『青年座 イヨネスコ上演中』2010.3.3

 

安部公房システムの体現者、

富山 オーバード・ホールプロデューサー

奈木 隆さんからの情報。
 

 

本日より7日(日曜日)まで、

“劇団青年座 イヨネスコ上演委員会”による

“禿の女歌手”

が、

座・高円寺(杉並区立杉並芸術会館)で、上演されます。
 

 

当劇は、

言語の解体による現代の人間性風刺という奇抜な側面で、

コトバ使いを痛く刺激します。
 

それを、

安部公房演劇をもっとも深く理解し体現したフラッグシップ、

女優 山口果林が演じるとなれば、

いまや、古典に類するイヨネスコを、

最先端に踊りださせる存在を表出しえるでしょう。
 

渡邊も7日に“参加”させていただきましょう。

要、必見!

 


『2009年と2010年のご挨拶』

 

2009年中は、大変お世話になりました。

と共に、各方面に大変不義理ばかりおかけした年であったと、

深く反省しており、大変申し訳なく思っております。




2010年、執筆活動に関しては、

“質にこだわり、ジャンルはこだわらず”

展開していきたい、と考えています。

ご用命がございましたらご遠慮なく、

メール等をいただければ極力ご期待にお答えする方向で、

努力させていただきます。



そして、新たな方向性である、

“企業戦士再生プロジェクト”

の立ち上げと側面支援に、

協力できればと期待しております。

 

最後に、

“なんで毎度ボクシングなんだ!”

と、お叱りの諸兄もいらっしゃることと思いますが、

コーチとして参加をしております、

“日野・八王子アマチュアボクシング教室”

の多摩国体に向けた更なる充実と、

“八王子中屋ボクシングジム”

の戦士達。

チャーリー太田選手と荒川仁人選手の、

2010年チャンピオンカーニバルでの日本タイトル奪取。

淵上誠選手の日本タイトル奪取。

ならびに八王子アマチュアボクシング連盟の発展を祈願します。

皆様、こちらへの応援も、

ぜひよろしくお願いいたします。



また、無精者がさらに加速し、

諸先輩方には申し訳ございませんが、

年賀状の用意をしませんでした。

この場をお借りし、お詫び申し上げます。



それでは、

1月3日まで、オフにさせていただきます。

皆様、

良いお年をお迎えください。

         千眼力の冒険者 渡邊 聡


 

『安部公房の予見』 2009.12.2

 

安部公房の予見は、

今更ながら卓見だと感じる。

「自然科学に対する見事な情報処理能力に対して、人間関係に対する情報処理能力は危うい」

そもそも、

人の社会に、

ルールという概念が発生すること自体、

破られる前提が、

そこには内包されている。



同種殺戮を禁じる本能を、

言語機能を突然変異によって獲得した見返りに手放した種であるヒト。

その危うさは、

もう一つの次なる卓見、

「官僚システムをコンピューターが代行出来れば、社会における人間性は、救われる」

によって、

解決策を提示されているのだが。



ただその論調は、

極めて悲観的だ。



なぜなら安部自ら、

「贔屓が贔屓をつくって贔屓する」

衝動が、既得権や利権の損失を阻むべく作用して、

卓越した卓見の実現を阻むであろうことを、暗示しているからだ。



確かに脱皮した甲羅の下から、

似通った甲羅が出現しつつある、

現在の政治的状況を詳細に分析すればするほど、

実現化の障壁は、

すべからくヒトに内在する、

選別衝動に起因するのであろうから。



締めくくりはやはり、

安部公房の卓見が必要であろう。

「衝動や無意識が水面下にある氷山で、言語機能は水面上の氷山だ」

ヒトという種が亡びるとしたら、

その原因はヒトが発生させるに他、ならない。


 

『カリスマより求道者』 2009.11.5

 

世界一



その称号は、

求道者の頭上に輝いた。



「自分をさらに異次元の存在に昇華させるためには、

今の自分の在り様に、強烈な飢餓感を持たなければ、

成しえない」



それが、

歴史に名を刻むか否か、

その“境”だと思う。



あるコラムに、

巨人軍最後の松井の孤立ぶりが紹介されていた。



夜の帝王清原は、

そのカリスマ性で、

手下共をまとめ上げ、

松井を

「根クラ」

と揶揄し孤立させる。



その時松井は清原を、

こう断じる。



「どうせ飲みにいっても、

 車と女の話ばかり」



見事!と思う。



身体に宿った才能だけなら、

世の中に無数のタレントが存在する。



それを“研磨”出来るか?



そこが、

極限をデザイン出来るか否かの、

唯一無二のエレメントとなる。



自分と向き合い、

孤独に耐え、

歯を食いしばり涙を流し、

そんな夜の蓄積。



長きに渡ってそれを続けてきた松井に、

敬意を表し、一ファンとして、

おめでとう!

と言いたい。



186cmの身長も、

アメリカではミドル級だ。



だが彼の自身を研磨する才は、

世界の超一級品であったことが、

証明された。

そこが、なによりうれしい。



超一流とは、

必然的に孤高である。



プロとしての足跡を客観的に見れば、

清原は一流にも至らない。



練習せず、

酒を飲み、女に興じ、

また、試合に出る。



少なくとも私は、

そんなカリスマには、

微塵の魅力も感じない。

飲み友達としてなら、

多少は面白いかもしれないが。



カリスマなどという言語の催眠作用に眠らされる程、

孤高な高みは稚拙ではないということだ。



これは、

指導者としての確かな目を持ち続ける為にも、

必須な視点だ。



選手が大成するに必須な資質が、

その選手に宿っているか、否かの見極め。
 


つまりは、

競技的フィジカルエリートであること。



それ以上に、

求道者であること。



そこが確認出来れば、

あらゆる困難に直面してもその素材は、

超一流に化ける原石であることを、

肝に銘じなければならない。
 

おめでとう!

松井秀樹選手!

ワールドシリーズ、

MVP!



君の高みの美しさを、

今宵は堪能させていただきました。



今年はルーツが日本にある、

2人の求道者、

イチローと松井が席巻した年だった。



いや、一人忘れていた。

求道者のパイオニア、

野茂投手のメモリアルイヤーでもあったっけ。



ハラショー!!


 

『安部公房周辺とカンガルーノート再評価』 2009.10.3

 

 

「箱男は、世界で創めて“書くという行為を追究した”小説だ」

と、作者である安部は私に言った。

 

聞いた時の衝撃を、今でも覚えている。

 

“箱男”の創造主は、そのような意図で、

コトバを紡ぎ、ディティールを積み上げ、

在るべき姿に構築し、小説として結晶化させたのか。

その姿勢はそれこそ、小説史上、

“世界で創めて”

小説家の姿勢として歴史に出現した在り方だと、

その斬新さと、鮮烈さに、

驚かされた訳だ。

 

ここのところ、

生前安部に親しかった方々に会って話すたびに、

私はどんどんおっくうに、

筆も重くなっていった。

 

それぞれが安部の、

固有の記憶と印象、イメージを持っている、

それは良い。

当たり前だし、別段問題はないし、私が口を挟むいわれはないし、

なんの文句もない。

不快な感情も、別段隆起されない。

 

問題は彼等が出力する、

小説家安部に対しての、

コトバにある。

 

結果として、

安部の功績や業績に、負の影を落とす言動もしくは行動と足の引っ張りあいを生むコトバたち。

それらが私の気を重くさせたのだ。

 

安部がどんな人間であったろうと、

生前誰になにをしようと、

判りやすく言えば、どうでもよい。

それは私にとっての安部の価値を、

侵害しない。

 

いや、もっと極端に断定すると、

私にとっての安部の価値は、

彼が産んだ、小説にだけ、ある。

 

だが、彼らの話すコトバは、

結果として安部の小説の価値を侵害する。

 

だから気が重くなるのだ。

 

そういえば、安部自身に、

「ぼくの評論で世に出るのは難しい」

と言われたことがある。

 

その意味は別のところにあるけれど、

今はその状況にさらに、それらコトバが、悪化させている。

その主因は、本来は安部の功績を発信し、

安部に感謝すべき人たちが、

足を引っ張っていることにある。

こればかりは、もったいない話だと、思う。

 

さて、

気が重く、語らずにいた安部のことを、

あえてこの時期に語らずにはいられなくなった理由。

 

それは、

カンガルーノートに対する、これもコトバたち、

カンガルーノートの言われ方だ。

 

安部が小説化するときに、

常に意識していたこと。

それは、

“小説という形態を進化させる”

ことだ。

 

私自身、さんざんそれを言われたし、

メディアでもそれをはっきりと公言している。

「同じことをやるのは、まったく意味がないから」(1985年1月 NHK3CHインタビュー)

つまり、レトリックとしても、文脈としても、プロットとしても、全体としても、

“二番煎じをしない”

ということを、

小説を書く時点で、意識的に徹底化し、

書き直しを行う過程で、その痕跡が認められれば即、

排除した訳だ。

“密会”

から

“方舟さくら丸”

まで、で安部は一つの企てを自分で卒業したと、

回想している。

それを私は、

“言語によって、経験と等価な生理反応を読み手におこさせる企み”(小説家「安部公房」論 参照)

の卒業と、解釈している。

 

では、安部は次に、

小説家としてどんな課題を自身に課したか?

 

それを解くものが

“カンガルーノート”

だ。

 

では私が

“カンガルーノート”

に対する言われ方に、承服できない、

その“言われ方”と“理由”はなにか?

 

 

まず「安部はカンガルーノートで私小説を実験的に試みた」

という言われ方。

 

素人が推測でものを言っているのなら、頭にくるし、

プロが仮説をたてているのだとしたら、

論証が足りなさ過ぎるからだ。

 

だいいち、こんなことを言ったら、

本人、激怒して墓から飛び出してくる感じがして、

私には冷や汗ものだ。

 

また、安部の身近にいた、理解者であった方も、

あれは「安部の入院体験が反映されている」

などと軽口をたたくものだから、始末に負えない。

 

そういう次元での影響なら、

“砂の女”にも“笑う月”にも、

“密会”にも、見て取れる。

 

ディテールには、当然のことながら、

作家の生理的体験は、いくらでも反映するのは当たり前だ。

 

なぜそんなことに、神経をとがらすか、というと、

そういうコメントは、安部の小説に、

ひいてはその文学的な価値に重大な誤解と悪影響を生む。

 

たしかにカンガルーノートは、

そこから意味を読み取って、自分なりに筋立てと作者の意図を解釈しようと試みると、

入院患者自身が体験した、病院やうなされた夢や死線のように感じられる。

それは、今にはじまったことでなく(カンガルーノートにはじまったことではなく、という意)

実は安部が言うところの、

「日本の国語教育の欠陥」

によって読者全般に広く刷り込まれてしまった、意味を読み取って安心する癖がもたらす、

弊害そのものの解釈なのだ。

 

ここから記す内容は、安部がどこかに記したり、発言した記録は残っていない。

また私がカンガルーノート執筆時期に、安部から聞いたことは、

「方舟さくら丸で一応卒業し、あらたな小説を書いている」

ということだけだ。

以後は私の読後感から発現したものであり、あるが、

カンガルーノートにおいて安部は、

「コトバで、

“実態としての、ありのままの、ナンセンスな、脈絡のない、

無意識を再現し、読み手に体感させる”

ことで、読み手の中に、

“極めてリアリスティックな、現実感が伴う、生理的な感覚を隆起させる、無意識”

という誰にでもある、内なる世界を自覚させるという、

極めて非日常的な読書体験の創造に、成功している」

と評価している。

 

それは、作者の実体験の小説化とは、対極の創造行為であるのだ。

詳細は論文にまとめていようと今、

考えている。

 

安部が命がけで構築した小説という芸術を、

もういちど再評価する、きっかけになればと、考えている。

 

さて、久しぶりに奈木さんに、

連絡してみようかな。

 

 2009.10.3

 

 


『宇 宙』

 

きみはもう、

手に入れている。



無限のひろがりをもち、

漆黒の闇に輝き、

限りなく広がり続け、

命の根源であり、

命を包括する、



かけがいがなく、

おきかえられるものがなく、

唯一にして、

無二のもの。



あらゆる可能性を湛え、

無限の情報を宿す。



きみの使命



それは、

どこまでそれを生かせるか、

試みてみること。



きみが忘れてはならないこと、



慈しみ、

受容し、

愛すること。



きみという、

宇宙を。


 

『咀嚼し生かす道』

 

『長寿遺伝子を鍛える』坪田一男 新潮社

の一説。



“エコカーでいこう”



のくだりに、

「低体温」が「長生き」している人たちの、

共通項3つの内のひとつであることが、

書かれている。



それによると、

 「低体温」により、体が省エネモードになって、

 大量のエネルギー摂取が不要となることが、

 長生きの要素の一つだ。

ということのようだ。



ちなみに、

他の共通項は、

「血液中のインスリンの濃度が低い」

「血液中のDHEAの濃度が高い」



上記だけを読むと、

一見、ホント?と感じるむきもあろうが、

筆者は眼科医であり、

日本抗加齢医学会の副理事長で、

上説は、

“カロリーリストリクション”

(=カロリー制限;タンパク質、脂質、

 炭水化物、ビタミン、ミネラルといった、

 栄養バランスはしっかり摂取しつつ、

 総摂取カロリーだけを通常の7割に制限する)

によって、長寿遺伝子“サーチュイン”の

スイッチをONにし、アンチエイジングを実現する。

という結論に集約される、いわば、

専門家の学術的見解だ。



一方、

“低体温が万病をつくる”

というスローガンを掲げ、

現代人の低体温状態が、

免疫力を低下させ、ひいては様々な疾病を呼び起こすという問題提起を

医学の立場から行い、

様々な治療に応用されるようになった定説を紹介した著もある。

『体温免疫力』 安部徹 ナツメ社

新潟大学大学院医学部教授



最近私自身、

テープ起こしや原稿起こしをお手伝いした、

薬学の講演でも、

“ちかごろ低体温のヒトが増えてしまっていて、

問題になってしまうんだけれど、免疫系というのは高い温度で働くから、

低体温のヒトは免疫系が落ちてしまう”



というくだりを記憶している。



さて、

この専門家の、

相反する研究成果と結論をどう咀嚼すべきか?



シロウトが考えるに、

幼児期から成長期までの形成期には、

カロリーリストリクションはそれほど意識せず生活をしても、

問題ないように思われる。

ただし、若年性メタボに直結するような、

生活習慣に関しては、

適した運動量か?

脂質や糖質の過剰摂取はないか?

などの配慮が必要であろうが。



だがむしろ、成人病やメタボが発現する年代には、

極めて効果的な生活習慣のように感じることができた。



また、低体温の弊害も、

現実には若人に発現しているように思える。

免疫力の低下がひいては、自律神経の不調和を呼び起こし、

内分泌、免疫、自律神経のトライアングルシステム全体のバランスを崩し、

ひいては鬱のようなトラブルの基因となっている気がする。



さて、

結果的なポジとネガ

このような、

“尽きることのないイタチゴッコ”

は、なぜ生じ、

どう対処すべきなのであろう。

 

そこには、科学的な視点では解決できない、

人的な思考や行動癖に対処可能な思考。



“普遍思考”



を身につける必要性を痛感する。

その辺りに関しては、

やはり

『一番大事なこと』養老孟司 集英社新書

の傑出した提起が、

現代における科学的認識の限界を表している。



引用開始


“システムを情報化すること、つまり生きものについて論文を書くことが、

十九世紀以来の医学・生物学の仕事だったのである。

生きものという複雑怪奇なシステム、それの一面をとらえて、

論文という形に「情報化」する。

それがここ百五十年間、科学がもっぱら従事してきた仕事だ。

その作業の向きを逆転して、情報からシステムを構築する作業は、

すっかりお留守だったのである。”

その結果どうなったか?

養老氏、はこう続ける。

“複雑なシステムを単純化して説明する。そのためには部分的に説明するしかない。

だから専門分野がイヤというほど分かれた。

論文は死ぬほど出る。

でも全体がどうなっているか、だれにもわからなくなったのである”

引用終了



では、どうすればいいのか?

 

相反する常識のうわべにその都度振り回され、

経済的精神的ロスを重ねて心身を害さぬよう、

また、

自らを知り、自らに適した対処を見つけることのできるよう、

自分にとって必要な情報は何か、

見極め取捨選択できる

“教養”

を試行錯誤しながら育み培うしかない。

そしてそれは易き道ではないのであろう。

だから学ぶ道は、一生だと思う。


 

『 詐 病 』

 

 

『鬱病」偽り傷病手当5500万円詐取 各地に“ニセ社員” マニュアル、実技も』

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090208-00000068-san-soci



まずは、身近で聞いた話。



配属後何日かで、職場が合わないと休み出した。

その後、休暇がおぼつかなくなる前に、

病気休暇を申請。

タイトなスケジュール管理の中、

業務が移行するスリム化された組織には大打撃だ。



臨時職員を雇用し、

しのぐ。



本人はその後病気休職に移行。

給料はもちろん払い続けられる。

組織は時間外労働も増え、

人件費がかさむ。



その後一旦職場復帰するが、

復帰訓練明け直前に再び診断書。



奇異なのは、

休み続け、分限処分が間近になると、

スッと職場復帰。



以後、何事もなかったように、

仕事をおこなっているそうである。



その間、その職場では、

半病人者が出現。

当人は担当もはずれ、定時帰りだそう。



昼休みには保険屋が出入りし、

書類のやり取りをしていたらしい。



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鬱は、恐ろしい病気だ。



アウト・オブ・コントロール

最後には、

まさに、そうなる。



私自身、この疾病で身近な縁者を四人、

看取っている。

そして、その四人には、

ある典型的な共通したサインがあったことを、

知っている。

 

遺伝的因子も、明らかに作用していると思う。

だが、抑止するのは非常に難しい。



今、このマイナスシーリングの時代、

生活保護受給者の増大と、

鬱症状による休職者の増大は、

由々しき事態だ。

亀裂が入って浸水し沈没途中の船に、

難民が殺到しているようなものである。

これほど解決すべき、

大きな社会問題が肥大した状況はかつて、

なかったであろう。

 

欧米にならった組織は、

大量の失業者を生む。

それを残った者たちが、

必死になって支え、

時を待つ。

が、

人は易きに流れやすく、

そこからの浮上はし難い。

だから政治という仕組みで、

担保する。

例えば、生活保護費の期間限定支給を、

就労支援とセットに制度化するのは、

必然の流れだと思う。

難病などを基因として就労できないのであれば、

別の枠組みを用意すれば良い。

 

本当に時が来るか?

本当に加重が緩和される日を迎える、

具体的な策を、

早急に的確に、

今の政府が講じられるのか?

 

確約できる要素は極めて不確定な、

現在だ。



その上、

明るみに出た

“詐病”

という犯罪。



人の業。



四人は、あちらで、

この在り様を、

いかに見、どう思うことだろう。



社会的討死と、

計画的な詐取。



同じ疾病を巡って、

360度反転した社会問題が、

跋扈する。


“詐病”

これも私にとっては、

深い、

人が持ち合わせる闇の、

ある種“シンボリックなもの”の吐露のように見える。



後ろめたさが本人に皆無な点が特徴というが、

その裏で多くの人の血と汗の結晶を搾取しているという実感が

まったく欠落しているのが、痛手だ。

ひいてはそれが社会観の欠落、社会実感の不存在に進行してしまう。

 

痛む良心が、先細り、枯渇し、

さらには、手段を選ばす利を得なければ、

損とすら感じてしまう。

そんな風潮を再生産し続ける社会。



今、

“社会”

はその根底が、

大きな音を発てて軋んでいる。



パブリックな精神は、

家庭教育が育み、

学校教育が担い、

政治が担保し、

育まれた個が社会で実践するべきものだ。



今一度、

早急に

“公共”

という理念の義務的必要度を、

見直したい。


 

『公正取引委員会の排除命令』

 

長い間繰り返し、

W口臭革命”

とか

W体臭革命”

などとうたった広告が、

サイトやチラシで、

大々的に目に付き続いた。

 

シャンピニオンエキス商品だ。



私は、

臭いも匂いも、

人の発するものは恥ずべきものではないと

感じる者だから、

購入を検討しなかったが、

Wさぞや売れるだそうなあ”

とは思っていた。



さて、先日、
こんなニュースが駆け巡る。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090203-00000140-jij-soci


読んだ瞬間、

“こんな小さな扱いで済む話なのか”

そんな違和感を感じたのは、

私だけだろうか。

 

違和感に押され調べてみた。

するとどうだろう。

長い商品では、

DHCのシャンピニオンが、

平成15年5月から5年を超える間、

2,350円を標準小売価格として販売され続けていた。



7社及び製造元は、

その間、効果が認められない商品を、

“効果がある”

と標榜し、莫大な利益を上げ続けた訳だ。



PL法には

「製造物の欠陥により人の生命、身体又は財産に係る被害が生じた場合」

とあるが、この場合、

効果がなかったことを被害と認定できないものだろうか。



そもそも、

大量に販売された商品に、

標榜した効果が皆無であった場合、

これを

“詐欺”

と呼ばずして、なにを

“詐欺”

と呼ぶのだろう。

 

なぜなら、誰もこれら商品を、

サプリメントとして購入し、

飲んではいないはずだから、だ。

“口臭”

“体臭”

を消そうとして、

出資し続けたに違いない。



もう少し情報収集をしてみようと、

公正取引委員会のサイトを訪れてみる。

http://www.jftc.go.jp/pressrelease/21index.html

上のように、ホームから報道発表資料のリンクをたどればずぐ、

情報が入手できる。

それらが、これ。

http://www.jftc.go.jp/pressrelease/09.february/090203.pdf

そして例えば、7社の内の1社、

“健康の杜”

に対する排除命令は、↓のとおりだ。

http://www.jftc.go.jp/pressrelease/09.february/090203-01-haijo.pdf

なんのことはない。

“もう儲けはやめよ”

お咎めは、それだけ。



試しに、

“爽臭革命”

で検索すると、

http://www.kenkounomori.co.jp/km-nioi.html

このようなサイトにヒットした。

 

ああ、

徒労なり。

利益を還元し被害を賠償するはおろか、

まだ売っているし。



天下の公正取引委員会の排除命令は、

有効か?



おそらく

「今後,爽臭革命又はこれと同種の商品の取引に関し,

表示の裏付けとなる合理的な根拠をあらかじめ別添12

有することなく第1項の表示と同様の表示をしてはならない」

とあるから、

“口臭”“体臭”に効くとうたわなければ、

販売し続けて良いということなのだろうが。



情報発信の責を負うマスメディア。

裏づけを確認しないまま出荷する製造元。

製造者の言うなりの、販売元。

臭いをやっきに消そうとする消費者心理。



それぞれが抱える問題は、

想像以上に絡みついていると感じた。

 


 

『言霊という意味』

 

“名は体(態)を現す”

というが、

この置き換えが、

“言霊”

というコトバ理解にも、

大変に応用が効く。



“言は霊を現す”



動物や植物は語らない。

物は自分で移動しない。



それにひきかえ、

己は感じたことを留め、

考え、

意志を持ち、移動する。

そして語り、とらわれる。

このあらゆる感情の変遷の、

源泉はいったどこにある?



それら、

目に見えない現象の、

いわば在り方に対し、

納得し安心できる、

解釈や説明を構築する、

その媒介として

“霊”

“魂”

という概念を発し、

据えた訳だ。



今まで語り、

意志の元に行動していた存在が、

突然語ることをやめ、

呼吸を停止する。

そして、動かず、

急速に朽ち落ちる。



知識を体験的に、

あるいは学習で如何に習得しても、

我が人生は耐えず、

まったく新しい体験続きで、

しかも一度きりしかないものだから、

いずれ朽ち落ちる我が身の不安を解消し安心するには、

合理的な概念であろう。



しかし動物の一種に過ぎない人間であるが故に、

人間にしか通用しない言語というメスで、

科学的手法を手がかりに反証に耐えうる事実を蓄積していけば、

仔細にそのメカニズムを解明し理解する道筋を進まざるを得ない。


したがって現在、

“心は脳という構造が生んだ機能”

“小脳扁桃にある側核が恐怖の条件付けに関与している”

“PETの利用により、不安定な感情に関与する脳部位を特定した”

と、

以前は“霊”や“魂”で、

安心していた事象に対する認識が、

より具体的、かつ合理的になった。



それはそれで良い。
 

そもそも、

いかようにも解釈できる概念は、

ヒトにとっては諸刃の刃で、

一つの解釈を利用し、

先導したり強要したりといった、

可能性は否定できないからだ。



最近、

無意識に選択された結果としてのコトバ達は、

発する主体の感情と構造をトレースしていると、

痛感する。



いや、

発せられたコトバの蓄積こそが、

構造、その“ヒト”と“なり”そのものだ。



あらゆる言語表現から、

その時選ばれ発せられたコトバこそ、

そのコトバを発した主体の、

性格と体(態)を現さざるを得ないからだ。



私の身近で、

激職激務に追われ、

限りなく疲れているはずにも関わらず、

常に慈愛が込められたコトバを発する人がいる。



そういう選択は、

単に有能なタレントや、

センサーの所持者であるから、というだけでは、

片付けられるものではない。



自身が如何に大変なときでも、

ヒトを見、

ヒトの状態を感じ、

労わることの出来る魂。



飾り衒うひと時の虚栄では、

とうてい到達できない、

その日々のなにげない発信に、

人となり、

情け深さ、

やさしさ、

情愛が宿る。

そのクオリティの高さ。



これこそ一夜漬けでは、

到底できない所作だ。



痛感する。



“言”は“霊”を現す。
 

そしてこのたびは、

大きなプレゼントを、

ありがとうございます!


 

 

 

『土壌』 2008.11.24

 

 

ヒトは土壌と等しい。

すべからく豊潤である。



その土壌が、

もっている能力。



それが最大限に機能するか?



それこそが、

土壌を取り巻く、

環境のあり方そのものに帰結する。



社会の質と言っても良い。



土壌を耕すヒト。

それは近親者であろう。



土壌に種を蒔くヒト。

それは時に、

第三者的であったりする。



芽吹いた後、

すくすくと育つことが出来たか?

そこには時代の気温や湿度、

第三者の意図が、

克明な痕跡を刻んでいく。



土壌を取り巻く、

あらゆる環境。



風土、気温、湿度、栄養。

それらがヒトにとっての何にあたるかは、

見方によっても、時代によっても、

変えることができる。



それが、日本が根ざした生活様式の、

顕著な特徴と言えよう。

そしてこれは、便利で良いことだと思う。



たわわな実り。

それは、

環境を生かし、

自分を生かした結果としての、

社会的成果。



わずかな距離で、

テロワールの個性が味に、

あきらかな差異を生む。



そのように、はぐくみ伸ばす。

それが限られた出会いの、

妙だろう。



それらを咀嚼しながら、

本来持った生命力やタレントが、

天目指してスクスクと伸びる。



底冷えが続き、

日照がなければ、

土壌は芽吹かせることも出来ず、

本来土壌がもっていたかもしれない、

樹木という作品をこの世に出さずに、

その命を終わらす。

もしくは、今ある木を枯らす。



種をヒト、

それを蒔くのは、

絶対的な存在という、

宗教が生活に根ざした国の考え方は、

この国にはそぐわないと感じる。



土壌を、

ヒトを取り巻く環境と思わず、

土壌をヒトと想定してみると、

土壌は有機的に結合していることがわかる。

DNA的にも、ものごとのあり方としての、

認識も。



土壌を育めるか。



いや、

土壌は腐っていないか?



土壌を救えるか?

救うとしたら、どのように?



日本という風土や、

環境にあった対応と手立てを講じ、

土壌を耕さないと、

長い冬の時代の到来が、

予見されるばかりだ。

 

批判は易く、

提案し改善する道のりは難く長い。

だからこそ、強固なものが出来上がり、

共鳴し力を発揮すると、

信じている。


 

“殴る”という行為     2008.11.22

  

ヒッティングという行為には、

爽快感が伴う。



ストレスを抱えて教室にいらっしゃった会員さんが、

サンドバックやミットを無心に叩いて、

帰るときには、つき物が落ちたように、

すがすがしい顔をされて帰っていくのを見るにつけ、

殴るという行為には、

代償と昇華が、

約束されている気がする。

たぶんそれは、動物時代の名残であろう。



だが、

殴る相手が

“ヒト”

となると、

話はガラッと変わる。



“ヒト”

“殴る”

ということ。



それは常に、

“恐れ”

“不快”

と共にある。



“恐れ”

をおして、

それを行使すると、必ず

“不快”

がつきまとう。



だからこそ、

わざわざヒトは、

ボクシングという競技を、

つくりルールをはめたことで、

不快をとりはらおうとしたわけだ。



30年、

ボクシングという競技にたずさわっているが、

ボクシング以外でヒトを殴るなどと考えると、

さらに

“恐ろし”

く、

“不快”

そのものだ。

それだけは、

変わらない気がする。



いや、正確に言えば、

“恐れ”

“不快”

を感じる感性。



この感性だけは守ってきた気がする。

いや、

もっと積極的に、

守らなければならない大事なことだと、

そう思っている。

ヒトとして死守しなければならないこと。

それを死守しなければヒトは、

“ヒトでなし”

になってしまう。

 

だから常に意識して自戒してきた。



“ヒトを殴る”

ということは、

“恐ろしい”

こと。



“ヒトを殴る”

ことは、

“不快”

なこと。

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もう一つ、

最近感じていること。



“ヒトを殴る”

という行為にはもともと、

“リミッター”

が存在している。

これは、

おそらく生まれながらにして、

持っている“生得的”なものだと、思う。



そしてそのリミッターは、

安易には、

はずすものではないと、

感じている。



もしはずしたときは、

それを正当化しない

“痛み”

を感じそれを、

“身に染みさせる”

それが必須だ。


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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081120-00000034-maip-soci

 

暴力を振るう小中学校の生徒が増えたという。

おそらく、

ヒトを殴る子どもの数パーセントは、

機能的なトラブルと抱えていて、

その他ほとんどは、

かつて身に起きたこと。

その模倣をしている。



ようは、

ヒト真似だ。



そしてこれこそ、

恐ろしいことだと、思う。

 

あまりにヒトに理由なく殴られ続けると、

恐れは麻痺し、ヒトを物のように殴る行為そのものが、

快感に転化されるからだ。



痛ましいことである。

その傷を癒すには、

膨大な

“抱きしめ”

が必要となる。



傷が風化する環境と出会いがないと、

将来彼らは、自らの子を、うさばらしに、

殴る。

自分の気に入らない第三者は加害する。

そんな人間を許容する社会は、

荒廃する一途だ。


ボクシングというトレーニングを通じて、

傷を風化させる手もあるが。



子どもの傷と闇を、

救う手立てを考えれば考える程、

暗澹としてしまう。


 


 

「ニーハオトイレ」 08.11.1

 

面白いね。



いや、

“面白い”

というのは、トイレのあり方が、でなく。

 

“恥文化の刷り込まれ方”

の方。



「ソロモンの指輪」



ヒトを含めた動物の衝動を感動的に紐解いた、

動物行動学者のローレンツが書いた、

良書ですが、

これを見ると、

動物の行動原理である刷り込みの多様性を、

疑似体験できる。



そして、

そこからヒトを眺めてみると、

“言語機能”

という大脳の変異を獲得し、

新しい行動様式を他種に先駆け、

唯一獲得したと思われがちなヒトも、

実は、例外にもれず、この

“刷り込み”

という行動原理に色濃く支配されていることに、

思い当たるところが面白い。



例えば、

カレーの匂いをかぐと、

よだれが出るところ。



これは他の動物と等しく同じ。

刷り込まれたら、

二度と変わらない反応と、

一旦刷り込まれても、

対照が変化することが可能な反応と、

もっと、高等な部分では、

強烈なアジデータの演説で、

理性が眠らされ、

暴徒と化すところなど。



こう見てくると、

人間の行動様式も、あくまで言語は表層で、

そのほとんどは、動物…他の種と同じく、

刷り込みによることが多い。



でね、

この

“ニーハオトイレ”

日常の生活様式、幼少の頃から生活レベルで繰り返された、

結果としての刷り込みであるが、

この特異性と強固さが確認できる、

オモシロイ記事だなぁと、感心した。



この文化的表層の無理解は、

実は、深刻な対立を引き起こす、

デリケートな問題だ。



鯨を食べる日本人。

イヌを食べる中国人。

アザラシを食べるイヌイット。



この批判と、反応を客体的に見ていると、

その根深さを知ることが出来る。



ようは、

トイレに敷居がないのは、

あたりまえだった、ということ。



そこに、

“古い”

だの、

“汚い”

だの、

“やばん”

だのという価値判断を持ち込んだ途端、

断絶と闘争というフィールドに、

問題が転化するところ。



だけど、

メディアの力は、

同時代と標準化を強力に促す。



で、

結果として、中国のトイレも、囲われた訳です。


そこから推察するとどうもヒトは、

理解より均一化に向かうらしい。



ここが重要なところ。

そして、今度は文化的な大問題、

“標準”

をどこにおくかになるわけだけれど。

それは次回にいたしましょうか。


 

航空幕僚長を更迭…論文で「わが国が侵略国家は濡れ衣」 08.11.1

 

 

問題は2点あると思う。



うち、危険な要素は、

この発言を、

パイオニアの行為と、喝采を贈る輩がいて、

同様の理念を持つメンバーと、

潜在的メンバーを結託させる、

きっかけになること。



アメリカで言うところの、

空軍大将が、

退職間近に職をなげうって投じた布石は、

世界同時経済恐慌前夜の今の状況を思うと、

大きな波紋を投げかけた楔として、

歴史軸に刺さり、

評価される時代がこないことを祈る。



また、

リベラルな私から見ると、

次なる問題、

世界における日本の立ち位置にも、

大きな楔を打ち込んだ。



シビリアンコントロールの頂点にいる、

航空自衛隊の幕僚長の思想の、

標榜。

これを世界がどのようにとらえるか?



この発言を日本のアナロジーととるのが、

自然な反応のように私には、思われる。



だとするならば、

その影響は、

内から眺めているより大きく、

多岐に渡る。



総括するなら、

市民生活との乖離。



政治がそれを加速させるならば、

極めて現状は、

第二次大戦以前のそれと、

似てる。



さて、

舵取りは、

如何に?


 

『クレオールの魂』 2008.10.21

 

伝統より誕生を選ぶ。

それが、

『クレオールの魂』そのものだ。

 

伝統は集団の存在意義に、

いずれ、取って代わる。

 

すべからく感情を安定させる、

共同体概念。

だが、

そこにセットで内包される、人間性の疎外の構図。

 

たとえば、

村八分にすることで、

結託する集団側の論理や、

異端をあぶりだすことで、

所属集団への帰属意識の高揚を確かめる、

それら全ての現象の根源である生得的な衝動を、

徹底して刈り込む。

これが、

『クレオール的な行為』だ。

 

共同体概念に対し、

「不潔感を感じる」

あえてそう揶揄した安部の足跡は、

上記の視点で検証すると、

類まれな実践者であったことが解る。

 

人間性を疎外しない、人の在り方。

同種殺戮につながる衝動を、

排除する選択肢。

 

『もうひとつの安部システム』という、

いわば究極の理論を、自身も実践した珠玉の晩年。

 

最近そこに思い当たった。

 

すると、

安部公房が発見し表明した理論が、

生きて立ち上がる。

じっくりもう一度、

時間をかけて、検証したいと、思う。

 


 

『 道 』 2008.10.21

 

閑散とした、

宴の跡。



拭うまもなく、

次の宴の、

準備の気配。



催し物に急ぐ背を、

不意に声が呼び止めた。

「おい」

見ると、

そこには、

今までに見たことも無かった、

細く続く道。



思わず息を殺して、

眺めていると、



これは道か?



疑念が沸いてくる。

それでも見つめていると、

かろうじて、

道のようにも、見える。



あれ?

突き当たりで、

なにかが、

こちらを見てる。



人のようにも見え、

人でなしのようにも、見える。



これは、

宴に続く道か?

それとも、

永遠に到達できない道か?



さて、

どうする?



それはもう、

簡単。



どちらか、

決めるしかない。



閑散とした、

宴の跡。



拭うまもなく、

また宴が迫る、緊張の気配。



足早に過ぎようと思ったら、

不意に声が呼び止めた。



「おい」



見ると、

また、

彼方へ続く道。



じっと眺めていると、

本当に道か?

わからなくなってくる。

それでも見つめていると、

かろうじて、

道のようにも、見える。



あれ?

突き当たりを、

なにかが、

横切った。



人のようにも見え、

人でなしのようにも、見えた。



一歩踏み入れたら、

永遠に戻ってこれないから、と。

絶叫のような木枯らしに似た、細いざわめきが、

ピュウと後ろへ。



しばし深呼吸。



静まると同時に始まった猛烈な、

空間の侵食。

 

考える。


これは、

宴に続く道か?

それとも、

永遠に到達できない道か?

さて、

どうする?



その頃にはもうなにも考えられず。

金縛りにあった意識が、

金切り声の答えを出す。

「それはもう簡単。

決めるしかない」



それにしても…



なんとも贅沢な話じゃないか。

この道を前にして。



ゆっくりと、

歩き出す。


 

『ニートの夜明け』 08.10.10

 

演劇は当方、

“シロウト”



けれど、

“役者の演技の質”

と、

“舞台という限定された空間の生かし方”

ということに限定すれば、

好みは実に、

ハッキリしている。



“ニートの夜明け”

というスローガンと、

役者に与えたセリフが邪魔になり、

印象がまとまらずにいた。



たまたま今帰宅し、

さて…とネットを検索していたら、

出演していた5名の役者の内の一人の、

ブログにヒットした。



その中に、

『コミックなスケッチとダンスを集めてみました』

というフレーズにあたった。



うん、

それなら、ぴったりと重なる。



ヒトの行く末の、

重厚なビジョンが立ち上がりながら、

希薄に霧散し、

消えていったサマは、どのように自分の中で消化されるか?



もう少し待ってみる必要がある。



大橋也寸はかつて、

『安部公房スタジオ』一からの創造 (國文学)

で、

安部公房演劇を評価した。

そこで断定した安部演劇に足りない部分を大橋はこの舞台で、

本当に実践的に解決するヴィジョンを明示しているか?



消化されたら、

今度はじっくりその評価について、

私なりの回答を書きたいと思う。



腰をすえて、ね。


 

『ひとつだけの花』 08.10.6

 

どこかの歌の下手なグループが、

ヒットさせた歌の歌詞がまた、

印象的だった。

“一人一人違ってよい

 この世にひとつだけの、

 オンリーワン”

確か、そんな歌詞だったと思う。



そんな歌を口ずさむ、

PTAのお母さん方を見ながら、

その実、やっていることといえば、

正反対な方向に、やっきになってわが子を修正し、

一喜一憂するその所作が内包する、

危うさと矛盾への、あまりの自覚のなさに、

驚きを通り越し、あきれるばかりだ。



“村八部”



は 共同体における、もっとも重い刑罰である。

暑さ寒さをものともしない、

驚異的な生命力の持ち主よりも、

衣服やクーラーを発明する頭脳の持ち主が覇権を征するのが、

人間の特徴である。



ヒトの歴史は、

いかに大多数を獲得し操作したか、

その争奪に終始してきたと言っても、

過言ではない。



そんな歌を口ずさみ涙するくせに、

帰宅し、まだ舌の根の乾かぬ内から、

わが子の、他の子どもとの足並みをチェックし、

気を配り、はやりに乗り遅れまいと奔走する。



そう、

ヒトの世では、

多数派イコール

強者そのものであることを、

彼女らは本能的に、知っているのだ。



事実安部公房が、

“死に急ぐクジラたち”

で指摘したように、

言語機能すら、その原理をトレースする。

(本当は、遺伝子を脳がトレースしているのだが)



言語機能は、

その特徴的なデジタル処理、

つまり意味の伝達と構築という、

集団を解体し、

理性的な判断を下す力より、

言語によって理性を眠らせ、

感情を高揚させ、集団化を促す力の方が、

圧倒的に歴史を創ってきた。



ヒトと歩調を合わせない。

独立独歩の道を選択し、

悔いなく進む。



それこそ、ヒトにとって、

困難この上ない、道だ。



この歌の気持ち悪さは、

そんな、矛盾の許容にある。



多数派にいる者たちは、

だからこの歌を、声高に歌うことで、

自らの言動と行動の不一致を、

後ろめたさを、

僅かに拭っている。



さて、繰り返すが、

マイクを放し、散会して家路に急げば、

歌って舌の根が乾かぬ内から、

わが子をねめ、

変な子でないか、チェックし、

多数派に乗り遅れまいと、

やっきになる。



ヒトと違うしぐさや行動をたしなめる日常。

だからこそ、

安部の、次のようなコトバが、

すがすがしい。

それらは、荒野への探索を実践した、

孤独な探求者の、

真実なコトバであるからだ。

『…本当の異端ていうのは、どの時代でも見えない形でいて、
 で、悪い時代がくると、これを草の根分けても異端探しが
 はじまるんです。根性叩き直してって時代がやはり、一番
 恐い。…そのこぼれたやつっていうのがどの時代にもいて、
 それが実は次の時代の牽引力になる。新しい文化の形成。
 それは異端からだと思います。だから新しい異端の発生が
 なかったら、文化は停滞する以外にない』

異端は伝統すら拒否し、あらたな誕生にかける。

その気概は実は、

孤高そのものだ。



さて、

本当の 一つだけの花

その我の命と、

その生かし方。



秋の夜長、

つらつら、

考えてみたい。


 

『大統領選と総裁選』 08.10.5

 

 

まったくもって、

それぞれの国のあり方を表出する、

象徴的なイベントだ。

 

過程をもとめて吟味するアメリカと、

蓋をして結果だけもとめる日本。

 

この気質の差こそが、

国の行く末を定めるシステムまでを、決定付けている。

 

実質アメリカでは、

選挙戦は1月から12月の一年間。

必然的に準備はそれ以前。



その過程を要約すると、

2月から6月にかけておこなわれる、

州ごとの予備選挙や党員集会の投票で、代議員を選出し、

非政権党では7月、政権党では8月に開催される全国党大会で、

過半数の支持を獲得した候補が党の大統領候補に指名される。

有権者が投票する一般投票が、11月の第1月曜日の翌日行われ、

12月の第2水曜日の次の月曜日、各州で選挙人団が集会し「選挙人投票」が行われ、

勝敗を決することとなる。



この間の決め手は、有権者の求めを柔軟にくみ上げ、

そのエッセンスを自分の思想・心情におりまぜながら訴え、

ライバルをしのぐコトバを表明することで、

世論の動向を我が風に変えることの、

長きに渡る積み上げが、求められる。



思想とそれを表現する演説、

いわゆる“コトバ”の編み方。

それも、徹底した、音声言語による支持の獲得である。



大統領候補が大統領になるまでの演説回数は、

数しれない。

政治思想、言語機能、機知、柔軟さ、

カリスマ性、包容力、イメージ。



個に、

大統領という強大な権限を与える代償として、

そのだけのリーダーシップを、

どのような状況でも発揮できるか、

あらゆる試練を課し、

その克服の仕方を注視する。



突然足元をすくわれ横転しても、

冷静沈着に的確な判断だ出来るか、

あらゆる批判や罵声を浴びせてかつ、

自分を失い誤った判断を下さないか、

横を向きかけた相手を、

どこまで粘り強く説得を重ねるか。

命より重い我が国と認識し、

時に自らを賭して、選択出来るか。

それらを期待を込めて注視し、

期待通り以上の付加価値を秘めた弁舌と態度に、

彼らは始めて喝采を贈るのである。

 

文字通り、タフでなければ、

到底つとまらない所業だ。



有権者は、注視し、吟味しながら、

一喜一憂を繰り返す。

まさに、その過程の“ライブ”が、

大いなるドラマの結末を左右しながら、

表出する。



だが、完璧なシステムと問われれば、

そうとはいえない。



確かに、聴覚言語の機能を損ねずに、

資格言語の精度や密度を付与するわけだから、

その演説は、聴覚言語の欠点を払拭する内容をしばしば、

兼ね備えているが、

聴覚言語の一つの特徴である、

“催眠効果”

によって、理性的な判断の及ばない刷り込みが行われてしまう危険性を、

孕んでいることは否定出来ない。

ベトナムやイラクなどへの、

かつて諸手を挙げて支持された侵攻が、

おびただしい流血を重ねた結果、

ようやく否定されるという、歴史的な反復を許すことは、

アメリカの選択的特徴と言える。



その点、日本の総裁選挙は、

まったく色合いをことにする。



まず第一に、

アメリカに存する一般投票が存在しない。



現在では、端的に言えば、

政党内の人気投票が、総裁を定め、

その総裁が一気に一国の内閣総理大臣に成ってしまう。

ここでは、政治思想・理念の表明によって、

国民に試される機会は皆無だ。



では政党内の人気投票を勝ち取る要素とは何か。



これは、一目瞭然。

思想信条ではなく、ましては、

人を魅了するタレントの競い合いでもなく、

世話になった、

面倒を見てもらった、

尊敬している、

彼の傘下にいれば、

発言力が保障されるという、

きわめて個人的なつながりに近い。



この過程やシステムを、

国民が吟味しない。

せいぜいなんとなく期待をもてるか?

世論調査に反映する程度だ。



ようは、

談合体質の標榜とそれを許容する民。


それこそ、総裁選のアナロジーと、言える。



国民不在から国民主権へ。



これは最低でもまずは、

システムの変更なくしては、

成り立たない話であろう。


 

 

『小泉 純一郎 回想』 08.9.28

 

 

小泉純一郎元首相が引退を表明した。



はっきりと自身の政治思想を主張する、

日本には珍しいタイプの首相だった故に反響も大きく、

氏の功罪を語る記事が一通り、

あらゆる媒体を飾った。



功罪は半々か?

まず私が目を惹かれたのは、

罪の部分の下記のような主張だった。



「小泉は地方を駄目にした」



本当にそうか?

私は、そうは、思わない。

彼が駄目にしたのは、

“地方”

ではない。

彼が駄目にしようとしたのは、利権である。

つまり、こうだ。



「小泉は、地方の利権を駄目にしようとした」

 

私の血縁・親族は、

圧倒的に地方自治に携わった者が多い。

父は都の官僚で、母方の叔父はK市の議長、

父の叔父は都議、従弟はM市議やH市官僚。

だから、私自身幼少の頃から、

耳に入る話といえば、その類の話ばかりだった。



ちょうど高度成長期、

都庁移転等に絡み、右から左、

上から下まで実に様々な方面から話が飛び交い、

自宅にまで聞こえてくる始末。



当然私自身の、進退や身の処遇に関しても、

特に、彼らが一線を退く間近の頃は、

官僚に上り政治家転進というルートへの期待は、

日々よせられてきたことを記憶している。



幸い皆今は老い、または他界し、

私自身本を出版し講演に出かけ、

コトバの研究やボクシング活動に傾倒する姿勢を見せ、

それらを理由に、彼らの期待から逃げ切れそうな按配であるが。



実は私にも、

主体的に真剣に、議員の道を模索した時期があった。

“このままでは、地方は駄目になる”

その、動機からだ。



原因は、地方自治に、

“パブリックな精神”

つまり公共意識が、

政治家のみならず有権者に根ざしていないと、痛感したからだ。



共存共栄的発展に不可欠な

“真の公共”

の実現には、

負担することで痛みを分かち、孫子のために世を治すこと、

そして自分の利益にそぐわなくとも、

あるべき公共を実現する思想に共鳴するバックボーンと、

行動として支持・支援する姿勢が不可欠だ。



だが、特に私に聞こえてきた政治家たちの姿勢は、

現職も含め

“後援者への利益還元活動家”

になりさがったソレであった。

つまり“カバン”のため、“カバン”を肥やす政治。



そんな訴えや圧力を、

父の横で日々、肌で感じていた。

そして残念だが、そんな風潮は、

一向に改善せず、現在に至る。



私自身、

“市議に出ないか?”

と打診を受け、呼び出された先で、

自分の政治思想や心情を語ると、

打診者は、驚き去っていくのが通例である。

まあ、当たり前であろう。

私の話(思想)には、

後援者への利益還元など、微塵もないのだから。



つまり、それが日本の政治の土壌だ。



では、彼ら(現職政治家)の活動は如何にして成り立っているか?

たとえば彼らは、

官僚から都市計画決定の情報を入手し、

支持者に流す。

支持者はそこの土地を買占め、利鞘をせしめる。

あるいは、事業や落札に便宜を働く。

その時振りかざすのが、

“公共”

という詭弁。



正直、やってられない。



地方官僚で絶望し、政治家に転身した叔父、

私は非常に尊敬しているが、彼なども、

パブリックな精神を追求するあまり、

幾度も火達磨になり、孤軍奮闘する姿を、

私は何度も見てきた。



パブリックな精神は、その実日本では、

有権者のアナロジーだと今、

確信している。

政治の悪さはイコール、

有権者の質の低さの証明にほか、ならない。

 


政治家はリーダーである。

研ぎ澄まされた弁舌で、

自身の思想を主張し、

支持を受け具現化し世直しする。



そういう政治家の少なさという点で日本は、

アメリカやスイスを圧倒的に上回る。

談合体質、護送船団という意味において、

派閥や世襲という意味において、

今の日本の政治は負に、突出している。



小泉純一郎が入れたメスは、

まぎれもなく、その土壌であった。

靖国神社の参拝への固執など、政治家としての資質を

問われる問題もあったが、それらを上回る元凶へのアプローチ、

そこに打たれ、私は喝采し支持したのだ。

だが一方で、

“どこまでもつか”

懐疑的であった。

やはり“案の定”だった。



彼は

“利権”

を壊しにかかり、抵抗を受けた。

その膿が当然のごとく経済に波及するが、

新たなシステムが立ち上がる前に、

ようは

“つぶされた”

のである。

 

既得権侵害がその身に波及することを危惧した、

地方の者達の声によって、だ。



幾度かブログやサイトで言及してきたが、

国民一人当たりの借金は、

今やすさまじい額に及んでいる。

彼のような“公共”意識を持つ政治家を引退に追いやり、

再び将来のわが子たちに、借金のツケを上乗せしてまでして、

甘い汁を吸いたいか?



“うん、吸いたい!”



自分の身の上に事が降りかからないと、

想像できない、有権者の発想の貧困さ。

人はどうでもよいから、自分の利益に。という、

意地汚さ。


11月上旬の総選挙以降、

そんな声を具現化する政府がまた、

誕生するであろう。



最後に、

毎日新聞の加藤氏が、

小泉純一郎の功績を、コンパクトにまとめていたので、

引用したい。

『…ブッシュ米大統領との個人的親交が基だった。

北朝鮮から拉致被害者を初めて救出したのも、

電撃訪朝で金正日(キムジョンイル)総書記と直談判したからだ。

個人の資質が国際舞台で通用した戦後まれな首相だった。

…欧米各国では今も「コイズミ・リフォーム(構造改革)」への評価は高い。

世界金融危機の中、日本の銀行・証券会社が米大手投資銀行に出資するほど体力を回復したのは、

小泉時代の不良債権処理など荒療治の成果だ』

                                  渡邊 聡


 

『ニートの夜明け』上演

 

元安部公房スタジオ、奈木隆制作。

構成、演出は大橋也寸。

10月9日(木)

開場は、18時30分からだそうです。

会場でお目にかかりましょう!渡邊 聡


 

『北京五輪男子サッカー総括』

 

何の話かと思ったら、

「谷間」

「谷底」になっただの、

OA不在が原因だの。

 

反町ジャパン

散々の言われよう。

サッカーは当方完全なド素人。

 

けれども、

いや、

ド素人だけに、

その言われようには、

何か、実態と整合性が取れていない、

釈然としない違和感が残った。

そこを言語化してみよう。



まあ、サッカード素人に免じて、

戯言とお許しいただきたい。



北京オリンピック初戦。

対アメリカ戦、

反町ジャパンのパフォーマンスに、

目を奪われた。



チーム“アメリカ”と比べて、

なんら遜色のない、

早さ、上手さ、

強さにである。



『おお、世界レベル』

そんな実感だった。



これまでのオリンピックでは、

明らかに個の資質での、

ポテンシャルの低さを、

一目見ただけで実感させられてきた。



どちらが劣っているか?

