鳴 海 の 町 散 策 

鳴海の町は有史以前からの連綿と続く歴史が残っています。是非お尋ね下さい。
1.概要

 東海道は、江戸時代より関東、東海関西を結ぶ交通の要路として、多くの人々が往来を重ねてきました。また関原の戦いの翌年(1601)徳川家康が制定した宿駅・ 伝馬制度によってますます整備され、発展しました。  2001年はそれから丁度400年が経過し、多彩な行事が行われました。  

(宿場町鳴海)

東海道鳴海の宿は江戸から40番目の宿場町として、人口ほぼ3500人、町々は東から平部、中島、相原、本町、根古屋、作町、山花、北浦、丹下であり相原から作町までには扇川沿いにも形成されていきました。宿泊設備として、本陣1軒、脇本陣1軒、脇本陣格1軒、旅篭約68軒等があり、当時としては、賑やかな町であり、広重の「東海道53次」にも描かれています。

(古戦場跡)

永禄3年(1560)織田信長と今川義元との桶峡間の合戦はあまりにも有名ですが、双方の前進基地として、根古屋(鳴海)城跡、善照寺砦跡、中島砦跡があり興味深い ものがあります。

(神社・仏閣)

鳴海八幡宮、成海神社、浅間社などがあり、いずれも格式の高い立派な神社です。鳴海八幡宮例大祭(表方祭)、成海神社例大祭(裏方祭)は10月上旬に、 浅間社は7月30日に盛大に行われます。鳴海には、瑞泉寺、浄泉寺、万福寺、誓願寺、如意寺、など各宗派の仏閣があり、古い歴史があり訪れるのも興味深いと思います.

(鳴海文化と松尾芭蕉)

松尾芭蕉はしばしば鳴海を訪れており、鳴海の俳壇は芭蕉に師事し、鳴海蕉門を形成しその流れは今日も続いています。ゆかりの史跡として、千鳥塚、芭蕉供養塔、芭蕉堂があります。

(鳴海の祭り)

鳴海の祭りは鳴海八幡宮の表方祭りと、成海神社の裏方祭りがあります。以前は10月に別々に行はれてきましたが、今は10月上旬に一所に行れています。9台の見事な山車が主役です。11月上旬には宿場祭りも行はれ、大変賑わいをみせます。

(標準コース) 約2時間半 ( 自由に変更できます。)

(1) 鳴海宿コース

名鉄鳴海駅ー浅間社ー中島砦跡ー常夜灯ー金剛寺ー瑞泉寺ー善照寺砦跡ー浄泉寺ー万福寺ー誓願寺ー円道寺ー円竜寺ー根古屋(鳴海)城跡-長翁寺ー東福院ー如意寺ー名鉄鳴海駅

(2) 千鳥塚コース

成海神社ー赤塚古墳ー大塚古墳ー新海池ー八幡社ー桂林寺ー千鳥塚ー鉾ノ木貝塚ー光明寺ー丹下常夜灯ー成海神社

以上鳴海の町の一部を紹介しましたが、「百聞は一見にしかず」歩いてその素晴らしさを体験してみて下さい。

2.鳴海の町のアルバム

鳴海の町の一部を紹介します。縄文の時代から現代まで連綿と続く長い歴史があり、その深さを少しでも、味わって下されば幸いです。

瑞泉寺総門(ずいせんじそうもん)

宝暦6年(1756)宇治の万福寺総門を模して造った黄檗形式の珍しい建造物である。昭和32年県指定の文化財にiなった。
瑞泉寺は曹洞宗、総本山総持寺の直末で,大変格式の高いお寺である。
開基は安原備中守宗範、開山は大徹宗令で応永4年(1404)に建立された。その後兵火にかかり、文亀元年(1501)現在地に移転,瑞祥寺と称した。寛保元年(1741)呑舟和尚が住職となり,復興につとめた。亨保年間に瑞泉寺と改めた。

芭蕉供養塔(ばしょうくようとう)

