芥川龍之介 1919年 大正08年    『毛利先生』 、『蜜柑』 


『毛利先生』

 芥川には、人間の惨めさを細かに拾い上げ、その惨めさを軽蔑し、同情する傾向がある。芥川が住む世界は実際にこのような精神がはびこっており、芥川にはそれが真実だと思えたのであろう。この傾向が、大正八年一月の『毛利先生』で少し変化を見せている。芥川はまずこれまでどおり、背が低くて、禿げ頭で、古色蒼然たるコートを着て、肉のたるんだ顔をして、家畜のような眼をしている、と毛利先生の惨めさをしつこく描いている。エリートである生徒は臨時教員の毛利先生を軽蔑し嘲笑している。しかし、これまでの作品と違って、第一のエピソードの終わりに「自分は実際その時でさえ、果してそれがほんとうの誤訳かどうか、確かな事は何一つわからずに威張っていたのである。」と自己に向かう批判意識を書き添えている。こうした視点から描いているために、惨めさの描写もこれまでのマニヤックで悪趣味な描写と違って、やや客観的な落ち着いた描写になっている。
 
 第二のエピソードでは、
 ■ 自分たちは丹波先生を囲んで、こんな愚にもつかない事を、四方からやかましく饒舌り立てた。ところがそれに釣りこまれたのか、自分たちの声が一しきり高くなると、丹波先生もいつか浮き浮きした声を出して、運動帽を指の先でまわしながら、
 「それよりかさ、あの帽子が古物だぜ――」と、思わず口へ出して云いかけた、丁度その時である。
 
 と、毛利先生の惨めさを笑うことを「愚にもつかない」と指摘し、その観点から「あの帽子が古物だぜ」と言った「丹波先生を、半ば本能的に憎み出した」と書いている。しかし、それは毛利先生に対する侮蔑を否定するものではない、と注意した上で、次の文章で締めくくっている。
 
 ■その山高帽子とその紫の襟飾(ネクタイ)と――自分は当時、むしろ、哂うべき対象として、一瞥の中に収めたこの光景が、なぜか今になって見ると、どうしてもまた忘れる事が出来ない。……
 
 毛利先生の肯定に一挙に進まないのは芥川の真面目さである。芥川は毛利先生との関係として生まれてきた新しい精神が何者であるかを、可能な限りの具体的な手順を踏んで理解しようとしている。抽象的な同情による肯定ではない、というのが主な関心である。惨めさを認め、その惨めさに同情する自分を超えようとする芥川の精神は、毛利先生の惨めさを他人事としてではなく、自分自身の問題、つまり自分の社会認識の特徴として捕らえはじめている。これまでの余りに単純であった精神が、まだ幼稚であるとはいえ一気に複雑になる可能性を持った事が分かる。可能性、というのは、この傾向を一歩一歩進めていくのは非常に難しい課題だからである。
 芥川は第三のエピソードでも毛利先生の惨めさを強調した上で、「が、この気の毒な光景も、当時の自分には徒に、先生の下等な教師根性を暴露したものとしか思われなかった。」と否定的な注意書きを添えて、さらに「が、その金切声の中に潜んでいる幾百万の悲惨な人間の声は、当時の自分たちの鼓膜を刺戟すべく、余りに深刻なものであった。」と反省をくわえている。芥川の書き方が大げさになるのは、毛利先生に関わる認識が芥川にとって重要な意味を持っていたからであると同時に、まだ抽象的な認識にとどまり、具体的な肯定を描く事ができないからである。悲惨さを強調することが毛利先生の人生の深い認識にはならない、ということをまだ芥川は理解していない。
 第四のエピソードは、七八年後の歳月が「自分」を変化させたことを書いている。偶然出会った毛利先生は変化していなかった。
 
 ■だから先生は夜毎に英語を教えると云うその興味に促されて、わざわざ独りこのカッフェへ一杯の珈琲を啜りに来る。勿論それはあの給仕頭などに、暇つぶしを以て目さるべき悠長な性質のものではない。まして昔、自分たちが、先生の誠意を疑って、生活のためと嘲ったのも、今となっては心から赤面のほかはない誤謬であった。思えばこの暇つぶしと云い生活のためと云う、世間の俗悪な解釈のために、我毛利先生はどんなにか苦しんだ事であろう。元よりそう云う苦しみの中にも、先生は絶えず悠然たる態度を示しながら、あの紫の襟飾(ネクタイ)とあの山高帽とに身を固めて、ドン・キホオテよりも勇ましく、不退転の訳読を続けて行った。しかし先生の眼の中には、それでもなお時として、先生の教授を受ける生徒たちの――恐らくは先生が面しているこの世間全体の――同情を哀願する閃きが、傷ましくも宿っていたではないか。
 
