「卓上一枝」(明治41年2月)


   啄木は明治39年3月20の日記に、社会認識としての一元二面論を書いている。現実の基本矛盾を自我と他我の対立と見る場合に生ずる、意志の拡張が他を否定することになる矛盾を、自我が自己意志と同時に利他意識を持つことをもって解決できるとした。これは個と個の対立を原理とし、主観内部で矛盾を解決するもので、啄木の論理的な思考力を示しているとは言え、複雑な論理の展開の可能性を持たない。
 明治40年3月の「林中書」では、啄木の社会認識に、社会変革の当為を基軸とした天才的個人と社会=歴史の関係が入り込んでいる。個と個の関係から個と社会の関係への移行である。
 明治40年北海道を転々としていた啄木は、9月には自分の使命が文学にある事をはっきり意識している。40年12月に小さな事件をきっかけに小樽を去る決意をした。啄木は小樽を離れるべきであると思っていた。年末に職を失い、妻の帯と母と啄木の衣類を質にいれてようやく年を越した。そして、年初には文学についての新しい考察を日記に書き始めている。そして、1月四日に、長谷川天渓の「現実暴露の悲哀」が掲載されている「太陽」が啄木の手に届いた。
 天渓のこの評論は、主観のあらゆる虚偽を否定して現実をありのままに認識する、という視点で徹底しており、啄木のロマン主義的な傾向や天才主義と対立していた。啄木は40年10月31日の「冷火録」でも超人思想を掲げているが、すでにロマン主義的傾向を否定しつつあった啄木にとって、啄木の否定をも超えて展開している天渓の徹底した論理は衝撃的であっただろう。
 啄木は主観の虚偽や幻想を否定する点では、自分の過去の思想を否定する視点から、天渓の主張を受け入れている。多くの人は自然主義を批判しているが、批判する前に、自分の主張が正しいか自然主義が正しいかをよく考えてみるべきだ、と書いている。それは天渓の主張する自然主義と対立的な精神をもっていた啄木にとって切実で深刻な反省であった。
 啄木は、希望や理想という名の「生活幻像」を不確実でいたずらな美名として否定し、「社会的経験に依つて得たる生活概念を固定し、此概念より組織せる虚偽の法則を作つて人生自然の真を掩ふ。」ことを否定し、技巧過重の弊を否定すること、つまりは、「一切の法則と虚偽と誤れる概念とを破壊して、在るが儘なる自然の真を提げ来る。」として天渓の主張する自然主義を受け入れている。
 
