山陰阿房列車(1995年)

 

8月22日

 今年の合宿地は山陰になった。そして、学祭でのテーマが「JRの急行列車」。となれば、合宿ついでに急行も乗りまくろう、ということで今回のプランを立てた。今回は仙台発着の「山陰ワイド」を使用したが、それは都区内発よりも有効期間が長いから(14日間有効)である。
 合宿の集合は8月30日だが、私は1週間も前に出発する。スタートは夜の京王線。6000系10連の通快で新宿まで行き、新宿からは山手線で品川に向かう。品川でも一旦下車し、大垣までの普通列車用グリーン券を購入。今夜の宿は大垣夜行、通称「ドン垣」である。ホームに戻ると、発車2時間前だが普通車の乗車口は沢山並んでいるのに、グリーン車の方はまだまだ余裕。早めに来て失敗した、と後悔してももう遅い。さて、やってきたドン垣のグリーン車は、現役サロ165で唯一AU13クーラーのサロ165-132で思わずニヤリ。なるべく冷風の当たらない場所を選んでボックスを作る。23時52分。定刻に発車と思いきや、山手線と中央線で事故があったとかで6分延での発車。波瀾含みの旅の予感が脳裏を掠めた。

8月23日

 大体において私は車中泊は苦手なので、この日も大して寝ないで朝を迎えた。列車は快調に東海道線を走っていたはずだったが、どこでどうなったのか、「ただいま約40分の遅れで運転しております」とのアナウンスが流れる。やばい、このままでは在来線を乗り継いで米原へ迎えなくなってしまう。時刻表とにらめっこして、仕方なく名古屋から新幹線を使うことにする。ここが「18族」と「周遊券族」の違いである(ドン垣グリーンの時点で差がついているが)。
 名古屋で「こだま493号」に乗りかえるが、静岡発ということで辛うじて座ることが出来た。米原で降りて福井行き普通列車を待つ。419系だったので、広々としたボックスに腰をかけ名古屋で買った駅弁を食べる。
 敦賀ではすでに「わかさ」がスタンバッていた。急行色のキハ58系2両編成である。山陰急行第1弾が「わかさ」というあたりゲテである。9時47分、列車は一路京都を目指して出発した。もっとも私が乗るのは綾部までだが。乗ったはいいが、寝不足のためについウトウトしてしまう。8月の終わりだからか海水浴客もあまりおらず、海はどことなく淋しそうだった。

急行「わかさ」

 西舞鶴には11時41分着。ここで「丹後6号」とドッキングするのだが、3番線で客扱いのあと一旦本線上に引き上げて再び2番線に入るという謎の行動をとって「丹後」と併結。ここから「わかさ」は「丹後6号」の5・6号車となる。
 いかにも急行らしい6両編成となって綾部に到着。普通列車で福知山へと向かう。福知山からは加古川線経由で姫路へ。銭湯によってさっぱりしたあと京都へと戻る。ここで夕飯を食べ、今日の宿「ムーンライト九州」を待つ。自由だけでなく指定も満席で、指定券を取っておいて本当によかった。21時32分に発車。新大阪−明石間で221系の快速とデットヒートを繰り返す。さすが関西、やることが違うなあと感心している間に寝てしまった。

8月24日

 5時9分、厚狭着。ここから美祢線に乗って長門市へと向かう。待合室でボーッと過ごし、6時26分の仙崎行きに乗る。ロングのキハ120でがっかり。長門市で下車したが駅周辺は店が開いてない。おまけに、次の列車まで1時間半も待つことになる。ここで下りず仙崎まで行けばよかった。
 長門市から山陰線上り列車に乗り、益田経由で津和野に行く。ここから「SLやまぐち」に乗るのだが、時間があったのでこの日以降泊まる予定のホテルに電話し予約を取る。
 その「SLやまぐち」、1号車(展望車)がガキどもの団体客でうるさいのなんの。よりによって、展望車を団体客に割り当てることないだろう。小郡からは「ひかり」で岡山へ。在来線で行くことも考えていたのだが、あまりにも遅いとホテル側にも迷惑がかかるだろうということで、仕方なく新幹線を使う。しかし、この出費はある意味余計だったかもしれない。

