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★2009.3.02 更新33 (適時更新)

3月2日、相模原市教育委員会より公開再質問状へのお答えが届きました。以下にその実物をスキャンして掲示します。

通常、論述する場合は論拠を示すものですが、ここで論拠が示されているのは「近い将来、藤野町地域の小学校を統廃合する計画はない」としているところだけです。あとは論拠なしの断定で、いったい小俣校長作詞の校歌のどこが「すばらしい」のか、はたまたどこが「人間尊重の精神を基盤に据えた教育の理念に沿った」ものであるか、なにひとつ具体的に示すことができていません。無内容なものを意味付けることはもともと不可能である、ということでしょう。それよりもなによりも、子供たちに対する教育的責任がありながら、この日本語読解への真剣味のなさはどうでしょうか。いずれにしても、こういう文章を書く人たちが市の教育行政の中枢を占めるというのは市民全体の不幸であり、子供たちにとっては直接的な不幸であるわけで看過できません。(2009.3.2)

藤野小学校校歌問題に関する公開再質問状

相模原市教育委員会教育長 岡元 実 殿

先の公開質問状に対する「お答え」なる文書を拝見させていただきました。
「お答え」にありますように、もし「歌詞の決定にあたり個人の恣意を防ぐために複数の委員による制定委員会制の導入もなされており、公教育に求められる公平性や中立性も担保されたもの」であるならば、ではなぜあのような校歌ができたのでしょうか?
あの校歌が小俣校長個人の恣意の産物であることを、わたしは先の公開質問状においてあますところなく立証しております。それに対する反証もないままに、また校歌という動かない証拠があるのに、いまさらアリバイを言い立てるような愚はやめていただきたいものです。
文化芸術のまちであり、詩人、文学者あまたおられる土地柄にもかかわらず、それらの専門家を意識的に排除した制定委員会構成に、小俣校長の個人的な野心があったことは容易にみてとれます。
専門家を排除した、いわば詩作の素人集団としての制定委員会のなかで、当然のように討議が煮詰まり、その段階であらかじめ用意されていた小俣校長作が提出され、深く論議されることなく採用が決まったからこそ、あのような校歌になったのでしょう。制定委員会の委員のなかにも流れに逆らえず、いまは深く後悔されておられる方がいらっしゃると聞きます。とはいえ、その場で面と向かって誤りを指摘するのはなかなか難しいでしょう。制定委員会に問題をみるのではなく、作詞者としての名前を残すことを計った小俣校長のなかにこそ問題をみるべきだと思います。

以下、再質問します。

(1)昨年9月27日の校歌制定発表会に於いて、相模原市教育委員会の代表者が出席者全員のまえで校歌を絶賛したことを認めるか?

(2)前近代的な子供観、教育観をもち、国語的なまちがいだらけの小俣校長作詞の校歌を、この先、学校が子供たちに歌わせ続けるのを許すのか?
もしそうなら、その教育的な意味はなにか?

(3)卒業式や入学式も近づいている。また、近い将来には北と南との3校統合の話もでてくるだろう。北小も南小も優れた校歌をもっていることはすでにご存じの通り。問題を積み残していけば無責任のそしりは免れない。この問題は早急に解決する必要があるのではないか?

上記のような事柄の性質上、回答期限は再質問状到着から1週間後とさせていただきます。
また、文書による回答をお願いします。

 2009年2月17日                   蒲原雅人

1月22日、相模原市教育委員会より公開質問状への回答(?)が届きました。以下にその実物をスキャンして掲示します。

一読、驚かざるをえないのは、子供たちの受難を一顧だにしていないことでした。自らの組織の長たる者が公的な席で発言したことにしても故意に触れてありません。
特徴的なのは、教育委員会と学校長とは教育的な緊張関係が保たれなければならないはずなのに、さすがに両者よくノミュニケーションよろしきがうわさされるだけあって教育委員会が学校長の分まで言訳していることです。学校長は学校長で回答すればよいはず。こういう文書で「癒着」をみせつけてくれるとは、まあ、なにをかいわん、です。

