「贈る言葉」

 

 

 

『常に君の無事を願うぼくは、君の人生が豊に実るための、

ささやかで、実直な道具でしかない。

親とは、そういうものなんだ。

でも、願わくば君のその素敵な光が、少しでも暖かくヒトを、

照らすことを祈っているよ』

 

 

夫婦

 

『理解と応援。

これをお互いが自然に持ち続けられれば、信頼という

絆で結ばれる。

この絆の共有は物理的な別離や敷居より、強固なものです。

その絆の成長が、個々の夫婦の、オリジナルな足跡であり、

証しになる・・・。

どちらか一方では、いずれ時に擦切れてしまう。

存分に甘えていい。

ただし自分の成長のため、お互いがよりよく生かされるため

時々“愛”を使ってすこしだけ、背伸びしなさい。

妥協はしない事。

安易に結婚はしない事。』

 

 

 

『修練であります。

利己的な人間が、どこまで利他的になれ、かつ、

それを己の喜びにかえられるか。

人間であるかぎり、決して忘れてはいけないよ』

 

 

 

『本能です。

だから原因がはっきり判らない。

いくつかの条件を満たせば

対象が刷り込まれる“条件反射”と同じ。

相手を見ているようで

見ていないことが多いのです。

けれども、そこには薔薇の蕾のような可能性

があることも否定できない。

時間と理性を使ってあらゆる角度から検証し、

愛に昇華しえる可能性を見極めなさい』

 

 

親2

 

『いつでも遠慮なく乗り越えてお行き。

不用な部分は迷わず切り捨てなさい。

そうされるために、ぼくらはいる』

 

 

『イメージであります。

遺伝子によって誰にも等しく持つことを義務付けられた、

畏怖し崇拝する普遍的なイメージと言える。

不完全さを恥じる人間の願いであり、

不完全であり続ける人間がもつ、

完成欲と言ってもいい。

だから諸刃の刃です。

人が創った神や、人が説く神など

捨てていい。

神の名を借りて、己の欲の実現の為に、

人を利用しようとしているだけだから。

ただし、その本質をあなどらぬよう。

すがることなく、失わぬよう。

ちなみに父の神のイメージは、

あの入笠山から見た、満天の星空であります』

 

 

 

『伴侶や家族がいれば、

なくても、平気だよ。

安心していい。

だけど

いればいたで、こしたことはない。

衣を脱ぐ場に、多いに使いなさい』

 

 

宗教

 

宗教が出来る事

信仰する個人を幸せにすること

宗教が出来る事

異宗教同士の争いを生み、

結果として当該宗教を信仰していない

個人を、不幸にすること。

 

『道具である。

もちろん刀と同じ。

なんら変ることはない。

人間が発明したものだ。

持っていれば、民を治めることが

できるかもしれない。

振りかざせば、大儀が立ち、

抜けば、

大儀の名のもとに、命をも排除できる

便利な道具だ。

宇宙や命の灯火のぬくもり、いとおしさ、

あたたかさ・・・

そういった価値を、忘れないで。

それで、充分です。

とらわれず、自在に、謳歌して、

君を、デザインし、生かしなさい。』

 

 

伝統

 

『伝統とは理論武装された規制です。

それを発動する体制の在り方が問題になる。

伝統と誕生。

どちらを取るかは、年齢からくる遺伝情報に

制御されやすい。

だから伝統拒否は、いつの時代でも

若者だけの特権であるわけです。

文化、思想、科学、常に発見と誕生を摸索する

選択肢には、必然的に厳しさがつきまとう。

孤高な作業と言えるでしょう。

伝統に身を委ねる事は楽な選択です。

ぼくに言えることは、快な選択より不快な選択

こそパイオニアの常道であるということ』

 

 

SEX

 

『素敵なSEXは、人生の最も豊な贈り物です。

共にいたわり、時にははげましあって目指す、

高みの到達点です。

お互いのための行為であることさえ忘れな

ければ、素敵なSEXは、あらゆる迷いや傷を

癒す最も神聖な良薬です。

だけど、いいかい。

一方的なSEXは、回避するんだよ。

ぼくらは人間を捨てられない宿命の中にある

のだから。』

 

 

嫉妬

 

『嫉妬は、自分の欲深さを知る、尺度だ。

相手になく、自分にある。

ただし、その音色は千変万化に、相手と自分の

在り様を表す。

だから暗い音色には、要注意だよ。

もう一度、お互いが“生きて”いるか、振りかえって

ごらん』

 

 

 

