3. 浮雲 2


 「浮雲」は、文三やお勢の運命を「意の発達・論理」に従って描いており、安易な主観的構成をしなかった。あらゆる個別的、偶然的解決を排除した構成によって、アイデア的=本質的解決だけを課題にしている。と同時にそのことによって、お勢の軽薄や文三の弱点の克服の方法も、唯一正しい歴史的必然の形式で写実されている。文三の破滅に破滅しか見ないものは、形(フオーム)の背後にある意(アイデア)を見ないのである。
 文三は昇批判を維持しながら破滅する。四迷は破滅の一般的意義を描写し得た天才として文学史に残っているが、この意義を理解しない場合文三=四迷=破滅という従来の批評に共通な愚かしい結論に至る。四迷の場合作品分析の誤りが、「浮雲」の中絶や「浮雲」以後自分の文学的才能に否定的評価を下し文学から遠ざかった事実と重なって、四迷に対する誹謗中傷の域まで達しているので(これが批評の悪意でなく能力によることは後に述べる)四迷自身をこれらの批評から浄化しておこう。
 四迷の文学史的意義は残された三篇にあるのだから、中絶自体に大きな意義を与えるのはもともとバカげている。中絶の原因は「浮雲」の内容にとっては偶然的であって、それついて四迷は明治二十二年の日記で触れている。「かうひしひしとおもひつめる事の起りを惟みるにこれは全く浮雲第十九回をかきこぢらしたる(に)よれるなるべし」。(第六巻96頁)これは特に「人の心といふものは同一の事を間断なく思ッてゐると、遂に考へ草臥て思辨力の弱るもので。」(第一巻149頁)以下で、お勢を救う方法を発見できない苦悩が妄想に流れてしまったことをさすのであろう。四迷としてはお勢を救うための試行錯誤の中で銀行の不始末や生家の火事にあい、万策尽きて気が狂うという破滅の形式をとる予定であった。破滅の過程を文三の最大限の努力と外力との緊張として描くことによって、破滅の歴史的必然性が一層明らかにされるはずであった。ところが「書きこぢらせ」によって苦悩が主観的形式をとってしまい外的圧力を描写することができなくなってしまった、ということである。批評は「中絶」を、四迷=文三=倫理思想の崩壊と結び付ける(12)。実際は逆に、道徳的批判の立場が歴史的必然と対立し破壊されて行く、という彼の思想を十分に描くことができなかった点が「書きこぢらせ」による失敗である。四迷は、文三の一般的意義を描写するだけの芸術的才能をもっていた。文三の一般性とは、彼の破滅と歴史的必然の連関である。「書きこぢらせ」は連関の描写が不十分になったことを意味している。敗北を描いたことに彼の敗北が反映するのではなく、敗北を十分に描ききれなかったことが、「書きこぢらせ」によって生じた作品の弱点である。  
 (12)「『浮雲』の中絶は、彼が「人生」に於て遭遇した最初の、しかも決定的な「挫折」であった。彼は自己の思想の敗北を「数学」的に証明されたのみではない。その文学的表現の可能性さえ見失ってしまったのだ。そして云うまでもなくたとえ彼が文学上の間題を抛棄したにせよ、その実生活において苦しんだ倫理問題は同時に一段と矛盾を激化し、兇猛に展開して彼に迫った筈である。」(「二葉亭四迷論」中村光夫 117頁)
 第三篇を書きこじらせた四迷は「浮雲」を中絶し、以後「其面影」まで十七年間小説を書かなかつた。この「文学からの敗退」は「中絶」よりも四迷の思想に大きくかかわつている。
 明治二十年六月「浮雲」第三篇を発表した四迷は、八月二十三日すでに「新日本の青年」、「将来之日本」を発表し、二十年二月に「国民之友」を創刊して華々しく活躍していた徳富蘇峯に、「学術文芸殊に我日本国勢観察の指南者と仰ぎ可申」面会を求めている。この時四迷が持参した書簡に、四迷独特の批判意識が見られる。
 小生の感情は真理の愛すベく敬ふべく真理の為めには名誉財産は勿論性命たも尚且惜むに足らさるを感すれとも小生の智識は心理を愛敬崇重すへき所以を理會する能はさるやう成果て候も是れもまた怪むべき義には不可有之候
