Memocho・・・・(〜50) (〜100)


113. 原理原則について (2011.01.14)

 認識においても実践においても原理原則に立ち返ることが重要である。こう言われるし、実際その通りであるが、それはもっとも難しい課題である。
 というのは、原理原則は、さまざまの分野における経験的な意識の総括として、つまり最先端の認識として形成されたものだからである。原理原則は前提として存在するものであるが、具体的な内容は最終的な成果としてのみ認識される。そのように理解される場合にのみ原理原則は有益である。前提として認識される場合は、教条になり、旧弊で窮屈なマニュアルになる。
 原理原則は、いわばピラミッドの頂点として形成されている。だから、その頂点に基づいて、その原理原則が適用されると見られる似たような対象について、さらには未だ認識されていない、まだ実践されていない対象についてもその原理原則を参照して認識し実践することができる。原理原則を導きの糸にすると、ある対象について初めから認識しはじめる労苦を短縮することができ、その成果として認識と実践をある深い段階からはじめることができる。
 原理原則が具体的な意味を持つことができるのは、成果としてのピラミッドの頂点を形式的に知識として知るだけでなく、そのすべての裾野についても理解している場合だけである。すべての裾野について理解している場合にのみ、原理原則は抽象的な純粋原理になっていくから形式的に見えるが実際は抽象化しているほど内容は複雑で深い。
 裾野についての理解がない場合には原理原則は形骸化した規則になる。その場合は、既成の概念に囚われないだとか、原理原則を破ることがより深い認識や実践を作り出すものと思われる。これは偶然的な思いつきの認識や実践になり、大抵はありきたりの平凡な認識や実践である。既成の概念を破ろうとする意識は、少し時間が経てば平凡な思いつきに過ぎないことが経験的に理解される。
 すべての裾野について理解していることが、抽象的な純粋な原理原則の理解である。このような理解に基づいてのみ、経験的な意識のもとであっても原理原則は合法則的に変化し発展していく。既成の概念に囚われない、という発想では原理原則の合法則的な変化は起こらない。
 論理学は、経験的な意識のすべてにおいて形成された普遍的な意識の普遍、つまり最終的な最深奥の普遍だけを研究する。そのために純粋学に見える。論理学は普遍の普遍を研究する学問である。だから、すべての存在の原理原則を研究することになるが、すべての存在の原理原則となると、それは不変の不動の永遠の原則になる。カントまでそう思われてきた。しかし、ヘーゲルがこの原理原則自体に運動を持ち込んだ。というより、原理原則、普遍性そのものが運動体でなければ論理の内容を規定できないことを発見した。しかし、ヘーゲルにおいてもなお論理学の課題、難問は普遍性自体の運動である。普遍性自体がどのように運動するかをヘーゲルは規定していない。
 経験的に言えば、原理原則に立ち返ることはもっとも重要で困難な課題である。原理原則は常に認識と実践の到達点であるとともに出発点である。出発点である、というのはこれに基づいて認識し実践するのであると同時に、認識と実践の発展とは原理原則の変化であり発展だからである。論理学はこの変化発展を一般的な法則として規定する。


112. 論理と直観 (10.12.09)

 論理と直感を対立的にイメージしている人は多いだろう。しかし、思惟のなかで論理はもっとも直観的な思惟である。というのは、論理は経験的な意識を飛躍的に超えたもっとも深い思惟であるから、すべての思惟が直観的であるとしても、日常的な思惟からもっとも離れた内容に飛躍しなければならないからである。日常的な、経験的な意識には手順があるが、論理的な思惟には手順はない。
 論理を直感と対立させるのは、論理を因果関係と考え、論理を手順だと考える経験的な意識から来るのではないかと思う。因果関係は重要なカテゴリーであるがカテゴリー全体のごく一部分であるから因果関係を論理的思惟の代表だとか典型だとすることはできない。思惟の内容を因果関係の形式で記述することはあっても、論理的な思考を因果関係によって進めていくことはできないものである。風が吹くと埃が立つ、埃が立つと目に入る、といった関係は、風が吹くことによる無限の現象のうちの一つである埃を結果として取り上げる。さらに埃が立つことに関連する無限の現象から目に入るというたったひとつの偶然的な現象を関連づけて結果とする。そうすると、因果関係の手順を踏むと、一つの因果関係自体は間違いではなくても、風が吹くと桶屋が儲かる、という意外な非現実的な結果に到達する。これは因果関係というカテゴリーの特徴である。つまり、因果関係は無限の諸現象のうちから、任意に二つの現象を取り上げて関係づけることであるから、たとえそれが客観的な関係であっても関係の全体を規定することは決してできないものであって、つねに原因と結果の関係は任意であり偶然的であり、したがって直観的である。
 論理はこのような単純な直観にしたがうわけではない。
 論理的な思惟が思惟の過程や記述の過程で因果関係の形式をとることがあっても、実際は常に複合的な複雑な関係を思惟しているから、AであるからBである、だからCである、という進行形式を表面的にとることがあっても、実際はそのような手順を踏んでいない。まず、A の次のB が何であるかは予めわかるわけではない。また、客観的にA-B-C-D-E-Fと飛躍しながら関連が続いていくとしても、非常に複雑な問題の場合は、こうした手順の中では、Aと関連するBは現実的関係として無限であるから、無限の中から選択されている。したがって、A自身が持つ無限の関係と、Bが持つ無限の関係の一つが全体との関連において選択されているから、この単純な選択形式においても非常な飛躍である。だから、AだからBという思惟はAとBだけの関係を思惟していることではありえない。
 A だからBだといってもA だからK である、と言っても同じことであるが、手順の形式として分かりやすいイメージで言えば、AだからBだからCだからDといった手順で思惟が進行することはなくて、どうしてもAだからDである、といった形式で飛躍的な結論が生まれる。この飛躍が大きいほど日常的な意識とはかけ離れており、ほとんど関連がないかのような飛躍がおこり、その間の関連はあとから考えることになる。
 もともとAとBの関係は予めわかっているわけではないからA からB へと手順を踏むなんてことは不可能である。結果からそのように見えるだけであるが、それについて考えてみると結果から見てもそのような手順が存在するわけではないことはわかる。
 もともと分かっているAとBの関係の手順は知識の手順であって、論理的思惟とは関係がない、というよりそれこそが論理的思惟と対立する思惟である。だから、どんな場合でもAと関係するB、あるいはAから展開して出てくるB は直接的な関係にはないものであって、予想できない結果としてB は生み出されてくる。それが論理的思惟の特徴である。AとBの関係が客観的でない場合にも、それは論理の進行によって修正される。いづれにしても、論理は直観的な飛躍によってのみ進展する。だから、直観的でない論理はありえない。直観的でない論理というのは知識の羅列である。


