9. 門
 『それから』までの作品では自己肯定的な意識が支配的で、その意識と対立した客観的な状況がその意識を否定していく過程が精神の発展過程であった。この作品からは自己の無力を意識した、自己否定的な意識が支配的、表面的な意識となり、その意識にによって形成される状況を反映した精神の獲得として、自己否定的な精神が発展している。『門』はこれまでの自己肯定的精神を払拭したことによる激しい矛盾のない、平穏で侘しい生活を描いている。ここではまだ自己否定的な精神による実践がさらに自己を否定するという激しい矛盾はまだ生まれていない。この作品は激しい矛盾を描く前の、漱石の力をためる時代の作品で『硝子戸の中』と同じ独特の魅力を持っている。こうした静かな作品の奥深い意味は、それまでの作品の激しい矛盾の終着点であり、次のステップへの出発点であることを理解して初めて深く味わうことができる。

 この作品には余裕のある生活から排除された宗助の平凡な生活が淡々と描かれている。代助の余裕を失った宗助は余裕を反映した非現実的な精神を解消している。代助のプチブル的な意識は彼の階級からの排除によって解消される。漱石はプチブル世界から排除されることで初めて獲得できる意識をこの作品に描写し、同時にその結論として自分が獲得し得る精神の歴史的限界も意識している。
 宗助は国家や文明や責任や愛等々についての抽象的な一般性に対する興味を失い、平凡な日常生活の中に沈潜している。代助が誇った書物や芸術に対する趣味的な興味も失っている。厳しい労働と乏しい収入によって余裕のある生活に生まれる趣味的な欲望や非現実的な精神が失われている。宗助は没落したことで初めて自分が東京を知らず孤立状態にあることを知った。しかも宗助はそれに伴う淋しさを解消する手段を持たないことをも意識している。この淋しさは非現実的な抽象的を振り回していた代助の幻想を廃棄した成果である。この作品では社会的孤立を粉飾するインテリの一般論を廃棄した、現実の個別的現象と直接一致する精神が肯定的に位置づけられている。
 宗助の生活は代助と違って「非精神的」である。宗助は仕事を生活のための義務、手段として果たしており、それ自体に積極的な価値を感じていない。宗助は自分の生活に精神的な意義を認める余裕がない。自分の積極性に対する幻想を失ったことが宗助の成果である。漱石は虚偽意識を解消した宗助に特有の落ち着きを描写しようとしている。それは初期作品の気負いを解消した漱石自身の精神でもある。
 初期作品の現象的な批判意識や道徳的意識は生活の余裕の反映であった。苦沙弥は成金を馬鹿にする学者風の無駄話をする以上の活動はできなかったし、甲野は日記をつけ、宗近はいらざるお節介をしただけである。代助は日本を憂いながら門野の沸かした風呂に入っていた。余裕のない宗助は自分にできること以上の善を意識しない。小六のために善を尽くすことが当為として掲げられず、その当為による葛藤も生まれない。当為は宗助が現実に可能な手段を尽くしていることで解消されている。宗助の生活の実情は小六にも理解できるから信頼関係が破壊されることはない。小六が宗助を情愛が薄いと評価するのは、彼が若く、就職を控えて一時的に不平を持ったためだと注意されている。
 社会問題に対するこれまでの関心も趣味性と同レベルに扱われている。宗助の社会的関心がどんなに現象的で傍観的であっても、余裕のあるインテリの好奇心より社会的事件と親密な関係にある。余裕がなく社会的変動の危機にさらされる生活をしている宗助にとって社会的事件は生活的な現実として彼の意識に反映される。余裕のある精神は社会的事件を精神的道楽の材料にするだけである。装飾的な意識を払拭した宗助の意識は社会的事件を深刻に受け入れる準備ができている。社会的事件と意識の一致が生活によるインテリ意識の解消の後に形成される現実的意識として予測されている。プチブル世界からの排除は意識の社会化の本質的な一過程である。
 「生活状態に相応した程度」の会話は深刻ではないし、生活状態とかけ離れたインテリの幻想とも違う。労働自体に充実はないが労働から逃れた平凡な日常生活に充実が生まれている。厳しい労働の成果である休日の充実は代助にはなかった。代助のアンニュイを克服するには一週間の厳しい労働が必要である。代助の教養も趣味性も孤立と無力の反映に過ぎない。余裕から生まれる無力で無内容な精神を廃棄するには余裕を廃棄しなければならない。この地味で積極的な形式を持たない生活がこれまでの精神の克服形態であることを理解することがこの作品の課題である。