「SLやまぐち」

8月25日

 岡山から伯備線の始発で新見へ行く。新見からは姫新線をひたすら乗りつづけ姫路へ。刑部から中国勝山まで通学時間と重なったせいか、大量の女子高生が乗って来た。津山で「砂丘1号」とすれ違ったが、何を血迷ったか4両中2両が原色キハ58だった(所定は砂丘色3連)。
 姫路から播但線に乗る。キハ47だったおかげで、ボックスで弁当を食べる事が出来たのが救いだ。寺前を過ぎると、急にローカル色が強くなる。
 和田山から城崎行き普通列車に乗るが、どういうわけか5分延。豊岡で乗り捨てあえて後続の「丹後3号」に乗る。自由席はガラガラで、余裕で1ボックス仕切れた。城崎の町をブラついて、今度は「丹後10号」。出発時10%以下の乗車率だったが、綾部を出る頃にはもう満席に。乗客は観光客とビジネス客が半々といったところか。
 京都到着予定時刻は19時51分。2分の連絡で急行「たかやま」に接続できるのだが、「丹後」のほうが遅れて京都についたので新快速で大阪に向かう。大阪からは「だいせん」だが、自由席には鳥取へ試合か何かで行くらしい女子高生軍団に遭遇。それでなくても宝塚・三田あたりまではライナー的な役割も担っているので、席取りが大変だった。

急行「丹後」

8月26日

 例によって、寝つけないまま朝を迎える。「だいせん」を淀江で降りたが、降車客はたったの3人。私はここで3420レを待つ。一つ先の伯耆大山でもよかったのだが、時刻表上でギリギリだったので安全策ということでここで降りることにした。
 3420レは12系0番台と1000番台の混結5両編成。何の迷いもなくスハフ12-1000を仕切る。12系のローカル仕様はここにしか残っておらず、去年の夏合宿で12系2000番台を仕切れなかった分、走りを堪能する。
 鳥取からは「砂丘1号」。上手い具合に隣のホームで接続できた。「砂丘」は所定3両のところ、1両増の4両編成。その1両が原色キハ58になっているが、前にも原色車は乗車済みなのでアコモ改良車(7200番台)に乗った。シートを簡リクに交換し、テーブルもシートピッチに合わせて設置されてはいるが、ちょっと小さすぎて使いづらかった。

急行「砂丘」

 因美・津山線を通って岡山に到着。岡山から福塩線を経由して鳥取へ戻るのが最初の計画だったが、時間がかかりすぎるので伯備線経由に変更。普通列車を使い米子へと向かう。
 米子から「とっとりライナー」で鳥取へ。キハ58の2両編成だが乗車率はなかなかいい。料金不要の快速ということで気軽に利用できるからだろう。室内も、木目調の化粧板にブドウ色のモケットという落ち着いた感じになっていてGood。
 鳥取到着後、ホテルにチェックイン。荷物を小さくして鳥取砂丘へと向かう。ところがカメラのホテルにおいてきたことに気づき、仕方なく現地で買うことに。だが、5時ごろだというのに殆どの店が営業を終えており、たまたま開いていた店で何とか調達できた。どこまでも続く砂丘に心を奪われ、時間を忘れそうになる。何枚か写真を撮ったあとホテルへと戻った。

8月27日

 この日は、鳥取7時10分の「スーパーはくと」からスタート。前もって一番いい席を指定しておいたので、ゆっくりと駅へ。ワイドな正面窓を通しての眺めは気分がいい。
 因美線内はゆっくりと走っていた「スーパーはくと」だが、智頭急行線内に入った途端、隠していた能力を一気に爆発させたかのように飛ばす飛ばす。トンネルだろうと通過駅だろうとお構いなしに突っ走る。何せ、カーブを130キロで走りながらトンネルに突っ込んでいくのだから、その迫力は凄いものがあった。
 智頭急行は、国鉄時代に計画されていながら工事が凍結され、3セクによって開通したという経緯を持つ。そのため、トンネルが古い感じの割には他の施設が新しく、下手をしたら間違いなく「幻の鉄道」として紹介されていたであろう。
 「スーパーはくと」は上郡で下車。姫路まで行ってもよかったが、少しでも安くあげること、相生から新幹線に乗る関係上ここで降りる。普通列車で相生に行き、「こだま」で岡山へ。岡山−福山間「サンライナー」、福山−広島間「スーパーラビット」と、駿足自慢の列車を乗り継ぐ。
 広島から芸備線で三次まで行く。ここで偶然昼寝していた「ビバウエスト」を撮る。備後庄原まで「ちどり+三次ワイナリー」を迎えに行こうと思ったが、ここでも安く上げるために志和口まで普通列車で先行し、志和口から「ワイナリー」を仕切ることにした。その「ちどり+ワイナリー」だが、「ちどり」の方は広島急行色のキハ58。一方の「ワイナリー」はというと、先ほどの「ビバウエスト」ではないか。ただ、車両が車両なだけに乗客は少ない。見なれない車両だから怖がって乗らないのだろう。もっとも、私はこれが目的なので迷わずに乗る。こういう時でないとジョイフルトレインには乗れないしね。ということで、グリーン車並のシートで快適な時間を過ごすことが出来た。
 この日は広島に泊まる。ホテルに荷物を置いて駅周辺を散策。駅ビルの中に「タブレット」という店があったのでのぞいてみたら、予想通りに鉄道グッズを売っていた。

