「三四郎」ノート (6) (7) (8)  (9)  (10)



 『三四郎』  (二)

 漱石は(二)の冒頭で「三四郎が東京で驚いたものはたくさんある。」と書き、驚いたものを羅列している。三四郎はすべての現象に驚きをもって接している。漱石は、社会の全てを見るのではなく、視野を東京に限定して現実の姿を見直そうとしている。東京に電車があること、人が多いこと、広いこと、大きく動いていること、こうした表面的な現象を驚きとともに再認識している。漱石は、驚いた、をもう一度繰り返し次のように書いている。
 
 ■三四郎はまったく驚いた。要するに普通のいなか者がはじめて都のまん中に立って驚くと同じ程度に、また同じ性質において大いに驚いてしまった。今までの学問はこの驚きを予防するうえにおいて、売薬ほどの効能もなかった。三四郎の自信はこの驚きとともに四割がた減却した。不愉快でたまらない。
 
 三四郎の驚きは、田舎者が見慣れぬ現実を見た驚きではない。東京の現実と「今までの学問」の内容を関係づけるのは漱石の独自の現実認識である。田舎から出てきた与次郎も野々宮も、初めて東京に出てきたときに三四郎と同じ驚きを感じたのではないだろう。
 東京の現実の平凡な現象は、『野分』の道也の道徳的な現実認識や、甲野の文明批判的な現実認識の克服としての新たな現実認識である。道也の道徳的批判意識や甲野の文明批判的な意識からはこれらの現象は見えていなかった。見えていても意義が認識されておらず、認識する必要を認めていなかった。抽象的な現実認識を経由し、その克服という視点を持つとき、こうした平凡な現象が驚きの目を持って眺められ、新たな位置づけを得ることができる。金や地位に従属し、あるいは華美を求める軽薄な精神とその活動にのみ気を取られていた漱石は、改めて東京には広く多く動く現実が広がっていることを再認識し、それは、道也や甲野の視界に見えていた世界より遥かに広く深い世界であることを理解している。漱石にとって、東京が広いこと、人が多いこと、動いていること、電車の音がうるさいことを知ることは、文明が堕落していることを知るよりも高度の現実認識である。この現実は、道也や甲野の批判意識を超えることによって見えてくる新しい現象であり、その現実の新しさの意味は、漱石がもっていた批判意識の背後に、それを規定する動く現実として存在することである。三四郎の驚きは田舎者の素朴な驚きではなく、『野分』・『虞美人草』を書いた漱石の、現実認識の方法的な驚きである。
 漱石は、さらに次のように続けている。
 
 ■この劇烈な活動そのものがとりもなおさず現実世界だとすると、自分が今日までの生活は現実世界に毫も接触していないことになる。洞が峠で昼寝をしたと同然である。それではきょうかぎり昼寝をやめて、活動の割り前が払えるかというと、それは困難である。自分は今活動の中心に立っている。けれども自分はただ自分の左右前後に起こる活動を見なければならない地位に置きかえられたというまでで、学生としての生活は以前と変るわけはない。世界はかように動揺する。自分はこの動揺を見ている。けれどもそれに加わることはできない。自分の世界と現実の世界は、一つ平面に並んでおりながら、どこも接触していない。そうして現実の世界は、かように動揺して、自分を置き去りにして行ってしまう。はなはだ不安である。
 
 これは素朴な田舎の青年にしてはあまりにも抽象的な認識論である。現実との変革的な接触を確信していた『野分』・『虞美人草』の作品の総括としてはじめて生まれる現実認識である。現実が激烈な活動であり、自分が現実に接触しておらずに、洞が峠で昼寝をしたと同然である、というのは、『野分』の道也からの百八十度度の転回である。道也は、世間のすべてが堕落し、洞が峠で昼寝をしており、その世間の全体を覚醒し動かすのが自分の使命であると考えていた。しかし、三四郎の現実認識は逆である。活動しているのは現実である。現実が活動していることが認識され、同時に、その中でエリートになりつつある三四郎は、まだその活動の中に入っておらず、その活動から離れていることが厳しく認識されている。三四郎は不安である。それは、活動する現実が自分を置き去りにしてしまうのではないか、自分はその中で積極的な役割を果たすことができるのかどうかを意識しているからである。
 
 現実が堕落し、華美な生活に浮かれているのであれば、禁欲的な覚悟を決めた道也が現実に対して優位にあり、それを変革する責務と能力を持っているように見える。しかし、激烈な活動する現実に向き合うとなると、禁欲的な道徳的意識によって、その現実を啓蒙し変革することはできない。だから、事実は逆で、現実の活動から離れたところにいたために、現実の世界から置き去りにされる立場にいたために、現実が堕落して浮ついて見えていたのである。活動的な現実に接していない結果として、現実に接していない現実認識を得ていた。現実の活動の直中にいながら認識できていなかったが、今よそうやくその活動を見ることができるようになった。道徳的批判意識は現実を主導し改革する精神ではなく、現実に置き去りにされている精神であることを認識したことが、漱石の得た新たな主体性である。重要なことは、この主体性は、『野分』の道也の決意に満ちた主体性の幻想を経由してのみ得られていることである。道也の決意と幻想はこうした認識を生み出す内容を持った主体であった。
 このあと漱石は、田舎の母親の手紙を紹介している。手紙は、生活臭と愛情に満ちているが、東京の活動を目の前にすると遠い世界である。「三四郎が接しているとしたらこの世界である」と漱石は書いている。しかし、漱石にとっては、したがってまた三四郎にとっても、この世界こそもっとも遠い、接触のない世界である。
 漱石は、ここまで『野分』・『虞美人草』を経由して得た現実認識の転回について抽象的な反省を書いた後、その気分によって三四郎が目にする現実を迫らない鷹揚な気分で、新たに見直す新鮮な意識をもって描いている。現象について狭い批判的な位置づけをしないのが新しい現実認識であり、しかも批判意識に特有の現実を捕らえている。
 野々宮の生活についても三四郎は驚いている。
 
 ■三四郎は大いに驚いた。驚くとともに光線にどんな圧力があって、その圧力がどんな役に立つんだか、まったく要領を得るに苦しんだ。

 野々宮は甲野に似ている。三四郎にとって野々宮の生活は、見たことのない新しい生活である。その意味で驚いている。漱石にとって野々宮の生活に三四郎が驚くことは新鮮であっただろう。三四郎は野々宮の質素な生活を高く評価しているわけではない。それが『野分』を経由した漱石の新しい現実認識である。それは他と比較する必要のない独自の平凡な生活である。野々宮の地味な研究生活は道徳的に意義を持つのではなくて、「西洋の歴史にあらわれた三百年の活動を四十年で繰り返している」中の一つである。野々宮の描写には禁欲的な価値観はまったく見られない。三四郎は野々宮が地味な生活をしていることを知るだけで、その生活の意義を理解することはできない。野々宮の活動を特別にに高く評価するのは、この作品では美禰子の現実認識である。それは小野を高く評価する藤尾を継承している。こうした三四郎の眼に、漱石が得た自由な精神が見える。
 三四郎は、野々宮は質素な服装をして研究に専念しているから偉い、と思うが、同時に批判的にそれでは現実世界と接触していない、とも思う。漱石はむしろ野々宮の生き方を、例えば批評家が道也を評価する場合のように、表面的に批判的な視点を描いている。人格性ではなく、現実との接触が人物評価の新しい価値基準である。そして、野々宮が現実世界と接触していないというのは、三四郎の二重の無知であることが書き込まれている。一つは野々宮の研究と現実世界とのかかわりであり、いま一つは、野々宮がこうした専念にもかかわらず、三四郎がこれから経験する人間関係とすでに深い関係をもっていることである。
 野々宮の生き方をも研究をも、「現実世界との接触」という側面から認識するのは抽象的で奥深い関心であり、評価が非常に複雑にからんでいる。漱石は、その複雑さを現実の自然的な現象についても人間関係についてもうまく描写している。『野分』・『虞美人草』を経由することで、現実と主観の接触という問題意識が非常に深く理解されている。
 
 ■三四郎がじっとして池の面を見つめていると、大きな木が、幾本となく水の底に映って、そのまた底に青い空が見える。三四郎はこの時電車よりも、東京よりも、日本よりも、遠くかつはるかな心持ちがした。しかししばらくすると、その心持ちのうちに薄雲のような寂しさがいちめんに広がってきた。そうして、野々宮君の穴倉にはいって、たった一人ですわっているかと思われるほどな寂寞を覚えた。熊本の高等学校にいる時分もこれより静かな竜田山に上ったり、月見草ばかりはえている運動場に寝たりして、まったく世の中を忘れた気になったことは幾度となくある、けれどもこの孤独の感じは今はじめて起こった。
 活動の激しい東京を見たためだろうか。あるいは--三四郎はこの時赤くなった。汽車で乗り合わした女の事を思い出したからである。--現実世界はどうも自分に必要らしい。けれども現実世界はあぶなくて近寄れない気がする。三四郎は早く下宿に帰って母に手紙を書いてやろうと思った。
 
 深い感慨を含んだ味わい深い文章である。自然科学者である野々宮の研究にははっきりした意義がある。しかし、『野分』・『虞美人草』の決意と道徳的批判意識が現実と接触していないことを確信した漱石には、現実との接触がどのように可能なのかがわからない。活動の世界の中にいて、漱石の価値観を持てば寂寞とした寂しさをおぽえる。この孤独の感じは批判意識だけが経験するものである。
 この孤独の感じとともに、漱石には活動の激しい東京が見えてきた。小夜子との関係を思い出せば顔が赤くなるほどであるが、漱石には汽車で乗り合わせた女の世界もおぼろげに見えはじめた。その世界を変革し救おうとまで真剣に考えていたために、今はその世界があぶなくて近寄れない世界であることを知ることができた。孤独で寂しいとしても新鮮である。
 エリートインテリが、現実の中に自分の積極的な活動の場所がないことを発見するには、天才を必要とする。「野分」から『虞美人草』への現実認識の発展の全段階を必要とする。それは、インテリの趣味的な孤独や、生存の意義についての抽象的な懐疑といったわざとらしい思想ではない。すでに多くの媒介を経て形成され獲得された具体的な抽象であり自己認識である。それは、自己と田舎の有力者との関係、岩崎との関係、小夜子との関係、藤尾との関係を経由した孤立感であり、道徳的な批判意識の形式をとった現実認識が虚偽意識であることの深刻な反省的認識である。
 三四郎はこの孤独感の中で美禰子を見た。
 
 ■この時三四郎の受けた感じはただきれいな色彩だということであった。けれどもいなか者だから、この色彩がどういうふうにきれいなのだか、口にも言えず、筆にも書けない。ただ白いほうが看護婦だと思ったばかりである。
 
 「顔はよくわからない。けれども着物の色、帯の色はあざやかにわかった。」とも書いているから、三四郎は美禰子にそれほど強い印象を持ったのではないし、まして好意をもったのでもない。美禰子もまた「用のない歩き方」をして、三四郎に興味を示しているわけではない。しかし、こうした事自体が、『野分』・『虞美人草』を経由した漱石にとっては衝撃的な意味を持っている。
 
 ■「これは椎」と看護婦が言った。まるで子供に物を教えるようであった。
 「そう。実はなっていないの」と言いながら、仰向いた顔をもとへもどす、その拍子に三四郎を一目見た。三四郎はたしかに女の黒目の動く刹那を意識した。その時色彩の感じはことごとく消えて、なんともいえぬある物に出会った。そのある物は汽車の女に「あなたは度胸のないかたですね」と言われた時の感じとどこか似通っている。三四郎は恐ろしくなった。

 漱石が『虞美人草』で、批判意識の高見から小夜子を救い、藤尾を矯正しようとしていたことを思うと、こうした場面を描く漱石の気持ちが思いやられて感動的ですらある。美禰子は一目見ただけで、三四郎は黒目の動く刹那を意識しただけである。そして、汽車の女の言葉を思い出した。現実との接触という新しい価値基準からすると、三四郎は、汽車の女の世界にも美禰子の世界にも触れていない。汽車の女とも一瞬すれ違っただけである。一瞬すれ違うことができただけである、というのが深刻な自己認識である。『虞美人草』を書いた漱石にとって、三四郎が恐ろしくなった、と書くのは、孤独であり恐怖であるとともに、現実認識の深まりの自覚でもある。三四郎のこの恐ろしさは、漱石がこれから形成していく孤独感と現実認識の深まりの端緒である。現実と接触できない孤独と無力の自覚の発展が漱石にとっての現実との接触の発展である。この自覚の発展の成果としてのみ、色の黒い女にも美禰子にも現実認識として接触することができる。美禰子との一瞬のすれ違いには、漱石の精神の複雑な矛盾と、さらに漱石が発見した現実内部の矛盾がまだ未整理に、しかし無限的な広がりを持って感じ取られて描写されている。
 
