インタビュー「安部公房」VOL.1

 

「安部スタジオ」

 

 奈木 隆 演劇プロデューサー、日大芸術学部講師

         安部公房スタジオに入団「イメージの展覧会」「水中都市」「人さらい」「人命救助法」「ダム・ウェイター」「仔像は死んだ」に出演。

 

             

      

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渡辺
 演劇を志されて、桐朋に行かれたのですか?

奈木
 そうです。

渡辺
 それまでの奈木さんをご紹介ください。

奈木
 
演劇は小さい頃から好きで、学芸会には小学校1年から6年まで出ましたね。小学校4年ぐらいの時に、宝映 というプロダクションがあって、そのオーディションに受かって、小学校6年くらいまで、毎週日曜日に演技のレッスンに通ったことはありました。

渡辺
 
その頃から奈木さんの中に、演劇指向というものがあった?

奈木
役者になろうということじゃなくて、人前でなにかやりたい、目立ちたいといった動機でしたね、ごく単純に、最初は。中学時代は運動が好きで、体操部、水泳部、剣道部に所属していろいろなことやっていました。剣道や水泳は小学校からやっていました、多摩川スイミングクラブで国際選手養成クラスでした。

渡辺
 
どうりで。培った運動神経は、安部スタジオに耐えうる訳ですね。

奈木
多分そうだったと思います。高校ではフォークソングクラブに入って、ギター弾きながら歌っていました。

 

【画像提供 奈木 隆:New York Times】

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渡辺
奈木さんが桐朋に入った時、安部公房は教授だったのですか?

奈木
受験の時には試験官として、いらっしゃいました。ぼくが入学した年に辞められたのだと思います。

渡辺
大学の先生は

奈木
 
辞めたのですね。そう、安部スタジオと小説の方が忙しいから。

渡辺
 
安部スタジオと安部ゼミというのは、違うことなのですね?

奈木
安部ゼミっていうのは、大学三年四年時履修するゼミのことで、桐朋では、安部公房ゼミ、千田是也ゼミ、田中千禾夫ゼミと、三ゼミ体制というのが、当時ウリだったんですよ。例えばですが、俳優座に興味のある者は、千田ゼミ。安部スタ並びにマイムに興味のある者は、安部ゼミ。きれいな日本語を目指したいという者は、田中ゼミ。というように。

渡辺
 
安部ゼミのウリは、やがて俳優座の対極となった安部スタジオへつながるわけで
 
すか?

奈木
対極では無くて、ぼくの希望的な観測で想像すると。これは山口(果林)さんにも言ったんだけれども、最初桐朋で、千田先生と安部先生が協力して俳優座の為だけではなく、日本の新しい役者づくりを目指していたのだと思います。けれどもある時点から、お二人が仲たがいをして、残念ながら、千田先生からあれだけ安部先生は演劇を吸収して、演劇に熱中する訳だけれど、凝り性だから、自分で立ち上げちゃったんだよね。少し残念な部分もあります。そんなこと言うと、「人さらい」も「イメージの展覧会」もないのよ、と言われましたが。それはそうだとも、思います。

渡辺
その頃には、安部公房の中には既に、明確な方向性があって、安部スタジオを立ち上げたのでしょうかね?

奈木
桐朋で、一期生達を、先生方皆さんで心血注いで育てた。その一期生たちが4年で卒業するときに、大橋也寸さん(ルコックシステム)を中心に劇団を立ち上げる話がもちあがって、安部先生に話を持っていって相談したら、「ちょっと待て」 と。「計画があるから、君たちは俳優座に行っていなさい」と言われて、当時一期生二期生だった、先輩達が俳優座に入って、先生の指令をまっていた訳です。そして俳優座の主要メンバーも含めて、安部公房研究会が出来るわけです。

渡辺
その時には、井川さんとか

奈木
いらっしゃった。他にもいろんな俳優さんに声をかけたそうです。その中で参加してくれた方々が、安部スタジオを作る方々の一翼になる訳ですね。研究会には、いろいろな方が参加されたらしいですよ。これは、ぼくは聞いた話ですが。

 

【画像提供:奈木 隆 1979.5.19(水) New York Times】

 

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渡辺
奈木さんの話に戻ります。大学でまず、二年間演劇を勉強なされた。

奈木
そうです。二年間桐朋で演劇の基礎を勉強するじゃないですか。さて、三年の専攻科にあがろうとすると、安部ゼミはすでに無い訳ですよ。千田ゼミはあるし、田中ゼミはある、ぼくは、二年の卒業公演は田中千禾夫先生の演出を受けました。千田先生もいらっしゃるし、それこそ魅力的な三年生を迎えられるとは思うんですけれど、ぼくとしては、やっぱり中学校の時に読んだ安部公房の小説のインパクトがあって、入学試験の時にはいたのに、なんで三年にあがるときにはいないんだろう?と。そうしたら幸いなことに、ぼくの代から安部公房スタジオ入団が、二年卒業時で入団試験を受けてもよいという規則に改正されたのですね。それまでは専攻科の三年生以上でないと受けられない規則だったのですが、俳優座も安部スタジオも。
で、二年卒業時でも受けることが出来ると知ったから、「あ、これはぼくにとっての安部ゼミだな」と。プロの劇団に入るわけだから失礼な話かもしれないけど、そういう理由はつくな、と考えたわけです。それに授業料はかからないしね。一石二鳥だと思って、受けた訳ですね。

渡辺

何名ぐらい受けたのでしょうか?

