九州阿房列車(2000年)

 

2月2日

 当面の目標である「JR完乗」を果たすには、残るは北海道、東北地区、そして九州のみとなった。折角休みをもらえたのだから出かけない手はない。しかし、寒い北のほうには行きたくないし、九州は九州で諸般の事情からあまり行きたくはない(「九州・四国阿房列車」参照)。かといって、JR完乗を九州で迎えるのもアレなので、九州まで行くことにした。
 朝、6時に起きて新宿へ向かう。何で九州に行くのに新宿なのか?理由は「小田急の松田連絡線を仕切る」ためである。そのために選んだ列車が「あさぎり1号」。RSE20000系はハイデッカ−構造のため、見晴らしがいい。席も1号車の前の方だ。 7時20分に出発。逆ラッシュとはいえノロノロ運転が続く。これの前を急行が走っているので仕方がない。ただ、新宿へ向かう満員列車を横目にシートに深く腰掛けてゆったりと出来るのは、何とも言えない優越感を覚える。新松田の手前で連絡線に入り御殿場線へ。乗務員もここで交代し沼津へと向かう。柔らかい日差しの中、ウトウトしている間に沼津に着いた。

あさぎり1号

 沼津からは在来線で掛川へ。待っていた静岡行きは113系の9両編成。余裕で1ボックスをキープする。このまま終点まで乗っていってもよかったのだが、どっちにしろ乗り換えなければ行けないので、富士で乗り捨てて始発の浜松行きを待つ。ところが、ここで現れたのは211系の3両編成。仕方なく先頭車で前展する。きらきらと輝く太陽と海が眩しい。1時間ちょっとで掛川に到着。
 掛川からは、天竜浜名湖鉄道で大きく迂回して新所原へ向かう。途中の天竜二俣には、キハ20とナハネ20がボロボロになって放置されていた。私が乗った列車もここが終点なので、隣のホームの新所原行きに乗りかえる。普通に行けば1時間弱の道のりを約2時間かけて新所原に到着。豊橋方面の列車が来るまで時間があったので、九州でのホテルを予約する。
 新所原−豊橋間の普通列車は311系。いままで新快速として中京圏に君臨していた車両が各駅に回されるなど、思ってもいなかった。車内放送が女性の声だったので「自動放送でもあったっけ?」と思ったら、女性車掌でちょっと驚く。色々な意味でもったいないと思いつつ、豊橋で名鉄にスイッチ。
 名鉄も、今回初乗車である。当然、特急でいこう。名古屋方が自由席車なので、しっかりと一番前のクロスシートに腰を下ろす。豊橋から伊奈にかけては、線形が悪いせいか、あまりスピードを出していなかったが、そこから先は120キロ近いスピードでガンガン飛ばしていく。やっぱり、先頭車は迫力が違うね。50分ほどで名古屋に到着。

豊橋

 少しお腹がすいたので、ここで昼食を取ることにする。名古屋といえばきしめんなので食べれそうなところを探したのだが、駅構内にしかないようだ。わざわざ入場券を買って中に入るのも何なので、今回は泣く泣くあきらめた。
 名古屋から、またまた寄り道。こんどは近鉄「アーバンライナー」で大阪・難波へ。席番が11番だったのでJRの例からして通路側だなぁと思っていたら、近鉄は奇数番号が窓側らしい。サンドイッチを購入し昼飯とする。車内はビジネスマンが多いようだ。時間は倍かかるけど、新幹線と比べて断然安いしね。青山峠の辺りまで起きていたのだが、気づいたら布施。夕ラッシュで混雑しはじめた18時過ぎに難波に到着。
 新幹線の時間までまだまだ余裕があるので、大阪港のナイトクルージングへ。大阪市営地下鉄で、なんば−大阪港−中ふ頭−住之江公園−西梅田と1周する。ニュートラムから眺めた大阪港は、結構きれいだった。ちなみに、大阪港−中ふ頭は市営ではなく大阪港トランスポートシステムが経営しているので、別途料金が必要になる。
 大阪から一駅新大阪に戻り、駅構内で夕飯を食べる。ピラフとカキフライのセットを頼んだのだが、味はまあまあ。お腹を満たすのが目的だったので、よしとしよう。
 20時49分の「ひかり129号」で博多へと向かう。新幹線300系は、意外にも今回が初乗車である。昼間乗った311系と同じく、「のぞみ」としてエース級の活躍をしてきた車両が「ひかり」メインの運用になっているのだから、時代の流れというのは早い。暗闇の中を疾走する新幹線は、遠くから見るとまさに「白い矢」のように見えるのだろう。トンネルに入ったときの車体のきしみ音が気になるが、快適な3時間であった。
 博多からは「ドリームつばめ」に乗るので、在来線ホームに向かう。どうやら、小倉付近で架線事故があったらしく列車のダイヤが一部乱れているが、鹿児島方面には影響がないようだ。それにしても、九州到着早々事故だなんて、やっぱり相性悪いのかなぁ。

