『追儺』 (明治42年5月) 


 この作品は、内発的な情熱に突き動かされたわけではなく、雑誌の依頼を受けたために、思いつくことを随筆風に日記風に、深く考慮することもなく、しかもバルザックと違って忙しい役所仕事の後に、夜中に寝床から起き上がって書いたものである。こう鴎外は弁明している。しかし、楽な気分で書いたふうな文章にも、書かずにおれない内的表白が現れている。それを芸術論的な社会批判的な形式によってうまく覆い隠して書いているのがこの作品の特徴である。

 凡て世の中の物は変ずるといふ側から見れば、刹那々々に変じて已まない。併し変じないといふ側から見れば、万古不易である。此頃囚はれた、放たれたといふ語が流行するが、一体小説はかういふものをかういふ風に書くべきであるといふのは、ひどく囚はれた思想ではあるまいか。僕は僕の夜の思想を以て、小説といふものは何をどんな風に書いても好いものだといふ断案を下す。

 最初の文章は無意味である。「かういふものをかういふ風に書くべきであるといふ教」というのも芸術理論に似た無意味な文章である。これほど意味のない、しかも意味のありそうな文章を書くのが鴎外らしい才能である。「小説といふものは何をどんな風に書いても好いものだといふ断案」も何ら意味を持たない断案である。芸術は芸術らしくなくてはならないし、芸術はどんなふうに表現することも自由である。これは両者とも芸術の基本的な特徴であって、この主張が対立しているふうに書いたのが鴎外の工夫であり無知である。
 鴎外は、自分の小説が評価されないのは流行に合わないからであるが、スタンダールのように流行とかかわりなく評価されている事例もあり、自分は今の流行に合わせる必要を認めない、と主張している。流行していることがすぐれた芸術の証明ではないし、「小説といふものは何をどんな風に書いても好いもの」であるが、だからといって、流行遅れの鴎外の小説がすぐれていることにはならない。何をどんな風に書いてもよいとしても、書かれた物はどんな小説でも芸術であるとはいえないことは鴎外でも理解できることである。この作品の内容は、こうしたなんの関係もないことを関係あるかのように描く形式として表現されている。
 小説の書き方をあらかじめ決めることはできないという抽象論は、当時流行していた自然主義をあてこすった非常に臆病な不満である。鴎外の主張は自然主義の理論に一歩も踏み込んでいない。どんな小説にも、どんな芸術についても言える抽象論を持ち出すのは、自分の作品に対する評価に不満を持ちながら、批評を敵に回す覚悟で具体的に批判する事もできず、批評を無視して自分の作品を追求するほどの力量もなく、しかもなお、自分を肯定する意地を示さずにおれないために生まれた自然な方法である。鴎外は、自分は時流に反して自由な創作をする、とわかりにくく主張している。時流と独立した自由な小説を実際に書くのではなくて、自分は自分流に書くのだと、しかも対立的でなく妥協的な形式で小説の形式に仕上げているところに鴎外の精神の特徴がある。

 鴎外が自然主義の主張を具体的に問題にせずに、「かういふものをかういふ風に書くべきであるといふ教」としているのは、鴎外のこの時期の立場を反映している。何をどういうふうに書くべきかという問題を、たとえば、自己の内面を暴露すべきであるとか、苦悩する人々の姿を描くべきだとかなどと具体的に規定する場合は、芸術論として複雑な矛盾を含むためにすぐさま論争を引き起こす事になる。鴎外は、いかなる矛盾もふくまないように用心する結果として、具体的主張を見下した高みで抽象論の世界に到達している。対立を回避するために内容を含まない主張に到達しているが、鴎外自身はそのことを理解しておらず、それを高度の抽象化であり理論化であると思っている。これが鴎外の思想の発展の基本的な傾向である。
 「何をどういうふうに書くべきか」を指定すべきではない、というのは具体的には自分の作品についてあれこれ言うな、という意味である。褒められる事を拒否する事はないので、批判するなといういみである。しかし、批評と決定的に対立する主張に踏み込まない。自分の独自性の主張は、「何をどんなふうに」書いてもいいという、誰も反対できない「断案」として主張されており、他の書き方に対する批判にも触れないように後退した規定である。自分の独自性の主張として、私は個人として自由に小説を書いているのだから、その価値など問題にされたくない、という趣味の主張にとれるし、後期の作品のように、自分の作品は流行の主義主張よりも高いから俗物には理解できない、という意味にも取れる。あるいはいづれともとれない。鴎外の作品が時代後れになりはじめていることが感じられ始めているが、まだ時代の流れとまったく一致できないとは意識されていない。鴎外自身が、文壇の批評とどのような関係にいるか、また居るべきか決めかねているし、実際にまだ関係が曖昧なのである。

 Carnevalの祭のやうに、毎年選んだ王様を担いで廻つて、祭が過ぎれば棄てゝ顧みないのが、真の文学発展の歴史であらうか。去年の王様は誰であつたか。今年の王様は誰であるか。それを考へて見たら、泣きたい人は確に泣くことの出来る処があるが、同時に笑ひたい人は確に笑ふことの出来る処がありはすまいか。
 これは高慢らしい事を書いた。こんな事を書く筈ではなかつた。併し儘よ。一旦書いたものだから消さずに置かう。