 斯之如き不完全なる教育を享けて一旦社会に立ちし事ゆゑ社会を観察する方もまた頗る不完全にて凡そ我帝国の政治学術文芸の有様我が兄弟の気風好尚の模様を観察して特に其の不完全を感ずるは帝国の感情に候帝国の美術に候青年有志之士の獨立自重気象に乏しき事に候一国之智識を以て自ら任ずる筆者先生の真理の愛すへきを知つて真理を愛する能はさる事に候然れともその智識の有様は喜ぶ可き有様なりや将た悲し可き有様なりや小生は之を知らず甚だ不完全なる有様なりと感すれども小生は之を知らず
 社曾を観察するの方不完全なること前陳の如くに候小生の一身を處するの方の不完全なることもまた言語道断に御座候去年一月旧外国語学校を退校せし時父母親族小生に迫りて官吏たれと強ひたれども我意を張りて肯かず権門に出入してお鬚を拂ふの必要を説きしものも有之候へとも是もまた冷笑して敢て心に留めず千辛萬苦伏薪嘗胆只菅自活の道を求めて止まず以て今日に至り候が固より人に誇るに足りる程の学問もなく技芸もなくして独立独行致さんと試み候事ゆゑその間名状すべからざる困難に遭遇致候然れども小生をして斯くの如き辛苦を凌ぎ困難を嘗めしたるは小生の感情にして小生の智識にては無之故に小生の行状は真理に近しとは感じ候へども実に真理に近きものなるや否を理曾すること不相叶是れ小生の平生遺憾至極残念千萬に存せし所に御座候。
 感情的の人間は猶ほ唖子の如く心に言はんと欲する事は畳千累萬山の如くにたゝまりあれど口には之れを言ふこと叶はず唯歎息と疾呼とを假りて聊か満腔の鬱憤を漏らすのみ此の悲むへく歎ずへく慰むへく長太息すへき境界は方今小生の棲息する小天地に御座候(第七巻160頁。四迷は、知と、感という字にまる印をしている。)
 ここでの四迷の主な関心は、資本主義の発展がもたらす青年男女の精神的傾向を批判することではなく、このような現象を批判し真理を愛する感情をあり余るほど持ちながら、真理といいうる新しい生き方が発見できない、という自己批判にある。彼は感情的批判に対する批判を課題にしている。四迷自身出世主義的な生き方に非妥協的であり、それによって私生活がどうにもならなくなる実情を経験していた。そのために出世主義者に非妥協的でなおかつ現実的な生き方、つまり真理に即した生き方とは何かを知る事が彼の切実な関心であり、傑出した批判意識の基礎となっている。
 蘇峰に面会を求めた時すでに「浮雲」の第一篇を書いていた四迷は、明治二十一年第二篇、二十二年第三篇と書き進めていくことによって、昇、お勢、文三の人間関係を研究し彼の求めていた真理を芸術的認識方法によって知ることができた。「浮雲」第三篇で知ったのは、すでに述べたように現実の諸関係の中では昇がいかに俗物であっても一層大きな力を獲得し、文三がいかに誠実であっても彼の期待でも幻想でもあるお勢もろとも没落する運命にあり、昇の俗物根性に打撃を与え彼の繁栄を阻止することは不可能だということである。歴史的必然には従わねばならない。昇がいかに俗物であろうと、この時点で最も能動的に活動しているのは昇であり、昇の活動が文三を苦しめると同時に苦しみを解決する契機ともなっていることを理解しなければならない。四迷は三年にも及ぶ「浮雲」による現実研究の中で、蘇峰への書簡にある感情的批判がそれ自体日本的軽薄であることを一層厳しく認識した。歴史を動かすものの意(アイデア)は道徳を越えている。昇的俗物根性とそれに対する批判的感情という形(フォルム)を支配する必然がその背後にある。したがってこの現実全体を前提し肯定した上で、両者の本質としての真理を研究しなければならない。あるいは真理の出現を待たなければならない、という厳しい確信を持つに至った。
 この結果四迷は「浮雲」第三篇の文三と同じように、一層困難な課題を引き受けなければならなくなった。批判的意識を持った人間が誰でも堕落と感じている現実を、徹底した批判意識を持ったことによって肯定的に評価する責務を負った。文三は、批判的意識を持つ人間の一般的運命を代表する個人として破滅する。しかし四迷は、この必然性の一般的意義を追及する人間としてなお苦闘を続けた。