2月3日

 今回、九州内は「グリーン豪遊」を利用している。そこで、「ドリームつばめ」も当然グリーンである。次の日の朝が早いので検札終了後すぐに寝に入るが、夜行列車なのだから室内灯の減光はしてほしい。
 終点手前の伊集院で下車し、バスで枕崎へと向かう。西鹿児島まで乗っていっても、接続する指宿枕崎線が枕崎まで行かないための苦肉の策である。バスの車内では地元のラジオが流れている。寝不足を解消すべく車内で少し寝る。朝早いのに学生の姿が目立つ。学校に通うのも大変だ。この路線バスは、廃線となった鹿児島交通線の代替として走っている。途中の津貫バス停の目の前には、明らかにプラットホームと分かる遺構が残っていた。
 枕崎のホームは一面一線の寂しい感じがした。ここから西鹿児島まで枕崎線を上る。二月田−坂之上間快速となる「なのはな2号」。こちらも学生の姿が目立つ。枕崎線には「日本最西端の駅」西大山が途中にある。記念碑が建っていたが、写真に撮ろうにも乗客が多くて撮れなかった。

枕崎

 西鹿児島から伊集院に戻る。そうしないと、鹿児島本線完乗出来ないからである。「つばめ」で行って普通列車で戻る。往復したところで朝食タイム。手短にすみ、なおかつ多少は長居できそうなところということでケンタッキーへ。
 西鹿児島12時ちょうどの普通列車で西鹿児島を後にし隼人へ。隼人から肥薩線に乗り換え吉松往復。相変わらずキハ40は遅い。他に性能のいい気動車があるのだから、それを使えばいいのに。栗野駅に「山野線跡」と廃レールで文字が書いてあったのが印象に残った。また、吉松にはC55が保存されていたが、保存してある向きが悪かったので撮影しなかった。
 戻った隼人から「きりしま10号」で宮崎へ。都城−宮崎って結構距離あるんだね。どうりでこの区間、1時間もかかるわけだ。途中の信号所で「えびの6号」に道を譲ってもらい、宮崎に17時前に到着。ホテルに行って荷物を軽くし、宮崎空港を往復。シャトル用に改造された713系に乗ったが、車内は「・・・」ということで。シートはいいんだけど、ね。
 昨日からの長旅の疲れもあって、この日はこれで終了。泊まった所は宮崎厚生年金会館。宮崎ってチャンネル少ないんだね。ついでに公営のために有料放送もなかったので、とっとと寝た。

2月4日

 まだ夜も空けていない5時に起きる。案の定、フロントには誰もいない。悪いと思いつつもボーイを起こして宮崎駅へ。
 コンビニで食料を買いこんで、5時35分発の志布志行きに乗る。キハ40の単行だ。満足に景色を眺める事が出来ないので、気づいたら夢の中。朝日が眩しい8時37分、終点の志布志に到着。数えるほどの乗客しか乗っていない。
 かつては、ここ志布志から志布志線と大隈線が出ていたのだが、赤字路線として廃止されてしまっている。かつてのジャンクションは一面のホームとやけに広い構内が目立っていて、昨日訪れた枕崎同様、哀愁を漂わせていた。都城方面へのバスの時間も悪いので、折り返し宮崎へと戻る。
 宮崎から「にちりん」で延岡往復。これも昨日の西鹿児島−伊集院同様、今日のうちの乗っておかないと機会がなくなるからである。往路は普通の「にちりん」グリーン、復路は3月改正で無くなってしまう787系使用の「にちりんシーガイア」のグリーンを仕切る。都濃のあたりでリニアの試験線が横を併走する。格納庫の中には、リニアモーターカーの鼻先をわずかながらも確認する事が出来た。グリーン豪遊券なので、グリーン車でソフトドリンク飲み放題(?)ということで、行きはコーヒーを、帰りはアイスウーロン茶を頂く。気のせいか、シートとテーブルとの距離が787系の方が若干広く感じた。