111. 階級性について (05.10.14)

 漱石の現実認識は、『野分』では、現実を社会と人格的個人の対立と見ており、『三四郎』では社会自体を三つに分ける方法に進化している。三つの世界は、ブルジョア世界とインテリ世界と下層世界である。これは現実自体の分化の過程を反映しており、インテリ世界が社会の中で孤立化していることを日露戦争後の多くの作品が描写している。この分化過程がどのように展開されるかは、現在の我々の現実認識の法則の過程と深く連関している。
 現実社会は階級的な矛盾の世界であり、われわれは現実社会を階級性において認識しなければならない。現在はそのように考える人は少ないであろうが、それも当然である。
 現実社会の階級的認識、階級的規定とはどのような意味をもつのか。資本主義社会は、資本家と小資本家と無産者で構成されている。これをさらに細かく分類しても構わない。現実社会の個々の諸特徴、精神の諸特徴を捕らえてこの分類の中に配分することができる。つまりこれこれの作品のこれこれの内容は資本家的であるとか、小資本家的であるとか、無産者的であるという具合に。これも有効な方法で、この方法で非常に成功したのは宮本顕治の「『敗北』の文学」である。当時は精神を階級的に規定する新しい方法として画期的であっただろう。
 このやり方は、例えば、倉庫に山積みにされたじゃがいもを、大、中、小に等級分けすることと同じである。等級が、じゃがいもを等級別にいれる箱が、あるいは階級規定がアプリオリに決まっており、この規定は動かない。このアプリオリな規定(なにが入るかは任意なので実際は無規定である)の中に現実社会の諸要素が分類されている。これも一つの特徴付けであるが、階級規定というのはこういうものではない。この方法は対象の具体的規定を廃棄するものであり、この方法による規定は退屈な繰り返しになる。結論は決まっているからである。だから、階級性がこのように理解されるかぎり階級性の規定は忘れ去られるべきである。
 階級性というカテゴリーはフランスのブルジョアイデオローグによって発見された。階級対立が未分化であったドイツの古典哲学にはこのカテゴリーは導入されなかった。認識論を高度に大系化したヘーゲルの「大論理学」は、もっとも単純な有にはじまって具体へと上向し、複雑な自己分化を経て絶対精神に至る。階級性のカテゴリーはこの最終章である絶対精神に位置すべきものである。最終章であるから、それは最終的に規定されるのであり、もっとも高度でもっとも具体的で豊かな規定であり、そこに至るまでは具体的規定が生み出されていないという意味で未規定である。階級規定は出発点ではなく到達点であり、規定は階級性から出発するのではなく、階級性に向かって進むものである。
 漱石や鴎外の作品内容も階級的に規定されねばならない。しかし、漱石の作品や鴎外の作品をいかに詳細に自己展開として規定しても、階級的な規定には至らない。ヘーゲルの到達した絶対精神は、ヘーゲルの言葉でいえば民族精神であり世界精神である。だから、日本文学史で言えば、四迷、一葉、漱石、鴎外、等々のすべての作品の相互関係であり、その相互関係はそれぞれの作品の自己展開の成果として発見されるものであり、その相互関係は理性の狡知(狡知の内容の説明はまた別の課題である)によって規定されている。文学史以外の精神形態も含めた全体の関係の基本的な構造を示すことが階級規定である。したがって日本文学史上の精神の階級性は未だ規定されていない。もちろん最終的な規定などありえないが、おおよその規定、日本の階級的な関係がどのようになっているの見取り図的な構造もまだ明らかではない。
 階級関係というのは、イギリスとドイツでは違っており、日本もまた独自であり、階級性の規定というのは、この独自性の規定である。だから外国の階級性の規定によって、あるいは規制のアプリオリな形式によって日本の個別精神を分類する事は出来ない。日本の階級性は、現実の諸関係としても精神の内容としても、日本に独自に形成されるものであり、その形成過程の認識そのものが階級規定であると同時に日本の現実の認識過程でもある。この意味でも階級性の規定は結果であり、出発点ではない。日本史は、明治以来資本主義的な階級関係を形成し具体化し続けている。それを反映した意識の発展が階級的な意識の発展である。そして、階級的な意識、現実認識の発展は、この階級的関係を明かにしようとする意識と隠蔽しようとする意識の対立として発展する。