 四迷は「浮雲」によって幻想を破壊し、正しい課題に達した結果まず「浮雲」を否定した。現実は余りにも否定的現象であらわれており、「浮雲」の発表が現実変革のための思想的根拠になり得るとは思われず、この「浮雲」をまさに、「浮雲」の精神によって越えようとしていた。「浮雲」第三篇を発表した直後の日記に、この苦悩が書き込まれている。
 また造句の法も曾得せで早く上手にならむとあせるからに筆もおのつからいちけてつゆのひやかなるところとてはなく一生それてはてなんとす。よき文章を作らむとおもえへばまづその心を練りてその気を養はむに如かす(第六巻82頁)
 就中余の筆はいちける癖あるは深く感したれば之を橋むるの念頻りにて遂に筆を執り此一節を走り書きにす(同上91頁)
 この苦悩は、文章家に対する次のような批判と対になっている。
 われつくづくおもふに今の世の人は小説家も批評家も皆流麗の文字のみよろこひてかゝらねばみるにたらずとおもへるに似たり 西洋の学者いへるか如く文章は小説にあらす さるからに能文の士必すしもよき小説家にはあらず 此差別をよくも辨まへずして謾りに小説をかきまた之を批評す あやまたじとおもふとも得べけんや 或云く学者の眼中には国といふものなく郡といふものなしと、誠に理を窮むるものゝ見識はさもありなん われ強ちに之をわろしといふにあらず されどたゞ造語の奇警ならむことをのみ勉むるが小説家の努めなりと云ふものあらはわれかろかろしく之に与みすることあたわず 固より文章家をもつてみつから任するものならばそれもよし されと小説家はたゞそれのみになつみてその他を顧みはむしろかたよりたりといふべし(同上76頁)
 自分のいじけた文章でなく、しかも文章家式の無内容な形式的文章でもない「のびやかなる」文章が繰り返し求められている。
 文章が「いちける」「しぶる」という傾向は、「理想なきにあらねど筆しぶりて」(同上92頁)と書いているように、作品の内容構成にかかわる問題であった。四迷は「浮雲」でも「其面影」でも昇や葉山のような出世主義者に批判的で非妥協的な人物を主人公にし、批判者は非妥協的であるために孤立し破滅する。四迷は昇や葉山に対して批判的に生きることの困難をよく知っていたから、社会的諸関係を深く観察し、必然からはずれぬように一字一句を苦悶の末に選んで描写すれば、文三や哲也は破滅的運命をたどる。現実の力関係の中では、批判者が非妥協的であれば、日常の些細な対立の一歩ごとに破滅の道をたどることになる。これが四迷の才能による現実感覚の基本的傾向である。四迷はたとえ困難な過程であっても、非妥協性が批判者の意識と現実的な力を対立の一歩ごとに形成していくような内容を構成することを文学の価値と考えていた(13)。しかし四迷の作品では批判者であるが故に孤立し、身の不運に苦しむ人間が主人公になり、文章がいじける。しかも特殊な運命や空想的構成に逃げ込むことを彼の優れた現実感覚=芸術的才能が許さなかった。したがって彼は「句を作ること余は拙けれど取分けて不足なりと思ふは結構の才なり」(第六巻74頁)「小説を作らむと思へとも材足らずして意に任せぬ」(第六巻97頁)と考え、「のびやかなる」文章で表現し得る個性や内容を描写することができないことを小説家としての能力の限界と考えた。
 余の今の心状は極めて不定なり 此世に住へる目的のありなしは暫くいはず、これより如何にしてくらさむといふことをおもひ定め得ず。ある時は断然今の生涯を棄てゝ、此東京を去り、何処にても静かなる所にて英語を教へ、その隙に自ら未だ読まさる書を渉猟して、智を研き心を練りてもて真理を看破せんと思ひ、またある時は此儘小説などを妄りに作りて、それにて如何にもして衣食の料を得、父母を養ひまゐらせ、かねては書を読み、世のさまをも観して真理の味ひも嘗めも(し)人にも嘗させんと思ふ。かう道を異にすれど到着く所は真理といふに外ならねば、いつれの道を蹈むとも我生涯の目的に於て分毫の損益なし、只今は道の二に岐るゝ所にたちやすらひて何れを行かんかと迷(ふ)のみなり(同上78頁)