志布志 急行「えびの」

 戻った宮崎で昼を食べ、これも3月改正で愛称が消える急行「えびの」で熊本に抜ける。キハ58+キハ65の2両編成で、キハ65が喫煙車になっている。気づかずにキハ65に席を取ってしまったが、よしとしよう。ただ、ちょっと気になったんだけど、都城までの快速区間は全車禁煙にしたほうがいいんじゃない? 平気で高校生がタバコ吸ってるんだけど。
 都城から種別も急行になり、日豊線と分かれて吉都線に入る。少しは急行らしい走りになった。と同時に、車内も高校生の姿がなくなり急に静かになる。1時間ちょっとで昨日来た吉松に到着。ここで進路が変わる。今となっては珍しい、駅弁売りのオジさんがいる。カゴに弁当を入れて列車の脇を行ったり来たりする姿は、懐かしさを感じる。発車まで時間があったので写真を撮りに行ったら、他の人に駅名板と自分が入るように写真を撮って欲しいと頼まれる。断る理由もないので、承諾した。
 吉松−人吉間の矢岳越えは夜になってしまい、満足に景色を眺める事が出来ない。そのため、ループ線やスイッチバックなども確認は出来なかった。昼間通ると絶景が見れるらしいが、まあ仕方ない。そういえば、ここの区間で隣の駅まで行くにも急行料金必要なんだよね。地元の人はかわいそうだなあ。
 人吉−八代間はノンストップだったのだが、揺れる揺れる。というか、揺れすぎ。宮崎を出発して約4時間半後の20時36分に熊本に到着した。
 そして、今日の最後を締める三角線往復。乗車したのはキハ31の2両編成だが、予想以上に走りがいいぞ。比べるのも悪いが、キハ40よりもスタートダッシュがいいように感じられた。
 この日は乗車行程こそ少ないものの、日南線往復で約6時間、「えびの」通しで約4時間半、そして三角線は往復2時間と長時間乗車の一日だった。熊本駅前のビジネスホテルに一泊する。昨日の宮崎と比べてチャンネル数が多い。また有料チャンネルは4チャンネルあり、1000円分のプリペイドカードを購入する方法だった。

2月5日

 この日は熊本7時20分発の「有明6号」で出発。787系10両編成で、当然のごとくグリーンに腰掛ける。私が乗ったのは「有明」用の半室グリーン車・クロハ786だったが、設備的にはクモロ787と差はない。鹿児島本線を快調に飛ばして博多に到着。
 博多から香椎に出て、香椎線を西戸崎へ。海のすぐそばを列車が走る。かつて「アクアエクスプレス」なるものが走っていたのも頷ける。のんびりと走るキハ47に揺られて再び香椎に戻り、今度はキハ200で長者原へ。なぜか車内のLED表示器がずれていたが(香椎始発なのに、西戸崎始発の設定になっていた)、誰も気にしていないようだ。