繰り返すがそれは、

素人でもしばらく試合を見れば、

明らかだった。



その印象は、

これまでのワールドカップでも感じてきたことだ。



三浦和や中田英?

同じだ。



遅い、

弱い、

精度が低い。



メディアの持ち上げようとは裏腹に、

あたかも彼等は、

世界との差を際立たせる

“象徴”

のように、ド素人には思えた。



例えれば、

ボクシングでは最も競技人口が多く層の厚い、

ミドル級において、

国内無敵の東洋太平洋チャンプが、

アメリカに出稽古に行くと、

プロ八回戦に遊ばれてしまうのとかぶる。



サッカーにおいて、

そんなド素人の率直な実感を、

始めて払拭してくれたタレントは、

小野、中村、そして“ルマンの太陽”松井。

目の当たりにした彼らの、

ずば抜けたqualityの高さだった。



さて、

北京オリンピック。



アメリカ戦で繰り広げられたパフォーマンスは、

限られたタレントに依存したそれらの世代とは又、

明らかに異なる様相を呈していた。


北京に出場した全ての選手は、

Skill、Speed、Physical、Mentalなど、

あらゆるqualityという点で皆、

他国のアスリート達と、なんら遜色を見せなかったという点が、だ。



その実感は対ナイジェリア戦でより確実なものに、

対オランダ戦では、確信に変わった。



特にskillと連携では、

頭一つ秀でている感があった。

細かいことは解らないが。



世界と伍して遜色なし。



Jリーグが発信した実がようやくここに結実し、

華開いた。



北京男子サッカーの収穫を、

そう評したい。



ただ…、

だからこそ、

もう一つ、

感じた日本サーカーの穴。



惜しむらくは、

その総括に尽きる。



それは、

決定力の、

なさ。



そこが、

卓越してしまっている。



シュートの精度といったディテールではない。

“点取り屋”

これが不在なのだ。

 

敵陣までの球運びは、

非常に優れているのにもかかわらず、

ゴールするチャンスを、

まるで皆が譲り合っているような、

シュートする機会を、

あえて複雑にしているような、

そんな不思議な感覚。



根本の体質気質から覆す、

そんな育成が必要だと感じた。

ド素人は言いたい。



求む!

ストライカー!!


 

『スタートライン』

 

闘いはここから始まる。

スタートライン

だが、闘いの土台は、
日々の練習の積み重ねのみが、造る。

関わる姿勢、
意識の高さ、
そのクォリティ、
コンセントレーション、
そしてイマジネーション。

それらの土台が、
闘いのパフォーマンスを裏打ちする。

さて、コーチの役割。

コーチは選手を制御すること。
選手の姿をもれなく映す、
良質な鏡を提供する、
もしくは自身が、
それになること。

そう私は考える。

だから、
選手が怠けていれば、
それがなにをもたらすか諭し、
選手がかかりすぎていれば、
いさめる。

それが出来て始めて選手は、
安心して、自分を何者かに押し上げる作業に集中できる。

野口みづきをスタートラインに立たせられなかった責任は、
コーチにあったと、言わざるを得ない。

特にオーバーワーク。

この、超一流のタレントを持つ選手の諸刃の刃を制御出来る術は、
選手にはないのだから。


 

『連覇の要因』

 

振幅の大きさが、

明暗を分けた。



谷亮子やブレンダ・ハンセンには、

これが圧倒的に少なく、

内柴と北島には多分にあった。

その差が、だ。



オリンピック・チャンピオン獲得後の、

連戦連勝。

それが下降を引き寄せ、

消耗を生む。



メディアはそれを挫折と謳う。

その方がドラマチックだからだろう。

だが、

勝敗を分けたエレメントは、

振幅だと思う。



あるいは、

オン・オフ

緊張と弛緩と言っても良い。


そうでなければ、

四年後に、

標準をあわせることは無理だ。


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大舞台でベストを出す。

その体験は刷り込み済みである。

だが、

タイトロープであることは、

本能的に察知している。



四年後、

余りに長すぎる。



だから、

モチベーションをまず、

放棄する。



それは、

極めて有能な対処だ。


ただし、

フィジカルトレーニングは、

継続する。

試合にも、

出る。



そして、

二年後に、

思い切りメンタルを落とし、

悪い結果を出す。

しっかり、負ける。

 

それを、

二年後の原動力に変え、

上り始める、

モチベーションに変えて。



そして、

フィジカルに、

メンタルを同調させ始めながら、

直前に完全同調させ、

オリンピック代表権をさらう。

その後はリープだ。



極めて有能な、

理にかなったポテンシャルの引き出し方だ。



そして優勝に必要な、

昇華の経験のフィードバック。



「準決勝では、力んだ。それを修正する」

これが、オリンピックチャンピオンの、

正当なアドバンテージ。

 

この大きな振幅こそが、

連覇を可能にする。

メンタリティの充足こそが、

フィジカルとの高位な同調を

唯一可能ならしめる。
 

 

最後に、

その振幅の大きさに動じず、

土壌を支え続けた、

旭化成と日本コカコーラに、

敬意を表したい。


『アメリカ論骨子 B』

 

悠久の歴史が証明する、

理性で衝動をコントロールすることの、

絶望的な困難さ。



帰属集団から発せられた、

集団化を促す言語機能によって、

理性を眠らされたヒトは、

動物では通常なし得ない同種殺戮をも、

容易に正当化する。



その大規模なフィールドワークを行う、

最も適した舞台として安部公房は、

オリンピックをあげている。

(渡辺格から養老孟司までの対談より)



東西冷戦後の、

人種や民族。

さらには多民族国家によるナショナリズムの頭角。



確かにナショナリズムの効能が、

いかに生理に根差した反応をヒトに引き起こすかを、

科学的に検証するには、今行われている、

世界規模の祭

…北京オリンピックの観賞時が最も適している。



そして、教育府における教育では、下記の場面

自国の入場行進
自国選手の奮闘
メダル獲得時
国旗掲揚時

における情動の働きと、

どこの、何に、どのようにその機能が、

いかなる質の影響を及ぼすか?

それらの検証及び、

その情動を理性化しえる言語機能の構築が行われ、

局在的な脳の臨床観察や、

表情筋や発汗や体温上昇を掌る自律神経系。

分泌されるホルモンの解析といった医学的アプローチと、

言語学、動物行動学アプローチが連携した科学的教育が、

それらを担うことなる。

そのようなアトラスを安部公房は描いていたと、

考えられる。

 


『アメリカ論骨子 A』

 

親のない文化からの考察

「コーラやジーンズの無国籍性と感染力は、

伝統によらない、あるいは学習によらない、みなしご文化」



「無国籍性と感染力」

は、普遍性と読み替えられる。

「伝統によらない、あるいは学習によらない」

は後天的な学習を排除した、生得的なプログラムを指す。

「みなしご文化」

は、Dビッカートンが規定した、クレオール発生の条件の一つをさす。

・・・よってコーラやジーンズの普及は、

 伝統に根ざさない原理が働いていることの 臨床的な証明となる。

 (チョムスキーの“普遍文法”と、ローレンツの“刷り込み理論”

  を理論の補強として導入を検討)
 
「アメリカ論の骨子」を親なし文化がありうるということに置いている。

その根底にあるものは、反伝統の生命力と魅力をもう一度見直すという動機。

「まじめな学者として突如書く」

「かなり長編論文になるはずだよ」

という言及から、出典を指して引用し、

あるいは注釈を入れる研究論文の体裁が伺われる。

動機から推察される執筆の目的は、

養老孟司が聞き手となったETV8の後編ラストの発言

「伝統拒否という姿勢が次の時代を担う、牽引力になる」

だけではおさまらず、ユネスコ円卓会議における基調講演の主旨、

「もうひとつの安部システム」の完成を目的としていることが推察される。

※今後の注意、普遍的を生得的と安部のように解釈する。

 科学偏重主義と捉えられないように、下記の点に注意。

 脳と遺伝子

 意識と無意識

 生得的と後天的を対に論をすすめる。


 

 

朗読劇「夏の雲は忘れない」そしてアメリカ論骨子@

 


府中グリーンプラザで

 女優たちによる朗読

 「夏の雲は忘れない」

 1945 ヒロシマ ナガサキ

を鑑賞。



13時30分に元安部スタジオの奈木さんと待ち合わせ、

朗読には元安部スタジオの山口果林さんが登場。

同じく大西加代子さんや元安部スタジオの方々も、

会場にいらっしゃった。



その表現形式にしか出来ないことに特化する。

そこを意識すれば、

舞台と朗読劇では自ずと発声もシンタイの見せ所も変るのだということ、

痛感した。



原爆被害者と

原爆加害者の手記、

ヨワイ五つの子どもの作文から、

成人の手記まで。



それらの体験が、

それぞれのコトバで語られ、

積み重なる。



重層的に語られるにつれ、

あぶり出し絵のように、

あらゆる角度や年代からの被爆体験を通し、

普遍的な

“被爆体験ということ”

と、

それがもたらす事象が、

浮き彫りにされる。



音声言語の効果は、

食べ物のように直に身体に、

取り込まれ刷り込まれるそれだ。



体験していない私にも、

今日の聴覚言語の、

重層的な体験を通して、

二度と繰り返してはならぬ歴史であることだけは、

身体のコアに直に、

刷り込まれた気がする。

 

特に、63年前に記された視覚言語を生んだ生理を、

聴覚言語で再現された山口果林さんの発声は、

圧巻の一言。

63年の長き歳月を一瞬でつぶし、

書き手の想いが込められた言霊として、

聞き手の生理に直接介入する。

 

安部システムの体現者として、

第一人者として、面目躍如というほかない、

鑑賞体験であった。



会場は、

年配の方々が多かった。

出来れば、

中学生から幼子を持つ親までの世代に、

この体験を共有してもらいたいと思った。



また、

言語発生の起源は、

聴覚言語といわれる。

では視覚言語の力は、

なんであろう。

そこを、

考えさせられた。



やはり腹いっぱい食べさせ、

あるときは号泣を促し、

腹を抱えて笑わせる生理を隆起させる、

視覚言語を編み上げる。



それは聴覚言語とはことなる、

コトバの配列とレトリックが必要となる。



刺激的な朗読劇であった。



言語は現実を攻撃し、

あらたな認識や体験を創造し、

あるいは深める。

言語機能の一面である、

クレオール発生がもたらす力、

その可能性の無限さを痛感した一日でも、あった。



舞台がはねた後は、

63年の歳月を眼前に引き寄せてくれた、

見事な声の持ち主を囲み、

しばし談笑。

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帰宅し、

頭を切り換える。

最近整理している、

アメリカ論の骨子について。

 

「もうひとつの安部システム」

は、

遺伝的衝動を抑制し、

脳が理解し制御した結果としての、

理性的な判断を選択するツールとして、

集団化衝動をたえず言語で検証し、

集団化の芽を刈り込む

“クセ”

をつけるための教育を施す機関を、

再編成するという構想が終着点である。

その安部公房の、

教育府構想(ユネスコ円卓会議にて)に対し、

その後アメリカ論に言及した安部は、

1 クレオールという、親から教えられたのではない言語発生 それを文化に広げる。

2 アメリカ文化の真髄はジーンズとコーラに代表される無国籍。

 モスクワ、北京も同じく着て飲む。

3 ジーンズやコーラスタイル、国際・無国籍スタイルは、結果的に伝統拒否の文化。 

 いわゆるクレオール文化である。

4 クレオールという学術的な概念を、わかりやすいことに置き換える。

というアトラスを語っている。

この帰結は、養老孟司との対談のラスト、伝統拒否という姿勢の発展系。

だが、安部は、科学者として論文を書くと言うと同時に、4のような発言もしている。

最終的にどちらに振れたか?

そのヒントは、昭和62年、1987年1月8日(木)の朝日新聞夕刊に掲載された、

異文化の遭遇 下 に見ることが出来る。

さらに、この上中下、そして新聞の余白に書かれた今後、異文化の遭遇は、

継続して連載する予定である旨の標記を見るにつけ、

その直後に雑誌に掲載されたクレオールの魂とあわせ、

これこそが、アメリカ論の絶筆原稿ではないか?と確信している。


『インタビューの予定』

 

安部公房は、

文学史上かつて、

誰もやったことのない試みを実践し、

成功を収めた作家だ。

 

言語を駆使して読者の中に、

現実と等価な“もう一つの現実”を創造し、

実体験と同等に体験させるという、

前人未踏な試みは、

“言語で編み上げられた、意味に還元不能な大伽藍”

「密会」

に結実する。

 

現実体験のような読書体験を企てた初の集大成。

だからこの作品は、

現代文学における金字塔だ。

 

そんな希有な試みを、秀逸のインタビュー&エッセイ集

「都市への回路」

で、これまた希有なことに、

安部公房自身が、

自分の言葉で語っており、

研究者にとっては、大変貴重な文献となっている。

 

その論証が、当サイトの

「小説家安部公房論」

であるが、

この同時期、安部公房は演劇においても、

歴史上初めての企てを実践し、

成功を収めている。

 

言語を排除した生理による伝達。

安部公房システムによる、

前人未踏の演劇的成果を本場に見せつけた、

安部公房スタジオによるニューヨーク公演。

 

この貴重な成熟期に、

安部公房スタジオのアクターとして、

参加されたメンバーの一人に、

奈木 隆さんがいらっしゃる。

来週その奈木さんに、インタビューする機会をいただいた。

“安部公房ゼミに入る、ということ”

特に、

“安部公房スタジオの一日”

を、作品作りの時期〜佳境を経て、上演前夜への変化を含め、

お伺いしたいと思う。

インタビューはサイトにアップする予定。

私自身、大変に楽しみだ。

奈木 隆さんが出演された作品は、下記のとおり。

 1977.6.3 イメージの展覧会(音+映像+言語+肉体=イメージの詩)

  初演・池袋・西武美術館

 1977.11.5 水中都市(ガイドブックV)

  初演・渋谷・西武劇場

 1978.2.17 ダム・ウェイター

  安部公房スタジオ再演

 1978.4.23 人命救助法

  初演・安部公房スタジオ

 1978.6.3 「人さらい(イメージの展覧会U)」

  初演・西武美術館

 1979.5.4〜24 「仔像は死んだ(イメージの展覧会V)」

  セントルイス・ワシントン・ニューヨーク・シカゴ・デンバー

 同時期には1977.12.5「密会」を新潮社より刊行。

 1978.4.1「都市への回路」刊行

 


 

『のれん』

 

銀座の鮨屋、
きよ田

その主人、
新津さんが河岸をくぐるのは、
おおよそ上品がひけたあと。

おもむろに別室に入る。
そこには、
クロマグロが一尾、
鈍い光をたたえて横たわる。

卸の大将、無言。
新津さんも、無言。

「・・・いいね」

大将の顔が、
ふっと弛む。

この一尾。

新津さんのために選りすぐれられた、
市場一の目利きによる、
市場一の逸品。

そういう一尾が入荷すると、
それは
きよ田のために、
取りおかれる。

とどのつまり、
札を詰んでも、
手には、入らない。

川端康成が、
行儀良く鮨をいただき

無頼漢で花板泣かせ、
大師匠である、
石川淳が賛辞を贈る。

それこそ、
“のれん”
の成せる技だ。

時に揶揄されるほど、
頑固を貫き、
培った振る舞いには、
妥協を許さない。

アラン・サンドランスに、
「リッシュなコンソメ」
とリクエストして出てきた
透き通る黄金色のスープ。

ルキャ・カルトンでは、
この一杯の仕込みに、
何昼夜の手間と時間を掛ける。

手間を惜しまないからこそ輝く、
一点のくもりなき逸品。

一口すすり、
満面の笑顔
“美味しい”
のひとこと。

メートルド・テルは、
そのひとことに、
心をこめてうやうやしく、
お辞儀をする。

それこそが彼らの、
“誇り”
の証たる姿である。

「日本から、貴方のムニュを
食べるために、フランスに行きます」

とたどたどしく話した私を、
アルページュのパッサーは、
自ら軒先まで出向き、
力強い握手で迎えた。

なぜならそれは、
彼らが一番、
“守りたいもの”
だからだ。

誇りと存在を賭け、
歓喜と戒めをもって守るもの。

それが、
“のれん”
である。

いろいろな、
言い訳や、
方便はあるだろう。

けれど、
物事には、
超えてはならない、
一線が、
ある。

船場吉兆よ、

度がすぎるぞ。


 

『刀と鞘、研ぎ石』

 

刀を
“固体の意志”
と仮定する。

すると、
鞘は、
なんであろうか?

また、
砥石は?

砥石は、
さしずめ、
知識であろう。

これは実は、
川の流れのようなものだ。

時代という水に洗われ、
耐えず流動する。
だから、
幅広く目配せしながら、
時に深く取り入れる。

この目配せ、
いわゆる嗜好を自覚するまでに、
相当な試行錯誤が必要となる。

だから、
学校というシステムが用意され、
強制されるのであろう。

嗜好という発芽が、
固体に根付き宿るまで、
インプット

アウトプット
を繰り返す。

そして、
天につくほど、
たおやかになり、
しなやかな枝と、
強靭な幹が育まれるまで、
繰り返される。

では、
鞘はなんであろう?

これは、
教養のように、
思える。

川をザルで掬い、
残ったもの。

それらを蓄えて、
時間という荒石の研磨や風雪に耐え、
なお、
残ったもの。

これが、
剥き身の刀をくるむ。

総称すれば、
“アイデンティティ”
に包括されよう。

そして、
刀。

斬る為にある。

では、
なにを?

いや、
まてよ。

本当に、
斬る為だけに、
あるのか?

抜かない為に、
砥ぎ、
鞘でくるむ。

けれど、
刀は斬るものだから、
殺生がつきまとう。

それが、
自然界に動物として産まれた、
人間という種の宿命なのかもしれない。

では、
斬るために抜く時には?

生かすために、
斬りたい。

斬るものは、
人とは、
限らない。
あらゆる概念や、
観念、
物が対象になる。

その在り様。

さながら、
身体という自然を、
時に守り、
時に尖兵となる、

“コトバ”

に似てる。


 

『有用ということ』

なぜ、
学校に行かなければならないのか?

答えは簡単だ。

学校は、
社会にとって、
出来るだけ有用である人材づくりのための場だからである。

だから、

“いけ!”

と繰り返し、
耳タコが破裂する程、
言われる。

その中で、
君たちの周りの大人は、
繰り返し君たちに強いるのだ。

“協調性がなくてはいけない”
“仲良くしなくてはいけない”
“皆と同じように振舞わなくてはいけない”
“人に迷惑かけてはいけない”
“人を傷つけてはいけない”
“有用でなければならない”

当然社会に解き放たれる前のトレーニングだから、
社会の部分に比重がかかる。

そこでなお、
個が社会に対し献身的に働いて、
より大きく
“貢献”
やら
“富の分配”
やらを、
もたらすことができる人材を選別するように、
実に様々な尺度が持ち込まれる。
“偏差値”

“学歴”
と呼ばれるものだ。

社会の要請に、
たちどころに模範解答を提出する
良い子ちゃん造り。

当然、
出来の良い子、
よく我慢して結果を出した子には、
それなりのご褒美が用意されている。

人の性の一側面である
“虚栄心”
を満たすもの。
それが、
○○大学やら、
○○
××省といった、
ブランドだ。

おしなべて獲得したブランドが大きければ大きい程、
標準よりいい生活、
安定した収入、
うまいもの、
いいグッヅ。
そういった、
品々がほどこされ、
さらには、
選別指向をくすぐる、
“持ったものしか立ち入れないコロニー”
への通行手形が発行される。
もちろん、
それは
“期間限定”
の手形だが。

確かにコロニーの一員たることで、
モチベーションや精神的安定等、
満足度も与えられる。

だが、
皆は到達できないんだよね〜。
当然だが、
社会の都合で、
種種雑多な
“フルイ”
にかけられる。

それが
“ヒエラルキー”
と呼ばれるもの。

だから、
コロニーにしがみついたら、
必然的に実力とは異なる、
コロニー内の競争原理に、
組み込まれる。
これは、
際限がないんだよね。

そしてもたらせる満足感も、
意外とありきたりだ。

“優越感”

と呼ばれる、
それ。

じゃあ、

“そんなのカンケーネー”

そう息巻いて、
耳タコの肥大化に耐えられず、
緊張感に耐え切れず、
自らとびおり、
個に閉じこもるとどうなるか?

当然憂き目にさらされ、
君たちの自由がきく環境は狭まる。

社会からの分配が少ない、
という憂き目だ。

収入やポジション、
評価、
そういった分配が、
“少ない”
もしくは、
“与えられない”
という結果。

子どもが誰しもアコガレる芸能界などは、
それが最もわかりやすい、
極端な世界だ。

視聴率、
販売枚数勝負だ。
質より人気が、
優先される。

キャーキャー言われ、
もてはやされるだけではない。

高位置をキープしている芸人は、
一国の主たる処遇である。
送り迎えつき、
痒いところは、
下僕がかく。
車のハンドルを握ることもない。
財布も、
持たなくていい。

けれど、
視聴率が下がり、
売れなくなると…、

慈悲もない。
おっぽりだされる。
仕事を請い、
木っ端な仕事のために、
何時間も待つ。
あざ笑われる。
そういうことに、
なる。

で、
本日の本題。

“どこで満たされるか?”

そこをまず、
見極める目を育みなさいと、
いうこと。

それには、
君自身を凝視しなければならない。
君自身を、
いろいろな鏡(他者)に映して、
君自身のサガを、
教えていただかなければならない。
そうして、
君がどういう性向の人間か?
良く知ることが、
最も大切、
ということだ。

鏡は出来るだけ,
映った姿を客体化しやすい、
良心的なものが良い。
悪しき鏡に映る姿もまた、
君の一面だけど。

これは、
誰も教えてくれない。
特に、
“学校”
といわれる場では、
場合によっては、完全にそこを、
無視する。
だから、
書く。

本来は、
身近な者が、
我が子を、
“社会の都合”
という高波から庇護してあげなければならない。
でも親自体が高波にもまれアップアップしていると、
庇護がなされない。
逆に鞭を振るって、
叱咤したりしすぎる。

そうされると子は、
自分を切ったり、
クスリを打ったり、
自分を売ったりして、
確認せざるを得ない。

いわんやその行為を、
誰も責めることなど出来ないと、
思う。

“君のせいではないよ”

そう伝えたい。

社会の都合、
いわば原理、
それは常に隅々まで流通している。

けれど、
それは、
個の幸せを、
完全には担保できない。

だから、
社会に貢献しもたらされたモノだけで、
己は幸せになれるか?
吟味するクセを、
つけて欲しい。

叫んでよいんだよ、
“そんなのケンケーネー”
って。

“社会という大海原に生まれた、
孤独な人”

それが人のアナロジーで、
“どのあたり”
のポジションが、
君に、
より多くの実感としての幸を、
もたらすか?

そこを、
見極める目を養って欲しい。

人の評価が気になる方に針が振れれば、
謙虚に努力し、
名誉を守りなさい。

水が肌に合わず侵食されるなら、
一思いに、
かなぐり捨てなさい。

そこを見極め、
己を養う。

そのための、
あらゆるトレーニングを通して、
自分という掛け替えの無い存在を、
よく見極めて欲しい。

自分をいつくしみ、
大切にして欲しい。
なにより自分を、
愛して欲しい。

“人の価値は、成績なんぞではきまらない”

そう言い続けてきた爺の真意は、
そこにある。

良いんだよ、
えらくなっても、
えらくならなくても。

大切なことは、
評価や、
賞賛や、
地位や名誉では、
満たされない、

有用であることだけでは埋らない、
君だけのオリジナルな、
宝石にみまがう、
温かで輝けるコア。

そこに触れる者、物を、
見出し、
その光の土壌である君自身を、
大切にして欲しい。
その光は、
他者をも潤すから。

ね。

他者と触れ合い、
自然とふれあい、
栄養や滋養を注いで、
“アイデンティティ”
と呼ばれる樹を、
大きく咲かせて欲しい。

それが今日書き、
伝えたかったことです。

そうして顔を上げてみると、
先に別れ続く、
いくつもの道が見える。
風雨はあるよ、
怪我もする。
けれど君はもう、
治す術も、
治癒の方法もわかっている。
予防もね。

ほら、
今君は自由に道を選び、
歩くことが出来る。

それに今度は君が良質な鏡になって、
社会の君と社会を、
より双方が生きるように、
結び付けることができるんだ。

そこにもまた異なる、
新たな醍醐味があるよね。

ヒトを生かすことは、
君自身の生を強化する。

そしてその都度その都度変化する、
在りたい自分に向かって、
自分をデザインする。

そこまでくれば、
あらゆる君をとりまく壁が、
実は壁でなかったことがわかる。

時が無限のように、
君もまた、
無限だ。

大切なのは、
君の在り様。

わくわくするよ。

ほら、
君の前に、
世界が広がる。


 

 

『斎藤茂吉と鰻』 

 

北杜夫が、

父斎藤茂吉を語ったくだりで、

非常に印象に残った逸話がある。

アララギ派を代表する歌人だった茂吉は、こと

“鰻”

に対し、

異常な程の執着をもっていた、

というくだり。



茂吉の鰻に対する執着は、

好きという次元を超えて実に強く、

度を超え常軌を逸した


“すさまじさ”

が、

あったようだ。

 

おりにふれ、

茂吉が鰻にタイジする、

そのシセイ。

彼は、

それを子に食わせない。

鰻を食らうなぞ、

100年はやいと、

断じ、

決して子の欲求を、

省みない。



最上級の鰻重が斎藤家に運ばれる、

そのたちぼる、

かぐわしくも香ばしい独特のかおり。



うやうやしく運ばれる、

鰻重。



仕方がないから杜夫は、

食べることをあきらめ、

せめてと、そのかおりから、

いろいろにその味を夢想する。

そして、
 

名店から取り寄せた

“鰻重”

が届くと、

茂吉はひとり、

鰻と部屋にこもる。

 

部屋にひとり、

鰻とこもり、

鰻と対座し、

まず鰻を愛でる。

 

そのまなざし。



そして、

うやうやしく箸をつけ、

押し頂くわけである。

 

杜夫と、

杜夫の兄、

府中、斎藤病院の元院長でエッセイスト、

茂太は、

そんな光景をふすまの隙間から、

息を呑んで、

見つめる。



茂吉は、

箸で鰻重からすくい、

はむ。

はむ。

すると、

食べたそばから、

みるみる茂吉の顔に赤味が射し、

生気がみなぎるそうである。



むろん杜夫は、

鰻にフクザツシゴクな心情を抱く。

 

嫉妬、

怒り、

羨望、

憧憬、

執着、

そして、

愛情。



ウナギコンプレックスはまず、

彼ら兄弟が、

ダントツ日本一だろう。



もちろん自分で稼げるようになって彼等はまず、

鰻をくらった。

くらい、

くらい、

くらい尽くしたそうである。



そんな頃には、

茂吉に老いが忍び寄る。

二人が医師として、

作家としてエッセイストとして、

世に出た頃には、

茂吉もすっかり弱り、

床についた。



ある日、

弱った父を想い、

逡巡していると、

突如として

“鰻”

の存在がポンと、

頭に閃いたそうな。



そこで、

ためしに杜夫は、

鰻重の特上をとって、

病床の父に出したそうな。



すると…



すると、

まず、

茂吉の目に、

生気の灯火が宿る。

 

そしてなんと、

茂吉は床を離れ、

その身をシャンと、

起こすではないか。

 

我を忘れ、

鰻を愛で、

そして押し頂く昔とおりの茂吉。



すると…



茂吉の肌が、

薔薇色に映え、

みるみる生気が蘇ったそうだ。

 

みまもり驚き、

見つめる杜夫。



しばらくして、

茂吉は夭折した。

 

終わりをしめくくった杜夫の言葉がまた、

ふるっていた。



杜夫によると、

茂吉にもまた、

鰻を腹いっぱい食べたいと欲しながら、

一口も食べれなかったトラウマあったそうだ。



そんな過去に思いを馳せ、

鰻を愛で、

押し頂く。



そんな亡き父を思い出し、

杜夫もまた、

鰻を、

おしいただく。



なんと素敵な、

豊潤で、

想い溢れる

“食”

であることか。



食、

味覚。



これもまた、

そのありがたみを知れば知るにつけ、

人を生かす。



つれつれそんな事を思い出しながら、

わが身を振り返った。



私にとっての鰻はなにか?

それが今宵の、

我が夕食の献立。



ビフテキ。

 

付け合わせに、

赤ワインとサラダ。

一切れのバケットにフロマージュ。



疲れた時、

ハードな仕事を終えた時、

一年の総括の時、

私はこれを愛で、

食す。

すると生気が、

この身に宿る。

なにより代替がきかない。



鮨や鰹のたたき茶漬けや、

骨付き子羊もいい。

鴨のオレンジ煮や釜玉もオツだ。



けれど、

我が身を蘇らせるには、

他では代えられない。



貴方にとっての

私にとっての

“鰻”



あってもいいと、

思ったりする師走。



なぜビフテキなのか?



それはまた、

次の話しに、ね。


 

「忘れ得ぬ手紙」

 

突然我が家に、

おおきなダンボール箱がひとつ、

届きました。

あっけにとられ、

中を開けると、

完結したての、

新潮社発行、

安部公房全集全29巻が入っている。

貨幣価値に換算すると、

16万超のものです。



この中にしたためられているコトバの価値はそれこそ、

お金になどは、

とても、

換算できない。

 

前人未到かつ還元不能な領域を、

鮮やかに言語で描ききった、

正に宝の山。

そしてその宝の山には、

一通の手紙が添えられておりました。

 


“こんな便せん一枚で、感謝の気持ちを伝えなければならないのには
 情けない思いがします。
 研究者の皆様に、全集を役立ててもらえたら幸いです。”


あっと、

思い当たりました。



私は著者研究者です。

安部公房に師事した後、

本を書き、

論文を書き、

安部文学の価値や、書き言葉の力、

魅力に関し、話をしに行ったりします。



ある日メールがきました。

研究者や学生からのメールは珍しくありませんが、

ニューカマーさんからの、

メールでした。



そのメールによると、

引っ越さなければならず、

安部全集は手に余るので、

受け取ってくれないか?

というものでした。



私はてっきり、

絶版になった安部公房全作品かと、

思いました。

ちょっと、考えて、

返事をしたのです。

“自分がもらっても、お金のない、
 無名の研究者の明日の為に、それを
 提供してしまうかもしれない。
 それでも貴方様がよろしかったら、ありがたくいただきます”

と。



それきり、

不肖にも私はその申し出を、

忘れていたのです。



どうすればいいだろう



しばらく私は、

その場で、

逡巡しておりました。

 

余りに価値があるものですから、

お返ししようかとも、

考えました。



けれど、

引越し先の住所すらもう、

わかりません。


 

それから何年か、

月日が過ぎました。



その後、

それまでにも増して私は、

様様な若き研究者たちに、

有形無形の援助を続けてきたつもりです。

しかし、

誰一人として今日まで、

安部全集の提供を打診してくる人は、

おりませんでした。


 

結果、

全集はダンボールに入れたまま、

至りました。

そこに新しい話がありました。
 

人生の大先輩から、

暇が出来たら読もうと思ってそろえた、

本の数々を本棚ごと引き取って欲しい、

という話です。



見せてもらいにお邪魔すると、

筑摩書房の

現代日本文学大系 全97巻

河出書房の

世界文学全集 全100巻

中央公論社の

日本の歴史 全25巻

世界の歴史 全17巻



再び貴重な、

宝の山の数々。



私自身、

かなりの読書家をもって、

任じております。

これらの半分は読んだことがあります。

が、

半分は読んだことがない。



本は財産。

遠慮なく昨日、

レンタカートラックを借り、

息子と娘をお供に、

ゴトゴト走らせ、

貰い受けてきました。



現代日本文学大系 全97巻

一旦収めてから、

思いなおし、

一番見やすい二段を開けました。

そこの一段に、

拝借している安部公房全集29巻を、

収めました。

その下に、

死に急ぐ鯨たち 安部公房
都市への回路 安部公房
カミとヒトの解剖学 養老孟司
唯脳論 養老孟司
言語論 ノアム・チョムスキー
言語のルーツ デレック・ビッカートン
そんなバカな 竹内久美子
利己的な遺伝子 リチャード・ドーキンス
群集と権力 エリアス・カネッティ
眩暈 エリアス・カネッティ
日本人の脳 角田忠信
私の名はリゴベルト・メンチュウ 同書
犀 イヨネスコ
裸の猿 デズモンド・モリス
オリエンタリズム サイード 
等々

私の血肉や骨格になった、

師からの課題図書などの、

秀逸の作品たちを並べました、

拙書も添えて。



いただいた安部公房全集、

そして、

他の全集たちを見ていると、

考えさせられます。



私はこれほどしていただいたように、

ヒトにお返ししているのだろうか?

残念ながら、

判らない。

自信を持つには至らない。



そして、

内なる声は、

まだ続きます。



私はそれらに宿る想いや心に、

報いているだろうか?



いや、

もっと大切なこと。



なにより、

自分という素材を、

自分が納得できるように、

心ゆくまで、

余すところ無く、

悔いなく、

生かしているだろうか?



想い。

そして、

志。



まだ足りない。

しかし私もまた、

そうありたい。

そう、

強く願っております。

自分の血肉に必要不可欠な、

この上ない豊かな栄養を糧に、

新たな自分に向かって、

心血を注ぎたい。

それが私の、

想いです。



豊潤でこの上なく贅沢な、

志のリレーを、

ありがとうございます。

心新たに、

沸き出る決意を今、

かみしめています。


 

『椎間板ヘルニアが治った!』

 

 

おのでら先生をご紹介します。

 

4月より7月まで3ヶ月とちょっと。

重度の椎間板ヘルニアを患った私は、

文字通り、苦しみ続けました。

 

整形外科に通いMRIで確定診断された後、

牽引と投薬を受けながらも、

左足の痺れと痛みはいっこうに回復せず、

休みがちに仕事をこなしながら、

帰宅後、

土日祝日は、

全てフトンの上で、

安静に過ごしました。

 

それでもまったく、

良くならない。

 

7月に入り私は、

とうとう手術と、

さらなる闘病生活を覚悟しました。

 

そんな矢先、

鳴かず飛ばずの私を、

画家の石原智是さんが心配してくださり、

自身の指の痺れを治してくれた、

おのでら先生を紹介してくれました。

 

今でもはっきり覚えています。

それぞれ自己紹介を終わらせた後、

「手術はされましたか?」

と先生は聞きました。

「いえ、まだです」

と答えると、

満面の笑みを浮かべた先生。

「よかったですね〜。それなら必ず、

治りますよ」

と、仰ったのです。

 

それが叶ったら、

どんなに喜ばしいことか!

先生に会ってみれば誰でも感じると思いますが、

どう見てもおのでら先生、

大言壮語を言う方には見えないんですよね。

 

そして・・・。

週二回、

四週間です!

 

週二回、四週間、計8回の施術で、

重度の椎間板ヘルニアを患った私を先生は、

完治に誘って下さいました。

 

あん摩マッサージ指圧師の国家資格を有するおのでら先生は、

東京の東中野にある椎間板ヘルニア専門の治療院、

“あらい治療院”

http://tsuikanban.com/

で7年間修行をされた後、

独立されたそうです。

 

おのでら先生の師匠、

あらい先生の最大の功績は、

なんと言っても、

“バランス・オペレーション”

という、

筋肉のねじれをとる方法を、

発見し確立したことに尽きましょう。

 

ご存じの通り、

椎間板は、

ドーナッツ状の、

腰椎やせき髄の間に挟まれている、

クッションです。

 

ドーナッツ状の硬い繊維輪は縦の圧力には強く、

ねじれに弱いそうです。

ねじれが続くと、

硬い繊維輪に亀裂が入り、

亀裂から、

中に入っている髄核という液状の軟骨が飛び出し、

背中の神経を圧迫する・・・、

これが椎間板ヘルニアの症状です。

 

西洋医学においても、

なぜ椎間板ヘルニアが発症するのか?

その原因は明らかにされておりません。

手術と、その予後の状態を統計化し、

今では、

神経がヘルニアに耐性を持ち、

痛みや痺れが治まるまで、

ブロック注射などを施しながら待つ。

もしくは、

ヘルニアが溶けて無くなることを待つ

という保存療法が一般的です。

 

ヘルニアがひどく神経を圧迫し、

手術と、予後のリスクを上回った場合のみ、

手術をするそうです。

 

椎間板ヘルニアに関しては、

西洋医学のアプローチは、

投薬と手術しかないのが現状です。

内服・ブロック注射

オペ。

つまりそこには、

治療という行為が完全に欠落している。

それは3ヶ月を養生に費やした私自身、

最も痛感させられたことでした。

 

では肝心の、おのでら先生の師匠、

あらい先生が確立した治療は如何なる手技か、ですが、

やはり、ヘルニアに直接アプローチして、

飛び出したヘルニアを引っ込めるわけではありません。

それは、幾つかの事実に裏打ちされた手技だそうです。

その事実を要約すると、

 

1 多くの方が頸椎・腰椎ヘルニアを患っているが、症状が出ないままの人が多い。

2 頸椎・腰椎ヘルニアの患者に整体を施すと、悪化する。

3 痛み、痺れの原因は、炎症である。

 

となります。

 

そこであらい師匠は、

髄核がとびだす原因となる筋肉のねじれをとる、

いつでもどこでも出来る、

バランス・オペレーションという簡単な運動に、

指圧・マッサージと、

アイシングで炎症を抑え、

テーピングで炎症を緩和させるという手技を織り交ぜ、

完治させる方法を確立したそうです。

 

さて、

私が受けた施術ですが、

今思うと、

大変に贅沢な施術です。

 

火曜と金曜の六時から、

おのでら先生の治療院で受けたのですが、

帰りは、7時30分を回ります。

 

まず背骨の曲がりを確認しながら、

おのでら先生の、

矯正を受けながらバランス・オペレーションにより、

筋肉のねじれをとります。

 

つぎに、

仰向けに寝て、

副交感神経を刺激するツボの指圧。

腎臓、膀胱、腰等の筋肉を緩めるツボの指圧。

左右の血液の流れ、

気の流れを整える指圧。

脛から足首、腿の指圧・マッサージ。

その他その日必要な指圧・マッサージ(症状の緩和状態にあわせて変わります)

 

うつぶせになり、

腰・臀部・腿へのアイシングと、

足の裏のツボの指圧。

ふくらはぎ、太腿のマッサージ。

頭部への指圧。

 

最後に、症状の出方を確認しながら、

症状を緩和させるテーピングを施し、

一時間半の施術が終了します。

 

初回。

すべてが終わって私は、

4ヶ月ぶりに、

左足の痺れから、

解放された自分を体感しました。

 

それでも当初、

週二回という回数に不安を覚えました。

 

火曜から金曜まで、

痺れと痛みがぶり返したらどうしよう、

と思ったものです。

 

けれども、

先生に出された自分で出来る予防法、

バランス・オペレーションの運動を日に五回。

バランス・オペレーションの後に、

15分間のアイシングを実践し、

そして、

マジックのごとき、

先生のテーピングの効果が、

すぐに安心をもたらしました。

 

ちなみに、

テーピングは、

炎症と皮膚の間に隙間をつくることが

目的。

隙間をつくることで、

炎症の治癒と、

痛みの緩和が促進されます。

 

週を追う毎に、

痺れはきれいさっぱり影をひそめ、

痛みは足の先へとさがって、

緩和されていきます。

痛みと痺れに比例するように、

テーピングの範囲も狭くなっていき、

今では申し訳ない程度に付いているだけです。

 

今日の時点で、

椎間板ヘルニアの症状は完全になくなり、

左足の臀部の、

筋肉のひきつりや痛みが若干残る程度です。

 

あと、週一回の施術を二回受け、

全て完治の予定。

 

長文におつきあいいただき、

ありがとうございました。

 

もし貴方が椎間板ヘルニアに悩んでいらしたら、

おのでら先生をご紹介します。

skkaw@yahoo.co.jp

 http://blogs.yahoo.co.jp/skkaw ここでも紹介しています。

 

快癒の感動、驚き。

再び手に出来た健康の価値、

喜び。

貴方にもぜひ、体感して欲しいです。

 

場所は東京の八王子というところですが、

週二回で三週間から一月。

手術経験さえなければ、

完治を、先生が、

約束してくださいます。

 

 

 


 

 

『腐るな、小野伸二。

まぎれもなく君は、世界に誇る、日本の至宝』

 

しょせん予選は、

予選だ。

きらめくシュートも、

華麗なパス回しも、

歴史の前に、

藻屑と消える運命にある。



ワールドカップドイツ大会の、

歴史創りは、

今夜、

幕を切って開ける。



階段を上るたび、

ロープはタイトになり、

しかし、創造されたエレガントなシーンは、

エンブレムのように、

歴史にその姿を刻むこととなる。

そして、

その先のさらなる高みに、

ゾーンが存在する。



ペレのオーバーヘッド。

マラドーナの神の手、そして五人抜き。

神々しいまばゆさの中、

決して色褪せない、

伝説の数々。



日本で、

限られたフィールドを突き抜け、

ゾーンに至る可能性を予見させる、

そんな天賦の才の持ち主、

小野伸二。



まぎれもなく全盛期の今大会において、

君にその機会が与えられなかった、

その先見の明のなさに、

私は絶望している。



だが、

苦難や逆境を、糧とするのもまた、

超一流の証である。

だから、

伸二よ、

くさるな。

怪我や故障に細心の注意を払い、

前だけ見て、突き進め。

君はまぎれもない天才だ。

四年後、

日本の至宝となって、

世界を、

席巻してほしい。

それまでまた、

ぼくは楽しみに君を

応援し続けるよ。
 


 

 

『V フォーヴェンデッタ』

 

言葉には、

集団化を促す機能と

個別化を促す機能という

相反する機能がある。



集団化を促す機能は、

古くはナチス

最近はウガンダ

コソボ

ボスニア・ヘルツッエゴビナ

などで起きた大量虐殺の導火線となり、

理性を眠らせ、洗脳を施す際、

その力を発揮され

個別化を促す機能は、

主に学問や研究成果に反映される。

法律が良い例。

『人の立場に立って考えてね』

『暴力はいけないよ』

いわんや

『人を殺めてはならない』



誰もがこの、

個別化を促す機能の象徴たる、

『教育』や『躾』

を幼少より受けてきたはずだが、

さて、現実は如何に?



どうも、

集団化を促す機能

を抑止する手段の確立は

不成立に思われる。



歴史は繰り返されるから。

 

安部公房は、

この問題の解決のために

メスを入れ、

根本的な解決手段を示し、

この世を去った。

残念ながら、

具体的な策を示すには、

至っていない。



安部公房が示した

抑止のアトラス。

これは、

分子生物学

動物行動学

大脳生理学

言語学

が、

垣根を越えた科学的アプローチで、

確立する必要があろう。

安部によると、

宗教ではだめだそうである。

セクト化され、結果として、

疎外を生むもの。

そんな構図は安部の目には、

集団化を促す機能

に映ったのだろう。



哲学は論外だそうだ。

有効性のない、

老人の愚痴と、

言下に切り捨てている。



政治、

特に官僚制は、

コンピューターがそれを代行しない限り、

『ひいきが、ひいきを生む』

いわゆる贈収賄の構図を払拭できないと、

論じている。



科学だけが、

誰にでも

〜人種・宗教・民族の垣根を越えて〜

確かに、平等に機能する手段としては、

有効なのであろう。

又、安部は、

体験したこと、

感じたこと

を、

絶対視するという、

人間の本能的な性向を、

危険視していた。



だから科学なのだろう。

では、

安部が求めた、方向性は現在、如何に。



幸いなことに、

その成果は、近年になって急速に出つつある。

(養老孟司 学問の格闘 日経サイエンス
 養老孟司 学問の挑発 日経サイエンス)



さて、

歴史のループの発生と、

どちらが、先か?



で、

Vフォーヴェンデッタ

 

映画としてのプロットの脆弱さ。

表現の均一性。

舞台設定におけるリアルさ。

俳優の演技の質等々、

粗を探そうと思えば、

いくらでも探せる。

しかし、それらをもって、

余りある、

守るべき、

大切な、

且つ、決定的な要素が二つ。

非常に良く表されている。

言語による洗脳

言語により言語を眠らせるテクニックス

言論統制がもたらす世界

ぜひ、

ご覧あれ。

 

そうそう、

もう一つ。

ナショナリズムは

統制の為には、

国家は、自ら事件を、

平気で、でっち上げる。

 

大事件・大事故

世相の混乱

絶対者の出現・統制

のプロセス

今後、これが世界で顕著になりそう。

決して表には表われず、ね。

ご注意、あれ。


 

 

NHKあの人に会いたい『安部公房』

 

「現代文学の世界的トップランナーといわれた作家安部公房・・・」

そんなナレーションで始まる、

あの人に会いたい「安部公房」を見た。



この番組は、

1985年の1月に午後7時30分から20分程度、

一週間放映された、NHKインタビュー番組の内から、

作家安部公房に焦点を絞り、10分に編集した番組である。



え〜、10分?

と、さして期待もしていなかったが、

ギュッツと旨味を凝縮し、短い時間で、

最大限の効果を出すことに成功していた。

だが、効果以上に、この番組には、

大きな価値が含まれている。

なぜなら、安部公房自身が自作に触れ、

公共の場でそれを語ること自体、

大変珍しいことだったからだ。

ましてや、創作に対する考え方や関わり方を語るなど、

レア中のレアなことで、そういう意味では、

唯一無二の十分といっても、過言ではない。



安部公房が最もメディアの日向に顔を出した時期。

それは、仲代達也、田中邦衛、井川比佐志、山口果林らをひきいて、

演劇集団「安部公房スタジオ」を主宰し始めた時期と被る。



自前の劇団であから、営業活動的な側面もあったわけだ。

現代文学の金字塔である「箱 男」を書き下ろした時期が、

マス・メディアの中で、安部公房が最も隆盛を誇った時期。

 

だが、前人未踏の文学的成果、

「密 会」

を書き下ろした安部公房は、

突如、安部公房スタジオを自ら休眠させ、

箱根の別荘に蟄居する。



私自身が、

膨大な言葉を安部公房と交わした時期は、

この時期である。

 

だから私は、

当時から没するまで、

日々安部公房が、なにを考え、なにを目指していたか、を、

本人から十二分に聞くことが出来た。

だが、既に安部公房は、

メディアに出ることは、極端に嫌い、厳選していた。



そんな訳で、

この十分番組は、

世に出たものの中では、

大変貴重な情報のソースであると思う。

 

他に、安部公房が、 

所謂小説作法を語った代表として、

研究者がしばし引用するエッセイに、

「消しゴムで書く」

などがある。

が、あれは、行為のほんの断片にすぎない。

安部公房にとっての、小説とは?

安部公房にとっての、小説を書く行為とは?

そして、小説で、安部公房はなにを表現したか?

それらを包括した、インタビューは、

このシリーズが、最初で最後だ。



小説において、

意味を語ることを拒否した作家、安部公房。

安部公房における前衛性。

ぜひ、小説という表現形式に、

希望と可能性を見いだしている方々全てに、

見て欲しい。



さて、

安部公房には、もう一つの顔があった。

亡くなられるまで、

安部公房は、二回TVに出演している。

分子生物学者 渡辺 格との対談

「物質、生命、精神」

解剖学者 養老孟司が聞き手を担った

「ETV8 安部公房」

いずれも2時間に及ぶ、長い対談ものであるが、

ここで安部公房は、小説は語っていない。

主題はあくまで、

「人間の存在を科学的な手法で、解き明かす」

で、そんな自身の長年研究してきた独自の試みについて、

自説を大胆に展開している。

これは、作家安部公房より広く深い、

人間安部公房のライフワークそのものだ。

本人をして

「研究者として書く」

と言わしめた論文「アメリカ論」

の完成をまたず、没した。

その概略が、拙書の目的でも、あるのだが。

 

ご覧ください。

あの人に会いたい「安部公房」再放送

5月7日 NHK BS2 午後10時45分から

 


 

『娘よ、歩こう』

 

担任から携帯に電話が入った。

中二の娘が保健室で号泣したのだという。

だから娘さんの携帯の番号を教えてくれとの、こと。

伝え、感謝し、電話を切った。

家に帰ると、

コタツで談笑している娘がいた。

言葉にして、

笑顔をとりもどしたのであろう。

私もコタツに入り、

担任から携帯の番号を聞かれ、

答えた旨を告げると、

娘はぽつりぽつりと、

話し出した。



夏の頃から同性の、

一人の友達に付きまとわれ始めたという。

どこにでも付いてきて、

人と話すと割り込み、

手を握ってくる。

振りほどくと、

袖をつかみ、

そのまま離そうとせず、どこまでもついてくる。

拒否をすると「嫌いなんだ」とすねる。

また、

その子が親から激しい叱責を受ける場面に幾度か

遭遇していくうち、

その子が家庭でうまくいっていないこと、

なによりその子が寂しく、

つらく、

苦しんでいることを理解した、という。

だが、

応えることが、

重荷に感じる。

最近では、

応え続けること自体、

非常に苦痛を感じるようになった。

一方、

よりどころや、やすらぎ、

なぐさめを求め、すがるその子を

自分が拒絶をしたらその子は、

死んでしまうんではないかと、

恐怖を感じたと、言う。

また、

周りもその子のことを、

攻撃し始めた。

どうしたらよいか、

途方にくれたという。

自分はどうすればよいか、

わからなくなった、と。

一通り話し終わった娘は、

「とうちゃんだったら、

 どうする?

 そんな事あった?」

と、

娘は聞いてきた・・・。


愛子よ、

ヒトにとって、

一番難しいことは、

なにか?

たとえば君や、

君の友達が日ごろいやがり、

うとましく思う勉強や試験問題。

実は、

そんなものはヒトにとって、

一番簡単な問題なんだ。

なぜか?

答えが決まっているものだからね。

回答できる問題だからだ。

ではヒトという種にとって、

最も難しい問題とは?

それは何を隠そう

『人間関係』

なんだよ。



動物では通常抑止される、

同種殺戮。

それをヒトという種は、

4000年以上の長きに渡って、

抑止出来ずに、

今日に至っている。

その事実が、

人間関係の問題を調整する困難さの、

証明と言える。

愛子よ。

だから君は今、

もっとも難しい問題に、

直面している。

正解がないのだからね。

悩むのは当然。

なめてかかれば、

身体か心、

場合によっては両方を、

痛め、

放置すれば命取りに発展したりもする、

実にやっかいな問題だ。

では、どうしたらよいか?

愛子よ。

自分に起きた変化を見直してみようか。

君が相手の気持ちを

おもんばかった故に、

相手を傷つけたくないが故に、

我慢した結果どうなったか?