 真理を理論的に追求すべきか、芸術的に追求すべきか迷った四迷は、明治二十三年八月内閣官房局に入り、理論研究を始めた。四迷が「文学から敗退し」理論研究を選んだのは、「浮雲」による新しい課題の発見のほか、経済的事情も含めた様々の原因によるのであろう。この事情については「私は筆を捨て創作をなげうった。他になすべきことがあったからである」という偉大なセルバンテスの言葉が十分な理由になる。四迷もまた他になすべきことがあり、またなしたのであるから、我々は彼がなしたことについて語ればよい。文学放棄や文学からの敗退について、悲劇ぶってしゃべるのは批評の俗な根性の表れである。天才の個人的苦境について、まして作品の中絶や文学放棄、挫折などという悲劇について云々することほど、凡俗な著述家の慰めになるものはない。天才が天才でなくなる所、私生活や作品の中絶という分野でようやく自分との同等や自分の優位を見いだし、天才を哀れんだり気の毒がったりするという快楽に興ずることができる。困難な歴史的課題などもつことができないために無意味な文章を大量に完成し苦境に陥ることのない幸福な著述家が、四迷の中絶や文学放棄に、傷口にたかるハエのように集まってくるのは、彼らの思想的触角の本性である。
 (13)イヤイヤさにあらず 是れは文章家の生涯なり 小説家は今少し打ちかかりたる所あるべし 一枝の筆を執りて国民の気質風俗志向を写し国家の大勢を描きまたは人間の生況を形容して筆者も道徳家も眼のとゞかぬ所に於て真理を探り出し以て自ら安心を求めかねて衆人の世渡の助ともならば豈可ならすや されば小説は瑣事にあらず 之をいやしといふは非なり 之をなすにたらすといふは生浮ひなり(第六巻73頁)
 四迷は「文学から敗退」の後、絶望に陥る暇もなく、「余が半生の懺悔」で四迷自身回想しているように、柳田泉氏が「二葉亭とその周辺」で詳しく紹介しているように、四迷らしい徹底性をもって理論的研究を続けた(14)。この時代の文書は、四迷がロシアに行く時すべて処分したために、内田魯庵の手許にあった日記が残っているだけである。全集第六巻に収められているこの有名な日記は、当然ながら「浮雲」と同じようにまったく理解されたことがなく、私生活や心理を挫折の観点から覗き見するために利用されてきた。日記であるから短い覚え書き風の文章の寄せ集めで、理論的形式を整えているわけではないが、「浮雲」と同じように高度の批判意識で貫かれており、四迷の卓越した理論感覚を感じさせる。ここでは「浮雲」に関係する文書で他に引用していないものを、紹介しておこう。
 世界の二大聖として自らも許し人も許すなる此二人すら尚ほ無限絶対なる能はざりしは前に論せし所にて審なるへし 然らば無限絶対といふことは生人ありにより以来一人として体合したるものはなきなり 然るにいかなれは世には絶対なるもの無限なるものありとおもふものあるにや 不審至極の事ともなり(第六巻 125頁)
 理想は我儘なる夢のみたゝ実際をもて真となす 世には理想を以て高しするものあり 吾より之をみれは是れ道を知らさる者のいひぐさのみ取るに足らす アゝ実際なるかな実際なるかな
 仏の涅槃も耶蘇のビューチゝュードも若し仏若くは耶蘇の理想せしまてにて彼等か実験したるものにあらねは三文の価打もなかるへきなり 世には理屈といふも(の)なし たゝ一実際あるのみ 人々未実際を体験せさるか故に屁理屈をもじぶくるなり 顧みるに及はぬ義なり どしどし実際をもて屁理屈を微塵に打ち砕きて通るへし なんくそッ(同上125頁)