 学生時代まで裕福に暮らしていた宗助は厳しい生活の中で過去を取り戻せないと確信させられている。過去の栄華は遠い思い出であり現在を左右する実践的な意識ではない。叔父の手にある自分の財産も苦しい生活の中で時折思い出されるだけである。財産に対する執着の解消は繰り返し描かれている。『こころ』に描かれる財産への執着による悲劇を宗助は免れている。現状の不満を現状の内部で解決しようとしているのであって、財産や地位を得ることは彼らにとって現実的な意味を持たなくなっている。
 宗助は財産と地位と未来を奪われた。諦めや忍耐はプチブルからの分離的意識であり、彼らの現状の肯定である。宗助は財産や地位に対する執着とその反映である社会的な積極性の幻想を解消している。どれほど貧しい生活をしていても、未来に対するプチブル的な希望がある限りプチブル意識を解消することはできない。未来の成功に対する期待によって現在の貧しさに耐えるのはもっとも強固で貧弱なプチブル意識である。未来に対する希望を失った宗助の意識はプチブル的な意識の解消という非常に重要な意義を持っている。積極的で現実的な意識を獲得するにはプチブル的な幻想を解消しなければならない。初期作品のあらゆる積極性の幻想を否定してきた漱石は現実的な積極性を獲得することが如何に困難であるかを意識している。
 苦沙弥は出世した鈴木に貧しさを選択した精神的余裕を対置していた。自分を出世の道から外れた失敗者と自覚するのが出世との現実的な分離的意識である。成功の可能性がないことを自分の運命として受け入れるには経験的なあるいは思想的な労苦を積み重ねなければならない。宗助の精神から成功の可能性が失われたこととその事実を宗助が意識化していることが繰り返し強調されている。
 宗助は小六が学校をやめ出世を断念することを破滅だと思わない。余裕のある生活を基準にすれば出世の可能性を失った生活は悲惨と考えられ、それを抜け出すための忠告や教訓が社会的な一般的価値を持つ思想と考えられる。それは『虞美人草』の宗近レベルの精神である。
 宗助は小六の幻想に対して冷淡なだけで、小六に冷淡ではない。夫婦は月々の収支を事細かに計算してできるだけの努力をしている。しかし全体として小六のためという意識は表面化しない。役にも立たない当為を掲げることを自分の価値とするのは現実的に無力で怠惰なインテリの特徴である。
 宗助の関心事は成功や一般性ではなく歯の治療代や靴の破れである。余裕のある生活に生まれる社会一般や道徳に関する一般的範疇に対する関心より生活上の必要に対する宗助の関心の方が現実的であり内容豊富である。この作品の課題はインテリの意識の社会性の幻想の廃棄である。論語を読んで思いつく下らない理屈より穴の開いた靴の方がはるかに具体的な社会的内容を持つことを漱石は意識している。それを理解することが芸術家や思想家にとって本質性への跳躍点である。芸術の名に値する作品ではインテリは社会で持つ役割に相当した位置に描かれている。日本の貧相な芸術はインテリ社会を社会全体として、あるいはインテリ意識を一般的意識として描いており、高度の社会的意識ないし批判意識とは社会性を抽象的当為として掲げることとされている。この作品の独特の落ち着きは貧しい生活に覆いかぶさっていたインテリ的偏見を払拭した成果である。
 宗助は自分の労働で得た金だけを頼りに生きており、それ以外の財産や人間関係に期待せず、現在の限定された生活に欲望を制限している。この欲望の現実化が消極性という形式を取るのは、宗助にまだ積極的な欲望が形成されていないからである。漱石は未来への新しい希望なしに古い希望を廃棄する淋しさを描いている。この感情は『吾輩は猫である』のラストと同様積極性を求める観点から現状を現状を否定的に評価する漱石に特有の批判意識である。
 宗助夫婦にとってインフレという社会現象が生活上直接的で深刻な関心になっている。小六にはまだこのような社会的意識が形成されていない。宗助の意識の現実性はこうした単純な事実によって特徴づけられる。こうした単純な事実とそれを反映した日常的な意識の現実性と重要性を理解するのはインテリにとって非常に困難である。漱石はこのような事実を宗助の心理の重要な要素として書き込む力量を得ている。
