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さて、『三国志』に続く史書、『宋書』には、有名な「倭の五王」が登場する。倭の五王は、応神(第15代)から雄略(第21代)の7人の天皇のうちのいずれかにあたると、従来言われている。
それを列記しよう。
(1)讃
(2)珍
(3)済
(4)興
(5)武
(水野祐は『梁書』の「弥」を(1)と(2)の間に入れこれを履中とする)
この内、前田・水野の両説は異色の説であり、孤立している。したがって、他は(2)〜(5)については一定している。(1)の讃だけが各学者の意見が分裂しているのである。
さて、武が雄略に当たると言うのであれば、当然その4代前の讃は履中でなければならぬ。しかし、この比定には、重大な矛盾がある。
晋安帝の時、倭王賛有り梁書倭伝
(晋安帝、義熙九年)是歳、高句麗・倭国及び西南夷銅頭大師並びに方物を献ず晋書安帝紀
によれば、讃(賛)は東晋の義熙九年(413)に既に朝貢している。宋書に登場する元嘉二年(425)まで、少なくとも足掛け13年は在位していたことになる。さらに、次の珍は元嘉十五年(438)に貢献し、受号している(宋書文帝紀)。したがって、讃・珍の二代の在位年数の合計は少なくとも26年以上ということになる。讃は義熙九年(413)以前の数年を加えなければならないだろうし、珍も次の済の貢献年次(443)までの何年かを加えねばならぬ可能性が充分にある。ところが『日本書紀』によれば、履中(六年)・反正(五年)の在位年数の合計(11年)は、先の最小年数(26年)の半分にも満たない。一般に「書紀」の在位年数は「実数値より多い」のであって、これは矛盾である。そこで、讃=仁徳説が浮上するのである。だが、ここで新たな矛盾が生じる。『宋書』では、珍は讃の弟である。一方、仁徳は履中・反正との関係は親子である。
それで両者が激しく論争をするのだが、外から見れば、問題はハッキリしている。どちらも矛盾している。どちらの説も成り立たぬ。こうして、そもそも、「倭の五王」を「天皇家」に当てる試みは、正しかったのか?という問いに進まねばならないのだ。
さて、倭の五王のなかで、比定すべき天皇がもっとも確実だとされるのが「武」だ。ところが、「武」には奇妙な問題がある。『宋書』の次の『南斉書』『梁書』にも「武」が登場する。
建元元年(479)進めて新たに使持節都督、倭・新羅・任那・加羅・秦韓六国諸軍事、安東大将軍、倭王武に除し、号して鎮東大将軍と為す南斉書倭国伝
(天覧元年、502)鎮東大将軍倭王武、進めて征東将軍と号せしむ梁書武帝紀
日本書紀に依れば雄略の治世は456-79だから、梁書の「武」は雄略の治世をはるかにオーバーしてしまう。502年といえば、『日本書紀』なら雄略より4代あとの武烈の治世であり、「武」は雄略-清寧-顕宗-仁賢-武烈の各治世にまたがっている。このような事実が、「武」と雄略は同一人物でないことをハッキリ示している。
さて、「倭の五王」問題の根本は名前である。中国風の一字名だ。一般にこのように解説されている。
これは本当だろうか。『宋書』の夷蛮伝には数多くの夷蛮の人名が載っているが、それが3字だろうと4字だろうと、7字だろうと、原音のまま表音表記されている。これは、『南斉書』『梁書』も変わらない。『魏志倭人伝』も倭の女王の名は「卑弥呼」と記されており、一字を勝手に切り取って載せると言うことはしていない。後の『隋書』も同じだ(「多利思北孤」)。
では、一字名はどこから生まれたのか。百済伝・高句麗伝をみれば、その王達は「余映」「高[王連]」などの中国名を名乗っている。これらは自ら中国風の名を名乗ってきたのだ。(いわゆる「五胡」も、中国の文化を受容するにつれ、中国風の名称を用いるようになっていった)「倭の五王」もその例である。
宋書には倭王武の上表文が、長文引用されている。この中で、「東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、渡りて海北を平ぐること九十五国」とある。従来これを「近畿を中心とした倭国版の中華思想のあらわれ」と見なした。だが、これはふさわしくない。倭王武の上表文にあらわれるとおり、倭王は、中国(南朝)の臣下として、厳にその立場を主張している。当然、自らを「東夷」の一角におき、東夷の王として中国の天子の威徳が及ぶ範囲を、広げてきた、と倭王武は語っている。
王道融泰にして、土を廓き畿を遥かにす。累葉朝宗して歳に愆らず。
この文言がすべてを物語っている。ここで語っている、東西+海北の範囲は以下のようだ。
したがって、倭の五王の居城は九州にあったと見なすのが、最も自然である。
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