質問への返事・・「それから」について


  先週メールで「それから」について質問を受けました。現在、Internet Explorerが故障していて、メールの作成や送信ができません。パソコンが全体としていろいろと不都合が生じていますので根本的な修理が必要ですが、根本的な修理をしたばあいしばらく根本的に使えなくなることも大いに考えられますので、それに、この問題は一般に考察する意義があると思いますので、とりあえずここに簡単返事を書きます。
 メールはつぎのようなものでした。

  夏目漱石の「それから」についての質問です。
   代助は「最後の権威は自己にあるもの、と腹のうちで定めた」(岩波文庫で221頁)
   とありますが、どのようなことなのでしょう?なぜそのような考えを持つようになったのでし   ょうか?是非教えてください。

 非常に短い質問なので、具体的な問題意識は分かりませんが、おそらく、この引用からすると、代助の主体性を否定している私の文章に対する反論ないし、私の分析からすれば、この文章はどう解釈するのかという意味ではないかと思われます。
 漱石を読んだのはずいぶん前の事で、今読み返す時間がありませんので、理論的な予測として、主体性をどのように捉えるべきかについて形式的に書きます。もし見当外れでしたら、しばらく時間をおいてメールを下さい。返事がなければ、パソコンがまだ動いていないと思って下さい。


 さて、ごく表面的、経験的に言えば、こうした言葉は主体性の欠如を示しています。たとえば、いま「森鴎外」の項に書いている「舞姫」では、豊太郎が自分の主体性について「まことの我は、やうやう表にあらはれて」とか言っています。また古い全共闘世代では日常的に主体的でなければならないとか、主体性はあるのかとか言っていました。主体性とはなにかについての理論的な探究を別とすれば、主体性を掲げたり求めたり発見したりすることは主体性の欠如を意味するようです。というのは、主体性というのは、ある目的に向かって、対象に向かって全力で突き進む能力をいうのでしょうが、その対象を持たないからこそ関心が自己の主体性に向いているからです。芸術であろうとスポーツであろうと社会的な活動や仕事であろうと、明確な目標があってそれに熱中している場合に、つまり対象に捉えられているという形式になるほどに対象を捉えていれば、主体性を問題にする時間も必要もないものだからです。

 といっても、だからこの言葉は代助に主体性がないことを示しているのだと言っても納得はできないでしょう。主体性のない人間であろうとなかろうと、すくなくとも、漱石ははっきりと「代助は『最後の権威は自己にあるもの、と腹のうちで定めた』」と書いているのだから、とくに代助の主体性を否定する場合は、この言葉について具体的に説明する義務があるというものです。実際に代助の主体性の欠如を発見した漱石であるからこそこのような言葉を意識的に書き込んでいます。無意識的にただその言葉そのままを豊太郎の特徴とする鴎外とは全く違います。

 代助のこの言葉は、無為徒食のうちに生きている高等遊民である代助にここで主体性が生じたのではないかという疑問が生じさせます。いかに消極的な生活をしていも、その中ではっきり自分の主体性を意識したことにおいても主体性が誕生しているのではないか、と当然考えられます。この言葉について再びやはり高等遊民の口にする無意味な言葉に過ぎないと考えるならば、このような意識形態の位置づけは不可能になります。では、どう考えるのか ? すくなくとも、あるのかないのかという形式での疑問は疑問として間違いです。

 主体性の問題は漱石がはっきり意識していた問題で、漱石はこの作品で主体性の追及の端緒を方法論的にはっきり捕まえたといえます。
 まず代助を無為なインテリとして、その生活とその生活にふさわしい意識を丁寧に、研究しているかのように描いています。その描き方の眼目はどのような言葉も無為な生活から出ている空論にすぎないこと、実質を持たないことで、それを落ちぶれた平岡とブルジョアである父や兄の言動と対比して明らかにしています。
 このような前提の上で代助の意識の変化を明らかしています。このような状態を確認した上で、代助がアンニュイを抜け出し、自分の主体性を意識するようになる過程を描くことに、漱石が主体性をいかに深く捉えているかが理解できます。
 漱石はここに引用された言葉で、代助の主体性の欠如と同時に主体性の誕生とを描こうとしているのだろうと思われます。先ず代助に主体性がないことを描き、さらに高等遊民の生活に危機が訪れ、別の生活への転換を迫られるという客観的な必然性を描いた上で代助の意識の変化を描いており、深い二重性が生じています。代助の意識の背後に必然性が展開してそれが代助を動かしており、その過程で意識が変化していることを、特有に変化していることを描くのが漱石の力量です。

 漱石は『虞美人草』までの作品で主体的な当為を掲げて失敗したことで、社会や人一般に対して当為を掲げる主体性はありえない、それは無力であることをはっきり意識して、それをこの作品の出発点にしています。このように、当為を掲げることは主体的でないことを意識して、その意識が実は境遇に規定された意識であることを認識することが主体性の出発点になります。それなしには常に主体性は空虚になり掛け声に終わるだけです。真摯な思想家であった漱石は、当為を掲げて自分の善意をアピールすることで満足することはありませんでした。代助が自分の主体性を意識することは実は無為徒食の生活をしているインテリが情勢に追い込まれた場合に持つ、あるいは持たざるを得なくなる意識形態であることをその背後の規定要因を描いた上で明らかにしています。
 ところがこれは主体性の単純な否定ではなくて、主体性の具体的な規定です。この代助の意識は、客観的な情勢に規定された意識形態である、ということですので主体性の単純な、全的な否定とは違います。つまり無為徒食の生活で主体性を失った代助が、危機におそわれて生活の転換を迫られた場合に、主体性を意識する、という場合には、肝心なことは、これは言葉通りの意味ではなく、追い詰められた結果としての意識の変化である、つまりは主体性の代助らしい形成の端緒であるということができます。