「スーパーはくと」

8月28日

 本当なら市内観光でも・・・、と考えていたのだが、一昨日計画変更して乗らなかった福塩線を仕切るために、8時12分発の岡山行きからスタート。五日市発のために車内は結構混んでいる。しかも、広島地区では珍しい湘南色(岡山区)の115系。岡山−広島は結構距離があるのに、遠征しに来ているとは。
 福山−府中間を105系、府中からはキハ120の単行。昼時で乗客も多い。キハ120を塩町で降り、備後落合行きの普通列車を待つ。ここで降りる必要はなかったのだが、後輩のT田が「備後落合の駅そばは食べておいたほうがいい」と言っていたので、とりあえず普通列車で先行しようというわけなのだ。ところが、行ってみてもそれらしきものはどこにもない。改札の外に出てみても何もない。終わったわー、ということで空腹のまま新見行きのワンマンカーに乗りこんだ。
 14時14分、出発。山あいの中をゆっくりゆっくり進んでいく。こういうところが、非電化ローカル線のいい所だ。車窓を見てても飽きることがない。普段、全くといっていいほど旅をしないので、出会う景色の一つ一つが新鮮に感じられる。
 15時42分、新見着。お腹が空いたので山菜そばを食べたのだが、330円はどうかなあ。16時3分に「やくも18号」が来たが、これを見送って16時27分の普通列車を待つ。そうしたらこれが大ハマリ。米子発だったため車内が混んでおり、辛うじてドア脇のロングシートに腰掛けることが出来た。岡山到着後、ホテルへ直行。ホテル内にコインランドリーがあったので洗濯してから寝た。

8月29日

 この日は再び広島へ。普通に山陽本線を使うのも面白くないので、木次線を通ることにした。
 岡山7時17分発の吉備線総社行きはキハ47。この形式に乗るのは何回目だろう。いい加減に飽きてくる。総社からは、これもさんざん乗っている115系で新見へ。伯備線もこれで4回目だ。新見からは4両編成の「やくも1号」。かつては9両編成で伯備線のクイーンとして君臨していたのに、増発・短編成化でここまで短くなるとは・・・。
 終点松江で降り、木次線普通列車を待つ。これまたキハ120の単行。しかも美祢線と同じくロングオール。前展仕切りながら、早々と駅弁で昼飯にする。木次線内ワンマンということだが、車内に補助員がいて客が乗ってくるたびに車内で精算して回っている。これだったら、おとなしくツーマンでもいいんじゃないかな?
 途中の出雲坂根はスイッチバックのある駅。旅ノートがあったので、来訪記念に一言書いてきた。少し停車したあとに出発したが、車内ではマニアが物珍しそうにウロウロしている。こういう行動を見ると、鉄って嫌だなと思ってしまう。
 備後落合から「ちどり」で三次へ。ここでの接続が驚くほどピッタリ。もしかして、今乗って来た普通列車は昔の「ちどり」のスジだったのかな?時間調整を兼ねて三次からは普通列車で広島へと向かった。