その子といっしょにいれなくなった。

そして、

保健室に行った、

学校にもいたくなくなった。

家に、

帰りたくなった。

さて、

その結果君達の関係はどうなり、

君達の周りは、どのように変化したか。

おそらくその子は、

愛子の気持ちの一端を、

人から聞き及ぶ。

周りは、

君を心配する。

そして何人かは、

君のためにといって、

その子を攻撃するだろう。

実は、

自分一人我慢して耐えたつもりでも、

その子の行為を拒否した場合と今回と、

至る結果にそれほど差はできないのだよ。

『その子に思いが伝わる』

という点においては、ね。

愛子よ。

結局ヒトが、

おそらくヒトのためと、

我慢できる量は、

限られている。

無理をすれば、

心や身体を痛める。

かと言って

我慢せず相手にぶつければ、

やはり相手も、

痛むこととなる。

その子はね、

愛子よ、

君を想っているようで、

実は想っていない。

自分の欲を、

君にぶつけているにすぎない。

いわば、

非常に自己中で、

自己本位な行動を、

無意識に選択しているに、

すぎないんだ。

さて、

本題に入ろうか。

愛子よ、

ヒトは自己本位である。

だが、

ヒトは互いの痛みを想像し、

共有できる。

なぜなら、

構造が一緒だからね。

だからこそ父はまず、

どちらかが、

一方的に我慢する選択肢は、

あるべき姿ではないと、

そう考える。

そして父なら、

君も生き、

その子も生きる道を探し、

それを選択する。

具体的には、

その子と自分の関係に、

一定のラインを決める。

それは、

君の心が、

無理せずその子を受け入れられる、

もしくは許せるラインと言ってもいい。

例えば、

『手は握らせない』

『人との会話をさえぎることは、許さない』

この二つをラインとし、

その子がラインを踏み越えたら必ず、

拒否をして、手を離す、

顔を押しのける。

そして

『嫌いなんだ』

と言われたら、

『嫌いではない』

という。

たとえそれでその子が、

保健室に行っても、

いわんや学校にこなくても、

自分を殺したとしても。

それは君に原因しない。

なぜなら、

その子が選択した行動は、

自分本位に選択した結果だから。

その子のために、

は嘘が残る。

君のために、

も、嘘が残る。

君のために、

ひいてはその子のために、

ラインを決め、

行動に移してみよう。

その動機に、

自分も生き相手も生かす、

そういう配慮があれば、

ベストな道がない問題に対する対処であっても、

必ずやセカンドベストになる。

そう、

父は思うよ。

そしてなにより、

今日のように話そう。

それでこそ、

ヒトはニンゲンになる。

生きる選択肢が生まれる。

そう思うよ。



は〜

だの

ふ〜ん

だの

へ〜

だの言っていた娘の顔には、

いつしか赤みが、

蘇ってきた。

その実どこまで、

娘に伝わったかは定かでない。

一人になって、

珍しく深くため息が口をつく。

ふぅ、

我、無力なり。

娘がいると、

友達が

「あいこ〜」

と叫び集まってくる。

特にリーダーシップを発揮するわけではないが、

天性の癒しキャラが、

人の和をつくる。

そんな君にも、

いよいよ試練が、

訪れ始めたのだね〜。

無理ぜず、

工夫し、

少しだけ、頑張ろう。

ただただ、

君の話を聞き、

痛みを共有し、

君が笑顔を取り戻すまで付き合う。

それがせめて無力な父が出来る、

ささやかな行為にすぎないが。

愛子へ、

すべての子へ、

悩み、

憂い、

想像し、

少しづつ行為に還元する。

そうして困難に立ち向かい、

豊潤な生の実感を手にする・・・。

そのために、

父は、母は、友は、配偶者は、

彼女は、彼氏は、先輩は、

そして君が大好きな、

敬愛する担任のH先生は、

存在する。

共に、

歩みましょう。


 

実は今、

和服がマイブーム。

 

父は元来和服好きだった。

週末は常に、

和服で通していた記憶がある。

だから成人を向えた子どもに、

和服を仕立てるのは、

父にしてみれば、

当然至極だったのだろう。

 

だが、

もらったこちらは閉口至極。

あっけにとられ、

唸るしかない。

 

「いつ着るんだよ、

こんなもん」

と顔で笑って、

心で泣いて。

 

それでも正月実家に顔を出す時ぐらいは、

父を喜ばすために、

着て帰ったものだった。

で一年間また、

お蔵入り。

 

兄に至っては、

試着以来、

着た姿をついぞ、

見たこともない。

 

それが今さらながら、

マイブーム到来。

 

きっかけは、

一昨年1月に他界した、

父の葬儀にさかのぼる。

 

(経過省略)

 

納棺がすみ、

そろそろ出棺準備の段になって、

突然葬儀社のニーチャンが、

母にこう切り出した。

『それでは生前故人がお召しになっていた、

お気に入りの和服をおあて下さい』

母、ビックリして、

『もう着てますが』

ところがニーチャン、

断固として

『いえ、生前故人が気に入られていた中で、

もっとも良い物を皆様あてます』

と譲らない、

母はのろのろと桐箪笥から和服を引っ張り出し、

それでも

『二枚も入れる必要があるのかね〜、

村山大島の良い物なんだけど』

とぶつぶつ。

『いいじゃない、

誰も着ないし』

と母から長着をひったくり、

あてた訳であるが。

 

ひったくった刹那、

心臓の鼓動が大きく、

ドクン

と裏返った。

衝撃。

何が?って、

その触感が、

である。

 

衣擦れのシャリシャリとした音。

手触り、

まるで、

手のひらに吸い付くよう。

光沢、

角度にしたがって、

色合いがうつろう。

グレーがかった白地に小さな黒の餅柄が、

網膜に焼き付いた。

(再び経過省略)

 

そんな一件後、

生地というものが、

非常に気になるようになった。

着るついでに、

必ず触って、

ムニュムニュしてみる。

 

う〜ん、

違うな。

 

試しに洋服箪笥を開け、

片っ端から、背広の生地を、

ムニュムニュしてみた。

だが最も値が張った物でも、

とてもあの触感には程遠く、

及ばない。

では、と、

黒光沢で有名なロロピアーナの

スーパー120をムニュムニュ。

 

う〜ん、

違う。

 

少し、

にじり寄った気がするが、

記憶の中の感触とはマッチしない。

歴然とした差が、

存在する。

 

では、

カシミアかなと、

コートをムニュムニュしてみる、

おっ!

いい。

いい、手触り。

かなり近い。

だが何か、

決定的に、

物足りない。

あの独特の、

シャリシャリ感が、

ないのだ。

 

家にはウールのアンサンブルしかおいていない。

で、

預けておいた、

和服を取りにいこうと、

実家に電話を入れると、

母は、

「お父さんの和服が、

他にまだあるわよ、

もっていきなさい」

と嬉しそうに、

のたまう。

聞くと父が結婚したときに、

仕立てた和服だって。

 

“お〜い、50年も、

前のものじゃねーか”

 

いくら良いものでもね、

半世紀だよ、

背広だって、

良い生地ほど、

痛みも早いだろ。

父の二周忌の後、

実家から、

さして期待もせずに畳紙にくるまれた

和服を持ち帰った。

で、

まず自分のを開けてムニュムニュ・・・。

 

う〜ん、

これ、これ!

 

あの感触には劣るが、

明らかに質感が同じ。

で、

やおら父のを、

いや、

けっこう恐る恐る、

開けてみると・・・、

 

『ぶわ〜』

飛び退いた。

家の中に防虫剤の匂いが充満する。

「なにしたの〜!」

「なんの匂い〜?」

家人が口々にモーレツに非難。

「すげー臭いだな〜」

畳紙をオムツの如く顔から離し、

二階に持って行って、

早速叔母に電話すると、

幸い防虫剤の臭いは、

陰干しすれば、キレイさっぱりなくなる

との事。

 

ハンガーに掛けようと、

長着を持つと・・・、

“シャリ”

黒地に緑の亀甲が、

光を反射し、

濃黒緑の光沢の波を返す、

その美しさに、

息を飲む。

そしてあの、

まさにあの時の手触り。

それに合わせる、

漆黒の羽織。

 

本当にまじまじと、

時を忘れ臭いを忘れ、

魅入ってしまいまいした。

 

驚くべきは、

半世紀の時を経て、

少しも色あせず、

いや、

なお輝きを増す絹の光沢と、

よれない造り、

クシャらない張り。

 

早速母に電話して由緒を聞くが、

服より人間様の方が早く痛んだようで、

え〜

だの

う〜ん

だの、

どうにも要領を得ない。

そこで、

画廊をやっており、

和装に造詣の深い叔母や、

後日、個展に和装で来た先輩に、

その話をしたら、

非常に興味深い話を聞くことが出来た。

 

長い話になるのでギュっと要約すると、

近年貨幣価値に換算すると気が遠くなる程、

いくつもの行程を経て、

作られているものであること。

そして、

半世紀前はまだ、

和装が当たり前の時代であったからなお、

今より格段に縫製が良いこと。

そしてそのように作られた、

良い和服は、

保管方法さえ間違えなければ、

孫子の代まで着れるのが当たり前な、

ものであるという事であった。

 

例えば大島紬の行程などを見れば、

よくわかる。

http://www.oshimatsumugi.or.jp/

 

正直泥大島の前では、

ロロピアーナだろうが、

ゼニアだろうが、

低頭して道を空けざるを得ない。

力と心と技芸と、誇りと。

造詣と創造と、美と。

全てが統一された、

粋で、

心地よい集大成だ。

 

また、

着た感触。

歩いた時の、

えもいわれぬ感覚。

帯を締めると、

下腹がきゅっと整い、

肩がこらないという点では、

洋装の非ではない。

おそるべし、

日本文化だ。

はじめてちょっと、

誇らしい。

 

身体を整える。

そして心を整える。

また、

心を整え、身体を整える。

そんな、

うってつけなツールとして、

伝統的な和服は、

極めて斬新である。

 

貴方もいかがですか?

特に御仁。

試しにぜひ、

実家に物色しに行って、

父上の古着を譲り受けて見て下さい。

またはお召し下さい。

 

長着、羽織があれば、

充分。

襦袢はなければ、

半袖シャツに股引でバッチリ。

角帯が面倒でしたら、

マジックテープ式の物で充分。

気分転換には最適です。

 

そう、

この気分転換、

気分の切り替えという点でも、

和服は力を発揮する。

いくつか種類の違う仕事を抱える

私のような者には、

ステージを切り替える逸品として、

大変に有効だ。

 

43にして、

和服がわかるトシになったという

ことかな〜。

 

そこで最近、

ヤフーのオークションをよく覗いている。

すると、

たまに出色の出物が、

非常に安価で、

顔を出す。

集める趣味はないし、

増えると保管場所がないので、

入札は今のところしてないが、

一度やってみようと思う。

 


 

 

 

『Identity』

 

いくつか、

原点がある。

私を形成した、

コアの話。

幼少の頃、

私は箱の中に住んでいた。

白い直方体で、

箱の中には、

鉄の巨大な球が、

ゴンゴンと、

アトランダムに、

はねっかえる。



箱は私の頭で、

鉄球は痛み。



矮小にデフォルメされたぼくと、

巨大な鉄球。



昼間は光と嘔吐におびえ、

やかんを空だきしたような頭痛に小さくなって、

耐える。



夜は、

寝汗、

高熱。

それにセットされた悪夢の数々。


やがて、病の終息と、

長い快癒の時間にすり込まれた、

膨大な本達との付き合い。

それがコアの元と言っていい。

ようやく手にした健康で、

出た知の旅。

ヒロシマ、

ウガンダ、

ボツニア、

アウシュビッツ

現実とは如何なるものか?

これが、次の表層。

特に、

棒の上に、

妊婦のように突き出た腹と、

ゆらぐ、乾き血管が浮かび上がった頭、

一粒の涙を湛えた子どもたちの痛みに、

私の痛みは、

徹底的にシンクロし、

刷り込まれる。

人とは如何なるもので、

どこからきたか?

あまりに甘い認識と、

凶暴な現実。

発狂の恐怖にさいなまれるまでに。

さらに別の苦闘が、

モラトリアムの時期に始まる。

“事実は小説より奇なり”

に対するサルトルのアンチテーゼ

 “飢える子の前で、言葉は無力である。

 だが、子が飢える現実を訴えるには、

 言葉は最良の武器である”

それが、

言語の限界かい?

否!

だが、

確証は?

最後の最後、

あらゆる言語を検証し、

言語と決別しようとした刹那、

そんな限界を軽々と飛び越える

巨人との、sensationalな出会い。

安部公房

ルネッサンス人にして、

世界最前衛の奇才。

その巨人からいただいた最後の言葉。

唯一言語で、

前人未踏かつ還元不能な領域に分け入り、

現実以上の現実を編み上げる天才に、

もっとも似付かわしくない言葉。

 「努力だよ」

そして師安部公房の遺言

 「書き続けなさい」

だから私は書く。

彼の様に、

言語で現実を創造するために。

目的は?

言語を手がかりに、

時には武器として、

本来庇護されるべき子どもを、

理不尽な現実から、

排除したいという、

夢にニジリ寄るために。

あらゆる言語的手段と、

表現形式で。

そう、

愛する幼き無力な者を守りたいという、

願い、想いにのせて。

そして、

書く。

それで充分。

非常に、simpleでdeepなIdentity。

 

毎年大晦日には我が身を振り返る。

今年(来年)は幸先がいいな。

原点、

動機の根、

その想い、

手触りを、

ハッキリとこの手に実感する。



著者研究者

としては、

あらかたやりたいことは、

やりつくした。

磨ぎ続けた刀を、

今年は、

夢の実現のために振るいたい。

存分に。

すべての子が、

自分を愛せる世に。

そんな現実の実現に、

わずかばかりでも、

にじり寄れるために。

できうれば、

各が、

得意な方法で、

ちょっとずつ荷担する。

そうすることで、

自分の心が救われる・・・。

そんなサイクルが、

実行可能な現実となるために。

そんな快が、

手触りとして実感できるように、

書きたい。

 

書かれたものには限界が存在する。

書き手の認識を越えられない、

という点において、だ。

とらわれている者に、

とらわれたくない希望は書けても、

とらわれないこと自体は、

正確に書けない。

想像しても、

言葉に力が宿らない。

安部公房は、

分子生物学のパイオニア

渡辺格とおこなった対談「物質・生命・精神」で、

言語の力を次のように語ったことがある。

「アウシュビッツの看守が、
 夜、
 モーツアルトやベートーベンの音楽に心酔し、
 昼、
 虐殺を実行するという現実があるが、
 看守が一旦、
 「カラマーゾフの兄弟」
 を親身に感じてしまったら、
 虐殺に荷担できなくなる。
 言語にはそんな、
 音楽にない顕著な機能が、
 存在する」

この、

明らかにサルトルから一歩踏み込んだ認識に、

私は捉えられた。

例えば小説においても、

何故、

唯一安部公房だけが、

前人未踏かつ、

還元不能な領域を、

自在に言語化できたか?

それは彼の作品化に対する認識に、

他ならない。

彼の自在な認識を象徴する、

顕著なエピソードがある。

「小説の大意を述べよ、
 という命題は、
 ナンセンスだ。
 
 例えば
 “人生は赤い色をしていて、ちょっと緑が入ってる”
 そう思ったら、そう書くよ。
 エッセイや評論でいい、
 小説化する意味がない。
 
 意味に到達していない、原型を書く。
 読者は現実と同様に、
 それを体験する。
 
 だから、
 小説とは、
 地図と同様の機能を持っているべきだ。
 目的に応じて、読み方が変わる。
 意味を読み取っていっても、解釈しつくさない、
 無限の情報を持つ。
 それが、
 小説だ」

そんな認識を持つ作者が編み上げる、

言語的現実と、

家庭内暴力を書きたいという作者が書いた小説では、

次元が違う。

“作品が作者の意図を超えた!”

など、

たかが、

しれる。

安部公房にとって、

意図を超える汎用性すら、

意図をもって操作する、

いわばベースの機能だ。

そこから出発した認識、

それが私の書き手としての、

原点だ。



石和温泉のかげつに、

垢落しに行ってきた。

温泉宿は、

我がrabbit hatchの一階と、

同等か、

それ以上の広さを有する部屋に泊まることにしている。

狭いと、

外泊した気がしない。

このかげつ、

本 間 12.5畳
次の間 6畳
洋 間 6畳
踏み込み

で、リーズナブル。

山翠楼や海石榴は広いけど、

値段もそれなり。

いつもチェックインよりちと、

早く入らせていただき、

温泉にドボン。

フェ〜っと、

茹だって、

すっきりしてから、

毎年、一冊文庫を読む。

今回は、八王子の小学校で講演を

していただいた小柴先生の

「やれば、できる」(新潮文庫)

を友とした。

この本は、

若い研究者、

必読の本だ。

好奇心を満たす喜び、

逆境を楽しみに変える工夫と、

生きる希望が全編を貫き、

風雪に耐え、

花を咲かす喜びの実感に充ち満ちている。

なにより、

学業成績とは、

教えられたことをいかに理解したか、

の証であり、

能力の証明ではないという、

当たり前の事実を、

ノーベル賞受賞者に言われると、

正に、

我が意を得たり!

心あらたに新年を迎えるにはもってこいの、

快心作であった。

その中から、

極めて象徴的なエピソードで、

今年を締めくくりたい。

引用開始
「・・・アメリカでは権威だろうがノーベル賞受賞者だろうが、
 学生がどんどん意見をぶつけて、ときには考え方の間違い
 なんかを指摘したりします。
 それが当たり前のことで、決して険悪な雰囲気にならないんです。
 もし指摘された教授が怒ったりしたら、周りから笑われるだけですよ。
 指摘する学生も指摘される教授も、目指している方向は一緒なので
 議論に感情が入り込まないんですね。
 お互い指摘し合って、ともに考えることが良い方向に進むことになる
 ー根本のところにそういう共通理解があるのです。
 ところが、残念ながら、日本はそうではなかった。
 今も、当時とあまり変わらない所があるかもしれません。 
 大先生の言うことをとがめるとは何事だー
 ということになる。
 一事が万事その調子で、肝心の指摘の内容なんて関係ないことが多いのです。
 ぼくは日本が大好きだけれど、学問のこの点に関しては、アメリカ流の議論
 のほうが正しいと思うし、すっきりしていて好きなので、アメリカの流儀で
 意見を言ったらたちまちにらまれてしまったというわけです」

引用終了。

思いを新たに、

新年をむかえます。


 

 

 

 

 『「安部公房のたくらみ〜世界最前衛であり続ける理由〜」を終えて』

 

 

 書き残しがあります。

 それは作者が、

 「まだ言葉にできない、感覚」

 を編み上げざるを得ない、動機と目的。

 つまり、作品が向う、その方向のことです。

 作者が好んで書いてきた世界。

 いわばそれは、安部公房の人間としてのしこう

 (嗜好&指向&思考)と言っていい。

 端的に言えば、 

 「ぼくは、安定よりは、不安を選びます」

 と公言し、はばからなかった、

 安部公房という人間の、作家的嗜好。

 これが、作品のオリジナリティを決定する上で、

 大きな要素を担っている、

 そう、私は考えます。

 いわゆる安部公房作品の特異性と独立性を紐解く。

 そんな、あらたな、大きい、原石磨き。

 それが

 「安部公房のしこう 〜嗜好・指向・思考〜」

 

 「安部公房のたくらみ〜小説作法〜」

 は、安部学校の卒業論文のつもりで書きました。

 私的には、安部公房という鉱山の中から、

 新しい価値を見出し、研磨したという、充足感と

 大いなる達成感を手にしました。

 現在、安部公房研究は、かなり閉塞状況に陥っている。

 かつて安部公房は私に、

 「評論でいくか、小説でいくか」

 選択を迫りました。

 その時、評論には

 「新しいテーゼの発見が不可欠だ」

 と力説していたことを、思い出します。

 小説化はロジックと決別する行為。

 で、

 伝統より誕生を、

 束縛より自由を、

 そしてより高度な解放の実現を切望してやまない、

 そんな安部文学の評論こそ、

 画一化されてはなりません。

 「実存主義の影響」

 は、元祖安部公房研究のプロトタイプ、

 高野斗志美氏が35年前に開拓した地であり、

 「人間疎外の状況」

 は、我が敬愛する兄弟子、ウィリアム・カリー氏が30年前

 に既に、開拓した地です。

 ぜひ、若い研究者には、先人のラッセルの跡を、

 楽をしてトレースすることはやめ、

 安部公房の、壮大な試みに敬意を評し、

 開拓者の道に、自ら身を投じて欲しい。

 繰り返しになるが、安部公房は依然として宝の山だ。

 まだ、手付かずの原石が、ゴロゴロころがっている。

 この前人未到かつ還元不能な領域のトラベラーの、

 「姿勢」こそ真似をして、研究者もオリジナルな発見の為に、

 心血を注いで欲しい。

 それが、安部公房研究者の気概です。

 さて、

 「安部公房のしこう」

 これは、安部公房研究の核心中の核心で、実にヘビーな難題だ。

 誰もやらなければ、また、私がやりますよ。

 今度は博士論文を、書くつもりで。


 

 

後立山連峰剱岳

日本三大北壁に数えられる

岩の殿堂だ。

その時の体感を思い出すたび、

身がすくむ。

そして、

謙虚に、

生きている、今に、

感謝する。

デポしてから、二週間がたっていた。

フロに入らず、

岩壁が真っ赤に染まる、

この世の終わりのごとき、

朝焼けと共に目覚め、

日の入りと共に寝る

一切の悩みが消し去り、

一切の虚飾がはげおち、

岩稜や滝と、

雷鳥や山ゆりと、

あふれかえる星と流れ星と、

同化した、自分がいた。

珍しく雲が飛ぶ、

午後の2時。

あらゆるパーティが、

アタックから引き上げてきた時間帯に、

ぼくは目覚めた。

こぼれおちんばかりの星との、

語らいが過ぎて、

飲みすぎたウィスキーがまだ、

胃の腑を焼いていた。

おもむろにぼくは、

ピッケルとハーケン、

カラビナにハンマーを掴むと、

雪渓に歩き出した。

天然クーラーが、

雪渓から沸き立ち、

刺すような紫外線と

あいまって、

身体を芯から揺り起こす。

頭上に浮いたように見える、

三の窓に行けば、

酔いは覚める

そう、思ったわけだ。

雪渓をつめた。

もう汗が、首からしたたり落ちる。

雪渓が手の届く斜面に、

ピッケルを突きたて、

今登った、雪に出来た、

穴の足跡をたどると、見えるすり鉢のテント村が、

ミニチュアのオモチャのようだ。

そして、

三の窓に

ついた。

ポカポカと、身体が芯から

温まり、

ここでまた、

ごろねしたら気持ち良いなぁ〜

完全に思考が停止した幾分がすぎ、

最初に意識ととりもどした時、

既にぼくは、

嵐の予兆の、

只中にいたのである。

そして、

あっという間に、

風の強さに、

眼を押さえ、口を閉じ

次の行動をとろうとした矢先、

忘れられない瞬間が訪れた。

今でも、克明に覚えている。

ジィ〜ッ、

ジ、

ジ〜ィ〜、

シュウーーン

腰まわりから、

異音が鳴り響くと共に、

ハーネスにぶら下げたハーケンやカラビナが

光り、

共鳴し、大きな痺れる音をたてて、

踊り始めたのである。

そして、

光った。

電気の帯電だ。

次の瞬間、

真横からぼくは、

つんざく雷鳴と

切り裂かれた空気の無数の落雷の砲弾の、

集中砲火の真っ只中に、

いた。

真っ暗になったあたりを、

大蛇のような蒼い稲妻が、

地面を超高速で、

のったくる。

それを、ぼくは

無限時間の、

スローモーションの中、

ただ、

見ていた。

足元に、

稲妻が這い、

毛という毛は、

逆立ち引っ張られ、

ヒョウと玉のような雨粒に

なぶられ続け

もう終わりだと、

眼をつぶった

次の瞬間

ぼくは、

雨あがりの、

全てが浄化され、

蝶が花から、顔をのぞかせ、

虹が谷から生え、

残照が、温かく全てを照らす

そんな山の

最も美しい夕ぐれの中に、

立っていたのだった。

ぼくは

どうしてよいか分からず、

おそらく、

たまらなく不機嫌に

見えたに違いない。


ピッケルをあやつり、

グリセードで降りたぼくを皆が、

案山子のように固まったまま

固唾を呑んで、向えた事を覚えている。

まるで、

三の窓だけを狙った、

雷の、

ピンポイント爆撃のように、

下からは見えたらしい。

そこから、ぼくが降りてきたのだから。


 


 

「ありし日のジャマン」

 

フランスというと、

皆さんはなにを連想しますか?

オトコもオンナもスケベ〜

は、

おいといて。

まず、料理ですね、ぼくの場合。

オーギュスト・エスコフィエ

フェルナン・ポワンとマダム・ポワン

そして、

現帝王ポール・ボキュース、ミッシェル・トロワグロ

歴代のスラッガー全てに共通するスタイルは

前衛から普遍へ

だ。

常に、

伝統を壊し、

前衛を掲げ、

次の時代の牽引力になる。

それこそが、

フレンチの伝統と

いえる。

リヨンのレストラン

ポール・ボキュースの

異形は、正にその象徴だ。

パリで、当節

絶対予約が取れないといわれ

早々にカミングアウトした

伝説の料理人ジュエル・ロビションが、

最速でミシュランの三ツ星獲得の

栄冠に輝いた舞台、

ジャマン

その予約が

偶然とれた事があった。

もう20年も、前のことだ。



ランチタイムであったが、

素材を助長させるソースの

切れ味と深みには、

大変に驚かされた。



付け合せ2品後の前菜に

木の串にささった肉が

出てきた

にこにこ顔のロビション自身の

手によって、

それは、ぼくのテーブルに

運ばれてきた。

う〜ん、

みてくれは、

どこから見ても、

焼き鳥

そのもの

もしかして、

これで、

口に放り込むと…

あれ〜ビックリ!!

かと、

おもいきや

やはり、

濃厚なミリンと濃い口醤油のタレ。

焼き鳥そのものでした〜。

しかけは間違いなく、

辻静雄さん。

評判になるわけだ

と一人ごちて、

ドンペリとの相性は、

まさに、絶妙。



でね、

実は、最初、

迷って、

これを、ナイフとフォークで

試みました、無謀にも。

そしてら

スコーン

肉のイッコがはじけとび、

シャンパングラスの台座部分に

着地したのです。

これはムズすぎるゾ〜!!

よく周りを観察すると、

なんのことはない、

フランスの紳士淑女が、

日本のオヤジのごとく、

皆、日本同様

指で串をつまんで、

食っている。

そうだよな〜

これじゃ、本末転倒だな〜、

ホッとしたのですが、

そろそろ、メインディッシュというところ。

サンテミリオンに当時こだわっていたので

ソムリエと、トークにはいる、と

やおら、

ギャルソンが、

シャンパングラスをさげるでは、

ありませんか!

アブナイッ”

そこには、

微妙なバランスで、

すっとばした、焼き鳥の肉片が、見事に

ぶら下がっていて。

その時の、ギャルソンのひきつった顔!

この光景と顔、

おそらく

一生網膜に

焼きついたままでしょう。

笑えました〜

ちなみに、パッサードのアルページュが

まだ、一つ星、パリ料理界の元気が、回復

した時代でありました。

そういえば、

安部公房の良質な読者も

この国に、

多かったです、ね。

 


 

 

『クリュッグ 1990』

 

衣食住

なにに価値を置くか?

と問われれば、

食」

です、これ圧倒的に。

グルメではありません。

雑食です。

口に入るものなら

なんでもおいしくいただいちゃいますからね

たいがいのものは。

だから、道楽者です、

食道楽

この言葉が一番ぴったりきます。

そしてまぎれもなく

この性向は、遺伝情報ですよ。

私の父もそうでした。

そのまた、父も。

だから、

強い意志

節制、健康のため〜

程度では、とても

抗いきれません。

きっと、

そんなもんですよ。

ちなみにパートナーの異性関係

で悩んでる貴方

パートナーの2世代前位までの

所業を聞いてごらんなさい。

十中八九

同じことやってます。

これ不思議なことに。

だから

衣、食、住、性、光物、旅

こんな癖がつきそうなものは

すべて、強力な性向

いわゆる

遺伝情報なんですね、

まぎれもない

抗い難い衝動です。

で、

私は食

だから、必死で、

天気の良い日は10キロ歩き

40過ぎてもヒィ〜ヒィ〜言いながら

ボクシングジムに通います。

これ全て、

おいしくいただくため。

飲むのも好きですよ。

あくまで美味しくいただくための

潤滑剤として。

だから酒は従です、主ではありません。

そんな私ですが、

いくつか例外があります。

いわゆる

偉大なるワインの赤

そして

シャンパーニュ

クリュッグ。

京王プラザといえば、ドンベリですが、

フレンチのアンブローシア

ハイァットのシャノンソー

ここでは19881989のビンテージ

を手頃なお値段でいただくことができます。

(ちなみに私は1988が好きですね〜)

また帝国ホテル、オールド・インペリアル・バー

ここでは、クロデュメニル級のコレクションが

なんと!

ビンテージのお値段でいただけます。

(まさか、帝国さん、その価値をご存知ないわけでは

クリュッグに出会うまで、

シャンパーニュは一杯で充分でした。

それも、

どちらかというと

キール・オー・シャンパーニュ

ミモザ

をたのむ方。

その理由は

うっ

とくる強い発泡の咽喉ごしと

なにより膨れるお腹。

それならいっそ、冷えた生ビールの

方が旨いですね〜特に夏は。

それが皆無なんです、

クリュッグには。

まさに、

シルク

のどごし。

ほかに代わりがない、無二のもの

それがクリュッグです。

アミューズブーシュ

から

フロマージュ

まで。

変えずに

楽しめる

唯一の飲み物。

あらゆる料理に負けず、

あらゆる料理を負かさず、

のどごしがよく

それでいて、

深く芳醇な味わい。

これがクリュッグです。

樽にこだわり、手間をおしまない。

各メーカーも、クリュッグには、

もろ手を挙げ道を譲るのは、

このあたりに、

厳然たる理由があるのです。

さらに〜

クリュッグのすごいところは、

食のお供がいらないところ。

バケットと、ブルー&ブリー

だけで充分、楽しめます。

まさに、偉大なる赤やモンラッシュと同等の

魅力を、そのキュートな身に宿しています。

で、写真の1990ビンテージ

クリュッグによると

稀代まれにみる

最上の出来だ、とか。

これを愛でて、味わう日が

いまから楽しみです。

 


 

 

『春、安部公房周辺』

 

ノドが痛い。

ハナも出る。

娘が8度7分の熱発。

う〜ん、やばい。

覚悟して、養生した。

 

痛みは続く。

ハナも続く。

熱は出ない。

だが、時間の問題だろう。

養生を、続ける。

 

人にうつしては申し訳ない。

マスクをして、出勤した。

すると、幾分か、楽だ。

特に通勤時間帯、マスク通勤をすると、

テキメンに、効果がある。

 

で、

今日は長男の中学卒業の日であった。

さすがにマスクは、まずいだろうと、

せずに、家を出た。

 

途端に、ノドがシミル。

ハナが、あふれる。

目もかゆい。

 

で、

感動的な式も終わり、

食事に繰り出すことになった。

 

今日日の卒業式を見たいと参加した母を入れて、五人になるので

庭のお飾りになりかけていた年代もののワンボックスを動かそうと、

鍵を片手に車にじり寄ると・・・。

 

ブルーの車体がまっ黄色だ。

窓も黄色い粉が、ふりかけ山盛り状態。

「花粉だ」

と理解した瞬間

ゾワッ

と、むしず が 走った。

 

で、

帰宅。

ハナブーブー、

ノド痛し。

こたつで朝刊を広げ、厚いチラシの束がどさっと眼前に

こぼれた瞬間

 

クシャミ、30連発。

ハナがたれ、ティッシュにダッシュ。

 

で、

まだ疑い深い私は、フロに入ることにした。

シャワーで丹念に、頭をまず、洗う。

ついで、入念に、身体を洗う。

そして、湯船に、飛び込んだ。

 

嘘のように、

ノドの痛みが消えている。

ハナもすかすか、

一滴もたれない。

まさに、

快適そのもの。

そしてフロからあがり、

下着をつけ、

リビングに入った途端・・・

 

クシャミ3連発!

「花粉症、デビュ〜〜」

妻と娘の、勝ち誇ったような笑顔に、むかえられた。

さて、私も、彼女らと同様に、

ティッシュを抱え込むとしよう。

 

今日は、気になっていたことを一つ。

拙書「もうひとつの安部システム」を読んだ方から、幾度か

同じ質問をいただいた。

なぜ、安部システムをさらに具体的に、紹介しなかったのか?

または、

安部システムは、いずれ続編でまとめ、詳細を詳しく紹介す

るのか?

という質問である。

その都度私は、丁重に答えてきたが、思えば、

おそらく同様の疑問を、読んでいただいた、ほとんどの方達

が持ったであろう事は、想像に難くない。

そこで、その話しをしようと思う。

と、言っても、非常に簡単な、説明に終始してしまう。

「もうひとつの安部システム」

は、安部公房自身、そのアトラスを示しただけなのだ。

そこで師に、寿命が訪れた。

だから、最後の言及は、1991年12月号「波」に掲載された

「われながら変な小説」

で、親らが理解しえない言語を子らが話し出すという、

生得的・遺伝的な言語機能のプログラム解発、いわゆる

クレオール発生に触れ、

「…こんなふうに《親なし文化》がありうるということ。

これがぼくの「アメリカ論」の骨子なんだ。

チョムスキー風に言えば、学習無用の普遍文化。コカ・

コーラやジーンズなどで代表される、反伝統の生命力と

魅力をもう一度見直してみたい。

かなり長編論文になるはずだよ。あいにくそれまでは

死ねないな(笑)」

という発言になった。

 

私は、文字通り、膨大な時間を安部公房と、共有した。

だが、そのほとんどは、電話で共有した時間であり、

それを知っているのは、妻において、他にいない。

 

で、

安部公房から得た、その個人的な情報をソースとして、

評論を書いた場合、それは結果として、立証しようがない

論文が出来上がってしまう。

故に、私は安部公房が書き言葉として表明した言葉だけ

を手掛かりに、書こうと思った。

それが師への、とるべき私の姿勢だと考えた。

だから、あのような結末になった。

くりかえすが、

もうひとつの安部システムは、安部公房自身、アトラス

しか示さず他界したのだ。

安部公房論の書き手として、安部公房が表明した言葉を

もとに、仮説を展開することと、安部公房に代わってシス

テムを掘り下げることでは、似て非なる。

それは安部公房自身の研究であって、私の研究対象では

ないのだから。

それでよかった。

おりしも、今年の元旦にNHKで放映された、最前線の

科学を紹介する番組を録画し、見て非常に驚いた。

精神活動を言語活動から科学的に解明する方法論として、

多角的なアプローチが必要であると前置きし、

1、大脳生理学的アプローチ…言語野の局在

2、言語学的アプローチ…チョムスキーを手掛かりとして

3、動物行動学的アプローチ

4、遺伝学的アプローチ

これら全てを並列し研究を進めて始めて、科学的成果が

達成できるとし、紹介されたのだ。

天才作家、安部公房が示唆した方向性は、没後10年、寸

分たがわぬ形で、今まさに科学の世界で、取り上げ掘り進

められて、いるのである。

なぜ、安部公房は科学的アプローチを、最上の手段と選択

したか?

これは重要な認識であるので、再度紹介しよう。

現象に対する認識論の限界。

例えば、円をサイクルと思えば、言葉はそのように図式

化できる。

サイクルでないと思えば、そのようにも言葉で、図式化

できる。

それを、点の羅列とも捉えられるし、線・アナログ的な

連続体と捉えられる。

そのような捉え方すべては、類型的な発想なんだよね。

文化論であるかぎり、いろいろに言葉で定めたり、分析

できてしまうんだよ、あらゆる現象は。

大切なのは、科学的方法をとること。科学的方法をとら

なければ、どのようにでも書けてしまうと知る事。

だから仮説を立てたら、多角的かつ科学的な視点にたっ

て、否定しえるか、検証する必要がある。

くれぐれもレアケースを法則化しないように」

この安部公房の言葉が、全てだ。

そしてそれは安部公房の生涯を貫く、もう一つの傑出した

姿勢、

万人に平等に例外なく適応される道を選択する」

ところに最も、私は魅力を感じる。

 

今後も私は、安部公房との個人的な思い出は、コラム、エッ

セイにちりばめ、がしかし研究者として評論を書くときには、

安部公房が公表した安部公房自身の言葉だけを手掛かりに、

展開しようと思う。

「安部公房小説作法」

は、だから、安部公房の公表した言葉以外は、論拠にしない。

 

で、

誰も指摘したことのない事実を、導きだそうと思う。

そうして、安部公房は、巨大な宝の山であることを、証明したい。

 

で…、

ここはコラムなので、さらに書いちゃおう。

安部公房のライフワークの狙いは、あくまで、平和の実現化

を可能とする科学的な法則の発見、にあった。

そしてその根には、自身の戦争体験。

小さく弱き者達が、命を奪われていった社会に対する怖れと、

怒りが動機として存在し続けていた。

人間という種を、安部公房は、

進化する前の動物の名残9:進化後の人間1

の割合で、規定した。

これは

遺伝的な衝動9:言語による行動規制1

と言い換えられる。

意識と無意識と置き換えれば、その、圧倒的な比率の差が、

より、自覚できよう。

さらに、集団化のプロセスにおいては、遺伝的な衝動により、

ほとんどの行動が決定され、言語はそれを補強することは易

しくても、衝動を言語によってコントロールすることは、極

めて人間にとって難しい。と言及する。

簡単に言えば、集団化を促進する言語機能は強大で、その前

では、集団を解体し、個別化する言語機能は脆弱に等しいと

いう、恐るべくも、当然の、指摘である。

集団化を促進する言語機能の旗振り役として、その背後に、

さらに膨大な領域の、遺伝的な衝動により決定される行動

規制が控えている、という図式。

だから、言語ごときでルール…法律を規定しても、暴動や

戦争の抑止には至らない。殺人に至ってはいわずもがな、だ

という、当然で、かつ重要な指摘だ。

よって、教育府を設立し、言語研究をそこでフィードバック

することで、衝動の刈り込みトレーニングを法則化する。

そして、和平を実現させる。

これが、安部公房が描いた、アトラスだ。

そんなことを念頭において、もう一度

「死に急ぐ鯨たち」

「シャーマンは祖国を歌う

 儀式・言語・国家、そしてDNA」

を再読していただきたい。

よかったら、拙書もいかが?

 

昨日までの、中学生たち。

卒業おめでとう。

人と比べられる洗礼を受けた君達へ、

人の価値は、人との関係の中に非ず、

人として積み重ねる、己の選択の中にこそ、有り。

己を望むままにデザインし、自分のために。

自分の信ずるもののために。

自分が守りたいもののために。

一度限りの、自分の人生を謳歌してください。

願わくば、君自身が光となって、

夜空に輝く恒星のように、他の人たちの

道しるべとなる可能性を、強く信じることのできる

人生でありますよう。

 

追伸

19日土曜、午後1時で診療受付が終わる耳鼻科に、12時50分

診察券を出しました。

なんと

80人待ち!

東京都の発表によると、私が住む八王子市の

昨日18日金曜の花粉の飛散数は

1平方メートルあたり936個!

ちなみに、非常に多い時は1平方メートルあたり50個以上なので

約MAXの20倍。都心部でも5〜6倍の飛散数だったようですね。

春、花粉も本番のようです。

ちなみに最も多い青梅の値は1000を超えており、青梅では、スギの

山からいっせいに花粉が飛散する様で、山がオレンジに染まり、

山火事と勘違いした住民が119番通報する騒動が、あったそうですヨ。

 

追伸2

花粉症になると=かぜ状態がずっと続く

ということが解りました。

辛いもんですね〜

 

 


 

 

 

『高校受験』

 

 

電話が鳴った。

ナンバーディスプレイは、息子の携帯電話の番号。

したがってこの電話は、合否の報告だ。

妻が硬直し、固唾を呑んで、こちらを見やる。

コタツを出て、受話器をとった。

「・・・」

「お〜どうだった?」

「・・・父ちゃん?」

「うん」

「・・・おわった」

「お〜」

「・・・おわった」

「そうかっ・・・、残念だったな〜〜」

「えっ?受かったよ・・・」

「・・・・え〜〜っ」

受話器を切った後、口から若干はみだした魂を飲み込んだ。

帰宅し、「発表が終わったって意味だよ」と言ってニヤリと笑った

息子の顔を見て、ふたたびあっけにとられ、完全に“一杯食わされた”

ことを知った。

時は1月23日の午前10時。

入試第一弾。

私立高校推薦の、発表である。

息子はニ校しか、受験しない。

私立一校に、都立一校。

それ自体は本人が決めたことだから、問題ない。

チャンスは一校につき推薦と一般入試の計二回、合計四回ある。

だが、二校ともがほぼ同列の偏差値で、模試での合格率が

それぞれ6割と7割との結果を見せられ、少なからず驚いた。

推薦に至っては、私立は

「今回の申告内申では、合格のボーダーライン上にある」

都立は

「今回の申告内申では、合格まで相当な努力が必要」

だ。

う〜ん、平気なのかな・・・と逡巡している内に、

あっという間に本番が来てしまった。

だから、魂がはみでた。

だが息子は、早々に勉強を再開する。

聞くとなんとしても、第一志望の都立に行きたいんだと言う。

 

順当にいけば、親が子を看取るより、子が親を看取るのが理と

言える。

だから、子に試練は必須と、私は心得る。

だが、図らずもこの一年、その試練が、まとめて彼に降りかかった。

昨年の一月、スキー教室中に私の父が死去したのを皮切り

に、彼を生まれた時からかわいがり続けてくれた、彼が敬愛する

恩師を事故で亡くし、今また、彼に将来の夢を与えたもう一人の

祖父が、体調を崩し入院生活を余儀なくされている。

正直親としても、彼の受験に対し、万全の環境をつくるどころでは、

なかった。

だが、極力行事に、参加させ、見舞いにも行かせた。

なぜか?

そちらも、いや、そちらの方が、人として大切だからである。

父として胸をはり言える事といえば、

「受験に受かろうと落ちようと、君の価値は少しもかわらない」

そして

「結果が大切でなく、発表前に、最善を尽くしたと実感できたか?

が、大切だ」

という事だけであった。

だから発表当日の朝も、そんな事しか、言えなかった。

 

そして四日後の1月27日は、あっという間にきた。

都立高校の推薦入試試験日だ。

帰ってきた息子によると、鍵になるであろう論文の出来が、

予測不能との事。

早速一般入試に向け、勉強を始める。

そして五日後の2月1日も、あっという間にきた。

都立高校の推薦入試、発表の日だ。

この日は火曜日、仕事がある。

“受かったら電話くれ”と息子に言ったら、“どっちでも、入れるよ”

とのこと。

発表は9時から。

遅く見積もっても、9時30分にはくるだろうと、たかをくくっていた。

だが、

こない。

待てど暮らせど、連絡がこない。

仕事中、ペンを持つ手に、力がこもる。

10時くらいまでは、少し希望を持っていた。

合格すればなにか手続きがあるだろう、だから遅いのかな、と。

だが、こない。

10時半になっても、11時になってもこない。

すでに、ペンを、折らんばかりである。

さすがに心配になった。

落ちて電話する気にならない程度ならいいが、いつ何時事故に合う

とも限らない。

と、突然、携帯電話が震えだした。

職場を飛び出し、電話に出る。

「はい」

「・・・父ちゃん?」

「お〜、どうだった」

「・・・あのね」

「あぁ」

「・・・想像はしてたけどね」

「うん」

「・・・想像はしてたけど」

「おぉ」

「・・・実際そうなってみると、やっぱり違って」

「うん」

「・・・なんか涙が出たよ」

「そうか〜」

私立の時とは声のトーンが、明らかに異なる。

いつになく低く沈んだ息子の声が、心なしか震えている。

「いや、しょうがないよ、また、がんばろう・・・」

「・・・受かったよ」

「・・・え〜〜〜っ?」

「○○高校に受かったよ〜、やった〜」

 

こうして、我が家の高校受験は、父親の魂を二回程口からはみださせたのち、

無事、幕を閉じたのである。

 


 

 

 

『新年、明けました』

 

 

大晦日と元旦。

都合二日のことであるのに、習慣というのはおそろしい。

勝手に年がリセットされ、ついでに、気分までリセット

され整った感覚 が、到来する。

昨年は、念頭に父の、年末に24年来の親族の、葬儀を執り

おこなった。

父のそれは、16年の長きに渡る闘病の末の 、予測されたも

のであり、親族のそれは、かまいたちのような、突然の

ものであった。

天災はまだしも、人災だけは防ぎたいものだと常日頃言

っていた自分の、想像力の欠如を痛感する。

天災も人災もない。

ニュースで、津波が到来する直前の団欒の光景を目にする

たび、心の中で手を合わせ祈っている自分に気付く。

そんな状態であるから、今さらながらベートーベンの第

九が、神を称え敬い信じる唄であることに、気付かされた。

だが、私には、むしろ神と呼ぶにはあまりに人智とかけ離

れた、宇宙 と名付けられたアナログの、壮大な流転をビン

ビンと 感じさせられる。

創造主とか、神、主というイメージから、一切の擬人化

を、全て取り払うことはできないだろうか。

今の私には、諸行無常であったり、色即是空の方が、

しっくり心に馴染む。

ようはものの見方と、こころのあり方だ。

私には、そう見えると、いうことだろう。

 

さて、

「年頭」

とカケルと、

「景気」

と反応してしまう。

今日は、そのココロを書きたい。

年末の24日、財務省は、国の借金残高が、過去最高

の730兆円に達したと発表した。

国民一人当たりに換算すると、実に570万円。

これに政府保証債務と地方自治体の借金総額を加えると

なんと1000兆に到達する。

あれこれ言う前にもう一つ。

内閣府監修の新聞「にっぽんNOW」には、その辺りの

台所事情を大変わかりやすく、家計に置き換えているの

で、紹介したい。

この財政状況を家計にたとえると、

 

月収は54万円(税収)

うちローン返済費が21万円(赤字返済国債費)

田舎への仕送り20万円(地方交付税)

家計の支出56万円(一般歳出)

収支を補填する借金は43万円(公債収入)

ローン残高6800万円(公債残高)

 

毎月43万円の借金を重ね、生活を成り立たせている状

況。

これが、日本丸の現状である。

正にボロボロ。

で、ボロボロな日本丸が壊れない可能性としての根拠を、

学者さんは、国民の貯蓄量や、先端技術力を挙げている。

本当にそれが信用になるのか?

第二の予算と、かつては謳われた財政投融資、この日本

独自のシステムの威光も、今は急速にその機能を失いつ

つある。

行革の本丸に、郵政民営化が上げられたからだ。

私が他の国の財務担当大臣であったら、日本丸には、

絶対に投資しない。

とても怖ろしくて、投資などできない。

むしろ外交上の軋轢が起きぬよう、ただし限りなくすみ

やかに、売れるものは根こそぎ売っぱらう。

ヘッジファンドの、日本市場の利用動向が、顕著にその

事実を物語っている。

海外には奇異に見える経済状況を、日本が理解し対策を

講じなければ、次になにがくるだろう。

これも、国債の暴落であることは、明らかである。

なぜなら、無策の政治的責任を誰も取らず、総辞職すら

おこなわれない事以上に、海外にとって、奇異に見える

事はないからだ。

国民に貯蓄があろうとも、国債の価値が暴落すれば、最

には、アルゼンチンと同じく、待っているのは超イン

フレへの道だけだ。

国民の貯蓄も、紙くず同然になる。

 

貴方ならこの現状を、どう立て直しますか?

私ならすみやかに、毎月43万もの借金を重ねなくてす

むよう、パンの耳を齧ってでも、家計の支出は56万か

ら13万に圧縮しますね。

次に、田舎にも泣いてもらう。仕送りはせいぜい、半額

の10万でしょう。

そうしなければ、いずれ金利の高い借金に手を出し、自

己破産は免れまい。

そうしても、月のローン返済21万は、収入に対し高す

ぎるし、ローン残高6800万は、脅威だ。

その脅威を回避するために、月収をまず、上げるべき努

力をする。

こう考えると、理屈は簡単でかつ、実行可能な道だ。

実はこの手の統計は、官僚の手で情報提示され続け今日

に至っている。

なぜ、政治はその道を選択してこなかったか?

問題はそこにある。

さらに、今後手を打つ現実的な動きはあるのか?

ここでも具体的かつわかりやすく、問題を置き換えて

みよう。

国政の候補者が、選挙広報で下記のように訴えた。

「日本丸は沈没寸前です。

私は孫子の為に、すみやかに日本丸を健全な状態に立て

直したい。

そこで、皆さん、私が当選した暁には次のことをマニュ

フェストとして掲げ実行したい。

都合二割、消費税と直接税を上げさせていただく。

社会保障費を一割、上げさせていただく。

公共事業は凍結、公務員を半分にする。

入札制度を設け、役所の仕事は、より公益性の高いもの

しか実施しない。

どうか清き一票を、私に…」

貴方は投票しますか?