110. 道也の痩せ我慢について (05.09.28)

 道也の覚悟、人格は、生活破綻者のそれであり、滑稽であり痩せ我慢である、と批評は言う。
 漱石はこう考えた。自分は滑稽で、道化で、痩せ我慢であると見られ、そう評価される。しかし、私はあえてそう評価される人生を選択する。金や権力を批判し世の中の堕落を憂えているばかりでは道学者である。地方の有力者と対立し、金と地位を失い生活破綻を覚悟することが批判意識の現実化である。単なる当為にとどまってはならず、理想を実践し現実化しなければならない。
 漱石はこのように主張しているから、道也を当為や空想的理想にとどまる非実践家として嘲笑することはできない。道也は理想家であると同時に実践的であり、空想家ではないという意味では、現実的である。
 だから、批評の言うように、道也の限界は、収入を失って生活が破綻することにあるように見える。道也の限界がどこにあるかを理解することは非常に難しい理論的課題である。漱石はすぐにそれを理解した。それが理解できるように道也は想定されている。道也は世の中に不満を持ち、世の中に理想を対置して満足しているのではなく、社会の実践的変革を目指していた。道也の覚悟と実践は、この視点から批判的に認識される。つまり、道也の理想と覚悟と実践は現実的ではないのではないか、現実と接触していないのではないか、ということである。地位と収入を失うことに意義を認める価値観と覚悟と実践は、なんら社会変革に関係してないという意味で非現実的である。理想を掲げるだけでなく、人は実践的な意志を持たねばならず、また現実に対して実践的に働きかけねばならない。実践が理想の真実である。しかし、道也の描写の結果として明かになるのは、どのような意志とどのような実践が現実と接触するかを問題にしなければならない、ということであり、さらに、掲げている理想が現実的であるかどうかを問題にしなければならず、さらに、現実に対立した理想を生み出したその現実認識が問い直されねばならない、ということであり、さらに全体的な批判的自己認識としては、このような非現実的な意志と実践を課題とする自己は、現実においてはどのような自己であるか、である。金と地位を失うことが金や権力と闘うことを意味するわけではなく、維新の志士の覚悟をもって実践的であることが現実に触れることになるわけでもない。だから、現実に触れるとはどういうことか、が『三四郎』から問われることになる。
 現実との関係、現実変革の方法を問題にしている道也・漱石に対して、収入が少なく生活が破綻することを限界とする批評は滑稽である。それは、芸術と現実の関係を、芸術と生活の関係にすり替え、さらに芸術と収入の関係であるかのように解釈しているからである。現実と芸術の関係についての批評の解釈は、明治以来の認識論的な問題意識の蓄積の結果であり、批評家自身はその流れの中に自然に身を任せているだけである。意識して滑稽を演じようとしているのではなく、認識論を一歩進めたと思っており、自分ではなく道也が滑稽であると信じている。
 
 道也が滑稽である、痩せ我慢である、という批評の批判と漱石の対立を超えることは、現実との接触をさらに複雑に理解する課題を含んでおり、それを漱石は『それから』で問題にする。無論、このことについても批評は意識しているわけではない。批評は自分がなにをやっているかまったく理解できずに漱石を批判しており、漱石はそうした批判とかかわりなく自分の精神の限界を認識し、批評の批判から遠ざかっていく。


109. 「夢十夜」 (5.05.09)

 これは、文章の練習のような軽くたわいない作品で、特に批評すべき内容はない。第十夜の次の文章は漱石らしくて面白い。
 
 「女といっしょに草の上を歩いて行くと、急に絶壁(きりぎし)の天辺へ出た。その時女が庄太郎に、ここから飛び込んで御覧なさいと云った。底を覗いて見 ると、切岸は見えるが底は見えない。庄太郎はまたパナマの帽子を脱いで再三辞退した。すると女が、もし思い切って飛び込まなければ、豚に舐められますが好 うござんすかと聞いた。」
 