元禄7年10月に芭蕉が亡くなった翌月の命日に建立。芭蕉供養塔として最古のものである。昭和52年市指定の文化財となった。誓願寺境内にある。

(芭蕉と鳴海)
芭蕉と鳴海は関係が深い。貞亨2年(1685)野ざらし紀行の途中,熱田の林桐葉の紹介で立ち寄る。当時鳴海は鳴海6俳仙と言われる人がいて、俳諧がさかんだった。
・貞亨2年(1685)4月4日初来村
 杜若われに発句のおもひあり(知足方)
 夏草よあづま路まとへ五三日(如風)  4月9日
・貞亨4年(1687)11月4日来村
 京まではまだ中空や雪の雲(ぼく言方)  11月5日
 星崎の闇を見よとやなく千鳥(安信方)  11月7日
 鷹一つ見つけて嬉し伊良湖崎 (杜国訪問)
 笠寺やもらぬ岩屋も春の雨(笠寺奉納俳諧)11月17日
 面白し雪にやならん冬の雨(自笑方)     11月20日
・貞亨5年(1688)7月7日吉野紀行の帰途来村
 よき家や雀よろこぶ背戸の粟         7月8日
 初秋や海も青田の一みどり(重辰方)     7月10日
・元禄7年(1694)5つき22日伊賀への途中知足邸に立ち寄る。
 以上4回鳴海に来ています。

・鳴海六俳仙
下郷知足、寺島ぼく言、寺島安信,出羽守自笑、児玉重辰、沙門如風

芭蕉堂(ばしょうどう)

安政年間に永井士前初めその門人によって建立。芭蕉手植えの杉の古木で彫刻した芭蕉像が安置されている。誓願寺境内にある。

平部の常夜塔

文化3年(1806)宿場町の東入り口に建てられたもの。夜灯りをつけ、旅人の目印、宿並びに道中の安全を祈願したものである。石灯籠の四面に「永代常夜灯」「宿中為安全」「秋葉大権現」「文化三丙寅正月」と文字が刻まれている。

(鳴海宿)

江戸時代に入った鳴海宿の様子は、およそ次のようてあった。
人口はほぼ3500人前後,東海道に面した町町は,東から平部、中島(下中)、相原、本町、根古屋、作町,山花,花井,北浦,丹下であり、相原から作町までは扇川沿いに町も順次形成されていった。町の中心部は旅篭(旅館)が集中していた本町、根古屋、作町、であり、それを囲むように,地主、問屋場、町総代(年寄り)のどの有力者が、広大な屋敷を構える,屋敷町が形成されていった。旅篭は最盛期で本陣1軒、脇本陣1軒、脇本陣格1軒、旅篭68軒であった。
・本陣  大名、公家、幕府役人、等が宿泊,休憩する施設を本陣と言った。
・脇本陣  大通行のとき、本陣の利用が重なったとき、本陣の補助的な役割を果たした、施設を脇本陣と言った
・旅篭    武士や一般庶民を宿泊させた、食事付の宿屋を旅篭と言った。
・木賃宿  旅人が米を持参して,自炊を行い、薪代を支払う形式の宿屋を木賃宿と言った。
鳴海宿は平部の常夜灯から丹下の常夜灯まで、東海道沿いの約1.6kmの中にあった。


作町の旧旅篭(きゅうはたご)

旅篭は鳴海宿の中心の本町、根古屋、作町に集中しており、最盛期には68軒あった。今その遺構伝える建物はほとんどないが、かろうじて旧根笹屋、桔梗屋、輪違屋などに、その一部を見ることができる。旅篭は間口がせまく、奥に長い形式のものが多く,真中に通り土間、
片側もしくは両側に座敷、中庭、一番奥に土蔵と厠を持つ場合が多かった。

善照寺砦にある鳴海絞開祖の碑

鳴海絞りの始まりについては諸説があるが、名古屋築城のおり来名した、豊後の人三浦玄忠夫人によると伝えられ、毎年9月13日に慰霊祭がこの地でおこなはれいる。
(善照寺砦跡)
永禄2年(1559)織田信長が築いた砦、今川方の将,岡部元信が守る、根古屋(鳴海)城に対するもので、信長が桶峡間の奇襲に移る前ここに兵を集結した。