 ■三四郎は女の落として行った花を拾った。そうしてかいでみた。けれどもべつだんのにおいもなかった。三四郎はこの花を池の中へ投げ込んだ。花は浮いている。すると突然向こうで自分の名を呼んだ者がある。
 三四郎は花から目を放した。見ると野々宮君が石橋の向こうに長く立っている。
 
 漱石は「三四郎は恐ろしくなった。」という強い言葉を書いているにも関わらず、三四郎と美禰子の最初の出会いの結果をこのように描いている。美禰子は三四郎に非常に深い印象を与える。しかし、その印象の正体はこうしたものであることをすでに示唆している。それは美禰子の団扇や服装にすでに意味をもたせているものと同じであろう。漱石がこうしたことをここですでに書いているのは、こうした淡い関係の背後に独特の深刻な内容が含まれていることを、しかもそれが淡い関係である、という矛盾をはっきり意識しており、それを描こうとしていたからであろう。
 漱石は美禰子が立っていた同じところに野々宮を立たせ、美禰子と対比している。野々宮は建物の話をして、教授の話をして、激烈な活動の話をして、雲が雪の粉であることを話している。美禰子はここで用のない歩き方をして、実質的な意味のない会話をして、意味もなく三四郎と目を合わせた。野々宮は激烈に動く世界に居る。美禰子は動かない。優雅である。この関係は『虞美人草』と逆になっている。甲野は動くと危ないとも、藤尾と謎の女が世間を騒がせかき混ぜているとも考えていた。しかし、ここでは、激烈な動きの主体は社会であり、美禰子のように表に見える主体ではない。実は漱石の視野に入らなかった汽車の女や爺さんや野々宮の地味な研究が現実社会を動かしている。動いていない美禰子に批判的にのみ批判的に関わることは現実と接触しないことである。しかし、現実と接触しない、というのは、まったく接触しない、というのではなく、具体的にはどのような現実とどのように接触するかである。その特有の法則が美禰子との関係にあらわれ、そこで、『野分』・『虞美人草』を書いた漱石が実際はどのように現実と接触していたのかが批判的に描写されている。
 『虞美人草』では藤尾は我の強い女として、その内容は華美を好み虚栄を好む女として批判的に捕らえられていた。しかし、『三四郎』では、人間を捕らえる基本的な視点は「現実との接触」である。美禰子は華美の点では批判的にではなく、単なる特徴として美しく描写されている。そして、その美しさが、現実との接触という新しい視点において具体的に描写される。
  
 ■「どうですか」と聞かれた。三四郎はこの時自分も何か買って、鮎のお礼に三輪田のお光さんに送ってやろうかと思った。けれどもお光さんが、それをもらって、鮎のお礼と思わずに、きっとなんだかんだと手前がっての理屈をつけるに違いないと考えたからやめにした。

 こうして三四郎は田舎の人間関係から離れていく。激烈な事件や意識の変革によってではなく、こうした意識の積み重ねによって『虞美人草』の小夜子と小野は分離される。この三四郎の気持ちの変化を道義によって矯正することができないことが、こうした単純な描写だけでも明かになる。三四郎はお光の世界から確実に離れる。そして、美禰子の世界に近づいていく。このあと漱石は三四郎が美禰子を思い出したことを書き添え、「その色は薄く餅をこがしたような狐色であった。そうして肌理が非常に細かであった。三四郎は、女の色は、どうしてもあれでなくってはだめだと断定した。」と書いている。お光も汽車の女も色が黒い。三四郎は色の黒い世界から切り離されて、美禰子の世界に憧れている。



(7) 『三四郎』 (三)

  三四郎にとって、人が多く、広く、電車がうるさい東京も、上流の洗練された美しさを持つ美禰子も、汽車の女も広田も新鮮な驚きであった。作品全体の基調にある新鮮な感覚は、漱石が現実のすべての事実と人間関係に囚われなくなったことを意味している。社会を見れば堕落していると憤慨し、藤尾を見れば華美に浮かれていると感じ、貧しい小夜子を見れば助けなければならない、と個別の現象に直接囚われていた現実認識から自由になっている。
 三四郎は平凡な学生生活のなかで漱石の目に新しく見えてきた現実と接触する。漱石は、誰もが経験する学生生活の新鮮さを、東京の現実の再認識や美禰子の発見の新鮮さと同じ感動としてうまく描いている。つまらない日常をありのままに描いているように見えるが、漱石にとってそれは新しい現実であり、人生の新しい観察である。漱石は東京をこれから発見すべき新たな矛盾を含んだ現実として魅力をもって描いており、それが読者に伝わってくる。漱石は、現実の全てを批判的に見ながらも、その現実をまずそのままに受け入れる精神を描いている。三四郎は机の上に彫り込んである落第という文字にさえ感心している。
 三四郎は無知で素朴で田舎者のように想定されているが、実際は田舎者の青年らしい個性として描かれていない。現実の諸現象に対する直接的な批判意識をすべて排除しており、表面的で性急な判断をしないようにできている。その意味でのみ自己というものを持たず、全てを受け入れる強固な自己である。三四郎に比べると、鴎外の「青年」の純一はいかにも田舎者らしい青年である。現実が見えておらず、東京に出てさえ自分が世間より高いと確信している。純一の博識より三四郎の無知の方が多くを知っている。
 田舎から期待されて都会に出てきた青年にとって、大学の講義がつまらないことに慣れるのに少し時間がかかる。そんな時間の合間に三四郎は、「三輪田のお光さんにはあまり愛想を善くしない方が好からう。」と田舎に手紙を書いている。この「好からう。」は漱石らしい。漱石は三四郎が美禰子に近づく前に、お光さんのことを何度か書き込んでいる。漱石はお光さんを気にしている。三四郎のこうした心理は、小夜子を救うことを当為とした意識の対立物としての歴史的必然の認識として書き込まれている。
 
 漱石は三四郎の学生生活を、全体として、朝起きた、歯を磨いた、飯を食った、といったやり方で、価値判断を加えずに事実を羅列的に描いている。しかし、その平凡な事実というのは、大学の講義のつまらなさや、就職口の少なさや、三四郎がお光さんや美禰子のことを気にかけていることなどでありすでに高度に選択され加工された事実である。ここに取り出された平凡な事実を批判的に認識することは非常に難しく、その表面的な特徴から直ちにそれがどのようなものであるか、ましてそれをどのように変革すべきかは考察の端緒さえなかなか得ることはできない。『野分』・『虞美人草』を経過した漱石にとっての平凡な事実とは、動かしがたい、変革しがたい、しかし矛盾を含んだ、批判すべき重い現実である。自然主義的に無批判的に見える平凡な事実の描写が、漱石の場合は深い批判的認識であって、それが多くの展開を生み出す要因となっている。
 三四郎が平凡な事実に接している中に、いかにも自然に新鮮に与次郎や美禰子が入ってくる。与次郎と美禰子という名前は軽い冗談のような対比であるが、それでも不思議に自然である。人間関係にふさわしい名前を持っている。登場の仕方が自然であるのは、平凡に見える事実が彼女達の描写と連関を持つ事実として描写されているからである。
 
 ■ ある日佐々木与次郎に会ってその話をすると、与次郎は四十時間と聞いて、目を丸くして、「ばかばか」と言ったが、「下宿屋のまずい飯を一日に十ぺん食ったらもの足りるようになるか考えてみろ」といきなり警句でもって三四郎をどやしつけた。三四郎はすぐさま恐れ入って、「どうしたらよかろう」と相談をかけた。
 「電車に乗るがいい」と与次郎が言った。三四郎は何か寓意でもあることと思って、しばらく考えてみたが、べつにこれという思案も浮かばないので、
 「本当の電車か」と聞き直した。その時与次郎はげらげら笑って、
 「電車に乗って、東京を十五、六ぺん乗り回しているうちにはおのずからもの足りるようになるさ」と言う。
 「なぜ」
 「なぜって、そう、生きてる頭を、死んだ講義で封じ込めちゃ、助からない。外へ出て風を入れるさ。その上にもの足りる工夫はいくらでもあるが、まあ電車が一番の初歩でかつもっとも軽便だ」

 平凡に見えても普通ではない会話である。ヨジロウのどやしつけかたもいいし、「すぐさま恐れ入って、『どうしたらよかろう』と相談をかけた」三四郎も漱石が創り出した高度の「知」を持っている。漱石は、文明の象徴である電車をしきりにありがたがっている。文明批判で電車を批判していたことの祟りであろう。冗談めかしているが漱石としては冗談で済ませていいような問題ではなかった。三四郎は、このあと、電車に乗って、料理屋へ上がって、寄席に連れて行かれて、おおいに文明に接触して、「難有う、大いに物足りた」と与次郎に礼を述べている。これが東京における精神の第一の現実化で、与次郎は、そのあとは図書館だと言っている。
 図書館は暗く静かな世界として単純に描かれているが、ここでヘーゲルについて長く書き込んでいる。軽くふざけた書き方であるが、その要点は、現実との接触である。
 
 ■「ヘーゲルの講義を聞かんとして、四方よりベルリンに集まれる学生は、この講義を衣食の資に利用せんとの野心をもって集まれるにあらず。ただ哲人ヘーゲルなるものありて、講壇の上に、無上普遍の真を伝うると聞いて、向上求道の念に切なるがため、壇下に、わが不穏底の疑義を解釈せんと欲したる清浄心の発現にほかならず。このゆえに彼らはヘーゲルを聞いて、彼らの未来を決定しえたり。自己の運命を改造しえたり。のっぺらぼうに講義を聞いて、のっぺらぼうに卒業し去る公ら日本の大学生と同じ事と思うは、天下の己惚れなり。公らはタイプ・ライターにすぎず。しかも欲張ったるタイプ・ライターなり。公らのなすところ、思うところ、言うところ、ついに切実なる社会の活気運に関せず。死に至るまでのっぺらぼうなるかな。死に至るまでのっぺらぼうなるかな」

 ヘーゲルの講義は、学生の未来を決定する力をもっていた。学生もまたヘーゲルの講義を聞いて自己の運命を改造しえた。しかし、日本には、ヘーゲルの講義はないし、ヘーゲルの講義を聞いて自己の運命を改造できる学生もいない。だから、学問は「切実なる社会の活気運に関せず」の状態にある。こうした現実認識には、『野分』の道也の決意が生きている。道也の決意はまだ思想の世界に入っていない。切実なる社会の活気運に関していない。それは同時に思想を受け入れる青年が生まれていないことでもある。道也の決意の成果として、漱石はヘーゲルの言葉と実践を深刻に、つまり日本の現状と対比して理解している。変革的な意志を持つ人間にだけ見える現実と精神との関係が見え始めている。
 漱石にはヘーゲルを直接か、あるいは引用によってか読んでいるのではないかと思われる文章がたびたび出てくる。たとえヘーゲルの切れ端を読んだとしても漱石は自分の問題意識によって、自分の求めるものがそこに書かれていることをすぐに理解しただろう。漱石はヘーゲルを読んだのだろうか。
 三四郎はここで、与次郎が野々宮と知り合いであることを知った。
 
 ■ 二人はいっしょに図書館を出た。その時与次郎が話した。――野々宮君は自分の寄寓している広田先生の、もとの弟子でよく来る。たいへんな学問好きで、研究もだいぶある。その道の人なら、西洋人でもみんな野々宮君の名を知っている。
 三四郎はまた、野々宮君の先生で、昔正門内で馬に苦しめられた人の話を思い出して、あるいはそれが広田先生ではなかろうかと考えだした。与次郎にその事を話すと、与次郎は、ことによると、うちの先生だ、そんなことをやりかねない人だと言って笑っていた。