 
 とりとめのない思いつきの文章世界は、批評にとっても自由に羽をのばしやすい世界であるらしい。有名な荒正人の批評をいくつか引用しておこう。
  
 「・・眼がつぶれるといふことはなにか特別の意味があるのではないか。精神分析学では、それは去勢の象徴と解釈されてゐる。では、眼のつぶれた子供とはなんであらうか。私はそれを、年老いた父親とみたい。生理的に去勢されてしまつてゐる父親である。」
 
 「このやうな探偵への倫理的批判の蔭には、むろん探偵への恐怖が潜んでゐる。そして、そのやうな心理の背後には長与又郎が解剖の結果述べてゐるやうな糖尿病との関係をもつ追跡狂のやうな異常の生理が存在するらしい。」
 
 「私はもはや最後の結論をだしてもいいやうに思ふ。漱石には母子相姦への秘かな願望があつたのではないか。母親への愛着としてこれは自然の帰結である。 徳富蘆花の幼年時代には、母親のからだのなかにもぐりこんでゆき、手きびしくはねつけられたことを魂の傷痕として一生反翻する事実が回想されてゐるが、む ろん漱石にはこのやうな記録はない。だが、私はほぼ確信を以てこのやうな願望が無意識下に潜んでゐて、そこから、探偵することへの希求と、それを罪悪とみ なrす意識との相剋が生じたのではないかと考へる。だが、漱石の場合、エディプス・コムプレックスは、きはめて変則的な形で定著したもののやうであり、そ のため分析を整然と行ふことは殆ど不可能である。だが、失はれた輪をいくつか想定すれば、このやうな秘められた願望の一端に辿りつくことは必ずしも不可能 の事ではあるまい。漱石における狂気、暗黒の部分と見倣されてゐるものに光りをあてるにはこれ以外に方法はないのではあるまいか。」
 
 こんな荒正人好みの憶測がながながと続いている。この批評は1953年12月に発表された。漱石の作品に荒正人の趣味を自由に投入したものであるが、個 人的な趣味であるばかりでなく、この時代の病気でもあろう。趣味や病気を批判する必要はない。現在でもこうした批評を楽しむ批評家や読者は多いであろう が、それもまた自由な趣味の世界の話であるから批判の対象ではない。


108. 「趣味の遺伝」 (5.05. )

(図書館に行く時間がないので、またのちほど)


107. 羞恥について (5.04.28)

  マルクスからルーゲヘ
                      D. ゆきの引船上にて 一八四三年三月
 私は今、オランダを旅しています。当地とフランスとの新聞から見るかぎりでは、ドイツは深く泥のなかへはまりこんでおり、今後もますますその状態はひど くなっていくことでしょう。国民的矜持など毛頭、感じていなくても、それでも国辱の想いが、オランダにいてさえ、せずにいられないのは請けあいです。もっ とも卑少なオランダ人ですら、もっとも偉大なドイツ人にくらべてはなお一個の公民なのです。そしてプロイセン政権についての外国人たちの判断ときたら! そこには驚くべき一致があり、もう誰一人、この体制とその単純明白な性質について思い違いをしているものはありません。ですから少しは新らしい学派は役に 立ったことは確かです。自由主義の虚飾は剥がれ落ちて、この上もなくいやらしい専制主義が赤裸々に万人の眼前に立っているのです。
 それはまた一つの啓示なのです。もっともこの啓示は逆のそれではありましょうが。それは私たちに少くとも私たちの愛国心の虚ろさ、私たちの国家制度の なってなさを知らしめて、私たちの面を覆わしめるような真理なのです。あなたはほほえみながら私を見つめて、お尋ねになる、それが何になる? 羞恥からは どんな革命もできやしない、と。私は答える、差恥はすでに一つの革命です。実際にそれは、一八一三年にフランス革命をやっつけたところのドイツの愛国心に たいする、その当のフランス革命の勝利なのです。羞恥は一種の怒り、己が内へ向けての怒りであります。そしてもしも一国民の全部が実際に恥じたとするなら ば、それは跳ばんがために身を引きしめる獅子でありましょう。この毒恥すらもドイツにはまだ存在せず、反対にこれらあわれな人々はまだ愛国者であること、 これを私はみとめます。しかし彼らからその愛国心を逐い出すものとして、新らしい騎士のこの笑うべき体制以外に他にどのような体制があるというのでしょう か? 私たちとともに上演される専制主義の喜劇が彼にとって危険であるのは、かつてステユワート家とプールボン家にとって悲劇がそうであったのと同然で す。そしてもしもかりにこの喜劇が長いあいだその正体を見破られなかったとしても、それでもそれはすでに一つの革命であるに違いありません。国家というも のは茶番劇にされるには厳粛すぎるものなのです。おそらく愚人どもの船(*)を相当ながい間、風にのって進むがままにさせておくことはできもしましょう が、それでも船はその宿命へむかっておし進んでいくことでしょう。愚人どもがそのことを信じないからこそそうなるのです。この宿命が私たちの目前にある革 命なのです。
  *フリードリヒ・ヴィルヘルム四世。
                (マルクス「ヘーゲル法哲学批判序論」国民文庫 233頁)