 こう書くと、いずれにしてもここに代助の主体性が始まっているのではないか、という反論が生じますが、それでは漱石が代助の主体性について具体的に描いた意味がなくなります。問題は主体的か非主体的かではなく、つねにどのような主体性かです。意識形態は客観的な情勢によって規定されていますから、意識の内容は客観的な情勢との関係でのみ規定されます。だから、このような主体性の自覚は単なる形式、意識形態に過ぎないということと、このような主体性についての意識形態は、主体性がもっとも欠如している消極的立場に生ずる主体性であるということが、つまりこの意識形態をそのままに受け取らないことが重要です。たとえば主体性の端緒を反映した言葉が、「もう生きていく希望はなくなった」とか、「なにをしていいのやらまったくわからなくなった」という言葉であっても代助のこの言葉より主体的でないとはまったく言えないし、主体性の喪失であるとも言えない。つまらないことに、無意味なことに希望を意義を見いだしていた生活のおわりをつげる言葉であれば、それは新しい現実認識がすでに始まったこと、地についた意識の形成がすでに始まっていることを意味する場合もあります。というより代助のように主体性の形成を決意する場合よりも常に主体的な立場を反映しています。
 したがって、主体的であるかどうかを単純にその言葉で判断しないこと、主体性を量的にあるとかないとかいう言葉で表現することはできないことを理解することが肝心です。漱石はもっとも主体性のない状況を描写したうえで、この言葉を代助の新しい意識の形成として描いていますが、それは具体的な状況と意識形態のギャップを明確にすることによって、代助の新しい意識の形成過程と、現状に於ける意識形態が全く違うことを描こうとしているのです。

 大助のこの言葉は、無為な生活によって現実に対して消極的な対応しかできなくなった場合には、追い詰められた結果としての行動を主体的な自己自身における決意として意識化するという関係が描かれています。ということは、自分を含めた客観的な情勢を代助自身はまったく意識できていないこと、自分が追い詰められていることすら理解できずに、それを逆転して自己自身における出発と考えるということです。したがって、代助の主体性の確立のためには、彼のこの意識、この主体性の自覚の形態がこれから破壊され、それによって自分が追い込まれていること、自分の意識が現実とどのような分離的関係にあるかを理解しなければなりません。したがって代助のこの言葉はアンニュイから抜け出して主体的な生き方を決意することにおいて、自己の主体性の欠如を認識する端緒となっている、という意味があります。この意味でのみ代助は主体的です。どんな人間にも主体性はありますし、どんな形態でも主体性は意識化されますが、代助は無為な人間としてもっとも主体性の欠如した人間として自己の主体性を意識しているということが重要です。漱石の規定の深さは、代助の主体性をもっとも深く、その主体性がいかに欠如しているかを根底的に追求しているという意義があります。そしてそのもっとも深刻な欠如をこの主体性の自覚という形式で示しているところが漱石らしい論理力と言えます。代助が主体性の端緒にようやくたどりついたのは、主体性を徹底して喪失して、その喪失を現実的に経験する場面です。したがって、漱石は、自己の主体性の意識を破壊する事を当面の課題とするという、もっとも本質的な場面に代助を描写しえたということです。主体性を当為を掲げるすべてのインテリは、実は主体性の確立のためには思想的にはこの主体性の喪失のもっとも深刻な自覚にまでまず到達しなければなりません。当為を掲げることを、決意をすることをもって主体的であると考える場合は、漱石のこの本質的な描写の構造を理解できずに、この言葉をもって主体性の萌芽とすることになります。思想の上では、自己の主体性を意識したこの意識こそが、代助の主体性の欠如を示しており、また彼の主体性を阻む意識形態となっているということでしょう。だからこそこれが課題であり、読者も又この言葉の意味を理解することを求められています。
 代助の意識のありかたも実は彼の主体性のあり方を現象として具体的に示していますが、その真の姿は、客観的な情勢との関係で理解する以外になく、漱石はそのすべてを理解できるように、彼自身が理解した上で描いているということです。

 インテリに主体性が欠如していることの認識と、その反映としての意識形態の関係の発見は漱石の思想に巨大な深化をもたらし、漱石の主体の形成の端緒となりました。この成果にもとづいて漱石は『門』以降の作品を描いていきます。抽象的に言えば、自分に主体性がないことを認識する過程を主体性の形成過程として描くことになります。

 形式的ですが、このような考え方によって代助の主体性を位置づければ、漱石の細かな位置づけが理解できるのではないかと思います。こうした抽象論はなれないとつまらないことのように思われるかもしれませんが、多少慣れればそれはそれで結構面白みもあります。漱石自身はこうしたことを深く考えた上で作品を書いているので、こういう考察なしに漱石の作品を分析することはできません。ところが鴎外の場合は、作品ではこうした複雑な関係はまったく意識されておらず、思想的にはごく平凡で素朴です。といっても鴎外が自分の意識を単純に対象しているだけの作品も、当然客観的な歴史過程を反映していますので、鴎外自身が二重化できていないにしてもやはり抽象的な方法論なしにはすまされません。

 こうした問題についてはまだまだ考察すべき興味深いことがありますが、今回はひとまずこれにて終わりにします。

    home