急行「ちどり」

8月30日

 朝5時に起床。55分発の芸備線普通列車に乗る。ホームに姿を現したのは、長い長い8両編成。ところが、後ろ6両は志和口切り離しのキハ47の2連×3で、終点まで行くのは広島急行色のキハ58系2両のみ。うち1両がキハ283000だったので迷わず仕切った。
 三次から三江線で江津へ。例によってキハ120の単行だが、セミクロスだったので1ボックス仕切り。ちなみに乗客は数えるほどしかいなかった。忘れ去られたローカル線の三江線は、江の川に沿って走っていく。シブい駅も多く、出来ればまた乗りたいような線だ。
 口羽−浜原間は鉄建公団が造っただけあって素晴らしい線路状態だが、その前後が何ともはや言いようのない状態である。途中で隣のボックスに座っていたオバチャンたちが話しかけてきた。なんでも「18」で津和野まで行くらしい。しかも話を聞いて分かったのだが、何と広島から同じ列車に乗っていたのだ。こういった見知らぬ人との出会いというのも、ローカル線の旅の醍醐味だなあ、と一人感じてしまった。
 江津で降りて山陰本線「おき2号」に乗るのだが、1時間弱もあいている。駅前には何もなく、ただひたすら待合室で時間をつぶす。
 12時11分。やっと「おき」が到着。後輩のT村がこれに乗ってくることを前から聞いていたので、車内で再会する。雑談しながら13時20分、出雲市着。私たちが1番のりかと思ったら、既に後輩のK林、T田、そして11コ上のT木さんが到着していた。結果として、ほとんどがその後の下り列車で到着。合宿地には無事に全員が集合したが、あいにくの雨だったので旅館で過ごした。

8月31日

 昨日から降り続いている雨のため、山陰本線はダイヤが乱れたまま。本来乗る予定の普通列車が車両運用の都合でボツになったため、ミニ周遊の人が普通列車で、それ以外の人が「やくも」で松江に向かうことになる。松江で再び合流し、ホテルに荷物を置いた後、再び別れてあちこちにでかける。私は同期のO田や後輩4人と一畑を仕切りに行く。
 松江駅前からバスに乗って松江温泉駅へ。ここで一日乗車券(1500円)を購入。ホーム上には、最近やってきたばかりの2100系2扉車が待っている。自然と顔がニヤニヤ。車内は化粧板やシートのモケットが更新されていたり、ワンマン用の機器がついていたりするものの、昔のまんま。スピーカーには網目模様の飾り板がついていたが、その隙間から覗いてみると知る人ぞ知るKTRの飾り文字が見える。地元を走っていた電車だけに、懐かしさで一杯だった。
 川跡から「走る天然記念物」デハ3で出雲大社前へ。久々に釣り掛けの音を堪能する。乗客はウチらだけということもあったのだろう、誰もいない駅ではドアを開けなかった。

一畑オールスターズ
 出雲大社前駅の外で昼飯を食べて、お参りに行く。雨も止んで少しずつ晴れてきた。小一時間ほどしてからまた大社駅に戻る。川跡から後輩達は松江へ戻り、私とO田は出雲市へ向かう・・・はずだった。しかし、出雲市行きの電車が80系(旧西武451系)だったために、結局全員で出雲市へ。出雲市で今度こそ後輩連中はJRで松江へ戻り、私とO田で今来た道を引きかえす。O田はこのまま松江へ行くみたいだが、私は折角フリー乗車券があることから車庫のある平田市で下車。ここで1時間ほど写真を撮り、再び2100系で松江に帰った。
 松江のホテルに戻り自室に入ろうとすると、隣が賑やかである。行ってみるとK代先輩が来てるではないか。夏休み前に「就職活動が終わったら、合宿に参加したい」と言っていたが、本当に来るとは思わなかった。その後、みんなで駅から少し離れたところにある食堂に行き、おめでとうございますの祝杯をあげた。

9月1日

 この日は「さんべ」で西へ。仙崎−滝部間に旧客が走るというので長門市まで撮影しに行く。長門市に着くと、すでに旧客の姿があった。中線に止まっていたので、あっさりと撮影完了。国道近くのコンビニで飯を買って、今度は上りの「さんべ」で出雲市へ。この日の夜、K代さんと共に「だいせん」返しをするので早めに行って席を確保しようと思ったが、早く行っても何もすることがないので「さんべ」を宍道で降りる。宍道から普通列車−「くにびき」と乗り継いで大田市へ。大田市ですぐの折り返しに乗ったら、例によって単行キハ120。学校帰りの高校生で終わっていた。
 出雲市から「だいせん」に乗りこむ。他にも客が乗ってくるだろうけど、早々にボックスにしてK代さんが乗ってくるのを待つ。そのK代さんは米子から乗って来た。二人で延々話をしながら、何とか寝ないように我慢する。結構辛かった。

