『ヰタ・セクスアリス』-4 (明治42年7月) 

  金井君は自分の立場や自尊心を守る消極性を、もっとも積極的な形式に仕上げていく傾向を持っている。これは日本人によく見られる二重性のタイプである。
 その霽波が云うには、自分は自由新聞の詞藻欄を受け持っているが、何でも好いから書いてくれないかと云う。僕はことわった。しかし霽波が立って勧める。そんなら匿名でも好いかと云うと、好いと云う。僕は厳重に秘密を守って貰うという条件で承知した。
 その晩帰って何を書いたら好かろうかと、寝ながら考えたが、これという思付もない。翌日は忘れていた。その次の朝、内で鈴木田正雄時代から取っている読売新聞を見ると、自分の名が出ている。哲学科を優等で卒業した金井湛氏は自由新聞に筆を取られる云々と書いてある。僕は驚いて、前々晩の事を思い出した。そしてこう思った。僕は秘密を守って貰う約束で書こうと云った。その秘密を先方が守らない以上は、書かなくても好いと思った。(p224)
 金井君は自尊心が強いので、断るのは見せかけではなく本気であろう。本気であるには断っても大丈夫という自信が背景にある。だからこれは本気の自己弁護、虚栄になる。金井君は自分を積極的に売り出すことも、まして売名行為をすることも嫌っている。その点では、村会議員の立候補を頼んだり断わったりする田舎式の儀礼とは違う。自尊心が強くて、自分に売名行為や売り込みの形式をかけらほども見せられないという強い意志を持っているので手続きが複雑で長く高級になる。こんな関係ではどこかで約束を破られなければならない。ところが約束に対して金井君はやかましい。こうした困難をどのように打ち破って行くか、厳格でありながら妥協の形式を取らずにどのように自己の意志を貫くかが鴎外の伎倆で、これは「舞姫」ですでに披露しているから繰り返しになるが、やはり鴎外らしさとしての魅力があるので、金井君の演説の部分を引用しておこう。説明が長いのは厳密ということ、わずかでも妥協を許さないからであるし、自分が売り込もうとする意志を持たないことを説明することが人格的な意味を持っていると信じているからである。
 「好いよ。書くよ。しかし僕には新聞社の人の考が分らない。僕がこれまでにない一番若い学士だとか、優等で卒業したとかいうので、新聞に名が出た。そいつにどんな物を書くか書かせて見ようというような訣だろう。そこで僕の書くものが旨かろうが、まずかろうが、そんな事は構わない。Sensation は sensation だろう。しかしそういうのは、新聞経営者として実に短見ではあるまいか。僕の利害は言わない。新聞社の利害を言うのだ。それよりは黙って僕の匿名で書いたものを出してくれる。それがまずければそれなりに消滅してしまう。いくらまずくても、何故あんなものを出したかと、社が非難せられる程の事もあるまい。万一僕の書いたものが旨かったら、あれは誰だということになるだろう。その時になって、君の社で僕を紹介してくれたって好いではないか。そこで新聞社に具眼の人があって、僕を発見したとなれば、社の名誉ではないか。僕はそう旨く行こうとは思わない。しかし文学士何の某というような名ばかりを振り廻すのが、社の働でもあるまいと思うから言うのだ」
「いや。君の言うことは一々尤だ。しかしそんな話は、戦国の人君に礼楽を起せというようなものだねえ」
「そうかねえ。新聞社なんというものは存外分らない人が寄っているものと見えるねえ」
「いやはや。これは御挨拶だ。あははははは」
 こんな話をして霽波は帰った。僕は霽波が帰るとすぐに机に向って、新聞の二段ばかりの物を書いて、郵便で出した。こんな物を書くに、推敲も何もいらないというような高慢も、多少無いことは無かった。
 翌日それを第一面に載せた新聞が届く。夜になって届いた原稿であるから、余程の繰合せをしてくれたものだということは、僕は後に聞いた。霽波の礼状が添えてある。
 金井君は自分のことではなくて新聞社の経営や見識を問題にしている。名ばかりを振り回すのはよくない、といった道徳を説いている。これは言葉の遊びで実質的な意味はない。その上でようやく文章を書く。漱石なら、新聞社に是非にと頼まれやして、弱ったでゲス、とでも書くところを、ながながとお願いさせたり、大げさな、しかし決して拒否にならないような抽象的な説教をする。こんな滑稽な会話を本気で、大まじめに書いているのが鴎外らしいところである。
 鴎外は文章の能力についても消極性を能力と考える特殊な感覚を持っている。書くことへの積極的な欲望や書く努力への積極的な欲望が才能の証であるとは考えず、逆に特に書きたいとも思わず、洋行を待ってぶらぶらしているときに、才能があるだろうから、注目されるだろうから、という思惑で何か書いてくれと頼まれて、説教付きで義理で書く、義理だから特に努力せずに推敲もせずに、簡単に書いてしまう、しかし、もともと教養があって才能があるために、それが他の書き手に比べると一段と優れていて目立ってしまう、これが才能や実力のあり方だと考えている。常識的にはこれは書くべき内容の欠如、能力の欠如、真剣さ、誠実さの欠如の兆候である。