 野々宮が有名な学者であることを単なる事実として平凡に触れることは平凡な描写ではない。理性が創り出した平凡な事実である。鴎外なら大騒ぎしそうな事実を平凡に描いた上で、漱石は、野々宮と広田と与次郎が知り合いであることの紹介に重点をおいて描いている。単純な人物紹介の中に野々宮が有名であることが覆われている。野々宮が有名な学者であることは漱石にとって重要なことであるが、それを重視しないことはさらに重要であった。それは、野々宮については現実との接触の視点から、有名であることより重要なことをすでに発見していたからである。
 
 ■ 「何かできましたか」と棒のように聞いた。すると野々宮君は、
 「なにたいしたことでもないのです」と言って、手に持った電報を、三四郎に見せてくれた。すぐ来てくれとある。
 「どこかへおいでになるのですか」
 「ええ、妹がこのあいだから病気をして、大学の病院にはいっているんですが、そいつがすぐ来てくれと言うんです」といっこう騒ぐ気色もない。三四郎のほうはかえって驚いた。野々宮君の妹と、妹の病気と、大学の病院をいっしょにまとめて、それに池の周囲で会った女を加えて、それを一どきにかき回して、驚いている。
 「じゃ、よほどお悪いんですな」 
 「なにそうじゃないんでしょう。じつは母が看病に行ってるんですが、――もし病気のためなら、電車へ乗って駆けて来たほうが早いわけですからね。――なに妹のいたずらでしょう。ばかだから、よくこんなまねをします。ここへ越してからまだ一ぺんも行かないものだから、きょうの日曜には来ると思って待ってでもいたのでしょう、それで」と言って首を横に曲げて考えた。
 「しかしおいでになったほうがいいでしょう。もし悪いといけません」

 三四郎は経験が浅く視野が狭い。電報から自分の知っているものを寄せ集めて心配している。それにくらべると野々宮はごく冷静である。三四郎は冷静になろうにも、事情がよく分かっていない。だから、精神が現実から離れて空想的で性急な判断に引きずられ、野々宮の妹が危篤になっているように思えてくる。こうした野々宮と三四郎の現実との接触の方法の違いを、さらに深刻な問題として追求するために漱石は轢死の女を描いている。
 
 ■ 「ああああ、もう少しの間だ」
 と言う声がした。方角は家の裏手のようにも思えるが、遠いのでしっかりとはわからなかった。また方角を聞き分ける暇もないうちに済んでしまった。けれども三四郎の耳には明らかにこの一句が、すべてに捨てられた人の、すべてから返事を予期しない、真実の独白と聞こえた。三四郎は気味が悪くなった。
 
 ■三四郎は無言で灯の下を見た。下には死骸が半分ある。汽車は右の肩から乳の下を腰の上までみごとに引きちぎって、斜掛けの胴を置き去りにして行ったのである。顔は無傷である。若い女だ。
 
 漱石は、悲惨な状況を描いた上で、広田と野々宮について次のように書いている。
 
 ■ 三四郎はこの時ふと汽車で水蜜桃をくれた男が、あぶないあぶない、気をつけないとあぶない、と言ったことを思い出した。あぶないあぶないと言いながら、あの男はいやにおちついていた。つまりあぶないあぶないと言いうるほどに、自分はあぶなくない地位に立っていれば、あんな男にもなれるだろう。世の中にいて、世の中を傍観している人はここに面白味があるかもしれない。どうもあの水蜜桃の食いぐあいから、青木堂で茶を飲んでは煙草を吸い、煙草を吸っては茶を飲んで、じっと正面を見ていた様子は、まさにこの種の人物である。――批評家である。――三四郎は妙な意味に批評家という字を使ってみた。使ってみて自分でうまいと感心した。のみならず自分も批評家として、未来に存在しようかとまで考えだした。あのすごい死顔を見るとこんな気も起こる。
 三四郎は部屋のすみにあるテーブルと、テーブルの前にある椅子と、椅子の横にある本箱と、その本箱の中に行儀よく並べてある洋書を見回して、この静かな書斎の主人は、あの批評家と同じく無事で幸福であると思った。――光線の圧力を研究するために、女を轢死させることはあるまい。主人の妹は病気である。けれども兄の作った病気ではない。みずからかかった病気である。などとそれからそれへと頭が移ってゆくうちに、十一時になった。中野行の電車はもう来ない。あるいは病気が悪いので帰らないのかしらと、また心配になる。ところへ野々宮から電報が来た。妹無事、あす朝帰るとあった。

 漱石はまず、汽車の場面で広田が日本の社会に対して批判的な精神を持っていることを描いている。その上で、その批判的な意識と轢死の女の運命を対比している。それは、色の黒い女や爺さんと広田が同じ汽車に乗り合わせていることと同じ意味をもっている。『三四郎』を書いている漱石にとってはこの関係が重要な意味を持っていた。
 『野分』・『虞美人草』を通過した後の漱石とって、現実との接触の関係を非常に複雑になっており、この対立もその複雑化の一つの成果である。漱石は、轢死の女の悲惨な運命との直接的な感情的な関係と、直接的な感情的関係から離れた関係を批評家、傍観者として対立させ、三四郎に批判させている。『野分』の道也は、自ら破滅的な人生を選択することで世の中を切実に体験しようとしていたし、『虞美人草』では、想像力を働かせて小野を失った小夜子の不幸を感じ取るべきだ、と書いていた。この種の悲劇は平凡な事実であり、現実社会はこの種の不幸に満ちている。それを看過せず、傍観せず、その運命に感情的に触れなければならない、という当為が道也の覚悟や『虞美人草』の甲野・宗近の現実との関係であった。その観点からすると、広田も野々宮も批評家であり傍観者であり、轢死の女の運命に接触していないことになる。そして、『三四郎』を書いている漱石は今、批評家とも傍観者とも見える位置に到達している。漱石の精神は道也や甲野の精神を含んでおり、決して批評家でも傍観者でもないが、自分の位置が批評家や傍観者に見えることを理解している。
 小夜子や轢死の女の不幸な運命に触れることが漱石にとっては現実に触れることである。しかし、現実社会の平凡な事実であるその悲劇的な現実に触れることは非常に困難である。覚悟や想像力だけでその現実に触れているとは言えない。同情は彼女たちの運命に何の影響も与えないし、その同情に満ちた精神を実践した『虞美人草』は無理な接触による矛盾を引き起こすことになった。傍観者や批評家を批判している三四郎も、実は厳しい運命を小夜子や轢死の女と共有している色の黒い女や爺さんの運命に接触することはできておらず、刹那の内にすれ違っただけである。お光さんとの関係も自分の意思で断絶しつつある。
 色の黒い女と爺さんは同じ不幸を共有してお互いに接触することができていた。そうした接触は三四郎にも広田にも野々宮にもできない。できない世界で彼らは生きている。しかし、接触は不可能ではない。ただ、その接触の方法と内容は、歴史的に形成されるのであって、個人の意志の自由になることではない。その内容と方法は漱石にもまだわからない。しかし、不幸な個別的運命に直接関わることだけが現実との接触ではないことは分かっている。そして、轢死の女に直接かかわりを持たず、はっきりした仕事も示さずに、日本の運命が危ないと言う広田が批評家に見え、傍観者に見えることも分かっている。轢死の女の運命を具体的な悲惨として経験することは、現実との接触の重要で不可欠の要素であるが、それだけでは現実との具体的な接触ではない。それは、無数の不幸の中の一つに接触するだけであり、個別の不幸との関係にしてもまだ接触しているとは言えない。轢死の女の運命に接触することは、想像力によって個別の不幸を切実に感じ取ることとは別の歴史的課題をも含んでおり、漱石はそれを見い出すことが容易でないことを発見したところである。つまり接触していないことを認識し確認し、可能な形式での接触を探っているところである。
 広田や野々宮に対する三四郎の批判的視点を書き込む必要があった。これはこの時点では当然の、やむを得ない、漱石だけが引き受けなければならない批判である。漱石は、轢死の女や小夜子の運命と接触しなければならない、という当為を持ちながら、『野分』・『虞美人草』は接触ではないと自覚し、その自覚が傍観者に見えることを知っている。漱石は、轢死の女や汽車の女との接触の視点から道也や甲野の限界を超えた意識を広田や野々宮に描き、さらに、それに対する三四郎の表面的な批判を、三四郎の言葉以上の、つまり、想像力による切実な認識を超えた現実認識である広田・野々宮の精神もまだ現実と接触していない、という意味を含めて書き込んでいる。したがって、三四郎の表面的な批判をそのまま受け入れ、広田や野々宮を批評家であり傍観者であると単純に理解すれば、道也や甲野の立場に後退することになる。想像力に満ちた三四郎を超えて、三四郎の想像力を維持したまま広田・野々宮の客観性を獲得し、さらにそれを超えることが現実認識の発展であり、現実とのより深い接触である。
 三四郎は轢死の女を見て恐ろしい空想に囚われている。その間に野々宮は、実質的な対処をしている。病院から帰ってきた野々宮と轢死の女との関係を漱石は次のように書いている。
 
 ■ 「昨夜、そこに轢死があったそうですね」と言う。停車場か何かで聞いたものらしい。三四郎は自分の経験を残らず話した。
 「それは珍しい。めったに会えないことだ。ぼくも家におればよかった。死骸はもう片づけたろうな。行っても見られないだろうな」
 「もうだめでしょう」と一口答えたが、野々宮君ののん気なのには驚いた。三四郎はこの無神経をまったく夜と昼の差別から起こるものと断定した。光線の圧力を試験する人の性癖が、こういう場合にも、同じ態度で表われてくるのだとはまるで気がつかなかった。年が若いからだろう。

 野々宮の態度が呑気で無神経に見えることをはっきり示した上で、そう見えるのは三四郎が若いからだと漱石は注意している。単純に軽く注意をしているのは、説明することで理解できるようなものではないし漱石にとっても説明できるものではないからである。漱石はここで、三四郎の主観的な態度と野々宮の客観的な態度を図式的に対比している。轢死の女のすさまじい死にざまを見て恐ろしさに震えることも、轢死がどのような状態であるかを冷静に観察しようとすることも現実との接触のそれぞれの方法である。この場合一方が真剣で一方が呑気であると考えることはできない。いづれも必要であり同等である。ただ、残念なことに、この両者が図式的に並列されるほどに分離している。それが三四郎や野々宮の限界であり漱石の限界である。そして、このふたつの接触の仕方を並列する漱石は、それぞれを相対化する力をもっており、両者の対立の発展によって、轢死の女の運命との接触に近づいていく。それが漱石の立場における現実との接触の法則である。
 漱石はここでは、轢死の女の運命も平凡な事実である、という立場をとっている。轢死の女に運命があるように、色の黒い女にも独自の運命があり、同様に、野々宮にも広田にも美禰子にも、それぞれの運命があり、それぞれの独立した運命の全体的な連関が現実である。それぞれの運命は独立しており、直接的な関係にはない。漱石が目にしているのは、それぞれの運命が独立し分離していく過程であり、その過程を承認することが『三四郎』の意義である。それぞれの運命を個別に、表面的に結びつけて批判することを漱石は放棄しており、内的な連関の探求に向かっている。それぞれの運命を独立させて、その表面的な関係を断ち切ることが、隠された関係を認識するための第一歩である。
 広田も野々宮も三四郎も、轢死の女の「スゴイ死に顔」とは遠い世界にいる。彼らの運命は轢死の女の運命に接触していない。轢死の女の運命と接触できていないことの認識が接触のための第一歩である。そして、現実にどんな接触が可能なのかを探求しなければならない。それは個別の主観の当為によって実現されることではなく、相互の運命が分離されることも接触することも、すべては明治の社会が創り出す人間関係であり、それを認識することが漱石の課題である。漱石にとっての困難はその接触の条件がいまだ社会的に創り出されていないことであり、そのために、『野分』・『虞美人草』では非接触の立場を前提として、その立場からの接触が主観的な当為として立てられていた。
 轢死の女の運命との接触の可能性はまだ見えていない。しかし、道也の決意は接触の端緒であった。その端緒とは、道也の命をかけた覚悟によっても、轢死の女と広田の運命の溝を埋めることができないことの認識である。この自覚を有島武郎は宣言した。漱石はこの自覚に耐えてこの自覚を超えて進んだ。轢死の女の運命だけが現実ではなく、それと分離された人間の運命も現実であり、その関係の全体が現実であり、その関係の中ではじめて轢死の女の運命は理解され、また広田の運命との接触が可能になる。色の黒い女との関係も轢死の女との関係も刹那の関係として描かれている。しかし、この関係が、「明暗」に至る漱石の作品の基調になっており、それは文学史全体にとっても基礎的な問題である。

