「弓町より」(明治42年11月)


 啄木はここで、自分の文学観や社会観が変化してきたことを経験的に反省している。「まったく異なった心持ちから」と書いている通り、心境の変化を書いた評論である。
 啄木はかつての自分が、詩に対する興味以外の興味を持ち得ず、詩の内容といえば、「空想と幼稚な音楽と、それから微弱な宗教的要素(ないしはそれに類した要素)のほかには、因襲的な感情」だけであった、と反省し、「実感を詩に歌うまでには、ずいぶん煩瑣な手続を要した」としている。
 啄木は技巧と実感を対置しているが、技巧と実感は対応しており、分離することはできない。実感を詩に歌うことができないことはありえない。煩瑣な手続きを必要としたときには、その手続きを必要とする実感があって、煩瑣な手続きにふさわしい実感を描いている。煩瑣な手続きが目立つのは技術が貧弱なためで、その技術は貧弱な実感に対応している。実感の内容と描写の技巧を分離できないのが芸術の特質である。文壇的成功や天才に憧れることも内容であり実感である。啄木の実感も技巧も変化しているが、啄木はまずその関係を理論的に認識できていない。
 啄木が自分の古い技巧を煩わしく思う様になったのは、その技巧では表現しきれない実感が生まれてきたからである。新しい実感には新しい技巧が必要になる。「自分で自分を軽蔑するような心持」は新たな実感である。啄木は内容に触れずに内容と技巧を対立させているために、この平凡な現象を奇妙な現象としている。古い実感と技巧を否定する場合に生まれる「「空虚の感」や「悲しみ」もその新しい実感であり、歌われるべき実感であるが、啄木はそれを古い精神の否定としてのみ捕らえており、積極的な内容として捕らえていない。それはまだはっきりした積極的な具体的内容に成長していないからであろう。
 この情況をどうすればよいのか、という疑問に対して、新しい精神の内容を捕らえることが出来ない啄木は、経験的な現象として生活の変化を挙げている。
 
 ■何の財産なき一家の糊口の責任というものが一時に私の上に落ちてきた。そうして私は、その変動に対して何の方針もきめることができなかった。およそその後今日までに私の享けた苦痛というものは、すべての空想家--責任に対する極度の卑怯者の、当然一度は受けねばならぬ性質のものであった。そうしてことに私のように、詩を作るということとそれに関聯した憐れなプライドのほかには、何の技能ももっていない者においていっそう強く享けねばならぬものであった。
 
 啄木は一般化しているが、これは啄木個人の経験的反省である。啄木は詩を作ることにのみ熱心であったために、収入を得るための訓練を受けていなかった。そのことを啄木は空想家であったために、糊口の責任を回避していた卑怯者であったと反省している。啄木はこうした反省を強く感じたのであり、それが啄木個人の必然である。しかし、詩人一般の特徴ではないし貧しい人間の一般的特徴でもない。むしろ非常に特殊な反省である。
 啄木は貧しい生活を経験した。しかし、その経験の普遍的な意義を認識することには経験とは質的に違った困難がある。啄木にとって貧しさは経験的な事実であったが、エリートである漱石にとっては貧しさは自分の生きかたと現実認識における普遍的な意義を持っていた。金力や権力と対立し、少なくとも依存しないことを人生の当為として掲げ、その結果として貧しい生活を経験し、それによって新しい精神を生み出すことが漱石の課題であった。四迷にとっても一葉にとっても没落する階級の生活が生み出す精神の必然の認識が課題であった。この課題において、エリートであった漱石に特に顕著に現れるのは、糊口の責任を犠牲にしてでも文学者としての一般的な責任を果たそうとする決意である。その決意を漱石は「野分」に描いて自分の小説家としての出発点とした。この決意と当為は貧しい階級の理解ではないが、エリートである漱石にとっては、貧しい階級の精神との関係が自分自身の立場を理解するためになくてはならない契機であった。
 卑怯者という言葉を使うならば、漱石にとっては、糊口の責任によって文学者としての一般的使命をおろそかにすることが卑怯である。漱石にとっては、一般的使命のために貧しい生活に耐えることが文学者の必要条件であった。無論これも漱石の経験的な反省であって、貧しい生活の経験がそのまま文学者としての思想の形成につながるわけではなく、そのことが金持ちや権力者と対立することでもないことを漱石は理解していく。漱石はこのような経路を通って現実認識を深化させるのであって、これ自体は深い現実認識ではなく経験知であり、現実に対処するための主観の形式の問題である。
 啄木の場合は漱石とまったく対立的な経験知を当為として掲げている。空想的に、詩人的に、あるいは文壇的に生きて来たことを反省して、その世界を否定して貧しい生活に即した現実認識を獲得することを、漱石と逆の形式の当為として掲げている。だから、経験知を超えて現実認識を獲得する経路として、糊口の責任と文学者としての責任を対置することでは漱石と啄木は共通しており、そのどちらを重視するかは立場によって違うのであり、いづれが優位にあるとも言えない。いづれも形式的な経験知であり、いづれも現実認識に至るための特有の、しかし対立的で同等の、非常によく似た経路である。
 啄木の天才主義は、個人の優位、個人の成功という意味が強く、社会的変革の責任を追う主体という意味は空想的な詩の否定とともに意味を失ってくる。啄木は空想的な詩人的性格を否定するために、空想に対する実感として、あるいは技巧的な詩に対する実感として、自分の逼迫した生活実感を考えており、その一般的な意義を考察することなく経験を直接的に肯定している。この直接的肯定のために一事社会変革的な当為がこの評論では失われている。生活の経験は、空想を否定する契機として強調され、そのまま肯定されており、それ自身の積極性な意味を理解するという最も困難な課題を意識していない。そして、技巧から実感へ、空想から生活へ、詩から生活へという形式論議に陥っており、これが没思想な研究者に支持されている。啄木は生活の変化にともなって詩と実感が変化したことを経験的に語っているだけで、その内容には触れていないし内容規定をまだ知らない。
 