西戸崎

 長者原で篠栗線に乗り換え。工事中のためか、乗換えが不便である。やってきた快速列車はキハ200のトップナンバー。混んでいたが根性で席を確保する。桂川から筑豊本線へ。かつて炭坑列車の街道として使用されていただけあって複線である。そして、それを活かしてか、筑豊・篠栗線は電化工事中。電化後は815系を投入して、ここを走っているキハ66系やキハ200を鹿児島、宮崎地方に持っていき、そこのキハ58を淘汰するのだろう。
 本来の駅と離れている折尾で下車し、若松行きに乗りかえる。ホーム上には若松ボートへ行くヒマそうなオジさんが多い。同じ複線ながらも、先ほどとは違って遅い。もう少し速く走れば折尾で6・7番ホームへ余裕を持って移動する時間も出来るだろう、と怒りすら覚える遅さである。ダッシュをかまし、2分連絡で博多行きに乗りこむ。
 直方で下車し、平成筑豊鉄道にスイッチ。普通に乗車券を買おうと思ったら、800円の一日フリー切符があるようなので、車内でそれを購入。土曜日ということもあって、昼過ぎの車内は学校帰りの生徒が多い。おかげで金田まで立っていくハメに。3セクながらも複線で本数が多い。ちょっと贅沢かも。金田で後藤寺方面に乗り換えて往復。「へいちく」の田川後藤寺駅は、JRのホームに挟まれた狭いホームだった。 駅構内の配線上、仕方がないのだろう。金田から田川伊田乗り換えで行橋へ抜ける。かつて、ここ筑豊地区には多くの路線があったのだが炭坑の閉山とともに赤字ローカル線に転落し、あるものは廃線に、またあるものはこうして3セクとして生き延びている。そう考えると、時代の流れというのは結構残酷である。
 行橋から小倉に抜けて小休止。昼休憩をとる(といっても、もう16時近いが)。休憩後、17時17分の日田行きで日田彦山線を日田へ抜ける。16時51分に小倉に到着する列車があったので、それの折り返しだろうと思って早めに待っていたら、到着後、一旦引き上げてまた入線してきた。何でそんなことするの?いいじゃない、別にホームが満線になるわけでもないし。おかげで、席取り合戦が大変だった。
 列車は城野から日田彦山線に入り、ゆっくりと進んでいく。さっき通ったばかりの田川伊田、田川後藤寺を過ぎて、山の中へ。真っ暗で外は何も見えないし、車内にもまったりとした空気が漂っている。
 久大本線との接続駅、夜明で「ゆふ」の通過待ちのために9分停車。うまくダイヤを組んで日田まで逃げ切るとか、夜明に「ゆふ」を止めるとかすれば、大分へ抜けるのも便利なんだけどね。
 日田に着いたら小雨が降っている。暖を取りたくなったので、駅前のモスへ逃げ込む。ここで時間をつぶし、「ゆふ6号」で再び博多へ。指定券を取っていたのだが自由席がガラガラだったので、そっちに乗る。確か、九州のキハ185は「ゆふ」と「あそ」で運用が区別されていて専用のロゴも入っていたのだが、今日見てみたら、そのロゴが消された上にヘッドマークも「JR EXPRESS」としか入ってない、味気ないものになっていた。でも、やっぱりオリジナルのキハ185のほうが好きだなあ。
 今日の宿は「ドリームにちりん」である。博多駅の構内でいい匂いが漂っていたので、いってみるとパンを売っている。匂いにつられて夜食用に5個ほど買いこむ。今日の「ドリームにちりん」はグリーン車の乗車率がいいようだ。小倉で向きが変わるので、それを待ってから寝ることにしよう。

2月6日

 小倉工場で「ドリームにちりん」の車内から、「白かもめ」を目撃。そうか、回着日は昨日だったっけ。明日も早いので早々に寝ることにしたが、途中でものすごい音で目がさめてしまう。何かと思ったら、でっかい体の男が人の迷惑を考えずに大いびきで寝ている。その姿はまるでクマ。頭に来て、鼻と口を塞いでやろうかと思うくらいうるさい。私は途中の延岡で下車するので何とか耐えていたが、終点まで乗っていく他の客はカワイソウとしか言いようがない。
 5時37分に延岡到着。外は雨が降っていて肌寒い。ここから高千穂鉄道に乗り換えて高千穂へ向かう。「高千穂までの乗車券は窓口で」と書いてあったので、言われたとおりに買ったら10周年記念乗車券がついてきたので、ありがたく頂く。
 6時18分の始発列車で高千穂へ。床下から聞こえるディーゼルエンジンの音も、さっきのいびきと比べたら非常に静かに感じる。寝不足を解消すべく寝る。
 終点の高千穂についたら、大雨と濃い霧で視界が悪い。ここから高森までバスで抜ける。今回、高千穂鉄道の始発に乗ったのは、この高森へ抜けるバスの時刻に合わせたからである。駅から高千穂バスセンターまで徒歩で10分。いかに駅が街の中心から離れているかが分かるが、それも仕方がない。というのも、国鉄時代に高千穂と高森をレールで結ぶ計画があったので、どうしても外さざるを得なかったからである。
 8時36分のバスで高森へ。山越えの道路のため、右へ左へとカーブが続く。鉄道だったら、鉄建公団が作る予定だったので、トンネルと鉄橋で一気に通していたのだろう。未成線の跡を探そうと試みるも視界が悪く、方向感覚まで分からなくなってしまい断念した。
 高森も高森でバス停は町役場入口になるので、駅まで歩かなければならない。ここは高千穂とは逆に、バス停が街の中心から離れているのである。雨の中20分ほど歩いて高森駅へ。ログハウス風の駅舎の前に、C12と腕木信号機が保存してあった。