奈木
何人ぐらいかな。2030名は受けていたんじゃないでしょうか。

渡辺

合格者は

奈木
四名です。例年は一人か二人だったのだけれど、当時は人数が欲しかったんでしょうね。

渡辺
その理由は

奈木
その前に案内人(ガイドブックPartU)という芝居があって、それをぼくは観て、「なんて素敵な芝居だろう」と思った訳ですね。でもその時、これも後で聞いた話ですが、「案内人」は一つの到達点で、これからは、イメージの展覧会をやるという方向にシフトしていたのですね。ぼくはそれを知らずに受けていたんですよ。

渡辺
案内人に共感して受けたわけですね。

奈木
そうです。ガイドブックシステムは「水中都市」にも、「Sカルマ氏」にも生かされる訳ですけれど、「案内人」ほど完成されたガイドブックではなかったように、ぼくは思いますね。役者が思考する演劇システムとしてのガイドブック。それは、「案内人」に結実したのではないかな。

渡辺
一つのステージを極めた

奈木
そうです。それは「案内人」だと思います。
実を言うと、ぼくは一年生の時に「ウェー」を観たのです。その時は逆に、絶対にこ
の劇団には入りたくない、と思いました。ところが、まったく同じ劇団が、翌年「案内人」をやる。これだ!と思いましたね。そこが不思議ですね。

渡辺
不思議ですよね。小説では、それまでの手法をかなぐり捨てて、まったく別の手法を取り入れ構築することが常にありましたが、それとは違いますか?

奈木
「ウェー」は、元が「どれい狩り」と言う作品で、台本が存在していました。「案内人」のようにまったく台本がないものとの違いがありましたね。

渡辺
台本がないのですか?

奈木
ないです。テーマはありますよ。アドリブのためのテーマは、ね。それがガイドブックなのです。役者にガイドブックを渡す訳です。実際には、役者にテーマが書かれた紙切れを渡す。そのテーマを演じることになる。

渡辺
なるほど、そういう意味も「ガイドブック」にはあったわけですね。役者に渡すテーマがガイドブックという形で。これは言語で書かれたものなのですか?

奈木
はい。簡単な指示です。例えば、あなたは恋人役、あなたは贋恋人役とか。簡単な指示ゆえに難しい

渡辺
安部システムは、俳優にすごく高次な要求をしていると、演劇素人の私から見る
と見えるのですが。
それをトレーニングしながら舞台に上がられる訳ですよね。結果として俳優としての資質は鍛えられている気がするのですが、演劇の世界に今まで長く携わってこられて、演劇の中における安部システムというのは、どのように今の奈木さんからは見えますでしょう。

奈木
今、そのあたりも論文にして本にまとめようと思っているのですが、演劇のシステムは、かつて誰も完璧なものは作っていないと思うんですね。実は本当に、言いたいことはいっぱいあるんですが(笑)それをぼくは執筆しているので、詳しくはそちらでご覧になっていただければ、幸いと。(笑)

 渡辺
う〜ん、正におあずけ状態で(笑)奈木さんの演劇論への誘いということで、さわりだけでも(笑)

奈木
はいはい(笑)
安部システムという演劇システムを普遍のもとするべく、それまで安部さんが発見した、いろいろなものを結集させて、一つの見事なパラダイムを安部公房は作り上げた訳ですね。ですから、肝心な点は、安部公房だけがシステムを創り上げた訳ではなく、安部公房は、他の天才達がいっている言葉を紡ぐこともまた、天才だったわけですね。そう安部システムを見て説明すると、始めて、安部システムが大変わかりやすく、理解しやすいものになるんですよ。

渡辺
なるほど!楽しみですね!最後に安部公房スタジオの一日を、これはぜひ教えていただきたい。

奈木
例えばこれは人さらいの時のスケジュールです。
渋谷の安部スタジオに12時に集合。それまでに食事をすませておく。
12時から45分で、ルコック体操。グロトフスキーやハタヨーガ等の動きをまとめた安部スタ体操、次にマット運動。メニューは、前転、後転、倒立前転、ローリング、ヘッドスプリング、ネックスプリング、ヘッドスプリングの連続、ヘッドスプリングから前方回転・伸身踵下り 、バク転して戻る等々、アクロバットな要素が入ります。

 渡辺
入団されて、そのマット運動をすぐやるわけですか?!

