「我が最近の興味」(明治43年5月4日)


   啄木は、この評論で、日本人に特有の、百年後の現在でも克服されていないばかりか一層深刻化している精神について書いている。こうした精神に対する強い批判意識を啄木は早くからもっており、それが啄木の基本的な傾向として、啄木の精神の発展を規定している。啄木のもっともすぐれた評論である「時代閉塞の現状」の基本的な論理を構成しているのもこの傾向性である。こうした啄木の気質は日本では啄木以後もほとんど発達しておらず、そのために啄木は多くの批評家に批判されているのであろう。
 啄木は以前からロシアの民衆や天才や革命家に興味を持っており、日本の国民的な精神と対比している。ここではロシアの百姓と日本の貴婦人の精神を非常にうまく対比している。
 一人の百姓が、汽船の三等室で財布を盗まれたと訴えた。しかし、もう見つかったという。寝ている軍人の外套にあった、と聞いて船の副長は、警察に渡さなくちゃいかん、というと、百姓は言った。
 
 ■『警察に渡すね ? 何故警察に渡すだね ? 南無阿弥陀仏、止して御座らつせえ。此奴に手を付けるでねえだよ。黙つて寝かして置きなせえ。』そして、飾り気の無い、柔しい調子で付け加へた。『慥かに金ははあ見つかつただもの。皆此処にあるだ。それをはあ此の上何が要るだね ?』
 さうして此事件は終つた。
 
 ロシアの場合は、事件は単純に終わる。日本の場合は単純な事件が不必要に入り組んだ展開になり、それに関連する精神は事件よりはるかに不必要に複雑な様相を呈してくる。これは日本では誰でも経験したことがあるだろう。
 東京市内の電車で一人の上流夫人が乗換切符を間違えて買った、という単純な事実がどれほどひねくれた精神を誘発するか、という実例を啄木がうまく描いている。要約してはそのひねくれかたの妙が理解できないし、細かなねじれかたこそが肝心なので、じっくり味わえる様に長い引用をしておこう。
 
 ■『これは可けません、これは広小路の乗換ぢやありませんか ?』
 『おや、さうですか ? 私は江戸川へ行くんですから、須田町で乗換へたつて可ぢやありませんか ?」
 『須田町から廻つても行けますが、然し此の切符は広小路の乗換に切つてありますから、此方へ乗ると無効になります』
 『ですけども行先は江戸川に切つて有るでせう ? 』
 『行先は江戸川でも乗換は広小路です。』
 『同じ江戸川へ行くんなら、何処で乗換へたつて可ぢやありませんか ?』
 『さうは行きません。切符の裏にちやんと書いてあります。』
 『それぢやあこれは無効ですか ? まあ何て私は馬鹿だらう、田舎者みたいに電車賃を二度取りされてさ !』
 『誰も二度取りするたあ言ひやしません。切符は無効にや無効ですけれど、貴方が知らずにお間違ひになつたのですから、切符は別に須田町からにして切つて上げます。』
 『いいえ要りません。』貴婦人はさう言つた。犬が尾を踏まれて噛み付く時のやうな調子だつた。『私が間違つたのが悪いのですから、別に買ひます。』
 そして帯の間から襤褸錦の紙入を取出し、『まあ、細かいのが無かつたかしら。』と言ひながら、態とらしく幾枚かの紙幣の折り重ねたのを出して、紙入の中を覗いた。
 『そんな事をなさらなくても可いんです。切符は上げると言つてるのですから。』言ひながら車掌は新らしい乗換切符に鋏を入れた。
 『いゝえ可う御座んす。私が悪いのですから。』と貴婦人は復言つた。
 幾度の推問答の末に、車掌は今切つた乗換切符を口に??へて、職務に服従する恐ろしい忍耐力を顔に表しながら、貴婦人の為に新らしく往復切符を切らされた。
 そればかりでは済まなかつた。車掌が無効に帰した先の乗換切符を其儘持つて行かうとすると、貴婦人は執念くも呼び止めて、
 『それは私が貰つて行きます。こんな目に遭つたのは私は始めてゞすから、記念に貰つて行きます。家の女中共に話して聞かせる時の種にもなりますから。』と言つた。
 『不用になつた乗換切符は車掌が頂くのが規則です。』
 『車掌さん方の規則は私は知らないけれど、用に立たない物なら一枚位可いぢやありませんか ?』
 『さうですか!』卒気なく言つて、車掌は貴婦人の意に従つた。そして近づきつゝある次の停留場の名を呼びながら車掌台に戻つた。
 貴婦人は其一枚の切符を丁寧に四つに畳んで、紙入の中に蔵つた。それでも未だ心が鎮らぬと見えて、『何て物の解らない車掌だらう。』とか、『私が不注意だから為方がないけれども。』とかぶつぶつ眩いてゐた。
 『待合の女将でえ!』突然さう言つた者が有つた。私は驚いて目を移した。其処には吸ひさしの巻煙草を耳に挾んだ印半纒を着た若い男が、私と同じ心を顔に表して、隅の方から今の婦人を睨めて居た。
 其の時の心は、蓋し、此の文を読む人の想像する通りである。そして私は、其烈しい厭悪の情の間に、前段に抄訳した、ヴオルガ河の汽船の中に起つた事件を思ひ起してゐた。--日本人の国民的性格といふ問題に考へを費すことを好むやうになつた近頃の私の頭脳では、此事件を連想する事が必ずしも無理でなかつた。
 私は毎日電車に乗つてゐる。此電車内に過ごす時間は、色々の用事を有つてゐる急がしい私の生活に取つて、民衆と接触する殆ど唯一の時間である。私は此時間を常に尊重してゐる。出来るだけ多くの観察を此の時間にしたいと思つてゐる。--そして私は、殆ど毎日のやうに私が電車内に於て享ける不快なる印象を回想する毎に、我々日本人の為に、並びに我々の此の時代の為に、常に一種の悲しみを催さずには居られない。--それらの数限りなき不快なる印象は、必ずしも我々日本人の教化の足らぬといふ点にばかり原因してはゐない、我々日本人が未だ欧羅巴的の社会生活に慣れ切つてゐないといふ点にばかり原因してはゐない。私はさう思ふ。若しも日露戦争の成績が日本人の国民的性格を発揮したものならば、同じ日本人によつて為さるゝそれ等市井の瑣事も亦、同様に日本人の根本的運命を語るものでなければならぬ。
 
 
  この小さな実例は日本の国民的性格といってもよい。この事件も事件に関わる精神も、日本では現代でも誰もが経験することであり大いに繁栄している。そして、この事実と精神に嫌悪を感じることのできた啄木や『待合の女将でえ!』といった若者の精神は、その後衰退の一途をたどった。啄木の時代よりも教育は普及し、生活は西洋化し、豊になったにしても、この国民的性格は変わらない。二十一世紀になってようやく批判的な精神が生まれ始めていると思われるが、戦後の半世紀というものはこの貴婦人のような精神で日本は埋めつくされていた。四迷、一葉、漱石、啄木についての評論のほとんどは、この貴婦人の精神によってこれらの天才達を批判し、非難し、誹謗し、中傷することを仕事にしている。そして、この貴婦人とまったく同じ精神を、ただ遥かに複雑に屈折させた鴎外が文豪として褒めたたえられている。それが日本的精神の現状である。
 「時代閉塞の現状」では、現実のより大きな社会的現象についてこの貴婦人と同じように、事実をどのように歪めていくかがやはり日本的精神の特徴として批判的に検討されている。貴婦人の事件をこのように観察することが啄木の現実認識の力であり、論理力である。


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