 小泉政権は、もともとバブル崩壊後の矛盾におされて、自民党に対する反撥から、自民党をぶち壊す、という断固とした意思表示に対する期待から生まれたも のである。矛盾が拡大したときに、右翼に現状の打開を期待すること、資本主義の発展にともなう矛盾に対して国民が反動的に振る舞うことは、自由民権運動以 来、経済の必然によって規定された伝統的な行動である。
 小泉政権が長期化するなかではっきりしてきたことは、侵略を肯定し、可能ならば軍事行動を起こす意志を持つ勢力があらゆる分野に巣くっていること、それ に対して批判的な意識が国民のなかにまったく育っていないことである。数匹見れば100匹いると言われるゴキブリを、小泉政権は日の光の下に誘い出した。 そして、彼等が表にでてきたにもかかわらず、そして、あらゆる恥知らずな行動をしているにもかかわらず、国民はその政権を支持している。これが日本の精神 の現状である。小泉政権のアジアに対する対応は、すべての国民の精神の投影として、自分の恥辱として認識されねばならない。そして、いかに国民の社会認 識、歴史認識が遅れ歪んでいたとしても、鏡に映った自己の姿を恥と思わざるを得なくなるまで小泉政権とその支持者は実践を続けるであろうし、1843年の ドイツより遥かに早い速度で発展している現在では、喜劇の破綻をも演じるに違いない。
 
 小泉政権は、日本と中国の、特に経済的な関係がもっとも深くなった時、そしてさらに深くなろうとしている時、その関係を阻止するための活動をしている。 日本の経済発展を犠牲にしてでも、日中の経済的関係の発展を阻止しようとしている。日中の経済関係の深まりは、侵略を肯定する連中の立場と対立している。 そして、その発展を阻止することができないからこそ、実質的な意味のない、精神を傷つけるだけの、小汚い遠吠えをくり返している。彼等のあらゆる恥知らず な行動にもかかわらず、日中の経済関係は深まるであろう。中国との関係は日本の経済的発展の必須の条件になりつつある。中国の市場を必要とするブルジョア と小泉政権は対立しており、残念ながら多くの国民がこの恥知らずな政権を支持し、市場を求めるブルジョアと対立している。小泉政権はブルジョアとの対立に よって崩壊するであろうが、それは国民全体の精神にとっては何ら解決ではない。小泉政権の実践を国民は自己の姿として羞恥をもって記憶しつづけなければな らない。
 
 今回の一連のアジアとの対立は、日本とアジアの関係がどのようなものであるか、日本の国民的な精神が世界史とどのような関係にあるか、国内的に言えば、 侵略を肯定する程の右翼的な精神とどのような関係にあるのか、彼等と本質的な対立を何ら形成できず、うやむやの内に妥協し、個人的に個別的に、侵略を否定 し、友好を肯定する良心のうちに安んじていたにすぎないことを示してくれた。ほとんどすべての国民は、マスコミを通じて、あるいは政府のパフォーマンスを 通じてアジアと接するだけである。このような精神をもって、直接個人として接する場合に、理性的な、先進的な、信頼できる、尊敬に値する人間として対処す ることは今のところ非常に困難である。アジアを蔑視し、アジアに対する優越感を感じることができるのぱ、国内だけであり、マスコミを通じての情報の中だけ である。そうした優越感には根拠がない。だから、石原都知事にも、小泉首相にもみられる、あのおどおどした、横柄であると共に臆病で小心な態度を捨て去る ことができず、自分の中にある孤立感と無力感を克服することはできないであろう。
 現政権の実践は、すべての国民の鏡である。それをよく感じ取り、深く認識し、それを自己と捕らえ、恥を知り、自己認識を深める契機としなければならな い。そして、小泉政権はその自覚を促すべく生まれた、国民の精神のレベルに応じた、もっとも効果的な政権である。「彼らからその愛国心を逐い出すものとし て、新らしい騎士のこの笑うべき体制以外に他にどのような体制があるというのでしょうか?」ということばを切実に現実的に理解するためにこれほど適切な政 権はないであろう。これが理性の狡智である。


106. 悪意について(2) (5.04.24)

 小泉首相は、実践的にはアジア諸国の精神を踏みにじりながら可能な限りの誠実さをもって謝罪をした。日本政府のこうした対応は、中国にとっては まったくの謎であろう。そして、対応の方法はないと感じているだろう。だから、専ら中国自身の利害だけを考えて行動している。日本の投資を必要としている 地方はいくらでもある。中国の経済的発展だけを優先的に考慮して、日本政府の考え方に反省を迫ることは不可能だとして対応し、その必然的な没落を待つのみ である。
 経済発展を優先して、反日活動を抑制する理性的な対応を日本政府とマスコミは、中国が誤った対応を反省したことであり、日本政府の対応の正しさの証明であると宣伝するであろうし、深刻なことにそう考えているであろうし、多くの国民がそう信じるであろう。
 