 漱石はそのあとも、野々宮が忙しい中で妹のために時間を割いていることと、妹への愛情と自分の義務の関係などをまだ経験していない三四郎の特有のやさしい感情の対立を書き込んでいる。漱石は、『野分』・『虞美人草』で主観的な当為を強く掲げて、それを反省しているために、こういうところはひどく理屈っぽい展開になっている。それが、表立って理屈に見えないのは、その理屈が非常に奥深いからである。
 三四郎は無経験であるが、人間の大きな能力としての感情を素質として持っている。しかし、それは若さと無経験による大きな限界を持っている。野々宮は表面的には活動の中にいないが、実際は活動的である。広田も、独自の活動の中にいる。実はそのために、彼らの活動の中身も彼らの人間関係も、その複雑な精神の内容も三四郎には見えにくい。複雑な内容であるからこそ表立って単純に主張されることはなく、経験的に平凡な事実として追求され、こなされている。『野分』・『虞美人草』までの漱石がそうであったように、三四郎は相対的には表面的に現実を眺めており、そのような見方を漱石はさまざまに三四郎に投影している。それはかつての漱石であり、この時点での漱石の一部分である。
 三四郎は、広田や野々宮よりも轢死の女の現実から遥かに遠くにいる。三四郎の場合それは、若いからである。若さの限界である。その豊かな感情の故にその限界を理解するであろうが、それには時間と経験が必要である。若い三四郎はこのあと病院に行く。
 
 ■ 三四郎は新しい四角な帽子をかぶっている。この帽子をかぶって病院に行けるのがちょっと得意である。さえざえしい顔をして野々宮君の家を出た。

 汽車で色の黒い女にあって衝撃を受けた後も、三四郎は自分の帽子のことを考えて元気を取り戻した。三四郎はこれから新しい帽子が意味を持ちそうな女に会いに行く。轢死の女にも色の黒い女にも新しい四角な帽子は関係がなく、四角な帽子をかぶる青年の運命は彼女たちの運命と接触することは無い。三四郎は豊かな感情を持っているが、四角の帽子が轢死の女の運命と三四郎を分離している。
 漱石は三四郎がよし子の病室に入る時「田舎者だからノックするなぞという気の利いた事はやらない。」と書いている。漱石は田舎者を描くことができないから「田舎者だから」と書いている。田舎者らしくない三四郎はよし子を次のように観察した。
 
 ■ 目の大きな、鼻の細い、唇の薄い、鉢が開いたと思うくらいに、額が広くって顎がこけた女であった。造作はそれだけである。けれども三四郎は、こういう顔だちから出る、この時にひらめいた咄嗟の表情を生まれてはじめて見た。青白い額のうしろに、自然のままにたれた濃い髪が、肩まで見える。それへ東窓をもれる朝日の光が、うしろからさすので、髪と日光の触れ合う境のところが菫色に燃えて、生きた暈をしょってる。それでいて、顔も額もはなはだ暗い。暗くて青白い。そのなかに遠い心持ちのする目がある。高い雲が空の奥にいて容易に動かない。けれども動かずにもいられない。ただなだれるように動く。女が三四郎を見た時は、こういう目つきであった。
 三四郎はこの表情のうちにものうい憂鬱と、隠さざる快活との統一を見いだした。その統一の感じは三四郎にとって、最も尊き人生の一片である。そうして一大発見である。三四郎はハンドルをもったまま、――顔を戸の影から半分部屋の中に差し出したままこの刹那の感に自らを放下し去った。

 三四郎は田舎者というより、『虞美人草』を書いた漱石を引きずっており、同時に超えている。それは美禰子を美しく魅力的に描くのと同じである。よし子を好意的に書いているが、糸子のようにでも小夜子のようにでもない。糸子と小夜子は藤尾との対比で描かれており、双方が対立の痕跡を含んでいた。藤尾が我の強い女であれば、糸子と小夜子は我の弱い従属的な女であった。しかし、美禰子の我を強調せずに美しい女に描くことができるようになると同時に、よし子を自由な囚われない女として描けるようになっている。野々宮に対するわがままもその意味である。
 藤尾は漱石の一部分である。漱石は藤尾に投影していた自己の一部分をよし子のなかに取り戻すことができている。よし子は藤尾の否定、美禰子の否定、という意味を持たずに、藤尾の魅力になる部分を素直な女として持つことができている。漱石は「一大発見である。」と書いている。この純粋さは、漱石のもので、漱石らしさであり、漱石が漱石らしさを取り戻したことである。藤尾に囚われていてはこれは発見できない。よし子の描写も美禰子の描写も漱石が藤尾から自由になったことを示している。糸子には甲野に媚びるところがあった。小夜子は小野に従属しなければならなかった。藤尾の圧迫がいかに大きかったかがわかる。漱石が藤尾にいかに深く囚われていたかが、また藤尾に囚われることがいかに不自由であるがわかる。
 三四郎は、轢死の女と野々宮を見て不安に襲われ、よし子にあってそれを忘れて自由な気分になっているところで美禰子に会ってはっとする。緊張が走る。美禰子は人を緊張させる女である。しかし、漱石は美禰子を優雅に美しく描いている。若い三四郎が茫然となるのも無理は無い。


(8) 『三四郎』 (四)の 1

 三四郎は、大学の講義がつまらなくなった。与次郎は、大学の講義を批判するのではなく、三四郎が田舎者で無知だから期待しているのであって、「いまさら失望したってしかたがないや」という。田舎では優秀でもあり金持ちでもあり、選ばれて出てきたた青年をまっているのがつまらない講義であることは、三四郎にとって、家族にとって、社会にとって驚くべき堕落であり由々しい問題である。しかし、それも平凡な現実である。新しい帽子に誇りをもって田舎から出てきた三四郎は面白くない。退屈である。これについても与次郎は最新の批評をしており、それが三四郎の受ける教育である。
 
 ■ 「どうも妙な顔だな。いかにも生活に疲れているような顔だ。世紀末の顔だ」と批評し出した。三四郎は、この批評に対しても依然として、
 「そういうわけでもないが……」を繰り返していた。三四郎は世紀末などという言葉を聞いてうれしがるほどに、まだ人工的の空気に触れていなかった。またこれを興味ある玩具として使用しうるほどに、ある社会の消息に通じていなかった。ただ生活に疲れているという句が少し気にいった。なるほど疲れだしたようでもある。三四郎は下痢のためばかりとは思わなかった。けれども大いに疲れた顔を標榜するほど、人生観のハイカラでもなかった。それでこの会話はそれぎり発展しずに済んだ。

 与次郎は健全な精神を持っており、世紀末という言葉を三四郎に示すためだけに遊びで使っている。三四郎もそれを言葉として知るだけで、興味を持たない。与次郎も三四郎も漱石も現実的な関心を持っておいる。三四郎は美禰子が気になっている。田舎から期待をもって大学に入っても大学は何も教えてくれない。大学の先生にヘーゲルになれというのは言う方が無理である。大学は教えない。しかし、東京は三四郎に多くを教える。明治の新しい現実について三四郎に教えるのは美禰子であり、与次郎であり野々宮であり広田である。こうした人間関係としての現実は三四郎にとって刺激的な内容を持っており、三四郎はそれを感じ取る能力を持っている。美禰子、野々宮、広田、色の黒い女等々は、『野分』・『虞美人草』の抽象的な現実認識を経由した具体的な社会関係であり思想である。そこには世紀末といった空虚な抽象論が入り込む余地が無い。世紀末といった人工的な空気より、何かを期待して東京をぐるぐる回って栗を食う方が具体的で思想的である。世紀末という言葉より美禰子の方が魅力的であるし、思想的にも深い意味を持っている。
 三四郎は広田に会った。広田と与次郎は思想の固まりのようなよくできた対で、甲野と宗近の関係に似ている。まず三四郎は、広田を見て、「今日も此間の夏服で、別段寒さうな様子もない。」と書いている。漱石は『野分』・『虞美人草』で随分肩に力を入れていたので力の抜き加減が分かっている。寒さに耐えている様子が見えないし、そう見えているとも書かない。道也や高柳の貧しさを精神性として強調していたのは漱石のエリート意識である。エリート意識を強く持っていた漱石には道也の禁欲主義を徹底して強調することが必要であった。禁欲的な覚悟を強く押し出して、エリート意識を凝縮して効率よく消化して広田の呑気を得ている。緊張を失ったのではなく、緊張が表に出ないほど内化し日常化している。
 
 ■ 「これが広田先生。高等学校の……」とわけもなく双方を紹介してしまった。
 この時広田先生は「知ってる、知ってる」と二へん繰り返して言ったので、与次郎は妙な顔をしている。しかしなぜ知ってるんですかなどとめんどうな事は聞かなかった。ただちに、
 「君、この辺に貸家はないか。広くて、きれいな、書生部屋のある」と尋ねだした。
 「貸家はと……ある」
 「どの辺だ。きたなくっちゃいけないぜ」
 「いやきれいなのがある。大きな石の門が立っているのがある」
 「そりゃうまい。どこだ。先生、石の門はいいですな。ぜひそれにしようじゃありませんか」と与次郎は大いに進んでいる。
 「石の門はいかん」と先生が言う。
 「いかん? そりゃ困る。なぜいかんです」
 「なぜでもいかん」
 「石の門はいいがな。新しい男爵のようでいいじゃないですか、先生」
 与次郎はまじめである。広田先生はにやにや笑っている。とうとうまじめのほうが勝って、ともかくも見ることに相談ができて、三四郎が案内をした。

 広田が三四郎を知っているのは妙な話である。同じ汽車の同じ座席に乗り合わせたという馬鹿馬鹿しい偶然は説明にならない。広田と三四郎と色の黒い女が同じ汽車に乗り合わせたのは、『野分』・『虞美人草』意味を問い直す必要があった漱石の社会認識上の都合である。広田が三四郎を知っていることをわざわざ指摘した後、与次郎がそのことを無視していることを書いている。人間関係の複雑さに関心を持たず入っていけない与次郎に説明しても意味はない。こうした与次郎の精神は重要な意味を持っている。
 「今日も此間の夏服で、別段寒さうな様子もない。」という観察をしていながら、その広田に大きな石の門が立っている貸家を紹介する三四郎もいいかげん気楽であるが、「新しい男爵の様で可いぢやないでか、先生」というのも輪をかけて気楽である。そして、それを気にしない広田も気楽であり、こうしたちぐはぐな関係の気楽さを漱石は発見している。
 広田は、道也や甲野と違って人格性を問題にしない。それを漱石はここで強調している。広田は、与次郎や三四郎のこうした意識を批判しないくらいの真面目さを得ている。金や地位と自分を分かつことを人格的な価値としていた道也と違って、広田は自分の人格性がどのようなものであるか、あるいはどの様に見えるかを主張する事も問題にする事もない。ここで実際は価値観が対立しているが、その対立を瑣末な対立とするだけのより深い対立的な独自性を広田は既に得ている。
 漱石は、与次郎が真面目で広田がにやにやしている、と書いている。これは本当のことである。与次郎は広田が男爵のように立派に見える事に真面目な関心を持っているが、『野分』の道也と違って、広田は自分が男爵の様に見えるのがいい、と言われることをどうでもよいと思っており、不真面目である。広田は岩崎や男爵を批判することに興味を持っていないし、美禰子を批判することもない。どんな人間をも人格として批判する事はない。与次郎は、広田の現実認識が人格的価値観から社会そのものの客観的認識に移行していることを強調するための個性である。
 広田は道徳的な批判意識を持たず、批判意識は社会関係の実質に向かっている。相対的には、『野分』の道也の批判意識は現実と接触していないものとして、重視されていない。しかし、金と地位から分離された生活とそれを肯定する価値観は道也と同じである。人格的な覚悟という主観の形式を重視する自己認識がここでは消えている。道也は人格としての自己の形成に主な関心をもっており、広田は自己に対する関心を失って、関心は社会にむけられている。そうした変化が与次郎と広田の気楽な話の中に意識的に書き込まれている。漱石の作品では、与次郎タイプの人物は常に社会関係について多くを語っている。与次郎も広田も世紀末だとか思想だとかのインテリくさい話をしないが、こうした場面には常に、漱石がすでに十分に理解した複雑な現実認識が描写されている。この呑気な会話で問題になっているのは、『野分』・『虞美人草』の人格性を超えることである。
 与次郎が姿を消しているときに漱石は広田を使って、まだ消化できていない知識を披露している。
 