 芥川は、ゴーゴリの「外套」の精神を表面的にでも吸収して、毛利先生の人生は、エリートにとって笑うべきものであっても、「勇ましく、不退転の」真剣な人生であり、それを暇つぶしだとか生活のためと嘲笑するのは「俗悪な解釈」であり、「今となっては心から赤面のほかはない誤謬であった」という理解に達している。しかし、芥川の真剣な批判的自己認識にもかかわらず、なお毛利先生の中に、「同情を哀願する閃き」を見いだしており、毛利先生自身における自己肯定と、それに対応した同情の克服にいたっていない。惨めに見える毛利先生の生活についての解釈は間違いで、実際は、生きる態度として真剣で勇ましいものであるから、軽蔑すべきでない、というのは毛利先生の肯定的認識として抽象的である。毛利先生が世間の軽蔑にも関わらず、悠然として不退転であるとしても、それだけでは、軽蔑すべきでないという主張は説得力を持たない。芥川の毛利先生の生活の、つまりは毛利先生を軽蔑する自分の精神に対する批判意識がまだ具体化しておらず、批判的な自己認識がはじまったばかりである。
 芥川に毛利先生の人生の肯定的認識を求める事はできない。漱石でさえそれができないことを認識することが到達点であった。エリート以外の、毛利先生のような人生に対する軽蔑的な認識が誤っているという反省は、これまでに描いてきた芥川の精神世界に対する批判的視点の発見として意義をもっている。毛利先生を惨めな人生と解釈し同情する事は、自分自身の精神世界の惨めさと無力の対象化である、という批判的自己認識の芽生えである。この批判意識が発展するためには、毛利先生の人生が惨めであり、自分の精神世界は毛利先生より優位な立場にある、という現実認識を超えなければならない。芥川が毛利先生に同情を求める意識を描いている事は、芥川がこの限界を容易に超えられない事を示していると同時に、芥川がこの限界を直感的に意識していることをも示している。これが鴎外にはない芥川の真面目さである。
 毛利先生を具体的に肯定する事は芥川にはできない。ゴーゴリがはじまるところで芥川は終わる。惨めさを長く描いて、最後にそれを否定するのが芥川のこの段階の現実認識である。毛利先生の世界の肯定が具体的でないこの段階では、毛利先生を肯定する自己をも肯定する点に限界を持っている。自己を否定する抽象的反省を肯定することにおいて、なお自己肯定的であり、無批判的である。この抽象性を克服するのは非常に難しい。芥川はこれをどのように克服していくのだろうか



『蜜柑』

 私には、いいようのない疲労と倦怠があった。これは芥川の世界ではおなじみの気分である。これを十三四の小娘が癒してくれた、という話である。
 田舎者らしい小娘は垢じみた襟巻きをして、霜焼けの手をして、下品な顔だちをしていた。服装が不潔なのも、二等と三等の区別もわきまえない愚鈍な心も腹立たしかった。小娘についての否定的認識はこれまでの陰気でマニヤックな認識と違って、端的で真面目に否定的である。そして非常に大きな違いは、小娘に対する否定的な認識は、社会認識全体と結びつき自己認識と結びついている事である。
 
 ■ しかしその電燈の光に照らされた夕刊の紙面を見渡しても、やはり私の憂鬱を慰むべく、世間は余りに平凡な出来事ばかりで持ち切っていた。講和問題、新婦新郎、涜職事件、死亡広告――私は隧道へはいった一瞬間、汽車の走っている方向が逆になったような錯覚を感じながら、それらの索漠とした記事から記事へ殆機械的に眼を通した。が、その間も勿論あの小娘が、あたかも卑俗な現実を人間にしたような面持ちで、私の前に坐っている事を絶えず意識せずにはいられなかった。この隧道の中の汽車と、この田舎者の小娘と、そうして又この平凡な記事に埋っている夕刊と、――これが象徴でなくて何であろう。不可解な、下等な、退屈な人生の象徴でなくて何であろう。私は一切がくだらなくなって、読みかけた夕刊を抛り出すと、又窓枠に頭を靠せながら、死んだように眼をつぶって、うつらうつらし始めた。
 