 この問題を漱石はすでに捕らえていた。漱石の主張や現実感覚はまったく理解されず、まったく予想外のしかたで解釈され、神経衰弱であるとまで解釈され る。漱石をそのように解釈する努力は百年後の今日まで続いている。漱石にとっては日本人の精神構造には謎と思えるものがあった。漱石は「虞美人草」で自分 と対立する正体不明の精神を「謎」と書いている。漱石にとってこれは実際に謎であったから、その正体が明らかでなかったから、それを「謎」とは書いたもの の、謎の必然性を描写することはできなかった。そのために、悪意を描いてしまった。
 
 しかし、謎であることをすでに捕らえていたために、甲野は具体的な対立が不可能であることを理解していた。そして、その謎が自己自身の必然において没落 することを予告した。しかし、漱石にとってそれは謎であったために、そんな自分勝手なことをしていれば、今に天罰が下るぞ、というのと同じ予告にすぎな かった。だから、藤尾の死と母親の反省は、それ自身の必然の結果ではなく、宗近の活動の結果としてもたらされた。宗近は必然を促進したのではなく、直接破 滅と反省の契機となっている。宗近の活動は、謎にたいする無知故の、その必然を認識できないがための無理な対応である。
 
 漱石は「明暗」でも津田にたいして小林に同じ予告を言わせている。そして、小林は津田のもとを去っていく。それは、漱石が津田の没落の必然を理解してい るからである。清子も津田のもとを去った。彼等には独自の生活と課題がある。津田は信頼関係のありえた関係から切り離されて着実に孤立している。しかし、 津田はその現実を理解しない。津田は小林との関係は必要ないと思っているし、清子との関係が完全に切れていることを理解しない。津田にとっては清子が去っ たことは謎である。清子の心と行動が謎である。清子が自分から離れていくことの理由が見いだせず、自分が切り捨てられるはずがない、思っているためにそれ が謎である。それは実際は清子の謎ではなく、自己自身の謎の投影である。その謎は清子によってではなく、自己自身の行動によって、自分と吉川夫人とお延と の関係によってあきらかにされる。津田は、吉川夫人とお延との対立関係のなかでうまく立ち回り、それができるのは自分が両者に信頼され、愛されているから だと思い、その両方の信頼と愛情に報いているのだと思い、自分の不誠実を理解することなく、自分に対する信頼を失わずにうまく立ち回ろうとすることによっ て信頼を失っていく。この運動の全体が、漱石が「虞美人草」で「謎」と呼んだ精神の正体である。


105. 『一夜』について (5.04.23)

 この「作品」については、「吾輩は猫である」の(六)で、越智東風君が解説している。新体詩の越智君が弁護していることからも、漱石がこの作品をどの程度に評価していたかがわかる。
 
 全くインスピレーションで書くので詩人はその他には何等の責任もないのです。註釈や訓義は学究のやる事で私共の方では頓と構いません。せんだっても私の 友人で送籍と云う男が一夜という短篇をかきましたが、誰が読んでも朦朧として取り留めがつかないので、当人に逢って篤と主意のあるところを糺して見たので すが、当人もそんな事は知らないよと云って取り合わないのです。全くその辺が詩人の特色かと思います」「詩人かも知れないが随分妙な男ですね」と主人が云 うと、迷亭が「馬鹿だよ」と単簡に送籍君を打ち留めた。(岩波・新書判全集・上 209頁)
 
 東風君の弁護の通り、この作品は「誰が読んでも朦朧として取り留めがつかない」し、漱石本人にも朦朧としており、その朦朧としたところを書いたものであ る。もったいぶって、気取っていて、高級趣味が高じて悪趣味に近づいて滑稽の域に達している。多弁だがイメージのはっきりしないだらだらした退屈な話であ る。
 漱石の精神は、まだ書斎的で書物的な趣味性が大きな比重を持っている。「吾輩は猫である」でも大きな位置を占めているが、同時にそれが諧謔のネタになっ ておりそれを否定する契機はすでに表に現れている。しかし、漱石はまだそれを本質的に克服するほどの精神を形成しておらず、批判的に見つつもその趣味を楽 しみ高度化する嗜好をもっている。この作品は、「吾輩は猫である」を書きつつ、その世界とは別の精神世界を高度の趣味性として形成しようとする努力である が、はっきり分化することができていない。気取ってはいるものの、迷亭や東風君の精神と大きな違いはない。これも自分の精神世界を広げようとする努力の一 つであるが、書斎世界から抜け出さない限り精神の大きな分化は望めない。この趣味的精神は「草枕」で最も高度に仕上げられた後、漱石の精神が書斎的書物的 世界から抜け出していくとともに、漱石のごく部分的な趣味性として残ることになる。


104. 『琴のそら音』について (5.04.20)