 ■思想と文学との両分野に跨って起った著明な新らしい運動の声は、食を求めて北へ北へと走っていく私の耳にも響かずにはいなかった。空想文学に対する倦厭の情と、実生活から獲た多少の経験とは、やがて私しにもその新らしい運動の精神を享入れることを得しめた。
 
 食を求めて走り回っている間に啄木の精神は変化した。同時に思想と文学の両分野に跨がって歴史的な変化が起こっており、啄木は自分の精神の変化がその運動と一致していると思った。啄木の個人的な経験と歴史的な変化が一致している。したがって、啄木の個人的な経験は偶然的であって、経験は詩や思想の変化と直接的な関係を持たない。歴史的にはじまった新しい運動の中にいる人々は誰もが啄木と同じように糊口の責任に追われていたわけではないだろうからである。あらゆる貧しい、あるいはそうでない生活をしている文学者も新しい運動に巻き込まれていった。啄木はここではこの新しい精神の内容に触れていないし触れようとしていない。啄木は経験的な変化と精神の変化が同時に起こったことを指摘しているにすぎず、両者の必然的な連関を明かにしているわけではないしできるはずもない。
 啄木は自分の精神の変化の結果を「私が雪の中から抱いてきた考えは、漠然とした幼稚なものではあったが、間違っているとは思えなかった」と書いており、その曖昧さを自覚している。口語詩に対する共感をも「畢竟私自身の自己革命の一部分であったにすぎない」と自覚している。実はこの自覚こそが現実認識の本当の内容であり、この視点からここに書かれている反省を批判し克服することが啄木の精神の発展である。
 
 ■ その間に、私は四五百首の短歌を作った。短歌! あの短歌を作るということは、いうまでもなく叙上の心持と齟齬している。
 しかしそれにはまたそれ相応の理由があった。私は小説を書きたかった。否、書くつもりであった。また実際書いてもみた。そうしてついに書けなかった。その時、ちょうど夫婦喧嘩をして妻に敗けた夫が、理由もなく子供を叱ったり虐めたりするような一種の快感を、私は勝手気儘に短歌という一つの詩形を虐使することに発見した。

