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天孫降臨の視点

天孫降臨説話と、朝鮮半島の説話との類似を説く学説がありますが、かわにしとしては、両者には根本的な違いがあると見ています。『古代の風』105号に掲載していただきました。


『古事記』上巻、及び『日本書紀』神代巻で扱われている、所謂記紀神話において、そのもっとも中心的な説話―「天孫降臨」―について、新羅の説話とのかかわりを中心に本稿では考えてみたい。

さて、まずは、『古事記』を見てみることにしよう。やや長いが引用しておく。(読み下しは岩波書店、倉野憲司校注による)

(一)ここに天照大御神、高木神の命もちて、太子正勝吾勝勝速日天忍穂耳命に詔りたまひしく、「今、葦原中国を平け訖へぬと白せり。故、言依さしたまひし随に、降りまして知らせ。」とのりたまひき。ここにその太子正勝吾勝勝速日天忍穂耳命、答へ白したまひしく、「僕は降らむ装束しつる間に、子生れ出つ。名は天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命ぞ。この子を降すべし。」とまをしたまひき。…ここをもちて白したまひし随に、日子番能邇邇芸命に詔科せて、「この豊葦原水穂国は、汝知らさむ国ぞと言依さしたまふ。故、命の随に天降るべし。」とのりたまひき。
(二)ここに日子番能邇邇芸命、天降りまさむとする時に、天の八衢に居て、上は高天の原を光し、下は葦原中国を光す神、ここにあり。故、ここに天照大御神、高木神の命もちて、天宇受売神に詔りたまひしく、「汝は手弱女人にはあれども、い対ふ神と面勝つ神なり。故、専ら汝往きて問はむは、『吾が御子の天降り為る道を、誰ぞかくて居る。』ととへ。」とのりたまひき。故、問ひたまふ時に、答へ白ししく、「僕は国つ神、名は猿田毘古神ぞ。出で居る所以は、天つ神の御子天降りますと聞きつる故に、御前に仕え奉らむとして、参向へ侍ふぞ。」とまをしき。
(三)ここに天児屋命、布刀玉命、天宇受売命、伊斯許理度売命、玉祖命、并せて五伴緒を支ち加へて、天降したまひき。ここにその招きし八尺の勾?、鏡、また草薙剣、また常世思金神、手力男神、天石門別神を副へ賜ひて、詔したまひしく、「これの鏡は、専ら我が御魂として、吾が前を拝くが如拝き奉れ。次に思金神は、前の事を取り持ちて、政せよ。」とのりたまひき。…
(四)故ここに天津日高日子番能邇邇芸命に詔りたまひて、天の石位を離れ、天の八重たな雲を押し分けて、稜威の道別き道別きて、天の浮橋にうきじまり、そり立たして、竺紫の日向の高千穂のくじふる嶺に天降りまさしめき。故ここに天忍日命、天津久米命の二人、天の石靫を取り負ひ、頭椎の大刀を取り佩き、天の波士弓を取り持ち、天の真鹿児矢を手挟み、御前に立ちて仕え奉りき。…
ここに詔りたまひしく、「此地は韓国に向ひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。故、此地は甚吉き地。」と詔りたまひて、底つ石根に宮柱ふとしり、高天の原に氷椽たかしりて坐しき。

さて、この説話の構造を追ってみよう。大まかに言って、古事記の説話は以下の流れで展開されている。

●天孫の誕生(一)―●天神による降臨の命令(一)―●降臨の準備段階(二〜三)―●降臨の実行(四)

この前に「国譲り」の説話がある。これも「天孫降臨」説話と無関係ではない。これを含めた形で示すなら、

●天神による降臨の意思表明―●降臨の反対者の発生―●反対者との対決―●反対者の屈服―●天孫の誕生(一)―●天神による降臨の命令(一)―●降臨の準備段階(二〜三)―●降臨の実行(四)

となるであろう。あくまで筆者の主観に基づくが、それほど奇異なものではあるまい(物語の構造を分析する試みについては、フランスを中心とした文学批評が参考になる。ソシュールの言語学、ヤーコブソンの詩学によって登場した構造主義の潮流のさなかで、ウラジミール・プロップ『昔話の形態学』が登場するや、物語の潜在構造を分析する試みが盛んに行われた。A.J.グレマス『構造意味論』ロラン・バルト『物語の構造分析』などを参照)。書紀も、おおよそ同様である。

さて、この降臨説話だが、朝鮮半島や内陸のアルタイ諸族の説話に「類似」しているとする指摘がある。

(一)古記に云う。昔桓因《帝釈を謂うなり》の庶子、桓雄有り。数ば天下を意い、人世を貪求す。父、子の意を知り、三危太伯を下視するに、以て人間を弘益するべし。乃ち天符印三箇を授け、遣わして往きて之を理めしむ。雄、徒三千を率い、太伯の山頂《即ち太伯は今の妙香山》神壇樹の下に降る。之を神市と謂う。是、桓雄天王と謂うなり。三国遺事、古朝鮮、桓雄の降臨説話

(二)天帝、訖升骨城《大遼の医州の界に在り》に、五龍車に乗りて、降る。都を立て王と称す。三国遺事、北扶余、解夫婁の降臨説話

(三)禊浴の日、北亀旨に居り。…唯、紫縄天より垂れ地に着く。縄の下を尋ぬ。乃ち、紅幅裹金合子を見ゆ。開きて之を視る。黄金の卵六円有りて日の如し。…六卵童子と化る。三国遺事、駕洛国記、金首露の降臨説話

