第二山陰阿房列車(1999年)

 

 9月30日

 10月改正で急行「わかさ」の快速格下げ、急行「だいせん」のDC化、そして12月改正での急行「たかやま」の特急格上げ、というニュースを聞いて、いてもたってもいられなくなった私は、少し遅めの夏休みということで久しぶりに出かけることにした。
 早朝4時に起床し出かける準備をする。今日の宿は急行「きたぐに」なので急ぐ必要もないのだが、水戸線、仙山線、左沢線、米坂線といった未乗路線を経由するので、大井町線の始発に乗らなければならない。
 最寄の駅から乗った始発電車は、乗客も少なく座ることが出きる。10分ほどで大井町に到着。京浜東北線に乗り換えるが、こちらはすでに通勤時間帯になっていて辛うじて座ることが出来た。
 上野では1本後の527Mに乗る予定だったのだが、運良く525Mに乗れたのでそれで小山へ。ラッシュと逆方向へ向かうのでボックスを余裕で仕切れる。すれ違う満員電車の乗客に優越感を覚える。睡眠不足を解消すべく少し居眠り。
 小山から2731Mで水戸へ向かう。あいにくロングシート車がやってきたので、降りやすいようにドア脇に座る。ちょうど高校生の通学時間に当たってしまい、車内が急に賑やかになる。9月の終わりとはいえ、女子高生は夏服である。目の保養になるが、逆に目のやり場にも困ってしまう。
 水戸では、約20分の待ち合わせで「スーパーひたち7号」に連絡の予定だったのだが、運悪く常磐線で人身事故が発生してしまい、ダイヤが大幅に狂っていた。駅の放送によると1時間ほど遅れているらしい。少しでも早く仙台に着きたい私は、とっさに時刻表を開いてダイヤを確認。1時間遅れでやってくる「Sひたち3号」でいわきまで行き、そこから普通列車に乗り継いでも「Sひたち7号」より先に仙台に着きそうだ。
 そこで、「Sひたち3号」の自由席に乗り、いわきを目指す。「Sひたち7号」の指定席券を持っているが、検札に来たとき事情を話せば分かってもらえるだろう、と思っていたらその通りで助かった。
  いわきから717系の普通で原ノ町へ。原ノ町で後続の「Sひたち7号」が追いついたので、そっちに乗りかえる。結局、仙台には所定より55分遅れであった。
 仙台から、快速「仙山9号」で北山形に抜ける。北山形から時間調整をかねて左沢線を往復。時間のせいか、下校帰りの学生が多かった。

左沢駅

 山形から普通列車で米沢へ。時間があったので400系新幹線の写真を撮ろうと試みるも、暗くなってきたため断念。夕飯用に弁当を買いこむ。
 米沢18時19分発の快速「べにばな3号」は、キハ52+キハ47の2連。快速といっても米坂線内は各駅のため、小さな駅にもこまめに止まっていく。坂町からやっと快速らしくなり、21時22分に新潟に到着。
 新潟で待ち時間の間に弁当を食べたのだが、それでも満たされなかったので駅そばで暖を取る。遅くまであいているのは有難いことだ。
 新潟からは「きたぐに」で京都へ。座席では満足に寝れないので寝台にしたのだが、以前にも利用したことある「モハネ582のパンタ下の中段寝台」をキープ。A寝台よりも広く料金も安いので、得した気分である。明日も早い。ゆっくりと寝ることにしよう。

 10月1日

 京都には6時14分に到着。京都-(湖西)-敦賀-(小浜)-綾部-(山陰)-京都という切符を作ってもらいに一旦下車しようとしたところ、こともあろうに自動改札機に切符をはじかれてしまう。別に悪いことしてないのになあ。
 7時7分発の近江今津行きは117系6連。京都出発時はすいていた車内も、湖西線に入ったとたん高校生達であふれだす。個人的に117系だったのはラッキーだったけど、毎日利用している立場だったら3扉車が欲しいところかな。おまけに、近江今津での乗り換えも同一ホームでなかったために、時間がかかってしまった。
 近江今津からは419系の普通で敦賀へ。583系改造の近郊型車両も、残すはここだけである。1ボックス悠々と仕切って敦賀に到着。時間があったので、窓口で「鉄道の日 西日本1日フリーきっぷ」を購入。
 ここからが、メインイベントその1だ。今日で最後の急行「わかさ」で東舞鶴へ。ヘッドマークも飾りつけもない、普段どおりの姿が泣かせる。車内放送でも普段と変わらないが、車内には最終日の旅を堪能しようとする人達がちらほら。今日で無くなるのがウソのようである。