 こういうやり方や気分は若い時の一時的な気分としてはないこともない。それが田舎からでてきた世間慣れしていない、臆病な若者の一時的な特徴であるかもしれない。当初は金井君の書いたものは読者の目を引いて、才能の誕生だと思われた。しかし、次第に世間がそのように評価しなくなった。それが次に書かれている。
 僕の書いたものは、多少の注意を引いた。二三の新聞に尻馬に乗ったような投書が出た。僕の書いたものは抒情的な処もあれば、小さい物語めいた処もあれば、考証らしい処もあった。今ならば人が小説だと云って評したのだろう。小説だと勝手に極めて、それから雑報にも劣っていると云ったのだろう。情熱という語はまだ無かったが、有ったら情熱が無いとも云ったのだろう。衒学なんという語もまだ流行らなかったが、流行っていたらこの場合に使われたのだろう。その外、自己弁護だなんぞという罪名もまだ無かった。僕はどんな芸術品でも、自己弁護でないものは無いように思う。それは人生が自己弁護であるからである。あらゆる生物の生活が自己弁護であるからである。木の葉に止まっている雨蛙は青くて、壁に止まっているのは土色をしている。草むらを出没する蜥蜴は背に緑の筋を持っている。沙漠の砂に住んでいるのは砂の色をしている。Mimicry は自己弁護である。文章の自己弁護であるのも、同じ道理である。僕は幸にそんな非難も受けなかった。僕は幸に僕の書いた物の存在権をも疑われずに済んだ。それは存在権の最も覚束ない、智的にも情的にも、人に何物をも与えない批評というものが、その頃はまだ発明せられていなかったからである。(p227)
 この「今ならば」というの今の鴎外に対する評価のことである。今は昔と違って、「智的にも情的にも、人に何物をも与えない批評というものが」発明されたために、雑報にも劣る、情熱がない、衒学的である、自己弁護的である、などと言われるようになった。自己弁護という罪名を発明したのは批評かもしれないが、自己弁護という意識を文学史上に持ち込んだのは鴎外である。この作品全体もそうであるし、この部分もそうである。どんな芸術品でもどんな意識でも自己に発するのであるし、自己と関係するから自己弁護として解釈することはできる。しかし、雨蛙でも蜥蜴でも弁護を目的としているわけではない。鴎外は自己弁護を目的としているし、自己弁護を主な内容としている。そんな一般的な意味ではなく鴎外の作品は他の芸術品や雨蛙と違って自己弁護的である。鴎外だけが自己弁護だと批判されているのに、雨蛙も蜥蜴もそうだと言っても反論にならない。
 この作品全体が、つまりその細部にわたってすべて自己弁護である。金井君が余裕で文章を書いたというのは、装飾的で誇張である。それは現実の鴎外の一部分であろうし、現実にこのような人物がいないわけではない。鴎外が理解できないのは、金井君の消極的な精神のあり方は、鴎外が実際にそれを余裕として感じ取り、余裕として描いても、世間ではそのように読まれず、虚偽と受け取られるということである。それは鴎外的な能力のあり方であり理想であろうが、それを有能の形式とするのは特殊な感覚であることを理解しなければならない。鴎外はそれを理解できなかった。だから、自己弁護であると指摘されると、そうではないという解釈を与え再び自己弁護を繰り返した。鴎外は自己の姿を本当に肯定しており、それが真実であると考えて批判に対して別の解釈を与えつづけた。それが自己弁護と言われるのは、鴎外自身の個人的な肯定に一般的な形式を与えるからであるが、鴎外にはその解釈に一般性がないことを理解できず、批評の無能が自分を理解しないのだと考えた。鴎外自身も自分の文章が自己肯定的であることにおいて自己弁護的であることは気づいていただろう。しかし、鴎外としては正しい自己を正しい自己として弁護したのであって、間違っているにもかかわらず正しいと主張したのではない。しかし、この自己肯定は基本的には鴎外の官僚としての高い地位に支えられたものであり、精神の一般性において肯定されていたのではない。鴎外は自分の精神の正当性を証明することができず、独自の成果を挙げることができなかったために、常にこのような弁護の必要があった。