 宗助の生活には幸運より不幸の可能性の方が大きい。初期作品の人物は社会的変動に影響されず、影響も与え得ない生活の中で天下国家を論じていた。楽天的な初期作品の人物と違って宗助の生活は御米の病気や失職で脅かされている。それによってどんな危機にも日常的に対処する精神が形成される。しかし宗助の限界はいつも危機が迫るのを感じながら、その危機が偶然によって回避されることである。漱石には貧しい生活に生ずる恐ろしい悲劇を描くことはできない。漱石は貧しい人間が社会的変動に免れた宗助の生活を描写している。
 宗助は社会的な活動から孤立した生活をしており、孤立を自覚している。宗助の意識は排除されたことを受け入れているが、没落して得た新しい生活を肯定的に反映する意識をまだ獲得していない。彼らにとって余裕のある階級から排斥されることが社会全体からの排斥になる。彼らが現在位置している階級の内部で自分の積極的な役割を発見できないことが倦怠である。そして彼らはかつての階級に特有の不毛な精神を解消して得た夫婦の孤立的愛情に充実を感じると同時に古い道徳的な意識によって自分の生活を肯定的に位置づけている。
 財産関係を無視した恋愛は道徳的断罪の形式で非難される。彼等は現在の自分の生活を罪によって突き落とされた、未来を失った、社会に棄てられた人生と見ている。大学を自ら退学した事が人間らしい形式だと考える程上層の感覚を持っている。二人はかつて属した階級との関係を絶つ過程で非常に大きな苦しみを嘗めた。二人の苦しい経験は彼らが属していた階級の多くの精神を破壊した。しかし新しい積極的精神を獲得していない彼らにとって現在の生活は諦めであり、忍耐であり、静穏な生活は寂しさや孤独と同義である。彼らの孤立した生活には彼らの属した階級の本質的な特徴である道徳的意識が残っている。罪の意識は彼らの孤立した生活を肯定する保守的な意識である。新しい積極的な意識を獲得することで罪の意識を解消するには古い意識を解消する過程よりはるかに多くの労力と時間を必要とする。
 宗助は自分を、世間並みの、可能な成功をしなかった、する権利のない人間であるとして否定的に評価すると同時に現在の自分の生活をそれ自体によってではなく、安井に対する過去の罪の意識によって肯定している。安井を本来あり得た生活から自分と同等かいっそう困難な生活に追いやる一因となったことに罪を感じるのは、過去の安楽な生活を肯定する保守的な価値観である。侘しい生活に充実を感じることができるようになった彼らは罪の意識を忘れていた。しかし彼らは現在の生活の現実的結果を成果として享受しているものの、それは現状の諦観的な肯定であって積極的な生活による積極的な意識ではない。安井と宗助は互いに偶然的な契機となって新しい人生を獲得した。得るものは失ったものと同量である。安井ほど多くを失わなかった宗助は新たに得るものも安井ほどではなかった。侘しい生活に満足する能力を得た宗助の次の課題は積極的な生活と意識を獲得することである。その積極的な生活とは彼の侘しいながら安定した生活と意識からより厳しい安井の生活と意識に接近することである。
 宗助の生活は没落したとはいえ「冒険者」というほど不安定ではない。宗助は自分より厳しい生活をしている「冒険者」の生活を肯定的に認識できない。安井の生活を肯定的に評価できない場合に安井に対する罪の意識が残る。しかし宗助の罪の意識は安井のために行動する要因になるわけではないし、深刻な運命によって強靱で積極的な精神を形成する必要のある安井は宗助を責めることなく宗助に関係なく生きている。安井と関わりなく宗助の生活や価値観に対する危機意識が安井に対する罪の意識になる。宗助の生活にはインテリの下らない葛藤も積極的な矛盾もない。それが物足りなく侘しい。過去に対する罪の意識は現在の孤立した侘しい生活の弁護であると同時に積極性を求める観点による否定的な評価である。子供ができないことすら過去の罪にするのは過去にとっては濡れ衣である。過去が罪として現在に蘇るのは現在の生活のためであり、子供がないことは彼らの侘しい生活の結果として初めて侘しいものとして意識される。過去は現在において位置づけられる。
 宗助は平穏であるが瑣末な現象に動揺しなければならない自分の生活を、「如何にも弱くて落付かなくつて、不安で不定で、度胸がなさ過ぎて希知」だと意識している。宗助は現在の消極的生活を罪の意識で肯定することに満足せず、「心の実質が太くなる」ことを求めている。それは現在の消極的生活とそれを肯定する過去の価値観を解消することであり、積極的生活とそれを反映した新しい精神を獲得することである。安井と同じ運命をたどれば嫌でも「心の実質が太く」なる。しかし宗助の罪の意識を解消し道徳的意識を越えた新しい精神を獲得する歴史的な課題は漱石の能力の限界外にある。漱石のこの時期の課題は「心の実質が太く」なる精神を描写することではなく、道徳的意識の限界を越えられないことの苦しみを描写することである。