浅間社(せんげんしゃ)

祭神は木花開耶姫。通称浅間堂と言われ、毎年7月30日夕方に輪くぐりの神事が行われ、無病息災を祈る。

成海神社(なるみじんじゃ)

祭神は日本武尊、宮ず姫命、建稲種命、で延喜式内社である。686年の鎮座で鳴海の氏神として古くから尊崇されてきた。毎年10月上旬に鳴海裏方祭りとして、4台の山車が、町内をまわる。また日本武尊にかかわる御船流しの神事がおこなわれる。境内には茶席「遊心亭」や芭蕉の句碑などがある。

千鳥塚(ちどりづか)

亭亨4年(1687)冬、寺島安信宅で「星崎の闇を見よとやなく千鳥」を立句とした俳諧の一巻ができたことを記念して建てられたものである。碑文は芭蕉自筆で存命中唯一のものである。昭和52年市指定の文化財となった。表に「千鳥塚」下に2行で「武城江東散人」「芭蕉桃青」と印し、裏面には、「千句塚」と6俳仙の名,側面に興行の年月が彫られている。

芭蕉の句碑と遊心亭

手前が「初秋や海も青田の一みどり」の句が刻まれた芭蕉の句碑。奥が遊心亭である。遊心亭は明治38年(1905)大高の茶人下村実栗(西行庵)の好みにより,鳴海花井の中島家に建立された茶席である。昭和25年本席と待合、つくばひ庭石東一式を成海神社に移設し、昭和63年補修の手を加えた。床縁に杉の割丸太を使う等用材に特別の趣向が配されている。中板は季により,2枚板に取り替え、炉を構えるよう仕組まれ、典型的な茶席建築として近在の名席と言われている。

天神社

鳴海城跡の東部にあり。ここに鳴海城祉碑、及び芭蕉の句碑がある。
(鳴海城祉碑)
桶峡間の合戦のとき今川方の鳴海城の守将は岡部元信でした。義元の死を聞いても驚くことなく「任務を守る以外のことを考えないのが武将の本分だ」といって守り益々堅固にして織田軍に備えた。この事を知った信長は、こちらが攻撃をしかてても、いたずらに多くの兵を失うだろうと思い、使者を出して,退去を諭す。撤兵の条件として「義元の首を渡すこと」を求めた。信長はその態度に感心して、10人の僧をつけて,首をかえした。元信は首級を奉じ、軍を整え退去、帰路刈谷城を襲い、水野信近を殺し府中に帰る。このことは大久保彦左衛門の「三河物語」に書かれ激賞されている。鳴海城祉碑には、このことが,子孫の岡部長景により書かれ、昭和17年建立された。
(芭蕉の句碑)
平成3年に3基の芭蕉の句碑が建てられた。
・杜若われに発句のおもひあり
・京まではまだ半空や雪の雲
・よき家や雀よろこぶ背戸の粟

 

3.鳴海の祭り

丹下の常夜灯付近をゆく山車

 

町内を回る山車

(鳴海の祭)
鳴海八幡宮の例大祭(表方祭)と成海神社例大祭(裏方祭)があります。以前は別別に行はれていましたが、最近は、10月の上旬に合同で行われています。東から中島(下中)、相原、本町、根古屋、作町、花井,北浦,丹下,城之下の9台の山車が町内をまわります。夜には各山車が提灯を燈し,再び町内をまわります。ゆらゆらと揺れる提灯の灯は、とても幻想的で、昼と違った趣があります。

 旧東海道筋で行われる宿場祭り

11月上旬に行はれ多くの人で賑わいます。

扇川にかっか見事な鳴海絞り

 

宿場祭りに協賛して行われる作町交差点での猩猩踊り

 勢揃いした猩猩

猩猩とはこの地方に伝わる,架空の動物の大人形です。例大祭の際人形の中に人が入り,祭礼行列に加わって歩く練り物の一種で、行列の先導警護役として,最先端に立つ役と,町の辻で子供を追いかけて遊ばせる役があります。

 

鳴海の町を案内します。 

大高の町散策