 私は、世間を平凡として卑俗として見下している。卑俗で平凡な世間を見下す人生もまた、不可解な、下等な、退屈な人生である。世間の平凡とその平凡を見下す自分の退屈な人生をこの小娘が代表しているとした上で、芥川は、さらに同情を交えながらの嫌悪と冷酷な感情を描いている。この端的な否定的認識は芥川の社会認識の全体であり、芥川はこの小娘によって、この社会認識の全体をひっくり返すことを作品の主題としている。だから、否定的描写は、臆病でも用心深くもなく、端的で真面目で、読みやすい。
 『蜜柑』の社会認識は『毛利先生』からやや踏み込んでいる。芥川がこれまで書いてきた作品には積極的精神が見当たらない。積極的精神の欠如は社会の真実ではない。それは芥川の世界にないが毛利先生や小娘の世界にはある。それが何かはわからないにしても、そこに積極的精神があり、積極的精神が見いだされないのは芥川の世界の特徴であることはわかる。現実の全体は広く深く展開しており、その展開の中で芥川の精神世界は孤立し社会的な意義を失っている。それを漱石は法則的に明かにした。芥川はそれを個別的、経験的に認識している。
 
 ■ 暮色を帯びた町はずれの踏切りと、小鳥のように声を挙げた三人の子供たちと、そうしてその上に乱落する鮮な蜜柑の色と――すべては汽車の窓の外に、瞬く暇もなく通り過ぎた。が、私の心の上には、切ない程はっきりと、この光景が焼きつけられた。そうしてそこから、或得体の知れない朗な心もちが湧き上って来るのを意識した。私は昂然と頭を挙げて、まるで別人を見るようにあの小娘を注視した。小娘は何時かもう私の前の席に返って、相不変皸だらけの頬を萌黄色の毛糸の襟巻に埋めながら、大きな風呂敷包みを抱えた手に、しっかりと三等切符を握っている。…………
 私はこの時始めて、云いようのない疲労と倦怠とを、そうして又不可解な、下等な、退屈な人生を僅に忘れる事が出来たのである。
 
 芥川は小娘と三人の子供たちの深い人間関係を経験したことに満足している。それはこの段落の冒頭の甘い文章にも、最後の感傷的な文章にもよく出ている。そして、「云いようのない疲労と倦怠とを、そうして又不可解な、下等な、退屈な人生を僅に忘れる事が出来たのである。」という文章には、退屈な人生を克服する労苦を課題とするのではなく、偶然的に、一時的に忘れることへの満足が出ている。批判意識としては、退屈な人生を忘れるのではなく、改めて深く感じ取り認識しなければならない。そうした批判意識はまだ生まれていない。しかし、、偶然的で瞬間的で経験的であっても、芥川の精神世界が現実世界の一部分であり、それを現実とし真実とする事は出来ない、という意識は得られたであろう。
 
 芥川が描写している「得たいの知れない朗らかな心もち」に満足することは、芥川の「不可解な、下等な、退屈な人生」にとどまる事である。この限界を超えるとはどのようなことであろうか。
 芥川は、この作品で鴎外の世界と内部的に対立しはじめている。鴎外も芥川も下層の小娘に対して軽蔑的である。鴎外は下層の人間を軽蔑することによって自己を肯定する。下層の人間に対する優位を確認するのが鴎外の自己肯定的社会認識である。後期には同情を否定し、軽蔑する自己をはっきり描く事によってますます精神は貧困になっていった。
 『蜜柑』は、まず小娘や世間に対する軽蔑を自分の中に見いだし、それを世間一般に拡大し、それを否定する事を作品の内容にしている。小娘や世間を軽蔑する点で芥川と鴎外は同じであるが、それを徹底するのではなく、軽蔑する自己に対する批判に向かう点で芥川は鴎外と違う。そしてそれを徹底できないところが漱石と違う。
 この青年が、例えば自分の貧しい時代を思い出して小娘に好意を持つところから出発するならば、蜜柑を蒔く場面との落差は小さくなるが、そこでの心情はもっと深くなるだろう。最初の否定的な印象が強いほど、それを否定する感情はよりさわやかである。しかし、そのさわやかさは深くなく、偶然的で瞬間的である。否定から出発して、この一瞬のさわやかさに満足を感じるのが芥川の到達点である。この到達点での自己肯定的な感情は、小娘との分離を確定し、鴎外の世界にとどまる限界点でもある。芥川、鴎外、漱石の世界は、小娘の世界と分離している。鴎外はこの分離の上で自分の優位を確定しようとする。漱石は小娘の世界との一致を当為として掲げ一致を実現する。芥川はその中間である。
 
