2020年5月

7日(木)
 緊急事態宣言下の生活っていうのは、まぁ不便なのは致し方ないことですので、スローライフをしています。その中でも楽しかったのは、スーパーマーケットの魚介類のコーナーで、生きた福岡県産シャコを見つけたことでした。普段だと寿司屋へと寿司ネタとして出されていて、普通のスーパーマーケットなどには流れてこなかったシャコでしょうね。

 シャコと言えば、30年くらい前に家族旅行で知多半島へ行ったときに、そこにバケツで売られているシャコがいまして、それを岐阜まで買って帰って、塩茹でにしたのが良い思い出です。そんな話をカミさんにしたところ、シャコを食べたことがないと。確かに、鳥取はカニはズワイガニがいますし、エビはモサエビっていうのが美味でしたので、シャコを食べるという文化がないとのこと。確かに、カニモエビも大量にいたら、わざわざシャコを食べないかも知れません。

 そんなわけで、僕がシャコを買い込んできて、カミさんにシャコの食べ方のレクチャーとなったのでした。寿司ネタにする訳じゃないので、いたって単純な話なのですが、塩茹でにして冷ましてやる。そして茹で上がったシャコを、冷ましてから頭の部分を取ってやり、体の左側と右側を調理用ハサミでジョキジョキと切ってやるのです。こんな簡単にシャコの塩茹での出来上がり。カミさんも、初めて食べたシャコは意外とおいしかったらしく、海無し県の人間が日本海民に自慢が出来たのでした。

 ただし、このハサミで切るときに手が痛いんですよね。攻撃されます。しかも、勿体ない精神から、頭の部分の身だとか、腕の部分の身だとか、寿司屋だったら絶対に廃棄しているような小さな肉片まで、チマチマ、チマチマ、チマチマと取り続けて、僕は一人で延々といつまでも食べ続けていたのでした。

 また、緊急事態宣言によって人に会う機会がぐっと減っていますから、これをチャンスに25年ぶりくらいに作った料理もあります。大学生の頃の僕のお気に入りの料理です。紅茶豚っていう、豚の肉塊を紅茶でゆで豚にする料理ですが、大学生の頃にこれに凝っていまして、結構絶品のレシピが出来ていたんですよね。普段は豚の肉塊なんかを買ったら、カミさんが角煮にしてしまいますし、それで十二分に美味しいので何の文句もないのですが、人に会わない今こそ四半世紀ぶりに復活させたくなったのです。

 作り方はいたって簡単、豚の肉塊を、紅茶の葉っぱとともに茹でます。今回は安いマスカットティーを多めに使いました。だいたい1時間くらいでしょうか。茹で上がったら冷まし、そのまま冷蔵庫へと入れます。そして、一晩ジップロックに入れて寝かせます。次の日になると、冷えて身が固くなっているので、これを適当な大きさにスライスして、それからレンジで3分加熱します。脂を程よく落とすためにこの工程が必須です。また大学生時代に検証した結果、茹で上がった直後にレンチンしては駄目でして、一晩は冷蔵庫へ入れておく必要があります。

 このレンチンと並行して、醤油・酒・ミリンを目分量で加熱し、ごま油を垂らしてタレを作っておきます。そして最大のポイントは、この汁に、生のニンニクを摺り下してやるのです。これでなぜ僕が四半世紀も封印していたのか分かると思いますが、生ニンニクが美味しい秘訣なのですが、2日間はニンニクの口臭がかなり残ります。3日目でも少々気になります。それでも、この生ニンニクの辛みがきいて、脂の落ちた紅茶豚との相性が絶妙なんですよね。緊急事態宣言が終わったら、またこれは封印だな。

14日(木)
 〈麒麟がくる〉の美濃パートが終わってしまいましたね。本木道三も良かったし、海猿義龍も良かったなぁ。斎藤利三の関係があるから、稲葉一鉄役の村田雄浩が最後までどう絡んでくるのかが楽しみでして、美濃パートでのあの悪役っぷりを見るに、本能寺の変の背後でも村田雄浩が悪役っぷりを出してくるのか興味が尽きないところです。

 そして、道三、義龍、一鉄の怪演・熱演ぶりにばかり目を奪われてしまいますが、実はとても良かったのが明智光安を演じる西村まさ彦と、牧の方を演じる石川さゆり。見ていて本当に驚いたのですが、美濃にはああいう牧歌的で人のいい明智光安や牧の方みたいな人達が一定数います。多分、演出関係の人達が調査をしっかりしているのでしょう。西濃の方だと知りませんが、可児あたりで明智光安や牧の方みたいな人達なら、簡単に見つかるのではないでしょうか。

 牧の方がクドクドと地元を動きたくないとか話していましたが、あれは、自分の感情をいったん高ぶらせて発散し、気分を切り替えるための一階梯です。ですから、本当に地元に残ると言い張っているのではなく、本当は地元に残りたいんだという気持ちを全開に高ぶらせ、でも駄目だよねと自分を納得させるために必要なのでした。しかし、多分美濃の人以外にはなかなか伝わりませんよね。我が儘を言っているか、ダチョウ倶楽部をしているか、そう錯覚されるのではと思うくらい、美濃の人の特徴をよく捉えています。

 明智光安も、負け戦だとわかっていることをわざわざ戦って、やっぱり負けたけど、お前は何とかしろっていうああいう感じ、いますよね。いや、悪い人じゃなくて本当にいい人なんだけど、もっと自分で何とかしてよっていう感じのオジちゃんたち、とっても人がいいんですよ。裏も表もなく、汗を流しながら真面目に働き続けていくタイプでして、もっと器用に生きようよと声をかけたくなります。「とろい(より正確には「とぉろぉ」)」と表現される事もありますが、愛すべき美濃人の1つのあり方ですよね。斎藤道三や竹中半兵衛なんかと真逆のタイプです。