山陰客レ

9月2日

 誰もが寝ている午前2時37分に香住到着。まだ9月だが結構寒い。ここで、下り「だいせん」が到着するのを待つ。
 果たして「だいせん」はやってきた。草木も眠る午前3時。車内は当然のごとく寝静まっており、二人並んで座れるはずもない。ところが親切な人もいるもので、デッキのすぐそばに座っていたオバチャンが席を譲ってくれた。K代さんはすぐに夢の中。私は鳥取までの1時間を必死に耐える。
 鳥取からキハ47の普通で豊岡へ。餘部鉄橋を通過したのは覚えているが、寝不足がたたって記憶が飛んでいる。豊岡から時間つぶしを兼ねて「但馬2号」で八鹿へ。八鹿から豊岡に戻り「はまかぜ2号」で和田山、そして10時38分の播但線で姫路へと向かう。
 姫路に12時15分着。ホテルが12時からチェックインできるので、荷物を軽くしてから新快速で新大阪へ。新大阪から地下鉄に乗り換えて江坂へ行き、何を思ったかホビーセンターカトーで色々とチェック。帰りも地下鉄で梅田まで出ればいいものを、新大阪でJRに乗り換えて大阪へ。阪神梅田から三宮まで久々の阪神電車に乗る。尼崎で8000系顔の青胴車を見つけ、何だろうと思ったら、やはり新型車。阪神初のVVVF車、5500系だった。傷跡の残る沿線を見ると、あの大震災の凄さがイヤというほど分かる。亡くなられた方への冥福と一日も早い復興を祈った。
 三宮から新快速で姫路へ。駅の地下街でラーメンを食べてホテルへと戻った。

9月3日

 今日が旅の実質的な最終日。帰りは「出雲2号」で帰るので、またまた出雲市へ向かわなければならない。最初は姫新線で抜ける予定だったが、「スーパーはくと」を使えば早く行けることが判明したので8時発の山陽線で上郡へ。窓口で智頭急行経由智頭までの乗車券と上郡−智頭間の自由席特急券を買おうと思ったが、乗車券は出てきても特急券は出てこない。どうやら、社線内単体では売れないらしい。「姫路からでも乗れるよ」と言われたが、少しでも安くあげたいので普通列車に乗っていく。
 8時58分、上郡に「スーパーはくと」が到着。自由席は満員・・・と思いきや、1のA・Bがあいている。ラッキーとばかりに2度目の前展仕切り。隣を見ると、若い鉄夫婦が三脚立ててビデオを撮っている。なるほど、こりゃ誰も隣に来ないわ。車内で特急券を買い求め、智頭からは周遊券でタダ乗り。ワイドって本当に便利でお得だわ。鳥取から時間調整を兼ねて境線を仕切りに行く。ここでもキハ40。この系列に乗るのは避けたかったが仕方ない。米子で土産を買った後、これも乗り飽きた115系で出雲市へ。
 出雲市からはお楽しみの「出雲2号」。シングルツインはなかなか良かったが、上段寝台が完全に収納できるわけではないらしく、少し圧迫感があった。米子あたりから車販がやってきたが、鳥取でも買えるだろうと思ってやりすごした。ところが鳥取のキオスクは営業終了しており、残ったチャンスは8分停車の京都駅。が、気付いたら列車は既に東海道線を走っていた。終わったわー。

9月4日

 失意のまま、それこそ文字通りのフテ寝。目が覚めたら朝日が眩しい。「出雲」は快調に走っているようだ。東京到着後、ドアが開くと同時に中央線ホームへダッシュ。中央特快にすべりこむ。このまま立川まで・・・と考えたが、分倍河原からラッシュの京王線に大荷物で乗るわけにも行かないので新宿で降りる。
 6時50分の通快に余裕で間に合ったが、非更新の6000系であったことと次の通快が8000系であったことから一本落とす。7時2分の通快で東府中には7時32分に到着。朝飯を食べて、睡眠不足を解消すべく再び寝た。

 今から振り返ると、結構ゲテなことをしていたなあ、とつくづく思ってしまう。何にせよ、初めての長旅が山陰のローカル線乗りまくりだったおかげで、今後に影響しそうな予感が・・・。

 

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