最終日の「わかさ」 キハ58 239 同 キハ28 2035

 急行「わかさ」といえば、かつては東舞鶴から急行「丹後」と連結して京都まで乗り入れていた。ところが、その「丹後」も山陰線京都口電化時に特急に格上げされ、今の今まで残っていたこと自体が奇跡といっても過言ではない。しかも、原色キハ58系による最後の急行である。その最後の砦も今日で見納めだ。
 秋晴れの空のもと、「わかさ」は快調に走る。消えていくのが惜しいくらいだ。穏やかな若狭湾を右手に見ながら、何とか残せなかったものかと残念な気持ちになってくる。そして定刻10時55分、東舞鶴に到着。ここでも多少のファンが最後の姿を記録しようと待ち構えていた。心の中で「おつかれさま。ありがとう」と言って、「わかさ」を後にした。
 東舞鶴から西舞鶴まで一駅のって、西舞鶴からは綾部行きの快速に乗りかえる。久美浜から「タンゴディスカバリー4号」としてやってきた列車が、ここ西舞鶴から快速となるのだ。特急用というだけあって、設備もGOOD! 料金不要なのが信じられないですね、ハイ。
 綾部から普通列車で京都へ。113系の2連は園部で前4両を増結し6両となる。ウトウトしているうちに列車は京都に到着した。
 駅前の銭湯で一風呂浴びたあと、まだ手を出してない阪急と京阪を仕切りに行く。京都から歩いて河原町へ。梅田行きの特急は6300系のトップ編成。大宮-十三間は高槻市にしか停車しないのだが、JRの新快速と比較するとJRのほうに分があるような気がする。
 梅田到着後、地下鉄で淀屋橋に向かい、そこから京阪仕切りの旅スタート。まず、急行で枚方市に向かい、交野線を私市往復。枚方市から急行で樟葉、樟葉から普通で中書島に出て、中書島から宇治線往復。交野線、宇治線とも普通列車は2600系で、1900系に乗りたかった私からすれば、ちょっとがっかりである。中書島から再び急行に乗り出町柳に。反対ホームに特急が止まっていたので、急いで改札を出て切符を買いなおす。淀屋橋行きの特急ではテレビカーに座ったのだが進行方向と反対側にテレビがついていたので音声しか聞こえず、その音声も雑音が入ったり途切れ途切れになったりで、いまいちだった。
 淀屋橋到着後、「だいせん」の発車時刻まで時間があるので、地下鉄御堂筋線でなかもずへ。さらに中百舌鳥から南海に手を出し、準急に乗って新今宮経由で大阪に戻る。
 その大阪は、早くも人だかりが出来ている。一体どこからこんなに来たのかと思うのと同じに、この中で何人が急行「わかさ」の最期を見届けたのかと疑問に思ってきた。明日から列車そのものが消えてしまう「わかさ」よりも、車種が変わるだけの「だいせん」のほうがフィーバーになっているのだから、これでは「わかさ」がかわいそうである。
 「だいせん」に乗るのも、次がいつになるか分からないので、今日は寝台にしておいた。まわりも何となく鉄っぽい人達が多い。22時55分。沢山のフラッシュがたかれるなか、定刻に「だいせん」は大阪を後にした。

 10月2日

 7時23分、出雲市着。2面4線の高架駅になっており、以前来たときと違う雰囲気にちょっと戸惑う。

出雲市に到着した最終日の客車「だいせん」

 今日のこのあとのスケジュールとしては、一畑5000系に乗るのと、DC化初日の「だいせん」に乗るということしか決めていない。とりあえず、電鉄出雲市から一畑に乗る。1500円の一日フリー切符を買い、5000系を見つけ次第、その駅で降りて待ち伏せするという手段である。
 だが、なんてことはない。松江市に向かう途中、最初にすれ違ったのが5000系だったので川跡で途中下車。あっという間に目標達成である。車内は小田急NSEの発生品を利用した転換クロス。化粧板も真新しいものに交換され、かつての面影というのはほとんど残ってない。京王重機はほんとにいい仕事をするもんだ、と感心することしきりである。
 ただ、あっさりと目標が達成してしまったので、このあとの事は全くといっていいほど考えていなかった。そこで、昨日買った「西日本フリー」があるのだからということで若桜鉄道を仕切りに鳥取へ向かう。松江10時2分発の「とっとりライナー」で鳥取へ。次の若桜行きまで1時間ほど時間があるので、駅前のマックで昼飯にする。
 鳥取13時45分発の若桜行きは、ちょうど下校時刻と重なっているのか、車内はほとんどが高校生達である。騒々しいにもほどがあるが、我慢するしかなかろう。逆に若桜発鳥取行きはとても静かで、快適でした。