 大河ドラマで自分の地元近くが舞台になるなんてそうある話ではありませんが、ここまで丁寧に作り込んでくれるのでしたら、大河ドラマを誘致したいという声が高まるのも分かりますね。

 ところで、美濃パートが終わって越前パートへと入っていますが、予告で美味しそうな越前ガニが映っていまして、鳥取出身のカミさんとしてはズワイガニが福井の名産みたいに宣伝されていると地団太を踏んでいるのでした。僕が食べ比べた感じでは、福井のカニと鳥取のカニの違いって、正直言って分かりません。でもまぁ両県とも、重要な外貨獲得産業でしょうから、なかなか難しいですよね。しかしながら立場上、我が家でズワイガニと言えば鳥取県なのでした。越前ガニと呼ぶこともタブーです。

18日(月)
 福岡も緊急事態宣言が解除され、取り敢えずは一段落がついた感じですが、スペイン風邪の状況や他国の情勢を見るだに、第2波、第3波がやってくる可能性も高く、今後も中長期的に悩ましい限りです。人々のライフスタイルや仕事のあり方やも、必然的に変わっていかなくなることでしょう。

 今回の世界的な動向で興味深いのは、従来は欧米っていうのは個人の距離感が確立しており、日本はそれが未熟だと思っていたことが、必ずしもそうとも言い切れないという事でしょうか。欧米は確かにパーソナルスペースが広いですが、そのパーソナルスペースにハグやキスや握手によって入れることで親愛を表現します。一方の日本は、パーソナルスペース自体は狭いですが、そこへ家族や恋人以外の他者を入れることを毛嫌いします。日本人の狭いパーソナルスペースに入ってこようとする他者は、「距離感が雑」であるとか、「馴れ馴れしい」だとか、「図々しい」というように、異常な感覚の持ち主だとして嫌がられます。

 この日本人的な狭いパーソナルスペースへは絶対に他者を入れないスタンスが、結果として今回は感染拡大を抑制したんだと思います。マスクの習慣や、靴を脱ぐ習慣や、手洗いうがいや、日本語の特性や、他にもいろいろと原因はありそうですが、この他人との接触の無さっていうのはかなり重要だと思われます。

 ただし、この日本人的な習慣だけで、第2波や第3波も防ぎきれるかどうかは不明ですから、今回の良かったところは生かしつつ、今回の不十分だったところは修正しつつ、次を待つしかありません。今回の最も不十分だった点は、やはり海外からのウイルスの侵入への対応でしょう。1月末から2月にかけての外国人の入国制限の遅れと、2月から3月にかけて海外旅行に遊びに行った日本人を、特段の対応もなく日本国内へ帰してしまったことが、一番の失敗です。感染拡大国の外国人の入国はストップできますが、特に日本人の帰国は難しい。

 人権問題などもありますから、今回の第1波については、現在の法的な枠組みだけでは無理な部分もあったことでしょう。しかしながら第2波、第3波に備えては、海外からの帰国者を10日間なり、2週間なり、特定のホテルなどへと収容しておくことを、疫学的な観点から致し方ないという法整備をする必要があるのではないでしょうか。そのためのホテルの確保や補償の問題なども、事前に準備しておくことなんだと思います。

27日(水)
 〈テラスハウス〉という番組に出ていた女子レスラーが亡くなったという事で、SNSでの発言規制の動きが出ているようです。インターネット上で匿名をいいことに誹謗中傷を送り付けるような行為は、言葉の暴力でして、規制が行われてしかるべきだと思いますが、それと同時に、〈テラスハウス〉という番組についてもかなり問題がありそうです。

 もともと恋愛リアリティ番組というのは、日本で発明された番組ではなく、海外で作られている番組の版権を買ってきて日本人でやっているようですが、海外でも死者を何人も出しているという曰く付きの番組形態のようです。リアリティというのが鍵でして、リアリティ=現実感がある、というのは、リアル=現実、ではないという点です。つまり、現実感があり、かつ面白おかしく過剰演出した番組なわけです。リアルな番組ならばドキュメンタリーの方が言葉として適切でしょう。

 ところが、リアリティとリアルの言葉の感覚が分かりづらい日本人だけでなく、英語圏の人間であってもリアリティとリアルの区別などすることなく、番組を受けての過剰なバッシングとかが発生してしまうらしいのです。そのため、世界各国で死者を出す番組として、よく知られているようです。英語圏の人間が区別できないものを、日本の視聴者にはわきまえろなんて言うのは無理筋の話でしょう。

 今回の女子レスラーも、もともとが悪役女子レスラーという役回りの女性だったらしく、過度に悪役に描くように番組が作られたことは容易に想像ができます。いわゆる炎上商法というものですが、番組制作側の意図が当たれば当たるほどに、インターネット上でのバッシングが発生をし、そのバッシングの盛り上がりによって番組の視聴率を上げようという手法です。それが、番組制作側のコントロールの範疇を超えて、望んだ範囲内でバッシングが収まらなかったというわけです。

 このような背景で起きた問題に対して、SNSにおける誹謗中傷の発言を規制することだけで、問題解決が図れるわけがありません。海外において死者を何人も出している番組作りが、何故に日本国内でも追認されてしまったのか。そちらも同時に明らかにする必要があります。そして海外と同じように、リアリティという名前を付けた過剰演出についても、規制やルール作りが行われるべきでしょう。