 漱石は小娘に同情するだけでなく、社会変革においてこうした小娘の生活一般を救済すべきだと考えていた。鴎外の同情は自分の優位の確認であるから救済する意志を持たない。芥川は感動するのみである。漱石は小娘の救済の視点からの社会変革を掲げた後、自分の立場と精神ではそれが不可能である事を理解する。そして、小娘の世界に対する同情も、彼女等を救う当為も間違った現実認識である事を認識する。それは、小娘の世界と自分の世界の力関係の認識の逆転であり、小娘の世界の優位の認識である。漱石は『三四郎』で、汽車に乗り合わせた若い女に、「度胸がない」と、三四郎を批判させた。それは、三四郎がまだ自己認識として到達しておらず、漱石が到達する事のできた三四郎の特徴の認識である。三四郎を本質的に否定することができるのは、美禰子でも広田先生でもなく、汽車で乗り合わせた女だけである。それが漱石の現実認識である。
 芥川の『蜜柑』にはインテリの青年と貧しい小娘が汽車で遭遇する。現象としては『三四郎』と似た関係が描写されている。青年の世界には、平凡な生活に対する平凡な軽蔑がある。小娘の世界には積極的な人間関係がある。深い感情がある。それが対比されている。しかし、小娘は、見た目と違った優しい感情を持つ女として描かれているだけで、それ以上の関係はなく、青年に「度胸がない」と指摘する独立的な女ではない。そんな意識をもつ小娘を芥川は想定できず、小娘と青年の関係をそのようなものとして想定する事は出来ない。小娘と青年との関係では、青年の精神世界が圧倒的な優位にあり、青年の能力はこの小娘の中に肯定的精神を一瞬の輝きとして発見する事だけである。この発見は、世間に下らない精神だけを詮索し、さらには鴎外の様にそれを肯定し弁明し糊塗することから見れば大いに積極的である。しかし、本来の困難は、小娘の中に発見した肯定的精神を、自分の退屈な世界の批判的視点として発展させる事にある。小娘の精神の輝きが芥川の精神にとってどれほどの意味を持ってくるかがこれからの課題である。
 漱石は、小娘の視点からのインテリ階級の批判を『三四郎』からはっきり意識している。芥川は自分の世界の価値観において小娘の世界を肯定しており、小娘の世界自体を肯定して、その視点から社会と自己を批判的に認識する視点を得ているわけではない。芥川と比較すれば、『三四郎』で汽車の女を描いた漱石がいかに徹底した批判意識を持っていたかがわかる。汽車の女を生み出した漱石であるからこそ、『こころ』をも『明暗』をも描く事ができた。芥川は『蜜柑』を書くことができても、それを出発点とする事はできず、この到達点での抽象的な批判意識にとどまる。『蜜柑』の経験的現象の中に何が隠されているかを認識するには四迷や一葉や漱石の天才を必要とする。
 この作品を読む時、この一瞬のさわやかさを、どのような内容として、どのようなさわやかさとして感受するかは、社会認識の深さに関わっている。小娘に対する青年の優位と善意に感動する場合は、作品を理解できないし、四迷、一葉、漱石を理解することができず、インテリ好みの軽いさわやかな読み物となる。この作品はそのように読まれやすい。この作品は、実際は小娘を軽蔑する自分に対する軽蔑が描かれているために、小娘が否定的に描写されながら否定的な印象を受けないように描かれている。作品の前半から自己否定的な描写があり、その描写が小娘の否定的な描きかたを客観化している。この自己否定的な意識がなくて同情が前面に出る場合は通俗小説になる。このように読み方に大きな違いが生ずるのは、芥川がこの現象に含まれている内容をはっきり意識して描いていないからである。
 インテリ的精神世界が退屈であるという芥川の批判意識は、そのものとして抽象的に肯定されると通俗的になり、より発展し具体化する場合にのみ高度の社会認識になる。この作品は通俗小説としても芸術作品としても読まれ得る微妙な分岐点上にある。そのために、感動的であるとともに、感動の甘さに物足りない印象を受けることにもなる。この作品に感動すると共に、その感動に浸ることには違和感を覚える読者も多いだろう。それがこの作品の特徴である。



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