているので慰めることもできる。そして、じいさんも、女も生活が苦しいにもかかわらず、元気がある。三四郎には、これがない。戦争のために苦しむには若すぎるし、田舎のエリートである。これから、戦争があっても苦しまなくてもいい世界に入って行こうとしている。だから、顔立ちが上等の田舎者の女と話すことがない。話すことがなくても、女のことは気になる。
 
 「車が動きだして二分もたったろうと思うころ、例の女はすうと立って三四郎の横を通り越して車室の外へ出て行った。この時女の帯の色がはじめて三四郎の目にはいった。三四郎は鮎の煮びたしの頭をくわえたまま女の後姿を見送っていた。便所に行ったんだなと思いながらしきりに食っている。」
 
 三四郎も女も、なかなか魅力的に描かれている。鴎外なら帯や着物についての知識を書くところであるが、漱石の三四郎は、「鮎の煮びたしの頭をくわえたまま女の後姿を見送」る。鴎外の描く青年は、鮎の煮びたしの頭をくわえたまま何かをすることはない。三四郎は女にずっと興味を持っているが、鮎の煮びたしを疎かにするほどではない。そこまで美的にできていない。三四郎が女と話をしたのは、弁当の折を汽車の窓から放り出して、それが女の顔にあたって「御免なさい」といったのが、初めで、田舎者らしくて、気がきいていない。そして「会話はすこぶる平凡であった。」
 
 「 次の駅で汽車がとまった時、女はようやく三四郎に名古屋へ着いたら迷惑でも宿屋へ案内してくれと言いだした。一人では気味が悪いからと言って、しきりに頼む。三四郎ももっともだと思った。けれども、そう快く引き受ける気にもならなかった。なにしろ知らない女なんだから、すこぶる躊躇したにはしたが、断然断る勇気も出なかったので、まあいいかげんな生返事をしていた。そのうち汽車は名古屋へ着いた。」

 エリートの青年と田舎者の女の関係を描くのは非常に力量がいる。まず、平凡には、鴎外のように、一目でエリートと分かる優れた青年を描き、それに女が見とれるような描写がある。これが平凡なのは、社会的な優位にあるエリートの青年の優位を恋愛にそのまま持ち込むからである。しかし、社会はなかなかそのようにできていない。真面目に勉強していて、あくどい下心をもっていない真面目な青年なら、若い娘がじゃかじゃか寄ってくる、というように社会はできていない。そこで、非常に難しいのは、エリートである「三四郎」が、こういう田舎者の中で、どんな位置を占めているかを、深く観察し、理解することで、この深くというのは、エリートがある側面では、非常に劣っている、ということを認識することである。鴎外の青年とちがって、三四郎は田舎くさく、とぼけていて、じいさんや女が優位にたっている。このことが漱石の力量で、この視点のために、三四郎の精神は非常に深く、魅力的に描かれている。
 冒頭の文章から明らかになるのは、漱石の社会的な視野が広いことである。漱石は、三四郎がこれから入っていく東京のエリート社会を相対化しようとしている。その相対化と、じいさんや女との関係の認識が、鴎外には見られない深い視点で、それが作品に奥深さを与えている。この基本的な視点については、漱石はこのあと、汽車を下りた三四郎と女の関係で描いている。



79. 鴎外の苦悩(4.06.18)

 勝本清一郎氏と前田愛氏の文章を読んで鴎外について考えさせられた。鴎外は彼等とは違う。
 鴎外は文豪ではなかったが、文豪と言われる理由がある。これが複雑である。
 鴎外は、不誠実で、冷淡で、卑劣なインテリであった。しかし、これらの特徴は、時代精神としての複雑な内容をもっており、漱石のような天才がだけがその内容を明らかにすることができた。そして、鴎外は明治の時代的な精神を反映した人物として、この精神の矛盾に苦しめられたのであろう。それだけの力量をもっていた。
 鴎外は当時、文壇の神様のように崇められ、崇拝されていた。それと同時に、文壇内部で、軽く扱われ、批判されていた。鴎外はこのことで苦しんだ。自尊心も虚栄心も強かった鴎外は、自分が崇拝されることを求めていたし、それが当然であるとも思っていたし、その根拠もあった。しかし、鴎外は、自分が天才ではないこと、漱石や四迷と比較すると、その内容は理解できないまでも、格段の違いがあることを自覚する力があった。この点では崇拝者より一段高いところにいたし、しかも、自分の苦悩が理解される可能性はなかった。そして、この苦悩を表明することもできなかった。
 鴎外は、冷淡だと言われ、自己弁護である、といわれ、器用な書き手だと言われた。鴎外にはこの指摘が正当であることがよくわかっていた。しかし、同時にそれが不当な評価であることもわかっており、実際に不当であった。鴎外の精神は軽く扱われていいようなものではなかった。しかし、鴎外には自分の精神の意味が説明できなかった。それができるのは漱石だけである。鴎外の精神が、軽く片づけていいようなものでないことを、漱石はよく知っていた。自分が全力でその意味を明らかにしようとしていた課題であり、自分自身のなかにも見いだされる精神だったからである。
 鴎外は冷淡で自己弁護的であったが、それは文壇の批評家が考えるのとは内容が違っている、と鴎外は感じていたであろう。実際にもっと深刻であった。鴎外が不当に批判されたと感じ、それを弁護するとふたたび同じレベルで批判された。鴎外は真意を伝えることができなかったし、実は自分でも理解することができなかった。そのことを、鴎外の傍らで漱石が説明しつつあった。だから、鴎外としては、自分が理解されることがないと、諦めなければならなかった。鴎外は、それが自分の高さのためであると説明し、自分自身にも納得させようと努力している。しかし、それができなかったし、鴎外はそれができないことを自覚していたのであろうと思われる。軽薄な批評家より鴎外は多くを考えていた。しかし、それは理解されなかった。
 鴎外は漱石のような精神の深さを持たなかった。しかし、精神の深みに入ることのできないことの矛盾を感じ取るだけの力量をもっていた。そのために苦しみぬいたであろうし、充実を感じることがなく、地位や名誉にすがりつこうと努力もしたのであろうが、それもできないだけの力量をやはりもっていた。かくして、鴎外は日本的なインテリが必然にひきずりこまれる矛盾を無自覚的に深刻に持っていたことになり、そのことを評価すべきであろう、と思う。
 鴎外のこうした特徴は、鴎外に対する徹底した批判によって明らかになるし、それ以外にない、と思われる。鴎外の精神の意義は、軽薄な弱点に解消されないところにあり、鴎外はその深刻な弱点を持つと同時にその精神に翻弄され、それを苦悩としても抱えていたから、その苦悩の意味を知ることは、その精神を批判的に理解することだからである。鴎外に対する深刻な批判が、鴎外に対する軽薄な批判から擁護することになる。



78. 批評家は必要か? (04.06.09)

 志賀直哉の「批評家は全く必要ない」という主張。
 掲示板で紹介された、この議論の具体的な内容は分からない。しかし、この言葉だけから窺い知ることのできることもある。「全く」は無視することにして、
 
 ○「必要ない」、というのは、必要とする他者との関わりであるから、他者にとって必要かどうか、つまり、有用性の問題である。「批評家」とは何か、一般的には「批評」とはなにか、というそれ自体の意味を問題にしているのではない。

 ○有用性の問題で言えば、「批評」、さらに一般的には、芸術と対立する、理論形式による認識のすべては、対象についての知識をもたらすから、実践的な有用性は明らかである。過去の音楽、美術、文学について、あるいは、哲学、自然科学について、また歴史について、自然について研究することなしに人類の発展はあり得ない。「批評」を含めた理論一般は、過去の蓄積の上に発展が積み重ねられるから、その厳密な意味は問題になるにしても、過去の知識の再認識の有用性については、問題にする必要がなかった。
 ところが、

 ○問題は芸術であった。「芸術は必要でない」という議論が成立しえた。娯楽であり楽しみであるから、真剣な関心の対象として必要なのではない、という批判に対して応える必要があった。また、理論形式との対立において、芸術が対象についての知識や善についての知識を伝えるにしても、理論ではなく芸術の形式を取る必要があるのか、という問題が生じた。
 つまり、芸術は人間にとって有用である、という位置づけが必要であった。
 
 ○「芸術は必要でない」というのは、芸術とは何か、という問いにかかわる、深刻な疑問である。芸術の有用性は、芸術の意義たりうるのか、という否定的形式を取るものの、芸術は有用でなければならないのか、有用であることにおいて、手段であることにおいて、何かのためにのみ意義をもつのか、という芸術そのものの肯定を求める疑問でもある。そして、「芸術とは何か」の規定にとって、この有用性による意義付けを否定することが基本的な課題でありつづけた。その抽象的な否定としては、芸術至上主義があり、芸術はそれ自体として価値を持つ、という規定がある。しかし、こうした抽象的な規定は、芸術は有用性によって価値があるのではない、と、有用性の逆の主張を宣言することに過ぎない。芸術が何かにとって有用であること、つまり手段である、のではなく、それ自体として価値があると宣言しても、芸術それ自体の価値、意義の具体的規定は課題として残されている。

 ○日本の近代文学においても、まず出発点はこの芸術の有用性の問題であった。坪内逍遥の「小説神髄」はこの有用性を否定した写実を主張しながら、ふたたび芸術の意義を有用性に求めている。そして、客観的な写実と、有用性の関係が含む矛盾を具体的に、徹底して追求することができず、単純な併記に終わっている。この矛盾は、芸術の規定の基本矛盾として持ち越され、プロ文の実践目的との関係で再び深刻な問題として取り上げられ、さまざまの芸術論争の形式で、「芸術とは何か」の問題の入り口として問われ続けた。しかし、これも、写実とは何か、という本質的な問題にまで到達せず、解答が得られないまま現在に至っている。

 ○プロ文では、「批評は必要ない」ということはできなかった。批評は、文学にとっての死活問題であった。芸術と理論は密接な関係にあり、したがって、互いを必要とすると同時に敵対的でもあった。そのために、芸術とは何かが、実践的な死活問題として問われた。
 
 ○芸術は対象を再現する、というアリストテレスの規定は正しい。しかし、この原理的な規定を堅持するのは難しい。この原理を不動のまま維持して、この規定を前提に枝葉の規定を付け加えることはこの原理を守ることではない。ヘラクレイトスによれば、「万物は流転する」。したがって、「芸術は対象を再現する」という規定も流転する。この規定自身の流転が芸術の規定である。この規定自身の自己運動の軌跡を追わなければならない。つまり対象とはなにか、写実とは何かの展開が、対象と写実の同一性において規定されることが、「芸術とは何か」の本質的な展開である。この論理の自己運動をもたらしたのは、資本主義の現実であった。社会が明確な階級対立を生み出し、その運動が認識対象となった時、芸術と理論の関係を明らかにする論理的契機がうまれた。そして、その一つの現象形態とて、芸術家と理論家の対立と一致が深刻な実践的課題として浮上している。
 