 これは批評がその年のいちばん優れた作家を投票で選ぶことについての批判である。「かういふものをかういふ風に書くべきであるといふ教」という空虚な抽象論の間から本来の関心である愚痴がこぼれだしている。流行に乗る事が芸術の価値ではないし、批評家がすぐれた作家を投票で選ぶことが真の文学の歴史をつくり出すのでもない。鴎外は、人気投票が真の文学発展だとは誰も思っていないことを知っているからこそこんな批判をしている。鴎外の主張は、誰に対する批判でもないし、どんな芸術論に対する批判でもない。鴎外は、カーニバルのあり方を具体的に批判するのではなく、カーニバルと真の文学発展の歴史は違うと書いている。不満は表明しているが不満の正体を隠している。人気投票のやりかたが悪いとも言えず、まして、自分が選ばれないのが不満であるとも言えず、表明しにくい不満を「人気投票は、真の文学の発展の歴史であろうか」などという焦点のぼけた疑問の形で表白している。「高慢らしい事」ではなく卑屈な不満である。
 書くはずではないものを書くのも鴎外の特徴である。こういう弁解をするのは、自分の書いていることがうまくないと多少感じているからであろうが、それもまた鴎外としては貴重なネタであるし、それをうまくまとめる伎倆をもっている。短い作品に前振りの弁解が三ページもあり、そのあとに本格的な弁解が続いていて、その弁解が前の弁解とうまくつながっている。鴎外の作品は直観的にまず弁解である。しかし、よく読むと弁解ではないように思われる。そして、もう少し深く読むとやはり弁解であることがわかる。その場合は弁解の質が具体的に明らかになる。

 此頃物を書いて人の注意を惹かうといふには、少しscandalの気味を帯びてゐなくてはだめなやうだ。併し雑誌の体面といふものがある。僕はさう思つて、新喜楽の三字に棒を引いて、傍へ「追儺」と書いた。これなら少くも真面目に見える。僕は豆打の話をしようと思ふ。

 「小説といふものは何をどんな風に書いても好いものだといふ断案を下す」という大げさな宣言の結果が「豆打ちの話」である。「豆打ちの話」をこういう風にかくべきだ、と誰も問題にすることはないであろう。ところが、鴎外が鴎外が現実に直面しつつある問題は、鴎外が「何をどんな風に書いても」問題にされなくなっていることである。この「豆打の話」というのは、朝起きました、歯を磨きました、顔を洗いました、式の無意味な事実の描写の間に書物的知識を差し込んだ文士的な文章である。いくら手際よく描いても、これでは流行に乗るわけにいかないし、「小説といふものは何をどんな風に書いても好いものだといふ断案」も必要になるだろう。しかし、「豆打ち」の話は小説として面白くないし、「小説といふものは何をどんな風に書いても好いものだといふ断案」も大げさで無意味な断案にすぎない。「豆打ちの話」だけでは意味も面白みもなく、「豆打ちの話」をするための大げさで空虚な断案が必要になり、両者ともに無意味に統一されているが、この全体が芸術としても理論としても時代に通用しなくなっていることを、この小説自体が明らかにしている。この小説は、鴎外が当時流行の自然主義と対立しえないことを表明している。しかし、この、非常に遠い、接点を持たない、対立とも言えない対立が、外面的には本質的で、根本的な対立に見えるのである。

 女の綺麗なのがゐるだらうと思ふ為めではない。今の自然派の小説を見れば、作者の空想はいつも女性に支配せられてゐるが、あれは作者の年が若いからかと思ふ。僕のやうに五十近くなると、性欲生活が生活の大部分を占めてはゐない。矯飾して言ふのではない。矯飾して、それが何の用に立つものか。
 只未知の世界といふことが僕を刺戟するのである。譬へばまだ読んだ事のない書物の紙を紙切小刀で切る時の感じの如きものである。

 鴎外はいつも綺麗な女のことを考えているわけではないが、自分がいつも綺麗な女のことを考えているわけではない、ということにはいつも関心をもっており、そこに自分の価値があると考えていた。だから、年をとって情欲がなくなったことが改めてその証明になると思っている。空想が綺麗な女に支配されるのは認識のレベルの問題、精神の質の問題であって性欲の強弱の問題ではない。性欲が強くて空想が女性に支配されるわけではないし、性欲が弱くて空想が女性から自由になるのでもない。女のことばかりを考えているわけではないという鴎外の空想は綺麗な女に対する関心であるとともに、性欲的な関心に支配されている鴎外らしい関心である。人間関係が薄く、愛情というものを知らない鴎外の作品では、どれほど粉飾されていても女性は性欲の側面から描かれている。鴎外が後に性欲について長々と書くのは再び性欲が強くなったからではなくて、鴎外の精神がそうした関心を持っており、それを書くことが流行に乗る事だと感じたからである。

 話はこれ丈である。批評家に衒学の悪口といふのを浚ふ機会を与へる為めに、少し書き加へる。
 追儺は昔から有つたが、豆打は鎌倉より後の事であらう。面白いのは羅馬に似寄つた風俗のあつた事である。羅馬人は死霊をlemurと云つて、それを追ひ退ける祭を、五月頃真夜なかにした。その式に黒豆を背後へ投げる事があつた。我国の豆打も初は背後へ打つたのだが、後に前へ打つことになつたさうだ。

 空虚な抽象論による弁解があって、宴会場についての高等趣味的な観察が二、三書き込まれて、全般的な弁解でまとめている。批評家が鴎外を衒学的というのは正しい。鴎外は衒学的と言われながらも衒学的な文章を書かないわけにいかなかった。官僚的な出世に伴う個人的な不平不満を一般的な形式に高めるために衒学的な知識を織りまぜる必要があった。だから、鴎外は努力するまでもなく、宣言するまでもなく「批評家に衒学の悪口といふのを浚ふ機会を与へ」続けた。鴎外が自分で衒学趣味を宣言しても、衒学趣味が増すわけではない。しかし、減るわけでもない。鴎外が衒学趣味について何をどんなふうに断案しても衒学趣味であることは同じである。


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