高千穂 高森

 高森から南阿蘇鉄道で立野に向かう。やってきたのはレトロ風の気動車。数名の地元客を乗せて出発。「日本一長い駅名」南阿蘇水の生まれる里白水高原の駅もしっかりと記録した。
 終点立野から肥後大津乗換えで水前寺へ。肥後大津まで電化するんだったら、ついでに立野まですればよかったのに。それでなくても肥後大津で同一ホーム乗換え出来なかったし。初めて乗った815系は、九州らしからぬ見た目も中身も安っぽい感じ。車内は暖房がガンガン効いていて、窓が曇っていた。水前寺で下車したときに、あまりの温度差に驚く。
 水前寺から783系の「有明24号」で鳥栖へ。グリーン車は私一人の貸しきり状態。それにしても、自動放送はよくしゃべる。「本日もJR九州を・・・」から始まる水前寺発車の放送が終わると同時に、新水前寺停車のお知らせが流れ出した。
 熊本から鹿児島本線に入る。いやあ、783系はよく揺れるね。どれくらい揺れるかっていうと、サービスで出されたコーヒーがカップからこぼれるくらい(実話)。ここまでひどく揺れると思わなかった。まあ、いいさ。多分、もう783系に乗らないと思うし。
 鳥栖には13時3分に到着。駅の放送案内と発車案内が、未だに「ハイパー○○」という表現をしているのに驚いた。それ、もう死語になりつつあるって。鳥栖から「みどり111号」で佐世保へ。「かもみどテン」の13両編成で、なぜか「かもめ」の先頭車が「MIDORI EXPRESS」だった。ここでもグリーンでくつろぐ。
 雨もすっかりやんで、太陽が顔を出している。高架工事中の佐世保に到着後、松浦鉄道のフリー切符を買って伊万里経由で有田へ。ここのフリー切符は平日用と土休用があり、土休用にいたっては、一日1700円で乗り降り自由なのだ。普通に切符を買うと2160円するのだから、そのおトク度がよくわかる。 佐世保の市街地を、まるで路面電車のように軒先をかすめながら進んでいく。半島をぐるっと一周して伊万里へ。路線長が長いこともあるのだろう、頻繁に佐世保行きと行き違う。また、特定の時間帯だけ有効な「お買い物回数券」を発売するなど、営業努力を惜しんでない点も気に入った。車種もバラエティに富んでおり、飽きる事は無かった。

松浦鉄道

 伊万里で乗り換えて有田へ。日曜日だというのに学生の姿が目立つ。試験でもあったのかな?
 有田では、2分接続で「みどりテンボス」がやってきた。もちろん、「みどり」のグリーンをキープしてある。これで博多まで快調に・・・と思ったら、終点手前の南福岡に臨時停車。何でも、「かもめ37号」が笹原付近で人身事故を起こしてしまったらしい。まいったなあ。
 結局、博多には18分遅れの19時44分に到着。急いで篠栗線に乗り換えて長者原へ。そして、長者原から香椎線に乗り換えて宇美へ。それにしても、終着駅が一面一線というのは間違っているような気がする。
 宇美から再び博多に戻るのだが、事故の影響で香椎へ出ても満足に鹿児島線が走っていないと思い、さっきと同じく長者原で乗りかえる。ところが、接続の関係だろう、篠栗線も混乱していて満線の博多駅に入れずじまい。吉塚で20分ほど足止めを食らってしまった。
 この日は博多に宿泊。駅の地下街のラーメン屋で夕飯としたが、なんとなく味が薄く感じた。