 プロ文にとって、批評家との関係は、芸術とは何かというギリシャ以来の認識論上の課題の解決を必要とする実践的課題でもあった。それを解決せずには、芸術自体の発展が阻害されるほどの直接的な課題であった。
 「批評は必要ない」という言葉からみると、文壇文士にとっては、こうした切迫した課題を分担する必要はなくなっていたのであろう。批評も理論もあってもなくてもいい、つまりかかわりのない領域になっている。これも歴史が生み出す精神の分化、運動として興味深い。



77. 無知の知(04.06.04)

 江口渙の「我が文学半生記」の「漱石三房」に、漱石を封建的イデオロギーの中に生きていた、と書いており、つぎのような会話がある、と掲示板に紹介した。これについて、掲示板に「無知をひっさげて」と書き飛ばしたので、少し書き足しておこう。紹介したのは次の文章である。
 
  「自殺してもなんにもならないと思いますけれど、どうでしょうか。」
  「どうしてだい」(漱石)
  「だって、いくら自殺してみたところで、罪はちっとも消えやしないじゃありませんか。」
  「消えないかい。」
  「消えませんね。」
  「どうして消えないんだい。」
  「いやしくも一たんおかした以上、罪というものは、いくら死んだって生きたって、永久に消えませんよ。」
  「そうかな。消えないかね。そいつは弱ったなあ。」
  柔らかな微笑があいかわらず漱石の顔にわきつづける
  
 「無知の知」、というのは、私は外国語を知らない、県庁所在地を知らない、そのことを私は知っている、という意味ではない。そんな自分の無知は誰でも知っていることで、改めて無知の知を求められることではない。無知の知、というのは、自分のよく知っていることについて、実は無知であることを知れ、という意味である。
 ここでは、罪という言葉が前提とされている。分かりきったものとして使われ、罪が自殺によって消えるか消えないかが問題にされている。漱石は、罪がいかに償われるかを問題にしていない。漱石が問題にしたのは、先生の「罪」とは何かである。そして、罪の意識というのは、自己意識としてもっとも表面的で現象的な意識形態にすぎないことを明らかにした。
 この時の江口渙は、罪とは何か、という疑問を持っていない。つまり、罪とは何かを自分が知らないことを知らない。漱石が罪とは何かを追求し、明治の精神の終焉としての答えを得ていたことを知らない。この意味で自分の無知を知らない。この問題について考え抜いてきた漱石は、自殺して罪が消えるかどうか、という素朴な疑問から出発して、罪とは何かを考察すること、つまり罪とは何かをまだ知っていないこと、それを知る必要があることに思い至らせようとして、江口の言葉に疑問を投げかけている。しかし、江口渙は自分の無知を知っていないし、知る必要を感じていない。
 封建的イデオロギーという言葉はさらに普遍的な意味を持っている。明治の日本において、近代的なイデオロギーと封建的なイデオロギーがどのようなものであったかは、知られていない。それこそが研究の対象であり、明治の精神の全体の研究の結果としてのみ知られるものである。それについては、むしろ、最終的にしか知られ得ないものだと知ることが必要である。しかし、罪とは何かを知ることさえできないのであるから、封建的イデオロギーとは何かにつて無知であることを知ることはなおさら出来ないであろう。だからこそ、漱石が封建的イデオロギーの中にいる、と単純に結論しているのである。
 
 こうしたことは左翼的なインテリにありがちである。勝本清一郎氏が樋口一葉について昭和23年に書いた「一葉・われは女なりけるものを」という批評がある。長い文章のあと、「結局一葉は自己の不幸の本当の基盤を明治時代の社会構成や階級関係に求めず、性別関係を以ってこれにすり替えたのであるが、すり変えたことで一葉の芸術の限界点が生じた」と結論している。一葉の不幸とは何か、明治の社会構成や階級関係とは何かについて勝本氏がまったくの無知であり、しかもその無知についてなんらの予感すら持っていないことがよく分かる。一葉こそは、個人を社会的に階級的に、厳密に考察し、描写しており、そのために天才として文学史上に残っている。それがどのようものかを規定するのは難しい。しかし、それがない、というのは簡単である。そして、そうした簡単な結論は、階級性とはなにかについてまったく無知であることによって初めて到達できるものである。
 罪とは、近代的とは、階級性とは、何か、それこそが漱石や一葉を研究することの対象であり、まだ知られていないものであり、知るべきものである、ということを知ることが無知の知である。
 


76. 人質の解放 (04.04.21)

 人質になった民間人が厳しく攻撃されている。異常な現象である。
 自己責任について議論し、国民の安全と行動の自由をどのように調整するか、という問題と、三人を非難する事はまったく別の話である。政治的な、政策的な議論の形式をとって「無辜の民間人」に対して政府と一部のマスコミが個人攻撃をしている。マスコミと国民の多くはそれを黙認している。
 解放後、高遠菜穂子さんが「ああー疲れた」と言って椅子に座り込んだ姿が印象的であった。乾杯の時に泣いていたのは、人質になった二人のジャーナリストの安否をイラク人に聞いて、はっきりした答えを得られなかった後である。三人とも元気であった。しかし、現在は、イラクで人質になったときよりはるかに困難な重圧に直面している。彼らがこの重圧に押しつぶされないよう願うばかりである。
 
 毎日新聞で、前田正治という精神科医が、「三人は、ptsd の前のasdになっている可能性が高い。イラクに共感する人たちならば、監禁したグループに対し過剰な心理的な同一化を起こす『ストックホルム症候群』と呼ばれる状態になってもおかしくない。加害者のメッセージを伝える事を義務と感じている可能性もある。現段階で記者会見すれば、本人たちが意図しないような発言をする恐れもあり、賛成しかねる。」(4月19日)と書いている。この正直な腰巾着の言葉は、三人をマスコミから隔離し、孤立化している政府の対応の意味を示している。
 政府が一丸となって三人に厳しく対処しているのは、彼らが卑劣な犯罪の犠牲者である、という印象をなくしてしまう可能性があることと、日本政府が、三人の解放のためになんの力を発揮する事もできなかったからであろう。政府の毅然とした態度というのは、何もしないこと以上ではなかった。ことさらに政府の努力を言い立てているのもそのためであろう。さらに悲惨な結果になっても何もしないで耐える態度を取ることが、政府の方針であった。政府は、この事実を隠して、人質事件を、卑劣なテロリストと毅然とした政府の対立、政府の努力と力による救出、という図式を造り出そうとしている。しかし、三人に対する政府の厳しい対応によって、政府の無力・無策ぶりがはっきりしているし、そのことは、時間と共に明らかになると思われる。政府の重大な汚点が、外国にばかりではなく、日本国民にも汚点として認識されるようになることを期待したい。

 三人に対するこうした扱いは、政府の目先のごまかしや、彼らの冷酷さだけの問題ではなく、基本的にはブッシュ=ネオコンを支持するかどうか、自衛隊をイラクに派遣することを肯定するかどうかにかかっている。ブッシュが敗北し、自衛隊の派遣が日本にとって何の利益にもならないことがはっきりすれば、政府が善意の民間人を冷酷に処遇した事の意味を理解する契機になるであろう。イラクが本格的な復興を始めるには、ドイツ、フランス、中国、ロシア、スペインの、軍隊を送っていない国の参加のもとで国連の活動が保証されねばならない。ブッシュは結局ネオコンの権益と軍事的支配力を譲らないだろうから、本当の解決はブッシュがテキサスに引っ込む時から始まる。アメリカ・イギリスと、派兵しなかった主要国との協力ができれば、急速な復興が遂げられるだろうが、その場合には日本の立場はもっとも弱い、影響力のない立場に置かれる事になる。政府の無策無能ぶりが明らかになるに違いない。彼らの毅然とした態度は無策と善意の民間人に対する冷酷な弾圧だけである。自衛隊をできるだけ長く駐留して海外派遣の実績を作る事しか考えていない日本の政府は、イラクの信頼を得る事も、主要国の信頼を得る事もできず、政府の都合のいいタイミングで撤退することもできないであろう。
 ブッシュも開戦以来毅然とした態度をとり続けている。つまり同じ紋切り型をくり返している。しかし、その意味は情勢の変化とともに、変化している。テロに屈しない、というのは、テロを圧殺するという意味であったが、本当に屈しない決意の意味を持つようになった。私は屈しない、世界で孤立し、アメリカで孤立しても、テキサスの牛が私を支持してくれる限り、私は屈しない、そうなるとき、言葉と実践が一致し、本当に困難に屈しない、強い個性として尊敬されるだろう。
 ブッシュの運命を決めるのはアメリカの国民であり、アメリカにはそれだけの力がある。しかし、日本はどうなるであろうか。世界的な情勢の激変の中で、政府の実践の本当の姿が徐々に表に出て、三人の民間人に冷酷に対処したことも大きな汚点の一つとして認識される事になるであろうか。日本の国民は、民間人の三人と家族を見殺しにして、小泉首相、冬柴幹事長、石原都知事らに代表される、冷酷で無能な政治家と運命を共にするのであろうか。複雑な判断を要しない、これほど分かりやすい事実を目にしても、彼らを支持し続けるのであろうか。命の尊さや、触れ合いの大切さなどを題目として唱えながら、批判的な精神を眠り込ませ、つまらない解釈によって奴隷状態を肯定し続けるのであろうか。人質として捕らえられ、解放された後に一層ひどい扱いを受ける国は他にない。現在三人は、人質であったときよりはるかに悲惨な状況に置かれている。そして、それを容認する国民は、さらに悲惨な状況にある。彼らの犠牲を黙認することは、自分の人生の悲惨さを黙認する事である。イラク戦争は世界を変えつつある。日本の国民もこの変革を意識し、努力している人を圧殺するのではなく、自ら努力を始めるべきであろう。



75. 鴎外の「断案」 (04.04.02)

 「僕は僕の夜の思想を以て、小説といふものは何をどんな風に書いても好いものだといふ断案を下す」
 鴎外の「追儺」に出てくるこの言葉が自然主義に対する批判であると評価されている。いったいこれはどんな意味であろうか。? 意味を持つ文章であろうか ?
 