(四)是より先、朝鮮の遺民、山谷の間に分けて居し、六村を為す。…是辰韓六部を為す。高墟村長蘇伐公、楊山麓を望み、蘿井傍林間、馬有りて跪きて嘶く。則ち往きて之を観る。忽ち馬見えず、只、大卵有り。之を剖る。嬰児有りて出づ。則ち、収めて養う。…是に至りて立ちて君と為す。三国史記、新羅本紀、赫居世、赫居世の降臨説話

(五)王、夜、金城の西の始林の樹の間に鶏有りて鳴く声を聞く。遅く明けて瓠公を遣わし之を視しむ。金の小櫃の樹の枝に掛かる有り。白鶏其の下に鳴く。瓠公還りて告ぐ。王の使人、櫃を取り之を開く。小男児有りて其の中に在り。…乃ち閼智と名づく。三国史記、新羅本紀、脱解王九年、金閼智の降臨説話

これらの説話である。「王となるべき人物が天より舞い降りてくる」という説話の骨子が同じだというのである。これらのうち、一〜三は、「山に降る」点も同じであり、北方の騎馬民族との関わりを示唆するものであるという(岡正雄、江上波夫)。一方、三品彰英(『神話と文化領域』)は、四、五との関連を説き、むしろ南方系の農耕的な文化の影響があるという。井上光貞は、両者を折衷し、北方系の説話と南方系の説話が南朝鮮で結びついた後、日本に入ってきたのだろうという(『日本の歴史1神話から歴史へ』)。

朝鮮半島側の説話は、記紀のそれに比べると、いささか簡略ではあるが、両者の説話の構造をじっくり比較してみよう。

まず、記紀では、以下の順に説話が展開される。

●天孫の誕生―●降臨の命令―●降臨の実行

記紀の中でも、説話により、違いはある。その違いについての詳細は改めて論じたいが、今はこの「シークエンス」を確認しておこう。

一方、朝鮮半島側の説話では、

(一)桓雄
●天帝の子の登場―●降臨の命令―●降臨の実行
(二)解夫婁
●天帝の降臨
(三)金首露
●天よりの飛来物―●金の卵の発見―●卵から天孫の誕生
(四)赫居世
●卵の発見―●卵から天孫の誕生
(五)金閼智
●櫃の発見―●櫃から天孫の誕生

おおよそ、以上のような流れと見て間違いないであろう。

二の解夫婁については、簡略な説話であるから、ひとまず置いておこう。三〜五の「新羅系」の説話が同種のものであることは明らかである。この説話のポイントは、物語の語り口として、天孫の正体が最後になって明かされる、という点である。降臨の時点では、聞き手はそれが何なのか、わからない。卵や紅い布に包まれた金の合子や櫃は、少なくともこの物語の上では、天孫の正体を隠すという役割を持っている。そういう構造になっている(これは神話的・宗教的・政治的意味とは必ずしも一致しない。それについては、多くの民俗学者・神話学者の見解を参照されたい。ここでは、あくまで、この物語における役割である)。一方の記紀はどうであろうか。この物語の聞き手は、降臨するのが邇邇芸命だと、初めに伝えられる(忍穂耳の突然の辞退はあるにせよ)。

もし、こう言ってよければ、「新羅系」の説話は、あくまで「地上の住民の側」から見た世界である。天との意思疎通が出来るとしても、あくまで彼らは「地上」にいる。そういう語り口である。一方、記紀では、天上から語り部も(聞き手も)ともに随行している。そういう語り口だ。

この点で、記紀と最も近いのは、一の桓雄の説話である。この点が、どのような意味を持つのか、にわかには決めがたい。決めがたいけれども、三〜五の朝鮮半島の説話を、「類似」と称すことには、ためらわざるを得ない。物語の構造から言えば、両者のそれは、まったく違っている。たとえ、登場する事物のイメージが一致すると言っても(例えば、赫居世も邇邇芸も名前が穀霊に関わるとか、くじふる峰と亀旨とが音が近いなど)、この構造の違いを無視することは許されないであろう(新羅系の説話に関しては、その構造の上では、むしろ「桃太郎」に近い。また、明確に「海を渡って来る」脱解王の説話も同系統に属すであろう)。

記紀の伝える「天孫降臨」説話と、新羅や駕洛の「降臨」説話とでは、構造的にまったく異なる。この「違い」というのは、物語の「内容(イストワール、histoire)」の違いというよりもむしろ、「言説(レシ、recit)」の違いである(これらは、「物語論(ナラトロジー、narratologie)」の用語である。フランス文学理論家のG.ジュネット『物語のディスクール』などを参照)。従来の比較においては、「内容」の共通点だけによって、「類似」が称されてきたのでは無いだろうか。

もしも、「内容」が類似しており、「言説」が異なる、ということであれば、その要因の可能性はいくつかある。仮にこれら説話を「おとぎ話」つまり「作り話」と割り切るなら、「言説」が構造的に異なる以上、両者を同種の、或いは同根の説話と見なすべきではないだろう。どちらからどちらへ伝わるとしても、「物語言説」が伝えられるはずだからである。「言説」の上での類似が求められるはずである。

仮にこれらを「史実の反映」と見なすならば、「内容」の類似は、ある同一の事件を指しているのかもしれない。だが、その語り手は別々であろうと推測するのが、無難であろう。

要するに、両者の説話は、直接的には関わりは薄いと考えられるのである。


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This is Historical. Japanese only.
Author: KAWANISHI Yoshihiro
Created: Febrary 17, 2003
Revision: $Id: tensonkorin.htm,v 1.5 2006/11/26 11:26:53 yokawa Exp $

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