<元祖?電動RCカ−>

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■当時(昭和49年頃)のRCカーと言えば1/8GPカーが主流でした。
しかし1/8カーは金銭的にも誰もが楽しめる物では無く当時といえども
速度は速く、何処ででも走行を楽しむわけにはいかないのが実状でした。

そこでローコストでちょっとしたスペースで楽しめ、なお且つ本格的に
レースを楽しめたら(欲が深い?)と思い思索と試作を重ね完成したのが
上の画像のシャーシーです。スケールは1/20でボデーはプラモデルの
物(当時はいわゆるスーパーカーブームでバンダイ他数社から1/20の
スケールモデルがたくさん販売されておりました。)のボデーのみを使用し、
各種パーツは全て自作しモーターは当時「マブチ」がモータープレーン用と
して市販されいた「空中モーター」を細い線に巻き替え、オイルレス軸受け
をはずし両軸をボールベアリングに換装してフリクションロスを軽減しました、
コントロールアンプはサンワの電動ボート用の物をケースとヒートシンク
を取り外して使用、電源は単3型ニッカド4本を受信機用と兼用で使用
(電源を動力用と受信用で使用するのは今では当たり前ですが当時メーカー
に可能かどうか相談したところそんな事は無理だと一蹴されてしまいました。)

シャーシーの素材は最初はアルミ板でしたがクラッシュによる歪みが大きく
安定した性能が確保出来ない為、世界初?のエポキシ板(所謂プリント
基盤の銅板を剥がして使用)が最も優れている事が分かりこのマテリアル
を採用、当時1/8カーをされていたお客様がこのミニカーを持って渡米
されアソシ社がこれを参考に1/8シャシーにもFRPを採用した筈です。


■さて肝心の走行性能ですが、これはなかなか侮れない物がありました。
スピードは20Km以上出る上に、前後進共無段コントロールですから
狭い所(室内等)でも思い通りに走り、自分でも感動してしまいました。
勝手に感動しながら無心に店内で走らせていると常連であるRC飛行機の
お客様がその走行性能にこれまた感動され「自分にも同じの作って」という事
になり「同じの作って」×数十台になり最終的には500台位造りました。

■ミニRCカー愛好者(被害者?)が10人程度集まったところでレースを
やろうと言う事になり(自然な成り行きですね!)市内にある「学生会館」
(学生のバイトの職安みたいな所)を土曜日の夜に借り切って!といっても
¥3,000程度でしたが、コースはPタイルの上に水道のビニールホース
をガムテープで止めて造り当然毎週コースを変えてレースをするのです。
Pタイルはグリップが悪く、当時よりグリップ剤を使用!(ただの水ですが)
そして約3時間程レースを楽しみ何故か帰りに近所のお好み焼屋によって
帰るのです。このレース(集会?)は約4年間も続く事になり「学生会館」の
職員さんとマージャンをする人まで現れましたが、今となれば思い出です。

■この「サタデーナイトレース+お好み焼き」を始めて2年位経ったころに
親子3人で熱心に来られていたのが何を隠そう(隠す必要は無いて?)広坂
ファミリー(お父さん、正美君、光美君)だったのです。正美君は小学3年生
だったと思いますが、正美君といえども最初は何を隠そう(隠さんでいいちゅ
うの!)我々のカモの中の一人(一羽?)だったのですぞ(信じられんてか?)
但しカモに出来たのは一年間位の話で、直ぐに正美君対カモ多数になりました。
彼の活躍はこの時から爆発的で後は皆様ご存知の通りのRCカーの達人です。

●因みにタミヤのRCカー「ポルシェRSRターボ」は昭和51年の発売です。
そしてこれを期に国産ではアオヤギ、ムゲン、ヨコモ、ニチモ、川田、京商等
外国製ではアソシ、デルタ等、1/12電動カーが続々と登場し始め空前の
電動カーブームが訪れる事になり、プロポが品不足で困ったのを覚えています。
(あ〜あ、昔は良かったな〜と、ぼやくのは私だけでは無いはずです。)



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