 

結論として、日本は対策を講じることが出来ない。

何故か。

対策が何たるかは、経済をかじったことのある人間なら

判る。

社会保障と税を収入の6割まであげ、公務員を半分にす

ればよい。

そうすれば日本経済は海外から信用をすみやかに回復し、

国債の暴落、ひいては超インフレの発生を防ぐ事が出来

る。

だからこそ、私は、日本丸の行く末を、危惧している。

いや、ほぼあきらめていて、外貨貯蓄や海外移住を真剣

に検討している。

なぜか。

解決方法を政治が、選択しない。いや、選択出来ない

政治的土壌、それが日本そのものだからだ。

経済危機を回避しましょう、そのために、社会保障費

ならびに税を上げる政策を私はこのように提示します。

と謳う政治家が、必ず当選しないという、土壌である。

その証拠に、この国の政治家は後援者への利益還元を

実施しなければ、支持されない。

そう、

この国には、政治がない。

本来 政治は、公共性に根付いてなければ、機能しない

はずである

問題は政治意識が未成熟であるその、土壌にある。

端的に言うと、この国には、真の有権者が存在してい

ない。

「では貴方の能書きを、一行に要約してくれ」

と私が問われたら、こう答える

「有権者が、バカなのです」

と。

アメリカでさえ、孫子のために、痛みを分かち、公共

を担保する道を、有権者は選択する。

イギリスでさえ、適正な社会保障費の提示は選挙で

支持される。

真の有権者とは、自らの不利益を、公共の実現の為に

選択しえる者を言う。

政治的未成熟の状態は、これだけでは終わらない。

 実はこ の危機は、さらにその先のもっと深刻な政治的

危機を招く。

ここまで読んでくだすった貴方は、きっと賢明な方だ

から、昭和62年2月9日NHK、ETV8

「世紀末の現在」に出演した安部公房が、聞き手養老

孟司に語った一文を紹介させていただきたい。

「時代にとって怖いのは、異常が正当化されて、正常

が異端視されることである。

そういう状況のなかでは、大多数の民衆には、ひたす

ら強大なボスを待ち受ける気分が、充満する」

 

 

昨夏は、これまでになくビールが、美味しい夏だった。

そしてこの冬は、ワインが、いつになく旨い。

バケットとブルーで、美味しくいただいている。

私にはワインの指南書がある。

「ワインの本」

新潮文庫

作者は今は亡き重鎮、辻静雄

昭和57年、今から23年余前の本である。

きっかけは、親の、極めて高いエンゲル係数にあった。

定期的に、由緒あるものを、食べに連れて行かれた。

ある日、どうも由緒あるらしいのに、こちらがその由緒を

まったく知らないことが、いかにももったいなく感じられた。

親は食道楽で、グルメではない。

だから由緒など、二の次なのだ。

ウンチクを、披瀝するタイプでもない。

だからこちらは、この美味い料理がなにで、どのようにし

て出来たものであったのか、

今飲んだ深いコクのワインは、どこで作られたのか、

解らないまま、終わってしまう。

別に私も、グルメではない。

だが、もう一度食べたいとか、人に食べたものの説明を

したい時、ほとほと困る。具体的に、なに一つ言えない

のだから。

おまけに私は方向音痴だから、非常にインパクトを受け

た料理と、再会出来る可能性が、極めて低いことに気が

付いた。

で、ギャルソンやソムリエの説明に注意を注いだ。

だが、次から次へと料理が出てくる度に、ベラベラと説

明されても、一度で覚えられる訳がないではあるまいか。

聞こうとすると親が気分を害す。

メモをとるにわけにもいかない。

そこで仕方なく、探し出会ったのが、この本であった。

人との良質な出会いのように、この本に一度で、出会え

たことは、大変に幸運であったと思う。

この本と共に購入した「フランス料理の手帖」もしかり。

この2冊は今でも、変わらず、私の良き指南書であり続

けている。

そういう訳で、次は、フレンチについて、語りたい。


 

 

 

 

『旅立った君へ・・・君が生きるよう祈念して』

 

警察庁が発表した昨年の自殺者数は、34,427人。

兵庫県芦屋市の人口が38000だから、9割の人が、

この方法で1年間の内に、亡くなられた事となる。

内、一種はやりの様に報道される、集団自殺の件数と、

周到に準備を重ねた覚悟の自殺の数を除いた、残りほ

とんどが、うつ病による疾病的自殺だ。

私は、この方法を選択し、自死した方々を『病死』と、

考える。

 

3日前、

「自殺を図った」と、君のお母さんから連絡が入った

時、君の救命はありえないと、瞬間感じた。

君は何事も、充分すぎる程、やりとげる。

こうと決めたら、ためらうことはしない人だ。

超高度先端医療のICUで、都立病院の小児ICUで、

老人保健施設で、老人ホームで、

君が集めた、患者さんからの、厚い信頼と感謝の声の

数々は、よく、ぼくの耳にも届いてきた。

「こんな患者本位な人はいなかった」

「どんなに救われたかしれない」

「ぜひまた病院に帰ってきてください」

「あなたに見取ってほしい」

 

精一杯走り続けた君。

君が残した赤子と幼児、夫。

年老いた両親と、姉、弟。

聖書を身近に置き、マザーテレサを敬愛し、

文学、映画、音楽を楽しみ、人に頼ることができず、

人の看護に心血を注ぎ、駆け抜けた38年の生涯。

せめてぼくは、君から学んだことを記して、君が

生きればと、思います。

 

配偶者をお持ちの方へ。

独身であれば、最も精神的に、頼られている存在である

方へ。

周りの者には、取るに足りない事とすら思える不安を

訴えかけるようになことが続き、

いずれ口を開くと、その事ばかりになった時。

愚かだ、と責めないでやって下さい。

とるに足らぬ事と、聞き流さないで下さい。

真に受けて、叱らないでやって下さい。

 

この状態は、貴方にしか、解りません。

貴方以外には、他の誰にも、その不安をぶつけていません。

貴方にだけしか、繰り返しぶつけられないのです。

「私ノイローゼかな?」

と言っている内は、止められる可能性はあります。

ただ、カウンセリングをすみやかに受けないと、

この時点は、早急に通過してしまいます。

じっと、

貴方の顔を、不思議なくらい長く、見つめたら、

それは潜りはじめたサインです。

 

以後本人には決して、その不安の増強を止められません。

その思考の循環は、本人では打破できません。

気分転換が、図れません。

生活は、さほど乱れません。

笑顔は、完全に消えます。

目が充血します。

本人では病院に行けません。

寝食を共にしていなければ、貴方の電話が鳴り続けることに

なります。

口を開けば、この事だけを延々と訴えかけられると、

貴方もノイローゼになります。

そうして、貴方の発するきっかけとしての、否定的な

キーワードを、待っています。

言葉を得た彼女(もしくは彼)は、翌日の夕刻にはもう、

この世にはいないでしょう。

 

迷わず、

引きずってでも、

心療内科に受診させてください。

うつは、本人に自覚出来ないから、疾病なのです。

どうか、お願いします。

 

人を頼らず、人の手を煩わさなかった君。

そのツケ全てを最後にまとめてぶつけた君。

ぼくは自然が定めた寿命を全うし、そちらへ

行くから、永く待たせることになるけれど、

今度会った時には、強烈に説教するから、

覚悟なさい。

ただし、

君が残した赤子と、幼子。

両親、夫や、あらゆる不安は、全て責任もって力

を合わせ、解決することを、約束する。

カラマーゾフの兄弟、西の魔女が死んだを読み

ながら、

寂しくなったら、子やぼくらの写真や手紙をくり

返し眺めて、待っていてください。

 

 


 

 

 

『ことばは生きている』

 

ことばは生きている。

飲み込んだ数々のことばは、咀嚼している過程で消え、

あるものは、始めから霞みのように、存在感が希薄な

ものも多い。

だが一旦、嚥下したことばが、心の根に到達した時、

ことばは、呼びおこされた記憶や想い、願いや感動と

いった感情の発露と結び付き、丁寧にくるまれ、

やがて強固に固まる。

その、固まったものを、私は意志だと考える。

意志はエネルギーに転化する。

時には結びつき、色を変え、より肥大化し、強固になる

意志もある。

また、化石化し、今にも砂になりそうな、意志もある。

身体でぶつかった体験の結果、固まった意志もある。

意志の媒体も、当然だが、言葉とは限らない。

多くの場合が、聴いたり、触れたり、触れられたりして、

強固に固まり、意志化したものだ。

頻度はそれ程では、ないかもしれない。

だがことばにも、同じような力がある。

それゆえことばを言霊と、かつて人は呼んだのだ。

そして意志こそが、その人間の行動力の源となる。

これを動機という。

だから大切なのだ。

しばし純粋な動機を持つ意志は強く、消えかかった命を快癒に

導く力や、人知を越えた力で、世をあまねく照らすパワー

を発揮するような力を、併せ持つ。

私がそうだった。

かつての私は、ことばに救われ、育まれた。

 

小学校の低学年の頃から、定期的に熱発を繰り返し、学校

を休んだ。

今でもよく覚えている光景がある。

調子が良い。

じっとして、寝ていられないという感じ。

寝返りごときでは、とても発散が足りない。

熱を計る。

37.6分。

問題ないだろう。

そしてぼくは時を待つようになる。

やがて、母が近所のスーパーに買い物に行く。

団地の重いドアが、ゴトンと閉まり、ガチャンと

鍵が外から閉められ、コンコンと母の足音が下って

いく頃を見計らって、先ず頭をよいしょとおこし、

そろそろと上半身を起こしてみるのだ。

少し世界がふらつくだけである。

そこで思い切って、立ってみる。

やはり音が小さくなり、わずかに世界の揺れを

感じるだけ。

そろそろと歩をすすめ、遊びスペースに到達すると

どっこいしょと、そこに腰をおろす。

しばらくの間、ひととおり、眺め、めでる。

頻度が自分の中ではっきりしてきて、急いでぼくは

作りかけの戦車のプラモの、箱を開ける。

説明書を読みかえし、記憶を手繰る。

進み具合を確認すると、いくつかの部品を実際に

セメダインを着けずに、戦車に当ててみる。

ニッパで部品をハズし、固まったセメダインの口の、かさ

ぶたを指ではがし、いくつかの部品を付けてみる。

熱中し出した頃、母の足音が急に間近に迫ると、

鍵を取り出す気配が、扉の裏に重なる。

ちっと舌打ちをしてぼくは、片付けもそこそこに、布団に

ひき返す。

ただいまと、のぞきに来る母の視線を、身体を棒のよう

に固くして受けながら、鼓動が喉もとでトクトクはね

ている音を聞き、そして次には熱を計ってみるのである。

すると42度。

ぼくはなんとか母が検温の催促をしないよう、心をいた

めるのだ。

が母は、それを決して忘れない。

やがて、体温計が引っ手繰られ、医師が往診にくる間、

ぼくは罪悪感にさいなまれる…。

だが、私を本格的に苦しめたのは、熱発より頭痛であった。

月に二度程度、強烈な頭痛に見回れた。

少しでも頭を動かすと、痛みとともに吐き気が襲ってくる。

そんなときは目に光を入れられない。

少しでも入れると、頭が割れるように痛むのだ。

頭痛が納まるまで、窓のカーテンをしっかりと閉ざし、部屋

を真っ暗にして、布団の中でまるまって微動だにせず、頭痛

がすぎさるのをひたすら待った。

学校でそれが起きると、なすすべがなく、嘔吐が私を待って

いた。

仲の良いと思った女の子の、ゲッとそむける視線。

無理もない話である。だが、辛い。

バスで帰宅するのがまた、辛い。

いかにバスが揺れるものか、私は頭に直接叩き込まれた。

孤独に避難させたのは、この学校に原因があった。

何十日かぶりに、学校に行く。

すると最初の3分は、注視される。

私は身体が大きく、運動も勉強もできた方だから、まだ

よかったのかもしれない。

だが、3分を過ぎると、わたしは彼等と過ごすべき、貴重

な時間の共有を失ってしまったことに、痛いほど気付かさ

れるのだ。

話題、遊び、そしてグループ。

表面上は上手くっていた私は、しかしその実、疎外感にさ

いなまれ、孤独に安住を求めた。

その疎外感は、友達に仲間はずれにされるような質のものでは

なかった。もっと、普遍的なもの。いわば命の無常感といっても

よい、不可思議な悟りの境地であった。

その時私は、もし仮に私に、永久に学校に行けない事態が

起きたとしても、変わらぬ日常が厳然と存在し続ける実感

にとらわれていた。

学校では、過剰反応に出て衆目を集め、欠席の時の流れを

埋めた。

だがそれは、私の、本意ではなかった。

小学校の高学年に、グループが固定した後も、私の孤絶感

は消える事はなかった。

では孤独が嫌であったかというと、実はそうではなかった。

そこに、書き言葉の出会いがあったからだ。

学校を休んでいるにもかかわらず成績がよかったのも、実は

そこに源があった。

いつしか私の病の友として、そこに本があったのである。

低学年の私は、シートン動物記、「オオカミ王ロボ」の気高

さに、灰色クマワープ」に、「コヨーテテイトウ」に魅了

された。江戸川乱歩の「怪人二十面相」。特に「少年探偵団」

の小林少年グッズに魅了され、ペンライトや簡易縄梯子、

尾行用メダルを作り、自分なりの空想の世界に遊んだものだ。

それが「怪盗ルパン」に至ると、からくりやディテールにワ

クワクさせられることになる。

たとえば、カフェのカツレツ、湯気を立てたカフェオレや

ソーセージに、だ。そして、本家本元のエドガー・ポー

の逸品、「黄金虫」「モルグ街の殺人事件」「早すぎた埋葬」

アッシャー家の崩壊」そして極上の逸品、「メールストロム

の旋渦」まで至らざるをえない。

なにしろ時間だけは山のように、私にはあった。

時間を持て余す私に買い与えられた本、たとえば河出書房の

少年少女世界の文学には、大岡信訳ファーブル著の「昆虫記」

から、「宇宙戦争」不朽の名作「宝島」「小鹿物語」

「ギリシャ神話」までが収録されている。

宮澤賢治は、その実病床の空想文学である。

すぐ解った。わたしもそうだったからだ。

運動による出力が制御されれば、空想の出力による探検に

身を委ねるしかない。「銀河鉄道の夜」は、早くに馴染み、

通過した。

ポプラ社から漱石の「坊ちゃん」「三四郎」と経れば、

どうしても新潮文庫の「それから」をねだる。

そして「こころ」を読んだのは小学校5年生の時であった。

漱石のライバルは森鴎外で、これも素晴らしいと聞けば、

「山椒大夫」「高瀬舟」を求める。

岩波少年文庫には、「羅生門」「杜子春」「不思議の国の

アリス」星の王子さま」

これらは、総じて、わたしの中の、まだ固く閉ざされていた

心の扉をやわらかくゆるませ、心理のキビを発掘するのに

大変貢献した。

そして・・・、これは先生にはナイショだが・・・学校の勉強より

はるかに、おもしろかったのだ。

私は本という擬似体験のフィールドで、笑い、怒り、涙する

ことで、にんげんとはなにか?そしてにんげんになること、

のトレーニングを、十二分に積んだ。

本を閉じた後の満足感、せつなさ、動悸は、それらすべてが

無駄なく、人間理解の土壌と栄養になった。

100の読書より1の経験が勝る場合もあるし、100の経験よ

1の読書が、人生を変え得る。

ようは、実感しえない他者を実感し、痛みを分かち得ないは

ずの他者の痛みを想像し、共有するトレーニングが、人間に

は不可欠であり、読書は、一つの重要な機能をそこに内在し

ているのだ。

私はこれらの、上質の言霊に、救われた。

疎外感や孤独の内に、読書を通し、私はヒトと、結ばれてい

る実感を得たのである。

それが、私を、救った。

後に脳のCTを撮影しても、頭痛の原因は解明されなかった。

また、小5の時、結核性リンパ節炎と誤診され、ヒドラジット

という薬を一年間服用し、非常に悪い状態に陥ったが、

その後快方に向い、中学の高学年に入ると完全に、病は成り

をひそめたのであった。

小6の頃からはじめた、野球が私の芯を強くしたようだ。

 

触れて味わう。歩き、投げる。飲んで食べる。話し、聴く。

すべてが貴重な体験である。

それらを糧とするには、経験だけでは実は、ソースが足り

ない。想像力を鍛えるには、芸術はしばし、経験を凌駕す

る、大いなる力を発揮する。

それらも楽しみ、そして現実に触れ合う。

その現実から、価値や命という貴重なエネルギーをすくい、

いただき、わかつことができてこそ、なんぼだと思う。

サルトルの言うように、

言霊は、飢えた子を救いはしない。

が、言霊は、飢えた子の存在をしらしめ、飢えた子を放

置する社会を変えるという、もっともヒトらしい重要な使

命を担う。

今日は、存在を賭けて編み出された三冊の言霊の群に敬意

を評し、私も存在をかけて言葉を編んでみたい。

 

『生きながら火に焼かれて』

スアド著

松本百合子訳

定価1680円 出版 ソニー・マガジンズ

 

(ご存知な方は読み飛ばしてください)

彼女は、17才の時、恋に落ちた。

相手の男性が女性の父に求婚を申し出るが、父は「姉

が先だ」と反対する。

男性は去り、彼女は身篭る。

ある日彼女を除いた家族会議を彼女は耳にする。

そこで、父は彼女の義理の兄に「彼女を殺せ」と命じ、

賛成する母の声をも耳にする。

そして、彼女が洗濯をしている時、手伝うと後から忍び

よった義理の兄は、彼女に油をかけ、火をつけた。

火だるまになった彼女は道に逃げ、偶然女性に助けられ、

病院に運ばれる。

病院に母は毒を持って訪れ、家族の名誉を守る為、弟の名

誉を守る為、飲めと強要する。

覚悟を決めた時、彼女は医師によって、救われる…。

彼女が生まれ育まれた中東シスヨルダンでは、女性は教育

を受ける事が出来ない。

もちろん女性が男性を選ぶ事はおろか、自由に出歩く事

も許されていない。女性にはあらゆる権利と自由が、存在

していないのだ。家畜と同列、いやそれ以下である。

羊は病に侵されると心配されるが、女性は、責められ殴ら

れる。

たとえば、露店を営んでいた女性が、同業の男性と立ち話

をしていたところを夫に目撃された。

夫は即座に妻の首を切り落とし、それを持って公衆に晒し

闊歩する。満面の笑みで、だ。

コロニーは皆拍手で、彼の行為を称え、晒しを歓迎する。

多産な女性は羊の皮で生まれてきた我が子を、生まれた

そばから、窒息させ、殺して捨てる。

理由は、女性だからだ。

警察権が及ぶ地域のことである。

警察による治安が維持されている地域の事だ。

警察はなにをしているか?

この因習を黙認し、見て見ぬふりを決め込んでいる。

日本でも、事の大小の違いがあるこそすれ、事の本質に

近い事態が発生し続けている。

橋の上から子を投げ捨てる親。

虐待を我慢できない、親、兄弟、祖父母。

弱きを、よって、たかって、いじめる子ども達。

そして、皇室の世跡継ぎ問題は、公然とマスメディアを

飾るではないか。

女性蔑視の、なにものでもない。

男社会に、根本的な問題の所在は、ある。

だが私は、女性に先に、立ち上がって欲しい。

全ての女性に、この本を読んでいただきたい。

絶対にこの事態は、容認してはならない。

彼女のインタビューが終わった後、しばらくたって

なにげなく見た場面に、韓国のヨン様めがけて目の色を

かえ殺到する日本のおばさんたちを、韓国は驚きをもっ

て見ている主旨のレポートが流れた。

これではエコノミックアニマルという陰口が、ぴっ

たりだと、納得せざるを得ない。

結構醜いぞ、おまえたち!

 

少しの時間とお金を、この本の為にさいてこの本を読

み、感じてみていただきたい。

現在彼女はヨーロッパに夫と子供と生活をしていながら、

詳細も名も、明らかにしていない。

粛清という名の人殺しから今も、逃れる為にである。

上半身はケロイドに覆われ、耳は無いに等しい。

顔は常に、白い仮面で隠している。

今も年間で6000人の女子が、家族の手で同様の理由で、

公然とその命を絶たれている。

 

『はだしのゲンはピカドンを忘れない』

中沢啓治著

岩波ブックレットNO7

定価200

 

写真に映らない、写真という媒体では伝わりきれない、

被爆の実態が、ここにはある。

著者は幾重にも重なった偶然によって、生き長らえた。

そして著者が目にした光景は、写真として映された間

に起きた事実を刻銘に記している。

「…そして、ふと、空を見上げたのです。あの八月六

日の広島の空は、じつに鮮やかな雲ひとつない真っ青

な空でした。…ところが、原爆を搭載した、あのエノ

ラ・ゲイ号が堂々と上空に入ってきているのに、空襲

警報はなりませんでした。私はいまだにこれがナゾな

のです…」

空襲警報が鳴り、そして原爆が投下されていたら、死

者の2/3は助かっていたのだという。唯一この時だけ、

ぞろぞろと防空壕から出てきたところに原爆が、投下

された。そしてABCC(米国原爆障害調査委員会)

は一月後、被爆者から徹底したサンプリングを開始す

る…。

さて、その被害の実態だが、ここは、なんとしてでも

自らこれら言霊に目を通していただきたい。

これらの言霊を通した擬似体験の記憶は、おそらく貴

方がその命を終えるまで、長きにわたり自己体験に比

肩してその記憶に、留められることだろう。

受けた身体の方向から、びっしり入りこんだガラスが

体内で乱反射し、青い光を発する。

そして、歩くごとにそれらがこすれ、たてるジャリ

ジャリという音。

腕の皮膚が熱線でとけて肩からめくれ、垂れ下がり、

指の爪先で止まり、背中の皮膚はフンドシのよ

うにたれさがり、そうした大勢の被災者の、無言の行

進や、腸を引きずり四つんばいになって抱え、眼球を

たらしたままの者達の、行く当てのない、避難を。

黒焦げの者たちが、水を求め、行列を作る。

水をひったくって飲んでは、皆、例外なく3.4秒後、

死んでいく。

『…ほんとうに不思議な現象で、飲ます端からばたば

た死んでいきました…』

畑の冷を求め、そこにねっころがり、死んでいく。そ

れに皆、ならっていく。そしてたちまち腐り、ウジ、

ハエがわく…。その一部始終が、刻銘に記録されてい

る。

この後、母との再会、母が目撃した、家族の末期。

そして家族の骨を回収に行った、子供である筆者。

母との別離。そこから年、地獄は続いたのである。

原爆孤児達に、救いの手が伸びるまでの年という、

途方もない年月の生活。

を失い、あらゆる庇護を失った小学生達が、その

をいかに生きたか。

そして、筆者は、日本の根源的なタブーに、言及する。

神風特攻隊と一億玉砕という理念を畏怖したGHQは

日本にだけ、例外則を適応させた。

筆者はそれが「天皇制の存続」と言及している。

イタリアではファシズムの本丸を潰し、したがって

ムッソリーニはその死体を、市民の手によって引きず

まわされ、吊り上げられた。老若男女に「よくもおれ

たちをこんな目にあわせた」と石をぶつけさせた。

またドイツでは、いまだにナチの戦犯を地球の果てま

で追いかけ、裁判にかけている。

これがけじめである。

ところが日本では、敗戦記念日ではなく、いまだに、

終戦記念日なのだ。

戦争を意志決定した権限を持っていたものを処罰する

という、歴史上至極当然な追究が、明らかに、なされ

ていない、極めて歴史上希少な出来事が起きた。責任

の所在は、衆目の一致を見ているのにもかかわらず、

GHQの、日本国民への誤解と、共産圏に対する、政

治的駆け引きの手札としての役割が、正しい総括を妨

げたと、筆者は語る。

「…ところが日本はどうですか。敗戦の時も、イタリ

アとは反対に、皇居の前で土下座して、「天皇陛下様

私たちがいたらなかったから、日本は敗れました」と

泣いたわけでしょう。そして天皇は、戦後も憲法の上

で「象徴」というかたちで堂々と生き残っている。ま

た一方では、戦争犯罪人が戦後も平気で総理大臣にな

っている。…だから、戦争のむごさ、原爆のすさまじ

さがわからないのです。…先日テレビを観ていたらあ

る評論家が「核戦争に備えて、日本人はシェルターを

つくれ」といっていました。冗談ではない。核兵器が

使われてしまったら、いったいシェルターに逃げ込む

時間がありますか。たとえ逃げこめたとしても、空気

や水や作物が放射能で汚染されて、どうやって生き延

びるのですか。何十年間も生き残れるシェルターに、

何人はいれるのですか。…評論家がまことしやかに、

テレビなどで核兵器がどうのこうのと言ってますが、

それをうなずいて成程と聞いている人をみると、何と

いう認識の低さだと、私は思うのです…」

他者の実感が希薄で、自己を傷つけてしまう暇がある

のなら、この冊子を熟読し、体感してみて欲しい。

貴方は痛みという読書体験と引き替えに、固い意志を、

手に入れることが出来る。

 

『西の魔女が死んだ』

梨木香歩著

新潮文庫

定価400円

 

どんな要約も、陳腐にならざるをえない。

つまりは、デジタル機能の最たる言語をもって、アナ

ログ…現実感を表現することに成功した作品である。

安部公房は

「言語化衝動は人の宿命だ。だからヒトは必ず本を読む

と、すじを要約して、大意(文章の意図)を読み取ろう

とする。けれど読み取って、はい終わりでは、小説たり

得ない。作者は意味化できない原型を提示する。そして

読者はそれを文字とおり、体験するわけだね、現実の如

く」

と上等な小説を定義した。

この定義を『西の魔女が死んだ』に当てはめると、まさ

しく上等な作品と言えよう。

また、ラストの強固さ。

これも安部公房が作品の成功前提と上げた条件だ。

この作品がもたらす涙は、不思議なほどあたたかみが

あり、そしてすがすがしい。

私がもっとも感動したことは、

この作品の行間に作者がやさしさをもって閉じ込めた

情緒が、読者のだれの記憶をも呼び覚まし、しかもな

かなか自覚し、再現しにくい繊細かつ貴重で、宝物の

ような、大切な、しかし決して人として忘れてならな

いものであることだ。

研究者や書き手の方の再訪が多いので、一言付け加え

るが、この感動的な物語は、実は書こうとすると、非

常な困難と力技、豊かな感性を伴う。

理由は二つ。

アナログをそのままデジタル(言語)で表現している

ところと、表現している情緒、感情が、あまりに繊細

なため、捉え言語化することが難しいというところだ。

私はこの小説を書いてみようと仮定してみた。

するとたちどころに、いかに困難であることか、身に

しみた。

やわらかく、しなやかで、かつ渾身の作品。

まさに推奨の一作である。

 

ことばは生きている。

生きたことばには必ず、意志が宿る。

強い意志は広く遠くに、

うつくしい意志は、深く細部まで浸透し、やがてまた、

明るく照らす意志の芽に、その形を変えるのだ。

意志は、やがてまた、新しいことばを生む。

そして生まれたことば同志が交わり、反目し、連携し

て、かならずや意志のうねりとなるのだ。

うねりは明るかったり、暗かったりする。

だが、願わくば、明るくふりそそぎ他も生かす、太陽

のようなうねりであるよう、祈りたい。

そのうねりが、ことばの連鎖となって、ひと達の関わ

り方を変え、未来を形作る。

だから米をいただくように、レタスをいただくように、

ことばも充分に咀嚼し、栄養として取り入れたい。

どうせなら、おいしいことばをいただき、わたしも、

おいしいことばを創りたい。

彼らのように。

 

 

『人の世は、かく、ある』

 

秋です。

食べ物が美味しい季節。

しっかり咀嚼し、豊潤な血肉にかえましょう。

命に栄養を注ぎ、内なる輝きを増しましょう。

ダ スヴィダーニャ!

 追記

「借金国家から資産を守る方法」

フォレスト出版

前田和彦 著

1500円

 

「見栄っ張りで、中身が空疎」

私の目に映る、日本の今の姿です。

特に日本の財政は、現に破綻していると確信

しています。

そこで、対策を!

よかったら、読んでみてください。

 

  


 

 

『稀有な報告を…短く』

 

昼すぎ、突然携帯が震えだした。

母からだ。

出た瞬間、声色が、事の重大さとなって飛んでくる。

「今きみちゃんから電話が来て、どうしたの?学校は?

って聞いたら、お腹が痛くて休んだっていうのよ」

「…へっ」

「それで、今館町のジャックス・ファイナンスって所

に先輩に連れてこられて、お金借りなくちゃならない、

って言うの〜」

言葉が思考より先に、口を衝いた。

「それ、オレオレ詐欺だよ〜」

 

ちなみにきみちゃんというのは、中三の息子。

そして、明日は内申の行方を占う、中間テスト。

まさに受験真っ只中だ。

「だって、なんでお父さんに言わなかったの?って

いったら、言うと怒られるから…」

私は再び断言した

「おふくろ、それ、オレオレ詐欺だよ。

きみふさのわけがない」

「えぇ〜、そういえば声が違って、

きみちゃん、声がおかしいねって聞いたら、風邪ひ

いたって言うから…

昨日電話きたのよ、土曜日おばあちゃんのところへ

行っていい?ってきくから、いいよ〜って答えたの…」

「さ、ぎ。今、はやりの詐欺」

「…おかしいと思ったのよ〜、でも心配だから、学校

に電話してみて〜」

そこで学校に電話すると

「は〜い、なに?」

先生に呼ばれた息子の、不思議そうな声が電話口に響いた。

 

たまたまラッキーだった。

彼であるはずがない要素だらけなのだ。

実は昨年まで、PTAの会長をやらされていた。

だから、事務さんもふくめ校長、教頭、先生方にいたる

まで旧知の仲である。

なにかあればまっさきに私の耳に入る。

おまけに、息子は、三年間皆勤賞を目指している。

三年の二学期に至る今まで、彼は遅刻すら、したことは

ない。

先週などは、39.1℃の高熱を圧して授業を受けてきた程

だ。

それから、

極めつけは、彼の戦闘能力にある。

もう八王子中屋ボクシングジムの門を叩いて、五年目に

入った。

身長は175、体重は70を超える。

砲丸投げは体育際で三連覇。

25キロのダンベルでコンセントレーションカールを

する私が、腕相撲で彼に勝てない。

なにより、そのパンチ力。

25年ボクシングをやってきた私が、彼とリングに挙がって

肌で知った経験だ。

もし本当にそんな誘いが彼にあったのなら、私は彼より先に、

先輩の身を案じてしまう。

だから私は落ち着いていられた。

だが、これらの要素がなかったら、

そして彼の成長を見守り続けてきた母が

「なにかの間違えだ、息子に確認しよう」

という断固とした態度に出なかったら、

きっと帯付きの札束が幾つか、なくなる事態に陥った公算は

極めて高い。

それに、詐欺集団の、その準備。

情報として、公房をきみふさと読むこと。

別居している、母の孫である事。

母の電話番号を知っている等々、彼らの手口は実に巧妙

かつ周到だ。

母に110番するよう促して、きみふさ健在の報告の電話を

私はきった。

 

折りしも今日の朝日新聞朝刊一面を、オレオレ詐欺問題が

飾っている。

被害総額100億。

この額は、未曾有の事態であることを、私達に警告している。

警察は実家を訪問し、話しの全てを仔細に聴取したらしい。

実は、警官に成りすますオレオレ詐欺も発生している。

これらを総合すると、裏には組織が、見え隠れする。

だから、人ごとと考えないで、どうか有事の連絡があった際、

確認の段取りを事前につけておくことを、強くお勧めしたい。

オレオレ詐欺と違うが、

「お父さん(お母さん)が事故にあって○○病院に入院して

いる。ぼくは古くからの友人だ。一緒に行こう」

と、暴行や身代金目的に拉致する犯罪も多発している。

ここでも、用心して欲しいポイントは、

父母の名前を語る、親しくないと知らないような事を、語る

といった、情報操作が、手口の巧妙化に貢献している事だ。

身は、自分で守らなければならない。

 

以前○総業なる会社から、例の最後通告メールが来た事がある。

それが、かなりしつこい。

また、文言も周到に心理的圧迫を生じるよう、工夫されている。

頭にきたので、警視庁に働きかけ、摘発に結びついた事があった。

戦いが始まったら、気を緩めず、徹底するに限る。

 

久しぶりの更新なのに、すみません。

報告をいくつか。

塚越先生のファンタ爺さんの歌が、NHKみんなの歌に登場。

先生の本

「ファンタ爺さんの物語 コッコとコッカの冒険」

NHK出版よりようやく!登場しました。

10月にはCD,DVDの登場です。

語り届け集団の、ファンタ爺さんとスバル星の事務局長は

「こども、学校、地域をつなぐコミュニティースクール」

著者奥村俊子さんです。

共著の三鷹4小貝ノ瀬校長先生は、いよいよ 三鷹市 教育長に。

力強く芳醇な言葉の世界が、確実に広がりを見せてます。

 

朝日新聞には、安部公房の演劇再評価の記事が久しぶりに

登場。

安部公房はまさに、宝の山です。

 

発見!

貴重な、珠玉の感性。

涙に洗れる、すがすがしいまでのラスト。

「西の魔女が死んだ」新潮文庫

息子に薦められた、芳醇な出会いでした。

夏は、幸せに包まれてオリンピックに漬かっていました。

そろそろビール中毒から脱しそうです。

個人的には、安部公房小説作法をまとめる。

小説を完成させる。

この二つに力を注ぎます。

では、また。アディオス!!

 


 

 

「盗作、あるいは性」

 

 

ベストセラー街道まっしぐらの本に突然、“盗作”疑惑

が発覚し、世間を賑わす。

最近ではウンベルト・エーコ、日本では田口ランディ

などが、俎上にあがった。

「盗作だ〜」

と主張する側は、実にすさまじいenergyを発揮し、豊

富な証拠をこれでもかと挙げつらい、鬼の首をとったよ

うに勝ち誇り、吹聴し続けるのが常であるから、勝負あ

り、である。

それを見るにつけ、

あぁ、世の人には、それぞれに役割があるのだな〜と心

底感心させられ、このenergy別の方向に向けないもん

かね、とついつい斜に構えてしまうが、ちと立ち止まり、

正眼に構え直し、異なる角度から、ライトを当てるとそ

こに、興味深い陰影が、浮き上がる。

今日はその、陰影のはなしを2つ。

では、結論を先に。

一つ。

達人の文体は、達人であればあるほど、いや達人である

が故に似通う、という事。

次に一つ。

エーコも、ランディも、卓越したオピニオンリーダーで

ある、という事。

 

例えばノーベル文学賞を受賞したGマルケス、そして

安部公房。

両者に共通するところを研究者に問うと、誰もがまず、

その卓抜な状況表現を、挙げるであろう。

「とても、きれいな、花」

 副詞 +形容詞 + 名詞

という定番の表現からまず、副詞を削り、その時限りの

“きれいな”イメージを言葉に置き換えることで、一度

限りの状況表現を創造し、読者を作品世界に取り込む名

手である、と。

私自身も拙書等で、繰り返し指摘してきたが、最近、小

説を再読してみると、それは枝であって、幹ではなかっ

ことに気付かされた。

幹は他にあると痛感させられたのだ。

作品の真骨頂は実は、作品中一割に満たない状況表現に

あるのではなく、九割を満たす、その文体にあった。

文体こそ、幹であった、訳だ。

こう言うと、誤解を受けやすいのだが、彼らの文体に、

個性はない。

ここが、創作する上で、困難かつ重要な要素。

彼らは、あくまで、作品のイメージに忠実に、その構

成を違わぬ様、言葉を組み立ているにすぎない。

驚くべきは、せいぜい中学生程度の、簡単な言葉で、一句

まで不必要な言葉を精査し、削り取り、イメージ通りに

言葉を編み上げ、その作業の果てに現実以上に芳醇な言

葉の世界を構築している事だ。

あくまで簡単な言葉で、言葉を超えた現実体験を、言

葉によって構築する作業。

これが、時代を超える文学作品に共通する、言葉の、

使われ方だ。

 

「百年の孤独」のラストシーン。

ふくれ上がったまま干からびた皮袋のような死体が、

石ころだらけの庭の小径を、懸命な蟻の群れによって

運ばれていくところ…。

「砂の女」のラストシーン。

泣きじゃくりそうになるのを、かろうじてこらえ、

桶のなかの水に手をひたした。水は、切れるように

冷たかった…ところ。

 

簡単な言葉の積み重ねの末に到達する、カタストロフ

は現実の体験を凌駕する。

このからくりを分析して、さらに驚かされること。

それは、人間の意識と無意識の比重にあわせ、それらの

技巧を矛盾なく利用し、作品化を試みた結果である事だ。

人間は実は、それほど、意識的に生活していない。

外界の刺激を抽出し、オートマティックに意識を立ち

上げているにすぎず、ほとんどの時間を、無意識に外

界と対応している。

作品上で、意識状態を、状況表現で、表現し、その他

ほとんどの無意識状態を、平易な文体で、表現する。

このように人間の生理に、忠実に再現するからこそ、

言語を読み手に取り込ませ、次に読み手の中に起こる

視覚や聴覚、触覚等五感のフィードバック機能を利用

して、現実に等しい読書体験を構築できるのだ。

 

だが、何故か書き手は、書くという行為を続けていく内、

「文体」に個性を宿そうと、苦心惨憺を始める。

ほとんどの作品が、時代を超えられない理由が、これだ。

本来強固であるべきなのは、プロットである。

安部公房が密会の中で、神話的な構造を堅持した理由は

ただ一つ、強固なプロットを構築するためだ。

それに対し文体は、自在でなければ、時代の波を生き残

れない。

文体は感染力があってしかるべきで、才気がかっていれ

ばいるほど、感染されやすいのもまた、しかり。

事実、例えば評論を依頼され、集中してある作家の作品

を読み込むと、その作家が良質な文体をもっていればい

る程、文体ごとものの見事に感染する事は、正に自動的に、

起こりうる。

特に、読者にある反応を呼び起こす事を、主目的とした

文体は、その構造が非常に酷似する。

これは私に言わせれば、盗作では、ない。

問題があるとしたら、それは一つ。

感染や、目的を、書き手が意識しているか否か、だけだ。

 

次に、オピニオンリーダーの話。

今日は田口ランディを語ろう。

田口ランディの

「スカートの中の秘密の生活」

という本を五年前に読んだとき、

買い占めて精通が始まった男の子たちに、

配ってやりたいと、まじめに考えたことがある。

この本は、女性が自分の口で、自生する性を、

オブラートに包むことなく語った本として、

文化的後進国である、日本では、極めて画期的

かつ価値深い本だ。

この国は、性を恋人や夫婦の間で、理解を深め

るために語らない、これまた超後進国である。

この本を精通が終わったホヤホヤの男子が読んで、

どう感じるか?

女性にとっての性が、どうあるかを知り、特に、その

在り様が男の性衝動と、どう違うか、その性差が、

どんな性教育よりも効果的かつ具体的に実感できる。

更にここが、最も大切なポイント。

この本を読めば、

女性は大切にするものだ。

性衝動には、お互いを育てるまで、従ってはならぬ

ものだ、という事を学ぶ。

だが、それだけでは、まずい。

片手落ちだ。

なぜって、依然として世の女性陣は、男性理解には

至れないからだ。

女性もまた、男性に夢を見ている。

男性の性衝動のなんたるかを、正確に客体化できて

いないのは、図らずもこの本が証明してしまってい

るのだ、性差を明らかにしたことで。

だから、今日はお礼に、世の女性陣に、女性の知ら

ない“ズボンの中の秘密の生活”の一旦をお教えし

よう。

まずは、女性の性衝動の自覚が、非常に年齢的に

成熟した後到来することに比較し、男性はもれな

く精通時に、強烈な快感の洗礼を受けることで、

“いやおうなし”に自覚させられる。

いわゆる夢精というが、これはおっそろしく、強

烈な体験であることを、何人の女性が知っている

のであろう。

ちょっと私がここで語るのも、なんなんで、とり

あえず、手近にいる旦那や恋人を捕まえて、聞い

みてください。

ほとんどの男性が、

病気になったかと思った…

誰にも相談できなかった…

と言うでしょう。

予備知識がない上に、快感が強烈すぎる。

それが、ある日突然、人の痛みを想像するトレー

ニングも、ろくにつんでいない、小学校5年生か

ら中学2年生位の“子ども”を、襲う。

これは極めてやっかいな事態といわざるを得ない。

というのは、性衝動がどのようなシュチエーション

で自分の身に発現するかは、なぜか本能的に分かっ

ているから、仲が極めて良い幼馴染や、姉や妹など

がそばに常時ベタベタいたりすると、かなりの高い

確率で、相手への配慮が欠落した性的接触が起きて

しまう。

それを精通直後の未熟な男の子に“律せよ”という

のは、天をひっくり返すように、至難の業である。

むずかしい。

だから、親や年上のものが導いてほしいのだ。

それが、性教育ではないか。

で、同時に脳も急速な発達をするべく追いかけるか

ら、映画や文学や芸術に触れ、人を理解しようと試

みる。

この試みが、おそまきながら、人を思いやる心を育

むことになる。

けれど、そのような環境にいない男の子は、

早い話、マスカキ猿に等しい。

つまり、女性を人間として扱えないまま、時間を

重ねることになる。

実はそういう大人になった男が、ちまたにはあふ

れている。

最近は公然と女子高生をナンパするオヤジなんて、

あたりまえにいるでしょ、ああいう輩。

ひどいのになると、女性を排泄対象としか認知でき

ないままの、未成熟な男が出来上がる。

だからこそ、成熟の速度の違いと、男を見る目を

女性が養わないと、なかなか良質な性体験が“お

互いに”のぞめないという現実がある。

また、男という愚物は、見栄っ張りのかっこうつ

けだから、見栄っ張りでかっこうつけである故に

なかなかマスカキ猿から、豊かな性生活へ、移行

しづらい。

そこは、日々訓練しかない。

言葉に正確に映しかえる練習、それを相手に伝え

る練習、それを日々実践するよう導く。

実践することで、サイクルをつくる。

そうでなくして、何が、教育か。

相互理解。

労わり育む情愛が、なんとしてもないと、相互の

成長は望めない。

つまり、苦楽を共にするしか、芳醇な性を獲得す

る術はないと、こうなる。

 

最近、人間になりそこねた、“人で無し”や料理に

使うべき包丁を人にむけるような“化け物”が、ち

またに闊歩している。

日々私の職場にも、中学生や小学生が車に連れ込ま

れそうになったなどという電話が、ひっきりなしに

入る。

目を覚ませ。

社会は、つながっている。

相互扶助とは、足元から実践することに他、ならな

い。

ランディの勇気を、見習う。

爪の垢でも、煎じて飲む。

そして、身近で、

語り合い、理解することから実践しよう。

それが、あらゆる文化的後進性から脱却する近道に

他、ならない。

繰り返す。

人の痛みに、思いが巡らない、知識や技術など、人間

にとって何の価値もない。

「盗作、あるいは性」は、人が人間になるための、重

要なツールである。

かなり今日も脱線したが、盛夏の夜の一興。

 

(アメージンググレース、My heart will go on、雨だれ

をピアノで聞きながら)

 


「京王プラザホテル」

 

 

本日のプロローグ

 

 最近街で、頭全体を剃りこんだ男を、みかけるよ

 うになった。

 いわゆる丸ボーズの兄ちゃんやおっちゃん。

 きっと禿げた頭を工夫するよりは、いっそ丸坊主

 にした方が、見てくれが良いという苦心の末の、

 配慮だろう。

 だが、えてして、禿げ頭は顔そのものを浮き彫り

 にする。

 その面容は、不思議に共通し人に威圧感を与え、

 おおむね、その筋の人に見える。

 私の知り合いの俗物などは、

 「頭をそったら、すれ違う男が道をあけるよ」

 などと、ほざく始末だ。

 昨日、頭を剃り込み、がっちりした体躯の集団と

 すれちがった時、男達の顔に、思わず目を奪われ

 た。

 決して男好きだからでは、ないよ。

 一目見て、仏門の僧たちであると解った。

 その温和で、柔和な表情。

 あぁ、顔はつくられるものなんだなぁと、実感

 した。

 比叡山延暦寺の酒井大阿闍梨がメディアに写った。

 千日回峰を二回達成したこの大阿闍梨こそ、お手

 本である。

 貧相な顔が、修練を経て、いかに柔和で素敵な顔

 に変容したことか。

 ここまで話したら、若いに〜ちゃんは、

 「やっぱり顔はつくりですか?」

 とのたまわった。

 …。

 男ども、がんばろうぜ!

 女たちの輝きに、負けちゃいかんぜよ!

 世の男は、己のつらを、つらつら省みよう。

 特にオヤジと呼ばれる年代以降、男の顔は、

 囚われ方、過ごし方そのものの反映である

 のだ。

 TVで三つの鬼の厄払いを説明していた。

 笑〜欲に執着する在り方

 怒〜人と比べねたむ在り方

 泣〜力のなさをなげく在り方

 事は単純。

 見てくれでなく、心の在り様だ。

 

〜配膳会黒服はマエストロ〜

安部公房の常宿は、京王プラザホテルだった。

晩年ほぼ生活の大半を箱根の仕事場で、創作に

捧げ、用事はまとめてここでこなす事が、多か

ったようだ。

私がお会いした所も、南館8階の会員制クラブ

UUTだ。

その京プラ八王子に、一昨年の9月から11月末

までの3ヶ月間、「民間派遣研修」なるもので派遣

された。

縁とは不思議なもの。

研修中、新宿で安部番を努めた嘱託の方から、お

話を聞くことができたり、研修後縁あってボクシ

ングの興行を京プラで開催することになったり、

私事で利用させていただいたり、と付き合いが広が

り、以後スペシャルな人との食事には必ず、京プ

ラを利用させていただいている。

業界の御三家はご存知、オークラ、帝国、オータ

ニであるが、京プラは、カジュアルでかつ親しみ

やすく、かしこまる事を求められなくてすむ所が

いい。

実は私には、長年に渡り解決されなかった、大

いなる疑問が一つ、あった。

安部公房に待ち合わせ場所を指定されて以来、

「UUT」 というネーミング が、どうにもココロ

にひっかかっていたのだ。

会員制クラブ、トゥー、トゥー、ワン…

なんだべ?

なんで、トゥー、トゥー、ワンなんだべか?

トゥー、トゥー、ワンなんて名前、なんで付けた

んだべか?

なんか、意味、あるんだべか?

15年の間に、なぞは巨大な妄想にまで、膨らんだ。

依然として謎のままだが、さぞかしそこには、深遠

な意味が、かくされているのだろうと、思い出して

はため息をつき、一人、ゴチた。

あのジュウタンの厚さ、シャンデリアのまばゆい、き

らめき、チャイナドレスに身を固めた、モデルのよう

なウェイトレスたち、そして、トゥー、トゥー、ワン…。

長年安部番を務めたという嘱託さんの自己紹介に思わ

ず、私は積年の思いを込め、その疑問をぶつけた。

「あ〜、番地ですよ、番地」

「はっ?」

「新宿京プラの住所は、西新宿2の2の1なんです」

「・・・はっ?」

「ニのニのイチ、トゥー、トゥー、ワン」

「・・・、・・・・・・、・・・・・・・・・・・」

 

三ヶ月間の研修で、最も大きな収穫は、同年輩の

マネージャーとの出会いだった。

舞台裏から、仕事人としての気概まで、この人か

ら学ぶべきところは多くあった。

その彼、春原氏が、この人事異動で、新宿の宴会・

サービスに戻る。

八王子から逸材が去るのは、至極残念であるが、

ちょくちょく新宿に行くことは多いので、より大

きな舞台で活躍する彼を見るのは楽しみだ。

今日はせっかくだから、研修当時の秘話を、彼に

迷惑がかからない範囲で、ちょっと皆さんに

お伝えしよう。

一月目の研修場所はラウンジだ。

席への振り分け、案内からメニュー渡し、注文

取りから、お茶出しまでを一通り行った。

人手不足はどこも同じで、即、戦力を求められ

る。

注文取りまではよかったが、サーバーを持たさ

れた途端、苦労が始まった。

サーバーとは、飲み物やケーキを乗せて運ぶ、

銀色の丸い大きな盆のこと。

喫茶店でアルバイトの経験があればよかったが、

サーバーを扱ったことなど、一度もない。

コツは単純。

じゃんけんのパー状態で、指を思い切り開き、

その上にサーバーを乗せ、手前に傾け腕に寄り

かからせる。腕、親指、小指でサーバーを支え

安定させる。

それだけ。

だが、そこにジュースにアイスコーヒー、クリー

ムソーダなどを10も乗せれば、途端に不安定こ

の上なくなる。

「失敗していただいて、結構ですよ。

わたしなんか、サーバーの上をクリームソーダを

走らせて、客の頭にクリームを乗っけた事があり

ます」

うまい!

リラックスを促す、いいジョークだ!