 ■ 「君、不二山を翻訳してみたことがありますか」と意外な質問を放たれた。
 「翻訳とは……」
 「自然を翻訳すると、みんな人間に化けてしまうからおもしろい。崇高だとか、偉大だとか、雄壮だとか」
 三四郎は翻訳の意味を了した。
「みんな人格上の言葉になる。人格上の言葉に翻訳することのできないものには、自然が毫も人格上の感化を与えていない」
 三四郎はまだあとがあるかと思って、黙って聞いていた。ところが広田さんはそれでやめてしまった。植木屋の奥の方をのぞいて、
「佐々木は何をしているのかしら。おそいな」とひとりごとのように言う。

 作品の内容と深いところで関係しているものの、作品の流れからは離れているので、「意外な質問」と書いている。これは芸術理論を前進させるための基本的な課題の一つで、自然に美が内在するか、自然美とは何かという問題に関係している。芸術理論を創作技術の問題と混同してしまう日本では、古からのこの問題が論じられることが無い。漱石は厳密に深く論じることはできないが、結論はヘーゲルに近い。自然は、崇高だとか、偉大だとか、雄壮だとか、の精神的な物に翻訳された場合にのみ感動を与える。自然の特性は実は社会的な規定であるという理解に接近している。しかし、これは余りにも大きな問題であるから、漱石はついでに触れているだけである。
 漱石は、こうした理論的な関心をついでのように書き込みながら、『野分』・『虞美人草』についての解決済みの問題を与次郎と三四郎との関係として楽しみながら描写している。彼らの呑気な会話はすべて道也と甲野の生活や精神といちいち対比的に描かれている。漱石にとっては道也と甲野の否定が現実認識の発展としての意義があった。この対比は非常に大きな成果を持っており、漱石は、こうした描写を納得して、成果を確信して描いている。それが呑気さの内容である。広田と与次郎について、三四郎は、「のん気なことである。与次郎ののん気とは方角が反対で、程度がほぼ相似ている。」と書いている。なかなか田舎者の青年のようではない。
 与次郎は、野々宮についても広田を批判するのと同じ観点から批判している。与次郎は、野々宮がいくら外国で光っていても、日本で高い収入と地位を得なければ成功しているとは言えないから、気の毒だと思う。地位と収入を得られれば幸福である、と考えている点で大変単純で呑気である。広田は反対の方向で、地位と収入に興味がない点で呑気である。無論呑気さの意味はこれだけではない。
 広田と野々宮と与次郎はそれぞれの人格、価値観において生きている。それぞれの生き方を同等として認めるのがこの作品の基本的な特徴である。具体的な人生においては何もかもを得る事はできないし、また自由な選択もできない。野々宮は豊かな生活を拒否しているのではないが得られない研究をしているのだからそれはやむを得ない。広田も金にならない関心の中に生きているのだから地位と金を求める努力をすることはできない。それだけのことである。漱石の関心は人格への関心から人格を離れた社会そのものの認識へと移行している。漱石は、広田の新しい関心について多くを描写していないが、呑気な冗談めいた会話として時々描写している。
 
 ■ 「時代錯誤《アナクロニズム》だ。日本の物質界も精神界もこのとおりだ。君、九段の燈明台を知っているだろう」とまた燈明台が出た。「あれは古いもので、江戸名所図会に出ている」
「先生冗談言っちゃいけません。なんぼ九段の燈明台が古いたって、江戸名所図会に出ちゃたいへんだ」
 広田先生は笑い出した。じつは東京名所という錦絵の間違いだということがわかった。先生の説によると、こんなに古い燈台が、まだ残っているそばに、偕行社という新式の煉瓦作りができた。二つ並べて見るとじつにばかげている。けれどもだれも気がつかない、平気でいる。これが日本の社会を代表しているんだと言う。

 日本の物質界も精神界も古いものと新しいものが混在して、まだ十分に内的な日本的なものが成熟していない。そのことに誰も気がつかない、と広田は考えている。これは日本の混乱状況を指摘したものであり、自分自身もその混乱の中にいるのであって、この混乱を解消するための何らかの精神的な方法、方策、対置すべき内容を発見しているわけではない。だから、非常に単純な指摘であってまだ具体的な社会認識ではない。重要なことは、社会認識の方法が『野分』・『虞美人草』から変化発展したことであって、それを与次郎との関係で示し、社会的な関心のあり方の方向性を一つの実例だ示す事が重要である。それ以上の具体的な社会認識がまったく課題になっていないことを理解することもこの作品を理解する上で非常に重要である。それを理解せずに、この作品で課題になっていないものを求めれば、描かれている多くのものを見失うことになる。
 
 ■ それから谷中へ出て、根津を回って、夕方に本郷の下宿へ帰った。三四郎は近来にない気楽な半日を暮らしたように感じた。

 漱石はこの場面をこのように締めくくっている。気楽さには意味があり漱石は重い内容を描いている。この文章を漱石はわざと書いており、こうした二重性がこれからの作品の重要な特徴になる。三四郎も与次郎も広田も気楽な半日を暮らしていることを描いている。そうした気楽の中に深い社会的内容を描くことができるようになったのが、『野分』・『虞美人草』を経由した漱石の成果である。人格性を重視する『野分』・『虞美人草』では、漱石の現実認識の成果は、作品中のもっとも重要な人物である道也や甲野の精神として多くが対象化されていた。しかし、この作品ではそういう人物は消えている。すべての言葉や状況の描写は、他の人物との関係、そのときの状況等々の連関によって意味を持っており、さらに『野分』・『虞美人草』との関係をも含んでいる。それぞれの人物がすべての諸関係の結節点としての意味を持っており、漱石の現実認識はその連関の全体であり、ある人物の意識として代表する事が出来ないほどに深く広く展開し始めている。
 漱石は、気楽な半日を暮らした、と書いていながら同時に次のようにも書いている。
 
 ■その上封を見たとき、三四郎はすぐ母から来たものだと悟った。すまんことだがこの半月あまり母の事はまるで忘れていた。きのうからきょうへかけては時代錯誤《アナクロニズム》だの、不二山の人格だの、神秘的な講義だので、例の女の影もいっこう頭の中へ出てこなかった。三四郎はそれで満足である。母の手紙はあとでゆっくり見ることとして、とりあえず食事を済まして、煙草を吹かした。
 
 広田の日本の社会に対する批判意識は、道也の有力者に対する批判も、『虞美人草』の甲野の藤尾に対する批判も超えている。それはごく小さな契機にすぎなくなっている。その現実認識の深化の影響を三四郎は無意識的に受けている。三四郎の主な社会的関心は美禰子である。美禰子は分かりやすい、目立つ、気を引きやすい社会現象としての個人である。しかし、美禰子ほどに目立つ優美な個性でも呑気な半日という中での広田の言葉ほどの力を持っていない。
 三四郎が広田の言葉をこのように受容することと、美禰子に対する関心は連関している。三四郎の美禰子に対する関心、さらには三四郎と美禰子の関係の展開は、漱石の新たな社会認識の内容である。三四郎は経験的に、漱石が想定している社会的矛盾の中に引き込まれている。そこが与次郎との違いである。三四郎は与次郎と違って、じわじわと『虞美人草』の内的な矛盾の中に引きずり込まれており、漱石が発見した現実と接触していく。漱石はそれを『虞美人草』からの人間関係の法則的な展開として意識的に描いている。
 呑気で気楽な会話の中のこうした内容が独特の面白みを与えている。読者はそれが何かを意識できないにしても感じ取る事ができる。広田の思想は単純に断片的に描かれているだけであり、漱石もそれ以上のことを理解しているわけではない。しかし、それにも関わらず、広田の生活と精神は、与次郎にも三四郎にも直接的な知識を与えることはないにもかかわらず、何らかの影響を与えており、読者にも感化を与えている。三四郎にとっても読者にとっても美禰子は表立った大きな存在であるが、それを生かして独特の印象を与えているのは、三四郎と美禰子の関係の背後に底流として流れている漱石の批判的な社会認識である。それを漱石は表に出さず、背景として書き込むようになっている。それは実際にまだ表に出てこれるような内容を持っておらず、広田自身にも意識化されておらず、現実の諸関係や表面的な意識の背後に漱石と広田の関心が向かっているからである。しかし、それだけに広田の感化力は甲野よりも大きい。あるいは、全体の人間関係が漱石の現実認識の構成にそって展開している。
 広田は孤立的であるが、その孤立の特殊性によって孤立しながらも全体の関係に影響を与えている。しかし、同時にそれは、直接的な影響に関心を持たず、求めておらず、そうした影響を与えるという主体的な意識から遠ざかるという広田の生活と意識においてである。だから、呑気であると同時に深刻であり、気楽に批判されるほどの信頼されているものの、自分を尊敬している与次郎の意識からも遠ざかりつつある。そうした孤立化の影は、道也より遥かに深刻に気楽さの中に表現されている。
 広田の孤立化は、道也から甲野への発展を継承している。この問題を漱石は『虞美人草』の導入部と同じように非常に理屈っぽく、そして、漱石らしく少し重い低回趣味で説明している。漱石の冗談には四迷の切れ味はないが、そのもって回った調子も個性であり魅力でもある。
 
 ■ 「そこが先生の先生たるところで、あれでたいへんな理論家なんだ。細君をもらってみないさきから、細君はいかんものと理論できまっているんだそうだ。愚だよ。だからしじゅう矛盾ばかりしている。先生、東京ほどきたない所はないように言う。それで石の門を見ると恐れをなして、いかんいかんとか、りっぱすぎるとか言うだろう」
 「じゃ細君も試みに持ってみたらよかろう」
 「大いによしとかなんとか言うかもしれない」
 「先生は東京がきたないとか、日本人が醜いとか言うが、洋行でもしたことがあるのか」
 「なにするもんか。ああいう人なんだ。万事頭のほうが事実より発達しているんだからああなるんだね。その代り西洋は写真で研究している。パリの凱旋門だの、ロンドンの議事堂だの、たくさん持っている。あの写真で日本を律するんだからたまらない。きたないわけさ。それで自分の住んでる所は、いくらきたなくっても存外平気だから不思議だ」
 「三等汽車へ乗っておったぞ」
 「きたないきたないって不平を言やしないか」
 「いやべつに不平も言わなかった」
 「しかし先生は哲学者だね」
 「学校で哲学でも教えているのか」
 「いや学校じゃ英語だけしか受け持っていないがね、あの人間が、おのずから哲学にできあがっているからおもしろい」
 「著述でもあるのか」
 「何もない。時々論文を書く事はあるが、ちっとも反響がない。あれじゃだめだ。まるで世間が知らないんだからしようがない。先生、ぼくの事を丸行燈だと言ったが、夫子自身は偉大な暗闇だ」
 「どうかして、世の中へ出たらよさそうなものだな」
 「出たらよさそうなものだって、――先生、自分じゃなんにもやらない人だからね。第一ぼくがいなけりゃ三度の飯さえ食えない人なんだ」
 三四郎はまさかといわぬばかりに笑い出した。
 「嘘じゃない。気の毒なほどなんにもやらないんでね。なんでも、ぼくが下女に命じて、先生の気にいるように始末をつけるんだが――そんな瑣末な事はとにかく、これから大いに活動して、先生を一つ大学教授にしてやろうと思う」