『道具です。

創り手の本質を、本当によく表している。

脳の中で、異なる物質(電磁波、音波)が

等価交換されるといった、人間の動物的

特質・アナロジーが、具現化され

たものです。

非常に人間の在り様を表している。

だから、肝に銘じなさい。

利用されてはいけない。

振りまわされてもいけない。

執着しすぎてもいけないけど、

あなどり、軽んじてはもっといけない。

一つ良い事を教えよう。

利用の仕方に、その人の

“人間性”が最もよく表れる。

このことを理解すれば、“隣人の人となり”を知る

便利な道具になるよ。

そしてありがたいことに、

それは己を知ることにもつながる』

 

 

闘争

 

『絶えず他者と自分を比較しなければ

自分の位置を確認できず、

自分の位置を知らない状態に不安を

感じるようプログラムされた人間。

だから、社会に身を置くということは、

イコールあらゆる次元の闘争に身を置く

ということに他ならない。

だけど、これだけは忘れないで。

それは集団側に働く論理であって

君の価値ではないことを。

その結果で君の価値は、到底測れないことを。

“評価”や“成績”ごときで、君の価値は揺るがないことを。

それから、

力は力に負ける。

力を超えるのは、知恵に他ありません。

力を追求すれば、その先には形を変えた

敗北が待っているだけです。

上手に闘争と渡りをつける人生であることを

願っています』

 

 

いかり、悲しみ、喜び

 

『味わった後が問題です。

君が、いかり、悲しみ、喜び、を感じる対象・現象。

それは、君がとらわれている“何か”

の仮の姿であります。

もっと客体化すれば、やはり

それも己を知る鏡になりえる。

それらを感じたら、

それらを凝視してみよう。

すると、なにかに固執し、囚われた自分の姿

を見出すことができる。

そして悠久の

“過去への自分探しの旅”

へ出発するといい。

収穫は二つ。

一つは、人間の普遍的な生理の発見。

一つは、固有の形作られてきた自我。

たとえば昔、躓き、怪我をした原因で

あった小石を発見できたりする。

そしてそれを発見することは、

以後君がより豊に生きる、

羅針盤になり得る。

時には立ち止まって、振り返って

見ましょう。

決して回り道にはならないから。』

 

 

孤独

 

『出発点です。

原点でもあり、当然な状態です。

父はこれを愛し、まずここに立ち帰って

対象(人、物、事件、事象)を眺めました。

埋没せず、飼いならせば、己の人生の

充実度を図る尺度になる。

例えばここに立ちかえって、君らを眺めた。

すると自分の人生の足跡と蓄積が、

絵巻物のように溢れ、感謝と充実の念で

いっぱいになった・・・。

畏れることはありません』

 

 

強さ

 

強さとは、己の弱さを知る事にあります。

強い状態とは、己の弱さを熟知している状態なのです。

人を鏡として自己を確認する人間はまた、人に対して

虚栄も張りますから、とかく己の弱さは出てこない、見えにくい。

けれど、人を鏡として己を探すのでなく、自分を省み、己の所業

をそこに探し、そこから飾らず偽らざる己の姿と対面してごらん

なさい。

それは新たな誕生と等価です。

そしてその己を認め、誉めてやりましょう。

そこから旅が始ります。

どのような旅か?

それは君の意思と選択にかかっている。

どうか、実り多く、すべてに幸多き旅になるよう。

ぼくは祈っております。

 

 

親3

 

『別れの日はいずれ来よう。

けれども探さなくていい、安心しなさい。

ぼくらはいつも、君たちのなかにいる』

 

好きなこと・嫌いなこと

 

『好きなこと・・・評価なしでも楽しく続けられる

事。つまり良く言えば生き甲斐、悪く言えば

マスターベーション。

嫌いなこと・・・自分自身を映す鏡。

やすきに流れやすい自身を高みに押し上げる

=磨く(しかも他人の評価に左右されず)

方法は、唯一つ。

不快を選択し快に変える試み。

つまり自分の限界点を知り、そこに到達し

かつさらにそれをのばすには、快を動機に

不快を利用し快をのばすこと。

不快=努力、練習、挫折、敗北

すべては己と出会う旅である。

頑張れ!』

 

 

 