 しかし、啄木は天渓の主要な結論を受け入れつつも、基本原理を受け入れていない。啄木のロマン主義的な精神の基礎には、個人の自由を絶対とする個人主義と天才主義があった。この観点からすれば、天渓の「現実暴露の悲哀」は個の主体性を否定しているように見え、そのために天渓の主張の帰結に虚無主義を見いだしている。天渓は虚無主義を主張していないが、主体性を擁護するために、天渓の主張に虚無主義を見いださねばならなかった。
 啄木にとって天渓の主張は、「我によつて我の中に見たる自然の我を以て、一切の迷妄を照破し、一切の有生を率ゐて、一先づ『自然』に帰らしめんとする運動なるのみ。」である。つまり、主観の迷妄を取り去ることは、一先づの運動として認めることができるのであり、その上で、さらに一歩を進めるべきである、と考えている。しかし、その一歩を踏み出すことは容易ではない。
 啄木は天渓との関係において、「林中書」で批判意識として誕生していた、歴史の発展と天才的個人の関係、さらに一般的には現実と主観の関係という近代哲学の基本的な課題に到達している。こうした本質的課題に自然に突き当たるのが、漱石と啄木の歴史的な運命であった。啄木の天才主義を否定する論理が天渓の中に時代の必然として同時に形成されており、現実認識の発展の合法則的な対立関係にあった。
 天渓は、既成の観念、権威、主観的な理想、夢想、偽善等々を徹底して否定して、あるがままの現実を受け入れる場合、現実認識は希望や自己欺瞞を失って悲哀が残る、とした。天渓の限界は、主観性を廃棄すれば現実がありのままに精神に反映する、とすることに対する批判意識がないことである。現実認識において、虚偽意識を廃棄すべきであることに疑問の余地はない。なぜ疑問の余地が無いか、といえば、主観的な虚偽を排除すれば現実が反映されるというのは、同語反覆だからである。現実と主観の関係では現実を反映した意識と、反映しないさまざまの幻想や虚偽意識の二つに分けることができる。その抽象化の上で、主観の虚偽を廃棄すれば現実的精神が残る以外にない。だから、虚偽を廃棄すれば真実が残る、と主張しているのであって、何が虚偽で何が真実で、虚偽をどのように廃棄するか、真実をどのように獲得するかはやはりまだ問題にされていない。
 天渓を批判するためには、天渓の主張を一歩すすめて、ありのままの現実とは何かと問わねばならない。しかし、啄木はその疑問の前に、その疑問を解くためにどうしても必要である主体性の契機を重視し、天渓の主張の限界を主観の積極性、主体性によって超えようとしている。しかし、この疑問は合理的であるにもかかわらず、主体性を当為として掲げ、主体性が存在することを主張することは天渓にとって取るに足りない批判である。現実を反映しない精神を虚偽意識とする天渓の視点から言えば、現実と一致することが主体性であり、現実の反映の結果として悲哀を感じることは近代の現実と主観の関係の特徴であり、悲哀を感じることは近代的自我のつまりは主体の特徴だと主張しているからである。したがって、主体性を対置し、主体性を当為としてかかげるのではなく、天渓の主張する主観は主体でありうるのか、現実との関係で言えば、主観の幻想を廃棄することで現実的たりうるのか、さらに踏み込めば、ありのままの現実とは何か、あるいは現実とは何かを問わなければならない。つまり、天渓も実は主体性とはなにかを問題にしており、現実を反映しない虚偽の主観はどんな積極的な形式をとっていても無力で空虚だ、としている。その結果としての悲哀を批判対象にしても天渓を超えることはできない。だから主体性を主張するのではなく、主体性とは何かを問題にしなければならない。
 しかし、天渓の主張に主体性の契機、主観の積極性の契機が欠けていることは誰でも感じ取ることで、それを問題にせざるを得ないところまで論理を徹底している所が天渓のすぐれた論理力である。結論が不備に見えるがあくまで原理を貫いており、この論理の徹底が思想の原理として啄木を捕らえている。啄木は理想や主観の欺瞞や既成の概念を否定する天渓をまず過去の自分の弱点として受け入れている。しかし、天才主義につながる個人主義の観点と、その個人、天才の使命である社会変革の点において天渓を受け入れることができなかった。ここから、天渓の現実主義と啄木の主体性の格闘がはじまる。啄木はこの「卓上一枝」においても、天渓の評論を真摯に受け止めた上で、可能な限りの方法で主体の回復を求めている。
 
 ■ 「目を上げて社会を見るの時、我が目殆んど眥裂けんとす。目を落して静かに社会を思ふの時、我が心忸怩として暗然たり。不知、此社会を奈何。一念ここに到る毎に、我が耳革命の声を聞き、我が目革命の血を見る。人は自然に叛逆す、我等は人に叛逆を企つべきのみ。自然に背く者は真と美に背く者なり。見よ、一羽の鳥だに天空を翔るの翼あるに非ずや。」
 
 天渓は現実を受け入れるのみであり、革命的な、変革的な主体を問題にしていない。啄木にとってはこの変革的主体こそが精神のすべてであり、これを捨て去ることは出来ない。だから、再び超人思想を掲げている。ニーチェによって意志の絶対性を主張し、デカルトによって個の絶対的権威を主張している。天渓の主張との論理的な対立点をみいだせない啄木にとって主体の強調を対置する以外に方法がなかった。同じことをくり返している所を見ると、啄木はおそらくこの弱点を意識していただろう。
 
 ■ 「意志は永遠より水遠に亘る。過去一切の歴史は、人類生存の意志が僅々六千年間に成し得たる短時日の記録に過ぎざるなり。されば其中に、吾人の未来を規範し得べき何等の権能あることなし、過去の歴史を顧眄して低徊する国民は漸くにして退歩す、過去の経歴を公言して誇驕する人は漸くにして衰耗す。歴史は過去のものなるが故に須らく之を過去と共に葬るべし。新人は唯将に新歴史を作るべきのみ也。ニイチエが一切の歴史を無視する所以此処にあり。」
 