ていどにマネージャーの話しを聞き流していたの

だが…。

お客の机の上に、飲み物を置くとき、気を付けな

いと、サーバーも傾いてしまうのだ。

実際に、オレンジフロートが客のオヤジの頭めが

けて、ツツッーっと滑った時には、

「Oh〜my god!」

また、サーバーにたくさん飲み物を抱えて配る時、

お客が気を利かせ、いきなり端に乗っている飲み

物を取った時などは

Fucker!!」

思わず内心、叫ぶ。

皆さんも、ウェイターが、ひきつった笑みを浮か

べ、よたよたと飲み物を運んできた時には、間違

いなく彼は研修生だから、くれぐれも用心すべき

だ。ましてや、飲み物を取ってあげようなどと、

けっして気を利かせてはいけない。

その代償は、間違えなく、貴方に振りかかる。

二月目は宴会部門、三月目はベルマンをやり、終

了となった。

京プラ八王子の宿泊稼働率は高い。

企業研修生の宿泊地として、企業と契約している

からだ。

したがってForeignerが多く、そのほとんどは、

中近東、アジアだ。

とどのつまり、お互い超ブロークンな英語による

会話となり、ニコニコ、ワーワー、結局意味不明

なまま、案内が終わるケースが多い。

だから食い意地のはった私としては、宴会部門が、

極めて印象的であった。

ここで、ご存知、黒服の登場となる。

ホテルでは、服で、従業員の差別化を図る。

パーティーの時に注意して、ご覧になっていただき

たい。

必ず黒いタキシードを着て、周囲に注意を払い、

若いウェイター、ウェイトレスに指示を出してい

る者がいる。

この人間を、業界用語で、黒服と呼ぶ。

黒服は、社員もしくは派遣社員で、宴会の担当責

任者だ。

京王プラザホテル八王子は開設11年目に入った

訳であるが、宴会部門における新人職員の配置は

2年目以降9年間、ない。

黒服の最も若手である3名が、2年目の入社にあ

たる。

黒服の元で、宴会のハンドサービスは、誰が行っ

ているか。

アルバイトである。

ホテルの料飲部門のハンドサービスは、そのほと

んどをアルバイトのウェイター、ウェイトレスが

になっているという現状は、ここ10年、どこの

ホテルでも変わっていない。

各ホテルはそれぞれ「配膳会」という配膳を行う

バイトの集団を抱えており、京王プラザホテルで

100%出資している会社「新東京エリート」が、

それにあたる。

宴会では、通常マネージャーによって、担当の黒

服が責任者として割り当てられる。

その社員黒服とは別に、大規模な宴会には必ずそ

の進行を指揮する「マエストロ」的黒服がいる。

ここではその配膳会黒服「マエストロ」とその仕

事ぶりを、ご紹介しよう。

 繰り返すが、宴会責任者の社員黒服の下で、直接

 配膳会アルバイト達を管理・指揮する、配膳会担

 当の黒服が、マエストロ・・・今回の主役だ。

 配膳会はアルバイトの集団であるが、キャリア

 や能力によって時給単価が細かく変わる。

 長いアルバイトはそれだけ時給も高い。

マエストロになると、2000円は軽く突破する。

学生の間、アルバイトとしてキャリアを積み、

評価も比例して伸びれば、生業とすることすら、

可能となる。

 通常、配膳会の黒服に空きが出た場合、社員の

 黒服の推薦を勘案し、配膳会の責任者がアルバ

 イトの中から、次期黒服の登用を決め、本人に

 打診する。

こうして、一人のマエストロが誕生する。

 配膳会黒服の職務は、配膳会のアルバイトをコ

 ントロールするのが主な職務だ。

 例えば1020人規模の宴会であれば、給仕す

 る者は4人もいれば充分。

 他に宴会が入らなければ、アルバイトは使わず、

 社員黒服が全てをまかなうことになる。

 (結果的に、利用者からみると、これは非常に贅

 沢な宴会だ。給仕のプロ中のプロ、社員黒服を4

 人も独占できるのである。繁忙期ではまず、あり

 えない)

次に規模も人数も増え、宴会が同時間に重なる

と、社員黒服一人が責任者としてその宴会を任

され、その下に配膳会黒服が一人張り付き、配

膳会のアルバイトが給仕をすることになる。社

員黒服は幹事と全体の動きをリカバリーし、配

膳会黒服がタクトを振るう。

大規模な宴会・パーティが、このパターンであ

る。

さて、宴会部門で、研修しているある日、某高

校の生300名が集い、テーブルマナーの講習会

が催された。

幸運にも私の当日の仕事は“ウォッチ”、文字

通り“見る”仕事だ。

誰がどうコントロールするのか?息をひそめ私

は見る事に専念した。

続々と高校生達が会場に集う。

なにより人数に、圧倒された。

2時間余りの時間で、この人数をマネージメン

トするのは困難であろう。

しかもウェイターは10名程度。

まず総料理長の挨拶、続いてベテランの社員黒

服、春原氏がテーブルマナーを壇上に上がり、

説明し始める。

語り口は軽妙にして洒脱。さすがと唸る。

いよいよ配膳が始まった。

まずは前菜の登場。

ウェイターは一糸乱れず腕一杯に皿を抱え、縦

列で登場し自分の受け持つテーブルに付くと、

同時に一礼。配膳を始めた。ここまでは合せや

すい。

往復するとほぼ同時に前菜は、全てのテーブル

に行き渡たる。

そこに素材とマナーの説明。高校生の緊張が空

気に伝染する。上品に口に運ぶため、思いのほ

か時間が長く感じられる。その間、ウェイター

達は直立したまま会場の端に控え、正した姿勢

を崩さず自分のテーブルを注視している。

すると、一斉に彼らは動き、自分のテーブルの

袖に立った。

彼らの視線の先に、配膳会黒服がいた。

配膳会黒服は入り口を背に正面を向く、ウェイ

ター達はテーブルの袖に立ち、配膳会黒服を注

視している。

配膳会黒服は全机を一瞥すると、うやうやしく

会釈をした。

向かい合ったウェイター達が、一斉に会釈をし

た。

私はこの時点で始めて、配膳会黒服の役割を肌

で理解し以後彼の姿を追い続けた。

ウェイター達は一斉に皿を回収し、縦列になっ

て、部屋を後にする。

そして戻ってくる彼らの手には、次の魚の皿が

乗っている。

位置に付く。配膳会黒服挨拶、ウェイター挨拶。

一斉に始まる魚料理の配膳。

しめやかに魚の食事を始める高校生達。

その間、配膳会黒服は水や白ワインに見立てた、

リンゴジュースを注ぐウェイターの一挙手一統

足に注目し、さりげなくフォローする。広い会

場全体に目配せしながら、給仕が足りないテー

ブルには自ら出向き、お客様のニーズを満たす。

パンのお変わりを給仕する。

やがてウェイター達は会場の壁際に下がり、

全員が自分の担当のテーブルを監視し、必要な

時に又テーブルに出向き、ニーズを満たしてい

る。配膳会黒服は入り口壁際に立ち、しばし全

テーブルに目を泳がせつづけている。と、おも

むろに配膳会黒服が動き出した。テーブルの間

を巡り、皿をのぞき食事の進捗を確認している

ようだ。するととたんにウェイター達全員に緊

張が走った。彼らは配膳会黒服を目で追いつづ

ける。自分のテーブルに目配せしながらも、動

き出した配膳会黒服を絶えずリークしているの

が解る。そして、配膳会黒服は手に下げていた

ナプキンを少し、斜めに挙げた。

それが合図であった。

一斉にウェイターが自分のテーブルの袖に位置

する。

もう一度、配膳会黒服がテーブルに視線をめぐ

らすと、うやうやしくお辞儀をした。

マエストロのタクトを注視していたウェイター

達が、いっせいにうやうやしく頭を垂れる姿は、

エレガントこのうえない。

魚料理の片付けが始まった。

このような具合である。

ナプキンを挙げて振る時は、新しい飲み物を一

斉に注ぐという合図。

合図は配膳、かたづけ、飲み物とおおまかにわ

けて3種類あった。

決して配膳会黒服の動きは目立たない。

一斉に動き出したアルバイトの動きを見やり、

自分のテーブルの袖に立ち、会釈する姿に注目

している高校生は、何人かいた。だが、会場の

高校生の中で配膳会黒服の指揮に気付いた生徒

はおそらく一人もいなかったであろう。

なんと素敵な立居振る舞いであろう。

その名指揮ぶりにしばし魅了され、存分にプロ

の仕事振りを堪能したのであった。

 

〜どんでん〜

 さて、次は、裏方仕事の、京プラ名物。

通称「どんでん」

「渡辺さん、今日の“どんでん”見応えあり

ますよ」

黒服に身をまとう春原氏のこの一言と笑みを合

図に、ミーティングが始まった。

土曜日の午後のことである。

最初の宴会は、最も広い会場である「翔王」の

間、総勢126名。

この時期にしてはボリウムのある宴会だ。

ところが叙勲祝いの宴の一時間後、同じ会場で

100名の結婚披露宴が予定されている。ミー

ティングが進むにつれ、これから始まるであろ

う驚愕のからくりの全容が明らかになった。

業界では、同一会場の大規模な早変わりを「ど

んでんがえし」と呼んでいる。

で、通称「どんでん」

私はそのからくりを、自分なりに想像し、イメ

ージしていた。

宴会は予定通りに終わる事はむしろまれである。

であるならば、時間的に物理的に最も易しい方

法を選ぶ。

たとえば机の配置はできるだけ変えず、クロス

等の備品は最大限に利用する。ところが彼らの

選択は違う。

ミーティングによると、食器を下げ、食べ残し

を片付け、クロスを取り、イスをしまい、机を

一旦全て下げ、そこから又新たに会場自体を作

り直すというのだ。私には博打にしか思えなか

った。だがイタリアから取材が入るほど、京王

プラザホテルの「どんでん」は名物化している。

緊張の中で、叙勲の宴の予定時刻を迎えた。

開始早々主催者側に混乱が走る。予定時刻を

過ぎても、司会が到着しない。

定刻が過ぎた。そこへ当人から携帯電話で

“JRが人身事故で不通”との一報が入る。

主催者は鷹揚に「司会だけでなくJR利用者

が皆来ていない。始められないから、開始を

延ばそう」と担当の黒服に告げる。「そうで

すね」この宴会を担当する責任者である黒服

は同調する。次にくる言葉を私は待った。黒

服は幹事に次の披露宴の開始時刻を告げ、丁

重に終宴時間を念押しするであろう。がしか

し会話は、簡単な打ち合わせの後終了してし

まう。思わず私は黒服に「大丈夫ですか?」

と聞いた。彼は「人身事故はやりようがない

ですからね、けれども会のマネージメントは

いくらでもやりようがあります」と事も無げ

に、顔色一つ変えず、言い放つではないか。

これはマニュアルに表現できないノウハウだ。

私は黒服の動きを凝視し続けた。

3時間の予定の宴会は定刻を20分遅れ粛々

を開会する。よく幹事が行う時間調整を「巻

く」というが、そういう意味で黒服は決して

「巻かない」。ただひたすら進行管理を徹底す

る。これは幹事にとってはありがたい。正に宴

会のプロである黒服が横に立ち、「手取り足取

り」面倒を見てくれるからだ。その中で人知

れず時間を短縮する。このマネージメント感

覚は、正に経験と伝承のなせる職人芸としか

表現できまい。しかも彼らは常に新しいお客

様のニーズにさらされ続ける。私が一月いる間、

二つとして、同じ宴会はなかった。リピータの

欲求も変化する。彼らはそれら顧客に対し、職

務を忠実に遂行しつつ、刻々と変化するニーズ

に最大限に応え期待以上の満足度を与える。

定刻とおりの閉会。

その10分後、最後のお客様が黒服のうやうや

しい礼に送られ、会場を後にした。

扉が閉められる。

それが戦闘再開の合図だ。

いよいよ京プラ名物、「どんでん」の開始である。

何人かの女性が身の丈の1,5倍程のキャリアを

運び込み、会場に等間隔に配置する頃には、別

の女性がワゴンサービスを引き、残り物を集め

にテーブルを巡る。他の大勢の女性達はテーブ

ルに集中し残り物は皿に集めワゴンへ、皿は種

類ごとにあつめキャリアへ、脱兎のごとく片付

けては並べていく。2つの大きな円卓の上がほ

ぼきれいになった頃、ちょうど男性達が舞台ま

わりのセットの解体を終了させ、テーブルとイ

スの片付けにとりかかる。

クロスをはがし円卓を解体、足を畳むと円卓を

立てる。身の丈の1・5倍、20キロはあろう

円卓を縦に廻し、転がして倉庫へ持っていく。

バランスが崩れ、机が片付けをしている女性達

を直撃すれば大事である。

まるで曲芸だ。

別の者はイスを一山8脚に積み上げる。イスを

宴会場の壁に沿って並べる。

そこに片付けに行った者達の手によって、新し

い机が搬入される。

クロスをかけ、机の上に人数分のナイフ・フォ

ーク・スプーン・ナプキン・灰皿等が巻かれる。

一人がナイフを大量に持つと、机の間を小走り

にぬいながら机に必要な数のナイフを大体人が

座る位置に置いていく…。

手に目が付いているのであろうか、この巻くと

いう作業が、実に早い。

決してぶつからず、あっという間に、机に必要

な備品がランダムに置かれていく。

別の一団が20余り入っているグラスの籠を身

体に抱える形で、片手で持ち、一つ一つ巻き始

める。巻く順番は配膳会の黒服が指示していく。

「タンブラーね・・・。つぎ赤・・・。終わっ

たら白、シャンパンね・・・」

 という感じ。すべてが巻き終わったテーブルに別

 のベテランがはいりつくと、丁寧に巻かれたもの

 巻き終わった頃まだセットは半ば。巻き終わっ

 た者は、セットし終わったテーブルにイスをセッ

 トしていく。

そして・・・。

時間にして30分足らず。黒服一人、配膳会担

当黒服一人、バイトの白服総勢10名程度。

 圧巻。見事などんでんの完成であった。

 外では、新郎・新婦が既に入り口に座り、披露

 宴の主席者達を迎える準備が整っている。出席者

 達も手にした思い思いの飲み物をあらかた飲み干

 し、あとは入場の合図を待つまで。

 黒服が最後のチェックに会場をまわる。

 そして入り口が開かれた。

 ちょうど定刻。披露宴が華やかに開催された…。

 

 秘話はまだ尽きないのですが、暴露話しはヤボ

 ですので、今日はこの辺りで。

いかがだったでしょう?

ぜひ、パーティーや披露宴に飽きた貴女、せっ

かく読んでいただいたのだから、今度出席され

た時、黒服の動きを目で追ってみてください。

楽しめること、請け合いです。

これはホテルの質を計る、尺度にもなる。

パーティの途中で、さりげなく手を挙げてみま

しょう。

ウェイターが直ちに来たら、かなりの水準のホ

テルと言えるでしょう。

少し後、黒服がお詫びと共に現れたら、これも

合格。

誰も来なかったら・・・。

仕方ないから、肩でも回しておろしてください。

以後、そのホテルを使うのはやめましょう。

さらに、いろいろなホテルを見比べてみると…、

結構個性があっておもしろいですよ。そのうち

目も肥えて、手抜きや手厚いサービスも、見抜

けるようになります。

 

 PS

 上智大シネマ愛好会、祝、友達上映。

 カリ−先生、いただいた本は、中国、呂さんに、確

 かにお送りします。

 読んでいただいた、皆様、猛暑ゆえ、水分補給はこ

 まめに。

 アディオス!


 

 

『このサンケゲツ』

 

こんばんは

おひさしぶりですぅ。

ごぶさたしてますぅ・・・。

 

なんか、

ご機嫌、斜めですか・・・

 

えっ、

さんかげつもって

そうなんですよ、あいかわらず忙しくて・・・

 

えっ、

あたりまえだろ・・・って。

小説はどうなったんだって、

小説作法は未完のままかって・・・。

 

めんぼくございません。

ジャブの速度でコラムをコウシン。

ミゾウのレスポンスとポテンシャルをケンジし、

言語で現実を創造することを試みた、前人未到の安部文学の

到達点をセキララにヒモとき、

「安部公房〜小説作法」に結実し、晴れて安部学校を卒業。

いよいよ自己の存在をかけて入魂の一作を編み上げる…、

予定だったんです

が、父を看取り、夢見たバラ色のビジョンは、結局看取った

後に残された雑多な処理と、年度替わりの雑事につぶされた〜

そんな三ヶ月でした、はい。

ようやっと今、ゴールが見えてきた、感じです。

 

5月15日、息子と娘が通う中学校の、PTA総会。

この総会で、ガラにもなく引き受けた会長をバトンタッチし、

それに付随する寄合的役務が全て、終了する。

これにて、様々な年度替りの雑事全てが、完結する。

また、父を看取った後の処理関係だが、

これは遺産分割協議書から、登記申請書まで、自前で作成

した為、冷や汗ものであった。

だが登記所から、問題があったら連絡をくれるという期限

も過ぎ、パーキンソン特有の消費癖から、父が買いあさった

証券・債権の名義も滞りなく、変更した旨の連絡が昨夜、

証券会社から入った。

(そういう病気の人間に、商品を売りつけるなよ!)

正に、重いアタックザックを降ろした時の浮遊感に似た、体感だ。

“肩の荷を降ろした”とは、言い得て妙だ。

改めてサンカゲツを振り返り、出来るだけおいしそうなところを、

てんこ盛りに、ピックアップしてみよう。

まずは、近いところから。

 

5月8,9日の土日、京都に、画家の個展を見に行った。

最近掲示板などで紹介している、石原智是の個展だ。

この画家は、私が住んでいる八王子の周辺から一歩も

出ず、主に小比企町の自然を、描き続けている。

だがその絵は、国境を軽々と飛び越え、ニューヨークやパリで、

羨望と共感をもって、迎えられてきた。

 

実は私は、絵にウルサイ。

ルーブルだけに10日以上の日をかける男だ。(男は関係ないが…)

叔母は画廊である。(だからといって、関係ないが…)

遠方にだって見に行く。(関係ない…)

ある日、絵にはウルサイと騒ぐ、私の言を覚えていてくれた小比企

出身の先輩が、石原氏の奥さんのお店に、案内してくれた。

店に入ってすぐ私は、壁にかかってある、一枚の風景画に目を奪われた。

二年前のことである。

(奥さんはピアニストで、奥さんのお父さんは画家である)

そのすぐ後、地元で開かれた個展に、お邪魔した。

全てが、写実タッチの風景画である。

そういう意味では、なんの変哲もない。

だが、躍動し、滝のように流れてくる。

全てが、驚くべき程、純粋なアナログなのだ。

だがら、言語化できない。

“海は浄化”

“山は癒し”

だそうだが、石原氏の緑には、本物以上の生命力が、凝縮されている。

なんというか、時を超える。

なにより、卓越した才の披瀝は、零れ落ちる、その光だ。

 

京都の個展に際し、石原氏から“何か言葉を”と言われたとき、

お気に入りの絵の鑑賞を通じ、出てきた言葉を託して、一遍の

詩に編んだ。

それは個展のリーフレットに、載っている。

それはさておき、石原氏に確認し、驚いた事がある。

こんなところで、言いたくない。

言ったらマズイのだが、この作家は、驚くべきことに、

オリジナルを1つずつしか、描いていない。

石原氏自身、率先して売ろうという姿勢をとらないため、

まだ、お気に入りの絵は、残っている。

だが、当然買い手は、つく。

過去にもついている。

私は焦った。

今も実は、焦っている。

今日まで幾度と無く石原氏と飲んでいるが、面と向って絵の

価格を聞くことは、はばかれた。

だから、画廊の叔母を個展に引っ張って行ったり、値段を調べ

てもらったりもしたが、本人はぜんぜん頓着していないのか、

今回の個展で始めて、リストとして本人が付けた値段を見て、

肝をつぶした。

桁が1つ、少ないのだ。

だから、本当は、こんなところに書きたくない。

まじめに、宣伝したくない。

なぜかって?

手に入れたいからに、決まっているではないか。

だいいち、売れてしまったら、イッカンの終わりだ。

まさか、「絵、見せてくださ〜い」と訪ねるわけにもいくまい。

落ち着いたら買いたいと心に決めていたが、正直生きた心地がし

ない。

京都の個展でも、絵の下に、赤い花が飾られていずに、ホッとし

たり、身なりの良い紳士が、その絵の前をなかなか離れないと、

ハラハラした。

私は、石原氏の絵と出会うまで、絵というものを購買の対象に考え、

また、感じたことは、かつて一度もなかった。

美術館がベストである。

なにせ、あらゆる要素を勘案して配置している為、そのレベルを

個人が維持し続ける事は、至難の技だ。

だいたい、絵画の所有に対しては、底に投機的心情が見え隠れして、

不快感すら感じていた。

だが、そんな事など、瑣末なことだと、石原氏の絵を見ていると、

感じてしまう。

そう、石原氏の絵は、生きている。

持ち帰って一日眺めていても、飽きる事はまず、ない。

こころの在り様で、絵が千変万化する。

音が、聞こえてくる。

そういう絵なのだ。

「山は癒し」だそうだ。

「海は浄化」だそうだ。

だが、石原氏の絵には、時に浄化があり、時に癒しがあり、常に

ほとばしる命のエネルギーがある。

正直に、言う。

全部買い取って、美術館にしたい。

私はそう、欲している。

 

今回の個展は、2人の京都の女性がプロデュースした。

純子さんとゆみさんだ。

個展会場には石原氏とゆみさんが待っていた。

まずビールを一献。

ゆみさんに留守番をお願いすると、ゆみさんに予約をしてもらった、

鴨川沿いの豆腐を食わせる店に、石原氏と、石原氏を紹介し

てくれた大澤さんと、日本酒をいただきにいく。

豆腐、ふ、生湯葉と日本酒の相性は絶品である。

ちなみに、その夜、そして次の昼の店も、すべてお2人が

知っている、旅行者には知るすべの無い店を紹介され、

京料理と酒を堪能させていただいた。

仲居さんとも話しがはずんだ。

なんでも、そこの店はアルバイトで、夜は和服を着て、宮下町

のお茶屋に出ていると仰る。

店も、一流どころ。

石原氏が、個展のはがきをお見せすると、

帰りに寄らせていただきますと仰る。

個展に戻ると、しばらくして、ちゃんと顔を出されたのには、

石原氏も喜んでいた。

なんというか、石原氏は、そういう人だ。

ちなみに、純子さんとゆみさんも、強烈である。

純子さんはライアー奏者で、純子さんが師で、ゆみさんが弟子

という間柄だそうだ。演奏会などで、東京にもよくいらっしゃる。

石原氏の絵に出てきても、違和感の無い、そんなオーラを

まとっている方だ。

ご主人は帯を染めながら、正倉院の修復をされている才人

夫妻である。

ゆみさんは、おそらくだれもが「モデルさんかな」と思うよ

うな、雰囲気をもっている。

それもそのはずで、○○テレビの局アナを五年やり、寿退社

後、資格取得に目覚め、終わりにしたいと、ついには、司法

試験に挑戦し合格したと、さらりと仰る。

この2人が、個展の大番頭であったり、ホステスであったり

されるので、彼女たちにまかせ、石原氏は我らと飲めるわ

けだ。

ちなみに石原氏と会うきっかけをつくってくれ、この旅を

ご一緒した大澤さんは、仕事を持つ傍らレストアの名手で、

自身もポルシェやベンツを所持し、ターボルックをルーフ

ルックに見事に加工してしまう、プロだ。

家族同伴の細田氏は、これまた至極頭が強く切れる、物理

天才君である。

こういう人達に囲まれるにつけ、組織の仕事で、自己の

全てを生かせると錯覚した時代は、とうの昔に終わったと

実感する。

組織にいて、組織を生かす為を第一義に置いた関わり方は、

組織を離れた所で、存分に己を表現できる場があって始めて、

徹底出来る。

組織をとったらなにもない、もしくは組織でしか、自己を表

現できない時代は、過去の遺物だ。

組織も、組織それ自体に、あらゆる資質を生かしフィードバ

ックできるシステムや、弾力性を兼ね備えない限り、先細り

は否めない。

 

私の、絵に対する嗜好には、異なる2つの指向がある。

マグリットは強烈だった。

忘れもしない、中学生の時。

美術の授業中、何気なく教科書をめくっていた私は、文字

どおり、一枚の絵に釘付けにされた。

抵抗は試みた。

だが、目を離せない。

授業はどんどん進む。

なにか課題が出た。

だが、絵から伸びた見えざる手は、私を鷲掴みにした。

それは、感動などという陳腐な言葉では表せない、現実

以上に力を持った何か、だった。

何年生で、何時の季節か、思い出せない。

ただ、その時の衝撃は、忘れるべくもない。

今でも、『今』のように、まざまざと思い出す。

『石』という作品だったと思う。

荒波の波頭の上に浮ぶ、巨大な岩、岩の頂上には城と

おぼしきもの。

中学を卒業後、折々強烈にその絵を欲したが、その絵が

なんという絵で、なんという画家が書いたものか、私に

は知る手段を持ち合わせていなかった。

だから何年かぶりに、偶然都立図書館で、その絵が載っ

た本に出会った時の感動は、一塩であった。

この指向は、今私を魅了してやまない、ご存知、中辻氏

が創造した絵画への、憧憬、感動、執着につながっている。

その魅力は、言語が吹っ飛ぶ、「存在」の魅力だ。

一方で、安部公房の卒論に苦闘していた24歳の秋、

『残照』に出会った。

作者、東山魁夷。

それは、おだやかに私の中に、入ってきて、しっかりと

根付いた。

これは、決して失ってはならない、「命」の魅力であった。

強烈な夏の暑さの中、訪れた長野の東山魁夷館で、まるで

異なるベクトルに、圧倒された。

そしてこの指向が、石原氏に出会わせたのである。

中辻よしのり と、石原智是。

この二人の画家が今、私の中で、もっともホットだ。

 

それにしてもよく飲んでしまった。

行きの新幹線の中では、電撃文庫の愛読書、バッカーノ1巻、

鈍行編、急行編という逸品を堪能できたが、着いた画廊での

酒盛りから始まって、河岸を変え、え〜い、ままよと、した

たかぶっこんで、夜さめるまえに又、しこたまぶっこみ、ホ

テルで昏倒。

二日酔いでホテルの朝食を反芻すると、酔い覚ましに又しこ

たまぶっこみ、新幹線で昏倒するってな感じ。

思うに酒に弱い私が、剛の者を向こうにまわして、一歩もひ

くことなく迎撃し、酔いつぶれなかったのも、ひとえに、京

の、質のよい料理と酒のお陰だろう。

本当は寺に泊まって精進料理三昧をもくろんでいたが、門限

の早さに絶句し、すぐ石原氏には却下を出された。

石原氏の適量はワイン一本だそうだ。

ちなみに私にはそれが限界量にあたる。

当然飲んだ後は石原氏も毎回、かなり足もとと口もとが、

あやしくなっているのだが、画廊に帰りお客さんたちを

にすると突然しゃんとして、受け答えに当たる様は、不思議

を通り越し、面妖そのものであった。

とりあえず、伺った店の名刺は、ひったくってポケットにねじ

こんで帰ってきた。

私も必死だったようである。

息子の受験でも終わったら、家族で今度は、食い倒れに挑戦し

ようとほくそ笑む。

 

その3日前にあたる、5月5日(水)。

八王子中屋ボクシングジム主催の興行第18回ファイティング

スピリットシリーズが、京王プラザホテル八王子翔王の間で行

われた。

メインは日本タイトルを9度防衛した、元日本ミドル級王者

鈴木悟の再起戦で、サブには至宝村上潤二がフィリピンチャン

プ・東洋4位のオナテに挑戦する大一番である。

前座には、アマチュア時代自分がセコンドを勤めた大塚選手

(デビュー戦)荒川選手(2戦目)の試合がくまれており、

全日本実業団選手権2連覇、慈恵医大の学生でもある月下選手

もデビューとあって、異様な盛り上がりを見せた。

実はこの興行後、八王子アマチュアボクシング連盟発足記念ス

パーリング大会を企画し、私自身主催者として実現にむけ奔走

していたのだが、直前になって事情により延期となってしまっ

た。

都連盟理事長の雨宮先生には一方ならぬご指導をいただき、

感謝と慙愧の念に耐えない。

先生は私の母校の、ボクシング部出身で、大先輩でもある。

延期になった分、次のチャンスには実りあるスパーリング大会

にしたいと思う。

試合は、ボクシングの怖さを実感した数々であった。

大塚選手は序盤の緊張から追い上げ届かず、惜しくも判定負け。

荒川選手は見切りよりガードが目立った試合だが、無難にKO

勝ち。(2戦2勝2KO)

月下選手は傑出する身体能力を駆使し、完封のKO劇。

そして、村上選手だが、1R身体が交錯し接近した時横から右

ストレートでアゴを打ち抜かれ、そのまま10カウントを聞く

こととなった。

多少意識がオフェンス主体になったところに、穴を見つけ得な

くはないが、それでも10回やったら、9回は村上の勝ちであ

る。

だが、その1回にあたってしまった、ボクシングという競技の

構成要素の妙に、おもわず時と言葉を失った試合であった。

村上選手をもってしても、全弾被弾回避は無理な競技。

先日、世界に君臨した不動の名チャンプ、ロイジョーンズが、

まさかの2回KO負けを喫した。

そのリスキーさが、ボクシングの魅力を高めていると言えるの

だが・・・。

鈴木選手も荒川選手同様見切りよりガードが目立った試合では

あったが、最後はハーンズばりの肩のシフトを見せて、KO勝

利で再起をはかった。

試合後小一時間空けて、アマのスパーリングを実施した。

選手達はプロのリングで普段とは異なる緊張感が味わえた事と

思う。

試合の衝撃でぼぇっとしていた為、グローブを付け、タオル・

マッピーを濡らし、セコンドというサイクルがやけに忙しく

感じたが、都合10組のスパーリングは、無事終了した。

 

これより少し前のことである。

八王子中屋ジムの中屋廣隆会長は、日大芸術学部を卒業した

彫刻家だ。スパーリング大会の打ち合わせに、前出の石原さ

んの奥さんがやっているお店を使わせてもらったが、打ち合

わせ後の会話は大変興味深く、かつ刺激に満ちたものだった。

かたや命をかけた、ヒト創り。

かたや自己の存在をかけた、もの創り。

その共通項がいかに多い事か。

芸術家は夜中の12から本当の時間が始まるという点では、

三人とも破顔の納得。

身を削り、作品に凝縮する事を実践している者同士の共感こ

そ、深海作業者の、良質の糧となる。

師安部公房と交わした数々の創作にまつわる、テクニカル

な、かつ魂を込めた話の最後には、必ずそれが、あったっけ。

師は、会話の最後に必ず、安部公房を知る人には、おおよそ

信じがたい言葉、

「がんばろう」

「がんばれ」

努力だよ」

で、その言をしめくくってくださった。

 

ゴールデンウィークに入る直前の4月27日(月)。

意を決し職場に電話で休みを告げると、バスに乗り込み、

八王子駅に到着すると、みどりの窓口に飛び込んだ。

目的地は 長野県富士見町 にある登記出張所。

相続による登記申請を提出する為だ。

それまで相続手続きには、ほとほと手を焼き続ける事態

の連続であった。

かなり消耗させられたといっても過言ではない。

困ったのは、ある文献では遺産分割協議書の原本の提出要

と書いてあるのに、別のサイトには、提出の必要なしとコ

メントされていたり、証券会社に問い合わせると、

「仕事を休んででも、窓口が開いている時間に、直接持参

してください」

と説明され、いざアポを取るために再び同会社の相続セン

ターに電話してみると

「郵送による申請しか受け付けてない」といった、不統一

な情報が、あまりに多かったことだ。

そんなに休暇が取れるわけないだろう!

だが最終的には、銀行は最も最寄の支店で、証券会社は相

続センターへの郵送で、手続きは終了しのである。

そして最後に、不動産の、相続による移転登記だけが残った。

実は最初はあきらめていた。

自宅を購入した際に、払った司法書士への手数料を考えるに

つけ、とても素人では太刀打ちできないと踏んでいたのだ。

誰にお願いしようかな…と思いつつ、ネットサーフィン中、

たまたま法務省の『登記・供託インフォメーションサービ

ス』にヒットしてみたら、

あれ?

http://info.moj.go.jp/

ご覧になっていただくと判る通り、意外と簡単なのだ。

ちなみに固定資産税の評価証明を 富士見町 役場からとりよ

せてみると、評価額など、たかが知れた。

収入印紙代は、評価額の2%。

これでは交通費と人件費を、くれてやるようなものだ。

司法書士に頼むまでもないと、俄然やる気になった。

そうして、この日の朝、遺産分割協議書、出生から死亡まで

の戸籍謄本等、固定資産税評価証明書、相続人全員の戸籍謄

本。印鑑証明は遺産分割協議書に添付してあるので、登記申

請書をコビー用紙に作成し、実印を押印し、念のために土地

家屋の権利書と実印も鞄につめこんで、家を飛び出したわけ

である。

これまで、こんなシュチエーションを、夢見てきた。

平日特急のグリーン席にでも身を沈め、

幕の内弁当つまみに、ビール!

くぅ〜、最高でしょう?

当然だが、そんな事に休暇をまわせるほど、ゆとりはない。

でも今日、夢が実現しようとしている!

アドレナリンが出まくり、気分は高揚した。

飛び込んだみどりの窓口でキップを買い、適度に人がいるホ

ームに身を運ぶ。

すべりこんできたあずさ号に、乗り込み、シートに身を沈め

る、この得も言われぬ贅沢な心地。

おりしも、丁度昼時だ。

さっそく、幕の内弁当と、ビールを購入し、窓

の外を流れる景色を肴に、舌鼓を打った。

胃の腑を落ち着けると、眠気が襲ってきた。

さて、極上のまどろみを…ともくろんだのだのだったが。

なにか、引っかかる。

どうも快適に、入眠できない。

書類を入れた大きな鞄が、邪魔なのである。

さりとて、隣の席に置いて眠りコケ、置き引きに合ったら間

違いなく家を追い出される。

足の間や窓と腕の間に押し込めても、うまく落ち着かない。

結局、快眠をむさぼることは、残念ながら次の機会にゆずる

ことにした。

駅につくと、がらんとしていて、タクシーがいない。

富士見の山小屋には、毎年かなりの日数滞在するが、もっ

ぱら車でいく。電車で富士見におりたったのは25年ぶりだ。

タクシー会社に電話するとおばちゃんが

「すみませんね〜、すぐ向わせます」

といったっきり、20分は待たされた。

きっと時間の流れが、ゆるやかなのであろう。

登記所には係官が2人と、不動産関係の事務員さんが3人閲覧

していた。

係官にシロウトだからとお願いして、申請書の製本の仕方を教

えていただいた。

収入印紙の金額を検算し、

「以前も書いた事あります?…はじめてですか?…よく出来ま

したね」

と褒めらた。

の親や教師は、もっと子供を褒めるべきだ。

人間褒められれば、いくつになっても、うれしいものだ。

さて、目の前のコンビニでホチキスを買い郵便局で収入印紙

を買って、…と思いコンビニに入って郵便局の場所を尋ねると、

相手が絶句した。

「ここをひたすら下るんですけど、歩くと…40分はかかりま

すよ」

今度はこっちが絶句である。

再びタクシーを呼ぶと、10分で、

「お待たせしました〜」

さきほどと同じタクシーが、すべりこんできた。

こうして無事、登記申請書を提出することができた。

にこにこして私は

「どのくらいの時間で、処理はおわります?」

と親切な係官に尋ねたら、あからさまに相手は狼狽した。

「…すみませんね。審査には慎重を期しますので、今日中

には終わらないんですよ。順番にやりますので」

絶句。

力が抜けてしまった。

なんでも、誤りがなければ登記所の公印を押し、登記が完

了するまで3〜4日時間がかかるそうだ。

問題があったら携帯に電話を入れていただくことにして、

登記所を後にした。

ともかくも、こうして相続のわずらわしい手続きから開放され

た訳だった。

帰りの電車でも、浅い惰眠をむさぼった。

先日、権利書が出来たと確認がとれた。

 

さらに時はさかのぼる。

4月29日の夜NHKラジオに、

3月5日の昼、NHKテレビに、

対話総合研究所所長で、聴覚言語のパイオニアである

塚越恒爾先生が出演され、出版予定の、語り聞かせ

に関して、お話された。

その前月の2月、小学校PTA連合の講演依頼を快諾

してくださった先生は、再び八王子にいらっしゃった。

当日は駅での出迎えから講演後の食事まで、半日ご一

緒し、前回に引き続き、貴重な話題の数々を、いただ

いたので、その一旦を、ここで紹介しようと思う。

 

アナウンサーとしての先生のキャリアは、実況放送

進化の歴史そのものと、言える。

先生が現場から実況した、昭和30年代生まれの私にと

って忘れえぬ数々の事件は

…アポロ11号月面着陸、安田講堂、よど号ハイジャ

ック、浅間山荘等…

そのひとつひとつが、時代のうねりを反映した、歴史

の転機となった事件ばかりだ。

アナウンサーの仕事もまた、時代の節目節目において、

放送技術の発達とともに、劇的に、変化していったと

先生は言う。

先生の先輩のアナウンサー世代は、記者は記事だけ

書き、アナウンサーは読んでなんぼ、の世代であっ

たそうだ。

そこに、実況中継が登場したことで、アナウンサー

からまず、台本が奪われる。

先生はその世代の中で、もっとも若い部類に属したら

しい。

実のところ、先輩世代は、台本なき実況に臆したため、

若い世代にそのお鉢が回ってきたというのが、真相の

だったようだ。

特にアポロ11号の実況中継では、一日24時間とい

う単位で、台本なき実況現場をまかされたという。

発した言葉は、取り消せない。

アナウンサーとして発した言葉に対する、反響や責任

は、今より重く、それだけ、生きた言葉であったと、

言えるであろう。

現在では、ニュースを伝えるアナウンサーは、カメラ

の中に走る、文字の読み手だそうだ。

それでも、発声する文節の区切りを誤ると、日本語

、まったく意味が異なってしまう性質を持つため、

緊張は耐えないらしいが、先生の時代におけるプレ

ッシャーは、想像を絶するものがある。

その後アナウンサーから経営職に転じ、カナダ国際

大学を立ち上げ、人材育成畑を歩く。

NHKを退職された後は、対話総合研究所を設立し、

音の日本語の数少ない指導者として、コンサルタント

をされている。

外資系企業の役員へのコンサルティングを通して、

義務教育に、日本語教育が不在な影響が、非常に顕著

だと、先生は指摘する。

音としての、日本語教育が、義務教育にない。

これは世界的にも珍しい教育形態だそうだ。

小学校に入学すると、音の発声をまず、どこの国でも

教える。さらにそれは、義務教育の授業の中で、事例

に対し、自分の意見を意識化するトレーニングと、意

識化した意見を自分の言葉で、他人に伝えるトレーニ

ング。次にはそれを、効果的に不特定多数に向け、よ

り効果的に発表するトレーニングへと続く。

日本では、教育=評価だ。

だから、点数化されにくい効果は、教育から無意識の

内に排除されてしまう。

「日本人はなぜ、口下手なんでしょう」

の問いに、先生は

「トレーニングをつんでいないからです」

と即答された。

それでは、口下手が、むしろ普通であると、言わね

ばならない。

だって、他の国では、小学生の内に、発音練習から

始まり、発声練習。

意見をまとめ、他人に伝え、説得するディベートの

練習。

議論することで、新しい結果を生み出す、ディスカ

ッションの練習。

大多数に、まとめた意見を発表するプレゼンテーシ

ョン能力を育む練習。

それら全てを、誰もが授業で行うのであるから。

つまりは、トレーニングを、しているものとしてい

ないものでは、その差は歴然だ。

グローブもはめた事のないトーシロと、プロボクサー

が殴りあうようなものだ。

われわれは日本語の発音を学んだ事が、ない。

先生の言葉を借りれば

「発音や発生をいっさい教えない国」

と言う事になる。

脳への刺激の多様さにおいても、日本の義務教育は、

一歩も二歩も遅れている。

今後は、点数化できない、しにくい部分こそ、教育

に取り入れる事が、不可欠と言えよう。

外資系の役員に日本人を登用すると、そのあまりの

プレゼンテーション能力の低さに、驚くそうだ。

そこで、先生の登場となる。

例えば、聴衆を前に講演をする時、ほとんどの人が

試みる深呼吸。

この深呼吸が、あがる原因になる。

なぜなら、上がった横隔膜は、声帯を締め付け、不

自然な発声しか生まない。そしてこの不自然な発声

が、あがりを自覚させるわけだ。

呼吸の早まりは、血圧やアドレナリンの上昇を促す。

呼吸は吐くことが、基本だそうだ。

だから、舞台に上がる前、ひたすら吐く。

そうすれば自然に息は、入ってくる。

又、日本語の50音の成り立ちを、先生の講演で始め

て知り、驚いた。

江戸時代以前のハヒフヘホは、ファフィフゥフェフォ

であったという。

この辺りを含め、あがらない呼吸、ただしい発音、日

本語の音の成り立ちは、

「音の日本語」

という本にまとめられ、対話総合研究所から出版され

ているので、読んでみると、きっと貴方の社会生活が

広がること、請け合いだ。↓

http://www.linkclub.or.jp/~cdl-tska/author/lib.html

話を戻そう。

特に、外資系の企業の役員は、一定水準以上の

プレゼンテーション能力の保持が、就任の前提条件

である。

だから外資系企業役員は大慌てで、日本人役員に教

育するとともに、自らも日本語を学ぶ。

そこで研修に招かれた先生が

「黒い髪のきれいな女の子」

と話されるととたんに、同時通訳者の手が一斉に挙

がるそうだ。

「訳せません」

と言われるそうである。

だがだから、あえて先生は、それを話す。

確かに!

解ります?

 

黒い、 髪のきれいな女の子

…《意味》 黒人の、髪のきれいな女の子

 

黒い髪の、 きれいな女の子

…《意味》 黒い髪をもつ、美人の女の子

 

黒い髪のきれいな、 女の子

…《意味》 きれいな黒い髪を持つ、女の子

 

黒い髪のきれいな女の、 子

…《意味》 黒い髪のきれいな女の、子供(男かも?)

 

つまり、どこで音節を区切るかで、どこで読点を打つ

かで、文章の意味するところが、まったく異なってし

まうのだ。

上の四通りだけではない。

音節や読点の位置を増やせば、さらに別の子が出現

することとなる。

先生はさらに以下のように、言葉をつなげる。

「言葉のつなぎ方1つで、音の言葉、生身の言葉が

意味を生み出していく。だから音は生きている」

と。

子供のアゴが小さくなった事は、発音に起因してい

るそうである。

70代をボランティアの年代と位置づけ、ニューヨ

ークのお孫さんへ贈った童話「ファンタじいさんと

スバル星」を語りに、小学校を巡る先生は、子供た

ちの話言葉が、会話時アゴを充分に使わない結果、

「叫ぶ」か「つぶやく」かだけになってしまったと

見てとる。

一方、お母さんの口ぐせ20年前を見ると

1位が、勉強しなさい。

2位が、なにやってんの、ぐずぐずぐずぐず

3位が、もう知りませんから、

4位が、まだやってないの

と、すべてが、禁止と命令から形成されていて、こ

れがコミュニケーションの機会を疎外する要因でも

あるわけだ。

そう、禁止言葉は会話を止めてしまう。

困った事に、20年たった今でも、お母さんの口癖

は、ほとんど変わっていないそうだ。

だが、先生は、9位に入っている

「だいじょうぶ」

に救いを見出す。

うなずき、受け止め、フィードバックし、サーキッ

トをつくることこそ、生きた言葉を紡ぐ、土台とな

るそうだ。

 

、人事担当役員に、採用の決め手を聞き、統計化

したデータは、大変興味深い結果を表している。

さてや、お立会い、

企業の人事担当役員による、人物評価のキーポイント。

採用面接において、採用に踏み切った理由をあげて

もらうと、

面接時における

1 言葉の内容、いわゆる

  面接の内容を決め手とした…7パーセント

2 音言葉、いわゆる

  表情等、堂々とした態度を決め手とした…38パーセント

そしてなんと、

3 目ことば、いわゆる

  見るからに信頼できる雰囲気

  を決め手にした…55パーセント!

先生からこの話を聞くにつけ、人間のコミュニケー

ションの本質がどこにあるか、叩きつけられた思いだ。

これは、拙書

『もうひとつの安部システム』

でも触れた、大いなる人間のアナロジーだ。

さて、続きであるが、

このあたりにしておこう。

ここから先はやはり、先生にご登場願うのが、一番だ。

 

もうしばらくすれば、某出版社から、マンをジシて、

スバル星の語り聞かせ本&CDが出版される。

これは、間違いなくブレイク請け合いだ。

先生の小学校行脚が少なくなることは、残念ではあるが、

先生の講演等貴重な日本語の話を聞く機会が増え、それ

が、言葉やコミュニケーションを見直すいい機会になる

と、今からわくわくしている。

 

先月、中国の大学院生より、情報提供の依頼を受け、

ウィリアム・カリー上智大学長の著書“疎外の構図”の

コピーと拙書を送付した。

(もちろんカリー先生からは許可をいただいている)

コラムに研究者への情報提供を申し出た後、依頼を受け

たのは海外の学生ばかりだ。

日本人の研究者は、2人だけとさみしい限りだ。

もっともそれは、「出身国として」程度のさみしさである。

国境なき世界の実現を夢見た師には、ふさわしい事態と言

うべきなのかもしれないが。

安部公房が残した言葉は、宝の山である。

まだ手付かずの原石が、あちらこちらにゴロゴロころが

っている。

所属国は問わない。

有能な研究者の出現を、請う。

 

最後に。

娘の小学校の卒業式に来賓として出席した、山口教頭先

生の、短いスピーチが、あまりに秀逸だったので、ご紹

介させていただき、終わりにしたい。

 

『迷ったり、見えなくなった時、常に帰る、言葉があります。

 日本に来日した、アインシュタインが記者会見で話され

 た言葉です。

 記者がアインシュタインに

 「人間はなんの為に生きているのですか?」

 と質問したら

 「人間は、人を喜ばせる為に、生きているのです。

 そんなこともわからないのですか」

 と言いました。

 迷った時、道を見失った時、

 私は必ずこのアインシュタインの言葉を、思い出します』

 

 

追 申

 

40代。

今日から、死ぬ準備を始めた。

死ぬ準備とは、生きる事を吟味し、取捨選択し、

より真に生きる事と等しい。

これからは、全能力を言語による現実の創造に捧げる。

もう1つ、ライフワークとして、ボクシングに関わる。

また、今後のサイト運営だが、

インタビューのコーナーを新設したい。

個人的に一人で話を独占してしまうには、あまりに惜しい方々の

稀有で貴重なインタビューコーナーにしたいと考えている。


『今日の必読書』

人間科学 養老孟司 筑摩書房

・・・引用開始

こうして、ヒトは二種類の情報世界を生きている。

1つは脳とその情報の世界あるいは意識的な世界であり、

もう1つは細胞と遺伝子の世界、つまりはほぼ完全に無意識

の世界である。換言すれば、脳の世界はいわゆる心や精神、

社会や文化の世界であり、細胞と遺伝子の世界は身体の

世界である。そう思えば、情報という新しそうに見える概念

からみても、伝統的な見方で見ても、ヒトの世界が心身に

ほぼ二分されることは同じである。・・・引用終了

この一冊には、最先端の知性による貴重な発見が凝縮され

ている。


「希望、光、命」

              石原智是個展によせて

                渡辺 聡

広大な宇宙。

広大な宇宙の、小さな私。

広大な宇宙の中の、小さな私の命。

小さな、

私の、

命。

でも私がいなければ、宇宙は、無い。

私がいてこそ、宇宙を感じる、命が、ここにある。

命があって、はじめてそこに光が、宿るのだから。

宇宙は、私。

宇宙は、私の命。

宇宙は私の中に宿る、命そのもの。

 

ここに光がある。

たゆまぬ光の、輝きがある。

るりいろに変化する光の、たわわな凝縮がある。

 

この光はどこからきたの?

この輝きは、どこにいたの?

ひかりを愛する彼の、心からきたの。

ひかりを愛する彼の、いつくしみにいたの。

ひかりは命だから、命を愛する彼の心だから。

確かに命が輝いた、とわの軌跡だから。


 

 

『お葬式』

 

仕事中。

1月15日、午前11時20分。

携帯が振るえているのが、目に入る。

着信番号は、実家のものだ。

出ると

『今病院から電話が入って、お父さんの心臓が

止まりかけてるって』

という、わりとゆっくりした、しかし若干かぼそく、

とぎれそうな母の声が飛び込んできた。

『現実は、かくある』

とっさの、実感だった。

 

17年前にパーキンソン病を発症。

7年前一線を退くと同時に、要介護状態に入った父は、

2年前の1月28日、脳幹脳炎により重篤な状態に陥った。

この2年間は、老人病院にお世話になったが、気切から

胃漏を経て点滴のみに至り、ここ2ヶ月はいつ臨終を迎え

てもおかしくない状態が続いた。

実家から連絡が入るたび、“きた!”と必ず身構えた。

だが度重なれば、慣れも生じ、緊張も薄れる。

おりしも穏やかな陽が、ガラス越しにオフィスを暖める、

不思議にやわらかな時の流れが幾日か、続いた。

一瞬の油断にフイを突かれた苦さを噛みしめ、職場を

後にした。

タクシーから、妻の学校に電話を掛ける。

病院に近い妻には直行してもらい、私は道すがら、

娘の学校によって娘をひろう。

11時48分。

最初に着いた母が入室するのを待って、父は息を

引き取った。

私も少し遅れ病室に入った。

そこにはまだ温かく、ようやく最後の長き苦行から

解放された、やすらかな父がいた。

享年72歳。

家康曰く

『人の一生は重荷を背負いて遠き道を行くがごとし

急ぐべからず』

父の人生はさながら、このとおりであった。

『不自由をつねと思えば不足なし怒りは敵と思え

勝つことばかり知りて負けることを知らざれば害その

身にいたる』

だが、あまりの不遇は、いかに心根を正しく結ぼうとも、

害はその身に至る。

ひとつの救いとしての、おだやかな死が、そこにあった。

しばらく父の顔をなでていると、徐々に体温が失われ

ていく。

見ると娘が、静かに顔をゆがめ、涙を拭っている。

「パーキンソンってうつるの?」

不安気に聞いた息子に「医者になる。なって難病を

解明する」と言わしめたように、娘の内にもこの祖父は、

たしかに生きていた。

今後、時が彼女に、今日の日の記憶を薄れさせたとし

ても、彼女の内に、おじいちゃんはいつまでも生き続け

ることだろう。

ようやく私にも、安堵が訪れた。

 

その時頭のどこかでカチリと、スイッチが入る音がした。

思えば無意識の内に、幾度となくこの日の予行演習を

2年以上繰り返してきたのだ。

その後はさながら、頭の中に隠れていた有能な秘書が、

嬉々として前面しゃしゃり出てきて、強制的に身体に、

指令を下しているようだった。

身体は粛々とやるべきことを、はじめた。

あいにく中2の息子はこの日の朝、2泊3日の行程で

スキー教室に出かけたところであった。

葬儀の日程いかんによっては、迎えに行く必要も生

じる。

看護婦さんに、長きに渡ったお礼を述べると、亡骸を

自宅に運ぶ手配を依頼した。

職場、母方の叔父・叔母、父の従妹に一報を入れる。

市営斎場に電話すると、生憎12月30日が友引で

あった為、混んでいて6日後の21日通夜22日告別

式が最短であり、それも2つある葬儀場の小(80名)

の方で、大(150名)はさらに2日待たなければならな

いとのことである。

母の疲労が懸念されたが、17年介護に献身を注

いだ分、別れの時間もまた、長くあった方が気持ち

の整理がつきやすいであろう。

最短の小さい葬祭場を、予約した。

幸い息子も、スキー教室に最後まで参加できるこ

ととなった。

実は3日前、おそらく今生の別れになることを息子

に告げ、見舞いしお別れをすませておいたのである。

予感はだいたいあたるものだ。

菩提寺に電話し、葬儀は市営斎場で行うこと、法要

を依頼したい旨説明し、了解をえる。(下話は事前

にしておくこと)

そして3日前に会員になったばかりの葬儀社(会員

になると、主な費用が半額になる)に連絡をし、葬

祭を委託したい旨を伝える。

葬儀社からは、氏名、住所、生年月日、喪主、菩

提寺、どの斎場を利用するか、いつどのように亡

くなったかを聞かれ、自宅に着いたら電話を入れ

るように念をおされた。

看護婦さんにゆかんと、あらかじめ用意しておい

た和服への着替え、霊安室への移動をしていた

だいている間に、死亡診断書へ必要事項の記入

と病院代の精算を済ませる。

医師と看護婦さんたちが、お見送りに集う。

父と一緒に、私も車に乗り込む。

すぐに車の中は、ポカポカしてくる。

抜けるような青空と、ガラス越しの、暖かな木洩

れ日の中、いつもの坂道を、いつもより丁寧に

ゆっくりと、車は下りる。

もう、この道には、久しく来なくなるだろう、そう

感じると、妙に景色はやさしく印象深く、細部に

わたって映ろいとどまる。

こうして父は、2年振りの帰宅を果たしたのだった。

 

事前に、安置場所は考慮しておくとあわてず

にすむ。

安置し、葬祭業者に連絡を入れると、すぐ担当

が来るという。

その間に職場、父の旧職場、親族、友人の代表

に電話連絡を入れておいて、正解だった。

業者が来宅し、打ち合わせている間にも、弔問

客が訪れはじめ、一息ついたのは、夜も遅い時

間になった。

以後は、必要なことと流れは、全て業者が段ど

ってくれるので、決め事にだけ注意を払えばよ

かった。

悩まされたのは、通夜・告別式の推定人数だ。

これは、会葬礼状の数、お清め・壇払いの数

に関係するので、失敗できない。

だが、やはり数はエイ・ヤーで決めるしかない。

特に会葬礼状。

通夜でほとんど使い果たしても、翌日の告別式

までには印刷・増量が間に合うというのは、安

心であるが、通夜の時に足りなくなったら、アウ

トだ。

父の場合、新聞発表がなかった事、OBの一部

にしか訃報がまわらなかった事もあり、葬儀まで

時間があったにもかかわらず、比較的簡素な式

ができたと思う。

だが、その分弔問客は、今日も続いており、出

来れば通夜等にお越しいただいた方が、お互

いよかったと感じている。

又、いろいろな顔をもっている場合、ある方面

にはまったく声をかけないといったようにすれば、

おおまかな数管理ができるものだ。

結局、400用意した会葬礼状は、通夜後、追加

して事無きを経た。

お清め・壇払いは縁のある京王プラザホテル

八王子にお願いした。

数は、やはりエイ・ヤー。

ただ、ここでも直感は、以外と外さないものだ。

お清めは約150人分をMAXとし、(好意で130人

分としてくれた)

壇払いは40人とし、一卓余分を用意してもらって、

足りも余りもしなかった。

あとは、受け付やまかないを手伝って頂く、町会

の代表者の方との打ち合せ。菩提寺との打ち合

せ。これは喪主である兄が務める。

遠方から来る親族等の把握と宿の手配なども、

葬祭業者にお願い出来ない部分。

それ以外は、業者の担当者の方のお陰で、困

る事は皆無であった。

ちなみに、私はPCでタイム・スケジュールを下記

のように作り、あらたな要素が入るたびに加除し

管理した。

それから、通夜と葬儀の役割分担を、きっちり決

めておくと楽である。

母にはなにもさせない。喪主の兄は、挨拶事、町

会の対応全て。他は私が全てといったような感じだ。

四日間、夜になると実家に皆が集い、兄と酒盛りに

興じた。

現代においてこそ、不義理とは罪な事だと酔いの

内に痛感した。

忙しさは、それほど実りある生をもたらさない。

そういえば孤独な父も、集うと決まって、素敵な笑

顔をみせた。

 

通夜の前日は、電話連絡だけで、一日全休とした。

通夜の当日は、実家に2時少し前に集合。

2時に父を送り出す。

女性陣は、親族が経営する美容室へ着付に直行

する。

6時通夜開始。4時過ぎに葬儀場に到着してください

との話しだったので、3時40分時間指定でタクシーを

依頼する。喪主と弟、配偶者に事故でもあると、葬儀

そのものが成り立たなくなるので、タクシーが無難だ。

一服して準備を整えると、すぐ時間がきた。

タクシーで一路、市営斎場に向かう。到着したのが4時

過ぎ。すぐに、町会のお手伝いの方がバラバラといらっ

しゃった。

これは反省点だが、誰か当日取り仕切る方を決めてお

いて、その方に一任しておくべきであった。

決めてお願いしておかなかったため、喪主の兄が幾度

となくお手伝いの方に、同じ説明を繰り返さなければな

らない場面が生じた。

葬祭業者はもう準備に着手しており、担当の主任とまず

生花の順番を決めた。

生花を息子に書きとめてもらおうと、息子にメモ用紙を渡

したら息子は、携帯で撮影した。これは楽で正確で便利

だと関心した。

その後私と兄は、親族や、父が生前親しく交際した方、

仕事上でお世話になった方をお迎えし、挨拶した後、

控え室にご案内し、法じょうさんをお迎えした。

母には控え室にいてもらい、相手を務めてもらう。

お清めの京プラは葬祭業者と直に打ち合わせるので、

挨拶だけで万事お願いできた。

そうこうする内、通夜までの時間は30分を切る。

受け付けが本格的に開始されると、もう、こちらは所定

の位置に着座し、あとは通夜の開始を待つばかりだ。

式の進行の説明を直前に受けるが、一応ひととおり聞く

だけで、その都度声かけをしてくれるということで、安心

した。

事実困ったり迷ったりした事は、ひとつもなかった。

ただお経が終わり、法じょうさんが退席する時、私も付き

添わなければならなかったので、その後いらっしゃった

方々をお迎えできなかったのが、悔やまれた。後に

「いないから倒れたかと思ったよ」などといらぬ心配を

おかけしてしまった。

全てが終わり、受付けの計算が済んだと聞いて、急に私

も空腹を自覚した。

京プラの料理を、親族とお手伝いしていただい方々とで

ぱく付いた。

寿司とサンドイッチが好評だったと聞いて、ひと安心。

8時過ぎ、通夜は滞りなく終了しのである。

タクシーで帰宅の途についた。

さて、翌22日。

この日は告別式開始は12時。

したがって会場集合が10時。

タクシーを8時に呼び、妻と子と、実家に向かう。

8時30過ぎに実家に到着。

すぐ女性陣は、美容室へ、着付に出発する。

すると兄が、緊張した面持ちで、“相談がある”ときり

だしてきた。

実は、アクシデントがあった。

昨夜と今朝、不審電話が2回に渡って入ったのだ。

鈴木というどこにでもいる姓を名乗り、

「町会でお父さんにお世話になったもです。ぜひ告別

式に出たいので、時間を教えて欲しい」

という内容で、相手の声色は、いずれも初老の男性。

実は父は3年前に今の所に住み替え、ほぼ寝たきりの

1年を過ごした後、2年間病院に入院しており、町会に

知り合いなど皆無だ。ましてやお世話するなど、あろ

う訳がない。

2度目の電話に出た兄が、町会の班と番地を訪ねると、

口篭った末、番地を告げたという。

すぐに、その番地を職場に電話し、住宅地図等で確認

してもらうと、山で家など存在しないという答え。

とっさに“やられる”と思った。

実はその時、金庫にかなり多額の現金が入っていた。

(今は、ないですよ。あしからず)

見るとその時既に、タクシーが迎えに来る時刻まで、30分

を切っている。警備会社に依頼する時間は、もうない。

兄とすぐ現金を金庫から出し、貴重品を集めバックにし

まうと、かなりの重さになった。女性にはきびしい。

喪主の兄と私は忙しく、写真と遺骨を持つので、とても持っ

ていられない。

フト見ると、私より大きいな息子が目にとまる。

そうだ!公房がいるじゃないか!

