2010年6月

7日(月)
 ヨレヨレになった政権の顔を挿げ替えて、元気モリモリ支持率アップというのをアンパンマン効果と言うそうですが、鳩山政権から菅政権への移行は典型的なアンパンマン効果の大成功ということで、今後よくひかれる事例になっていくことでしょう。しかしアンパンマン効果という側面も確かに強いですが、一方で小泉劇場を倣って行っているという側面も強いのではと感じています。

10日(木)
 社会経済史学会から連絡が来まして、再投稿していた論文が無事にいわゆるB判定になったということでして、少々補訂することを条件に掲載可としていただけるとのことです。博論書いたり、本にまとめたり、紀要論文や依頼論文をこなしたりしているうちに、久方ぶりの投稿論文になってしまっていたのですが、取り敢えずはまだ査読論文を書く勘が鈍っていないことが確認できて何よりです。でもまぁ、投稿論文っていうのは掲載決定を貰うために、書きたいことを幾つも落としながらブラッシュアップをしているのも事実でして、まぁ良し悪しと言ったところを再確認もできました。

 白か黒かが明確に分かれる学問分野とは違いまして、経済史みたいな学問分野っていうのは、査読論文を書く重要性も高いですけど、査読されない論文を書く重要性もまた同じく高いものでして、現代の大学事情には完全合致とはいかない分野だようなぁなどということをボケボケと思い耽っているところです。査読されない論文に質の悪いものが多くあることは認めますが、査読論文がすべて査読のない論文より良い論文かというところは絶対に違っていまして、査読されないからこそ良い論文っていうのもやはりあるんですよね。

 そういうのはなかなか難しいものでして、見る人たちがみればわかるのですが、まぁ、他の分野への説明は難しいので、就職するまでは査読論文中心で院生などは行くべきでしょうが、就職した後は査読なしの論文を書く機会も大切にした方がいいですね。などと査読を通った喜びとともに、それだけじゃないよなぁっていう感慨もあり、純粋に掲載決定の通知を小躍りして喜んでいた院生とか助手の頃が懐かしくもあります。

14日(月)
 福岡市美術館にてシアトル美術館所蔵の日本・アジア美術の展覧会が行われているので、先日嫁さん誘って観覧に行ってきました。一番の売りは葛飾北斎の肉筆画による美人画でして、〈五美人図〉という本来ならば同じ場所にはいるはずのない町娘、花魁、武家の婦人、年増女、御殿女中を一同に描いたものでして、作品としての生々しさや艶やかさは当然のこととして、作品そのものの保存状態の良さに驚愕してしまいました。皺も折目もシミも一切ない、そういう保存状態の日本美術の粋っていうのはなかなかお目にかかれないものですが、それがシアトル美術館に収蔵されている不思議っていうものに感動してきました。

 その他にも、本阿弥光悦と俵屋宗達の合作による〈鹿下絵和歌巻〉や、志野焼のいい具合な姿形の草文花入れ、幾何学的な文様を付けた織部に、江戸時代の〈烏図屏風〉、藤原定信の石山切などなど、かなり見所一杯なコレクションです。茶器では、特に個人的には志野焼が大好きなのですが、シアトル美術館の志野焼もまた絶品でして、三井記念美術館の〈卯花墻〉とまではいきませんが、徳川美術館か五島美術館にでも収蔵されていれば重要文化財は間違いなしだろうというくらいの名品でした。全国各地を回って福岡が最後かな?7月までやっているので、まだの方は是非ともご一覧を。

21日(月)
 大学の教員などをやっていると、自然と学会などで色々な大学のキャンパスを見る機会が多くなるのですが、今回の社会経済史学会が開催された関西学院大学のキャンパスは、これまで見てきたどの大学よりも見事でした。一つにはキャンパス内の建物すべてに統一性があるのが理由でして、多くの大学で建物ごとに作られた時代の流行などが入り込んでいるのとは違い、まさにキャンパスを貫く統一性で時代を超えて増改築を行っているのが良く分かりました。日本の大学の雑多な建物群の中にあって、その統一性を守り続けている事は称賛に値します。

 もう一つ、そこからの延長線上にあることですが、高層階の建物がないのもキャンパスの美しさに貢献しています。狭い土地で如何にして床面積を増やすのかという不動産屋さん的な感覚で、日々刻々と大学の建物というのは上に伸びて行っていますから、どうしても空が狭く感じられるようになっていきます。それが、広々とした庭園を残しつつ、低い建物のみでキャンパスを作り上げているというのは、この時代にあって謎としか言いようがない程です。キャンパスにしろ街並みにしろ、美しさを維持するためには多大な苦労が背後にあることは想像に難くないわけですが、あぁいう美しい景色というのはいつまでも守って貰いたいもんだなぁっていう感慨などを抱きつつ福岡に戻ってくると・・・

 話は変わりますが、世界中でブブセラがちょっとしたブームだとか。南アのワールドカップで注目されている、アフリカの民族楽器風の楽器ということで、説明はしづらいようですが、この大音量を出す楽器を、フランスの労働組合が抗議活動で利用しようとしているとのことです。テレビ以外で実際に聞いたことはないので、どのくらいの音量で鳴っている楽器なのか良くわからないのですが、とにかくウルサイことだけは間違いないようです。と、そこまで評判を聞いてしまいますと、どこかで使ってみたくはなりますが、吹いている方の耳は痛くならないのかとそこの点が気になるところです。

25日(金)
 デンマーク戦を見事に勝利した日本ですが、早朝3時半から試合開始なんということでは教授会前日に見ているほどの体力的な余裕もなく、朝起きた後に3対1という驚きの得点とともに結果を知ったのでした。カメルーン戦はまぐれと思い、オランダ戦はそこそこいい試合しているなと思った程度でしたが、いったい何が日本チームを確変させたかは知りませんが、岡田ジャパンの評価の一転していく様は嬉しくもあります。あれほど無能な指揮官のレッテルを貼られていた岡田監督も、いつの間にか名将扱いされはじめていますから世の中なんてそういうもんなんでしょう。

 しかし、フランスやイタリアが予選敗退していく中で、日本が決勝リーグへとコマを進めることが出来るとは、勝負っていうのは分かりませんねぇ。アフリカ大陸だからアフリカ勢が有利だという下馬評も、蓋を開けてみたらそんなことは全然ありませんでしたし、勝利の女神がいつまで日本に微笑み続けることでしょうか。負ければ即敗退の決勝リーグですが、勝ってくれれば当然嬉しいものの、勝とうが負けようが既に望外のところまで来ていますので、この後どんな結果になろうが嬉しくてたまらない状況です。

 スポーツと言えばそれとは一転、それにしても大相撲界の野球賭博やらの案件は底無しのようでして、一部の相撲部屋では札束を積んでギャンブルをするのが日常光景だったとか、何というかまぁ常軌を逸しています。犯罪を犯罪だと感じなくなる麻痺した状況が続いていたのだと思いますが、野球賭博だけでなく賭けゴルフや賭けマージャンでも大金が動いていたようです。国技などと自称していますが、そんな看板は早く下ろしてしまい、テレビ放送もないゼロから出発しないと駄目でしょう。不祥事というには酷過ぎて、厳罰に厳罰を加えた結果しか納得は得られないでしょう。

 犯した罪に適う、またはそれを補って余りあるくらいの厳罰ではないと、所詮は罪の意識も湧かないんじゃないでしょうか。