 鴎外は、「小説といふものは」と大上段に構えながら、意味のある述語を見つけることができない。「何をどんな風に書いても好い」というのは、「小説といふものは」について何も規定できないことを示している。「何をどんな風に書いても好い」といっても、「肉じゃが」の作り方のレシピはだめだろうし、パソコンのマニュアルも認められまいし、数学の教科書もこの「好い」の中に入らないし、すべての論文は排除されているだろう。それは小説ではないからである。だから、「何をどんな風に書いても好い」と言いながら、実は制限を含んでいることになる。しかし、この制限を規定しておらず、規定していないことを理解しておらず、「何をどんな風に書いても好い」と無限的なことを言いながら限界を前提にしていることになる。だから、何を書いているのか意味が不明であるし、意味を持たない。

 「レシピというものは」、「マニュアルというものは」、「教科書と言うものは」、「論文というものは」、レシピであり、マニュアルであり、教科書であり、論文であるという限度のもとでは、「小説といふもの」と同様、「何をどんな風に書いても好い」と言える。限度内で自由であるからこそ、だれもがレシピもマニュアルも教科書もあらゆる論文も、いいものを書こうとすれば、何をどんな風に書くかについて悩まねばならない。何をどんな風に書くかが決まっていれば工夫の余地がなく、悩む必要もない。だから、
 「何をどんな風に書いても好い」は小説だけではなく、書くものすべてについて言えることであり、したがって小説の特徴ではない。せいぜい、既成の形式にとらわれてはいけない程度の、小説に限らずなんにでも役に立つ、したがって具体的には何の役にも立たない教訓にすぎない。
 小説ばかりでなく、レシピにもマニュアルにも通用するこの言葉が、自然主義に対する批判であるはずがないし、どんな主義の批判でもありえない。何をどんな風に書いても好いからこそ、自然主義風に書いてもよいであろうしロマン主義風に書いてもよいであろう。何をどんな風に書いても好い、という前提のもとで、だれもが、何をどんなふうに書くべきかを模索している。具体的に書くというのは常に何をどんな風に書いても好いという前提のもとで、何をどんなふうに書くかである。だから、「何をどんな風に書いても好い」は、どのような小説の書き方とも、どのような流派とも対立していないだけでなく、レシピやマニュアルの書き方とも対立していない。鴎外自身も何かを書こうとすれば、「何をどんな風に書いても好い」を否定して、何をどんな風に書くべきか、を問題にする以外にない。「何をどんな風に書いても好い」は書かない状態にとどまることである。

 肝心なことは、何をどう書くか、である。自然主義と区別するためには、何をどんな風に書くべきか、を自然主義と違ったふうに規定しなければならない。鴎外はそれをしない。何か野菜を育てよう、と相談しているときに、野菜は何をどう育ててもよい、と突然断案するのと同じである。こういうのは普通は大馬鹿者と呼ばれる。小説の世界では、具体的内容に踏み込まないこと、臆病に前提にとどまることが、偉そうに高飛車に、その上本当に自分が偉いと思い込んで断案される上に高度の思想だと評価される。本当のところは、真面目な議論を混ぜ返そうとしているのか、自分が何を言っているのか分からないかの、どちらかであるか両方である。

 「小説というものは」が、対立的な認識形式である理論とどう違うのか、という意味を持ち、さらに具体的な描き方のジャンルや流派の規定の意味を持つためには、「何をどんな風に書いても好い」ではなくて、何をどういう風に書くのかが規定されねばならない。例えば、現実を形象によって描く、だとか、作家の心象を形象によって対象化するなどと規定することで理論の反映形式と区別される。これらの規定はすべて内的矛盾を含んでいて、この規定が単体で芸術の規定になるわけではない。それの含む矛盾の展開が芸術の規定である。鴎外の「小説といふものは何をどんな風に書いても好い」というのは、まったく無内容で空虚で、ここから何かを展開することはまったくできない。だから非常に無知でいいかげんでとぼけた印象を与えるし、じっさいにそうである。



74. ヰタ・セクスアリス (04.03.30)

 ヰタ・セクスアリスは、鴎外が田舎から秀才として東京に出て、洋行が決るまでの出世物語である。しかし、成功物語にしては、晴れがましいところがなく、暗い。鴎外の成功は、人間関係から競争で抜け出すことだけを意味しており、孤独な身の上話になる。友人は競争相手として登場し、鴎外が勝ち残ったことを身の破滅で示して鴎外の元を去る。あるいは鴎外がいかに優れた才能を持つかを際立たせる役目を負わされる。他の否定によって自己を肯定するのは鴎外の終生変わらない特徴である。しかも、積極的な出世欲によって勝ち誇ることもなく、他人の破滅の傍らで生き残ることを陰気に味わっている。鴎外の場合地位を得る事は人間関係を失うことに必ず結びついており、人間関係を失う事が、地位と知識を得ることで肯定されている。得る物も大きかったが失う物も大きかった。孤独な勝者である。勝者の失敗談であり、敗者の成功談であるすっきりしないエピソードが、通俗的な性欲の話と絡められることで、いっそう陰気に描かれている。
 性欲は本来は、自己を肯定する材料になるはずであった。鴎外は冷たいと評価された。それで鴎外は、自分が冷たいと言われるのは、性欲に淡白なところが冷たく見えるのだと、言いたかった。しかし、この小説では、人間の冷たいところが性欲にまで浸透していることを描く結果に終わっている。
 もう一つ、自分が冷たく見えるのは、情熱に悟性が勝っているからだ、と描写のあとに付け加えている。これは情熱を持たない鴎外らしい無知である。情熱と悟性は同じ精神として両者がともに発展して、相互に強化し、深化するのであって、悟性が情熱を抑えるわけではないからである。鴎外には悟性と情熱はなく、知識と意地があった。



73. イラク戦争から一年 (04.03.20)

 ネオコンの利害と選挙のために近代兵器によって何万人の人間を殺戮することを正義や自由の名で粉飾してきたブッシュの不愉快極まりないやり方に漸く綻びが見え始めた。どんなに言いくるめても実践の意味は表に現れてくる。ブッシュは今も、テロに屈しない、といっている。しかし、テロと正義の闘いという図式はブッシュ自身にとっても真実味がなくなっている。イラク戦争はテロとの闘いではないことが誰の眼にも明らかになりつつあるし、ブッシュにとってもイラク戦争はテロとの闘いではなく、正義のための永遠の闘いではなく、選挙のための半年の闘いになっている。経済がうまくいっても、イラク戦争が命取りになる可能性が大きい。ブッシュもブレアもジョン・ハワードも、ベルルスコーニも、クワシニエフスキも、アスナールの後を追って、政権の座を追われるがいいし、そうなりそうである。残念ながらブッシュを支持した政権で唯一生き残るのは小泉政権かもしれない。
 スペイン政権の交代でEUの求心力は加速するであろうし、EUと中国の関係も親密になっている。アメリカの相対的な弱体化がイラク戦争を機にはっきりしてきた。圧倒的な軍事力をもってしては世界を支配し得ない事をブッシュが証明した。ブッシュは延命のために国連との妥協を探るであろうがうまくいくかどうか分からない。イラクにネオコンの利権を確保しなければならないし、大きな妥協は自分の間違いを認める事になり、選挙に不利に働くだろう。流動性が大きいのでこの先がどのようになるかは分からない。ただ、ブッシュやブレアが非常に危うい状況になってきた事は確かである。明日のデモには少し明るい気分で参加する事ができそうである。



72. 一葉と鴎外のちょっとした違いについて-2 (04.03.17)

 一葉の「にごりえ」にお金と関わる人間関係の例が描かれている。貧しい私娼のお力と金持ちの朝之助の関係の中間に、エリスと豊太郎の関係がある。
 朝之助は、お力が自分の財布から札を引き抜いて店の者にまき散らすのを笑ってみている。お前はいらないのかと言われて、名刺だけを、というのが軽い冗談とともに非常にうまく描かれている。お力は財布の金を勝手にばらまいてもかまわないものと、直感的に朝之助を信頼しているし、朝之助はそのように信頼される事に満足しているし、その満足を楽しむ精神をお力も朝之助も持っている。このエピソードは彼らに特有の信頼関係のごく一部分であって重要な意味を持たない、というのが鴎外との比較では重要である。こんなことがあってもなくても、彼らには信頼関係があり、そのなかでこんな事件も起こる。そしてこんな信頼関係に特有の矛盾が生じる。
 鴎外の作品では、様相が異なる。僅かの金の援助が信頼関係の要となり、凡人と違った特別な人格性の証明となっている。しかし、一葉の作品では、お金はこのような意味を持っていない。
 朝之助が豊太郎と違って金持ちであるから金に執着せずにおられるし、お力はエリスと違ってすでに絶望的な状態にあるから、お金に執着しても仕方がない、と言える。しかし、それは原因を探ることであって、そのものとしてどう違うのか、というのはまた別の話である。
 


71. 一葉と鴎外のちょっとした違いについて-1 (04.03.16)

 鴎外の「舞姫」、「うたかたの記」に、鴎外らしい信頼関係がある。豊太郎は、お金に困っているエリスに偶然会って、手持ちのお金と時計で援助して、立ち去る。このことは、後のエリスの破滅に結びつくように思われるので、どうもうさん臭い思いがしていた。しかし、この親切とエリスの破滅は、対立はしないものの直接的な関係はない。この親切とエリスの破滅は別問題である。エリスに対する豊太郎のやさしさを鴎外自身持っていただろうし、だからこそそういう性格を想定し、その性格を高く評価していたのであろう。豊太郎の親切にはエリスに対する悪意も下心も含まれていない。この種の親切に悪意や下心が含まれる可能性があり、含まれがちであることを鴎外も知っており、したがって、その誤解を避けるために、豊太郎は立ち去るし、そのために信頼されるのであるから、この親切は親切として純粋に描かれていると考える方が自然である。むしろ保守的に冷たい鴎外だからこそ下心はないだろうし、相手と分離された、突き放した親切を自分の価値観として義務感として持っていたのであろうと思われる。この親切は、エリスの破滅にとって偶然的で部分的な契機となっているだけである。
 しかし、この親切をこのようなものとして純化したとしても、それは親切そのものと言うようなものではなく、やはり鴎外らしい、中流的な感情である。
 それは、一葉との比較でよく分かる。一葉の作品にはこの種のやさしさや親切がない。一葉はそういう物をもっていないし、重視していないし、描写することなど思いもよらない。無論四迷にも漱石にもないが、一葉の「にごりえ」には、こうした感情を持たない事が積極的に描かれている。



70. 鴎外と善悪 (003.6.15)