 社会変革を目的としている啄木にとって、天才はあるがままの現実を反映するだけの存在ではなく、歴史を創り出す主体である。天渓の評論には、歴史を創り出す主体が存在しない。天渓を論駁するために啄木は天才という個の主体性を徹底して主張しており、そのために、天才的個人と対立するものとして、法則を否定し、道徳を否定して、「自ら思想し自ら司配する独立の個性」を対置し、さらに当然の帰結として、「一人の天才を作らんが為めには(p135)十万の凡人も又当に犠牲とすべし」という主張をも肯定している。社会変革を一人の天才に頼るとき、論理の帰結として如何に危険な俗論にたどり着くかがわかる。こうした主張は、天渓の周到な論理に対立するとき避けることの出来ない結論であり、啄木もこの論理の自然な流れによって自分の天才主義の修正を迫られ、大きな一歩を踏み出している。
 啄木はここまで論を進めた後、天才の絶対性を主張するニーチェの主張に関連して、明治39年の日記と同じ一元二面論を持ち出している。一元二面論は、天才を作る為に十万の凡人をも犠牲にすべし、という帰結と対立している。啄木の一元二面論は天渓を論駁して主体の絶対性を主張するとき破綻する。しかし、それを主張しなければあるがままの現実を受け入れるという天渓の主張を受け入れなければならず、主体性を否定しなければならない。こうして啄木の現実認識は基本的な修正を受け、天渓と同じ論理の平面に移行することになる。
 
 ■ 「一切の矛盾、一切の撞着、凡そ人生を混乱せしむる一切の囚は皆此人生自らの両面に胚胎し、而して其一切の混乱は、此両面を調節したる最後の理想的人格の予想によつて解決し得らる。此立論は予が唯一の哲学なりき。此一家の哲学を立てゝ予は一切の懐疑霧散したりとせりき。」
 
 人生上に経験する矛盾を自己意識と他の意識の対立という基本矛盾によって理解し、解決は其の矛盾の統一である、とする抽象的な論理のセンスは優れている。そして、明治41年にいたって、天渓が提出している現実と主観の関係の前で、この論理上の解決がまったく意味をなさないことを思い知らされている。啄木の求める天才、理想的人格とは、社会変革を担う主体である。しかし、自己拡張の意志と自他融合の意志を併せ持つことによって、一切の矛盾、一切の撞着を解決することは、主観内部での解決であって社会矛盾とはなんの関連も持たない。社会変革を担う主体ではあり得ず、孤立的な無矛盾的人格にすぎない。
 社会変革を主な関心とする啄木にとって、基本矛盾は自我と他我の対立ではなく、天才主義に含まれている矛盾であり、自我と現実の対立の問題である。この場合、天才的自我の主観のありかたは問題ではなく、天才的自我が現実とどのように関係すべきか、が問題になる。この場合すでに、変革的な意志を持つべきだという当為の無力も明らかである。啄木はここですでにこの問題に突き当たっており、それを自覚しており、一元二面論を廃棄している。
 
 ■ 「然れども悲しい哉、予の哲学は予に教ふるに一事を剰したり。曰く、笑ふ可きか、はた泣く可きか。笑ふ可きものならば生きもせむ、泣くべきものならば寧ろ死して墓田に眠を貪るに如かじ。予、此生死の大疑を解く能はずして、弊衣破帽、徒らに雲水を追うて天下に放浪す。心置くべき家もなく縋るべき袂もなし。
 予は、予の半生を無用なる思索に費したるを悲しむ。知識畢竟何するものぞ。人は常に自己に依りて自己を司配せんとす。然れども一切の人は常に何者にか司配せらる。此「何者」は遂に「何者」なり。我等其面を知らず、其声を聞かず。之を智慧の女神に問へども黙して教ふる所無焉。」
 
 情緒的な文章のなかに巧みに論理を編み込んでいる。啄木は自分の文学的・思想的な力に自信をもち、自信にふさわしい才能をもち、その才能を多くの人に認められていた。そして、その才能にふさわしく、これまでの自分の文学的な感覚と思想の成果を否定している。そして近代思想の基本的な課題である、現実と主観の関係を問う立場に到達しており、その巨大な課題の前に自己の無力を自覚している。この巨大で無限に豊な内容を含む課題に到達した啄木が、なお「徒に雲水を追うて天下に放浪す」ることはできないであろう。啄木はここにおいて真の概念に捕らえられている。しかし、この概念世界での次の一歩を踏み出すことは、この年にはできなかった。


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