中2の息子はすでに私よりパンチも強く、さばきも早い。

高校に特待生でどうかとジムの会長に打診されるほど腕を

あげている。

兄と顔を見合わせ息子を二人して注視すると

「えっ、オレ?」と観念した息子は苦笑。

ともかくも、娘を入れて四人で、タクシーに乗り込んだ。

これでなにかあっても、最低限の被害で、済むはずである。

我々は気持ちを切り替え、葬儀場に向ったのだった。

到着後の段取りは、昨夜とほぼ同じであった。

ただ、初七日の法要を入れたため、お焼香が2回になった

こと。お清めがなく、焼香にいらしたお客様が少ないこと。

なにより、通夜を経験しているということで、気は楽になっ

ていた。だが、父との別れは、いよいよ本番を迎えた。

葬儀が終わり、棺に花を敷き詰め、順に釘を打ち、子ども

達の涙を見守る。

皆様に見送られながら、焼き場へ歩いた。

昨夜後楽園ホールのリングで、激闘を征したばかりの、

村上選手と中屋会長の姿に、胸を打たれる。父と都政

を支えた重鎮の方々は、いずれの御方もお年を召され

ていた。

自分の立場や年回りを痛感させられた。

焼き場の炉が、かちりとしまり、火がともされた。

 

その後小1時間は、下座に控えお酒をついでは、父に

まつわる、懐かしいお話しを頂戴した。

お金がなく、武蔵村山から立川まで歩いて電車に乗り、

通学し友達を心配させたこと。病気をおして、かならず

会う時は、駅まで迎えに来たこと。意外にも、息子の自

慢話しをよく聞かされたというお話し。

新鮮で、まるで父の姿がありありと、見えてくるようであ

った。

焼き終わりのアナウンスが入り、焼き場にもどる。

父の骨は、薬の影響で、カラフルであったが、事の他

しっかりしていた。愛用のメガネを最後に骨壷に入れる。

葬儀は、無事幕を降ろした。

そのままバスに乗って京王プラザホテル八王子に直行

する。2時過ぎに精進落とし、所謂壇払いが始った。

私が司会をした。

着座してから献花をお願いし、献杯、故人を偲ぶスピー

チと進行した。

最初からお願いしていなくとも、だいたい然るべき人

からちゃんとお言葉をいただけるものだ。

重介護になって7年。

危篤を迎えて2年。

没してから7日。

それら全ての内で最も長い、最後の2日が4時過ぎ、こう

して幕を降ろしたのであった。

 

タクシーで実家に戻ると、家は無事であった。

だが、翌日にも、不審電話は入った。

「会えばわかる」を繰り返すのだが、詳しくただすと

電話は一方的に切れ、聞いた番地に家は、やはりな

かった。

夕刻、家に到着。

寿司をとって、ようやく味わいいただける。

トロを食べる元気も出ず、並をとったがこれが事の

ほか旨かった。

翌金曜日、さっそく最後の忌引を利用して、社会保険

事務所に年金の手続きに行くと、なんと2時間待ちで

ある。その間に市役所で、健康保険等の手続きを取

り、ラーメンを食べても、まだ時間を余したほどだ。

事前に電話でよく、持参する書類を確認したにもかか

わらずなお、書類が足りないのにはまいった。幸い

それは委任状で、その場で書き、2度手間は避けられ

たが、市役所でも同じで、これはよくよく電話で確認

しておく事をおすすめする。

また、この日から墓石、墓から香典返しの業者に至

るまで、申し合わせたように電話が入り今も続いて

いるが、これは母にはりを与えるつもりで、対応して

もらっている。

日曜日、菩提寺にお布施を持参し、四十九日の日

取りを押え、翌月曜日は休暇をいただき、戸籍謄本

の取り寄せならびに挨拶回りに一日かけ、翌火曜日

から日常生活に復帰したのであった。

 

「蛇 足」

こうしてコラムを更新しているということは、ようやく

私にも日常が戻ってきたということなのだろう。

これから、おりおりに振りかえり、父の病・死を通じ、

生を考えて行こうと、思う。

また、葬儀はそうしょっちゅうあるものではないから、

参考になりそうなデータは、全て乗せておくので、ご

参考の程。

 

「参考、タイム・スケジュール」

17日(土)

18日(日)

19日(月)

20日(火)

21日(水)

22日(木)

23日(金)

24日(土)

25日(日)

AM

・京プラ/バスの手配/通夜・告別式壇払の人数確定      ・生花のシート作成

・昭納棺

・都へ叙位の書類〒

・戒名料を寺へ持参

告別式

・年金/社会保険/生命保険等の手続き

・寺お布施持参/49日日程調整

PM

 

・戒名料、お布施、お車代等用意

壇払い

今後の打ち合わせ

 

 

通夜

 

 

 

参考:葬儀費用

項 目 内 容 金 額 支払い
葬儀費用 業者(式場への支払い含む)への支払い 2,232,985 後集金
戒名代 一代居士料 1,000,000 前持参
お清め、壇払い 京王プラザホテル(お清め120名、壇払い40名) 1,219,265 後集金
法要代 通夜、告別式兼初七日 300,000 後持参
〃食事、車代     〃 40,000 当日手渡し

仏 壇

  277,956  

合 計

  5,070,208  

《葬式ひとくちメモ》

 葬儀費用の内、祭壇は200万の会員5割引きの祭壇を選択したので、

 あと40万は軽減可能だ。また、戒名代も父の社会的地位に合わせ、

 お願いしたもので、不要である。お清め、壇払いもランクを下げる事は

 できる。それでも簡素な葬儀を見積もると、320万程度の現金が必要

 となる計算だ。お香典は半返しが基本なので、ぶっちゃけた話、

 “とんとん”には程遠い。簡素な葬儀で、相殺しても250万程度かかる

 計算となる。参考までに。

※預金口座はすぐ凍結を確認。遺産分割協議が整い、名義変更後まで

 引き出せない。引き出し可能な手だて(配偶者名義の口座に移してお

 く等)を講じておく事をおすすめ。

 


気鋭のライター奥村俊子が、新たな時代の先駆者、三鷹四小貝ノ瀬校長の試みの全てを書き切り、掘り下げました。 

著者:奥村俊子/貝ノ瀬滋            出版社:学事出版                \1900 YAHOO注文フォームへ


 

 

『没後10年展終わる』

 

 

削っていって、残るもの。

これを執着という。

叔父の葬儀が終り、自分に何が残るか?

つらつら考えてみた。

衣。

どうでもいい。

住。

屋根があって、雨風がしのげればいい。

ここまでは、するする答えが、出る。

金。

これは利用するものだと、割り切っている。

あればあるなりに、なければないなりに、

自己実現の付加価値程度にしか、価値を

おいていない。

ただ、面白い。

この“金”との付き合い方に、そのひとの、

“ひととなり”が出る。

ひとを知るには、またとない道具である。

また、どんな物理的な性質でも、等価交換なら

しめるという、人間の脳の特徴。

つまり右脳と左脳の協調は、動物から人間に

なった象徴的特徴といわれているが、

“金”はそんな人間の進化の特徴を、そのまま

表していて、大変面白い。

大脳新皮質と利息が、人間と、経済界において

まったく同じ働きをしているのだから。

次に、食。

ここではたと、止まる。

う〜ん。

非常に自分が“囚われている”ことが、わかる。

私にとって、安息はイコール、

“暖かい家”

だ。

自分のもっとも根幹に

「貧しいながらも、楽しい我が家」

というあるべき姿としての、価値観がある。

ボロ家でも、ボロ布でも、心に“錦”で充分だ。

ただ、楽しい“我が家”の実現には、

“食”は欠かせない。

だが、贅沢さを求めているわけでも、ない。

そこで、今度は“食”を削って見る。

食を削って行くと、残るこだわりは

茶・米・味噌、これに尽きた。

正に、これが、私の『三種の神器』だ。

ほかに、贅沢はいらない。

あとはタクアンに菜っ葉、めざしで充分だ。

 

大地の香りを、味覚を通し体感し、共有する。

それが何より、生活に潤いをもたらす。

お茶は、妻の先輩の、三重のご両親が摘んだものを、

毎年、新茶の季節になると直接購入させていただいている。

お茶好きの母、義母、の分と我が家の1年分の

上煎茶と玉露の分を計算し、ダンボール箱で

送ってもらう。

お湯を注ぐと急須の中でお茶の葉がすうっと

開く。その素朴で自然な味わいと香りは

毎朝、起きたての身体の中に薬湯の様に

しみわたる。

農薬を使わず作られていると聞いている。

1年間飲み続けると、新茶の時期から、なくなる

頃まで、味の変化に季節がうつろう。

米はいろいろ。

味噌は、大久保醸造の米味噌。

大豆の旨みが、舌の両脇から染み渡る。

これで充分幸せである。

子育てが終わったら、早々に宮仕えをやめて、

晴耕雨読の生活に入りたい。

その時は、自分でこれらを作ってみたいと、

夢は広がる。

 

叔父の葬儀と重なって、北海道旭川の没後10年

安部公房展「公房と旭川」には行けなかった。

今ごろ旭川の富貴堂は、フィナーレを向えていること

と思う。

どうしても行きたい。

だが、ちょうどニ週間前、切符とホテルを予約する直前、

“どんなに願っても、絶対に行けない”という、強い予感

に見舞われた。

それは、間違いなく臨終に向っている、叔父か父のどちらかが、

今週中必ず亡くなる、という確信に似た予感であった。

そして私の北海道行きは、叶わない・・・。

私はそれを、父だと、思った。

だが、19日の夜電話口で母から私は、叔父が亡くな

った事を聞かされた。

いずれ、遠からず、北海道には行こうと思う。

従妹の渡辺三子さんと、弟の春光さんに、お話を

お伺いする事を、今から楽しみにしている。

安部公房は60年余の長きに渡り、

『平和的共存を実現可能にする、具体的なシステム構築』

という、人類にとって、最も困難な課題に挑戦する、といった

動機を、自身のなかで温め続けていた。

そしてその課題に対する、僅かで、細い光明を、『言語機能』

に見出し、その方向性は『'86ユネスコ東京国際円卓会議』の

基調報告に結実する。

その志は、残念ながら、システムのアトラスを示したところ

で、終わってしまったわけであるが、

安部公房の一研究者として、その功績をまとめ

「もうひとつの安部システム」

に記し、世に紹介したことで、私の使命の半分は

終わったと、考えている。

(簡潔にまとめたので、もう少し肉付けする余地はあるが、そ

れはあくまで肉付けであって、骨格ではない。それは時間に

ゆだねようと思う)

そして残りの使命の半分は、現在手がけている

「安部公房 小説作法」

だ。

これも、安部公房の研究者としては、まだかつて、だれ一人

として指摘していない、安部文学の鉱脈であり、連載が終わ

ったら、一時期このサイトに掲載し、後に本として出版したい

と考えている。

それが終わったら、晴れて安部公房研究者を卒業し、今度

は自由に、一物書きとして、書き言葉の可能性を、ジャンル

に囚われず、縦横無尽に広げて行こうと思う。

今、「安部公房 小説作法」は、山場をむかえている。

 

12月3日、元NHKのアナウンサーで後に経営職に転向し、

現在対話総合研究所の所長を務める、塚越恒爾先生が、

妻の勤める学校で、読み聞かせの授業をしてくださる。

音声言語の専門家である、先生が、ニューヨークに住む

お孫さんの為に書いた童話&CDが、出版されれば、

これは間違なく、大ブレイク必至だ。

もっとも素敵なことは、それが、読み聞かせを、情熱と

不安を抱え、実施している多くの父母たちの、光明であり、

羅針盤になる事だ。

幼少時の前頭葉の発育に、音読と計算は非常に効果的

だ。そのためにも、正しく、質の高い音声言語を獲得する

経験は、子ども達の成長を通し、日本語の文化の成熟

に、極めて重要な意義を持つ。

後は先生の決心を、祈るばかりである。

 

かねてから自分に、必読の書と課していた、

マイケルJフォックス著、「ラッキーマン」読了。

多くを語らず、寝たきりの余生を病院でおくっている、父

の姿が、終始オーバーラップした。

自分の存在の根を、決して語らないまま、墓に持ち込む

決心をした父の幼少期を今となっては、知る術もないが、

この本を読むことで、パーキンソン病に見舞われた後の

父理解が、深まった事に、感謝したい。

この秋の叙勲で、瑞宝中授章を天皇より拝命した父は・・・

きっと安部公房は、ノーベル文学賞であれば受け、文化

勲章は辞退したと推測する。私だったら、同じだろうな。

だが、父の人生を考えると、瑞宝中授章の勲記・勲章を授

与し、本当に良かった。

・・・同年代の例にもれず、凄まじい幼少期を送った。

彼は、戦争という時代と社会がもたらした、犠牲者という

より、普遍的なヒトの業の、犠牲者であった点で、その傷は

非常な深手であったことは、容易に推測される。

なにせ、実の父と妹を、自死で失い、母からは精神的

虐待を受け続けたのだから。

親兄弟であろうと、友達であろうと、ヒトから受けた傷は、

ヒトによってのみ癒されるという、特性と宿命を持つ。

特に庇護が生存条件に直結した幼少期の年代は、親の

在り様に、子は晒され続ける。

ヒトは弱い存在だから、仕事のストレス、夫婦の諍いは、

当たり前のように日常に存在し、それらの有形無形の

影響は、子どもにしっかりすり込まれ、結果として後の

社会に反映される訳である。

父に、一人間として、欠点は多く存在した。

子に対してもフレンドリーになれない、頑なさ。

女関係のだらしなさ。

だが欠点を補って余りある長所を考える時、男として、

いや、いち人間としてその強さや覚悟に、尊敬と感謝

の念を抱かずにいられない。

父は、自らの過去が及ぼす負の、一切の影響を家庭に持

ち込まなかったことだ。

ひたすら一人で背負い、我慢する。

他人に当たらない、一言も愚痴らない。

これを実施するという事は、大変な苦行であったはずだ。

今からは知る由もない父の心情だが、知っていたら、

きっと自分はその影響で変質し、今の自分には到達し得な

かったであろうと思う。

そういう点では、墓に持ち込む決意をした父に、深く感謝

しているが、せめてそれ以外の事は、理解してあげたいと

常々思っていた。

この本は、パーキンソン病が、具体的・生理的に、どのよう

な影響をヒトにもたらすかを、教えてくれる、最高の教材で

あった。

たとえば、勝手に震え続ける事を、やめようとしない左手の

感触。

たとえば、急に薬が効き出す刹那の、体感。

また、薬が効かなくなった時の、実感。

見てはいたが、理解・想像が及ばなかった、父がその時、

どのような事態に見舞われていたのか。

マイケルのことばのお陰で、ピッタリと、違和感無く、その

現象に見舞われつづけていた父の、経験を、自分のもの

として想像することができた。

これは、言語機能によって始めて成し得た到達であった。

言葉の力は偉大である。

父を通して、さらにパーキンソン病、ひいては出力障害への

理解が深まったのは、まぎれもなく、マイケルが生んだ、

上質の言葉たちの、おかげであった。

 

台風が来ている。

明日、12月1日の夕刻、関東に再接近するらしい。

今年は変な気候が続いている。

八王子中屋ボクシングジムの柴田モート選手が、プロテスト

に晴れて合格した。

アマチュアの試合で、サブ・セコンド通し、見守っていた選手

の合格は感慨深い。

どうか無事に、なによりも、彼が彼自身納得のいくリング生

活を、まっとうできるよう、祈るばかりである。

このところ、仕事と会議におわれているが、呆れるぐらい沢

山の本を読んでいる。

息子に勧められた、電撃文庫シリーズ。

バッカーノとブギーポップにはまっている。

TVでは、NHKアーカイブスによる、比叡山延暦寺の千日回

峰行が秀逸であった。

途中でやめれない。やめた場合にそなえ自死するための短

剣を懐にしのばせる。日に40キロ走破。

9日間の「堂入り」(断食・断水・不眠・不臥)は圧巻だ。

5日目、僧の瞳孔は開きっぱなしになる。

一番驚いた事は、妻の自死が仏門を叩くきっかけとなったと

語る、阿闍梨の表情が、以後20幾年の歳月を経て、あふれ

んばかりの、品格をたたえた、表情に変っていたことだ。

『食う寝る坐る 永平寺修行記』(野々村 馨著)といい、

最近は、なぜか、これらが意識に留まる。

また、とりとめのない報告になった。

近々、安部公房〜小説作法その3を、書き上げる。

乞う、ご期待。

 

 


 

『ネクタイ』

 

 

安部公房は、ネクタイを意識して身につけなかった。

それは、ネクタイ的なものを嫌悪しているのだ、という

積極的な負の意思表示であった。

一瞬それにふれた話しを、公の席でしたことがあって、

(渡辺格との対談)我が意を得たりと、ほくそえんだ事

がある。

京王プラザUUTにも、だから私はネクタイをあえて、

付けて行かなかった。

もちろんそこには、理念があるのだが、それ以前に、

そういう気質・体質が原因なのだろうと、最近は思って

いる。

実は私も、ネクタイと、ネクタイ的なものが、非常に嫌

いだ。

 

デパートによると、つい一本購入してしまい、はっとする。

どうもレジメンタルや、ペイズリーに弱い。

気がつくと、手に取って、財布の中身を確認したりしてい

る。

ちょっと立ち止まり、内省的に観察してみるとそこには、

案外複雑で奥深い、要素を発見することができる。

首から下げる、極彩色のヒモ。

だいいち苦しいではないか。

なんでこんなヒモ、首になんでまいているのか?そう

疑問が頭を過ると、とてもブキミに感じ、かなぐり捨

てたくなったりする。

忙しい生活の最中、時間がもったいない。

また、時々、首にさげている紐が、まるでむきだしの性

器のようで、奇妙にグロテスクに見えたり、首を絞めて

くれという意思表示に見え、危険に思えたりする時があ

る。

漢字のつくりに、いったん疑問を感じ出すと、とたんに

正誤が解からなくなったりする・・・、あの妙な感覚だ。

最近は、背広にまで、その「変な感じ」が広がってきた。

背広が、なんか、こう、アレンジし、擬装した「制服」

に見える、一瞬がある。

制服は、組織の構成員としての証だ。

時にはそれが、統率の象徴である、軍服に見えてし

まったりなんかして、やはりブキミで、逃げ出したくなる。

では、お金をかけ、瀟洒に、と洒落込んでも、やはり、

非常にひかえめではあるが、帰属している(身分保障

済の)人間であるという“表明”を、上品にくるんでいる

ようで、はなはだ心地が悪い。

ネクタイはさしずめ、その象徴的アイテムだ。

やはり、積極的に、『どこかの組織の従属者なんだよ』

という意思表明が、うしろにどっしり腰をすえているよう

な気がして、尻のあたりがムズムズするのだ。

初対面の商談の席で、Gパンにトレーナー姿の出席者と、

背広にネクタイ姿の出席者とを比較すると、後者のほう

が、相手に安心感を、各段に与える。という統計の意味

を、考えてみると、意外と問題は根源的だ。

 

人間には帰属願望と反帰属願望がセットでプログラム

されていて、通常、加齢とともに、帰属願望が増すよう、

プログラムされているらしい。

安部公房は、まさに、逆人間であった。

安部自身そう表明しているが、全集でその変遷を確認

すると、その軌跡は、正に逆人間そのものである。

だが、簡単なことではない。

気質・体質がそうでも、単なるアウトサイダーに成り下が

らない為には、すさまじいエネルギーを要する。

言語で遺伝子を抑え込み、コントロールする行為。

理性の“不快の選択”による、“快・・・衝動的選択”の統

率と排除は、余りに膨大なエネルギーを心身に強いる。

安部公房は、その辺りを

「絶えず、言語による刈込みを続けないと、すぐ侵食され

る」

と、語っていた。

負の連鎖を絶ち切りたいと、深く人間を見つめ続けた、

その行為そのものが、夭逝の原因の一つと考えると、な

んだか切ない。

次世代を担う若人にむけて、安部はこんなメッセージ

を語っている。

 

「・・・時には加齢と共に、反帰属願望が増す、異端者

がいて、きっとその人は、必ず時代に遺棄された、疎

外感を感じるけれども、伝統拒否の姿勢を貫きとおす

事が、あらたな誕生を創造する原動力の源になる」

 

安部公房の発想の源泉も、この辺りにある。

今一度、まっさらな視点で、渡辺格先生、養老孟司先

生とのNHKでの対談を、じっくり全集で読んで見ていた

だきたい。

あらたな発見の多い、素晴らしい対談である。

 

追伸

gcdzd12061さんの提案

「あらゆる政治家に、当選後『群衆と権力』E,カネッティ

を読むことを義務付ける」

妻の提案

「権限が集中する官僚にも、同じ」

激しく同意!!

正に阿呆を律する、必読の書。

 


 

2003、10.30 『死、そして再生』

 

 

男は幾度となく、はげしく父と衝突し、ついに家を出る。

やがて身を投じたミュージシャンの世界で、男は大成功

を治める。

ワールド・ツアー、ショウビジネス、まばゆいキラメキの世界。

今や、父の死も日常の喧騒の前では、些細な出来事に過ぎ

なかった。

そんなある日、彼自身が父親になる。

そこには、他に代え難い、温かくやさしい確かな世界が、広

がっていた。

いとおしい、最高の宝物。

その、ぬくもり。

伝えたい言葉があふれ出てくる。

ふと、男は、亡き父を思い出していた。

そして父の言葉の意味と、存在の意義をその時にして始

めて、実感する。

自分の心の奥底で、いつか必ず話し合い、分かり合おうと、

実は強く願っていたことも。

だが、父が死んだ今はもう、それもかなわない。

大切なことは、思い立った時に話す事・・・。

1989年全米NO1になった

The Living years』 

Mike& The Mechanics 

は、伝説そのもののロックバンド、ジェネシスのマイク・ラザフ

ォードの、自叙伝詩でもある。

 

今、この詩を、ぼくもまた、若干の痛みと共に、噛み締め

ている。

ぼく自身が書いた、生まれたての我が子について記した

文章を繰ってみた。

『おおきくなった母さんのお腹が動くようになりました。

お腹の中で、足や肘を突っ張らせて、伸びをしている

君がわかります。

元気に動くお腹をゆっくりさすって

「父さんだよ、いいこだね」

繰り返し声をかけつづけました。

ある日、いつものように声をかけていると・・・。

お腹の中の君は、ゆっくりと父さんの手の平のところに

その足や肘をもってきて、じっと、とまりました。

父さんは感動しました。

母さんのお腹をへだてて、君と父さんが出会った瞬間

でした。

それから毎晩、まだお腹の中にいる君と父さんは、そう

やってお互いに連絡を取りました。

お腹の中から出てきた君と、雨上がりの朝、始めて

対面しました。

至福の時でした。

父さんの腕の中で今、君は気持ちよさそうに寝ています。

君の小さな手は、父さんの指を握ってます。

「ようやく会えたね。一生仲の良い友達のような親子で

いようね」

父さんは君に、そっと声をかけました。

全ての子どもに平和が訪れますよう。

こんなに素敵な気持ちをひとりじめするのはもったいな

さすぎる。』

これを読むと、息子が生まれた当時の、みずみずしい、

再生の息吹という、感動が去来する。

生まれてきた我が子と対面し、始めて抱く時。

妻と子を病院から連れて帰り、妻の実家で一息ついた時。

授乳の時。

オフロの時。

言葉にならない、まったく新しい、希望に満ちた世界の扉

を、自分達が開けた幸福に、気付かされた。

そして自分の中から泉のごとく湧く、あふれ続ける何かが、

突如として、かつての父の姿と、リンクしたことが、ぼくにも

あった。

そうか、自分も、かつてこう見られていたのか・・・。

それはともすると煩わしく、疎ましい父親というものの、不

思議な再発見でもあった。

 

御多分にもれず、昭和一ケタ生まれの父の生涯は、波乱

万丈であった。

いや、彼は同世代のなかでも、かなり特異な境遇の持ち主

と言えるかもしれない。

 

祖父は没落家長、祖母は大きな病院の看護婦長である。

その祖母は、極端に我が強かった。

祖父が私財を食いつぶしてスカンピーになると、夫と子が、

腹をすかしている目の前で平然と、自分だけのために白飯

を炊き、泣き叫ぶ子の前で、一人食べるほどで、あった。

祖父は、轢死である。

妹もまた、すぐ後を追い、自死する。

父には、祖父の、妻に対する恨み言が凝縮された一冊の

ノートが残されただけであった。

父はすぐ働きに出され、自ら飯を炊き、夜学ぶ生活を続け

た。

我が家は、地方自治一族であった。

父は戦後、武蔵村山で都議をやっていた、叔父の元に身を

寄せるが、おおよそ“楽しい我が家”とは縁がない。

高校卒業と同時に都庁に入庁。

二部法科を卒業。

大学時代は、家から駅まで(立川から武蔵村山)歩いて

通ったというのだから、驚きである。

境遇をバネに仕事に邁進する訳であるが、人格形成的に

は、慢性的な愛情飢餓状態人間の典型であった。

人前でくつろぐことが出来ない。

唯一くつろげる場所は家庭。

だが家庭の中でも、彼は打ち解ける術を知らない人間で

あった。

正反対に母は愛情たっぷりの家庭に育ち、常に人が集ま

る家柄。

お陰で、いくらでも他者に対し、愛情を与えられる人間で

ある。

母の家系も様々な特異な問題を抱えていたが、そこに触

れると、本が2冊は書けてしまうので、省略しよう。

やがて、都の保育園、最年少園長をしていた母は、事務

方の父と出会い結婚。が、結婚に、もれなくついてきた、

例の祖母と妹によって、母の苦労が始まる。

育児の為母が仕事をやめると、さっそく彼等のいたぶりも、

その度を増す。

ところが不思議に、身体を壊しながらも母は、父には彼等

の所業の数々を、ひた隠しにしながら、仕事に没頭できる

環境作りにいそしむのだ。

結局、母は体調を壊し、父に悪事が知れることとなる。

そうこうするうち、諍いが決定的となり、ある日学校から帰

ってみると、祖母と父の妹は、家を出ていった後であった。

以来この父の妹とは、祖母の葬式の時に顔を一度合わせ

たきりであった。

当時ぼく自身まだこどもで、そのようないきさつや事情に

理解が及ぶ術もなく、ぼくの目に、この父母夫婦の在り方

は、かなり奇異に映ったりした。

特に打ち解ける術を知らない、孤独な父に対し、ニヒルに

観察し、シニカルに揶揄し、時に激しく、意見をしたことも

あった。

だが、今にして思えば、父は負の連鎖を断ち切ることだ

けに、やっきになっていた、だけであった。

家中に起きた騒動に関しても、父は誤解されることより、

一切を語らず封印し、自分の代で精算することを選んだ

のだろう。

もの心ついてこちらが訪ねても、なかなか核心を語ること

はなかった。

だが、いつか話しを聞きたい、聞けるだろうとぼくはたか

をくくっていたのである。いずれ彼が一人の男として、何

を思い、何を感じて生きてきたか、酒でも酌み交わしな

がら話す機会ぐらいあるだろう、と。

 

今にして思うと、父の幼少時の境遇、不遇は、たとえ彼

が、どんなに仕事をし、出世を勝ち得たとしても、心の

平安を得、心底安心できるレベルのものでは、なかった

ようだ。

当然あらゆる可能性が不安の種になり、世の中は、砂

の城に見える。

事故、失職、離別、飢餓・・・。

まるでその砂場に、必死に城を築くような、激烈な仕事

戦士に身を投じる。

その甲斐あって、35才で課長、45才で部長、55才で局長

にのぼりつめる。

秘書とお迎えの車付き。

ようやくここまで来た。

経済的基盤もなんとか不安を感じない程度に確立し、

砂の城もコンクリート程度の強度になり、さあ、これから

本当に自分がしたかった夢・・・これがささやかすぎて、笑

ってしまうが・・・旅行や団欒ができるという矢先、父は医

師からパーキンソン病発症の宣告を受ける。

この難病は本当に始末が悪い、出力障害を伴う病である。

脳死より筋肉死の方が、当人にとっては残酷極まるという

風評は本当である。

なにせ、頭で解っているのに、出力できなくなっていく。

言葉が出なかったり、身体が動かないのだ。

発症した当初はそれでも、ドーパミンの服薬はフローズン

ゲートを劇的に改善する。

当人は治ったかと錯覚する程、一時的に出力障害が影を

ひそめるが、残酷な事にすぐ、薬は効かなくなってしまう。

最初は例えば、記憶というタンスから、特定の引き出しを

開ける時間が、かかってしまう。

質問して、2時間たって突然答えを思い出す、などというこ

ともざらだ。

だがそのうちこの病気は、記憶という引き出しの鍵穴を錆

びさせ、ついには引き出しそのものも腐食させ開かなくし、

ついにはタンスごと溶かしてしまう、難病だ。

疾病が悪戯した部位が、脳のどこであるかで、本人と介護

者は時として深刻な問題を抱えることになる。

父の場合は正にそうで、動ける時と動けない時の差がはげ

しく、昼夜逆転、幻覚、幻聴、妄想、奇行のオンパレードで

あった。

昭和62年に確定診断されたが、正確な発症はおそらく数年

前に遡る。

運命は残酷なもので、さあこれから自分の時間を生きようと、

彼に喋らせた矢先、又このような苛酷な定めを彼に科した。

いつか父の人生について、ゆっくり話しを聞こうと、そうと思

っていながら、ついにぼくは、時を逸してしまった。

振り返ると、文学的な素養、動機といった素地は、彼等の生

き様に触れ、養われた気がする。

父が、同人誌に寄稿する文学青年であったことを、最近

知った。

父の生涯を思うたび、身に沁みて、囚われる思いがある。

それは、女性にはだらしなかったけれども、貧困、没落

両親の不仲、父と妹の自死、それらもろもろの負の要素

を、一人だけで背負い、歩きつづけた、その強く鮮やかな

生きざまに対する、感謝と尊敬の念だ。

普通これだけの過去があれば、そのトラウマの後遺症

が見て取れるであろう。

だが、こぼしたことも、あたったことも、嘆いたことすら、

1度としてなかった。おくびも、見せなかった点にある。

20歳になって、たんたんとあったことだけを、初めて聞

かされた。その時、父は涙は流していたけれども、極め

て冷静であったことが、印象に残っている。

父として、でなく、いち人間として、同性の先輩として、

その覚悟と、忍耐力、精神力に、頭が下がるばかりだ。

 

要介護状態になって16年目。

後半の10年は、母が、文字とおり介護に骨身を削る。

近年、父は幻聴・幻覚に見舞われ、夜には寝返りもうてなく

なった。

昨年2月17日と18日。

車椅子の父は、日に40回もトイレをせがんだ。

それでも尿は出ない。

母が叱る。

と父は突然母にむかって2度、はっきりと言ったそうである。

「お世話になりました」

そして18日の夜、意識消失、呼吸不全。

救急車により市内の大学病院ICUに運ばれ、ベンチレー

ターにつながれ、一時は血液のPH7.09 致死の値7.2を

大きく下回り、主治医から『何故生きているのか、はっき

り申し上げて、不思議です』と言われた。

心臓が強いのだろう。

その後、奇跡的に一命をとりとめたが、全介助状態となり、

老人病院に転院し、今に至る。

今はというと、栄養は胃に指し込まれたマーゲンチューブ

からもとれなず、点滴も全身を巡らず、むくみに抗っている

状態だ。

老衰である。

 

その父が、秋の叙勲に内定した。

プレス発表は11月3日。

瑞宝中綬章。

旧勲三等瑞宝章にあたる。

式は11月7日。

母には父の代役として、皇居に行ってもらい、ぼくは兄と

母のお供することにした。

父の人生にとって、これほどのプレゼントは他にないにも

かかわらず、父は生きながらにして、それを知る術を、すで

に失ってしまっている。

長い覚悟の時間があったので、特段の感慨はない。

ただ父を思うと、不憫である。

最後まで、運命は父に、苛酷であった。

 

唯一、父の救い。

それは、発症前と直後、父が家庭の真の団欒を、取り

戻した事であった。

ぼくとぼくの彼女を含めた週末の食事。

そしてぼくの結婚。ぼくらとの旅行。初孫。孫との旅行。

兄の結婚、孫の誕生、皆での旅行。

父の、穏やかな笑顔の記憶だけが、今のぼくの、父に

対する救いにもなっている。

幸せの実感は、身近な日常にこそ、ある。

彼が父として一身に労苦を背負い、ぼくには語らず配

慮してくれた分、せめてぼくは妻や二人の我が子に、思い

を全て語り尽くし旅立とうと、そう今、思っている。

 

追伸

6日、右肺水腫、肺炎併発、重篤な状態である旨の連絡、

主治医より入った。

伝達式、天皇拝謁中に危篤の連絡が入った場合、兄に母

をまかせ、私は病院に直行する予定をたてた。

仕事終了後、実家で食事をし、ホテルに向う。

首都高は渋滞もなく、9時前にチェクイン。

叙勲プランは、お祝のメッセージと、ぎっしりつまった冷蔵庫

利用が無料になるところが、ありがたい。

朝食付きで一人二万は、それなりというところか。

その後40階にあるBAR「トップ・オブ・アカサカ」に、母をつ

れていった。

モザミとキールロワイヤルにナッツ、チーズ。

母はアカサカというワインベースのカクテル。

兄はヘネシーのXO。

部屋に帰って、また小腹がすいたので、私はミートソース

兄はラーメンを食べた。

翌7日。

通常7時からホテルの朝食は始るが、この日は式典に

あわせ、6時からとれるようになっている。

6時30分にIN。7時終了。

8時10分に予約していた着付け、美容開始。

母は洋装であったが、和服は時間がかなりかかるので、

要注意だ。早めの予約をお薦めする。

9時30分、受け付け。控え&昼食室とバスの号車を知ら

される。控え室にて説明を受け、10時00頃より会場に

案内が開始される。

10時10分、地方議員、地方官僚の叙勲伝達式が、五色

の間で開始、私と兄は関係者席から参観した。

疲れて途中、居眠りしてしまった。式典終了がおおむね11時。

昼食に幕の内弁当が二つ出たので、兄にまかせ私は

ビフテキをかけこみ、インスタントカメラを購入、撮影。

勲章その他一式は控え室に置いてあり、そこから勲章をとり

だし母に付ける。

この1時間が一番あわただしい。12時集合。

皇居ではトイレは利用できないので、必ずすませることと、

言われるが、実際には利用できる。

12時10分。

バスを連ね、皇居に向う。

母はわりとしゃんとしていて、一人で出掛ける事ができた。

術後半年で、時々痛みに伏せる事もあり、また病院から

父の容態に関する連絡がいつ入るとも知れず、気が気で

はなかったが、ほっとして2時間あまり、兄とお茶を飲んだ。

2時30分、皇居よりバスもどる。

長い一日がこうして終わりをつげた。

 


2003,10,12 『真知夫人なら』

 

ようやく体調に、不安を感じなくなった。

実は、6日に送る約束をした評論の原稿にまだ、手をつけて

いない。

PCに向わなければと、思うのだが、その前にフトンにもぐり

こんでしまう始末である。

書くこと自体好きだし、話すよりは易しい。

だが、評論を書くことは、かなりのエネルギーを費やす行為な

のだということを、改めて実感した。

そんな訳で、11月号の掲載は、半分諦めている。

集中力の持続を維持するまでには、まだ充電が必要なようだ。

まずはコラムで、“肩ならし”だ。

気軽いキャッチボールのつもりで、しばしお付き合いいただきたい。

もっとも、ちょっと今日の玉は、重い。

 

「没後10年 安部公房展」

が世田谷文学館で開催されている。

昨日は作家 島田 雅彦氏の講演があり、

『行かない?』『行きますか?』『行くよね』

といった連絡を各方面より、いただいた。

だが、はっきり言って、気のりしない。

原因は、彼がこれまで書いたり、発言してきた、

一貫した、そのスタイルにある。

これは大江健三郎にも、共通している。

読んでいただければ一目瞭然であるが、

一見評価しているような事を書きながら、その実揶揄

し否定的に断定することで、評価を下げる、そのスタイルに、だ。

ついでにそこに、必ず自分の作品の評価を高め、担保する

発言を混入させるものだから、始末におえない。

まさに死人に、口なし。

よけいに、だから、感情を逆撫でにされる。

 

安部公房は、島田氏と対談をさせられて、よほど懲りたらしく、

『恰好つけのお化け』

『大家きどり』

『あんなふうになるな』

と私自身も当時、散々当り散らされた。

よほど言葉遊びに、辟易とさせられたのだろう。

『「友達」の監督、シェル・オーケ・アンデションは、大人で、自分

の言葉を持っていた、それに比べ、子どものように稚拙』

と、吐き捨てた。

また大江氏については、

『政治家であって、作家はやめた』

と、合わない理由を私に、そう述べた。

かつて肝胆相照らしていた二人が、後に袂を分かつことに

なった話しを、今更引き合いに出すまでもないし、ここまで

ならよくある話で、声を大にするまでもない。

 

問題は、没後たびたび、それでなくても少ない貴重な機会に、

何故か、これらの人々が登場してきて、安部公房もしくは安

部文学を語るところ、にある。

案の定また、評価するようでいて、相対的には評価を下げるよう

な話を、平気でする。

それは、私にとっても、死活問題だ。

だから、書いているのである。

なぜ、死活問題か?

それでなくても少ない機会に、そんな事ばかり言われると、

「深海作業者」の「救命ポンプ」が、正常に作動しなくなる恐れが

あるからだ。

 

安部公房は石川淳への弔辞の中で、真の小説家を『深海作業者』

にたとえ、石川淳が亡き今も、石川淳とその作品は、生きることを

励まし、石川淳は「救命ポンプ」そのもので、それは現に作動中で

あると、そう語った。

これらの言葉は、私に深い感動をもたらした。

正に私にとっても、安部公房と安部作品は「救命ポンプから供給

される酸素」そのものであったからである。

ここで、安部公房の人生と、その人間性を最も端的に語っている

言葉を引用しよう。

 

「引用開始・・・やっぱり死に向かっての生をどう生きるかということ

が、依然として大事です。つまり、国家は国家主義を放棄してくれ

ない限り、我々の未来は決して明るいものではないです。核もおそ

らく廃絶されないでしょう。にもかかわらず生きていくんです。確か

に核反対を叫んで生きることもいいでしょう。だったら、僕はやっぱ

り国家主義というものに、これはゾウと腕相撲するようなもので、負

けはわかっているけれど、やっぱり勝つことばっかりやったってしょ

うがないんだから。みな勝つことばっかりやっているつもりだけれど、

どっちみち勝たない人がほとんどです。勝つ人はごく小数、例外。

ただ、勝つかもしれないという希望が与えられているだけ。その希望

の中で、みんなせっせと生きている。それはとっても涙ぐましい。でも、

かわいらしいことだ・・・やっぱり僕の小説の主題にもどってきた。やっ

ぱりそのかわいらしさを愛さなければいけないと思う、みんなめいめい

が自分の中の。とってもいじましい、痛々しいものですよ、僕らの日常

なんて。しかし、そこにやっぱり何かあるよ。それを見て、触って、撫で

てやるような感じ。やっぱりそこに、歌があるといったらおかしいけれで、

生きる意味ってたぶんそういうことでしょう。・・・引用終了、核時代の方

舟ー新潮文化講演会より」

 

幼少時、身についた五族協和の思想に振りかかった、急激な思想統

制の荒波による、孤絶感と精神状況の悪化。戦火そして発狂の、恐怖。

文字通り、全てを失い、それでも起こりうる、仮の宿=日本への帰巣

願望と、10日間あまりの佐世保港外での繋留。

雨をしのげる屋根の存在に感動したほどの、貧困。

安部公房の創作や研究の原点、動機はそこに根ざし、向けられた視線

のその先には、絶えず連綿と続いた、不可解なる人間社会が、あった。

晩年、安部公房は自ら安部公房スタジオを休眠させ、箱根大芝に仕事

場を移し、あまたのマスメディアの誘いを厳選し、より深海にもぐり続け

る。そして小説・・・言葉にならない現実の創造と、研究・・・もうひとつの

安部システムの完成、に没頭する。

少なくとも安部公房からいただいた言霊たちは、立場や年齢を超え

深海に潜ろうとあがく私の、生きる糧であり、励ましであった。

それらは私を、生かした。

さながら、私の精神が酸欠にならないよう供給されつづける、良質な

酸素そのもので、あった。

物理的になんのメリットもない私に対し、理念と思想的な共感のみで、

安部は亡くなるまで、そう関わり続けてくださった。

その姿は、極めて政治的な言動と行動をくりかえす彼等と、対極にあ

ると私は、実感している。

 

没後、あまりに機会が少ない。

没後10年 安部公房展も、ようやくといった感じ。

安部公房の小説の特徴は、若い世代の読者を、繰り返し獲得し

続けるところにある。

だが、そんな読者が彼等の話を聞いたら、どう感じるであろう。

私のもとに届く、多くの無名の、世界の若き研究者たちが、いかに、

安部公房に枯渇しているか。せっかく深く潜ろうとしているのにもかか

わらず、良質な手掛かり・・・酸素に不足し、もがいているか。

彼等の質問や言動から、手にとるようにわかるのだ。

そこに、あのような発言では、まさに安部公房が言うところの、

「枯葉剤的撲滅作戦」になってしまう。

 

誤解しないで欲しい。

評価は評価で、感性と、“もの”を見る角度の結果であるから、まったく

気にならない。好みも、然りである。

ただ、適材適所があるだろうと、言いたいわけだ。

せっかくの、貴重な、数少ない機会であるのに、

評価するような顔をして、おとしめるような印象を与える奴を選ぶな。

当人も、話を受けて、いそいそと出てくるな。

早い話、そういうことだ。

安部公房の作品と思想の価値を、最も客観的・正当に評価し、啓蒙を

切望されていたのは、なにを隠そう一番身近にいた、真知夫人である。

夫をも客体化し評価出来る。そこが、真知夫人の素晴らしい才能で

あったわけだが、今もしご存命であったならば、おそらく真知夫人は

講演者に、島田氏ではなく、ウィリアム・カリー上智大学長、ドナルド・

キーン先生、養老孟司先生のような、もっとふさわしい方々を選ばれ

たはずだとつい、考えてしまう。

例えば、安部公房がすすんで書いた時の評論を、再読してみていた

だきたい。

それ自体が一個の作品と呼べる、見事な物ばかりである。

そこには書き手を生かし鼓舞させる、良質な酸素を含む温かな血液が、

流れていることを、見てとれる。

 

さて、最後に報告を。

5時以降の役をさぼって、人間らしい一週間の生活だった。

おそまきながら、映画「ES」。

1974年フタンフォード大学で実施され、以後禁止された「監獄実験」を

題材にしたフィクションであるが、集団化し特定の条件下・役割化のなか

で、集団化を促進する言語機能により触発された集団衝動が、もう一方

の言語機能、集団を解体し理性化をうながす機能を眠らせるといった、

もうひとつの安部システムの実証化を映像化したと言える、見事な作品

であった。

エリアス・カネッティの名著「群衆と権力」をその後読めば、少しは理性の

危うさを実感できるというものか。

それから映画「ラン・ローラ・ラン」

映像だけが持ち得る効果で、あたらしい表現の可能性を、ボンと叩きつ

けられた、躍動感溢れる、衝撃的な作品だった。

そういう意味では、「アメリ」っぽい感じ。

リズムは鼓動で、鼓動は生きている証で・・・、これも必見だ。

世田谷文学館には、25日に『壁あつき部屋』の上映にあわせて

行こうと思い、今からわくわくしている。

また、旭川では、安部公房展が11月18日から開催される。

出来ればこの期間に見に行き、つづいて札幌に立ち寄って、

春光さんに会ってお話をお伺いすることができれば、と、淡い

期待を抱いている。

 


 

2003,10,6 『このひと月』

 

生還しました。

これ、私の今の、実感です。

29日、どうしようもない疲労感に潰されてタクシーで帰宅、

床にふせると38度4分の熱発がありました。

同時に下痢が始り、全部出た後、何か口にすれば、

しばらく経つとそのまま出てしまう、状態で、

そのクセ腹の張りはおさまらず、一晩中夢遊病者のようでした。

明方になれば、落ち付くかな・・・

一縷の望みは見事に費え、おてんと様が上がっても、

一向に事態は終息を迎えません。

翌30日、かかりつけ医に駆け込みました。

腹を丹念に触診し、打診し、その太鼓さながらの見事な

反響音に、私は耳を疑い、先生は唸っておりました。

なんでも腸がアレルギーを起こし、通ったものを吸収できずにいる、

とのことで、薬が効かない状態だそうです。

腸のアレルギーを緩和する注射を腰に打ち、消化管内ガス駆除

剤のガスコンと、胃の粘膜を保護する、消化性潰瘍用剤

マーズレン・Sを2日分処方して頂いて、帰宅しました。

その時点で熱は38度9分、とりあえずおにぎりを1個カジリ、

ポカリスエットで薬を流し込み、転寝してはトイレに立つという始末。

ただ、水分は吸収し出したようで、手のシワシワ感もなくなり

○○○のついでにガスがバンバン出て、腹の張りもなくなり

始めました。

ポカリ飲んで、転寝。トイレに起きて熱を測る、汗をかいた下着

と寝巻きを替えてまた、フトンへ・・・

1日は、そんな感じの終日でした。

熱は朝方、8度代を切るも、日が昇る

に比例して上昇し、どんなに安静にしていても、日没までは

下がりません。

この日も、常温のポカリスエットと、おにぎりを1個だけ、食しました。

2日の木曜日は、最悪でした。

うっかりしていて、病院が休診日であったことに、朝気付きました。

薬がきれると、とたんにガスが胃にせり上がってきて、胃を圧迫

します。

命綱のポカリの吸収が、低下していくのが、身体でわかりました。

飲めば、時間差をおいて、下から出ます。

手はシワシワに、血圧は上がって、頭痛に見舞われます。

僅かな光が眼に入っただけで、頭は脈打ち、何も食べていない

にもかかわらず吐き気だけが、込み上げてきます。

熱は7度台。

24時間、この状態でした。

妻がおかゆを作ってくれました。

折角作ってくれたので、一口でもと思ったのですが、残念ながら、

食欲がまったく出ません。

食事が始り、ドアをはさんで、私は、子ども達の話し声と、咀嚼の

音を聞いていました。

食べるという行為が出来る事自体が、いかに大切なことか、その

時痛感させられました。

といっても、相変わらず食欲は、まったくありません。

日頃何気なく、何不自由なく、食べる。その行為が出来る

事のありがたみを、思い知らされました。

夜半、つらくて寝ていられなくなりました。

床柱に寄りかかり、座禅を組みました。

しばらく暗闇の中、時間に身を委ねていると、夢の処理が、

眼前に展開され始めました。

以前幾度か、ここにも書いたとおり、かなり私は変な経験を、

持っている方ですが、これ程変った体験も又、始めてでした。

あまりに鮮やかな画像処理が、閉じた瞼の裏の、広大なスク

リーンに、絵巻物のように次から次へと展開されて、言葉もあ

りませんでした。

漆黒のカンバスに、前後左右、そして上下。白い渦のようなも

のが、右巻きにたくさん浮遊して高速で回転しています。

その渦から、突然今日見た映像の記憶が・・・

それも配達に来た、トラックの後ろ姿だったり、ベル(飼い犬)

の横からみた姿だったり、置いてある本であったり、

自分でも、そのほとんどを意識していなかった情景達が、

ギュルギュルっと、ア・ト・ランダムにたち上がって眼前に映写

されるのです。それも、すごい速度で次々に。

大小さまざまに、写真状態のまま、一瞬鮮明に写っては、パッと

消えたり、映像となってしばらく続いたりしては、パチリと閉じて

また渦にギュルギュルと巻き込まれ、消えていったりするのでした。

驚いて目を開けても、景色に漆黒のスクリーンは重なって、画像

処理は自動的に続きました。

その後、何時の間にか疲れて、フトンに横になっておりました。

3日、金曜日の朝を、迎えることが出来ました。

職場に電話してから、病院まで我慢して歩き、待合室に座って、

ほっとしました。なんだか勝利を手にした感じでした。

予め書いておいた、この四日間の体温、下痢、頭痛、吐き気、

食べ飲んだ量の表を渡し、点滴と、診断書を書いてくれるよう、

先生にお願いしました。

先生は二つ返事で、了承してくださいました。

「本当は、入院検査して、加療しなくちゃいけないんだよ。

渡辺さんの場合、まあ、それも大変だろうから、うちで全部やる

から、大事にして身体を労わらないと、死んじゃうよ」

先生の言葉が身にしみます。

慎重に薬を選んでいただきました。

点滴が、劇的な効果でした。

頭痛、はきけから、完全に解放されました。

家に帰り、四日ぶりに食卓に座って、おかゆとグラタンを

食べました。お茶を飲み、ヨーグルトを飲みました。

クラリシッド錠という、胃潰瘍・十二指腸潰瘍のヘリコバクター・

ピロリ感染に効く抗生物質が増え、都合3種類の薬を飲み、

ポカリスエットを飲み、ようやく熟睡が訪れました。

さて、4日。

検便を2種類−O157と他の感染症培養検査−病院に届けました。

まだ下痢は続いてますが、ようやく床から離れることが出来

ました。

体重は、4日間で4キロ減でした。

思えば8月下旬から今まで、サラリーマンと6団体の会議・事業と

原稿書きに忙殺されておりました。

生還してみて・・・ちょっとおおげさでしたが、何が必要で何が不必

要か、はっきりと見えた事がなによりの収穫でした。

加齢とともに、着膨れした生活を、シンプルに整理しておく事の

大切さと、あたりまえに、生活できる事のありがたみを、このうえな

く実感した、6日間でした。

普段なら、6日間なんて何気なくすごしてしまうんですけどね。

これが私の生還の顛末です。

 

では、このひと月の報告を手短に。

8月30日、京王プラザホテル八王子で、ボクシングの興業が行なわ

れました。

昨年研修で3ヶ月修業をさせていただいた時、1000人規模の宴会場

を目の当りにし、

『ここで試合ができないか』

と黒服さんと話したのが、ひょんなきっかけとなりました。

総支配人と会長の面通しをすませ、紆余曲折を経て、なんとか、

成功裏に終わったようです。

アメリカでは常識的なスタイルですが、まだ、双方が不慣れな現状。

ボクシングがいろいろな場を通し、文化として日本に定着していけば

いいなあと、実感しました。

まずは、ファンが願い、喜ぶマッチメイクから。

日本も追従すべきです。

 

妻の職場に素敵なお客様をお迎えし、貴重なお話をお伺いすること

ができました。

対話総合研究所所長で、カナダ国際大学顧問、元NHKのアナウン

サーの塚越 恒爾先生です。

よど号、安田講堂、成田・三里塚、浅間山荘など、現場中継を手

がけ、また『アポロ宇宙船、月到着』等の歴史的イベントの司会を担

当され、経営職に転向された後、数々の要職を歴任された、元NHK

アナウンサーの重鎮にして、『音の日本語』の専門家です。

(塚越先生紹介↓

http://www.linkclub.or.jp/~cdl-tska/author/tt.html

一番下の戻るをたどっていけば、先生のサイト『音の日本語 マンダラ』

TOPに出ます)

不思議な縁のお陰でした。

ニューヨークに住むお孫さんのために書かれた物語が、あまりに

素敵で、周りにいる方々がこれをぜひ、子ども達に役立てたいと

願われた事が、発端です。

これは先生が創られた物語を、話しことばの専門家である先生

ご自身が、子どもや父兄に聞かせるという、大変贅沢な企画に、

膨らみました。

私の叔母も、周りにいる方々の一人でした。

ついに、9月20日、お願いして、妻の職場の小学校に、お越しい

ただく事が出来きました。

読み聞かせを実施しているお母さん方と、教諭を対象に、2時間

半余り、講演をしていただきました。

話し言葉と書き言葉の機能の差、正しい句読点の打ち方など、

個人的にも非常に勉強になりました。

実は、大きな期待を寄せている事がひとつあります。

先生がお孫さんのためだけに書いた、十二支が主人公の、十二の

物語をぜひ、本とMDセットにして、出版していただくことです。

これはきっと、各地で自発的に生まれ、定着し市民権を得だした

『読み聞かせ』という運動を、文化に正しく昇華させ、根付かせる上

での、指針になる。

また、音声言語の効果を、意識化せずに、ただただ読み聞かせている

だけでは、謝った常識の流布になりかねない昨今、指導者不在のニーズ

に道標を与える意味では、最高の教科書になるからです。

今のこどもたちにこそ、こういう贅沢さが、必要だと切望しています。

9月27日、没後10年 安部公房展が世田谷文学館で始りました。

26日の5時から行なわれるレセプションに行かないかとの打診を、受けま

したが、都合がつかず、気がついたら当日を迎えていました。

サイデンステッカー先生、カリー先生、コリーヌ・ブレさん、堤 清二さん、

ご学友の三重野元日銀総裁他、縁の方が多数出席され、展示には、師の

愛用品、コンタックスや文豪が並べられているようです。

個人的には、創作ボードを早く見たいですね。

これは、

『ぼくの脳内の地図なんだよ』

と仰っていたキワード・ボードのはずです。

世田谷と北海道旭川の展覧会にあわせて、郷土誌『あさひかわ』の没後10

年 安部公房特集に、寄稿しています。

10月号がその前編にあたります。

「安部公房 小説作法 その驚くべき秘密」

これは、発行人の従妹である渡辺 三子さんにお願いし、当サイトに掲載

出来るよう働きかけますので、こうご期待。

連載の予定ですが、今日〆切りには間に合わず、次号は12号になってし

まいそうです。

最後に、私の一家は、10月25日2時から上映される「壁あつき部屋」に

あわせて、世田谷文学館にまいります。

1953年、弱冠29歳の安部公房が脚本を担当。公開が3年間見送られた

問題作です。

ぜひ、皆様、会場でお目にかかりましょう。

それまで、お身体だけはくれぐれも、ご自愛の程!