 鴎外は描くべき内容の探究において自己と闘ったのではなく、自己の評判を守るために身の回りの人間や批評と闘った。鴎外は官僚世界の地位の肯定という狭い限界内で自己を守りその限界に気づかなかった。描くべき内容を自分の身近な関係から離れた社会的内容として追求することなど思いも寄らなかった。したがって書くべき内容を自己内に情熱として持ち、書かずにいられないという作家的な情熱や才能を全く持たず、身近な人間関係における衝突を主な原動力として文章を書いた。無論このような精神も身近な人間関係を離れて独自の抽象的世界を構成するのであるが、それは単に抽象化、形式化であって、内容としては狭い人間関係を超えることはできなかった。
 僕は再び脱走を試みようとはしなかった。僕が強いて争ったなら、霽波もまさか乱暴はしなかったのだろう。しかし極力僕を引張って行こうとしたには違ない。僕は上野の辻で、霽波と喧嘩をしたくはない。その上僕には負けじ魂がある。僕は霽波に馬鹿にせられるのが不愉快なのである。この負けじ魂は人をいかなる罪悪の深みへも落しかねない、頗る危険なものである。僕もこの負けじ魂の為めに、行きたくもない処へ行くことになったのである。それから僕を霽波に附いて行かせた今一つのfactor のあるのを忘れてはならない。それは例の未知のものに引かれる Neugierde である。(p229)
 「社主が先日書いて貰つたお礼に馳走をしたいといふの」で料理屋に行き、そのあと、吉原に誘われた。鴎外は自分の品性について非常に厳格な男であったから、こうした分かりやすい自堕落な遊びを決して好まなかっただろう。鴎外は自分を見失うことのない自己管理の行き届いた人間であった。しかし、その鴎外にも、そういう厳格で自尊心の強いからこそ生じる弱点があった。上野の辻で、霽波と喧嘩をするのはみっともないし、臆病からいかないのだと霽波ごときに馬鹿にされるのは不愉快である、それに知的な好奇心もある。こうした金井君の肯定的な精神性が、諸関係の中では帰って罪悪への道筋になることがある、そのように理解できてもやはり負けじ魂が強い力で働くことがある、と自分を分析している。
 金井君が吉原に行ったことについてのこのような認識は虚偽ではなく、ありのままの自己の表白という意味では真実であろう。それにもかかわらずこのような描写は自己弁護や虚偽だと受け取られるし、自己弁護であるという認識が真実である。というのは、金井君は自分が吉原に行くにあたってこのような意識を持っていた、と認識しているだけでなく、このような意識を肯定し、このように認識している自己をも肯定しているために、この肯定の部分に虚偽が生じるからである。それは金井君の意識の内部の二重性の問題ではなく、客観的な社会との関係、他の意識との関係で生ずる二重性である。
 鴎外は官僚として出世していくことに対して批判的な意識をもっていない。日本の発展において官僚が非常に大きな役割を果たしており、官僚として出世することが下層の人間にとって多くの労力と能力を必要としているとしても、なおそれは社会全体においては相対的な位置を持つだけである。エリートの数が少なく、エリートの特権が大きい程社会全体においては相対的で部分的な、歴史的に言えば保守的で反動的な位置を占めることも多くなる。しかし、鴎外かエリート官僚の地位を相対化できず、それを一般的な形式で肯定した。無論鴎外は官僚の地位を直接肯定したのではないし、地位や金への執着を肯定したのでもない。鴎外が公式に肯定しているのは、すぐれた人物として自己を管理し、精進し、自分の品格を守ることである。しかし、その意識が官僚としての地位に規定され、その地位に付随する意識であること、官僚の地位と体面を守ることを本質的かつ全内容としていることをまったく意識せず、そのまま一般的な価値あるものとして自己を貫いた。そのために自己自身の真実の告白において社会的な二重性が生ずるのである。
 具体的には、真実として客観視されねばならないのは、例えば金井君が文章を書くことを引き受ける過程で生じた精神に内在する二重性である。鴎外は金井君のこうした意識を批判的に検討する必要すら感じなかった。吉原の場面で批判的な認識が必要になるのは、金井君の知的な好奇心や負けじ魂という精神がどのような内容を持つかである。ところが、鴎外は霽波に誘われ強制されたことを表面に持って来て、負けじ魂と知的好奇心をその本質ないし内容として描写する。負けじ魂と知的好奇心を告白しているとい形式で、そのものの質を明らかにすることなく肯定している。これは誤魔化しであり無批判性であり、自己弁護である。しかし、鴎外にとっては吉原に行くことにどんな形式であっても自分の意志を認めることが、能力一杯の自己批判であって、その意志の内容自体を問う意志はなかったしその能力を持たなかった。したがって、鴎外にとってだけでなく、批評にとっても鴎外の自己弁護の内容を理解することは実際には非常に難しい課題なのである。
 中年増は僕の茶を飲んだ茶碗に目を附けた。
「あなたこの土瓶のをあがったのですか」
「うむ。飲んだ」
「まあ」
 中年増は変な顔をして女を見ると、女が今度はあざやかに笑った。白い細かい歯が、行灯の明りできらめいた。中年増が僕に問うた。