 これはぶつ切りの理屈の羅列である。三四郎も与次郎もこうしてさかんに矛盾を担ぎだすのはヘーゲルの受け売りのような気さえしてくる。与次郎が指摘しているのは、『虞美人草』で問題になっていた理論と実践の問題である。与次郎は広田が実践の前に理論で事を処理しようとするから矛盾が生じるし、それ自身が矛盾である、と指摘している。実践的な宗近と哲学者の甲野の関係がここでは、実践的な与次郎と哲学者の広田の関係になっている。甲野と宗近は相互補完的とも対立しており、信頼関係があった。宗近と甲野の関係は同等であった。しかし、ここでは現実との関係において哲学者である広田の優位にあり、実践を代表する宗近は消えている。与次郎との対立は食い違っており、実際は対立関係に無い。実践を代表する宗近を失った広田の現実認識上の孤立化は、漱石が実践的な方策を発見する可能性を断念したことによって創り出された人間関係である。だから、実践の前に、実践を直接の目的としない、傍観者としての哲学が先行することになっている。『野分』・『虞美人草』を経由した漱石は、そうした哲学が矛盾を含んでいることを知っている。そのことを与次郎はくり返し指摘している。漱石は広田の立場が実践との関係を失った傍観者の立場であることをむしろ強調している。それは現実認識の発展による、必然的なやむを得ない立場である。
 広田と与次郎の対立のずれは、漱石と批評家のずれに似ている。与次郎は広田に実践性と現実性が欠けていると指摘している。そして、それを補うのが自分の役目だと思っている。与次郎の実践性、現実性というのは、批評家の言う生活者の論理のことである。しかし、批評家と違って与次郎の批判は善意である。広田は、生活者として無能である、しかし、その無能は治らないので自分が実践的な世話をしてやろうというのが与次郎の余計な親切である。しかし、このずれは、『野分』・『虞美人草』を経由した広田の深い現実認識によるずれであり、しかもそのずれを埋める力を広田はもっていないために、与次郎の善意を愛すべきものとして受け入れている。
 広田の孤立化は、人間関係としては宗近を失った事である。宗近との関係は、現実認識の内容を共有したい信頼関係である。広田は人格的な厳格さを失った結果として多くの信頼関係を得ている。しかし、現実認識上での一致を失いつつあり、すでに「こころ」にいたる深刻な孤立化の道を歩き始めている。現実認識の深化による孤立化と、それと同時に信頼関係が発展するという漱石独自の矛盾の形式が広田と与次郎の関係の中に萌芽として見えている。
 与次郎の広田に対する批判はずれていながら表面的なあたっており、広田の現実認識を深化させる役目を持っている。実践に理論が先立つのはすでに矛盾である。奥さんをもらう前に結婚することが悪いと理論的に判断するのは愚である。日本人が醜いといっても、洋行したわけではなく、西洋の写真と比較して汚いといっても日本に則した批判ではない。しかし、実際に日本は醜く、西洋に遅れており、それを何とかしなければならない。しかも、その方法は到底見つからないということが分かっている。だから、広田の立場も正しく、広田を批判し超える立場を見つける事は出来ない。だから、与次郎は見当外れの批判にずれていく。日本が醜いとか汚いとかいいつつ自分の住んでいるところは汚いというのはこの矛盾が解決できないという意味である。
 広田が汚い所に住んで満足して論文を書かなくてはならないのは、ちっとも反響がないからである。日本のためを思って、日本の社会を批判的に見ていても、ちっとも反響がないのであれば、批判しても仕方がない。偉大な暗闇である、と与次郎は考える。そして、だから世の中に出るべきであるが、広田にはその気がなくまたそうした才に欠けているから自分で大学教授にしてやろう、と飛躍する。これが与次郎の価値観による広田への真面目な尊敬である。だから、反響のあるような哲学を創ってやろう、と与次郎が考えないのは当然であるから真面目さがこのようになるのはやむを得ない。
 広田の哲学に反響がないというのは『野分』以来の社会認識であり自己認識である。与次郎は広田が世に出るべきであると思っている。しかし、広田はそれができないことを知っている。できなくても覚悟を決めて努力すべきだという当為が無力である事も知っている。広田は名声や出世と縁のない偉大な暗闇である。それは『野分』の時点では覚悟であった。しかし、ここではそれは社会認識であり自己認識である。暗闇として生きることが自分の社会認識の結果であり、そのように強制することが現実社会の内容である。だから覚悟ではなく、その覚悟を他の人格に求める事も教える事も出来ない。具体的な社会認識が得られた後に、そしてそうした社会関係だ形成されたときにのみそれを示す事が出来る。それまでは暗闇のままである。それは覚悟ではなくてはっきりした現実認識である。


(9) 『三四郎』 (四)の 2

 漱石は、広田の隠された側面を示すために与次郎によって表面的な印象をまとめたあと、田舎からの手紙をうまく描いている。ここでもお光さんの話でまとめている。小作人の新蔵の話も、母親の「東京のものは気心が知れないから私はいやぢや」も面白い。ここで漱石は、新たに得た現実認識として社会を三つに分けている。『野分』では社会は人格と対立する一つの堕落した固まりであったが、ここでは社会が三つに分かれており、その社会から分離した人格は消えている。三四郎が熊本から出てきたという設定は、三四郎が三つの世界に接している事を示す方便であって、これは田舎の青年の現実認識ではない。
 
 ■ 三四郎には三つの世界ができた。一つは遠くにある。与次郎のいわゆる明治十五年以前の香がする。すべてが平穏である代りにすべてが寝ぼけている。もっとも帰るに世話はいらない。もどろうとすれば、すぐにもどれる。ただいざとならない以上はもどる気がしない。いわば立退場のようなものである。三四郎は脱ぎ棄てた過去を、この立退場の中へ封じ込めた。
 
 漱石は現実を社会と個人に分割する事から飛躍的な一歩を進めて社会を三つに分割したところである。その分割した世界のそれぞれの内的矛盾=法則についてのむ認識はこれからの課題である。漱石は田舎のことをよく知らないし田舎者らしい気質を持っていない。田舎者らしさの点では漱石は鴎外に大いに劣る。田舎はすべてが平穏で寝ぼけているのではない。だから、もどろうとすれば、すぐにもどれる場所ではなく立退場のようなものではない。三つの世界のどの世界も自由な選択によって出入りできるものではない。漱石にとってもっとも認識が難しいのはこの第一の世界である。
 漱石は、相対的には第二の世界をよく知っている。
 
 ■ 第二の世界に動く人の影を見ると、たいてい不精な髭をはやしている。ある者は空を見て歩いている。ある者は俯向いて歩いている。服装は必ずきたない。生計はきっと貧乏である。そうして晏如としている。電車に取り巻かれながら、太平の空気を、通天に呼吸してはばからない。このなかに入る者は、現世を知らないから不幸で、火宅をのがれるから幸いである。広田先生はこの内にいる。野々宮君もこの内にいる。三四郎はこの内の空気をほぼ解しえた所にいる。出れば出られる。しかしせっかく解しかけた趣味を思いきって捨てるのも残念だ。

 漱石は『野分』を契機として飛躍的に自己認識を深化させている。第二の世界は、貧乏で晏如としていて、「現世を知らないから不幸で、火宅をのがれるから幸いである」と三四郎には見える。広田と野々宮の生活がこのように見えるように描く事ができるようになったのが現実認識の深化である。ここには二重性が生じており実際の生活と三四郎の観察は食い違っている。漱石は『野分』の段階では、インテリの世界をこのように見て、それが堕落だと見て道也の覚悟を持ってこの世界から抜け出そうとした。しかし、抜け出すことはできなかった。そして抜け出す事が出来ない、という自覚が抜け出す第一歩である。
 道也の批判的な社会認識と自己認識は三四郎と同じく表面的である。実際は、この平穏と見える世界は矛盾に満ちている。この第二の世界こそがもっとも面倒で不生産的で瑣末な矛盾に満ちている。『野分』・『虞美人草』の段階では第二の世界が精神的にもっとも高度で、矛盾に満ちた他の世界を矯正する使命を持っていると信じていた。しかし、漱石がこの作品で強調しているのは、この三つの世界が分離していくという事である。この分離によってそれぞれの世界はその内部でそれぞれの矛盾に向き合わなければならなくなる。第二の世界の人格者が第一と第三の世界を矯正する、という対立関係に有るのではない。そして、それはこの第二の世界に解決不能な矛盾がある、という現実認識に進んでいく必然を持っている。
 第二の世界の矛盾こそ克服することが最も困難であり、その困難の中に広田や野々宮は住んでおり、その矛盾の克服がいかに困難であるかは、外から見ると三四郎の観察のように見えることからもその一端は見て取れる。矛盾のない太平の世界に見えて実はもっとも不生産的な矛盾が深く、「出れば出られる」ような世界ではない。それを漱石は理解し始めており、『彼岸過迄』からこの問題に取り組む。そのためにはまず、この世界が俗世から離れた精神世界として第一、第三の世界の人間を救う、という現実認識をすて、この世界から藤尾や小夜子の世界から切り離された孤立的世界になっていく現実を受け入れ、認識しなければならない。この側面からすると、藤尾と小夜子を救う意志は、自分自身の内的矛盾を認識できず、その矛盾を対象化することである。漱石は日露戦争後のこの階級分化を孤立化の中で受け入れる。鴎外もこの矛盾を感じ取るが、あたかも第二の世界に住む自分には、矛盾がない「かのように」矛盾を克服している「かのように」描いている。
 三つの世界に分割しているのは漱石の現実認識である。そして、その成果として、三四郎の現実認識は田舎者の表面的な観察とされており、漱石は三四郎の理解を無知として扱っている。
 
 ■ 第三の世界はさんとして春のごとくうごいている。電燈がある。銀匙がある。歓声がある。笑語がある。泡立つシャンパンの杯がある。そうしてすべての上の冠として美しい女性がある。三四郎はその女性の一人に口をきいた。一人を二へん見た。この世界は三四郎にとって最も深厚な世界である。この世界は鼻の先にある。ただ近づき難い。近づき難い点において、天外の稲妻と一般である。三四郎は遠くからこの世界をながめて、不思議に思う。自分がこの世界のどこかへはいらなければ、その世界のどこかに欠陥ができるような気がする。自分はこの世界のどこかの主人公であるべき資格を有しているらしい。それにもかかわらず、円満の発達をこいねがうべきはずのこの世界がかえってみずからを束縛して、自分が自由に出入すべき通路をふさいでいる。三四郎にはこれが不思議であった。
 
 第三の世界についてのこの認識は、漱石の自己認識として決定的に重要である。この世界が堕落した世界であるという認識、つまりは第二の世界が精神的に優位にあるという認識が消えている。三四郎はエリートとして田舎から出てくる過程で、お光さんと色の黒い女の世界から離れた。それはつまり、この第三の世界に近づくことである、と田舎から出てきたエリートは考える。この幻想を誰もが持つ。この世界が鼻の先にあるように見える。美しい女性の形をして目の前をちらちらする。しかし、実際は遠い世界である。エリートの眼には、金と地位と華やかさがあるこの世界には、高度の精神が欠けており、それをこの世界に持ち込むのはエリートの役割であり、世界は円満の発達をこいねがうとすればエリートインテリを必要としているように見える。そう『野分』の道也は考えていた。しかし、三四郎は、この世界がエリートインテリを自分の世界の主人公にするどころか、自分の世界に入ってくることを拒否しているように感じている。たとえ入ることを許すとしても主人公としてではなく、召使としてである。エリートインテリが社会全体の精神の発展を担うと思うのは道也の幻想であり、三四郎の幻想である。しかし、三四郎の場合はこの幻想が崩れはじめている。
 この第三の世界に入る事が難しく、この世界が自分を拒否している、という現実認識は道也の現実認識を飛躍的に超えている。これは鴎外の場合に生ずる諦観につながるのではなく、道也の積極的な啓蒙的な意志の発展としての積極的な現実認識である。その積極的な現実認識が消極的な内容を持つのは第二の世界の特徴である。三四郎のこの認識は、第二の世界の限界の認識である。
 第三の世界がエリートインテリを拒否するという現実はエリートインテリには受け入れがたい。鴎外はこの関係にかかわる葛藤を描いている。鴎外は、第一の世界と第三の世界が自分を拒否していることを受け入れる事ができず、自分自身が両者を拒否している、と現実を逆転して解釈している。社会と人格的個人の対立という現実認識は鴎外と道也に共通しており、社会が堕落しているとする点も同じである。しかし、道也はその社会を啓蒙しようとする意志を持っているが、鴎外はそれを持たず、自分を高いとして社会を軽蔑しているために矛盾が停滞する。しかし、社会を啓蒙する意志を強く持つ場合は、社会からの孤立が啓蒙の無力を意味する場合に深刻な矛盾を獲得し、『虞美人草』から『三四郎』へと現実認識が発展する。これが漱石と鴎外の分岐点である。
 日本中から続々と東京に集まってくる田舎のエリートが、選ばれた人物の自負を持つのは当然であるが、それは、東京に集まって彼らの独自の世界をこれから形成していくのであって、どこまでも上に登っていくのではない。そこから第三の世界の成功者も現れるが、それは極限られており、それはまた第二の世界とは分離している。この第二の世界は、第三の世界への接近という幻想を抱きつつ、その幻想に基づいて第一の世界との比較で自分の優位を確信し、そうした意識を持つ大きな層を形作り、漱石が描いた矛盾の巣窟の中に閉じ込められていくのが日露戦争後の現実である。
 第一の世界からも第三の世界からも尊敬される位置にあると思うのは道也や鴎外の幻想である。漱石はエリート世界からはずれたために、この幻想をこうして棄てる事ができたが、鴎外はもっとも中途半端な位置にいた。官僚として可能な限りの出世を得たと同時にそれは日本の発展の中枢的な部分ではなく、鴎外の自負を満足させることはできなかった。しかし、その自負を破壊するほどの幻滅を味わう事もなく、この三つの世界の歴史的に複雑な関係に翻弄される人生を経験的に描写することになった。その意味で歴史的であり、漱石と並び称される意味を持っている。
 