さて、明日から、職場復帰。

ゆっくり、健康をかみしめて、今日一日を、過ごしたいと思います。

 


 

『キノの旅、他』

 

都庁に出張した帰りに、文庫本を10冊買った。

「ドクトルマンボウ航海記」北杜夫「ボクの音楽武者修業」小澤征爾

「友情」武者小路実篤「老人と海」ヘミングウェイ「強力伝」新田次郎

「車輪の下」ヘッセ「沈黙」遠藤周作「金閣寺」三島由紀夫

「砂の女」安部公房

思い出せるところで、ざっとこんな感じ。

これを夏休みに入る前、長男にプレゼントした。

確か去年の夏は

「小僧と神様」「せえべえと瓢箪」志賀「山椒大夫・高瀬舟」森鴎外

芥川、ポーあたりの短編を主にあげたので、今年はドキュメンタリ

ーから中・短編から長編へ彼を誘おうと思ったわけである。

反応は是か非か、はっきりしたものであった。

あるものは笑って読み、あるものは「とうちゃん、これつまんないよ」

ってな感じ。

“おお、淘汰の波だ”

どれどれと読み返してみて、時代の流れを実感した。

“ではお礼に”という訳ではないが、今度は息子から

『これ、読んでみ。面白いよ』

と文庫本を薦められた。

『キノの旅』

聞いてみると小6の娘が発信源で、絵画教室の中学生がその

さらに元らしい。とにかく我が家ではいきなり話題沸騰である。

戸主のコケンにかかわる!とひったくり早速読んでみる。

作者、時雨沢恵一

う〜ん、なるほど面白い。

予測可能な現代における充足感は、どこにあるのか?

現代社会の枯渇に見事答えたファンタジーである。

時に心は時代の波に反逆する。

反作用が時代の閉塞状況に呼応し、帯電はまず文化に

ファンタジーとなって雷鳴をとどろかす。正にそんなシリーズだ。

ウォッカのレモン割りを片手に7冊、一気に読んでしまった。

見ると長女は、PCに向い創作している。

彼女がこの夏読んだ

「宇宙戦争」「15少年漂流記」だけでは成し得なかった

相乗効果である。

長男もなにやら書いて、いるらしい。

郵便に、会議の召集令状が、まざり出した。

それが合図となって、この一月、完全になりをひそめていた、電話

連絡や、打ち合わせの電話が入り出した。

夏が、終わろうとしている。

 

思えば天候不順の夏であった。

山小屋に三度出かけたが、その度梅雨、秋雨、初夏とくるくる天候

が変ったのは近年、記憶にない。

家族だけで長逗留した時は、雨にたたられ続け、それではとビデオ

屋に走り、「ラッキーマン」の著者、今はパーキンソン病のためにカ

ミングアウトした俳優、マイケルJフォックス主演の『バックトゥーザ・

フューチャー』シリーズ3本に涙し、『バイオハザード』でキモを潰し、

『バーティカル・リミット』で清涼感を取り戻す・・・、そんなビデオ三昧

の日々を送った。

外に出れない旅の、充実したすごし方を思い出した。

『バックトゥーザ・フューチャーU』

マイケルはこの時すでに、パーキンソン病の予兆との戦いに身を投じ

ていたと知り、なおの事、ファンタジーの裏に潜む苛酷な現実と、二重

に戦っていたマイケルの心情に、思いをはせた。

 

今日、安部公房の従妹である渡辺 三子さんより電話を頂戴し、旭川

における『没後10年 安部公房展』の日取りが決まった事。

カリー先生から拝借している安部公房スタジオのパンフ類の出展依頼。

カリー先生への連絡、そして『郷土誌あさひかわ』への安部公房展に呼

応した原稿執筆者候補について等を1時間余りお話しさせていただいた。

さぁ、始動開始である。

今年は、例年感じる終夏の、祭の後の寂しさを感じなくてすみそうだ。

8月30日、八王子中屋ボクシングジムの興業が、京王プラザホテル八王

子で行なわれる。

ホテルでボクシング興業!

いよいよアメリカに向こうを張れる時代に突入だ。

ヒルトンのシーザースパレスで、ヘビーウエイトの名勝負が幾多行なわ

れたように、京プラ新宿やベイ・ヒルトン、果ては東京ドームで、例えば

ミドル級の世界タイトルマッチが実現する時代が来る事を渇望する。

その時こそ、ボクシング後進国日本においてもようやく、ボクシングが

文化に昇華するであろう。

 

さて、貴方にとってこの夏はどのような夏だったであろうか?

やがて確実に到来する実りの秋。

辺境が開拓され尽くした現代。

私は、師に従ってこれから、徹底的に内なる辺境に、旅の歩を進め

てみたいとそう、感じている。

 


 

2003.7.11

また、再び・・・

 

毎年、生存の臨界点を感じさせられる季節がある。

今、だ。

そう言えば以前もこの時期、ブニブニと梅雨のぐちを書きなぐった。

(2001.6.18「年輪」参)

毎年、本当に、閉口している。

これがあと一月続いたらと想像すると・・・。

ぞっとする。

恐らく仕事を捨て国を捨て、何処かに逃げだすか、あるいは世も捨て

ちまえと、首の一つもくくっていることだろう。

そんな梅雨末期、

確実に清涼感に浸る方法、これ如何に。

 

仕事の帰り、家族が驚くほどの量の鰹のタタキを買ってくる。

湯を沸かしながら、これを1センチ以上の厚さに切り大皿に並べ、

生ニンニクのスライスを片手一杯に掴みぶっかけて、ゆずポンを

ぶっかけ、ひたすらむしゃむしゃほおばるのである。

この時家族の目を気にしてはいけない。

いわんや家族の罵倒にも、いっさい耳を貸さない。

むしゃむしゃ、とにかくほおばる。

口一杯にひろがる、鰹の味。

貴方には確かに海が、チラリとその時見えるはずだ。

そして余韻が引いていく刹那、冷えたピールをゴクリ。

この悦楽。

まるで真夏の冷たいシャワーである。

それまで小言を言っていた家族も、貴方のその表情を見て、まちがいなく

あわてて鰹をほおばりだす。

それを見てウンとうなずいた貴方は、あと多くて2きれ程度の鰹を、

ゆっくりと味わい堪能する。

ビールも決して、新しい栓は抜かない。

できれば、キリッと冷やした350ml一本でいい。

そして、

貴方は、大きめの茶碗に一杯、冷え気味のご飯をよそる。

ちょうど沸いたお湯で、濃い目のほうじ茶をたてる。

これですべて準備は完了した。

家族はもう、罵倒はおろか小言すらたてず、貴方の一挙手一刀足に

注意と敬意をはらっている。

衆目の中おもむろに貴方は、大きなタタキ一切れの、その端をつま

むと、ニンニクを振り払って、ご飯の上にのせる。

三切れでちょうどご飯が隠れたら、醤油をまわし掛け、そこにほうじ

茶を注ぐのだ。

立ち昇る、ダシの筆頭 『鰹』 のえもいわれぬ、その香り。

さらに醤油をひとさし。

それを、いただいて見て下さい。

貴方は確かに、夏を、体感しますから。

鼻腔を満たす、爽快な夏の海。

鰹の身とシャリと、ほうじ茶のハーモニーを堪能した後、お椀に茶

が残ります。

さあ、ここからがクライマックス。

目を閉じて、お椀の底に残った、茶をすすってみてください。

そのダシの爽快な深さ。

それをつつみこむほうじ茶の、透明感。

一杯の、残り物の茶づけを貴方が食した時、あふれた充足の彩りが

全身を巡り、清涼感に昇華したすがすがしさが、カラッと晴れた夏の空

の訪れとなって帰ってきた時、貴方は梅雨に勝てる自信の湧きいずる

力を自覚することでしょう・・・。

ぜひ、その身体で、ご確認を!

 

追伸

きっと今日の貴方を、妻やご主人、恋人やお子たちは許してくれます。

もし汗ばんでいたらさっとシャワーを浴びて、

寝床についてください。

ほら、右を下にして。

そして目を閉じましょう。

きっと夏が、見えてきますから。

おやすみ・・・。

 


 

2003.6.13

久々に日記っぽいコラム

 

二日間自分だけの為に有給休暇を取った。

土日を合わせると4連休。

今、傍らには

ブルックスのヨーロピアンブレンドと、兄嫁が焼いた

トースト一枚、カマンベール一切れにメドックのルージュ

なんと優雅な、金曜日の午後3時すぎ・・・。

と、思いたい。

いや、思いこまなきゃ、やってられない。

11日水曜の夜、息子の誕生日祝に外食した後、体調が崩れ出した。

腹はくだり、喉は痛い。

すっきりしようとフロにつかりアカを落とすと、

鳥肌が立つではないか。

熱をはかったら38度を超えている。

“ヤバイ” 

白状すると、既に休暇が少ない。

毎年のことであるが、今年はPTA、試合の引率、それに両親の

入院が重なって既に半分は消化してしまっているのだ。

自分だけの為の休暇なんて夢のまた夢。

それを風邪でとるとは、あまりに痛すぎる。

思えば倒れてもおかしくない日々が昨年来続いていた。

仕事が終わったらタクシーに飛び乗って子どもの食事を作り

会議に向う、時には掛け持ち2つなんてこともあった。

その間に、人と会ったり宴会の予定をこじ入れる。

夜帰ると、予定原稿のチェックや創作。

いや、激務なんてことで言えば、もっと激烈な人はゴマンといる。

事実先輩のH氏などは、この人、中央線沿線で事務所を構える

弁護士であるが、睡眠時間が年を通して3時間平均。

自ら車を運転していて何回も対抗車線に飛び出し、電車で顧客と待ち

合わせては終点まで寝過ごし、これでは命がもたないとタクシーに代

えたらタクシー代が月50万を超えた・・・なんて話を聞き絶句したが、こ

の話しにはまだオチがある。

年に一度は必ず過労の余り倒れるというのだ。

その倒れ方が、尋常ではない。

いわゆる猛烈な鬱状態にとらわれるそうだ。

その鬱状態には、なにをやっても勝てないことを経験上先輩は知っ

ている。

ムリをして戦えば、間違い無く、命を落とす。

だから自覚した時点であらゆる全ての事を投げだし、一人になって

何日か休むそうだ。

たとえ裁判の公判に重なっていても、である。

なぜかって、命を落とすよりは良いからに決まってる。

こっ、こうはんどうするのって、そんなの知らない、きっと代役がなんとか

するのだろう。

 

船井総研の船井会長は、良い企業のトップか否かを判断する基準

として

『食事に時間をかけない』

ことを挙げていた。

船井会長のコンサルティングは、短所是正を尊重する日本企業の

風潮に、真正面からNOと言い、短所は迷わず切り捨て、長所をさら

に特化する事で業績を安定化させる手法で、数多の会社を救った

ことで有名である。

だが、『食事に時間をかけない』では、「棒になった男」そのものでは

ないか。

2日の有給休暇消化で、乗りきれば、よしとしなければなるまい。

優雅さとは、程遠いが、命を削るよりましである。

過労の主因もきっとここにあると踏んでいる。

“望む”事と“望まざる”事。

日本はまだ、望まざる事に付き合い、付き合わせすぎる。

また、食や飲は経済活動から見れば余剰であっても、創作活動から

みれば立派な文化だ。

ひとこと、遅れていると言わざるを得ない。

 

二日間、大きな収穫があった。

連載予定の

『安部公房〜小説作法〜』

の中で幾本かある重要な骨格の一つをあまた文献の中から

ようやく発見することが出来た事だ。

難産だった。

約二月。

全集の26巻から29巻、全作品集13、14、15、ユリイカの安部特集

作家の世界安部公房、国文学安部公房特集ボーダーレスの思想

等、研究者虎の巻を隅から隅まで何回見尽くした事か。

ようやく巡り会ったお目当ては、珠玉の、

ホンの4行にわたる短いセンテンスだった。

 

きっかけは、裏付けを全て安部自身が公表した文献から引用しよう

と思い立った事だ。

元来、交遊録は研究者には好評で、評論家には不評と相場は決ま

っている。

さらに、いろいろな角度から検証すると、私と安部の会話からの引

用だけでは、研究論文としては時の研磨に耐えられないのではない

か?という危惧がつきまとった。

立証できない結果、反証にも耐えうることが出来ないからだ。

 

世界的なベストセラーとなったアゴタ・クリストフの『悪童日記』

の特異性はその簡潔極まる状況表現、文体のからくりにある。

1986年出版されたこの本のなかでのくだりに

引用開始

「・・・作文の内容は事実でなければならない。・・・あるがままの

事物、ぼくらが見たこと、ぼくらが聞いたこと、ぼくらが実行したこ

とでなければならない。たとえば「おばあちゃんは魔女に似ている」

と書くことは禁じられている。しかし、「おばあちゃんは“魔女”と

呼ばれている」と書くことは許されている。「〈小さな町〉は美しい」

と書くことは禁じられている。なぜなら、〈小さな町〉は、ぼくらの眼

に美しく映り、それでいて他の誰かの眼には醜く映るかも知れな

いから。

同じように、もしぼくらが「従卒は親切だ」と書けば、それは一個

の真実ではない。というのは、もしかすると従卒に、ぼくらの知ら

ない意地悪な面があるかも知れないからだ。だから、ぼくらは単

に「従卒はぼくらに毛布をくれる」と書く。

ぼくらは「ぼくらはクルミの実をたくさん食べる」とは書くだろうが、

「ぼくらはクルミの実が好きだ」とは書くまい。「好き」という語は精

確さと客観性に欠けていて、確かな語ではないからだ。「クルミの

実が好きだ」という場合と、「お母さんが好きだ」という場合では、

「好き」の意味が異なる。前者の句では口のなかにひろがる美味

しさを「好き」と言っているのに対し、後者の句では、「好き」は、ひ

とつの感情を指している。

感情を定義する言葉は、非常に漠然としている。その種の言葉の

使用は避け、物象や人間や自分自身の描写、つまり事実の忠実

な描写だけにとどめたほうがよい」

引用終了

作者は、主人公の1人にこのように作中で語らせている。

読み手はここに至り、レトリックに囚われ、拘束される。

「自分は事実に遭遇している」

という文体による宣言に、だ。

事実であるという宣言に乗せられて、登場人物のように舞台にあが

る、もしくはあがらされてしまうのだ。

事実このレトリックによって、読み手は作品世界の中で、主人公に

過分に感情移入することなく、見聞き嗅ぎ触ることに没頭出来る。

その分上記の約束事に拘束されない“会話”が読み手の中で生きる

様といったら見事の一言に尽きる。

そして、さりげなく書き手は禁を破って、読み手の生理を利用する。

“甘い声”とか“ぴんと張り”“にやりとする”など禁則表現の、なんと

効果的な事。

それは、禁則であるがゆえの効果なのだ。

読了した瞬間、状況表現としては、安部文学の担い手が現れたと

そう感じた。

創造される世界はまったく異なる。

が、このレトリックは、安部が編み出し、繰出し続けたそれである。

そこで、安部の言及を捜したのであった。

その時はすぐ見つかった。

気を緩めてしまい、付箋を貼るのを忘れたのが、痛かった。

だが、これも、よしとしよう。

二月の入力は決してムダにならないことを、私は経験上知っている。

意識下に、それらは必ずや蓄えられ、創造を補強するのだ。

ようやく見つけることが出来たセンテンスはやはり、見事の一言。

安部は『悪童日記』が書かれた以前に、同様の言語機能を4行程

度に凝縮している。

 

いよいよ明日から、

『安部公房〜小説作法〜』執筆にかかることができる。

おそらくそれはこのコラムにも、顔を出すことと思う。

こうご期待。

 


 

2003.6.12

悪夢再び

 

目が覚めた時、心臓が喉元まで上がってきて

コクコクと喉仏を小突いていた。

発汗の他いつもと異なるのは、尻が濡れていること。

とっさに脱糞を理解した。

下痢だが幸い、量は甚だしく少ない。

まだ敷布団に汚れは達していなかったので、急ぎパジャマのズボンと

パンツを、内容物がこぼれないように脱ぎ、くるんで70リットルのゴミ袋

入れ固く口を縛った。

シーツは洗いに出し、便器に腰を落ち着けた。

いくつか最近になって自覚症状が現れ出した。

尿の切れの悪さと、物のような性器の感触だ。

それが自分によってであろうと、他人によってであろうとだ。

触られている性器が、まるで小説の比喩のとおり、いもを触っている

感触である。

どう考えても、自分の身体に宿る器官という実感を持てなくなった。

夢は現実の悪夢を封印する。

その日蓄積した膨大な情報をオートマティックに整理し、切り分け、棄て、

整えるからだ。

だが、体調の悪い節目に、まるで神の啓示のように、最も思い出したく

ない現実が夢となって再来する。

最近では2年前、布団がびっしょりになるおもらしが、悪夢のような現実の

記憶からぼくを解放してくれた。

ぼくは家族に知られる事無く、布団を夏の灼熱の太陽のもとにさらし、事

無きを経た。

ネットに公開することでどういう影響があるか。

ぼくは知らない。

それはこれから起こる事だからである。

だが、身体も、そう長くもちそうにない。

いつまで公開できるかだが、ぼくにも判らない。

 

一瞬の出来事であった。

時間にして10分かかってないだろう。

その日家にはぼくと娘がいた。

正午近く、8畳の和室で、休日をまったりと過ごしていた。

娘はまんがを書き、ぼくは本を読んでいた。

その時、ヘリコプターが低空で近付いてきた。

飛び去ったがまた戻って来て、頭上でホバーリングしている。

音の大きさに駆り立てられ、

東の窓の網戸を開け、ヘリを目視した。

面長で銀色の、よく報道用に使われるようなヘリだ。

サカナが獲物を探しているようにも、見えた。

瞬間ヘリは西に旋回すると、対岸に着陸している小型軍用ヘリに

自爆さながらに、体当たりしたのである。

当たる瞬間、ヘリのローターが空回りする、イヤな音が今でも大きく

頭のなかで再現できる。

 和室から見た南面。

(↑ヘリポートはかつて障子の横の屋根の上にあり、そこに

 小型軍用ヘリがこちらを向いて着陸していた。

 手前には用水路が右から左に走っている

 体当たりしたヘリの横腹に、ある国のマークを確認した。)

 

着陸していたヘリは押しつぶされ、突っ込んだヘリは衝突の

反動でこちらに向ってバウンドすると高く跳ね上がり、視界から

消えた。

とっさに引火しないことを祈りつつ、娘を手繰り寄せ、部屋の対角

線上、最も遠い位置に身を置いた瞬間、前の家にヘリが激突

した大音響と共に、家の内に網が“ばさり”と被された音が、まる

で身体の内側から発したように響いたのだった。

↑ぼくは前に娘を囲うようにして、この窓から(当時カーポートは

なかった)空を見上げたその瞬間、再び大音響に続いて、某国の軍

服に身を包んだ男が、パラシュートと一緒に目前に垂れ下がった。

次の瞬間その男は、空中遊泳するように揺れながら、腰の拳銃

を手にしたのだった。

銃口を娘にむけ、娘を視界に捕えていた。

娘はいやいやするように左手を挙げ、振って意志を示した。

ぼくは腰を挙げ、男の視線を娘からぼくに奪い返そうと、両腕を力い

っぱい激しく振った・・・。

 

これが私が体験した悪夢の一部始終である。

記憶の再来は毎回ここで途切れる。

なぜなら、身体が、放尿したり脱糞したりして、私を守ってくれている

からだ。

だがあえて書こう。

私は、当然だが、この後のさらにおぞましい結末を覚えている。

今、娘は何事もなく元気に学校に通い。

私は身体的後遺症に悩まされる事もない。

男は、この直後、命を落とした。

本当のおぞましさは、その命の落とし方にあったと、言えよう。

当然事件は、マスメディアに報じられることなく、

今では語られる事すらない。

さて、

彼がいかにして命を落としたか。

公安には聴取されなかった。

だから事実は、私しか知らない・・・。

 

 


          ↑『私の真理を害ふのは常に名前だった』と記されている

2003.5.30

この一月

 

 

ひさしぶりバス待ちの列に並ぶ。

霧雨が右からの強風に乗って、

半身を濡らす。

服が重くなってきた。

傘を上手にさけ、雨がほくそえんでいる。

バス待ちの列は7人に伸びた。

ビュウと突風も混ざりだした。

バスは来ない。

だいいち車はおろか人通りも、極めて少ない。

ふと、反対側の舗道をゆっくりと自転車が走ってくる

のが見える。

雨合羽の中年の女性のようだ。

風に阻まれ、進みが遅い。

ようやく目前を通過する頃、風も烈風となった。

自転車も蛇行を繰り返す。

女性の表情が飛び込んでくる。

あがった息と殺到する風のせいで、空気をうまく吸えない様だ。

口を大きく空けてあえいだ。

その瞬間、私も息がつまった。

正面から強風を受けた一瞬、うまく呼吸が出来ずあえでしまう・・・

彼女の表情筋を通じて、その生理がシンクロしたのだ。

私は顔を振り、ないはずの風を避けた。

鼓動のリズムが身体の中から胸骨をノックする。

言葉以外のコミュニケーションのルートを体感した瞬間だ。

実はこのルートはかなり多く現存し人間関係に大きな方向性と

影響を与えているのであるが、自覚感が極めて少ない・・・・・・。

 

ここから時は現在。

上の文章は、昨年3ヶ月間京プラにバス通勤をした時、印象的な

記憶をもとに書いたみた。

果たして事実であろうか?

私としては見たまま書いた訳であるが、「見たまま書いた」と、

騙すことも出来る。

では“見たまま書いた”か、“見たように書いた”かを証明する手段

は如何に?

そう、

フィクションかノンフィクションかを担保する文章は存在しない。

事実か否か、証明できる手立てを人間はまだ、持ち合わ

せていない。

今とりかかっているところ。

フィクションとノンフィクションという概念が生じさせる、誤った

認識が生じるメカニズム、そして誤解を生じさせる脳のクセ

を安部公房は小説化において、どう利用したか?

これは、つきつめると、言語の発生と、遺伝情報と脳の相関関

係にまで話が及ぶ。

詳細は『安部公房 小説作法』の連載時表明したいが、ここで

簡単に上記の文章を手掛かりに、整理してみよう。

まず舞台周り。

情報は“バス待ちの列”“車はおろか人通りも、極め

て少ない”“反対側の舗道”等抽象的かつ少ない。

次に舞台設定。

霧雨強風突風烈風、そして“車はおろか人通りも、

極めて少ない”“雨合羽の中年の女性のようだ。

風に阻まれ、進みが遅い”等。

登場人物は一人称“私”と“7人”“彼女”等。

厳密に見ると他に多くの切口があり要素も多いが、読み手

は、状況描写に具体的な情報が乏しい分、読み手の過去の

経験からイメージをオートマティックに構成し擬似体験せざるを

えない。

これは極めて汎用性:冗文率が高いが、各々が持つイメージは

過去の追体験の域をでない結果、各々がばらばらに持ち合わ

せる、統一性に欠けたものとなる。

次に、具体性を増してみよう。

情報に固有名詞を取り入れるのだ。

例えば文頭に

『秋川街道の川口橋の上りバス亭に到着した』

という文を付け足してみる。

すると舞台背景が1ヶ所に限定される。

このバス停を利用した記憶を持ち合わせていれば、視覚イメージの

隆起が容易になり、想像する汎用性は減る。

未経験の読み手にとっては、固有名詞の情報は、情報としては応用性

が増えても、イメージの隆起という点では、変化がない。

では、固有名詞を含めず読み手に、汎用性の狭いイメージ、共通な

イメージを隆起させるにはどうする?

そこで始めて生理反応を言語で呼び覚ます、いわゆる安部公房的

状況表現が検討されることとなる。

ひとつの山場、おいしいところにさしかかって、申し訳ないが、これも

連載にゆずりたい。

なにせ、読み手がいないと次の仕事がこないので・・・。

(^Δ^)

鍵は、言語によるコミュニケーション能力の遺伝的制限にある。

遺伝的に獲得した言語能力の客体化と言っても良い。

それはクロードシャノン調査が暗示している。

話し言葉の特徴は7割までがムダな受け答えであり、ではとムダ

を省いていくと極度の緊張を強いることとなる。

そこは書き言葉が役割を担う。

(嫌われたかったら、延々と理屈を述べよ!)

だが書き言葉においても、やはり冗文率を低くするととたんに研究

論文化し、読むに耐える時間も少なくなる。

(そろそろつかれてきたでしょう?)

そもそも人間の行動自体が、それを客体化し内省的に観察してみ

ると、理性的というより衝動的かつ外部刺激によるオートマティック

な反応が、行動選択のきっかけになっていることが多い。

そこを踏まえ、はじめて安部作品の構成の価値が定かになる。

安部公房という作家は、他の誰より生理を熟知し、生理を利用して

いるのだ。

次には作品の構造に触れなければならないが、これも連載に譲る。

(実はまだまとまっていません・・・)

とどのつまり、

フィクション、ノンフィクションというジャンル分けは過去の遺物である。

記憶を媒体に創作するか、イメージを媒体に創作するか、もしくは

体験記憶の再構築を言語化する試み対、イメージの構築を言語化

する試みとも言えよう。

安部文学の土台:立脚点は、そこから始めて創り出された。

晩年完成を見たカンガルーノートは、“解釈不能な現実を中心

にすえ構築化した”小説という域に到達する・・・。

連載予定の『安部公房 小説作法』骨子はほぼ固まった。

現代文学における安部文学の特異性、その芸術性としての高き到

達点を世界で初めて論証する試みになる。

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こうご期待!

 

追伸

小説作法に集中しているさなか、5月2日から6日まで、姫路で

行なわれた全日本実業団アマチュアボクシング大会に、選手

5人を乗せ車でトコトコ行ってきました。

優勝者一人!置引きにあって一門無しになったりと珍道中でした。

そのうち「ボクシング」に書きますね。

4日間のボクシング漬けは強烈で、頭を再び創作モードに戻すのに、

大分時間がかかりましたが、相乗効果は期待以上です。

それから、いかに生活上、携帯電話に依存していたか、驚かされま

した。

これから又、ばりばり書きます。

あと、お薦めの本を、アト・ランダムに

まずは養老先生の『バカの壁』新潮新書

最高ですね。

それと『がんになったとき真っ先に読む本』草思社

良いですよ。(私のことではないです)

それからコミックで『ガンツ』エグサがアバンギャルドです。

あっ、『もうひとつの安部システム』本の泉社も

よろしく!

最後に、蕎麦にはまってます。

八王子には押しも押されぬ名店、車屋がありますが

美山町に富よしという隠れ名店を発見しました。

これ、美味です。せいろ!

お薦めです。

では、又。

 

 


 

2003.4.24      

“無名詩集”を手に 

 

22日、火曜日の午後7時過ぎ。

京王プラザホテル アンブローシアの席につくとまず、

カリー先生にサインをねだった。

安部作品の研究は現在まで、類型化され続けている。

作品群のそれぞれが類型化を拒絶するほど独立性を持って、

立っているにも関わらず、だ。

だが、自身の博士論文の、スケールアップバージョンとして完成をみた

カリー先生の著書

「疎外の構図-安部公房・ベケット・カフカの小説」

は、陥り易い類型化の誘惑を拒否し、当然感想を封印し、無比な

・・・本来鼓舞してもおかしくない当時独創的なテーゼの発見を、

冷徹な言語機能で冷却しつつ、安部文学から大伽藍を創造して

みせた最初の研究書なのである。

安部文学の鉱脈を仔細に観察し、とびきり大きな原石を堀り当て、

知性と教養を駆使した研磨をそこに施し、とうとうまだ見ぬ輝

きを生み出すことに成功した、貴重な研究書だ。

そして、残念だが1975年6月20日出版されたこの研究書を最後に、

この研究書に比肩する研究は現在まで、発表されていないのが、

実情である。

これでは安部文学の価値を考えた時、本当に憂うべき事態である。

私自身、安部文学の研究者としての到達目標を掲げる時

『この研究書のように安部文学を投射する』

こと、そして研究深度の指針として、規準となる研究書なのだ。

拙書、安部システムの着想は、人間安部研究として、なんとか比肩でき

るレベルの磨ぎ石を手に出来たと、自負したいところだが、さて如何に。

アルコールに弱い私は、席についたらまず、無礼を承知で

“疎外の構図”を油性のマジックといっしょに引っ張り出し先生に

押しつけた。

アンブローシアの黒服さん達、ごめんなさい。

ワイングラスをセットする手を止めたまま、しばし固まらせてし

まって・・・。

実はこのホテルで安部公房にお会いした時、私は鞄の中のマジックと、

当時出版されたばかりの小説『方舟さくら丸』エッセイ集『死に急ぐ鯨たち』

を出す機会を逸してしまった、苦い経験を引きずっていた。

サインをいただいた時は、そんな積年のつかえが取れたようで、うれ

しかった。

すると、やおら先生も紙袋を取り出される。

それは“疎外の構図”以後、先生が安部公房に関して発表された論文

やエッセイのコピーと、安部スタジオが上演した演劇のパンフレットすべて

ではないか!

だぶっているパンフレットはくださると仰る。

『いや〜』

と喜んでいるまもなく、先生は古めかしい大きな茶封筒を取り出された。

背中に真知婦人のサインが一瞬見えた時、息がとまった。

前回“それ”が真知夫人を介して、封書で送られてきた話を先生から

聴かされていたからだ。

そして・・・。

“無名詩集”が、私の手に渡された。

一瞬安部との会話、従妹の渡辺 三子さんとの電話での言葉が脳裏

を過ぎる。

『先生、無名詩集ってまだ持ってらっしゃるんですが』

『あるよ・・・(笑)、欲しい?』(・・・先生と交わした最後のрフ時)

『いまだに捜している方がいらっしゃるようですね、100万単位の

額がついていると聞いて、驚いています』・・・(渡辺 三子さん談)

お借りする緊張感と、ようやく会えた喜び、そしてカリー先生の温情。

見にしみてこれほど心が、ポカポカと温かくなったことはなかった。

手を震わしてページを繰っていた妻も、きっと同じ想いであったろう。

ご存知ない方の為に、少し紹介しよう。

安部は1924年、大正13年生まれ。

デビュー作「終わりし道の標に」は、1948年、昭和23年。安部が24歳。

その1年後、異次元にジャンプアップした小説「デンドロカカリア」を発表。

そして2年後の27才前夜、完熟したアバンギャルド「壁-S・カルマ氏の犯罪」

が誕生したわけであるが、安部は1947年、昭和22年、23歳の夏、ガリ

版刷りの詩集『無名詩集』を、50部だけ自費出版した。

これが、唯一の詩集にして、長い間安部の処女作と考えられていたこと。

特に真知夫人が、安部ブランドのイメージを損なうとの判断で、門外不出

を徹底した為、稀覯本として名を馳せることになったのだ。

稀覯本市場で、100万円単位の金額が付いたニュースが、メディアを駆け

巡ったこともあった程だ。

全集が出たため、その稀覯本としての値段的な価値は下がったであろうが、

安部ブランドを考えると、ウェットと呼ばずにはいられないこの詩集を、当の

本人安部が、実はなくなられるまで、大切に持ち歩いたという事実が、安部

という人柄の源泉を裏付ける・・・そう私は考えていた。

特に『祈り』という詩が、私は、大好きであった。

なんて素敵な祈りだろう。

精神状態が悪化し、発狂の恐怖に苛まれた大戦下において、感性の自殺

を図り、肉体を生かしたとまで安部に言わしめた劣悪非道な状況下におい

て、編み上げられたこれらの言葉たちは、雪の浄化作用のように純粋に時

を超える力をそこに宿らせている。

勉強机の前に、長くわたしはワープロから出力した、この“祈り”を貼り、

スランプに落ち込んだ時には絶えずここに帰って、初心を取り戻した。

安部システム実現化のために、師も私も、とうに祈りとは決別している。

けれども師の祈りは、希望持ちつづける源を、表出しているのだ。

1度、この詩集をこの目で見たかった。

だが、その夢は永遠にかなわないと、あきらめていた。

その詩集を今、手にしたのだった。

 

(つづく)

 


 

 

2003.4.16

「息子の決心」

 

本当にご無沙汰してしまって、すみません。

えっ・・・、特になにかがあったりとか、

なにかが変った訳ではないんです、が・・・。

ずるずると今日まできてしまったのです、はい。

前回から、今日までの2ヶ月の間は、と言いますと・・・

原稿を2本書きました。

これは書いてみると、結構やっかいでした。

何が?って、主に二つありました。

ひとつは雑誌側の注文。

これは入れてくださいとか、

このように書いてくださいとかいうやつ。

次に〆切り。

どうも、書きたい時に書きたいことを書きたいだけ書く、

そんなネットサイトの利点に、何時しか慣れすぎてしまったようです。

「もうひとつの安部システム」は9割完成した原稿を持って

出版社を歩いた(実際には歩いてませんが)ので、やはり

そこのところの苦労はなかったのですね。

少しでも分かり易く、読み易いと心掛けますので、いつの

間にか時間がなくなり、出来た!と妻に見てもらうと、

「よくわからない」とつっかえされ・・・そうなってくると〆切りは

喉につっかかった小骨はおろか、満腹後のむかつきみたい

な妙な存在感を発揮し出します。

正直原稿を送った時は、一つは郵便で、一つは添付ファイル

でしたが、ホッとしました。

ああ、これは生業には出来ないと思いました。

わたしには無理ですね。

書き言葉はわたしにとって言霊です。

最も大切にしたいものの一つです。

だから、妥協できないなと、思いました。

もっともそんな心配は、取り越し苦労ですが。

あと、原稿がカタチになって手元に届いた時、目にした感覚。

これもネットにはないものでした。

以外とあっさりしてましたけど。

活字で見ると、自分が書いた文章がパブリックになったという

変な感覚が伴いました。

意外と客体化が出来ます。

今は“安部公房の小説作法”を執筆中です。

これは安部公房小説家論としては、作家論「もうひとつの安部シ

ステム」同様、今まで誰も指摘していない、極めて特異かつ発見

に富んだものになると自負しているのですが、実はどうしても必

要な引用文が一つ、いくら探しても見つからずほとほと難儀して

います。

内弟子な訳ですから、聞いた話をそのまま書いても良いのですが、

世の中いろいろな人がいろいろに言いますので、わたしとしては、

必ず公になった文献から引用することで担保(裏付け)したいわけ

ですね。

それは、具体的な状況表現に安部が言及した、めずらしい対談の

中の安部の語りなのですが、捜し続けてもう二日間つぶれてます。

さて言い訳その2。

年度末は学年の変わり目。

卒業式、入学式など、それに伴うPTA関係の会合が多々ありました。

先生も異動の時期、慣れた頃のお別れと新しい出会いが用意されてます。

結局、PTA活動はまったく柄になく3年目に突入してしまいました。

なり手がいないんです、どこも一緒ですね。

今年が最後と決めています。

筋ものではないですが、なんとかして足を洗いたいと思っています。

言い訳その3。

父親が脳幹脳炎でICUで奇跡的に一命を取りとめ老人病院に転院

して丁度1年。

今度は、74才の母親が4月4日に検査入院のち昨日退院。

来週再入院して大腸ガン切除のオペを行うことになりました。

オペの日は5月2日。

この日は全日本実業団選手権の開催日前日。

八王子中屋ボクシングジムの6人のボクサー達と共に

一路姫路を目指さなければならない日です。

高齢者にとって全身麻酔は鬼門です。

痴呆の引きがねになるケースが実に多いんですね。

ガンの進行も加齢にともなって遅くなる場合が多い。

けれども母の場合腸が狭くなりすぎて閉塞のリスクを回避する為にも

開腹術はさけられないようです。

手術に立合って、その足で姫路にいくことしました。

そんな訳で仕事が終わってから、行ける日は病院に顔を出してい

ました。

言い訳、最後。

実は・・・、自分では判っているんです。

本当の原因・・・。

ちょっと恥かしい話ですが・・・、

晩酌なんです。

これ、マジ、ヤバイ。

疲れて帰って、冷えたビールをキュっとやったんですね。

めずらしく“旨い”と感じ、心なしかぐっすり寝れてしまったんです。

次の日も、いやぁ〜疲れたって帰ってきて、

またまた冷蔵庫から冷えたヤツを取り出してきて、プシュ、キュ!

いやぁ〜旨い!!

ちなみにわたしメロメロに弱い方なんです、アルコールには。

350cc一本でベロベロって感じ。

けれど、キライではない。

いや、好きな方ですね。

えっと、正直言って大好き。

だから、ヤバイ。

弱くて好きなタイプは、もっとも習慣づいて

依存傾向になりやすいそーです。

なにより書けないですね、まったく、飲んじゃった日は。

本当にぜんぜん。

ものも考えられない。

わたし朝1時間かけて歩いて出勤しているんですが、

その間、思考がひらめくと、携帯のメモ機能に打ち込んで

ネタにしているんですが、ネタばかり増えて、肝心の書き手

は飲んで昏倒してばかり。

これはマジ、ヤバイと思いました。

その間に原稿を書く必要があるのですから、コラムなんて・・・

おろそかになるしかないですよね、すみません!

でも、ようやく学習して、悪癖と決別することにしました。

これからはバリバリ書きますよ〜。

ネタ、たまりまくってますし。

と言う訳で、ですます調と決別し、そろそろ今日の本題に入らせ

ていただきましょう。

今日はネタでなくて、今日思った話から。


長男の公房が中ニになった。

彼のブームはBUMP OF CHICKENと、メール。

水泳、そしてボクシング。

かつて腕の中で私の玩具になっていた息子の目線は

今や、172センチの私と、同じ高さにある。

まるで日々、自分の老いを、彼に映して

逆さに見ている感じ。

習い事流行の中、ピアノは8年目、ボクシングは3年目に

突入した。

いずれも彼の意志で続けている事で、塾という話はでて

こない。

そんな彼の、将来の目標。

いつの日からか、彼は人に将来の目標を訊ねられた時、

決まって「医者になる」と答えるようになった。

中学校ではクラス替えが毎年あるので、

教室のうしろに、自己紹介が貼ってある。

だいたいこの時期に保護者会があって、親は

どうもこの“自己紹介”を、口が重くなった子供

達の交友相手を知る、格好の情報源としている

ようだ。

それで、今年も彼は「医者」と書いた。

 

反応が面白い。

彼の友達、男連中はだいたい「へぇ〜」で終わり。

女連中は「すごいねぇ〜、勉強できるんだね〜」・・・?

それが親レベルになると反応も複雑になる。

例えば「息子さん、将来の目標、なにか立ててる?」

と聞かれ「医者になりたいんだって」と言うと、

いきなり進路の選択に話題が飛び火する人、

いかに学費がかかるか、力説し始める人、

形容しがたい笑いを浮かべて黙る人、

なぜか、うらやましそうに絶句する人、

そしてなぜか、話題をそらす人・・・?

 

だが不思議に動機を聞かれたことがない。

実は私なりにその動機の心当たりが、はっきりとついている。

今日はその辺りを、忘れない内に書いてみようと思う。

動機は、二つ。

ひとつはテレビドラマERの存在である。

今年ERは[シーズンを迎えた。

まる7年たって、8年目を迎えたわけである。

月曜10時からBS2で放送されているこのドラマ。

家族皆で見出したのは、彼がなんと保育園の年長に上がった年。

それからほぼ、2週に1回はかかさず見続けてきた計算になる。

小学校5年のある日。

この番組を見ている途中、彼は突然立ち上がって

「おれ、医者になる」

と叫んだ。

これが第一声である。

このドラマをあなたはご存知であろうか。

もしあなたが見たことないとしたらあなたがうらやましい。

なぜならこんな芳醇な世界に、これから出会えるということは

必ずや大きな喜びをひとつ得る事が約束されているからだ。

もうひとつ。

それはわたしの父の姿である。

わたしの父はパーキンソン病を発症して今年で16年目になる。

彼がもの心付いた頃、父は、彼の目にもっとも頼もしい姿に

うつっていたに違いない。

彼が実家に預けられるとたいがい母に手をひかれて、

黒塗りの専用車が迎えに来て、出勤する父を一緒に見送る。

しばし私達兄弟家族を食事や旅行に招待する。

「ごちそうだね、おじいちゃんにお礼をいいなさい」

そんな決まり文句の、その先には必ず頼もしく、かっぷく

のいい父の姿があった。

だが、パーキンソンをはじめ出力障害を伴う難病は、残酷だ。

父からどんどん、日常生活動作を奪い取る。

公房の目にもさぞ、奇異にうつったことだろう。

いや不安の源泉と言ってよいかもしれない。

なにせ不動に思えた、頼り甲斐のある存在が、どんどん弱

っていくのだから。

足の引きずりがひどくなったと思ったら、次に会った時には、

母の手を借りて歩くようにまで、なっている。

正月を迎えた頃には、移動は歩行器に頼らなくてはならず、

次の夏にはもう車椅子から離れられなくなる。

両親が兄との同居に踏み切り、実家を売り払い家を建てている間、

我々は約10ヶ月同居し、彼も車椅子を押したり、ギャッジベットの

上げ下げを手伝ったりしたが、日常生活動作は低下し続ける。

以後入退院を繰り返し、とうとう昨年脳幹脳炎で一時危篤となった。

気管切開し人工呼吸器で生かされている父を連日見舞い、彼も声を

かけ続けた。

現在は骨と皮で意識すらない状態で病院のベットに伏している。

しばらく前まで、父は公房が見舞うと、決まって涙し続けた。

最近は、涙すらでなくなった無表情な父の耳元で公房が

「おじいちゃん、わかる、おじいちゃん」

と大きく声をかけた。

彼にとって、おおいなる存在が異形するプロセスを文字通り目の当り

にした8年であった。

そういえば・・・、

私は思い出した。

「おじいちゃん、なんであんなになっちゃったの」

小学校3年の頃こんな質問が彼の口をついて出た。

「ぼくにもうつるの」

「難病ってなに」

以後事あるごとに、こんな質問を受けたっけ。

ホームページで一緒に難病の種類を調べたこともある。

「おれは難病を解明する」

彼が発するこの言葉には、彼の中のそんな歴史の在り様の

一端を物語っているのだろう。

彼が医者になるかどうかは、定かではない。

彼の人生には様々な、まだいくつもの大きな出会いやきっかけが、

用意されているからだ。

ただ、今彼の中にある動機は、非常に貴重で、大切な質のものだ

と思う。

なぜなら、わたしが患者になったならば、彼のような質の動機を持

つ医師にこそ、身を託したいと感じるであろうからだ。

彼が買ってきて薦められたコミック“ブラックジャックによろしく”を読

み、なおその思いを強くした今日であった。


さて、今後のコラムの頻度に、ご期待下さい!