「どんな味がしましたか」
「旨かった」
 中年増と女とは二たび目を見合せた。女が二たびあざやかに笑った。歯が二たび光った。土瓶の中のはお茶ではなかったと見える。僕は何を飲んだのだか、今も知らない。何かの煎薬であったのだろう。まさか外用薬ではなかったのだろう。(p230)
 この会話は金井君が遊びで見合いをしたときと同じである。 鴎外は吉原で、一時的にでも自己を忘れて遊ぶなどという堕落を自分に許さない。それが彼の真面目さであり道徳的な厳格さである。しかし、この種の会話があまりにも平凡であまりにも俗であることは理解でぎなかった。「女が二たびあざやかに笑った。」などという文章は、さらに「女が三たびあざやかに笑った」などという文章は作家としては本当の堕落である。土瓶の中の煎薬かなにかを飲んだことを誇ることは、吉原で遊び呆けるのとはまったく違った、上品ぶらないことを誇る上品な俗物根性である。こんな意識は吉原で我を忘れて遊ぶ意識より高度といえるような代物ではないにもかかわらず、それが洗練された独自の意識であるかのように考えるのが虚飾に満ちているのである。たとえそれが偽りのない心情であっても。
 鴎外はここでの経験について、「しかしこれに反抗することは、絶待的不可能であったのではない。僕の抗抵力を麻痺させたのは、慥に僕の性欲であった。」と書いている。「女があざやかに笑った」と書いた後で、性欲もあったと認める。この二重性の告白はよく人をだます。金井君は強く誘われて吉原に行った。それは一つには知的な好奇心である、さらに負けじ魂である、そしてたしかに性欲もあった。吉原に行くのに性欲が動機でなく、よく考えればそれもあったという程度の意味しかもたなくなるには、インテリらしい長年の訓練が必要である。したがって体面を心底重んずるインテリでなければこのような精神の構造が理解できにくい。また、吉原で遊ぶなどということを特に好まない多くの人々にとっては、こうした告白を真実としてわざわざ書きつらねることが理解できにくい。そのために、鴎外の自己弁護に対して批判的である場合、この告白に嘘があるように思える。本当は性欲があって、自分から吉原に行きたいにもかかわらず、体面のために誘われたとか知的な好奇心とか負けじ魂で自分の性欲を覆い隠しているのではないかと思われる。この説明がどんな立場に立ってもわざとらしいのである。しかし、鴎外はそんな軽い嘘つきではない。これは鴎外の長い人生が形成した構造で、性欲が行動の動機としてごく僅かであることは鴎外の自己認識の通りである。そして、それを自己肯定としてわざわざ説明するところに虚偽が生ずるのである。
 金井君が吉原に行ったのは性欲によるのではない。性欲がまったくないわけではないから、性欲も要素としてあったに違いないが、金井君はやはり、特に生きたくもないのにあえて行ったのである。鴎外にとってはこの事が真実であり、このこと自体を肯定的に理解することが課題である。性欲が全くない場合は問題であるが、性欲があることは人間に共通であるし、吉原に行くのに性欲があるとしても非難される余地はない。だから本当の動機が性欲だと指摘しても鴎外や金井君に対する批判にはならないし、鴎外もそんなことを問題にしていない。鴎外や金井君の特徴は性欲によって積極的に吉原にいくという欲望を持たないことである。鴎外はこの特徴を、それが冷たさや情の欠如や自己弁護の嘘ではない、と出張したいのであって、鴎外の目的とする、意識された自己弁護もそこにある。
 負けじ魂と知的な好奇心と霽波と争うのが嫌なために、特に生きたくもない吉原に行った。ここに嘘はないし自己弁護もない。吉原に行くことは道義的にも気分的にも嫌であるが、だからこそ馬鹿にされるのは嫌で、負けじ魂で、その嫌なところを押して行動する。これが鴎外の自我である。鴎外の自己弁護は虚偽によって生じるのではない。このありのままの自己を真実として告白し、その告白が肯定されているところに生じる。鴎外は自分が自己弁護的であると指摘されていることの意味を理解できない。だから真実を公表し、その真実の公表において自己を肯定しているが、その真実である自己の肯定において自己弁護が生じていることを理解することはどうしてもできない。負けじ魂や知的な好奇心は、吉原に行くことに対して偶然的に働くのではなく、鴎外=金井君の基本的な行動原理として働いている。この意地や知的好奇心の基本的な内容はエリート的な地位によって規定されており、その偏狭な精神を肯定するところに自己弁護が生まれ、エリートの地位が社会的に低くなり、普遍性を失うに従ってその偏狭さと自己弁護性がはっきりしてくるのである。

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