 善と悪の相互関係で見ると、漱石は、善が善であるままに悪に転化する過程を描く。だから、先生とKの信頼関係は相互に失われない。しかし、相互の関係によって破滅的である。Kの自殺に自分の責任を認めることができずに先生は苦しみぬいた。自分の悪を認めて謝れば誰もが許してくれるから楽になるが、それはKに対する信頼を失った事がなく、また裏切った事もなかった先生にとって本当にKをうらぎることである、という関係にある。だから、Kも先生もお互いにこれ以上ないほどの善意を持ち信頼を持ちつつ、しかもお互いの関係によってお互いを破滅させる運命をたどる。善意が悪意に変わる事はないままにお互いの破滅の原因になる。
 芥川の場合は、問題にしているのは心変わりである。だから善と悪は分離されている。普通の人間が罪を犯す勇気を持てるか、悪人になれるかどうかであるから、善と悪は分離的で対立的で、その溝を飛び越える事ができるかどうかである。罪を犯す勇気をうるために、飢饉と失業という条件が与えられる。しかし、人は困ったからといって罪を犯すわけではない。だから、第二の要因として、追剥をするための理屈が思いつかれる。しかし、芥川が与えた理屈で悪人になることもない。理屈は単純である上に、どんな複雑な理屈を考えたとしても、あるいは状況を考えたとしても、それは善人が悪人に代わったというだけの話で善と悪の相互転化の関係ではない。
 鴎外の場合は、別の問題を含んでいる。鴎外の作品は初期の漱石のように善や人格を主張しているとは誰も感じない。もっと複雑そうに見える。というのは、エリートインテリが社会に貢献できて、しかも地位や金を得る事もできるという条件の元で、保守的で反動的な立場にあった鴎外は、この善と悪の関係において悪を善と言いくるめることを生涯の課題とした珍しい作家であった。だから鴎外は自己弁護と評価され、偽善的であった。しかし、この偽善も「こころ」に書かれているように、明治の精神が終わるとともに通用しなくなる。その最後の記念が「雁」である。
 「高瀬舟」も善と悪の関係を扱っている。時流にのったつもりであろうが、それまでの作品の流れにふさわしく、善と悪の関係においてももっともレベルの低い俗な展開である。
 


69. ニキビ、について (003.6.14)

 芥川の「羅生門」に、面皰(ニキビ)を描いた文章がある。

 「ただ、所々、崩れかかった、そうしてその崩れ目に長い草のはえた石段の上に、鴉の糞が、点々と白くこびりついているのが見える。下人は七段ある石段の一番上の段に、洗いざらした紺の襖の尻を据えて、右の頬に出来た、大きな面皰を気にしながら、ぼんやり、雨のふるのを眺めていた。」

 例会では、鴉の糞(くそ、とルビをふっている)というのは、上品なインテリの趣味で、牛の糞でも馬の糞でもよくなくて、こびりついているのがよくて、あたりいちめんでも、山盛りでもよくないのだろうという感想を話したが、それはともかくとして、問題はこの面皰で、問題というのは、このニキビが無意味だという事である。このニキビは、下人の現実的な存在感を感じさせる事ができるという意味でリアルである。しかし、ニュアンスがない。それ以上の内容がない。ニキビの描写がもう一度出てくるが何度出てきても同じである。

 偶然であるが、ゴーゴリの「鼻」にもニキビが出ていた。
 
 「コワリョーフは、のびをして、テーブルのうえにおいてあった小さな鏡をもってくるようにいいつけた。彼は昨夜、鼻のうえにできたにきびをちょっと見ておこうと思ったのである、ところが、非常に驚いたことには、見ると、自分の鼻のところがまるでのっぺりしているのだ!驚いたコワリョーフは、さっそく水をもってくるようにいいつけると、手ぬぐいで目をこすってみた、確かに鼻がなくなっている。!」

 ゴーゴリには、体の一部分を特に指摘して存在感を出すというような感性はない。そんなわざとらしいリアリティは無駄な表現である。
 八等官のコワリョーフは、ニキビを大変気にしている。「ちょっとみておこうと」という文章にはそんなニュアンスがある。ニキビを気にしていたのに、ニキビがあるどころか鼻がなかったのだから、コワリョーフは驚いた。ニキビにはコワリョーフの個性が描かれている。その個性は八等官の個性である。コワリョーフがニキビを気にする事、鏡をもってくるように言いつけること、こうしたことを演劇で表現する場合は、言葉もしぐさも名人の力量が必要であるし、うまくいけばこんな場面は何度見ても最高の娯楽になるだろう。
 しかし、芥川の描いたニキビの場面を演ずるとなると、それ自体素人芝居である。雨の降るのを眺めながらニキビに触れてみるというしぐさは、一昔も二昔も前の、石原裕次郎でもやりそうな、形式的でわざとらしい存在感である。
 ニキビが悪の象徴だとかいう話もあったような気がする。何を根拠にそんな馬鹿な話をするのかはわからない。



68. ネット会議-2 (003.6.13)

 ネット例会は、その後、「羅生門」を二度、「高瀬舟」をやった。時間がなかったので書けなかったが、例会についての報告を来週には簡単に書く予定である。明日土曜日に、芥川の「鼻」とゴーゴリの「鼻」を読む。芥川を読むときにどうしても問題になる、作品の完成度の問題を明らかにするための参考になると思われるからである。芥川の初期作品は非常に理屈っぽく内容は浅い。荒唐無稽な形式をもっているが高度の内容を持っているゴーゴリの作品と比較して、その内容と形式の関係を考察することができる。
 芸術作品においては、内容と形式は同じであるから内容と形式の矛盾は生じ得ない。だから、形式の不備は内容の不備である。しかし、作品ではどんな形式も作家の自由にゆだねられており、制限はないから、内容の不備とか形式の不備といっても作品それぞれで理解しなければならない。ゴーゴリの作品では、鼻が官僚になって一人歩きする。こんなことは現実にはあり得ないが小説では何ら問題がない。こうした不自然さと芥川の作品の不自然さは違う。それがどう違うかを議論してみようと思う。
 「羅生門」でも「高瀬舟」でもそうであるが、この時代には善と悪、とその相互関係が社会的関心になっている。資本主義の発展に伴って、善や悪という道徳的な規定は人間の本質や社会の本質を規定するカテゴリーとして十分でないことが意識されはじめる。実際その相互転化が現象として現れてくる。特に、明治の日本では、発展期にはエリートインテリは自分のエリートとしての役割を果たしている事が社会的にも善であった。しかし、こうした規定は社会的にもまた個人的な生活においても崩れてくる。この問題をもっとも深刻に描写したのが漱石であった。
 善と悪の関係は、論理で扱っても形象で扱っても非常に複雑である。形象による複雑さは漱石の「こころ」に現れている。形象的表現による無限の媒介項が書き込まれている。しかし、芥川にはこの関係を形象的にも理論的にも扱う事は全くできなかった。悪い事をしたのには事情が或るという老婆の言葉を逆手にとって、では自分が悪い事をされても文句は言えまい、などというのは、小理屈である。
 小理屈でない理論というのは、資本主義社会が生み出す、特に日本の社会が生み出す、善と悪の相互関係、相互転化をその法則において発見する事である。小理屈は社会的な運動の法則を反映していない。漱石は道徳的な人格の長年の追求によってその社会的な本質を理解できたが、若い芥川にそんな課題がこなせるはずがなかった。そして、このできなかった事は芥川の若さによるだけでなく、まして才能の欠如によるのでもなく、もっとも重要な要素としては、すでにそれが発見できなくなっていたということである。そうした時代の流れに規定された精神として芥川の精神は歴史的に重要な意義を持ってくる。



67. ネット会議 (003.5.18)

 昨日はじめてネット会議をやってみました。まだ同時に発言すると音声が途切れるなどの問題はあるものの、それほど不満なく会議ができます。今後光ファイバー網が整えば、画像も鮮明になり大きくすることもできて、テレビの画面を使う事もできるようになるでょう。
 ネット上の会議では、場所を選ばずに不特定の人と討論ができますので、精神の発展のために非常に有効です。立場や考え方の違う人との論争が思想の発展のためには欠かせないし、ネット会議が発展すれば、論争上のルールも次第に作られていくでしょう。
 今回は「羅生門」をやりました。準備もできなかったので思いつきの雑談のようなものを10時から2時すぎまでやりました。集まって会議をやれば終わってから帰らねばなりませんが、ネット会議だと、自宅でやっていれば眠くなったらすぐに眠れますので便利です。

 今後ネット会議の予定や結果について、[ネット会議]に書く予定ですので、興味のある人は参加してみてください。いろいろと試して比較したわけではありませんが、次のVchatを使っています。
 http://www.vchat.jp/personal/personal.html



66. イラク戦争-4 (003.4.18)

いいニュース。イラク戦争をめぐってEUに亀裂が生じていたが、再び求心力が戻ってきた。問題を含みつつもEUは発展するだろうし、そうなるとヨーロッパ地域は戦争のない平和な世界として発展することになるだろうし、アメリカと並立する第二の経済圏としてアメリカの独走に歯止めをかける力になるだろう。
アジア経済圏の中心となりつつある中国は、この1〜3月期のGDPの伸び率が9.9%であった。ASEANとの結びつきが強くなりつつあり、この地域も経済発展とともに戦争の可能性は少なくなるだろう。今のところ戦争を引き起こす最も大きな原因はアメリカである。
このアメリカでもイラク戦争に軍事的に勝利したにもかかわらずブッシュの支持率は上がっていない。ブッシュは派手な効果を狙っていたのかもしれないが勝利宣言のタイミングを失ったかもしれない。今後目玉になる事件がなければ勝利宣言はしらけたものになるだろう。戦争で支持をとりつけることができないとなると、シリア攻撃などはやりにくくなる。それとも支持が下がればまた戦争に訴えるのだろうか。しかし、次の戦争にとりかかって支持が下がれば戦争によって政治的延命を図る事はできなくなる。しかし、戦争をする以外に、戦争をしてネオコンの身近な利益を守る以外には政治的にも経済的にもまったく無能であることは誰でも知っているから、今期で大統領は終わりの可能性が大きい。



65. イラク戦争-3 (003.4.17)

アメリカはイラクを破壊し、その力を見せつけることで次の国を脅迫している。彼らはシリアを侵略しないと言っているがどうなるかわからない。こんな状況で脅された国の国民がどれほどの恐怖を感じるであろかと思うとブッシュに憎悪を感じる。シリアを侵略すれば国際的な反発はさらに強くなるだろうが、ネオコンは国際社会を問題にしていない。侵略しないといっていても、侵略する気になって準備ができればそのための口実をいつでも見つけ出して侵略するだろうから、どれほど無茶に見えようと彼らが何をするかを予測することはできない。ひどい時代になったものである。

マスコミの論調は多くがすでにアメリカの行動の肯定に回っており、次の侵略の擁護とみえる解説すらある。アメリカがこれほど強硬な場合に、フランスやドイツがある程度妥協することはやむを得ない。アメリカや孤立すれば一層多くの犠牲を招くだろうからである。しかしマスコミに登場する多くのインテリがアメリカの侵略を擁護し、アメリカの侵略について何らかの理由付けをしているのは全く許しがたい。侵略によって引き起こされている現実の悲惨な事実を無視して、もっともそうな理由をつけて、どんなきれいごとを並べても、彼らが権力者におもねる腰巾着として仕事をしていることをはっきりと示している。冷酷な理屈屋の彼らは犠牲者の悲惨な姿を見ていったいどんな感情をもつのであろうか。