2月7日

 この日は7時34分の西唐津行きからスタート。やってきたのはヘンな色の103系。個人的には前の方がよかったけどなあ。それにしても、7時台というのに8分ヘッドというのは少ない。中洲川端で貝塚方面へ向かう列車があるから仕方ないのかもしれないが、例えばの話、ラッシュ時は全列車福岡空港行きにして、中洲川端−貝塚間は折り返し運転にはできないのだろうか?
 姪浜から筑肥線に入ると、車窓が急にローカルムードになる。筑肥線はかつては博多から地上を通って姪浜に出て、東唐津から山本を経由して伊万里という路線だったのだが、福岡市営地下鉄の開通と同時に博多−姪浜間と東唐津−山本間が廃止となり、かわりに東唐津−唐津間が開通、という複雑な経過をたどっている。ただ、地下鉄と直結したとはいえデータイムはほとんどが筑前前原で分断され筑前前原−唐津間は本数が少ないので、便利になったとは言いがたい。

唐津

 終点の西唐津から一駅唐津に戻る。この西唐津−唐津間も極端に本数が少なく、ネックになる区間である。
 唐津9時36分の伊万里行きはキハ125。筑肥線は運賃上では幹線扱いになっているのだが、この山本−伊万里間は地方交通線扱いでもいいくらいである。山本で唐津線と線路が分かれるが、4キロくらい唐津線と併走する。唐津線にしか駅のない本牟田部にも筑肥線のホームがあると乗換えが便利になると思うのだが、そういう計画はないのだろうか? ぐるっと回りこむようにして伊万里に到着。折り返しまで時間があるので、ダイエーの本屋で時間をつぶす。
 今来た道を再び唐津へ。本当は山本で降りる予定だったのだが、あまりにも駅前に何もなかったので唐津に戻る事にしたのである。山本を過ぎると、右の方に向かっていく道床跡があった。これが旧筑肥線なのだろう。
 唐津の駅にラーメン屋があったので、そこで昼食にする。月曜日はサービスディでラーメン1杯300円だそうだ。ただ、条件として、知り合い3人以上にここのラーメンが美味いことを伝えなければいけないらしい。このホームページを見て食べにいってもいいけど、ここで見たとは間違ってもいわないでね。
 唐津から唐津線で佐賀へ。熊本や長崎方面へ抜けるショートカットとしての役割もあるのだが、やはり地元客の姿が多い。佐賀から鳥栖の一駅「かもめ」で移動。時間があったので、ここでも小休止。せっかくだから、5番線に入る「みどりテンボス」の写真をここで撮ろうと思ったら、こともあろうに鳥栖止まりの列車が4番線に進入してきた。あーあ。
 鳥栖から普通列車で原田に移動。原田から、ここもまた乗り潰しのネックである筑豊線桂川までの閑散線区をいく。のんびりとした歩みで桂川に到着。
 桂川から篠栗・筑豊経由の門司港行きに乗り換え新飯塚へ。新飯塚から後藤寺線に乗る。船尾駅近くでは石灰石(かな)の産出を行っている。よくみると、レールを引いてあった跡が至るところに見られる。かつて国鉄が貨物輸送の主力だったということが伺える。輸送手段が鉄道から自動車になっても、産出はまだ行っているようだ。
 17時17分。終点田川後藤寺に到着。これをもって、JR九州の全線を制覇した。記念に駅舎の写真を撮るが、立派過ぎて周囲に溶け込めていない気がする。