 この作品は、文章の小さなニュアンスで笑わせにかかっている作品で、面白がらせる下心が見え透いているが、少々抵抗しても笑わされる。真面目な 内容を書いているのではないが、「猫」と同じニュアンスを使った文章で、小さな風刺が効いている。細かな描写がいちいち面白くて、それが連続しているか ら、どこがどう面白いとも言えない。読めば誰でもわかる。
 描き方のことを言えば、作品の初めで気がつくことだが、法学者の「余」と心理学者の津田君はどちらがどちらか見分けがつかない。両方漱石で、両方面白 い。そう考えると、実は婆さんもこの二人に似ている。心理も言葉づかいもそっくりである。露子さんも似ている。床屋の源さんも将棋をさしている職人もみん な漱石に似ている。違うと断っているだけで違うようには描かれていない。
 大きく言えば、「虞美人草」までの作品の登場人物はみんな似ている。「虞美人草」の甲野さんと宗近はよく似ているし、彼等と藤尾と母親と孤堂と小夜子と 宗近の父親も、ともかくみんなよく似ている。さらに大きく言えば、「こころ」までの作品の登場人物はみんな漱石に似ていて、なかなか漱石から分離していな い。はっきり分離するのは「明暗」である。この点では、四迷と一葉の手際はすばらしい。それは、創作の技術ではなく、精神の在り方であり、高級インテリの 世界における精神の分化の発展とその認識が如何に困難であるかを物語っている。
 
 作品の終わりに狸の話がある。
 「狸が人を婆化すと云ひやすけれど、何で狸が婆化しやせう。ありやみんな催眠術でげす・・・」という文章があって、これだけでも可笑しい。話は下らない が続きも面白い。しかし、これは付け足しである。この付け足しに、西洋文化をむやみに崇めるのはたいへんよくないでげす、のようなことをさらに付け足して いる。これは興ざめである。軽い冗談の書きっぱなしではシメが効かないと思ったのかも知れないが、やはり余計である。全体として面白いし付け足しなのでそ れはそれで構わないが。
 
 まるで偶然的な話であるが、ちょうど、ディドロの「哲学者とある元帥夫人との対話」を読んだ。気のきいた、すばらしく面白い作品である。これをみると、 漱石の面白さはやはり、小手先の面白さに属しており、風刺が、あるいは現実認識が浅いことがわかる。だから、漱石ほどの才能があれば、こうした面白さを長 く書き続けることはできない。ディドロが漱石の面白さを損なう訳ではない。面白さにもいろいろの性格があることを知ることも漱石を理解するための参考にな るだろう。ディドロは社会の一般法則を問題にしており、漱石はインテリ世界の諸現象を個別に問題にしている。

103. 悪意について (5.04.19)

 中国に対する日本政府の対応は不誠実である。しかし、悪意はなく、不誠実は意識されていない。小泉首相は悪意を見せたことがないし悪意を持たないであろ う。常に誠実に不誠実を実践している。この伝統的な精神の在り方を鴎外はすでに実践していたし、漱石は批判的に取り組んでいた。これは非常に難しい問題 で、漱石でさえ「虞美人草」ではまだこれを捕らえきれていない。漱石は「虞美人草で」は、不誠実さや虚偽を意志として、悪意として描いた。その後、善意を 持ち誠実でありながら、人間関係を破壊する法則が存在することを綿密に研究した後、「明暗」で、誠実に不誠実を実践する精神の姿を捕らえた。あと二週間生 きたらこの不誠実の秘密を白日のもとに示すことができたであろう。死によってこの仕事は中断されたが、必然はすでに描かれている。しかし、その必然のもと に生きている多くの日本人にはこの必然は認識できない。

102. 『倫敦塔』について (5.04.17)

 倫敦塔の歴史は英国の歴史を煎じ詰めたものである。過去と云う怪しき物を蔽える戸帳が自ずと裂けて龕中の幽光を二十世紀の上に反射するものは倫 敦塔である。すべてを葬る時の流れが逆しまに戻って古代の一片が現代に漂い来れりとも見るべきは倫敦塔である。人の血、人の肉、人の罪が結晶して馬、車、 汽車の中に取り残されたるは倫敦塔である。(p6-岩波書店・新書判全集第三巻))
 