小泉首相と石原都知事は戦争について聞かれたときに「戦争が好きな人間はいない」と答えたそうである。侵略戦争を肯定しアジアを蔑視する二人の共通した答である。これは表向きは、戦争の好きな人間はいない、私も人間だ、だから私も戦争が好きではない、とも取れるが、実際は嘘である。戦争が好きな人間はたくさんいる。ネオコンの連中がいやいやながら戦争しているとは思えない。彼らがこんな言い方をするのは、公然と戦争が好きだとは言えないし、だからといって自分は戦争が嫌いだというのも自尊心が許さないからであろう。



64. イラク戦争-3 (003.4.14)

イラク戦争は一つの段階を終えた。アメリカが演出する腹立たしい報道を見る機会はこれから少なくなりそうである。もともと正規軍としてアメリカ軍に対抗しても近代兵器によって殺戮されるだけである。アメリカ軍は遠く離れたところから兵器だけを使って、金だけを使って都市を破壊し人間を殺す。イラクの兵隊がどれほど殺されたかは発表されないのでわからないが、米軍の快進撃の様子からすると正規軍の殲滅的な大量殺戮は回避されたのかもしれない。それは今後のゲリラ戦やテロへの転換をも意味するからアメリカとしては不満の残る快進撃であろう。
今回の戦争について、石油をはじめとするさまざまのを利権によって説明するのは間違いであろう。国や企業が利権に群がるのは避けられないが、アメリカが利権を狙い、独・仏・露も他の利権をめぐって反対したと考えるのは、うがったようでも今回は間違いであろう。今回の戦争は個別の利権をめぐるものではなく世界的な規模での新しい政治的、イデオロギー的対立のようである。
アメリカはイラクに傀儡政権を作り出すことを狙っているのですらないように思う。アフガニスタンと同じように国家として疲弊させればそれで満足であろう。無論傀儡政権をつくることができればそれに越したことはないが、今回の戦争ではそんなやり方をしていない。イラク国内に、イスラム諸国に、さらに世界中に反米感情が生まれても意に介さないやり方であった。というより反米感情を挑発し、それに対して力で臨む意思を明らかにするのがブッシュのねらいであった。
イラクが国として荒廃すればそれによってイスラエルに対する脅威を除くことができるし、これを教訓として反米的な国に脅しをかけることもできる。国連をも無視しようとする今のアメリカが、イラクに親米政権を建てることを切実に求めているとは思えない。世界対して軍事的な破壊力を見せつけ、自分の意思を押し通すことが、世界に対する支配力を経済や政治の力によってではなく、軍事力によって押し付けようとするのがブッシュ政権の特徴である。
ブッシュ政権はそれぞれの国の立場を尊重し、話し合いや妥協によって解決する必要をまったく認めていない。それはアメリカが国連にもヨーロッパにも発展途上国にも依存せずやっていけると自信をもっているからであり、実際にすべての国が巨大な市場としてのアメリカに依存しているからである。ブッシュがどれほど愚かな坊ちゃんであっても、いかに残虐な行為を繰り返しても、ほとんどの国はアメリカ市場なしには生きていけない。アメリカ市場を失えば戦争以上の悲惨な運命に陥りかねない。反米感情を表に出すことができるのは、油田を持ちアメリカ市場に依存しなくてもやっていける国か、アメリカ市場から締め出されている国である。こうした構造の中で田舎育ちの頑迷な大統領が登場したのであるから、今後も軍事力に訴えようとするブッシュの意志を変えるのは難しい。
しかしアメリカは今度の戦争で10兆円を計上した。戦争の経費を諸外国に負担させようとしているが、文句を言わずに大金を出すのは日本くらいのものであろう。アフガニスタンもイラクもこれからが多くのドルを必要とするのであって、その莫大な経費を油田で賄うことはできない。
ブッシュに理性が舞い降りることはあり得ない。しかしアメリカ経済が下降に向かうことがはっきりすれば、ドル安が進行し始めれば、アメリカ国民は軍隊によって世界を脅すことで優越を感じようとはしなくなるだろう。ブッシュが無理やりにアメリカの力をそぎ落としていることを多くの人が理解するようになる。戦争支持者も多いが、戦争反対のデモも日本とは比較にならないほど大規模であった。ブッシュの子供染みた演説にはうんざりしてくる。ブッシュの演説を本当に面白がって聞いているのはニクソンくらいのものであろう。すくなくともワーストワンではなくなったと。



63. イラク戦争-2 (003.3.17) 
 3月15日の大阪での反戦集会には2500名が参加していた。幸い雨はふらなかった。前回より1000人ほど増えているらしいので、次回の23日には参加者がもっと増えることを期待したい。
 ブッシュはどうしても戦争をやるつもりらしいが、今回は戦争の行方がどうなるかわからない。戦争の結果がこれまでと違って非常に大きな変化を引き起こすだろうからである。今回の非常に大きな特徴はフランス、ドイツといった大国がはっきりと反対していることである。ドイツ、フランスの反対の基本的な背景はユーロの誕生であろう。アメリカはこれまで輸入や戦争で好き放題に輪転機を回してドルを垂れ流してきた。今回の戦争での支出はドルの力を弱め、ユーロの地位を高めることになるだろう。日本の円はドルからの独立どころではない。巨額の国債を抱えた上にアメリカの国債も買わされて、今度の戦争でもドルの垂れ流しのしりぬぐいをさせられる。このままでは日本のアジアでの孤立がはっきりしてくるだろう。日本だけが圧倒的な経済力を持っていたときはアジア諸国はアメリカと日本に経済的に依存せざるを得なかったが、今後は次第に独立し、中国の元が北京オリンピックまでには表に出てくるだろう。こうした過程をイラク戦争は急速に押し進めるに違いない。
 ブッシュはサウジを上回るかもしれないといわれるイラクの油田を支配することで石油市場を支配し、アメリカとドルの力を強くしようとしているのであろうが、軍事力で石油を支配できるとは思われない。それがうまくいった場合には石油資本がテロの対象になるだろうし、それは米英の石油資本にとって非常に高くつくことになるだろう。それでも戦争に掛けるブッシュとブレアの気が知れない。一番決意を必要とているのはブッシュとブレアであろう。
 米英の圧倒的な軍事力を軍事力で阻止することはできない。しかし、反戦の運動は大きな意義を持っている。ブッシュは自由や民主主義を掲げてバグダッドにトマホークを打ち込もうとしている。それでどれだけの人間が殺され、生活が破壊されるかなどは、テキサスの牧場の牛の病気ほどには気にしないだろう。しかし、ブッシュが軍事力を支配できるのは選挙に勝つ場合だけである。次の選挙で破れれば、田舎の金持ちのカウボーイにすぎない。自由や民主主義の話をテキサスの牛にでも聞かせるようになってほしいものである。
 


62. イラク戦争 (003.3.14) 

 明日3月15日は幸い休みなので、対イラク戦争反対の集会、デモに参加する予定だ。残念ながら天気が悪いが多くの人に参加を呼びかけたい。アメリカは圧倒的な軍事力と経済力によって世界に自分の意志を押しつけようとしている。そのために今回の反イラク戦争、反米の運動はベトナム戦争よりはるかに大きな広がりを持つ運動になりそうである。世界史の転機になる戦争だと言える。最新兵器による一般市民の大規模な殺戮が行われるであろうし、アメリカでも軍事産業以外は戦争によって大きな打撃を受けるだろう。まして日本ではどんな産業もまた国民も大きな損失を被る以外にない。しかし、対米追随と本来的に反動的で、戦争好き、侵略好きの小泉政権は、たとえイギリスが離脱することになっても、アメリカがいかに孤立しても戦争を支持し続けるに違いない。日本の国民は反戦的な意識を持っていても行動に出ないし、政権支持にも今のところ大きな影響が出ていないが、世界の反戦の動きに呼応して、今後は反戦の声が高まるであろうし、そうなることを期待したい。小泉政権の改革の中身は国民に負担を強いることであったしこれからもそうである。ここで戦争に加担することでさらに負担を強いることになるが、そうした政策についてはこれまで同様、言葉ではごまかしつつも実践としては断固としてやり抜くだろう。こうした流れに対して国民はそろそろはっきりと反対の意思表示をすべきであろう。


61. エゴイスト (002.7.18) 

 エゴイストとはどんな人間かというと、基本的に、厭な奴には違いない。しかし、どんな風に厭な奴だろうか、と考えると、はっきりしない。
 エゴイストというからには、とにかく自分の利益を、排他的に追求するということであろう。とにかく甘いものが好きで、甘いもののためには排他的になる。饅頭が三つある場合に、友達に一つ分けて自分で二つ食う。できればこっそり三つ食う。ひどいエゴイストは、他人がもっている三つを取り上げて全部食う。饅頭のためには他を顧みない。こういうのがエゴイストである。自己犠牲というものを知らない。
 しかし、このエゴイストには迫力がない。それほど悪人と思えない。甘いものに興味のない人間にとってはエゴイストではない。生活に余裕がある人間にとっても大したエゴイストではない。好きなだけたべなさい、と思う。気の毒になる。
 なぜかというと、このエゴイスト君の追窮する目的が限定されているからである。彼の多くのエネルギーや関心が饅頭に限定されている。つまり人生が饅頭に支配されているから、そんな貧しい人生なら、せめて饅頭くらい好きなだけたべさせてやりたくなる。
 饅頭だけで満足するなら、気の毒ですまされる。しかし、甘いもののためなら何でも排他的になる、ばかりでなく、両党遣いで、酒の為にも排他的になる。そうなると、だいぶ迷惑が大きくなる。甘いものでも辛いものでも、要するに好きなものを手に入れるために、財産が欲しくなり、財産を得るためには排他的になる。金や地位のために排他的になる。
 ここまでくると、エゴイストというのが説得力をもってきて、気の毒がっている場合ではなくなって、とんでもなく厭な奴のイメージがはっきりしてくる。
 それで、「こころ」の先生は、財産をかすめ取った伯父を憎んだ。エゴイストというものを心底憎んだ。それは他人の財産に手を出すべきではない、という道徳心である。つまり財産は私の物だ、という財産への排他的な執着であり、先生のエゴイズムである。
 エゴイズムというものがどんもなものかはっきりしないことが分かるだろう。この前半は、エゴイストは自分が追求する排他的な利害に自分自身が支配され、自分の人生を限定されるということ。次は、それにエゴイズムというのが特定の利益の露骨な追求という形式をとるわけではない、ということが付け加わる。先生は道徳的であるつもりで財産に支配されている。饅頭に支配されても悲劇はおこらない。喜劇である。しかし、財産を追求すると矛盾が大きくなる。
エゴイズムという言葉のもつ多様な側面の一つ。