奈木
そうですね。幸い、大学にいるころから、安部スタはマット運動が厳しいよとか、マイムが出来ないとダメらしいよとか、そういう噂は聞こえてきていましたから、トレーニングはしていました。マット運動の後ですが、発声練習を30〜40分ですね。「人さらい」のころは、1時くらいには安部さんがいらっしゃって、二時くらいから稽古が始まるという流れでしたね。

渡辺
稚拙な質問ですが、先輩達に伍してこのメニュをこなせるようになるには、どの位かかりました?

奈木
どこまでベースが出来ているか、なんですよ。それも安部公房スタジオ入団選考の、基準でしたね。

渡辺
身体能力が?

奈木
もちろんです。動かない人間は入れません。入っても、ぼくらの時代では、結果として辞めざるを得ないと思いますよ。

渡辺
すごいレベルですね・・・。
発声練習後、稽古が始まる。

奈木
そうです。

渡辺
まだ、舞台構想に至っていない時期の稽古は、具体的にどのような稽古をされていたのですか?

奈木
常にアドリブ稽古でしたね。安部さんもまだ見えていない。我々も、もちろんわからない。で、安部さんはある テーマを掲げるわけです。今日は、たとえば、何人かまとめてグループに分けて、裁判をやろう、とかね。じゃあ、被告は円盤を信じている。検察側は、円盤を信じていない。証人を出し、裁判長を決め・・・

渡辺
それは誰が決めるんですか?

奈木
安部公房が決めることもあったり、「UFOを信じている人〜」と挙手をさせて、役割を決めたりですとか。二人一組になって、それぞれテーマを出して、アドリブさせたりですとか。そのアドリブ稽古をテープレコーダーでレコーディングして、それを安部公房が紡ぐ訳です。しまいには、テープレコーダーはいらなくなりました。役者にセリフになる前の状況を、稽古時に実体験させるという意図があったのだと思います。その体験によって、セリフも自ずと変わっていく。テーマは安部さんのなかにあり、そのテーマに沿って、アドリブ稽古が行われました。

渡辺
その頃の演劇界のマジョリティは

奈木
アングラですね。黒テント、赤テント、早稲田小劇場などですね。後、つかこうへいさんとか・・・そのころに、イメージをやっちゃう訳ですから。世界でも、ピーターブルックと安部さんぐらいでしょうね。当時、日本は現代劇を模索していました。ハロルド・ピンターなんて、どうやったらよいか、誰もわからなかった。それを「ダム・ウェイター」で安部さんがやってみせて、「ああ、こうやるのか」と他は、知らされた訳です。現在の演劇では当たり前のこととなった部分の下地であるとか、演技の基礎として、これだけのメソッドをまとめてくれた人は安部公房より他にいないと思うので、それを、例えば各大学の演劇科が、日本の現代劇という切り口で、定番にして欲しいですよね、西洋からの輸入ではない、人間の普遍的なシステムとして。それはまさに、安部公房の生き方そのものにつながると思います。

 

〔画像提供:奈木 隆 所蔵ウィリアム・カリー 仔像は死んだ(イメージの展覧会)パンフレット〕 

 

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渡辺
最後になりますが、成功裏に終わったと言われている、アメリカ公演ですが、当時現場にいらっしゃった奈木さんの、率直な体感というか、感想をお聞かせいただけますか?

奈木
僕が23歳の時の出来事で、大変貴重な体験でした。アメリカ公演は、5箇所で行ったのですが、何処も満員でスタンディングオベーションで絶賛されました。特にニューヨーク・オフブロードウェイの有名な劇場ラ・ママシアターでの公演では、お客が入りきれなくて、照明や音響をコントロールするコントロールルームにまで客を入れて公演を行いました。とにかくその熱狂振りには、ビックリしました。
ミュージカルもそうですが、視覚や聴覚で楽しむ演劇に対する観客側の準備が日本より早く出来ていたのではないかと思います。色々な人種が生きている国ですから。
安部スタジオの公演は、役者が道具類を製作したり、または本番でスタンバイしたりします。
アメリカでは、役者は役者。小道具係りは、小道具。大道具係りは、大道具。と言ったようにユニオン(労働組合?)が規定した分業によって、関われる種類が限定されています。
そんな中で、ほとんどの作業を役者がやる私達を観て、米国側スタッフは、驚いていました。

渡辺
ありがとうございました。奈木さんの論文の出版、楽しみにしております。

 

〔画像提供:奈木 隆 所蔵 ウィリアム・カリー 仔像は死んだ(イメージの展覧会)パンフレット〕

 

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