 啄木は小説を書き始めていたが、そう簡単に書けるものではないだろう。しかし、啄木は短歌を作ることにはすでに習熟していた。だから、この時点の実感を短歌に描くことが出来た。啄木は小説を書けない実感を書いているのではなく、この時の精神の全体を対象化している。啄木がそれを小説を書けなかった時の消極的な実践と考えているのは、この時の自分の変化を位置づけようとしているからであって、実際は啄木はこの時点での実感を短歌の形式でうまく表現できたし、表現するだけの実感を得ていたが、その実感の内容を啄木自身がまだ認識していない。ここでも啄木はどういう情況で短歌を詠んだかを書いているだけで短歌の内容には触れようとしていない。これから新しい精神をどのように創り出していくかに関心をもって過去を振り返っており、それを特に経験的に否定的に、克服的に描くことで新しい道を探ろうとしている。
 啄木の得た結論は次の通りである。
 
 ■謂う心は、両足を地面に喰っつけていて歌う詩ということである。実人生と何らの間隔なき心持をもって歌う詩ということである。珍味ないしはご馳走ではなく、我々の日常の食事の香の物のごとく、しかく我々に「必要」な詩ということである。――こういうことは詩を既定のある地位から引下すことであるかもしれないが、私からいえば我々の生活にあってもなくても何の増減のなかった詩を、必要な物の一つにするゆえんである。詩の存在の理由を肯定するただ一つの途である。
 
 啄木の主張は、詩と実人生の一致である。分離すべきではなく一致させるべきだと主張している。啄木は自分の空想的な詩を実人生からの分離と意識して、その対立物として詩と実人生の一致を主張している。そして、詩が実人生に一致しなければならないのは、詩が人々の「必要」を満たすためである。分かりやすい主張に見えるが意味は不明であるし、意味を持たない。
 世の中に生活に必要でなく、両足を地面に喰っつけていて歌われない詩があるだろうか。すべての詩は何らかの生活に何らかの必要があるものとして歌われる。あらゆる人間にあらゆる種類の地面と必要がある。人間の多様性を考慮すれば、地面も必要も具体的規定ではありえない。啄木も数年前までは空想的な詩が生活に必要であった。それが当時の生活の地面に生えた詩であった。だから、あらゆる詩は、「実人生と何等の間隔なき心持ちをもって歌う詩」であると言える。啄木の空想的な詩はそのときの実人生と何等の間隔なき心持ちをもって歌った詩であった。生活が変化して、昔の地面で歌った歌が今の地面にあわなくなったのであれば、両者とも地面に喰っつけていて歌った歌である。無論すべての詩を、地面から離れた、必要のない詩として同等の正当性をもって説明することができる。
 啄木は、自分の得た実人生とは何か、そこで生み出される実感とは何かを問題にしない。啄木は変化を語っているだけで変化の内容を問題にしていない。詩と実人生の一致が内容だと思っている。啄木は貧しい生活を経験し、新しい実感に即した歌を歌うようになった、と言っているだけで、この形式的な主張には一般的な意義はない。その意義を求めて、まず空想の否定そのものに意義があると感じており、具体的な否定をまだ発見していない。
 啄木はすでに新しい精神を生み出しているが、その内容を捕らえようとしておらず、過去の精神の否定を切実な課題にしている。その否定を位置づけることで新しい精神が何かを発見しようとしている。新しい精神の重要な要素が自分の切羽詰まった生活であると考え、その生活に即した詩であると考えている。だから、啄木は自分の得た貧しい生活の意義を肯定的に理解するという非常に難しい課題にぶつかっている。しかし、経験的に知ることとそれを認識することは全く別の課題であることをまだ知らない。
 
 啄木は、文語と口語の関係についても同様の形式的な反省をしている。
 
 ■「ああ淋しい」と感じたことを「あな淋し」といわねば満足されぬ心には徹底と統一が欠けている。大きくいえば、判断=実行=責任というその責任を回避する心から判断をごまかしておく状態である。趣味という語は、全人格の感情的傾向という意味でなければならぬのだが、おうおうにして、その判断をごまかした状態の事のように用いられている。そういう趣味ならば、すくなくとも私にとっては極力排斥すべき趣味である。一事は万事である。「ああ淋しい」を「あな淋し」といわねば満足されぬ心には、無用の手続があり、回避があり、ごまかしがある。それらは一種の卑怯でなければならぬ。「趣味の相違だからしかたがない」とは人のよくいうところであるが、それは「いったとてお前に解りそうにないからもういわぬ」という意味でないかぎり、卑劣極まったいい方といわねばならぬ。我々は今まで議論以外もしくは以上の事として取扱われていた「趣味」というものに対して、もっと厳粛な態度をもたねばならぬ。
 