60.  『青年』について-3 (002.7.8)

 「青年」については、一日延ばして明日から、書こうと思う。思ったより大きく変更されそうなので、全体をもう一度概観する必要がある。「青年」について−2 に書いたように、純一の苦悩は、金持ちの未亡人との情事にともなう、まるで苦悩と言えない苦悩である。「三四郎」では、爺さんと女が、日露戦争のあと生活が厳しくなったと話をしており、その女に三四郎は度胸がない、と言われる。そういうご時世での、金持ちの未亡人との情事が真の生活かどうかという苦悩を馬鹿馬鹿しいと思わないわけに行かない。まして、矢部氏の言う様に人類や文明の危機を救おうとしているなどというのは論外である。と、まず読後にこういう感想を持つ。メモにそう書いたのは、そんなことは内容分析には使えないからであるが、ところがどうしてもこの感情が解消しきれずに、文章として出てくる。そうすると、内容それ自身の必然を追う論理の自由な運動が妨げられる。そこでその文章を削ると、論理の展開が新しくなる、といった変更が生じる。『舞姫』の場合は、エリスの犠牲という内容があるから、豊太郎に対する嫌悪感を払拭するのに手間がかかった。まだ完全にはなくなっていないと思う。今回は『舞姫』での経験のおかげもあって一度書き直すことでかなり払拭できそうだし、長い作品なので、持っているといつまでも変更し続けるので、火曜から書く事にした。
純一の苦悩は、苦悩と言うに値しない苦悩であるが、そこにまた苦悩の苦悩たる所以がある。成果を生み出さない苦悩であるところに鴎外らしい特殊の深刻さがある。しかも、この苦悩は、日露戦争後の庶民の生活と無縁でもなく、現象として見え始めた社会的変動のもとにもたらされる類の苦悩である。で、この堕落した深刻な苦悩は具体的にはどんな内容として展開するのか、ということである。

59.  『青年』の批評-2 (002.7.7)

 矢部氏のその後の文章には、特に注目すべき内容はなかった。いくつか特徴的な結論的部分を紹介しておこう。
 だが、鴎外はむしろ「当時の文明開化の急潮」に溺れることなく、「急潮」を巨細に凝視することで「暗い自己確認」を達成し、その自己認識をスプリング・ボードにして「自己確立の『ロマンティシズム』」の実践と言わなければならないような『青年』の創造の営みを通し、人類文明の危機を超克し、鴎外の「個」の生の「再生」を実現する「伝説」を再生産する道に進み出たのではなかったか。鴎外の「書く」ことの営みを衝迫したものは、つねに「忠義」「孝行」の徳目に結節される狭隘な「民族」の自覚などではなく、人類文明の危機的状況を凝視する危機意識であったと言わなければならない。『青年』から「伝説」を「書く」ことに至る道は、「民族」や「国家」の視点に固執した「個人と現実(社会)との対立・相剋のみでなく、連帯・統一の相をもあわせみる」(小泉浩一郎)営みであることすら超越した、人類文明の「再生」を希求する「上昇」の方向を志向する「現実」脱出の試行にほかならない。(p151)
 金持ちの未亡人との情事に悩む事が、人類文明を救うことには繋がらない。鴎外はこんなことを問題にしていない。
 鴎外の日本近代社会での近代純正実験医学建設を希求した研究実践と啓蒙活動とが「人間の生命活動とそれを取り巻く環境」の構造究明、改善の営みであったことは疑いようがない。『妄想』で言う「都会改造」「食物改良」などの議論をめぐる「洋行帰りの保守主義者」の「本の杢阿弥説」が人間の生存と幸福実現を第一義とする提言であったことも言うまでもない。『青年』一篇は、「人間の生活活動とそれを取り巻く歴史的状況」を凝視する営みを前提にして、近代的自我としての「新人」として生きる「個人」の存在のありようを模索する文学である。森林太郎鴎外という人間存在は野間宏の言う人間の「生命活動」と「生活活動」との二つの側面を「個人」の生存の営みのなかでトータルに統一することに苦悶して生きた近代的自我としての「個人」の生の実践者であった。(p153)
 医学方面における鴎外の業績が如何に否定的であったかはすでに明らかにされている。純一も近代的な自我である。しかし、どんな自我であるか、金持ちの未亡人との情事で大げさに苦悩する青年の自我とはどんなものかが問題である。
 「好い子から美少年に進化した今日」でも、純一は自己の「美貌」(十)に意識的である。純一の「媚」は、大石路花や大村荘之助などの同性に限らず、「年長者、殊に女性の年長者」を「脆く」も「譲歩」させる力を持つ。鴎外が小泉純一に培養しようと意図した異能こそ、「少年」性に胚胎する「両性具有性」であると言わなければならないのではないか。(p168)
 人類の危機を問題にするかと思うと、純一の愚かしい自己意識を肯定した上で、「両性具有性」にこじつけの意義を見つけようとしている。非常に巨大な結論と、瑣末な特徴が直接結び付けられていて、それがどんなつながりにあるかが問題にされていない。実際なんの関連もない。
 小泉純一の人間形象は、鴎外の『青年』創造のモチーフによって決定されている。近代文明における「ヨーロッパの終焉」(野間宏)と言うべき危機的状況を超克するために、心理学や神話学の手続きを通して人間の文化構造の深層から析出される幼児神神話の幼児原型を小泉純一の人間形象に象嵌するかに思われる鴎外の文学的試行は、人類文明の「再生」を希求するものにほかならない。『青年』は「『因襲の繋縛を解いた未来の生活』のあり方について描こうとした作品」(須田喜代次)であり、「純粋な一青年が成熟してゆく教養小説という枠組をかりて、鴎外の頭にある思想や芸術や人生の課題を総合的にとり入れようとした、野心的な作品」(磯貝英夫)でもあったが、なにより先に人類文明の危機を超克することを唯一可能にする道の原点である人間の「個人」の生のありかた、「Autonomie」を達成して人間はいかに生きなければならないかの理念を日本近代の「現社会」に向けて投射することを意図して提出された文学である。(p170)
 この批評は1995年に出版された著書であるが、古い抽象的な図式主義を新しい形式に整えようとしている。未亡人との情事に関係した葛藤を人類の危機や「人類文明」の再生に直接結び付けるのは、人類の危機や人類文明の危機を、未亡人との情事レベルで考えていることである。純一の葛藤を、人類的なレベルに押し上げるあるいは、純一の葛藤に人類的普遍的な内容を見いだすのではなく、人類的普遍的な葛藤を純一の下らない葛藤のレベルに押し下げるものである。

58.  『青年』の批評-1 (002.7.6)

 矢部 彰氏の「森 鴎外」(1995年 近代文藝社)に、このメモ帳で書いた地位の規定性に関連する批評があったので、紹介しよう。

 「青年」論の冒頭で矢部氏はまず、「森鴎外『青年』(明43・3〜44・8)の小泉純一の最終学歴が旧制中学校卒業であることの意味は重い。」として、明治の学校制度を紹介して、立身出世主をめざした競争が展開され、としている。そして、「舞姫」の豊太郎と「青年」の小泉純一を対比して、

 「太田豊太郎が『国家』に献身する人間形象であるのに対して、小泉純一が『個人』の生に生きる人間形象であることは疑いをいれない。」(p132)としている。
 「すなわち、『功業』『忠誠』『立身』の価値目標のすべてを放撫した小泉純一のめざすものは、まさしく『個人』の「Autonomie」と『 書く』ことの二つのほかになく、小泉純一にとっては『伝説』の世界が現実の『功業』『忠誠』『立身』の価値を超越するものに位置づけられるのである。」(p133)
 『青年』の「現社会」の「物質的の開化」批判のモチーフは顕著である。明治四十三年、『青年』創作時点で高潮する立身出世主義の風潮に抗して、「Y県の世」を謳歌している元老・大臣の「権勢」を拒み、学士や博士の地位への栄達に背を向ける純一の「創作家」への意志表白は、鴎外の「現社会」批判の精神の顕現であると言わなければならない。大石路花が東京新聞の「車の第三輪」になって、「帝国大学の総ての分科の第一流の教授陣」が賛助員の名で寄稿し、「焼芋の皮の煙る、縁の焦げた火鉢の傍で考へた事」が「温室で咲かせた熱帯の花の陰から、雪を硝子越しに見る窓の下で考へた事」(十三)に変質するにすぎないという言説は、日本近代社会のアカデミックな世界がいかに現実から遊離した「根のない浮草」(十)に過ぎないかの批判にほかならない。・・二十章の大村荘之助とのメーテルリンク『青い鳥』をめぐる対話での、
  十九世紀は自然科学の時代で、物質的の開化を齎した。我々はそれに満足することが出来
  ないで、我々の触角を外界から内界に向け換へたでせう。それに未来の子供が、いろんな
  器械を持って来てくれたり、西瓜のやうな大きさの林檎を持って来てくれたりしたって、
  それがどうなるでせう。
 という純一の認識は、日本近代社会の「物質的の開化」批判の範嬬を超えた人類文明の危機意識に胚胎した鴎外の世界観の表白である。(p136)
 矢部氏は、まず地位の規定性から出発している。それは純一の批判精神を高く評価するためである。その批判精神というのは、国家に対する個の意識や、物質文明に対する批判、という意味を持っている、ということである。
 これは地位の規定性を図式として利用する実例である。小泉純一は豊太郎と同じように語学ができて有能であるが、エリートとしての学歴がない、だから、国家に対して、物質文明に対して批判的である、というのは間違いである。学歴があろうとなかろうと、まるっきりの貧乏であっても、国家に対して個を対置し、物質文明を批判することはある。しかし、学歴がまったくないと、こうした思想をつくり出したり宣伝する事はできない。鴎外のような無能なエリートこそが、国家に個を対置するとか物質文明を批判するというあたりさわりのない、無批判的且つ無思想的な抽象的な言葉を生み出し、それが俗物根性として国民全体に広がる。そういう思想を製造するエリートとして鴎外の精神がある。だから、個の主張や物質文明の批判はエリート意識と矛盾しない。
 「二つの「純一の日記の断片」こそ鴎外の日本近代の「現社会」批判の対象となる実質の提示、立身出世主義の風潮に踊らされて「生きる。生活する。」の理念を喪失した人間像と「性欲」こそ人生の本質であるとする自然主義的人間観に奔弄される人間像の提出であり、これら二つの時代思潮への懐疑の念の表白ではないか。(p140)
 これは立身出世主義の昇を批判する豊太郎の立場と同じである。自然主義を「性欲」の観点で批判するのは「ヰタ・セクスアリス」で人間関係に対して冷たい人間を擁護した鴎外の思想である。立身出世の批判、性欲の批判、国家の批判、物質文明の批判、これらはすべて無思想に典型的な言葉である。鴎外の作品を社会的な意義において肯定するためには、この程度の言葉を使わねばならないし、またこの程度の抽象的な言葉を振り回すのに鴎外の作品はふさわしいということであろう。
 地位の規定性を矢部氏は鴎外の批判精神の位置づけのために使っているに過ぎない。そうなるのは、鴎外の作品内部の個別の精神の内容を分析できないからである。鴎外の精神が批判的であるなどと考えて、そのあとその根拠を探して純一の地位に目を付けているだけである。純一は、批判意識などまったく持たない、堕落し、孤立したエリートである。