 されば如何にすへき筈のものか俄に知りかたけれは、姑く忍ひて研究する他為すへき様なし。故に此場合に於ても尚ほ安心するを得へき也。勿論かゝる安心はいつれも絶対の安心にはあらで相対の安心なり。されと絶対の安心はよし得らるゝものとするも容易に得かたきものとおもひあきらむれば、それにて安心することを得へき也。要するに、安心とは唯安心するまてにて別に仔細あるまじとおもふのみ(同上136頁)
 われは絶対哲学をみること人と異なれり。人は絶対哲学を信すれとも、われは頗る其無益なるを疑ふ。其無益なるを疑ふと雖も、而れとも敢て之を排撃するにあらず。絶対の真理あリやなしやを研究するも絶対哲学の領分内なるへけれは此事分明ならさるまては、かゝる哲学も存すへき筈なれとも、一旦分明なるを致さは殆ど学としては存しかたかるべしとおもへは也。(同上141頁)
 しからは道義学は無用の長物なりやといふに左にあらず なるほど、従来のメタフヰジツクは無用の長物なるべし 然れども真のScienceなる道義学は尤も有用な学問也 然れども真のサイヤンスとしての道義学は従来の道義学とは全く異リたるものたらさるべからず 何となれは従来の道義学は一の理屈を定めて之に依りて安心を得むとするものなれとも真の道義学はたゝ天然の理法を研究するに止まるべければ也(同上 146頁)
 四迷が理論研究の結果到達したこれらの結論の内容は、「浮雲」の分析で見たものである。これらの引用を見るだけでも四迷の思想と批評に格段の差があり、批評が四迷を理解しなかったのも当然であることが分かるだろう。古い道義学を排し「天然の理法を研究するに止まる」には、偉大な才能を必要とする。
 四迷は「浮雲」で到達した思想を越えるために「浮雲」製作に匹敵する労力を理論研究に費やした(14)結果、やはり芸術形式による結論と同じ結論に、理論形式によっても到達した。この結論は、明治二十年代の現実を最も深く反映した、現実に指示された結論であった。昇に対する批判者が社会的勢力として形成され、現象として登場するまでに、まだまだ大量の昇がのさばらなくてはならなかった。
 (14)かゝる始末ゆゑ小説は筆を浮雲に絶ちたゞいまひたすら学事をのみ心を傾けをり申候 尤も文学もすきの道に候へはをり々々に発句をば口ずさみたのしみ候に御座候(第七巻185頁)
 四迷は「浮雲」と同じ結論に達した後、理論に対しても「浮雲」に対してと同じように否定的評価を下した。自分の望む作品を実現できないと考え、自分の芸術的才能を否定したように、絶対的真理や理想を否定することによって理論そのものを否定した。
 「論理とは何ぞ……これまた頗る疑はし」、「…智は尚ほ疑うへし、際限あるへからず、且つ物の真を知るといふことは人の得て為すへき事にあらし」 (第六巻139〜140頁)
 実は絶対的真理を否定しようとする四迷の理論が理論として確立されるべきであり、それによってはじめて彼の言う「現実」を理解できる。しかし明治日本での思想的蓄積のもとでは四迷のいかに優れた才能をもってしても弁証法の体系化や資本主義の分析が実現できるものではなかった。絶対的真理については否定も肯定も一面的であるが、四迷は絶対真理を不動の命題と考えた上でこれを否定しなお熱心に研究を続けることを主張している。絶対真理がないのに研究するとはいかにも歯切れが悪い。しかし、批評のようにろくに考えもせず考えないために歯切れがいいだけの無責任な断定よりもはるかに真理に迫っている。「真理性を主張する権利をもつところの認識は相対的誤謬の系列を通じて実現される。」(エンゲルス・「反デユーリング論」岩波文庫上巻146頁)と、絶対真理を理論的に規定することはできなかつたが、抽象的真理のために現実を否定したのではなく、抽象的真理を否定して現実への具体的対応を研究することで絶対真理の相対性の立場をとっている。天才が何かを否定する場合、たとえそれが自分の才能や理論であっても、天才にふさわしい理由があると考えるべきである。