 ■ 三四郎は床のなかで、この三つの世界を並べて、互いに比較してみた。次にこの三つの世界をかき混ぜて、そのなかから一つの結果を得た。――要するに、国から母を呼び寄せて、美しい細君を迎えて、そうして身を学問にゆだねるにこしたことはない。
 結果はすこぶる平凡である。けれどもこの結果に到着するまえにいろいろ考えたのだから、思索の労力を打算して、結論の価値を上下しやすい思索家自身からみると、それほど平凡ではなかった。

 現実的な野心や学問的な野心に胸をふくらませて田舎から出てきて、東京のさまざまの矛盾にかき混ぜられるが、実践的な成功の成果としてはこの程度のものである。そして、資本主義の発展はこうした心理をつぎつぎに生み出し、彼らの混乱した欲望を梃子にして同じ成果をつぎつぎに生み出していく。そのなかには道也の覚悟も含まれ鴎外の諦観も含まれる。しかし、道也の覚悟を経由した漱石と三四郎はこの幻想から離れつつある。この作品に描かれている精神は、第二の世界に作られるものとしては、必然としての特殊な精神である。第二の世界の矛盾の巣窟に翻弄されるのではなく、その中にいてその翻弄される自己を客観化することでその翻弄を超えようとしているからである。しかし、それは「こころ」まで続く長い過程である。
 
 ■ 三四郎は論理をここまで延長してみて、少し広田さんにかぶれたなと思った。実際のところは、これほど痛切に不足を感じていなかったからである。

 三四郎は広田にかぶれている。三四郎は初めて会ったときから美禰子に強い印象を受けているが、その前にすでに広田に会っており、色の黒い女に会っており、心の準備は大いにできている。だから、美禰子の印象は強いものの、小野が藤尾を求めるように強いものではない。藤尾のいない状態、美禰子のいない状態にそれほど不足を感じていない。それは三四郎の人生に不可欠なものではなく、同時に自分を拒否する世界であることも感じ取っている。三四郎の世界には広田も野々宮もよし子もいるからであるし、さらに背後に色の黒い女の第三の世界が広がっていることもすでに印象づけられているからである。三四郎は田舎から広田と汽車に乗って東京に出てきただけあって、視野の広い青年になっている。こうした三四郎のつ現実認識についての前準備をしておいて、漱石はようやく三四郎と美禰子と対面させる。
 
 ■ 大きな百日紅がある。しかしこれは根が隣にあるので、幹の半分以上が横に杉垣から、こっちの領分をおかしているだけである。大きな桜がある。これはたしかに垣根の中にはえている。その代り枝が半分往来へ逃げ出して、もう少しすると電話の妨害になる。菊が一株ある。けれども寒菊とみえて、いっこう咲いていない。このほかにはなんにもない。気の毒なような庭である。ただ土だけは平らで、肌理が細かではなはだ美しい。三四郎は土を見ていた。じっさい土を見るようにできた庭である。

 この描写は、『野分』の道也と高柳の庭の描写や、甲野の鯉のいる庭を思い出させる。それは悲壮であったり、黙然とした静寂であったりした。この庭の描写は感情を含んでいない、という感情を含んだ描写である。そのことが『野分』・『虞美人草』と比較するとよく分かる。「門」や「硝子戸の中」にはまた深い趣の自然描写が出てくる。自然の描写は自然の描写ではなく、精神の描写である。この意味で、漱石のこの「もう少しすると電話の妨害になる」とか、「けれども寒菊と見えて一向咲いていない。此外には何もない」という他意の無い描写は、漱石と広田の他意のない精神のあり方を工夫して描いている拵えものの描写である。庭の描写は庭の描写ではなく、道也の価値観や漱石の社会認識の描写である。自然主義的な描写ではない。しかも、この他意のないふうの描き方の中に、自然体とはいいながら他意の固まりのような美禰子が突然入ってくる。拵え過ぎくらいに拵えている自然な描写である。
 
 ■ ヴォラプチュアス! 池の女のこの時の目つきを形容するにはこれよりほかに言葉がない。何か訴えている。艶なるあるものを訴えている。そうしてまさしく官能に訴えている。けれども官能の骨をとおして髄に徹する訴え方である。甘いものに堪えうる程度をこえて、激しい刺激と変ずる訴え方である。甘いといわんよりは苦痛である。卑しくこびるのとはむろん違う。見られるもののほうがぜひこびたくなるほどに残酷な目つきである。しかもこの女にグルーズの絵と似たところは一つもない。目はグルーズのより半分も小さい。
 
 この美禰子の描写は『虞美人草』の文体を思い出させる。特に内容のある文章ではない。「残酷な目つきである」などというのは余計な表現である。漱石は美禰子の精神と分離しながら、まだ囚われており、まだ美禰子に対する批判意識を完全に自分自身に対する批判意識として取り戻していない。その最後の名残の文章がこうした文体としていくつか残っている。漱石にとっては美禰子を描く限りは必要な描写であっただろう。
 美禰子は、言葉が明確で「普通の様に後を濁さない」しゃべり方をする。まさか掃除にきたとは思えない着物をきているが汚れる事を気にしない。三四郎はぼんやりしたままで、「お手伝をして、一所に始めませうか」というのも美禰子である。このへんは第三の女らしい実質的な、漱石らしい思い切った性格がある。洗練されており、第三の世界らしい度胸がある。怠け者ではないが無駄には動かない。無駄口もたたかない。自分の立場において厳しく明確である。こうした精神と比較すると第二の世界は無駄に満ちており、余計な精神にあふれているように見えるし実際にそうである。この意味でも第二の世界と第三の世界は分離されており、この第三の世界の精神を漱石は強く多く持っている。
 漱石は美禰子として描いている精神をもっており、しかも、どこか威圧的なところのあるこのブルジョア的精神を超えなければならないと思っている。三四郎は美禰子に圧倒されている。それが漱石にはよくわかる。この美禰子の精神の力に対しては、道也の人生を掛けた覚悟でもせいぜい対立に耐える事ができるくらいであり、道也が主張していたように対等になる事も優位になる立つ事もできるものではない。甲野はやや逃げ腰になってようやく藤尾と対等になっているにすぎない。そして対等になるためには、藤尾を虚飾に満ちた、そして財産を持たない女に想定し、甲野が財産を持つ必要があった。だから、田舎から出てきた三四郎が、帽子の力だけをたよりに美禰子と対等になる事などまったく不可能である。三四郎が美禰子に対して卑屈に対応せずにすむのは、田舎から出てくる前にすでに広田や色の黒い女に接して、エリートの自負心がすでに多く解毒されているからである。だから、美禰子も三四郎に愛想よく、三四郎を軽蔑することなく無視するかのように一所に掃除をして親しくなっている。このあれどもなきがごとき態度が美禰子のもっとも深い信頼の態度である。
 偶然の接近の後、精神が彼らを隔てる。というより精神の隔たりが表に出る。
 
 ■ 「何を見ているんです」
 「あててごらんなさい」
 「鶏ですか」
 「いいえ」
 「あの大きな木ですか」
 「いいえ」
 「じゃ何を見ているんです。ぼくにはわからない」
 「私さっきからあの白い雲を見ておりますの」
 なるほど白い雲が大きな空を渡っている。空はかぎりなく晴れて、どこまでも青く澄んでいる上を、綿の光ったような濃い雲がしきりに飛んで行く。風の力が激しいと見えて、雲の端が吹き散らされると、青い地がすいて見えるほどに薄くなる。あるいは吹き散らされながら、塊まって、白く柔かな針を集めたように、ささくれだつ。美禰子はそのかたまりを指さして言った。
 「駝鳥の襟巻《ボーア》に似ているでしょう」
 三四郎はボーアという言葉を知らなかった。それで知らないと言った。美禰子はまた、
 「まあ」と言ったが、すぐ丁寧にボーアを説明してくれた。その時三四郎は、
 「うん、あれなら知っとる」と言った。そうして、あの白い雲はみんな雪の粉で、下から見てあのくらいに動く以上は、颶風以上の速度でなくてはならないと、このあいだ野々宮さんから聞いたとおりを教えた。美禰子は、
 「あらそう」と言いながら三四郎を見たが、
 「雪じゃつまらないわね」と否定を許さぬような調子であった。
 「なぜです」
 「なぜでも、雲は雲でなくっちゃいけないわ。こうして遠くからながめているかいがないじゃありませんか」
 「そうですか」
 「そうですかって、あなたは雪でもかまわなくって」
 「あなたは高い所を見るのが好きのようですな」
 「ええ」
 美禰子は竹の格子の中から、まだ空をながめている。白い雲はあとから、あとから、飛んで来る。
 ところへ遠くから荷車の音が聞こえる。今静かな横町を曲がって、こっちへ近づいて来るのが地響きでよくわかる。三四郎は「来た」と言った。美禰子は「早いのね」と言ったままじっとしている。車の音の動くのが、白い雲の動くのに関係でもあるように耳をすましている。車はおちついた秋の中を容赦なく近づいて来る。やがて門の前へ来てとまった。
 三四郎は美禰子を捨てて二階を駆け降りた。三四郎が玄関へ出るのと、与次郎が門をはいるのとが同時同刻であった。
 
 このまじめなようなふざけたような描写は非常に面白い。「鶏ですか」、はよかった。美禰子が鶏を見るはずがない。「木ですか、ぼくにはわからない」もいい。雲を見る美禰子とうまく関係している。三四郎は鶏を見る青年で、美禰子は雲を見る女である。しかも普通にはみない。詩的に見る。広田は富士山を人格のように見たが、美禰子は雲をダチョウのボウアのように見る。鶏が先に目に入る三四郎は、雲は雲として見るのではなく、雲が雪の粉であることではじめて興味がわく。藤尾と同じように雲を詩的にみるのが美禰子の社会的精神である。
 三四郎は小野のような詩人ではないから美禰子に従属しない。美禰子が藤尾のように否定を許さぬ調子で言っても、「あなたは高いところを見るのが好きのようですな」ととぼけている。知ってとぼけているのではなく、美禰子の世界に入っていけないから自然にとぼけた関係にある。あるいは、美禰子の社会感覚は三四郎の感覚を拒否している。三四郎は雲を詩的に見ることには興味が無い。だから、遠くの荷車の音がよく聞こえる。三四郎は与次郎が牽く荷車を待っている。それが三四郎の社会的精神である。美禰子は「早いのね」と思う。荷車でやってくる与次郎は三四郎よりもっと詩的でない。三四郎は美禰子をすてて与次郎の世界に舞い戻っている。
 こうした描写を見ると美禰子が気の毒になる。それはこの作品では力関係が美禰子に不利になっているからである。『虞美人草』の場合は、漱石が藤尾を批判する意志を持ち、またその批判の点で漱石と甲野を批評家が批判しているにしても、とくに精神上の力関係は藤尾の優位にあり、甲野・宗近が頑張っている関係にあった。しかし、美禰子は『三四郎』の世界ではそんな力を持っていない。美禰子が力を発揮する世界ではないし、発揮する必要のない世界だからである。
 そんな緊張感のある、つまり美禰子が力を張りつめている描写のあとで、与次郎が再び大きな役割を果たしている。