若桜鉄道 若桜駅にて

 鳥取で再び1時間弱待って、「鳥取ライナー」で再び米子へ。途中で雨が降ってきて少し列車が遅れ気味になる。米子から、さらに時間つぶしのため「石見ライナー」で出雲市に行く。出雲市からの折り返しは、はるばる東京から流れてきた岡山区の115系。先頭車がクモハ115-5801だったので、とりあえず乗っておく。
 そして、米子からはこの日からDC化された急行「だいせん」の初列車に乗る。前日まで「エーデル北近畿」に使用されていたキハ65系の2連で、個人的には展望車が来るのを待っていたのだが残念ながら従来顔の2連。それにしても、列車名がシール貼りというのはどうかと思うが・・・。
 もう一つ注文をつけるとすれば、北海道みたいに14系15型を中間に組込んで、寝台車も残して欲しかったかな。

米子駅にて

 10月3日

 大阪には7時1分に到着。「たかやま」まで1時間弱あるので、時間つぶしもかねて地下鉄で新大阪に出る。これで御堂筋線は完乗。大阪に戻る。
 大阪から、去る12月改正で消えた「たかやま」。奮発してグリーン車に乗る。この前の「だいせん」で寝台に乗ったのといい、社会人になって多少なりともお金に余裕が出来た証拠である。
 この日は、全体的に乗車率はよくなかったのだが、私以外にもグリーン車の利用客がいた。恐らく、私と同じ考え(=鉄)なんだろう。しかし、よくよく考えれば、高山まで行くのに在来線で約5時間。しかも気動車急行で延々行くというのだから、酔狂なことこの上ない。流れ行く車中で、そんなことをふと思ってしまった。まあ、好きでやっているわけだし、新幹線に飽きてきたというのもあるし、ね。
 美濃太田を過ぎてから、だんだんとローカル色が溢れる景色に変わってきた。以前、高山線を通ったときは夕方から夜にかけてだったので、満足に景色を眺めるのは今回が初である。少し曇り気味の天候が残念だが、まあ良しとしよう。

大阪駅にて

 高山到着は12時50分。駅前の食堂で高山ラーメンを食べ、14時ちょうどの松本行きのバスで一気に山越え。安房トンネル経由の路線バスを利用する。もちろん、東京に帰るのだから大人しく新宿行きの高速バスに乗ってもいいのだが、松本行きのバスに乗るのはそれなりの理由がある。
 その理由とは、松本電鉄である。夏に京王3000系が譲渡されたという情報を仕入れていたので、もうそろそろ営業開始になっているだろう、と考えたのだ。ということで新島々で下車。駅には昼寝中の5000系が1本と、松本行きの5000系が停車中。日中は2本使用なので、とりあえず次の電車を待つことにしたのだが、それも5000系だ。たまたま、知り合いのN運転手とI運転手がいたので話を聞いたところ、まだ訓練運転中とのこと。仕方がないので、おとなしく5000系で帰る。これが松電5000系の乗り納めになるだろう。
 松本からはおとなしく「あずさ」で東京へ向かう。運良く臨時の「あずさ94号」が走っていたので、それを使う。長野所の189系G.U.車11連で4号車が自由席。迷わず4号車を仕切る。臨時なのに、停車駅が塩尻、岡谷、上諏訪、茅野、甲府、八王子、立川と、7分前に出た定期「あずさ」より少ないのがいい。おまけに、甲府でも「かいじ」が続行するだけあって混雑する事が無かった。
 立川から南武線に乗り換え分倍河原へ。南武線が到着する1分前に京王線の新宿方面は出てしまっている。別会社とはいえ何とかならないのかなあ。結局10分近く待った後、急行に乗って実家のある東府中に戻った。

 

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