 この文章は無内容であまりに大げさである。啄木は個別的な問題を一般的な形式で論じており、具体的内容に入ることが出来ない。啄木が問題にしているのは個の二重性である。卑怯というのは主観の二重性の問題であり、心構えの問題である。啄木は詩の客観的な内容を問題にしていない。無用の手続や回避やごまかしとは何かがすぐさま問題になるし、無用の手続がなく、回避がなく、ごまかしのないまったくの俗物根性もある。判断し、実行し、責任を持つ最悪の内容もある。人によって生活も実感も異なっており、その違いを「判断=実行=責任」と、それがない場合という形式では規定できない。問題はその判断と実行と責任の社会的内容である。個別の詩には実際にごまかしている詩もあり責任を回避している詩もある。それは詩の弱点の一部分であってそれをなくすことが詩の条件ではない。
 啄木は、文語を重んずることに対して「詩そのものを高価なる装飾品のごとく、詩人を普通人以上、もしくは以外のごとく考え、または取扱おうとする根本の誤謬が潜んでいる。」と書いている。しかし、これは誤謬であることもあり誤謬でないこともある。啄木は形式規定の一面性を理解できない。詩を高価なものと考え詩人を普通以上のごとく考えることが誤謬とは限らない。どのように高価に考えどのように普通以上に考えるかによる。啄木は自分の文壇的な経験から、詩人を特別なものと考える事例を思い浮かべているが、その事例に引きずられているのであって、それを直接一般化することは間違いである。心構えの問題を一般化する必要はなく、それは詩人の自由にまかされるべきであるし、詩人自身の自由になるものですらない。啄木は余計な問題に引きずられている。
 
 ■最も手取早くいえば私は詩人という特殊なる人間の存在を否定する。詩を書く人を他の人が詩人と呼ぶのは差支ないが、その当人が自分は詩人であると思ってはいけない、いけないといっては妥当を欠くかもしれないが、そう思うことによってその人の書く詩は堕落する……我々に不必要なものになる。詩人たる資格は三つある。詩人はまず第一に「人」でなければならぬ。第二に「人」でなければならぬ。第三に「人」でなければならぬ。そうしてじつに普通人のもっているすべての物をもっているところの人でなければならぬ。
 
 これは非常な俗論である。詩人は特殊な人間である。農民も豆腐屋も特殊な人間である。特殊でない人間はいない。そして誰もがまず第一に人間である。そうでなくあることはできない。自分が詩人であると思って堕落するとは限らない。詩人の崇高な使命感によって優れた詩を残すこともあるし、生活を語るだけだと騙って素朴ぶった気取った詩を書く場合もある。これもまた心構えの問題で、詩の内容とは関係がない。詩人になるには「人」でなければならぬ、というのは意味が不明で無規定である。啄木もこれが規定になっていないことを感じているらしく、さらに踏み込んで規定しようとしているがどうしても具体的に規定できない。心構えという主観的形式にひっかかって、内容の社会的規定に入ることが出来ないのは初期の漱石と啄木の特徴である。四迷と一葉は心構えを問題にせずに一気に普遍性に突き進んでいる。
 
 ■ いい方がだいぶ混乱したが、一括すれば、今までの詩人のように直接詩と関係のない事物に対しては、興味も熱心も希望ももっていない――餓えたる犬の食を求むるごとくにただただ詩を求め探している詩人は極力排斥すべきである。意志薄弱なる空想家、自己および自己の生活を厳粛なる理性の判断から回避している卑怯者、劣敗者の心を筆にし口にしてわずかに慰めている臆病者、暇ある時に玩具を弄ぶような心をもって詩を書きかつ読むいわゆる愛詩家、および自己の神経組織の不健全なことを心に誇る偽患者、ないしはそれらの模倣者等、すべて詩のために詩を書く種類の詩人は極力排斥すべきである。むろん詩を書くということは何人にあっても「天職」であるべき理由がない。「我は詩人なり」という不必要な自覚が、いかに従来の詩を堕落せしめたか。「我は文学者なり」という不必要な自覚が、いかに現在において現在の文学を我々の必要から遠ざからしめつつあるか。
 