 この種の文体が漱石の好みで、この文体は「虞美人草」まで残る。表現が大げさで、内容はなく、思いつきを並べた言葉の遊びである。現実認識の具体的内容を含まない。
 作品は空想的な世界を描いている。空想的で現実離れしている点では、初期の啄木も同じである。いずれも自己に酔った甘ったるいところがある。ただ、漱石 のこの空想的な文章は啄木ほどに熱をもっておらず、冷やかである。鴎外のように甘く冷たいのではないが、啄木を思えば漱石のこの作品は鴎外の『うたかたの 記』に近い。漱石も鴎外もそれぞれ生活として多くを経験しているが、まだ書斎的で書物的である。啄木も労苦の多い貧しい生活をしているが、田舎育ちの貧し い青年の空想的世界を文書にしている。いづれも才能に満ちている。
 空想的でロマン的な精神は、若い鳥が地上から飛びたとうとして羽をばたつかせながら、すでに飛びたった気持ちになっているようなものである。経験的な世 界から飛翔していないだけでなく、経験的な世界のごく一部分を対象化しているにすぎない。その点では、現実にへばりついた、自己をも対象をも客観化できな い精神である。現実と主観の関係でいえば、主観が直接的に現実に規定されており、主観が客観的世界から独立的でない。
 空想的、あるいは非現実的である、という言葉は形式的な規定としてはこれらの作品を特徴づけることができる。しかし、現実と主観との関係を厳密に規定し ようとする場合は、空想的であることは非現実的であることを意味しない。空想的というのは、精神の形式を現すものであって、現実との関係を示すものではな い。これは、「現実的」という言葉の意味を知るための、部分的な、一つの要素である。


101. 『虞美人草』の意義 (5.02.21)

 漱石は下層世界への回帰の当為を持ち、それができないことを自覚している。漱石のエリートの地位は、下層世界との間に超えがたい深淵をうがった。それを超えることが漱石の当為であり、それを超えることができない、というのが、その当為の背後に形成されている深い現実認識である。この深い現実認識は、この当為のもとにのみ深化するのであって、こうした当為を持たない鴎外の現実認識は哀れむべき空虚を得ることになった。
 漱石は社会変革的な意志を持っていた。しかも、明治社会の発展をエリートインテリとして担うのではなく、エリートインテリでありながら、その発展のもとで苦しむ貧しい人々の立場による変革的な意志を持っていた。それは人生を掛けた全意志であり、そのことを漱石は『野分』で表現した。内的必然に基づいた漱石の真摯な意志は多くの成果をもたらした。その第一は、漱石が生活と人生のすべてを掛けた決意をしても、貧しい人々の立場の利益に一致することができないことの認識であった。たとえ、地位や名誉を拒否し、まったく望まず、貧しい生活を得たとしても、エリートであった漱石が貧しい立場に立つ精神を得ることは容易でなかった。『虞美人草』では、小夜子の立場に立つことがまったく不可能であることを漱石は理解した。
 漱石はこの決意の後、小夜子の立場に到達することのできないエリートインテリの、その必然の研究を課題にした。『こころ』まで続くこの研究によって漱石は、下層世界との間の深淵を埋めることが出来た。エリートの世界には、鴎外が実践的に示した空虚な精神世界が、その世界に対する道徳的な批判意識としても存在していることを発見した。道徳的な意識は、下層世界に接近するための意識ではなく、下層世界からもエリート世界からも自己を分離する孤立的な、そして没落を秘めた精神であり、それを克服した世界は、エリート世界と対立した、小林の世界として広がりつつある。それが漱石の眼には、はっきりと法則的に見え始めていた。
 漱石が『野分』と『虞美人草』を書いたのは、1907年である。1910年の『門』までの作品で、漱石は、『野分』『虞美人草』に描いた運命を外面的に見た運命として捕らえ直した。その上で、1914年の『こころ』までの作品で、特に道徳的な批判意識に焦点をあてて、精神の内的必然の展開を明らかにして、その没落の必然を確認した。そのすべての成果をもとに日本の現実を総合的に描写しようとしたのが1916年の『明暗』である。漱石は、この『明暗』の執筆中、19月9日に死んだ。
 
 それからわずか四年後、1922年1月に有島武郎の『宣言一つ』が発表された。その前年に『種蒔く人』が創刊されている。貧しい世界からエリート世界に吸い上げられていった多くのインテリにとって、そして、裕福な階級から供給されるインテリにとっても、下層との関係が、精神を形成する上での、歴史的な課題となっていた。それを、貧しい生活をもエリートの世界をも知っていた漱石は、日露戦争後の日本の歴史的な課題として捕らえていた。
 しかし、漱石のこの歴史的な意義はその後理解されなかった。漱石のこの課題をもっとも深刻に受け止めるべきプロレタリア文学の理論家もこれを理解しなかった。エリート世界の道徳的意識をもち、それを批判的に総括する労苦を経由することなく、西洋の知識を身につけたインテリが労働者の世界に入ってくるとき、どれほどの思想的混乱を持ち込むことであろう。漱石は、道徳的意識の矛盾の巣窟の正体を描いて見せた。漱石の意義を理解できず、否定することは、その道徳的意識の矛盾の巣窟をあらゆる世界に持ち込むことであり、善意によって地獄への道を敷きつめることである。
 戦後の高度成長期の批評家は、漱石のこの意義を否定することを課題としている。それは、安定したインテリの立場の擁護である。エリートインテリの立場と精神に危機を見いだした漱石を否定することが彼らの立場となったのは必然であり、漱石をそのように理解する以外になかった。そして、鴎外が肯定された。
 漱石が、自分の作品の理解を100年後に期待したのは正しかった。

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