57.  鴎外と脚気-2 (002.7.4) 

 前回紹介した「鴎外最大の悲劇」に、鴎外が日露開戦の五日後に作成した遺言状のことが書いてある。この遺言状は森家と親族では秘密にされ、65年後、長男森於莵氏によって公にされた、という。これはよく知られているものらしい。これについての文章を紹介しておこう。

 開戦五日後の十五日、林太郎は志げとの結婚の媒酌をつとめた東大教授岡田和一郎及び友人上田敏を証人、山田元彦を立会人として遺言状を作成、二十二日日本橋蠣殻町の公証人役場に届け出た。母峰、その没後は妹小金井喜美子と森家親族の間で秘され、六十五年後長男於菟によって公けにされることになったこの遺書は、妻志げに対する冷酷ともみえる非情さで人を驚かすものであった。その全文を採録する余裕はないが、自分の死後はその財産のすべてを母峰と長男於菟に折半分与し、祖母きよ並びに志げが生家に戻るか再嫁するまでの生活費、弟潤三郎と長女茉莉の長ずるまでの生活費、教育費、並びに茉莉が結婚費用は於菟の分から出す、しかし万一於菟が死んだ場合は、於菟の財産は「森志けヲシテ管理セシメズ」弟篤次郎及び妹小金井喜美子に「管理セシムルコト」というものであった。妻志げの一切の相続からの排除である。そしてこのような遺言書を作ったのは、妻志げが於菟と同居しながら言葉を交わさず、母峰や弟潤三郎との同居の継続を拒み、三人に悪意をもち、「到底予ノ遺族ノ安危ヲ託スルニ由ナキ」ためだといい、更に追い討ちをかけるように、自分が死んで遺族恩賜金又は寡婦孤児扶助料が志げの名ででても、それは志げではなく第三者の管理者に管理させることというものであった。これはその内容からいって「ほとんど離婚状に等しい」(文沢隆一)といっていいものであった。五年後自家の嫁姑の不和を事実に即して書いたとされる『半日』では志げに当る「奥さん」がよそから聞いて遺書のことを持ちだしたのに対して作者林太郎は自身に当る高山博士に次のように答えさせている。「おれは公証人を立てて立派に遺言してあるからお前や玉の困るやうな事はないのだ」。その遺言状とはこのようなものであった。しかし理解し難さはまだこの先にある。(p172)

 理解しがたさというのは、鴎外の出発後実家に帰った妻志げへの手紙である。

 林太郎は出征中百三十七通の手紙を志げに送っている。内地にいた一ヶ月間でも七通である。宛名は「やんちやのしげ子どの」をはじめ「やんちや殿」「しげちやん」「遠妻殿」等である。その細々した書きぶりや時には諭し、時には褒めて勇気づけるような文面は、林太郎が志げを一人前の妻とはみず、一段下の女性とみていたことを示すものだとする論もある。そうかもしれないが、広島滞留中には遊興の機会もあるだろうと心配してきた若妻に、彼は次のように返事するのである。「広嶋で遊興をするだらうなどといふのは大間違だ。此前に来て居た近衛が病人の半分は悪い病であったといふので今度は上のものが手本になって取締まるのだ。今度は何万といふ兵隊がもう十五日も居るが悪い病をここで発したものはまだ殆ど無い位だ。今度の連中は立派なものだよ」。これは男女の睦みの情愛がなければ書ける文面ではあるまい。それにしても一月足らず前に作った遺言書の苛烈さとの隔たりに驚くのである。(p172)

 林太郎はロシア軍の残していった五つの病院とそこにいた医師患者への対応渉外措置などを終え、少し遅れて三十九年一月十二日東京に帰還した。駅頭で母峰はじめ伯父荒木虎太郎の腕に抱かれた茉莉や於菟などの一族や、上田敏や小山内薫など多くの人の出迎えを受けた後、宮内省差し廻しの馬車で参内し、三時頃千駄木の観潮楼に帰った。そこには母峰はじめ家族親族や佐佐木信綱や上田敏、それに賀古鶴所などの顔があったが、妻志げの顔はなかった。(p187)

 決定的に、残酷な程に裏切りながら、表面的にはやさしく同情深い。こういう深刻な二重性が鴎外の特徴である。この奥深い人間不審や裏切りを覆い隠すことが鴎外の力量であり、こうした力量を蓄えるには、この二重性になんら矛盾を感じない神経が必要である。実践として非常に分かりやすいこの二重制は鴎外のすべての作品の本質的な特徴でもある。「舞姫」を一読して最初の印象はこの二重性、全体にわたる虚偽である。こうした虚偽、偽善はいくら押し隠しても表に出る。鴎外が臆面もなく粉飾するので、何がどうなっているのか分かりにくいし、ごまかす事が目的で反省する気はもともとないから、鴎外やその同類を相手にまともに議論することも結論に到達することも不可能である。しかし、鴎外と利害が対立し、性格が対立し、価値観が対立していれば、説明はできなくても直観的にはこの二重性を理解できる。鴎外の奥さんがどんな性格を持ち価値観を持っていたかは知らない。しかし、少なくとも鴎外のこの二重性を考えれば、奥さんが、鴎外の甘ったるい手紙にもかかわらず、あるいはそれをも一つの理由として、長い出征からの帰還を出迎えなかった気持ちはよくわかる。たとえ遺言状を65年間隠し通したとしても。

56.  「青年」について-2 (002.7.3) 

 「青年」については、次の月曜くらいから書こうと思う。書く内容が具体的にどうなるかは書きながらでなくては分からないが、大まかな内容は現在のメモ的な理解とさほど変わらないだろう。この作品のラストの部分、純一と坂井夫人が会う部分は、意外に複雑な内容を含んでいた。漱石の「三四郎」を意識して描かれたこの「青年」は実は「彼岸過迄」と非常に近い関係にあった。「青年」では「彼岸過迄」とまったく同じ内的な論理が、まったく逆方向で展開している。ほとんど鏡に写っているかのように、漱石が「青年」を意識して描いてでもいるかのように論理が展開する。ここに描かれた関係、それを反映した感情、精神がいかに日本において普遍的であるかがわかる。こうした関係になるのは、鴎外がこれまでの作品同様、自分が描いている現象の真の姿をまったく理解できないままに無批判的に描いている内容が、批判的に理解するには瑣末ながら複雑な論理を必要とするからであろう。この作品自体は内容がまばらで単純であるが、その真の意味を明らかにするために、漱石は「三四郎」から「彼岸過迄」の作品を費やしている、ということである。そのために結論部分で両者が対立的に一致する。

 それと関連してわかる事であるが、鴎外がこの作品を未完の小説で終わりにしたかのように、鴎外伝という文章で付け加えているのは虚偽であり虚飾であろう。この文章によって多くの批評がだまされ、「青年」の未完成について論じているのではないかと思う。この作品を未完成としてその不十分を指摘することはこの作品の過大評価になる。この作品の内的な論理は完結している。それも、これまでの鴎外の思想的な発展をすべてを総括し投入した作品として完結している。だから鴎外にはこの先に付け加えるものは何もない。この時点までの自己をあまりにもきれいに完結し、自己を終息してしまったためにあえて付録を付け加える気になったのだろうと思う。

55.  鴎外と脚気 (002.7.2)

 鴎外は独逸留学から没年まで陸軍の軍医として脚気問題にかかわっていた。鴎外がこの問題で致命的な役割を果たした事はすでに知られている。簡単には、このサイトのリンク先の「近代文学研究会」(http://www.mars.dti.ne.jp/~akaki/index.html)でも紹介されている。
 2001年5月に出版された、「鴎外最大の悲劇」(坂内 正著 新潮選書)は、この問題を詳しく論じた優れた著書である。鴎外の「日本兵食論」なども綿密に読み込んで説得力のある分析をしているだけでなく、鴎外と脚気に関するこれまでの研究を総括的にまとめている。鴎外は木下杢太郎の「テエベス百門の大都」という言葉で評されるように、小説だけでなく、美学にも哲学にも造詣がふかく、官僚としても数々の業績を残したと評価されている。しかし、この著書とこれまでの研究によってその重要な一角が崩壊したと言える。
 脚気問題は実践的に重大な結果を引き起した。脚気対策をしていた海軍では日露戦争中の脚気患者は87名、死者は3名であった。陸軍では、脚気による死亡数を隠そうとしたらしく、正確な数字は分からないが、内輪にみて脚気患者は21万1600余名、脚気による死亡者27800余名、(175〜6頁)である。鴎外は鴎外らしく、死ぬまでこの事実を、また自分の主張の誤りを認めようとしなかった。

 この著書の第八章では、鴎外の歴史物語を高く評価している。まだ検討していないが、おそらくこのような評価は正しくないだろう。脚気問題や、鴎外流の論争のやり方については評価は確定しているといってよい。しかし、作品にたいする批判的な評価はまだ手つかずである。

54.  『青年』について (002.7.1)