 ここで宗教が登場するのは、解決が簡単には見つからないことを示すためだけであり、それ自体に意味はない。山門に入ることは安井との接触を一時的に回避することであり、それは罪の意識を維持することである。寺で問題が解決しないこと、山門に入ることが一時的な逃避にすぎないことは宗助自身にも理解されている。不安にかられて多少の望みを抱いたがすでに積極性を求めている宗助はすぐに幻想を解消している。彼は世捨て人にはなれない。
 小説のタイトルになっているこの『門』は漱石と現実の関係を象徴している。宗助の精神が現実との積極的関係を形成するためにはこの『門』を越えねばならない。漱石はインテリの道徳的意識や一般的精神が主体と現実を結ぶ障害となっていることを理解した。さらにこの思想的限界を非実践的な論理だけで越えることができないことを理解した。漱石はその状態を「無能無力に鎖ざされた」状態だと厳しく断定している。漱石が経験し具体的に理解し得る精神は宗助以上の階級の生活である。漱石はその階級の精神の批判を徹底してきた結果それを越える積極的な精神を描くことができないことを理解した。漱石は自分の置かれた状況をこのように理解した上で、自分がこれまでに描いてきた世界を再び新しい視点で位置づけるという非常に困難な課題を得ている。通れない『門』に近づいた矛盾とは自分の限界を意識することが限界の克服であることを意味している。『門』を意識した漱石は初期の作品の思想に戻ることはできない。「彼は門を通る人ではなかった。又門を通らないで済む人でもなかった。」これが漱石の結論である。そしてこの後再び『門』に至る道のもっとも深刻な矛盾の展開を描写することを自分の使命とする。この『門』を通るのはプロレタリア文学である。その道を穿き清めたのが漱石である。プロレタリア文学もこの『門』の前に立つ漱石を理解しない限り、如何に困難な生活を経験していてもその生活の意義を認識することはできない。
 過去の偶発的事件は宗助のプチブル的幻想を払拭したが、それ以上の危機をこれまで回避でき、したがってそれ以上の意識を形成できなかった。積極的意識の獲得の観点から言えば宗助が安井に会えなかったのは不幸である。彼が安井に会う機会を得たなら、罪の意識は安井と関わりがないことが明らかになる。そして下らない悩みが一つ減るとともに、現実の葛藤に積極的に関与するための一つの経験を蓄積できる。それが経験的度胸である。この度胸を形成する機会を逃げて回る限り安井に限らず瑣末な問題に悩まされ続ける。しかし宗助が自分の力で困難を受入れ、積極的に対処し、自己内化することはできない。この度胸を形成する機会を逃げて回る生活が可能である限り誰でも逃げて回り、その結果として瑣末な問題に悩まされ続ける。安井から逃げて回るのは宗助の意識と関わりのない生活的な必然である。この種の思想的変革はプチブルの主体性によってではなく、現実社会の圧力によって強制的に遂行される。それは宗助が安井に会うか会わないかという偶然的、個人的な問題ではない。この種の思想的変革は現実社会の発展によってのみ遂行される、天の事、歴史の仕事である。宗助が逃げて回っても歴史は必然性によって彼を捉える。この必然性と一致することもこの必然性から逃れることも個人の自由にはならない。
 宗助は安井にも会わず、結局免職にもならなかった。月給が五円上がったことに宗助も御米も満足した。小六の問題も坂井の書生になることで片がついた。
 この結末は漱石の厳しい自己認識を表している。四迷は明治二十年に首になった文三から書き始めた。道也は免職になったのではなく、自ら職を退いたエリートである。免職にならずに終わる宗助が自分の限界であることを漱石は理解している。漱石は自分の階級性を含めた歴史的限界を受け入れる決意をしている。小康状態の限界内にいることが如何に苦痛であっても、それを現実として受け入れねばならない。現実との関係という価値観においてここに『門』があり通り抜けることはできない。漱石は再びこの観点からこの『門』の前にいるインテリ世界をその没落の法則において描写していく。これまでの作品はプチブル世界の矛盾を解消する方向に努力が傾けられた。これからは逆に、矛盾を激化する法則をこの世界内部で具体的に規定していく。それが漱石の度胸である。

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