藤野小学校校歌に関する公開質問状 蒲原雅人

 藤野小学校校長 小俣公司 殿
 相模原市教育委員会 殿

はじめに
子供に校歌の楽譜が配られたのは、運動会を兼ねた校歌発表会が開催された九月二七日の二週間くらい前だったでしょうか。それまで、わたしは校歌の作成がどの程度まで進行しているのかまったく知りませんでした。子供が持ってきた楽譜を何気なくみたとき、そこには校長先生本人の名前が作詞者として記してありました。どういう事情でこうなったのか、知る由もありません。しかし、校歌制定委員会があって、合議のうえでのことでしょうから、それはそれなりに決定へ至る過程があったと推察するしかありません。もちろん、歌の中味さえよければ、誰が作詞者になってもよい、と思うのです。わたしは楽譜をながめ、二度三度読み直しました。そして、なぜこんな歌を子供たちが歌わされているのか、と強い疑問を持つようになりました。
@「こだまする」のは何か不明。主語がない。子供たちの声か、歌声か、それを受ける山々か?四行目までは三人称。「ああ、わが母校」は一人称になってしまっている。詩作の視点がばらばらなのだ。「ああ、わが母校…」という詠嘆調のフレーズが時代にマッチしていない。
A「学ぶ」「学び」と同じ言葉が使われ、詩としてうまくできていない。文語が古めかしいし、効果的でもない。やはり四行目まで三人称。
B一番と景観描写の内容がダブる。この三番だけはなぜか全体に一人称になっている。「おおきな希望…」「宇宙翔けめぐる…」という前後のフレーズは意味が似ているし、浮いている。漢字とルビのセンスもありきたりだろう。

歌詞の問題
(1)国語的なまちがい
それは純粋に国語的な意味において「詩」になっていませんでした。文語と口語は無原則的に並べられ、一人称と三人称が入り交じり、主語を失って意味不明なまま放置されたフレーズまであります。

 相模の湖(うみ)に架かる橋
 朝日があたる山々に
 明るく清くこだまする
 すなおにそだつ藤野の子
 ああ、わが母校
 藤野小学校

 みんなで学ぶ古き史(ふみ)
 先人の知恵今新た
 元気に友とおおらかに
 いま学びあう藤野の子
 ああ、わが母校
 藤野小学校

 連なる山の美しき
 四季のめぐみを我ら受け
 おおきな希望(のぞみ)語り合い
 宇宙(そら)翔けめぐる夢をもつ
 ああ、わが母校
 藤野小学校
         (小俣公司 作詞)

(2)歌詞が訴えるもの
じつは国語的なまちがいよりも、もっと問題なのが「詩」の持つ精神性の旧さ、であると思われました。なんといっても、ここにあるのは、おとなにとって都合のいい子供像でしかない、のです。
この「詩」を事情を知らない第三者にみせたら、誰しも明治、大正、昭和初期といった作成年代をイメージするでしょう。とても21世紀に作詞されたものとは思えません。こういう自由のない、紋切り型の表現というものは「詩」の精神が外に向かって開かれていない例が多く、耳にも堅苦しいものです。また、「宇宙翔けめぐる夢をもつ」というフレーズですが、このおおげさな表現からは、未来をになうには不必要な気負いを感じてしまいます。21世紀に生きる子供たちの歌う校歌には、地に足の着いた表現が求められるのに、「詞」が下品になっている。こういう歌詞は21世紀を生きていく子供たちにはふさわしくない、とわたしには思われました。

北小学校と南小学校の校歌
これに対して北小学校の校歌はどうでしょうか。

 ふきのとうが顔を出す
 すくすくとのびやかに
 さくらにぎふちょう
 タンポポ ヤマメ 
 いのちのいぶきを感じるよ
 わくわくがつまった宝箱
 ここは藤野北小学校
 ともに喜び ともに笑って
 楽しい気持ちがふくらむよ
 陣馬の山の向こうまで

 ゆずが色づき始めるよ
 ゆっくりとあざやかに
 もみじやイチョウ
 どんぐりヤマセミ
 山や森に魔法がかかる
 心と心が1つになる輪
 ここは藤野北小学校
 かなしい時も 苦しい時も
 みんなの気持ちはつながってるよ
 青い空の向こうまで

 流れ星が光って走る
 キラキラとまたたいて
 清んだ空気にきらめくオリオン
 あふれる希望に瞳も輝く
 みんなを見守るやさしい故郷
 ここは藤野北小学校
 みんなの夢を みんなの願いを
 陣馬の白馬も見上げてる
 はるか宇宙の向こうまで
 はるか宇宙の向こうまで
         (藤野北小学校児童会・作詞)