 こうして四迷は思想家としての活動を自分のなすべき仕事ではないと判断し、「実際活動」へと関心を移した。持てる才能の全力をかけて芸術的、理論的に現実を研究した帰結であり、深刻な決意であった。たぐいまれな現実感覚を持った思想家にこのような運命を与えるのも、日本の物質的条件と思想的蓄積の合力が生み出す必然的帰結であろう。四迷を越えるほどの才能は、このあとずっと現れなかった。
 四迷のような厳しい批判精神だけが「浮雲」を描き「浮雲」を否定する。文学放棄や自己否定は才能の欠如を意味しない。日本文学の大改革をめざして「浮雲」を描き、作品の価値と文学的才能を否定し、理論による真理の探究に取り組んで真理をも否定し、「決闘眼になるのは実際活動だけだ」といって満州に行ったが実業家にもなれず、妙ななりをして貧民街に出入りし、ロシアの亡命者を助け、結局ロシアヘ行ってまもなく船中で客死した等々。このような人生は、この過程で獲得された思想の意義を認識できないものにとっては、「半生の失敗の連続」に映る。しかし、これは日本近代の最も複雑な過渡期を反映した時代精神の運命である。失敗の連続が時代を反映しているのではない。四迷は日本史上希有の業績を残しているのであり、その思想が時代を深く反映している。「浮雲」をはじめとする四迷の作品の価値を規定することによって、困難に満ちたしかし実りの多い四迷の運命を従来とはまったく違った色調で描くことができるようになるだろう。
 一般に四迷の批評は「浮雲」の意義や四迷の思想を理解できないために四迷の自己批評の意味を説明することができず、文学放棄(15)とか文学からの敗退などとおおげさに言いかえて、文学通り四迷の才能と「浮雲」の価値を否定している。しかし「浮雲」の分析からも明らかなように、四迷が「浮雲」以上に描けなかったのも、描けないことに苦しんだのも四迷のすぐれた現実感覚の証明である。どのような結末に達しようと、飽くまで現実の諸条件に従い、空想や理想に身を任せて主観的構成に陥ることのない厳しいリアリズムの才能である。四迷が「浮雲」と自分のこの時点の才能に否定的評価を下したのは、アイデアの次の展開である、昇を否定しうる新しい現実を発見できなかったからである(16)。しかし、アイデアという運動体は、常にその新しい展開を発見しようとする頭脳にのみ、この現実を一時的と見る頭脳にのみ正確に反映する。特に過渡期にある文三の到達点は、この立場を乗り越えようと熱烈に望む者が、その情熱を持つ間だけ肯定的人物として留まりうる立場である。
 (15)文学放棄説に対して柳田泉氏は十分説得力のある反論を提出しているが批評家は誰もこたえていない。柳田氏は四迷の精神を正当に扱った唯一の批評家であるが、作品の思想的評価を与えていないために資料的にのみ扱われている。「二葉亭とその周囲」からは、他の批評家とはまったく違った四迷像を得ることができる。四迷の思想を理解するには至らなかったが、四迷の偉大さを直観的に理解したもう一人の人物は坪内逍遥である。逍遥の「柿の蔕」にも四迷を知る材料がたくさんある。
 (16)「然しそれなら将来向ういふ姿になってゆくべきか、具体的に言ったらどういふ事か、と聴かれたれたってそれは分からない」(第五巻241頁)「文壇を覚醒す」全体を読めば、これが懐疑や無能でなく傑出した判断であることが理解できるだろう。
 「浮雲」で文三の思想的課題になっているのは、道徳的立場の克服である。この立場の克服は、文三の苦しみの本質的かつ現実的解決の唯一の道であり、思想の世界へ踏み込むための限りなく重要な一歩である。この課題が我々日本人にとっていかに重要かつ困難であるかを「浮雲」に対する従来の批評の分析によって示そう。文三を無力な破滅的個性と考え、文三の個性を乗り越えるべき日本的弱点として示そうとする批評が文三に比べていかに無力で無内容であるか、そして第二篇の識認に至る「浮雲」の単純な構成が、あらゆる主観的構成を排除するためにいかに高度の感受性と概念的力量を要したものであるかが理解されるだろう。

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