「青年」というのは、金持ちの息子で語学が得意で純真無垢で作家志望の青年が、学生として都会に出て、作家と会ったり優秀な先輩と哲学談義をしたりするものの、どういうわけか小説を書く気にならない、しかし、苦悩の果てに作品を書く決意をするに至った、という話である。こう見る限りは青年の成長過程を描いた魅力的な作品に見える。できればそんな苦悩を経験して乗り越えてみたいと思うかもしれない。しかし、それはできない。普通の経験ではない。青年の苦悩というのは、金持ちで美人の未亡人に一目で気に入られ、霊のない関係に陥って、その関係を恥辱と感じ、真の生活ではないと感じながら、強い意志でそれを断ち切ることができない、という話である。こんな経験は努力しても得られるものではないし、努力してまでする必要がある経験でもない。こんな経験を通過したからといっていい作品が書けるわけではない。この作品を読むのは非常に退屈で、やっと今日読み終わることができても安堵感があるだけで大した充実が得られそうもない事でもそれがわかる。
 さて、グチを書いていても仕方がない。考えるべきこともある。これは苦悩であろうか。主観的には深刻な苦悩でありうるが内容が問題である。毎日テレビを見て、パチンコをして、食いたいものを食えるだけ食って寝たいだけ寝ている、これは恥ずべき生活である、これは真の生活ではない、というのは主観的には苦悩でありうるし、実際に真の生活ではないから、真実の苦悩でもある。しかし、こんな生活はできないのでこの苦悩は共有できない。青年を成長させる苦悩でもなさそうである。この生活は人を堕落させるし、この苦悩は精神を蝕む。こんな生活をした上に苦悩で粉飾するとなるとすでに根性が歪んでいる。
 反省し苦悩することは真面目さの証であろうか。一時の経験として、作家を目指して強い意志を持って都会に出たものの、そこで金持ちの未亡人に出会って魅了され、学友の期待も友情も裏切り、学生らしい生活のすべてをなげうって未亡人との情事にのめり込んでしまった、というのは不真面目で、関係の初めから懐疑的で、関係の間中反省し続けに反省して苦悩しほうだいに苦悩し、真の生活ではないと日記に書きまくるのが真面目であろうか。
 これは指摘しないわけにもいかない特徴なので指摘するだけの、であろうか、というほどの問題ではない。この問題と関わるし、この苦悩の質を理解する鍵になる重要な問題を別に含んでいて、それを理解するのは容易ではない。この作品は漱石の「三四郎」と競争するつもりで描かれて、実際に共通する問題を含んでいる。それは玩弄という感覚である。三四郎は美禰子との関係で自分が翻弄されていると感じる。「青年」の純一も坂井夫人との関係でこれを感じている。これも日本史が生み出した非常に重要な人間関係とそれを反映した心理である。無論漱石と鴎外ではこの心理をまったく違った次元で、違った内容で扱っている。この問題が理解できなければ「三四郎」も「青年」も理解できない。そして未亡人との情事にともなう苦悩をあたかも人類的な深刻な苦悩と受け取って、この苦悩を弄ぶとともにこの苦悩によって弄ばれる事になる。
53.  『浮雲』と『舞姫』の関係-8 (002.6.29) 

 鴎外は出世する豊太郎の精神的な価値、道徳的な価値を、出世に伴う利益によってではなく、出世によってエリスを残酷に犠牲にすることにおいて肯定する。ひどい虚偽である。そんなことで自己を肯定する必要はないだろうと思われる程に酷い自己肯定である。
 『舞姫』にはエリスが出世の犠牲になっているという視点はどこにもない。逆にエリスを犠牲にしたことにおいて、出世する豊太郎が、出世の犠牲になったという、なんとも奇妙な、なんとも偽善的な、なんともずうずうしい解釈がなされる。こうしたややこしい屁理屈は、豊太郎がエリスを犠牲にしていることを、実践的なはっきりした事実を、そうではないと言いくるめるための思想であるから、それがどのように発展しても虚偽であり偽善である。
 虚偽であり偽善であり、無知無能、であると言っても、それはさまざまである。田舎者らしい無知とか、中小企業の経営者らしい無知とか、教師らしい無知とか、主婦らしい無知などといろいろある。鴎外が記録しているのは、明治が生み出した、遅れた資本主義に特有の保守的なエリート官僚の無知無能である。それは現実についてあるいは自己についての無知である。単なる書物的な知識では鴎外は大量的であった。

 『浮雲』と『舞姫』の関係で書こうとしたのは地位の本質性であったが、直接には関係のない話になった。地位が本質的であるというのは、明治維新後に再構成されている地位に応じて、またその地位の対立に応じて江戸時代とはまったく違った精神が形成されているということである。日本人全体の精神はこの地位を反映した精神の相互関係の中で形成されていく。したがってその相互関係の構造を知るにはその地位に応じた精神を個別に明らかにしなければならず、その精神の相互関係をその後に明らかにしなければならない。ところが、地位の規定性と言っても、豊太郎が出世する人物であり、出世する地位に応じた地位を反映した精神を形成する、と言っても、そのことで豊太郎の精神の具体的な質が明らかになるわけではない。その地位がどのようなものかは日本史の特殊性による具体的な内容を持つのであるし、その特殊な日本的な地位が生み出す精神の個別相は地位との直接的な関係にはないからである。したがって証明はエリートの地位を反映した鴎外の作品の全体の分析によって保守的なエリートは日本ではどんな精神を持つのかを明らかにすることになる。そして鴎外のすべての作品の、その作品内部の個別の心理や行動は、それ自体として分析しなければならない。そして直接的な関係にないにしても、必然として鴎外の精神は保守的なエリートの精神の体系として一つのまとまりをなしているであろう、ということである。
 『舞姫』で言えば、豊太郎のすべての個別的な精神は、出世主義者の一変形、しかも日本的な一変形としてすべてを位置づける事ができる、ということである。しかし、それを明らかにするためには論理も要るし直感力も要る。屁理屈にまどわされないためには論理が要るし、豊太郎の俗物根性を直観的に感じ取る事ができなければ論理をいくら知っても屁理屈になる。
 結論としては、地位の規定性というのは最も抽象的な規定で、その具体的な内容は、これまでに批評が形成した、鴎外の精神の体系を新しく組み換えることでのみ示す事ができるということである。結論自体は大したものではないが、鴎外の作品に現れた具体的な精神を、明治が生み出した新しい社会構成の反映としてその構造を緻密に再構成していくのは興味深い。それは簡単にできる事ではないが、こうした問題意識に基づいて議論がなされれば、これまでの批評とは違った日本精神史を構成する事ができるし、論理と感性を駆使した厳しい議論が可能になると思う。

 52.  『浮雲』と『舞姫』の関係-7 (002.6.28)

 昇・豊太郎は現実の利害において優位にある。その優位とは、文三・お勢・エリスとの分離、つまり文三・お勢・エリスの没落との関係においてである。思想の力、認識の力とはこの分離過程の必然を認識することである。しかし、昇や豊太郎はこの分離過程の必然を認識することができない。没落する文三やお勢・エリスの肯定的な意義ないし、昇・豊太郎に対する優位を認識することができない。現実の利害関係において昇・豊太郎が圧倒的な優位にある場合には特にそうである。昇は自分に能力が有るから出世している、出世が能力を証明している、と自己を肯定する立場から社会関係を認識しており、したがって文三は敗北者であり無能である。文三の優位など問題にならず、敗北者としてのみ認識されている。豊太郎もこの点ではまったく同じである。自分の勝利を誇る意識が昇より弱いわけでもないし、その主張が少ないわけでもない。
 豊太郎が昇と違うのは、昇以上に広範に自己を肯定することである。エリス・文三・お勢を犠牲にすることをエリス・文三・お勢に対して道徳的に正当性だと主張する。文三・エリス・お勢を犠牲にすることを地位の優位として誇るのではなく、彼らを犠牲にする事自体の道徳的な正当性を主張し、自分に対する彼らの批判の権利を全的に否定する点で昇と違っている。昇は自分が勝者であることを確認して敗者を否定することに満足している。しかし、豊太郎はまず勝者となり、さらに勝者としての自分の人格的な価値を、敗者に認めさせようとする。
 昇が自分を勝者だと考えるのは一面的で現実認識において無能である。昇は人格的にも現実認識の能力においても文三に劣る。昇は文三の批判的認識を負け惜しみと考えるだけで問題にしない。しかし、豊太郎は、人格性や現実認識、思想においても自己の優位を主張し、自分に対する批判的な認識が間違っているとする。エリスを犠牲にすること自体を人格的だと解釈しようとる。自己肯定は昇よりも徹底しており、したがって昇よりも一層深刻な虚偽意識に到達する。それが具体的にどのような認識になるかは鴎外の作品の全体が証明している。官僚としての勝利と、現実認識・思想の力における敗北が作品の系列全体にはっきり刻印されている。

 51.  『浮雲』と『舞姫』の関係-6 (002.6.27)

 競争に勝ち残って出世する者と、(明治中期にはまだ資本も労働も広範に形成されていないために、出世の代表は官吏になる。漱石の「猫」には多々良君がでてくるが、それは日露戦争後の明治38年である)競争に負けて下層の世界に生きる者に分離する過程が明治維新以来進んでいる新しい社会の再編成過程であり、それを反映した新しい精神の形成過程を明治文学史は記録している。
 四迷は昇の精神を出世主義的な俗物として端的にいきいきと描いている。しかし、出世主義者に対する勧善懲悪的なお涙頂戴式の批判ではない。勧善懲悪と違って、「浮雲」では俗物である昇が勝利する。といっても本当はアプリオリに俗物である者が勝利するのではなくて、勝利する過程で、特に競争に負けていく者にとって、負けていく者との関係で俗物として形成されていくのであるが、それが現実の姿である。昇も豊太郎も江戸や幕末には存在しないできたての精神である。
 昇を俗物として批判する文三の価値観はお勢にもお政にも受け入れられず文三ないし文三の価値観は孤立する。しかし、日本近代文学の誕生を告げる四迷の天才は、昇の勝利を現実の姿として描いているものの、それが現実のすべてだとしているのではない。昇が勝利者であるのは、出世の地位と金の優位の元にお勢やお政や文三を犠牲にする力を持つということである。昇が勝利し文三が孤立するのは現象的な事実であり、この事実は現実の一側面にすぎない。昇を俗物として非常にうまく描く力量は、その対立物としての文三に、出世とは別の果実があることを理解し、その精神上の果実である「識認」(作品中の四迷の言葉)の能力を得ていることを描く事にある。現実認識の能力において文三が昇に対して優位にあることが示されている。昇や豊太郎の精神は出世に伴って俗物として自己を形成し、現実認識の能力を失う精神の形成過程でもある。
 四迷は勧善懲悪の逆を行って、悪や俗物が勝利する事をリアルとして描いているのではない。それはリアルでなく現実的でない。勧善懲悪とその逆である悪や俗物の勝利も現実の表面的な理解という意味では同等である。明治の新しい社会の形成過程で競争に負けていく世界に歴史的に新しく形成されつつある精神的な果実を深刻に描いたのは四迷の他には一葉だけで、観念小説や深刻小説はこうした能力をもたないために現実のリアルな描写ができなかった。
 四迷はこのような価値観において現実を描写したからこそ、その成果に満足できなかった。文三の「識認」は、お勢が昇の犠牲になり、自分が孤立して、しかも何ら対処できないことを必然として認識することであり、それに対する有効な現実的な対処を認識する事ができなかったからである。それが萌芽的にでも可能になるのは、労働者が運動を初め、社会的な勢力としての下層の力が表に現れはじめたときである。しかし、その時代でも下層の優位となる現実認識も、まして現実の力関係上の優位を形成する事も容易に実現できない課題であった。
 四迷が描いた日本史のこのような必然において、出世主義を肯定する鴎外のロマンチシズムが生ずる必然があり、またそのロマン主義の運命が四迷の描写した歴史的必然の正しさを証明する。

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