比べてみてわかるのは、校長先生作詞のものが、いわば校長先生による「期待される人間像」「期待される小学生像」であるに過ぎないのに、北小学校の校歌には藤野の自然児たちが躍動しています。おとなのおもわくから思いきり自由な、子供たちの歌声が響いてくるようです。

続いて南小学校の校歌を紹介しましょう。こちらは牧馬在の音楽家ガイネさんの作詞・作曲です。

 『新しい風が吹くよ』

 僕たちはここで育ち  
 私たちはここで学ぶ
 緑萌えるやまなみに抱かれ 
 夢を大きく育むんだ 
 僕は 私は知っている 
 生きているものはみんな友達だ 
 太陽 青空 その輝きが
 ここを照らしてる 南小学校

 鳥たちは空に歌い 
 野に咲く花は囁きあう
 この美しい星に生きている 
 小さな自分が好きなんだ
 僕は 私は知っている 
 手と手を取り合えば暖かくなる
 太陽 青空 その輝きが 
 ここを照らしてる 南小学校

 僕は 私は知っている 
 新しい風が今ここに吹くよ
 勇気 元気 みなぎる力 
 喜び 微笑み 溢れる想い
 太陽 青空 その輝きが
 ここを照らしてる 南小学校

教訓的な言葉はいっさいありません。子供たちの気持ちにしっかりと寄り添っています。
これでわかるように、校長先生の「詞」は、子供たちとまなざしを共有することができていません。なぜなら、あくまでも上からの視線で書かれているからです。

これまでの経緯から
「藤野には多くの文学者や詩人が住んでいて、俳句や短歌を愛好する方々もたくさんいらっしゃる。校長先生はそういう詩に関する専門家たちと、子供たち、生徒たちとの間をつなぐ、よきプロデューサーとしての役割を果たしていただきたい。それが本来の校長先生の役割であるし、作詞者として名前を残すことが校長としてふさわしいとは思えません」
楽譜をみて疑問を持ったわたしは、専門家を入れて歌詞を見直すこと、発表会を思いとどまることを校長先生に申し入れましたが、聞き入れてもらえませんでした。仕方なく教育委員会に電話をして、教育委員会独自のより公正な情報をひろく収集されることをお願いしました。ところが、発表会は強行され、相模原市教育委員会の代表者が校長先生作詞の校歌をベタ誉めするという場面が出現したわけです。わたしは校長先生のもとに出向いて、校歌を撤回されること、歌碑などは作らないこと、を要請しました。その際、わたしは校歌の国語的な誤りに関してくわしく説明しました。わたしの指摘を受けて、校長先生は歌碑建設は否定されましたが、校歌についてこれからどうするかは校歌制定委員会の委員長さんと相談すると約束されました。が、しかし、その後、一ヶ月間無回答でした。先日、わたしの方から問い合わせると、「たしかに相談はしたが、それから先のことは自分は関知しないし、校歌は制定委員会で決めたことであり、自分は、自分の方から何かを答えるなんて一言もいっていない」という返事でした。

子供たちへの責任及び質問
このような校歌を歌わせるということは、教育的にどういうことなのか。それがどれほど残酷なことを子供たちに強いているのか、よくみるべきだ、と思うのです。以下、質問します。

○校長先生作詞の校歌はすみやかに撤回され、教育委員会を含む関係者は子供たちに頭を下げるべきではないか?
○校長先生は校歌制定委員会を矢面に立てることなく、自ら誤りを認めるべきではないか?


ひとは過ちを犯したときのふるまいで品格が試されます。批判には謙虚に耳を傾けられ、市民的な常識で応答されることを願います。。いま子供たちの目の前でおとなたちのありようが試されています。 
おわりに
わたしはいま、月に一回、読み聞かせボランティアの皆さんといっしょに、小学校の朝の時間をいただいて紙芝居をやらせてもらっています。ボランティアの皆さん、児童文学者の丘先生はじめ継続的に活動されていますが、ひとつは子供たちに美しい日本語を感じてほしいからだと思うのです。汚い言葉は子供の心を荒れさせますが、美しい日本語は子供たちのなかにやさしい心を育みます。そういう立場からいって、今回のような詩になっていない校歌を子供たちに歌わせることには賛成できません。
この文章はわたしの全責任に於いて書かれています。公開質問状の性質から不特定の方の目にふれることと思いますが、ご意見、ご批判を頂戴できればこれに過ぎることはありません。 そして、なにより、子供たちのために、共になすべきことをやっていきましょう。
               (2008.12.10〜18)



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