田川後藤寺
 田川後藤寺から日田彦山線で小倉へと戻るのだが、普通に戻るのも面白くないので、志井公園で下車して小倉モノレールに乗りかえる。志井公園から歩いて5分くらいのところに、モノレールの企救丘駅があるのだ。小倉の夜景を見ながら終点へと向かう。ただ、途中にあった志井と城野がJRの駅と離れており、混乱しないのか気になった。
 小倉駅は駅ビルの中にモノレールの駅が突っ込むような形になっている。多摩都市モノレールもこういう風になっていれば便利なのに、と思う。
 小倉から「ソニック26号」で博多へ。グリーン車は私一人。ソニックレディの「誰も乗ってこないと思いますので、ごゆっくりとおくつろぎください」という言葉に甘える。トップキャビンで前展してもよかったのだが、飛び込みに遭遇して気分が悪くなるのもイヤなので、席に座っておとなしく新聞を読む。なかなか快適な50分でした。
 博多では、時間つぶしのため再び地下鉄へ。福岡空港を往復した後、中洲川端乗換えで貝塚往復。朝とは逆に帰宅ラッシュに巻き込まれる。本当は中洲川端で降りてラーメンでも食べようかと思ったのだが、地理に詳しくないしガイドブックとかも持ってきていないので断念。結局この日の夕飯は、博多駅近くの吉野家でした。博多まで来て食べるようなものでもないよなあ。
 この日は「あかつき」で九州を脱出するのだが、鹿児島本線の渡瀬−南瀬高間で踏切事故があったらしくダイヤが混乱している。よくよく事故に遭遇するなあ。ただ、「あかつき」は影響なく運転しているのが唯一の救いである。九州初日といい、そして前日といい、直接被害は受けていないものの、やっぱり相性が悪いらしい。
 時間どおりにやってきた「あかつき」は、当然レガートをキープしている。検札が終わると早々と車掌が電気を消した。「なは」レガートは天井の非常灯が煌煌と点灯しているのだが、「あかつき」レガートは足元の非常灯が点いているので、落ち着いて寝れる環境になる。グリーン車並みのシートに腰掛けて寝ることにしよう。

2月8日

 「あかつき」をこのまま京都まで乗っていってもよかったのだが、それではいつもと同じで変わり映えしないので三ノ宮で下車。初仕切りの阪急に乗りかえる。
 7時9分発の梅田行き通勤特急があったのでそれに乗るが、まだまだ席に余裕がある状態で発車。普段見なれている風景とは違う、神戸の山の手の中を走る。岡本でも少し乗って来たが、まだまだ車内は余裕がある。だが、西宮北口ではホーム上に人が沢山いる。続行で列車はやってくるのに。ということで、ここで今津線宝塚方面に乗り換え。逆方向のせいか、車内はガラガラ。
 宝塚では2本しかない梅田行きの特急に乗る。車内は空席が目立つ。雲雀丘花屋敷で沢山乗って来た。川西能勢口で少し降りてまた乗って来た。石橋で車内がスシ詰め状態になってつらかった。
 時刻表を見て思ったけど、神戸線の急行、宝塚線の通勤急行・通勤準急って通過駅の方が少ないよね。普通にした方がいいような気がするけど。
 大阪で銀行に寄って京都へ。三ノ宮でもそうだったけど、JRの乗車券は自動改札対応のはずなのに、西日本の自動改札でことごとくはじかれた。磁気データが違うのかな? かなり不便なんだけど、何とかしてくれないのかな?
 この日、強風のため関空特急「はるか」は日根野折り返しで運転していた。しかし、側面の表示器は従来どおりの「関西空港」で、期待していただけにちょっとがっかり。さらに驚いた事に、とっくに東京に着いていなければならないはずの「さくら・はやぶさ」が10時ごろに京都に姿を現した。おそらく、昨日の踏切事故の影響だろう。「はやぶさ」の乗客は悲惨としか言いようがない。ついでに言わせてもらえば、「さくら」も単独運転だったらこんな目には遭わなかったのに。
 京都から「ひかり104号」。去年も乗った食堂車の営業している「グランデひかり」である。乗車率がかなり高く、指定席も結構埋まっている。米原で雪の洗礼を受けて名古屋に到着。驚いたことに、京都で見かけた「さくら・はやぶさ」が引き上げ線に入っている。きっと運転打ち切りになったのだろう。そしてまた、今年も富士山を見ながら食堂車で昼飯にするために豊橋のあたりで行動開始。その食堂車もいい具合に混んでいる。営業休止にするのがもったいないくらいだ。

食堂車で食べたカレー。左は「ひかり」の乗車券。 車内から富士山を望む

 本当は山側がよかったのだが、混んでいたので仕方がない。こうしてまた、趣のある旅が出来なくなると思うと残念に感じる。
 新幹線を新横浜で降り、横浜線で菊名へ。菊名が横浜市内であることを利用してここで下車するが、またもや自動改札にはじかれる。駅員に途中下車であることを告げて通してもらう。もちろん、再びJRに戻る気などなく東横・目蒲経由で自宅に帰った。

 強行日程の割には、大きな予定変更などなくスムーズに行けた。それにしても、九州はパチンコ屋が多いね。あと、ミスタードーナツも。だいぶスクラッチカードが集まってしまいました。

 

 

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