「今=夢の実現」…長き日々の修練の成果です。

「いつの日か、やってやる」…これは見果てぬ夢で

かならずや終わる。

この両者は、関わり方における、大きな差である。

だから小さな夢でも実現出来たなら、大いに自分を

誉めてあげよう。

日々の小さなトレーニングや勉強が、今の君を形作

る、確かな栄養であり、なにひとつとして無駄なもの

はなかったわけだから。

明日は君がつくる。

明日の君は今の君の行動と選択がつくる。

選択肢は無限にある。

君はつまり、無限の可能性なわけです。

それだけに、不安である。

それでいい。

人生は、例えれば山登りと同じです。

年を経るにしたがって増えた荷物をザックにまとめ、

労苦や病、事故と渡りをつけながら、伴侶や友、親を

ときに手をたずさえ、励ましあって道を行くのです。

ゆえに、伴侶の存在に感謝し、友と友情を誓い、

眼前にひろがる雄大な景観に涙し、食べられることに

感謝できる。

そこに生きていることのすばらしさがある。

そうしてこそ、生きることを、肯定できる。

安心していい。

山をくだれば里に出るし、川や海もあろう。

君には選択肢がある。

いつでも“新たな”人生の選択が可能であるのだから。

感じて、考えて、やりなおし、修正する、そして自分の

未知なる可能性をまた、掘り起こすべく心身を練磨する。

今です。

それは今はじまる。

遅すぎる事など、生きていく上では、決してないのだから』

 

 

才能

 

『誤解されやすい。

たとえば才能の量。

多ければ多いほど、

その量を生かす為の努力の量も又、

比例して必要となる。

そこを人は、

多いに誤解している。

“10で神童、20でタダの人”

とは、“才能の量が多い人が人並みの努力を

した結果、人並みの到達点しか得られなかっ

た事”の揶揄でしかない。

君のなかに大きな才能の源泉が眠っていると

思うのなら、普通の努力ではその全ては生か

せない。

過度な負荷がどうしても必要になる。

寝食を惜しんで、邁進してごらんなさい。

その果てにまた、新たな自分との出会いがある。

それこそが、もって生まれた才能を磨く、

理由だからです。

ただし、クールダウンがストレスの耐性作成に

は必須だから、休む時はすべてを忘れて、

ゆっくり休みましょう。

人と競う事は、確かに刺激的かもしれない。

けれど真に大切な事は、

前の自分と今の自分との成長度合いにこそ

あるのだから』

 

 

 

『克服できなければ、兄弟のつもりで付き添って

あげなさい。

それは生の一形態にすぎませんから。

大切なのは、“受け止め方”それ一つです』

 

 

罪と罰

 

罪とは、

自分の体験が、

真実だと錯覚し、

人にもそれが通じると

誤解すること。

罰とは、

錯覚しやすい構造を、

人という種が獲得したこと。

信じられないことに、

君が見たことすら、

実際に存在するとは限らない。

自分を

絶対化しても、

矮小化しても、

見えないよ。

動物であることを、

忘れないように、ね。

 

 

善と悪

 

『悪

君の中にも、あってあたりまえ。

それが“人間”であることの証明です。

「感じた事ない、考えた事もない」

これはケモノの世界の道理。

こんなこと言っている奴こそ、もっとも

キケンな輩。

偽善とはこんな奴を表す言葉です。

「悪への嗜好、悪しき衝動」

を自分の中にしっかりと発見し、自覚しつつ

対極を選択する事こそ、善。

そういう善行こそ、

真に、人間らしい価値のある結果をもたらす。

なにより人の痛みを感じ続けることのできる

スケールです。

だから安心して、想像力は開放し、血肉に

分け入って実を取りなさい。

豊かな実を!』

 

『失敗』

 

くよくよしない。

絶対に!

そして次に生かせ!!

生かすためには何が最も”必要”か、考えろ!

何が足りなかったか、でなく今の自分になにが必要

か、この発想が大切です。

くよくよせず、どうしたら次に“失敗した”という経験が

生きるか、よく考えて行動すれば、もう既に失敗は乗

り越えている。

消化し修正した証だから。

失敗を友としよう。

ぼくは本当によく失敗した。

けれど失敗はへとも思わなかった。

失敗という生きた学習から、どう学びどう修正するかが、

何より大事だからね。

失敗を恐れるのは、どの選択肢より多くムダすること

になるから、もったいない、やめようね。

さあ、進もう!

 

  掛け値なしの愛です。

  迷った時、これらの言葉を料理して、

  活路を見出しなさい。

  生きる力に満ちた時は、

  君だけにしかない、君だけのオリジナルな

  人生から摘み取った、言葉を産んで残せば

  いい。

  いつ死んでも、一点の悔いもない、

  秋の深い空のような音色です。

  これこそ何にもました、人生の恵みでありました。

  ホトトギスがいななき、ヒグラシが一斉に合唱を

  はじめた夏の朝4時。

  君の人生に、たわわに実るリンゴの樹のような

  豊な実感が積み重なって行くことを、祈りつつ。

                            父

  公房、愛子へ。すべての、こどもたちへ。