『野分』メモ


◇道也の基本的な特徴は、主体性の喪失を新しい主体性を得る過程として意識的に選択する事である。主体性の真実は社会との関係である。実践的な社会とのかかわりによって主体性の無力を知ることが道也の主体性の形成過程である。中間的な生活の幻想を打ち破るこの過程が日本における典型的な歴史的主体性の姿である。

◇社会変革的な意志は、エリート世界に矛盾を持ち込む契機であり、矛盾を生み出したあと、その矛盾の認識を課題にすることで、この意志は放棄され消失する。そして、客観的法則の優位において客観と自己を再認識することが課題になる。エリート世界での自己変革と現実認識が本来の課題である。

◇道也の禁欲主義的な覚悟は、草枕のインテリ的な趣味性を超えるための契機として限定されていることに意義がある。それは、インテリ的な趣味的精神との分離の端緒を発見するための、日本史的に合理的で必然的な契機である。だから、草枕の趣味性を超える意義を漱石は確信していたであろう。この飛躍において小説家になる覚悟ができたであろう。実際この覚悟は多くの果実を得ている。














■鴎外

◇ 漱石が金持ちと対立して貧しさを選択する決意を示すのは、鴎外が貧しさとの対比でエリート性を誇ることと似ている。日本のエリートは、貧しい人間との関係によって自分の精神を弁明しなければならない。エリートインテリの立場を貧しい人間との対立において肯定するのが鴎外の人格である。貧しい世界との一致を目的として、自己を批判的に認識するのが漱石の人格である。これはエリート内部の思想的対立である。

◇ 漱石の『野分』(M40.1)と鴎外の「半日」(M.42.3)は、学識のある人格的な夫と、見識のない妻との対立という、エリート世界での家庭生活を描いている。
 それぞれの夫の人格は、金と地位に執着し依存する鴎外の人格と、金と地位に依存せず執着しない覚悟をしている漱石の人格、という違いがある。いづれもエリート的な人格である。
 鴎外の人格の力は、地位と財産である。高山博士は、地位と財産の力によって妻の人格を容赦なく否定している。漱石の人格の力は、地位と財産を失う能力である。道也は、妻に見識が思っているが、妻は、道也に見識と能力がないために職を失った、と思っている。道也は、妻の人格を否定できない地位にいる。道也と妻の関係は同等であり、矛盾の展開を含んでいる。高山博士は一方的に妻を否定できる立場にあり、矛盾は展開の力を失っている。地位と財産に押しつぶされた精神世界である。






■批評








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