 個別批判としては的確で気が利いているが、それ一般化するのは間違いである。「直接詩と関係のない事物に対しては、興味も熱心も希望ももっていない」人間などありえない。たとえ自分が詩だけに関心を持って生きていると信じていても、詩以外のものに規定されており、当然興味も熱心も希望ももっている。「餓えたる犬の食を求むるごとくにただただ詩を求め探している詩人」も生活をしており、その精神は詩を求める生活の全体によって生み出される。啄木は自分の過去を精神の内容において規定せずに、「ただただ詩を求め探している詩人」として形式的に総括しているために、啄木と違った主観のあり方の肯定性を考慮していない。詩人の心構えは無限的である。特定の心構えをしていれば詩ができるというものではない。主観の心構えは詩の内容とは関係のないものであり、客観化しようとすること自体無意味である。詩人は自由でなければならない。
 啄木が挙げている「空想家」、「卑怯者」、「臆病者」、「愛詩家」、「偽患者」「模倣者」等の非難は個別の詩に当てはまることがある。しかし、詩の弱点の一般的特徴ではない。また「我は詩人なり」という自覚は不必要な自覚ではないし、その自覚が詩を堕落させるのでもない。堕落した詩人が「我は詩人なり」という自覚していることはある。しかし、この自覚と詩の堕落の必然的な関係はない。こうしたことはすべて形式的な余計な詮索である。また堕落した詩人を排斥する必要はないしできるものでもない。こうした堕落した詩人も社会的な必要によって必然的に生まれてくるのであり、そこで真面目な、真剣な、厳粛な理性の判断をしていると思い込んでいる詩人も多いし、またそうした人物の方が影響力を持つものである。
 
 これをさらに別の言葉で規定しようとするとますます形式的になる。
 
 ■ すなわち真の詩人とは、自己を改善し自己の哲学を実行せんとするに政治家のごとき勇気を有し、自己の生活を統一するに実業家のごとき熱心を有し、そうしてつねに科学者のごとき明敏なる判断と野蛮人のごとき率直なる態度をもって、自己の心に起りくる時々刻々の変化を、飾らず偽らず、きわめて平気に正直に記載し報告するところの人でなければならぬ。
 
 これはすべて形式規定であり、人によってこの同じ規定において内容が違ってくる。主観の形式によっては何も規定できない。現実に対処する心構えを問題にしている間は現実そのものの内容規定に入れない。理論世界に入るには、こうした主観の形式から社会性の内容に関心を移さねばならない。啄木は文壇人の文士的な関心と分離し始めている。それがどう違うかを問題にし、又違う内容を創造することを実際は課題にしているのであるが、そのことをまだ内容として認識し規定することが出来ない。まずそういう主観との分離をはっきりさせようとして、内容に入らないから分離を規定できず、分離の当為にとどまっている。
 文壇文士の否定は詩の積極的規定ではない。批判にしても、それが社会的にどういう位置にあるか、どういう思想的な規定であるかを明かにしなければならない。それが軽薄で不真面目で卑怯で臆病で等々であったとしても、その意味はわからない。啄木が四迷や一葉や漱石を問題にしていたならこうした批判は問題にならなかっただろう。啄木の批判は啄木の知る世界を対象にしており、その世界の精神レベルが非常に低く、しかもその内容を問題にしていないために、啄木の主張は形式的で無内容になる。
 
 ■もっと卒直にいえば、諸君は諸君の詩に関する知識の日に日に進むとともに、その知識の上にある偶像を拵え上げて、現在の日本を了解することを閑却しつつあるようなことはないか。両足を地面に着けることを忘れてはいないか。
 また諸君は、詩を詩として新らしいものにしようということに熱心なるあまり、自己および自己の生活を改善するという一大事を閑却してはいないか。換言すれば、諸君のかつて排斥したところの詩人の堕落をふたたび繰返さんとしつつあるようなことはないか。
 
 分かりやすいようで意味の不明な文章である。その批判は繰り返さない。ここでは、「自己および自己の生活を改善する」という新しい規定に注目すべきである。この「自己および自己の生活を改善する」という言葉の意味をこのあと啄木は問題にすることになる。どのような自己か、どのような生活か、改善とは何か、が規定されていない。だからまた、それを規定するとはどういうことなのかが考察されていない。そこから初めて理論の世界がはじまる。
  


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