(10) 『三四郎』 (四)の 3

 与次郎は美禰子の服装を気にしないし、美禰子がこんなところで掃除をすることが似合わない事も気にしない。与次郎の呑気は、自分と他の人間の関係を気にしない事である。それはまったくの無知ではなく、三四郎のいう三つの世界への分割を経験的な事実として認めているからである。田舎のお光さんとの関係も持たず、美禰子への関心ももたない。怠け者でいいか加減であるのに、美禰子が引っ越しの手伝いをしていないと思って、「冗談じゃない」という。与次郎は、広田を理解せずに尊敬もし批判している。与次郎は美禰子の世界にも広田の世界にも色の黒いおんなの世界にも、つまりそうした現実社会の分化を意識せずに個人としてのみ対応している。この意味で他人との関係を考慮せずに身勝手に対応しており、自由で呑気で天真爛漫である。
 漱石には与次郎の性格がよく見えている。しかし、漱石は、藤尾や美禰子との関係を与次郎のような形式で無視してそこから自由になる事はできないし、しようと思っていない。自分と藤尾や美禰子との関係がどのようなものであるか、自己意識としては、藤尾や美禰子という像をいやでも創り出してしまう自分の精神はどのようなものかをはっきり認識せずにはいられなかった。だからこそまた、それをまったく気にしない与次郎の像が愛すべき精神として強く意識されていた。美禰子の世界とまったく断絶した世界に生きている与次郎の言葉は、美禰子に何の影響もあたえない。だから、美禰子も与次郎と同じように、与次郎との関係では緊張を必要としない。与次郎は美禰子にも三四郎にも広田にも小言を言える個性である。誰も気にしない小言である。
 
 ■ 「そう乱暴に、出しちゃ困る。まだこの続きが一冊あるはずだ」と与次郎が青い平たい本を振り回す。
 「だってないんですもの」
 「なにないことがあるものか」
 「あった、あった」と三四郎が言う。
 「どら、拝見」と美禰子が顔を寄せて来る。「ヒストリー・オフ・インテレクチュアル・デベロップメント。あらあったのね」
 「あらあったもないもんだ。早くお出しなさい」

 これは与次郎の自由さを強調した非常な拵えものの描写であるが、こうした描写にはほっとするものがある。この前後の描写は緊張に満ちており、こうした瞬間を必要としている。与次郎の精神が漱石にとっていかに重要だったかがわかる。
 
 ■ 「うん。先生もまあ、こんなにいりもしない本を集めてどうする気かなあ。まったく人泣かせだ。いまこれを売って株でも買っておくともうかるんだが、しかたがない」と嘆息したまま、やはり壁を向いてあぐらをかいている。
 三四郎と美禰子は顔を見合わせて笑った。
 
 実際これは笑える批判である。広田もこんな罪のない批判をされても悪い気はしない。与次郎はこのあと、広田を「あれだから偉大な暗闇だ。なんでも読んでいる。けれどもちっとも光らない。もう少し流行るものを読んで、もう少し出しゃばってくれるといいがな」と評している。漱石は「与次郎の言葉はけっして冷評ではなかった」と注意している。
 与次郎は広田の思想を批判しているのではない。世の中に出ないことを善意で批判している。世の中に出ることができない事を認識する事が広田の特徴である事を与次郎は知らない。それを理解できないことは特に弱点とは言えない平凡な意識である。広田もそのことの理解を求めているわけではない。そうした自分を理解されることが課題ではないからである。認識対象は自己ではなく、社会であり、それがまだ認識されていないことを広田は自覚している。それが広田の到達点である。
 批評家は与次郎と同じように、世に出ない点で道也を批判している。しかし、それは世に出るべきである、という観点から批判するのではなく、それは世に出る事のできる思想ではない、世に出る事ができないのは思想の無力、思想の間違いの証拠である、として生活の破綻を根拠に思想を批判している。それはこれから生まれようとする思想の否定である。与次郎は広田の思想を世に出そうとしている。しかし、その思想が世に出る内容をまだ持っていない事を理解できない。批評は道也の思想を否定しているが与次郎は肯定している。しかし、その思想を理解できないために肯定の仕方が間違っている。しかし、広田はその無理解を容認している。それどころか与の対策は別として自分に対する批判を楽しんで受け入れている。広田のこうした批判意識は、法則としてこうした善意の批判を受け付けないほど深刻な内容を持つようになり、表面的に肯定的な対応すら不可能になる。
 
 ■・・与次郎と美禰子の問答が始まった。
 「よく忘れずに持ってきましたね」
 「だって、わざわざ御注文ですもの」
 「その籃も買ってきたんですか」
 「いいえ」
 「家にあったんですか」
 「ええ」
 「たいへん大きなものですね。車夫でも連れてきたんですか。ついでに、少しのあいだ置いて働かせればいいのに」
 「車夫はきょうは使いに出ました。女だってこのくらいなものは持てますわ」
 「あなただから持つんです。ほかのお嬢さんなら、まあやめますね」
 「そうでしょうか。それなら私もやめればよかった」
 美禰子は食い物を小皿へ取りながら、与次郎と応対している。言葉に少しもよどみがない。しかもゆっくりおちついている。ほとんど与次郎の顔を見ないくらいである。三四郎は敬服した。
 
 与次郎はすべての人物の個性をうまく引き出す率直さを持っている。この与次郎は批判意識を脇に捨てた漱石のようである。美禰子は端的であっさりしている。媚びるところがない。与次郎はそれを無視している。実質的で厳しい力を持っている美禰子を「よく忘れずに持ってきましたね」といって、気楽なお嬢さん扱いしている。無知であるが率直である。こうした会話を平凡な日常として経験する事はできない。美禰子の精神はブルジョア的な特徴をもっており、漱石の性格と才能が投入されており、与次郎にも批判意識を形式的に超えた高度の精神が投入されている。だから、こんな会話には日常で経験できないばかりでなく、小説でも漱石の中でしか経験する事ができない。こうした会話は漱石の現実認識が拵えた会話であるが、それがいかにも拵えものであるところに日本の全体の精神のレベルの低さがある。こうした会話が冴えて感じられることは、日常的にいかにつまらない会話が交わされているかを物語るからである。
 三四郎は敬服したというのはいいし、敬服するような話し方である。漱石はこういう描写ができるにもかかわらず、『虞美人草』では藤尾にも小夜子にもこんな敬服するような性格を与える事ができなかった。狭い道徳的な批判意識が漱石を縛りつけていたからである。
 
 ■ 「おもしろいな。里見さん、どうです、一つオルノーコでも書いちゃあ」と与次郎はまた美禰子の方へ向かった。
 「書いてもよござんすけれども、私にはそんな実見譚がないんですもの」
 「黒ん坊の主人公が必要なら、その小川君でもいいじゃありませんか。九州の男で色が黒いから」
 「口の悪い」と美禰子は三四郎を弁護するように言ったが、すぐあとから三四郎の方を向いて、
 「書いてもよくって」と聞いた。その目を見た時に、三四郎はけさ籃をさげて、折戸からあらわれた瞬間の女を思い出した。おのずから酔った心地である。けれども酔ってすくんだ心地である。どうぞ願いますなどとはむろん言いえなかった。

 気楽な与次郎は美禰子の精神を深く理解した発言をすることができる立場にいる。偶然深いところをついても与次郎の言葉であれば美禰子は気にしない。与次郎は、自分が美禰子との関係では気に入られる事も隷属する事もないと心得ているし、そんな関係に無い事を読者も理解できる。美禰子が三四郎に「書いてもよくって」ということも、その言葉に三四郎がすくむだろうこともすでに必然として描かれている。そして、この必然を広田が一歩進める。それが広田の哲学である。漱石は「広田先生は例によって煙草をのみ出した。与次郎はこれを評して鼻から哲学の煙の吐くと言った。なるほど煙の出方が少し違う。」と書いている。美禰子は、広田の洋服を畳んでいる。すると、広田が与次郎にとぼけたようなことを言う。
 
 ■ 「今のオルノーコの話だが、君はそそっかしいから間違えるといけないからついでに言うがね」と先生の煙がちょっととぎれた。
 「へえ、伺っておきます」と与次郎が几帳面に言う。
 「あの小説が出てから、サザーンという人がその話を脚本に仕組んだのが別にある。やはり同じ名でね。それをいっしょにしちゃいけない」
 「へえ、いっしょにしやしません」
 洋服を畳んでいた美禰子はちょっと与次郎の顔を見た。
 
 漱石は社会認識の内容はもちろん方角もはっきり認識していない。大方の方角はわかり始めているから余裕を持っているが、はっきりしないので、こんないい方をする。それを理解するはずの無い与次郎が几帳面に話を聞こうとするとするし、その与次郎に広田は話をする。ここへんの描写は「猫」の苦沙味の家での会話と同じ調子である。この落語のような会話が美禰子に関係している。
 
 ■ 「これは、どうしても俗謡でいかなくっちゃだめですよ。句の趣が俗謡だもの」と与次郎らしい意見を提出した。
 そこで三人がぜんぜん翻訳権を与次郎に委任することにした。与次郎はしばらく考えていたが、
 「少しむりですがね、こういうなどうでしょう。かあいそうだたほれたってことよ」
 「いかん、いかん、下劣の極だ」と先生がたちまち苦い顔をした。その言い方がいかにも下劣らしいので、三四郎と美禰子は一度に笑い出した。この笑い声がまだやまないうちに、庭の木戸がぎいと開いて、野々宮さんがはいって来た。

 「かあいそうだたほれたってことよ」というのは漱石らしい表現である。甲野が小夜子を救おうと思うのは、小夜子にほれたということであろう。それは個別的な感情である。それは小夜子と藤尾の対立関係からいえば、逆の関係として、「にくらしいだたほれたってことよ」とも言えるだろう。同情も非難も個人と個人との関係を結ぶ感情である。しかし、その関係が『三四郎』では切れている。三四郎は、色の黒い女にもお光さんにも、同情も愛情も感じない。関係が切れている。三四郎と美禰子の関係はどうであろう。それははっきりしない。『虞美人草』にあった同情も非難もない。三四郎と美禰子を結ぶものはなんであろうか。第二の世界がはっきり分離されて、対立が第二の世界内部である事が意識されており、その前提の元で力関係が美禰子に不利になっている。この世界で孤立的な美禰子を気の毒に思うのは、それは藤尾を非難するのと同様の、ほれた、ということだという意味を含んでいる。それが漱石に生じた批判意識の変化である。『三四郎』は美禰子との関係で言えば、ほれることも非難する事もないことを表現するための過渡的な世界の描写である。美禰子を批判する事も美禰子に同情する事もできなくなる、というのがこの第二の世界の特徴である。
 俗謡に訳した与次郎も、「いかん、いかん、下劣の極だ」という広田も、美禰子とはかかわりなく自分たちの世界にいる。それをこの場面は描写している。そばで笑っている三四郎と美禰子はこの世界とつかず離れずの曖昧な関係にある。そこに野々宮がやってきて、この世界の関係がもうすこし深く解剖される。野々宮は、与次郎の訳を、「なるほどうまい訳だ」と言っている。いかん、いかん、と言う広田と同じである。訳語の事しか考えていない事になっており、これを美禰子にも三四郎にも関係づけない。「いかん、いかん」も「うまい訳だ」も、その関係に関心を持たないという意志の表明である。
 
 ■ ――じつにやっかいだな」と冗談半分の嘆声をもらしたが、「どうです里見さん、あなたの所へでも食客に置いてくれませんか」と美禰子の顔を見た。
 「いつでも置いてあげますわ」
 「どっちです。宗八さんのほうをですか、よし子さんのほうをですか」と与次郎が口を出した。
 「どちらでも」
 三四郎だけ黙っていた。広田先生は少しまじめになって、・・

 与次郎は他の人物と偶然的な関係にあるから、複雑な内容を指摘することができる。関係が入り組んでいるので、端的に言い当てる事によって関係を示唆することもあり、端的に外す事によって関係を示唆する事もある。ここは外して当てている。
 男と女の関係として表面的に見れば、野々宮と美禰子の関係ほど自然なものは無い。ここには恋愛が生じやすく、障害はどこにもないように見える。与次郎がさらに「それぢや里見さんの所に限る」というのも当然である。しかし、広田は「与次郎を相手にしない様子で」実質的なことを、人間関係に触れないことをしゃべっている。野々宮と美禰子の間には、『野分』・『虞美人草』以来の必然的な断絶がある。それは目に見えない断絶であり、漱石としても野々宮としても広田としてもまだはっきりと意識できない断絶である。だからこそ、与次郎を使って表面的な関係が自然である事を強調している。そして、そのことによって、与次郎のこの言葉を無視する野々宮と広田を書いている。このように描くことで、この両者の断絶が何を意味するかがこのあとの漱石の描くべき内容になる。


           
           Home        漱石