もしまた、なかなか更新されないようでしたら、

「お〜い、晩酌してんじゃないの〜?」

と、メールくださいまし。

冷蔵庫から、ビールがなくなった日曜の深夜に。

 


 

 

 

2003.2.12

「ウィリアム・カリー上智大学長、そして『疎外の構図』」

 

JR四谷口から地上に上がると、霧雨が霧吹きで噴射されたように

顔をなでた。

慌てて軒先に戻ると傘を鞄から取りだし、近付いてきた妻に声をか

けた。

「私も持っているよ」

と彼女は手品のように鞄の底にあるファスナーを開け、スルスルと

携帯傘を取り出す。

そして、どちらからともなく、地上へ歩を進める。

見上げると、マニュキアの光沢で濡れたビルが光を乱反射させている。

17年前の冬、一人京王プラザホテルを見上げた夜の光景が、複写の

ようにオーバーラップした。

「四谷見附の交差点、来来軒の前」

すぐに待ち合わせ場所は、向こうから視界に飛びこんできた。

 

私には二つの大きな悔いがある。

自分自身の選択や足跡には悔いなど微塵も存在していないが、

いかにせん人がからむことは、自分だけではどうにも判断しにくい

側面が生じる。

元来遠慮を知らない点では日本人離れしている私が、肝心な時柄に無

く、遠慮深い日本人の典型をよそおってしまったことが、二つの悔恨を

生んだ決定的な要因だった。

東海大学病院に入院する少し前あたりから、師は明らかに変調をきたし

ていた。

常々病気らしい病気にかかったことがないと豪語していた師が。

いつも私の具合を逆に心配していただくのが常であった師の、力強い、

透き通る低音の声が、ハスキーな高い声に変容し不明瞭になってしま

っていることに気付いた時、本当に途方に暮れた。

私がなにか言えば釈迦に説法だ。

気分を害しこそすれ、師の健康にとって有益には働かないであろう。

だが、明らかに、おかしい。

せっかくお許しいただいた箱根の仕事場見学を躊躇し、

「暖かくなってから」などと手前勝手に理由付し、先延ばしにしてしまった。

退院後、都心で予定した年末の接見の機会も、同様に年明けまで延ばし

た。だが師の身体は、その冬を越えられなかったのである。

今でも時々その頃、電話で交わした会話を夢の中で再現する事が在る。

その先をいつも聞こうとするのだが、いつの間にか先生の声が

聞こえなくなったり、用事が入ったり、場面が変ったりで、夢のなかでさえ、

続きは来ない。

きっと師のほうが私に、語り見せたいものがあったはずだ。

そう考えると、やるせない無常に囚われる。

以来悪しき日本人の慣習はかなぐり捨てようと心に決めた。

それがひとつ。

そして妻を京王プラザホテルに連れて行かなかった事。

それが二つ目だ。

妻は鋭い直感と教養の研鑽により、深く安部文学と科学者安部の業

績を理解している。

私には、妻とのディベートのお陰で、見え隠れするテーゼの姿を鮮明

にすることが出来た経験が、幾度となくあった。

少なくとも、私がもっと心の声に素直に従い、箱根に行き、遠慮せず

妻を同伴すれば、共有できる世界が増えたはずである。

また師にも、発見があったはずだ。

もう同じ悔いは繰り返すまいと心に決めていた。

だからウィリアム・カリー先生から

「私が送った章を読み終えたら、どこかでお会いして

食事を食べながら安部についてはなしたいですね」

と嬉しいメールをいただいて飛び上がった時、すぐさま

「ぜひ、お話しさせていただきたい」事と

「妻の同伴をお許し願いたい」事をカリー先生に返信させていた

だいたのである。

 

Mr William Currie

私が紹介するまでもないが、上智大学長のカリー先生は、日本文学

と英米文学の比較研究者でいらっしゃると共に、

「疎外の構図-安部公房・ベケット・カフカの小説」

を’75、新潮社から出版された安部公房研究のパイオニアである。

「・・・私たちに托された遺産の中でも最も貴重なものの一つは、人間

にまつわる様々な問題について、つねに深く掘り下げて考えようとした

彼の姿勢ではないだろうか。」

’93、へるめす46号の特集・安部公房フロッピー・ディスクの通信

に掲載された先生のエッセイ「安部公房の遺産」のこの言葉は、深く

私の心に共鳴した。

安部の理解者のような顔をして、悪評を平気でたてたり、おもしろおかし

く揶揄することで安部をひき立て役に利用する輩がいる文壇において、

「・・・安部の誠実さ、これも彼が残してくれた大切な遺産である。誰も

が仮面をつけ、フリをすることに慣れきってしまっている中で、安部は

作品においても実生活においても胸のすくような素直さをいつも示して

くれた。因習打破主義者とでも言えばいいだろうか。彼はどんなごまか

しや偽善に対しても敢然と立ち向かっていった。」

安部の最大の遺産を「彼の創造性と想像力」だろうと言いきる、先生の

この言葉は’93年当時いかに、冬の真っ只中にいた私に精神のやすら

ぎを与え安堵させたか。

先生の、安部に対するシンパシーはまったく私と同質のものであった。

だから私は「もうひとつの安部システム」の原稿が形になって私の手元に

帰ってきた時、一番始めに先生の迷惑をかえりみず、贈らせていただい

たのであった。

定刻にはまだ時間があったので、ルノアールでお茶を飲んだ。

地面までやっと届いていた霧雨は、すぐ空が吸収してしまったようだ。

ゆっくりとお茶を胃の腑に治めると、私達は待ち合わせの場所に戻った。

妻と私は同時に先生を見つけた。

先生も笑顔で、私達を確信してくださった。

私は、先生とがっちり、握手をした。

 

年末から年始にかけて、私は先生からいただいた「疎外の構図」の安部

公房が書かれた章に、座して向い合っていた。

安部は生前私に、研究論文や評論文が成功する条件をただ一つ、

「テーゼの発見があるか否かだけだ」と断言していた。

「疎外の構図」にはその驚くべきテーゼの発見があった。

疎外の構図より引用

「・・・安部、ベケット、カフカの小説に、人間の疎外という問題を扱うという

点でテーマそのものの類似が見られるばかりでなく、このテーマを処理す

る上で、作品の構成の方法にも共通点があるということである。つまり、

物語は1個の中心となるメタファーを核として構成され、このメタファー

作品を一貫して持続されるのだ。三人の作家たちは、文化的、文学的伝

統を大いに異にしているけれども、現代の人間存在の透徹したイメージを

創り出し、それによって現代の読者に、今日の人間の生を深く透視する直

観を与えている。そしておそらく将来の読者にたいしても、彼らの作品は同

じ直観を与えつづけるに違いない。

それにしても、この三人の作家を比較することにどういう意味があるのか。

彼らの作品の相似や相違を検討することで、個々の作品そのものをいっそ

うよく理解することができるはずである。このことによって、相似たテーマ、

相似た文学上の技法を、彼らがそれぞれどのように用いているか、その

相違が明らかになると同時に、それぞれの作家の独自性もまた明かになる

にちがいない。彼らが用いる小説技法には確実な共通性があるけれども、

その具体的な適用のしかたには大きな相違があり、その結果非常に異なっ

た作品が生み出されている。結局この種の研究のひとつの目標は、こうして

三人の作家それぞれの独自性を示しながら、しかも国境を越え、文化的な

伝統の違いを越えて、文学上ある種の連続が存在することを具体的に例証

することにある」

引用終了

なにが見事か。

この指針にしたがって明かにされる三人の作品の個性が、三人の稀有

な才能に映った『人間と人間関係が構築する社会』の微妙に異なる色合い

を透して、人間の普遍性をあざやかに照射するとともに、そのイメージが結

果として作家の個性を見事に映し出すようフィードバックされる圧巻な様が、

である。

評論家の薄っぺらさなどは、この研究の書の前では伏して道を譲る。

また作家を離れてみても、地域と時代の表層から分け入り、固有の文化

を通過して人間の普遍的な姿を、多面的に構築することに成功してい

るのだ。

“人間の”と言うよりは“人類という種の”と言った方が的確か。

さらに、共存している、別の構造がこの書に他に類を見ない奥行きを与え

ている。それは異なりつつ融和する多面的な切口の存在だ。おかげで

私は作品論が作家論に昇華し、作家論が稀有な才能の目を透して文化論

に、文化論が稀有な作品群に又環ってそれを透し文明論に、文明論がさら

に昇華されて普遍的な人間という種の解析に到達される様を読み進める内、

知の興奮が沸立つ衝動を体感してやまなかった。

これは、安部自身が奮い立つ訳である。

カリー先生には失礼だが、大学院の博士論文には収まりきれない、一度限

りの、創造の書であろう。

私にとって、もう一つ、大いなる収穫をいただいた。

“原点”に立ち帰らせていただいた事だ。

当たり前だが、

「勉強は栄養であり、栄養は創造に必須」という原点だ。

私はカリー先生の中にある「テーゼを発見した熱さ」と、それらを統率し見

事に書ききった冷徹なまでの知性、そしてその土台となった「教養の量」に

打たれた。

 

気持ちよくなる程、カリー先生は生ビールの杯を重ねた。

中華料理を食べながら私は、カリー先生からミシガン大学博士論文作成

を機に、初めて安部公房と電話でお話しされた時の緊張感、お会いする

まで度重なる電話でのやりとり、安部公房に会った時の高揚感や安部公

房の人としての魅力、その才気、魅力的な真知夫人。

そして亡くなられた後の、どうしようもない哀しさなどを拝聴するにしたが

って、お互いの経験の共通性、なによりカリー先生と師との交友が私の

それにオーバーラップしていく不思議な感覚に包まれ、やがてそれらは私

に、柔らかく深い感動をもたらしていた。

カリー先生もまた、拙書を読んで先生自身の体験がそこにオーバーラップ

されたとお聞きし、合点がいった。

私の中であらゆる長きにわたった緊張がふやけた。

カリー先生が安部公房と接見後、見学を許された安部スタジオの様子。

カリー先生が書かれた英語の論文を、なんと読めないとされていた原文で

安部が読み、出版が決まった「疎外の構図」の話。

1月22日調布の自宅に戻った安部公房の姿。

幾多の貴重なお話の数々から、カリー先生にとって安部公房が、

長きにわたり特別な存在となりえていたのだという事、その大きさ、深さが

私に伝わってきた。

私もまたそうであった。

 

冬が緩んだようである。

店をあとにすると、しっかりとした雨が舗道を濡らしていた。

別れ際握手したカリー先生の手は、やはり大きく温かかった。

私は無上の喜びと今後の人生の楽しみを持つことができた。

一つは大変僭越な言い方をお許し頂くと、巨人安部公房の大兄弟子に

巡り会えた事。

そしてそれが、今生の別れの悲しみと残された世界と人間の問題に立ち

向かうために自己を研鑽し生きていく時、最大の励みになる事である。

この地雷や砲口を覗き込むような現代に、言葉で立ち向かう覚悟を決め

た時、いかにその存在に、自分が励まされるか。

だからこそ今度は私が、安部鉱脈という原石の宝庫から発見し、研磨し、

若い研究者達の少しでも糧に成りえるよう、精進したいと夜一人、思いを

新たにしている。

 

追伸

久しぶりの更新なのでまとめて報告を。

2月6日、新宿の「かりゆし」という沖縄料理屋で、画家の中辻さんと、

村上さんで新年会&オフ会を開いた。

一応3サイト合同オフ会とぶち上げたが、gcdzd12061さんは激職が彼を

解放してくれず当日不参加となり、参加者は中辻さんと私と、それぞれの

応援団長の計4人となった。gcdzd12061さんはここのところハイペースで

良質な言葉を生み出し続けているので、今度会った時はそのあたりをぜ

ひ、インタビューしたい。

これが二回目の試みだが、中辻さんはプロの方なので、話が楽しく興

味深く、かつ刺激に満ちている。ぜひ時間をいただいて絵を見させていた

だく日を楽しみにしている。

この方の絵を一堂にかいしたら、と思うとそれだけでエキサイティングだ。

また会場の「かりゆし」は、沖縄の音楽・踊りをライブでやっていて地の料理

も手頃で美味い!

という訳で、次回日時が決まったらサイトにUPするので、自由参加でいき

たいと思っている。

 

14日金曜日の夜には、郷土誌「あさひかわ」の発行人である渡辺 三子さん

からお電話を頂戴した。この方は安部公房の従妹にあたる。

北海道の旭川から頂いたお電話にも関わらず、つい楽しくて1時間あまり

長電話をしてしまったが、電話代の事を考えると冷や汗である。

お電話のなかで拙書幾冊かと、「あさひかわ」3月号の原稿を依頼していた

だいた。

ちょうどホットなカリー先生を中心に昨日今日で原稿を仕上げ、明日速達で

送らせていただくよう準備してある。

原稿の内容は上記のデ・チューン版となる予定だ。

こうご期待!

ウィリアム・カリー先生を知りたい方へ

http://www.kanjuku.co.jp/times/200110/int00.htm

 

追伸2

私の知る限りにおいて、師の小説作法について、言及して

あるまとまった研究書は皆無である。

また、師自身も、まとめてそれに公の場で言及したことはない。

私は小説作法をさんざん本人からたたきこまれたのであるが、

今までこれはどこにも出てないので、今

「安部公房の小説作法−その驚くべき秘密」

という原稿にまとめている。

これは雑誌に掲載したい。

こうご期待!


 

 

 

2002.11.3「イヌのはなし−付録:むだ吠えを止める法」

 

号哭が心地好いまどろみを切り裂く。

ひどい時は早朝4時。

まれに深夜2時、なんてこともある。

平均して朝5時から6時。

まさに最も深い、睡眠も最後のピークを迎えている時間帯だ。

声の主はまだ1歳に満たない、ビーグル犬。

私は今、自宅の一階東に位置する和室で、息子と寝起きしている。

この犬は、我が家の、東側2メートル私道を挟んで、蓮向いの家で飼

われている。

その家の、庭の西端に犬小屋が設置してあるから、私の枕からおよ

そ10メートルに満たない距離。

そこにその時間、口撃が降ってくる。

いきなり

ワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワン、

ヘッヘッ、ワンワンワンワンワンワンワンワンワンの絶叫を30回

は繰り返す。

それも毎朝だ。

せんだっての日曜も、町会の班長をやっているおばさんが、

回覧を持ってきがてら

「ほんと、その家のイヌ、うるさいわねぇ〜、みんなうるさく

思わないのかね〜」

とのたまわった。

うるさくないわけないだろ〜が!

ちなみにそのおばさん、ヨワイ65。

耳は既にとおく(その分声はデカク)100メートルは離れたとこ

ろに住んでいる。

これで少しは号哭のすさまじさが、おわかりいただけるであろう。

半分まじめに、半年の間、いつ困り果てた飼い主が絞殺するか、

南隣りの住人が撲殺するか、期待して待っていた。

ところが、である。

飼い主は帰ってくるなり

「ありがとねぇ〜、よく待っててくれたねぇ〜(ワンワン)

あぁ、よしよし、いいこだねぇ〜(ワンワンワンワン)

うるさいよ、おすわり(ワンワンワンワン)おすわり(ワンワンワンワン)

おすわり(ワンワンワ×30・・・)」

おすわりじゃないだろうが!

ちゃんとしつけてくれぇ〜!

さらに・・・、私はこの目で目撃してしまった。

南隣りの住人が、飼い主の奥さんとにこやかに談笑しているではないか!

耳、とおいのかなぁ。

おまけに最近は息子まで

「と〜ちゃん、早く慣れろよ、オレなんかもう慣れちゃって、

耳が自動的にカットしてくれるから気になんないよ」

ときた。

そうか。

私は「宿命」を感じた。

イヌ、そしてムダ吠え・・・。

あぁ、歴史は繰り返される・・・。

ようやく我が家のイヌに、しつけが浸透しきった矢先、これか・・・。

“イヌは賢いわよねぇ〜”などどぬけぬけと言う、スピッツみたいなおば

さんを見ると想像のなかで必ずビンタをくれてやる。

道の真ん中で、公衆の面前で、脱糞するやつが、賢いわけないだろう!

あんた出来るか!?

ネコの方がまだ知恵を感じさせる・・・と、わかってはいるが、なぜかそ

のバカさ加減に、妙に癒されるのも、また事実だ。

イヌには祖父母が孫に持つような、きわめてピュアな、慈愛を感じる時

がある。

このあじは、ネコにはない、イヌならではのものと言えるであろう。

私とイヌ、およびイヌのムダ吠えとの付き合いは、25年に及ぶ。

今を遡る事25年。

おそるべき凝り性の兄が、事の発端を私にもたらした。

兄が、どうまちがったのか、何かの瞬間イヌに魅力を感じてしまったの

である。

さあ、始った。

まず本屋に行き、可能な限り分厚く高価な、イヌの専門書を購入する。

と共に、学校や図書館で動物学的見地から、イヌとは何者かを、学問

として紐解く。

さらにイヌと人間の歴史を可能な限り調べつくし、イチゴイックもらさず

頭に叩き込む。

その頃には、兄の中に、自分が何を飼うべきか、かっこたるイメージが

出来上がっているという、寸法だ。

ちなみに対象が変るだけで、兄の気質は変らない。

いや、あろうことか、年とともに助長される傾向すら感じさせられる。

恐るべし、その気質!

次になにが始るか?

兄はひたむきな熱心さで、実現に向けねばり強く周囲に働きかける。

なにしろ、顔を合わせるとイヌの話しである。

いいですか?

顔を合わせると、イヌの話しをされるわけです。

家族ですから、シジュウ顔を合わせるわけじゃないですか。

そうすると次の瞬間、矢継ぎ早に、イヌの話しが飛んでくる。

アイリッシュウルフハウンドがなんたら、ボルゾイはあーで、ドーグド

ボルドはこーで、その点ミニピンはこうだけどアフガンは・・・。聞いて

いるだけで、こちらにも知識が自然と蓄えられる程であるのだから正

に洗脳と呼べる環境だ。

イヌの起源、イヌという種の特徴。

イヌと人間の歴史、なかでも今自分が飼いたい犬種が、どんなに卓越

した能力を内在しているか、そしていかに、自分にはそのイヌが必要

か、飼えるのだったら、自分にとっていかに幸せなことか・・・。

まず、母が感化される。

母は元来、動物嫌いだったはずだ。

つまり母が一番当時、兄と長く接する時間があった、という事だ。

私は、兄を良く知っている。

だから、兄にスイッチが入った時点で、諦める。

あとは嵐が通りすぎるのを、待つだけである。

それまでにも、メンコ、切手、自転車、成績・・・。

成績にこった時などは、瞬時に周囲のドキモを抜いた。

それまで下から数えた方が早かった兄が、見る間に学年2番

に踊り出たのだから、あぜんである。

おそらく一番理解に苦しんだのは担任であろう。

成人してからは大変であった。

ある日兄の口から「ロレックス」という言葉が、ついてでた。

今やほとんど全種類のロレックスが、所狭しと並んでいる。

周りにもいかにロレックスが優れた時計かを、徹底的に、時間の

あるかぎり啓蒙する。

歴史からメカニズムまで。

やがて兄の会社の、かなりの数の、それも若い社員の腕に、

ロレックスが燦然と輝いているのを私は発見し、絶句した。

ロレックスは兄に、マージンを払うべきである。

が、幸か不幸か、兄にはそういう発想が、ない。

これはウソのような本当の話し。

お兄さん金持ちなんだねぇ〜って?

いやぁ、いたってフツーのサラリーマンです。

どうやって買ったのかって?

そんなの知らない、いちいち知ってたら、身がもたない。

時を同じくして、同じものを趣味にすると、大変なことになる。

ウルトラマンのレアもの特大メンコなどは、兄の魔手から守るだけ

でも大変な苦労をしいられたほどだ。

利害が一致している間は、こちらは無事である。

例えば自転車などは、最高であった。

凝った兄は、フレームから部品一つ一つを買い揃え、とうとう

一台オリジナルを組み立て、さらに気に入るまで、部品を買い替

えてはレストアする。

私は乗るのが好きだった。

兄がつくり、私が乗る。

不思議なことに、私が乗ることに、兄はまったく嫌悪感を起さない。

私が汚して帰ってくると、イソイソと磨く。

今にして思うと、兄は生粋のコレクターなのだろう。

その興味がイヌに向った時、一番驚き、閉口したのは父だ。

最初は兄に言下にダメ出しをした。

だが、出勤し、夜遅く家に帰ると、家の空気が日毎変わる。

そして、ある日突然味方であるはずの母が

「飼ってあげてもいいんじゃない」

などと言い出す始末。

さて日曜日。

父は兄に再度きつくダメ出しをする。

待ち構えていた兄は、逆に父を捕え、腰をすえ説得に乗り出す。

イヌの起源、イヌと人間の歴史、なかでも今自分が飼いたいイヌが

どんなに素晴らしいか、そしていかに、自分はそのイヌを飼いたいか、

飼えるのだったら、自分にとっていかに幸せなことか・・・。

父は激高する。

だが、それも兄の手の中でのことである。

丁度おりしも「愛犬の友」という雑誌に、兄がターゲットにしぼっていた

犬種アフガンハウンドの生まれ立ての子犬プレゼント(血統書付き:自

己負担5万円あり)なる企画が掲載される。

兄はまた非常にレアものに弱い。

当然の事ながら、即座に兄は応募した。

そして、不思議に当たるのだ。

既成事実を作って再度説得である。

父はうろたえる。

ここぞとばかり兄はこんこんと説く。

このイヌはイギリスのグランドチャンピオン、ブリンドル(色・・・黒を

基調に、グレー金、銀、赤、白などがまざった珍しい色彩の)のラスカル♂

(犬名)とアメリカンチャンピオン、レオナ♀(犬名)を両親にもつ大変高価

で貴重な犬で、このチャンスを逃したら2度と!チャンスは訪れない・・・。

またうまい具合に、企画主が応募者の品定めに掛けた電話に兄が出るの

である。

兄はいかにこの犬を気に入っているか、いかに自分がアフガンハウンド

を愛しているか、膨大な知識を元に説くのだから企画主は驚き、はては

大感激だ。

休日父あてに企画主から電話が入り

「○○さんほどの人に飼って頂けるのならば、この子(イヌの事)も本望

です。本当に感激しております、お代はいりません・・・」

父は、陥落した。

ほどなく我が家にはじめて、イヌが上陸したのであった。

呼称「レオ」♂

どんな犬種も、

子犬は玩具さながらだ。

それに、恐るべき兄は、はじめてイヌなるものを飼うのにも関わらず、

全てにまったく不安を感じさせない程の、知識に裏付けられた自信で

事に対処するので、当初もっていた漠然とした不安は完全に払拭される。

たっぷり可愛がり、兄の指導のもと、飼育のイロハを叩き込まれ、ゲージ

や人がはいれる程の犬舎も庭に完成し、ようやくレオも本当の家族の一

員になった。

さて、最初の朝。

「ヒャン」

午前6時。

私はまどろみの中で、その声をコダマのように、聞いた。

ふっと意識は覚醒し、しばらくなんの音であったのか、次を待ち、

聞き分けようとする。

だが、後になにも続かない。

耳の錯覚だったか。

再び睡魔にひきずりこまれ、まどろみだす。

「ヒィヤァー」

おっ?

なんか聞こえたぞ・・・。

だが、又、しばしの静寂・・・。

「ヒヤン」

うっ、確かに、鳴いている。

でも、なにが?

母と私がまず、各自の部屋から同時に、飛び出した。

その頃には、声と声の間隔も狭まっている。

兄を起すと兄は

「行ったら、癖になるよ、ほっとくしかない」

といってフトンにもぐり込む。

といって鳴かし続けるわけには、近所の手前、いかないではないか。

なにせ一斉に入居したばかりの、中産階級の見本市さながらの、

新興住宅街での、初日の朝のことだ。

ここで朝鳴きを放置したら、自己紹介の挨拶がてらに繰り広げら

れる井戸端会議に格好のネタを提供すること請け合いである!

軋轢の生じた近所付き合いのわずらわしさは、便秘さながらだ。

仕方なく私がお供してレオの散歩に出かける羽目になったのである。

が、同じ時間に散歩するのを3回も続ければ、イヌはその時間を

身体で覚えてしまう。

後の祭りだった。

生粋のコレクターである兄の興味は、飼うという目的を達成した

ことで、その役を終えた。

そうそう、兄には嵐のような熱情期の後、いともあっさりと別のものに

乗りかえる性質がある。

兄の名誉のために言うが、だからといってレオに冷淡になるわけで

はない。

非常に可愛がりはする。

だが、全ての世話をするほどではない・・・ぐらいにトーンダウンする

のだ。

(このトーンダウン&乗換えパターンさえなければ、兄は今頃なにか

をなしとげて、莫大な富か名誉を獲得したこと請け合いなのだが・・・)

必然的に、朝夕のサンポのどちらかを私が行き、母は飯係という役割

が決まる。

しぶしぶ、釈然としないまま、私はサンポをするようになった。

だが程なくその後、なんと兄は家を出て、叔母が所有するアパートの

一室を借り、一人暮らしを始めてしまったのだ。

当然おはちはこちらにまわってくる。

朝夕のサンポ係。

結局、二年の浪人時代四年の大学時代、就職結婚まで、旅行以外、

私はサンポを欠かすことが出来なかった。

というか欠かせない。

このイヌ時計、正確無比に6時頃、雄叫びをあげ出すからである。

夜遊びをして夜半に帰宅し、ドロのように寝ている耳にも、甲高い

「ヒャア」

という叫びに、“待った”は無い。

あんまりうるさく頭にきて、はったおそうとレオの前に仁王立ち・・・。

だがこのイヌ、不思議に気立てが、いい。

誰にでも、シッポはおろか腰まで振り、食事中に手を突っ込んで、

食べ物を取り上げても、怒るそぶりはまったく見せない。

これはイヌにとっては大変なことだそうだ・・・と兄が言っていた。

イヌの食事入りの食器に手を入れるなど、自殺行為で、噛まずとも

吠えられること必至なのだが、レオはと見ると、シッポをテンテンと

振るだけである。

ヒャァと鳴かれ激怒して綱を握り締め犬舎に突進するが、待っている

のはレオの澄んだ、ツブラな瞳。

こういう時ほどうらめしさを感じた事はなかった。

元来夜鷹、朝寝ダイスキ人間であった私は、結婚してようやく、何年か

ぶりの朝寝を、心行くまで堪能したのであった。

私が家を出たあとは、この役を母が、になった。

母や父が老いるより早く、レオも老いた。

息子が生まれた頃には10を超えていた。

息子が歩けるようになった時、突進しつかみ引っ張る息子に、彼はな

すがままにされていた。

ペロリと、一度、息子を舐めた。

没前には朝鳴きも、陰をふせ、周囲を心配させた。

娘が立って、歩けるか歩けないかの頃、彼はもう立つのもやっとという

感じであった。

彼はゆっくりシッポを振り、やはりペロリと、一度、娘を舐めた。

彼は16まで愛情一杯に育てられ、最後は寝たきりとなり、サークルの

中で、母と駆けつけた兄の涙に看取られて、息を引き取った。

私は、彼の死に目にはあえなかった。

 レオ(Tabby of Kin Ninomiya)と息子

次なるイヌはシピ(♀雑種)、フランス語で“性悪女”だそうだ。

義父の命名である。

シピは捨て犬だった。

私が浪人一年生の時、妻が小学校の教師として採用された学校

の生徒が、生まれたてのシピを拾ってきた。

厳格な義父も、さりとて捨てさせる訳にもいかず、引き取り手がつ

くまでの期間限定で、飼う事を許された。

その日から、陽当たりの悪い坪庭が、シピの根城となった。

だが今度は彼女(妻)が、翌々年私と結婚し、家を出てしまう。

以降8年余り我々は賃貸に住んでいたから、結局妻の末の弟が

その間散歩に行き、生活をしていた。

このイヌは、まったく鳴くことをしない、不思議にまた、気立ての良

いイヌであった。

子どもになにをされても、されるままにしている。

サンポに行かないと、いつまでも、いつまでも、ただ待っている。

好物はカレーライス!でなんでも食べる、非常に人なつっこい

イヌであった。

妻が主人であることを覚えていて、だから私の存在を理解していて、

私が顔を出すと、狂った様に喜んだ。

長男が小学校にあがる前の夏、私達は家を買い、まっさきにシピを

迎えに行った。

シピは全身でうれしさを表現した。

坪庭で八年間待たせた、私達もやはり、うれしかった。

のびのびと庭を掛け回り、私に、息子に、娘に、妻に、突進しては

身体を擦り付け、腹をだして、なでるとまた駆け巡り、何時までも何時

までもはしゃいでいた。

30代は忙しい盛りでもある。

子育て、仕事に忙殺される。

だがシピは、待つ事が苦にならないようであった。

深夜私が散歩に行こうと庭にシピを迎えると、すねもせず、大喜び

だ。

両親共働きの長男はパイオニアである。

小学校の授業が終わると、学童に行き、真っ暗な家に鍵を握り締め、

一人帰る。

そんな時、息子は必ずシピのところにまず行き、シピをいつまでも、

なでていたのだ。

そこには幼い息子の帰りを歓喜して迎える、小さくも暖かな、命があ

った。

ある日早退し用を済ませ、息子が帰ってくるのを待っていた私は、そ

んな光景をまのあたりにし、はじめて彼等の日常を理解した。

息子がシピの脇にしゃがんで、シピをなでる。

シピはなでられている間、決して息子の側を離れず、されるがままに

している。

ずっと・・・。

息子はシピによって、時に癒され、時に励まされたのだった。

私は小さな、シピに首を垂れた。

娘の動物好きはこのイヌの、きだての良さが、大きく影響した。

シピはたとえば、私と娘で態度を変えることはなかった。

ヨチヨチ歩きの娘にも、ちぎれんばかりにシッポを振り、従った。

だが、

息子と娘がすこやかに成長し自立するに比例するように、シピも

急速に老いていった。

梅雨明け前、シピに蒸し暑さを越せないほど、老衰がしのびよる。

珍しく晴れ蒸した日、予感が私に、時間休をとり家に帰らせた。

庭を、と見るとそこには、事切れる寸前の、寝たきりのシピの姿

があった。

抱き上げても、自力で首が持ち上がらない。

目も私を追おうとしているが、力が入らない。

抱いたまま、水を手ですくい口に含ませると、最後の力を振り絞り、

自力で首を上げ伸ばすと、私をペロリと舐めた。

お別れのあいさつであった。

シピは私の腕のなかで、その早い呼吸を次第に、落ちつかせていった。

首輪を取った。

私は涼しい玄関の中にシピを運び、ひとしきりなでた。

「シピ、玄関だ。家に上がってもいいぜ、ほら、起きろ」

目は開けているが、シピの首はもう、持ち上がる事をしなかった。

又ひとしきりなでると、私は仕事場に戻った。

そのすぐあと、今生の別れが訪れたのだと思う。

帰宅した娘と母、息子が、永眠についた後のシピに玄関で対面した。

息子も娘も、はじめて体験する、実におだやかで苦しみのない死への

移行であった。

くしくもその7月3日は、白く小さなシピとの出会いによって、「将来ペットシ

ョップ屋さんになりたい」と言わしめられた娘の、6才の誕生日であった。

かつてさんざんサンポに付き合った妻の弟が深夜、娘の誕生日プレゼン

トと一緒に、シピのダイスキな魚の缶詰と線香を持って、供養に訪れた。

こうして小さなヒロイン、シピは15歳の天寿をまっとうし、息子がしゃがみ

込んでいつまでもなでていたその庭の土の中で、今も眠っている。

 息子、シピ、娘。

シピが死んで1年。

明確な強い意思を持ち、息子と娘がイヌを買うことを主張し始めた。

その度にいっさい父と母は面倒を見ないことを言い、内省を促した。

だが、彼等はあきらめない。

その思いは強くなるばかりのようだった。

気持ちは判る。

一度彼等は生まれたての子犬から、自分達の手で家族の一員を育てて

みたいのだろう。

私的に飼わない理由はなかった。

だが、面倒をみるのは正直もうしんどい。

そこでいつまで飼いたいという情熱がもつかと見ていたら、具体的

に飼った後のことまであれやこれや言い続ける。

良い機会かもしれない。

飼育は甘いだけではすまない。

しょっぱかったり、からかったりする。

そういう経験をさせる。

命に対して、責任を自覚させる、格好の場となろう。

さらに1年が過ぎ、もう1度尋ねた。

「ぼくは面倒みない。君達が全部やる。いいかい?」

大きくなった彼等は、強く頷いた。

犬種はゴールデン・レトリーバとコリーが最終候補に挙がった。

「進展」には偶然的な出会いなどがあらかじめ用意されていたと

思えるような事態が、得てして起こる。

妻の弟から、友達の親がゴールデンのブリーダーであり、子犬が

いるよという情報が、突然入った。

それからゴールデンの子犬が我が家に上陸するには、たいした

時間はかからなかった。

名をベルと命名した。

↑ご覧のとおり、純白の、ヌイグルミのようなコイヌだ。

まさに玩具である。

始めは難色をしめしていた妻も、室内で飼う事を承知せざるを得ない。

“出すもの”もころっと小さく、気にならない。

リビング・ダイニングの一郭をゲージでくくり、ベルの寝床をダンボールで

つくる。

ところが!

ベルは日一日と巨大化していくではないか。

その成長たるや、人間の比ではない。

一月足らずで高さ60センチのゲージが心もとなく、感じる。

知恵も飛躍的についてくる。

やっかいなことに、こちらがそろって食事を始めると、ゲージ越しに

うらめしそうにこちらをヒト眺めし、おもむろに巨大なウ○コをひりだ

すのだ。

必ず。

それもイヌ用平型オムツシートをはずした所に、だ。

妻の忍耐は限界にきていた。

ある日中の事。

ゲージから脱走したベルはリビング中にあるカジれるものをカジりつく

した。

ファミコンのコードや、野菜など、食い散らかし放題。

電気の通ったコードがやられなくて、不幸中の幸いであった。

感電か、火でも起きたら、それこそ大事である。

ベルの住処は、この日を境に庭に決定した。

さて、その日から、あらたな問題が又、我が家に勃発した。

そう。

ムダ吠え、だ。

家に入れて欲しい敵は、のべつ幕なし吠えまくる。

サンポでへたれるほど、長距離を引きずりまわしてみた。

しばらくはおとなしかった。

が呼吸が整うと、すぐまた吠え始める。

実はベルを飼いたての時、つれていった近所の非常に有能な、

若い獣医さんに、極めて有効なアドバイスを実践付きで頂いたことが

あった。

先生によるとゴールデンは犬の中では極めて優秀であるが、しょせん犬

レベルの話しだけに、その優秀さは人間にとって、時に鬼門になるそうだ。

つまり優秀な犬ほど、比例してしっかりしつける必要が必ずあり、それを

おこたると大変厄介な事態を迎えること必至であるという事実を、まず我々

に告げた。

そしてベルに噛みグセがあるか、先生は我々に尋ねる。

そういえば、指を心地好いくらいの力で噛む。

その事実を告げると、

「即座にやめさせないと、いずれ他のイヌや人を噛むイヌになる」

と言うではないか。

先生によると、イヌは序列に敏感な種だそうだ。

人間の赤ちゃんで言うところの、オムツが取れないくらいの知能は持ち合わ

せているから、例えば人間の幼子に対しても、しつけによって、はっきり自

分は服従しなければいけない存在なんだとしらしめないと、ある年齢以下

の子を、平気で噛む(つまり自分の方が序列として上だと認識してしまう)

イヌになってしまい、知能が高い犬種であればあるほど、そのような事故

を起す可能性が高くなる(なぜなら序列にそれだけ敏感になる)そうだ。

「スリコミという動物の習性を利用して、今からしつけます」

先生はいうと、やおらベルの腰の当たりを思いっきりねじるというか、

つねりあげた。

とても人間の子どもには出来ない程の、強い力を込めている事は、一目

見てとれる。

ベルは反射的に先生の手を噛む。

すると先生は

「噛んだらだめ、噛んだらだめ・・・」

とベルの耳元で繰り返しながら、

両手でベルの鼻と目の中間の辺りを、つよく握ったのである。

「ヒィ〜〜〜」

ベルの口から悲鳴が漏れる。

おおよそ5秒間、先生は声掛けと共に、強く握ることをやめなかった。

そして

「見ていてください」

と言うと、またベルの腰を思いっきり抓りあげる。

ベルは反射的に、だがあきらかに今度は遠慮をしながらも、

軽く先生の手に歯を当てる。

するとすぐ又

「噛んだらダメ、噛んだらダメ・・・」

と耳元でいいつつ、こんどは長めに、ベルの鼻と目の中間を両手で

握りつぶすように、ねじりあげる。

よほど痛いらしく、ベルは

「ヒィ〜〜〜」

といいながら、泡を口の端からたらす。

そして、又腰を抓ると・・・。

ベルはもう決して先生の手に歯を当てようとしなかったのであった。

次に先生は私と息子と娘にもするよう進めた。

私、息子の手は噛んだが、教えていただいた方法を真似て1度しつけ

ると、2度目からあれ程じゃれて噛み付いていたベルが、歯を当てよう

とは決してしないではないか。

娘の時は中々噛む事をやめない。

「娘さんはまだ力が弱いので、下に見られるとまずいですね」

と先生は言い、強く鼻を握るよう指導してくれる。

とうとうベルは娘にも、歯を当てることをやめた。

先生によると、イヌの神経分布は人間と異なり、低く、腰まわり、口と鼻の

中間が敏感で、特に口と鼻の中間を押えることは、イヌに序列をしつけ

服従させる意味においては、最適だそうだ。

この服従をしつける方法を、私達は成長したベルのムダ吠えに応用して

みることにした。

だが、なかなかうまくいかない。

一つにベルがもう大きくなりすぎて、鼻と目の中間を握っても、ちょっとや

そっとでは痛く感じないようになってしまったからだ。

それでも私や息子がいる時はムダ吠えは一旦、陰をひそめた。

ところが私と息子がいないとき、または妻もしくは娘一人だけの時、ここ

ぞとばかりムダ吠えをし続けるという、やっかいな事態に推移した。

モップでひっぱたいても効かない。

さあ困った。

ある日は私が帰宅する9時過ぎまで、鳴かせないため、庭に皆が出て

いた事もあった。

ところが、息子が新たな、画期的な方法を発見し勝負は決した。

口の皮膚を歯と歯の間に挟んで、鼻と目の間を押えるという方法で

ある。

そう、簡単に言うと、口の皮膚を自分で噛ませる!

一歩まちがえると、虐待と見まがうこの方法は、しかし、力のない娘

にとっても、容易に実践できるという点で効果てきめんであった。

間違って私の前でムダ吠えをしてしまったベルは、私によってこの

方法で口の皮膚を犬歯で貫通させる、お仕置きを受けた。

これは力の加減を失敗した事故だが、効果はすごいものであった。

それに貫通してもすぐ治ってしまうのが、イヌのすごいところ。

口から「ブー」っと泡を吐き、痛みに悶絶しているのが分かる。

この日をさかいにムダ吠えは、完全になりを潜めたのであった。

のちに妻一人の時、ムダ吠えの報告を受けた。

私が行くと、どうやらベルは会話の内容を理解していたふしがある。

というのは普段は喜んで飛びついてくるはずのベルが、一目散に

犬舎に避難し、奥に鼻を隠して出ようとしないのだ。

だが・・・、先生の言うとおりここで許すとバカなだけに付け上がる。

私はやおらベルの腰を握り、かまわず犬舎の外にベルを引きずり

出した。

ベルの出されまいと爪を立てての抵抗も虚しい。

頭の皮膚を鷲づかみにして顔をこちらにむける。

ベル既に涙目。

だが、ここでやめてはいけない。

お仕置きすることがしつけである。

私は口をこじ開け、皮膚をはさみ、捻り上げた。

「ブ〜〜」

完全に我が家が、ムダ吠えから解放された瞬間であった。

この日を境に、ムダ吠えは払拭された。

妻が一人の時も、娘が一人の時も。

しつける時は、飼い主の責任として、時にこのように残酷なよう

に思えても、やりとおしてよかったと今にして私は思う。

もし、首輪が抜け、そこに隣家の幼児が通りかかったら・・・。

人一人の命に関わる。

またムダ吠えが元での紛争も、ストレスの多い社会にあっては

社会生活の命とり、ひいては本当の命とりに発展する可能性が

実際に起きていることを、飼い主は自己責任として胆に命じる

べきだと思う。

ちなみに、この方法は吠える衝動のなかの、一部の衝動だけを

抑制する、すりこみを利用するしつけであるので、ご安心を。

我が家のベルは今でも、吠えるべき時はちゃんと吠えるし、サイレ

ンにあわせて見事な遠吠えをかなでている。

ひととおり人間とのすごし方のルールを覚えたイヌの方が、幸せ

な生活を送れるのは当然至極である。

ほんの少しの時間とコツで、家族からも近所からも愛され、人とイヌ

の幸せな共存は保証されるのであるからして。

 ベル♀

今、ベルはシピの眠る庭を我が物顔で掛け回り、のびのびと

過ごしている。

初回の訪問者にだけ、吠えるという所も、賢いイヌのなせる

わざであろう。

飼いだしてから、そういえば私はいっさい面倒を見ていない。

飼った当初、娘がサンポで引きずられ、ケガをして帰ってきた

ことがあった。だが、翌日娘は何も言わず一人でサンポにで

かけた。

私がみた面倒は上記が全てであろう。

現在中1の息子は170センチを超え、小5の娘も150センチにならん

としている。見ているとまた、最近はベルも、飼いたての頃にもどって、

大きくなった彼等の玩具に成り果てているようだ。

 

さあ、又夜がきた。

きっと明日の朝もあのビーグル鳴くんだろうな。

なにかの機会に“しつけ役”が周ってこないものだろうかと、てぐすね

ひいて、待ちわびている。

その時は、心おきなく、ビーちゃんをヒィーヒィーいわせて、ビィー

ちゃんの涙目を、存分に堪能したい。

あっ、必ず「うるさい、うるさい」と耳元でささやきながら・・・、ねっ!

 


 

 

 

2002.7.20 「出版契約締結の顛末」 

 

9月上旬に出版することが決まった。

出版契約を待って、サイトに情報を公開したところ、

非常に沢山の問い合わせを、主にメールでいただいた。

掲示板に一度顛末を書けば良い程度に思っていた

だけに、認識の甘さを痛感させられた。

問い合わせのほとんどは、

『どうやって出版にこぎつけたか』

という主旨のものである。

そこで同様のニーズに絞って、とり急ぎ報告したいと思う。

 

師安部 公房死去後8年間、ただものを記す程度の生活

を送っていた私は、インターネットに興味をひかれ、リハビ

リのつもりでポツポツ文を打ち、2000年を期に当サイトを

ネット上に公開した。

そして、日々安部作品の感動を贈りとどけてくれる数々の

若き研究者の言葉によって私は、徐々にだが長き冬の冬

眠から覚醒しはじめていた。

世界に目を向けてみると、日本より尚、安部研究は質・量共

に充実していることを肌で実感する。

にもかかわらず、である。

にもかかわらず、雑誌等に掲載される最先端の研究がかた

ち造る安部像には、あいも変らず、ある重要な視点において、

まったく欠落していることを私は、常に痛感させられ続けた。

残念なことに出色は

ナンシー・K・シールズ著『安部 公房の劇場』

ただ一冊だけと言わねばなるまい。

だがこれも、学問的成果を考えてみるに、演劇界における

安部の足跡が、主にフィールドワークの立場から鮮明になっ

ただけのことだ。

私は不思議を通り越しイライラし続けた。

あれ程本人は声を大にして主張し続けてきた事ではあるま

いか、と。

安部の立体像を完成させなければならない。

私はそれを自分の使命と感じた。

その課題に答えることが、育ててくださった安部に答えることだ

と、固く決心した。

 

私には理解者が少ない。

一人は元新潮編集長のS氏である。

この方には、書いた物を送らせていただいている。

もう一人は東京経済大学、石丸晶子教授である。

『式子内親王─面影びとは法然』朝日新聞社で、第一回紫式部

文学賞受賞。

学生時代からの、正に恩師であり、創作を続ける励ましの言葉を

局面局面で未だいただきつづけている。

まずこの二人に推敲まえのラフスケッチを届けた。

S氏からは原稿の質に関して好感触をいただいたが、氏はすで

に新潮社を退職されていらっしゃった。

新潮に持ち込む時間はないし、〒での投稿は全て新人賞対象と

なる。

石丸先生は夏にならないと暇がとれない激職の身であり、現在

出版関係に知り合いはいらっしゃらないとのこと。

 

次に新聞紙上等への大々的な広告で有名な文芸社の

『あなたの原稿を本にしてみませんか』

に試しに原稿を送った。

すぐ担当から連絡あり、共同出版を打診された。

当方の負担費用は150万から200万。

丁重にお断りした。

 

ここで私は思案し、今後の活動の方針を摸索した。

そして下記の出版に際した条件を心に決めた。

1.自費出版はしない。

2.出版契約に買取条項は儲けさせない。

そこで私は、『出版社』で検索したサイトを運営している出版社

すべてに出版を打診するメールを一斉に配信した。

これは練りに練った、レトリックを駆使した営業文句である。

今年の三月上旬のことであった。

ほぼリアルタイムで反応があったのは、ウェブ新潮と文藝春秋、

本の泉社と朔北社だ。

ウェブ新潮、文藝春秋、朔北社は

『原稿を送れ』

本の泉社の比留川社長はすぐ返信後、接見の機会をもうけて

くださり、直接その場で原稿に目を通してくださった。

その才気と誠実なお人柄に、強く心を打たれた。

新潮は出版部の敷居が高く、持ち込み原稿を原則受けつけな

いとのことで、WEB新潮のウェブマスター的川氏には出版部と

の板ばさみで大変お忙しい中、ご迷惑をお掛けしてしまった事も

あり、それ以上の営業活動は自粛した。

朔北社は社風にあわず見送りとの返事を頂き、その後他の大手

出版社数社からメールをいただいたが、いずれも買取条項の壁

等があり話の折り合いがつかなかった。

又新風舎という会社から『共同出版で』という話をいただいたが、

金額を聞かず辞退申し上げた。

そこで本の泉社、比留川社長のお世話になることに落ち着いたの

である。

長々と申し訳ない。

論点をまとめよう。

現在の出版不況はかなり深刻のようだ。

プロの方から老舗の出版社の経営譲渡が近々決まると知らされ、

驚かされたりといった具合である。

ネット文化の成熟やメディアの多様化等、様々な原因はあるが、

それだけならこれほどの不況には至らないということは今回、皆

が声を大にしていたことだ。

ではもっとも大きな原因はなにか。

供給過多。

つまり読み手より書き手が、完全に上回っている状態に、原因が

あるとのことだ。

正確には書きたがり、出版したがりが非常に多い。

したがって文芸社等の商売はニーズに便乗した上手な商売と言

える。

事実大きな利潤を生み出している。

確かに、考え方だ。

車一台分で本一冊。

だが私は承服できなかった。

結局、私の場合のように、持ち込みもせずメールで打診し原稿

を送りつけるという、最小のエネルギーで最大の効果を得られた

結果は、タナボタと言えよう。

 

最後に決心を固めさせるきっかけになった、石丸先生のアドバ

イスは皆さんにも参考になると思われるので、ここに原文のまま

掲載したい

「・・・おはがき拝見しました。雑誌編集長を私は全く知りません。

以前本を出したときの編集者は単行本係で、しかも数年前、

みな様定年退職してしまいました。現在、私も今後書きたいと

思う原稿をみてくれる編集者を全くしらなくて困っている状態で

す。渡辺君には安部公房という太いつながりがあります。その

こと等をお手紙にかいて文芸雑誌の編集長あて原稿ともども

送られることをお薦めします。以前NHK(たしか)に応募して佳

作だったことも書き添えるといいと思います。

実力しか通用しない、そして今はどれだけ読者がつくかで採用

不採用がきまる世界です。

直接編集長に原稿をお送りしてみてください・・・」

先生の仰るとおり、これしか方法はないのが実情である。

いわんや人を介したとしても、紹介された編集者の視点に変り

はないのだ。

 

ついでに良い機会だから、小説の場合について触れてみたい。

以前から、

『自分の小説の理解者を得るにはどうしたらよいか』

といった主旨のメールをよくいただく。

なかには、

『貴方は楽して師事できたのだから、私にも便宜をはかりなさい』

的なものまで実のところ多い。

私も私なりに現役の作家や編集者から情報を収集してみたので

以下はシンピョウセイのある話。

まずは投稿するしかない。

不躾にいきなり原稿を郵送すると、返送されて終わりとのこと。

当然新人賞への投稿となろう。

だが、下読みさんたちの中には投稿マニアのおじさんやおば

さんが多く存在するのも又事実であり、プロの評論家と同等の

評価を期待しえるにべもない。

どうしても新人賞に投稿したくなければ、古くから行われている

手段、月刊雑誌・・・すばる、新潮、現代等々・・・の編集部に持

ち込むしか手はないのだ。

そのかわり持参すれば必ずや読んでくれるとの事。

なぜなら彼等のそれが商売だからだ。

その原稿に力があり、金になるとプロが判断すれば、事は思った

より早くすすむものだ。

(新潮では持ちこみ原稿すら目を通さずに門前払いの状況に

現在あるとのこと、2氏より報告をいただきました。ありがとうござ

いました。まず各月刊誌編集部に電話、手紙等で営業し、読んで

もらえる確約をとってかた持ち込む方が得策なようです。また、編集

部に顔出しをして懇意になれば読んでくれるとの指摘もありました。

どうもケースバイケースのようですね。8/19)

私のようなやりかたは今から思えば例外的である。

ここまで読んでなお、疑問な点があれば、時間が許す範囲でメー

ルにお答えしたいと思っている。

『誰か紹介して』

系には返事は出さないことにしたのであしからず。

ちなみに、無事9月の出版を迎えたら今度は、小説を片手に私も

編集部まわりというやつにトライしてみようと、そう思っている。

戦果の程は、詳細に渡って必ずご報告したい。

 

追記

今は8月14日、午後8時。

骨身にこたえる、暑い夏。

8月8日夜自宅を出発、入笠山山麗に避難し、12日の深夜自宅に

戻る。

標高1300メートル、平均22度。

山ホタルが舞い、星がこぼれ落ちそう。

落雷の為か電気のブレーカーが落ち、冷蔵庫が壊れていて急きょ

手痛い出費。

本の泉社 森さんより山小屋に電話があり

「良い物に仕上げる為、校正を続けましょう」

との連絡。

帰宅すると第四校と装丁の校正が届く。

初校が7月7日。

我ながら誤植の多さに驚く。

今晩は、ヒィーヒィー言いながらの推敲になりそう。

 

追記2

8月19日第四校+装丁案を送る。

現在出版日は9月10日前後になりそうである。


 

 

 

2002.4.20「抜歯 その2」

 

正直言って特に書く事が見当たりません。

「埋伏智歯抜歯」と後ほど、比べてみてください。

本日上の左奥の親不知を抜歯しました。

食事の時鈍痛を伴い、金曜一日中ジクジク痛んだ為

思いきりました。

ところが皆さん、本当に驚きました。

ものの3分で抜歯が終わってしまったのです。

「上はラクダヨ〜」

とは、言われてました。

けれども下の、しかも埋伏智歯に比べたら、あまりにも

雲泥の差すぎます。

麻酔の注射して、ノミのようなものでメリメリバキバキ

して、はい終わりです。

腫れません、痛みもありません。

ボクシングジムに息子を送り届けジムワークは見学

しましたが、準備しなかったことを後悔したほどです。

ビールも飲み、シャワーも浴びました。

筋肉と骨が発達していて複雑であることの差を思い

知れされました。

ですから皆さん、上の親不知の抜歯は、頭さえ出ていれば

ご安心ください!

楽勝です!

 


 

 

2002.3.17「埋伏智歯抜歯」

 

目が合うまでは、ふだんとかわらないのだが・・・。

合った瞬間、相手は、固まる。

とりあえず、こちらは笑顔で説明を始めるが、

終始来訪者の意識は、一点にクギ付け。

目が合ってるんだけど、やがて相手の視線は斜め下

に走って・・・、

またこちらの目に戻っては、また下がって・・・。

電車に乗れば、女子高生の視線を感じる。

ヒソヒソヒソ・・・。

試しにそっちを見ると、目がバッチリ合い、今時の女子

高生が、実に申し訳なさそうに目を伏せる。

なんか、コチラも

「かえって、スミマセンねぇ〜」

ってな感じで困惑してしまう。

小4の娘は目が合った瞬間、満面の笑み。

こちらも笑みを返すとひとこと、

「カワイイッ〜!」

なでられた。

苦笑・・・。

 

そう・・・、腫れたのです。

試しに鏡を見て右のホッペタに空気を思いきり入れて

膨らませて見てください。

その膨らみを×1.5して少し耳側下にもってきた感じ。

すごいでしょう!

手に余る大きさとはなにもバストだけではないのです。

 

花粉症のふりをして大きいマスクをしてみた。

するとかえってアゴの線の非対称さが、浮き彫りだ。

そこで子ども用の“冷えピタシート”を冷蔵庫からひっぱり

出してペッタリ貼った。

遠くから見ればかなり奇異だが、まあなんとかゴマカせる。

しばらくはそのイデタチで仕事に勤しんだのだが。

突然対面していたお客がのけぞった。

反射的にアゴに手をやってみると、シートが剥がれてベロンとた

れさがりマスクのヒモに引っ掛かったのであった。

嘲笑・・・。

 

きっかけは約2年前にさかのぼる。

ある日いきなり、右下奥歯周辺に味が発生した。

触ってみてもどうということはない。

ところがためしに匂いを嗅いでビックリ、排膿の匂いである。

その匂いたるや正に、口臭が強いオヤジの匂いそのもの

ではないか!

愕然とした。

よくいますよね、あれ、不思議なことに匂いがきつくなる程本人

は感じなくなる。

貴方も気をつけた方が良いですよ。

ちなみにかの名優クラーク・ゲーブルは類稀なる口臭持ちとして、

女優なかせだったことは有名だ。

ラブ・シーンでは相手を失神寸前に追いこんだ事もしばしとは、

かなりすごそうである。

風と共にさりぬの名場面、ビビアン・リーとのキスシーン。

ビビアン・リーの丁度鼻の位置で、ゲーブルは大口を開けて

セリフを吐いている。ビビアンは目がうつろ・・・。

これは演技ではないのかと、一人納得。

 

私の場合、ほんの一部の問題で歯茎全体に及んでいる訳では

ないが、病状進行の不安となにより不快感は拭いきれない。

さっそくネットで調べてみた。

最初に疑ったのは、歯周病

(勉強したページ http://www.tokumen.co.jp/perio/index.html )

やシソーノーロー

(メール等でお世話になったページ

http://www.asahi-net.or.jp/~df7t-ymd/os.html )

嚢胞だ。

そして下した自己診断は、

「右下の奥歯の根に嚢胞が出来、そこから排膿している」

さっそく馴染みの歯医者にかけこむ。

けれども学生時代から唯一私を診療可能な(その顛末は後日・・・)

歯医者さんは、首を傾げてしばし部位を見ていると、レントゲンも取らず

「わたなべさん、化膿してるね、薬だそう、しばらく飲んでみて」

の一言で終わり。

さっそく、三日分処方された抗生剤を飲む。

確かに排膿は、緩和された・・・ようである。

だが、それで解決はやはり、しなかった。

一月後、再び受診した。

その時も同様の処置。

ただしこれは私が「同じ薬を下さい」と訴えたので致し方ない。

その後イソジンのうがい、デンタル・シロップ、歯磨き・・・。

いろいろ工夫してみるが芳しい効果は期待できない。

なにより気持ち悪い、疲れると排膿も増える。

 

そうこうしている内、(横道に話しがそれるが)ある日突然

息子に口臭が始まったのである。

まったくこれには頭を抱えた。

小6の口臭持ちではあまりに不憫だ。

喉を覗いて見ると扁桃腺が腫れている。

てっきり扁桃腺炎が原因だと思った。

聞けばしばらく前から胸焼けがひどいとのこと。

1週間ほどイソジンのうがいやのどぬーるを試みるが改善

しない。

結局仕事を早退して耳鼻咽喉科に子どもとかけ込んだ。

結論から報告すると慢性副鼻腔炎(蓄膿症)による排膿が匂いが

原因であった。

(参考 http://www.okayama-u.ac.jp/user/med/oto/index.html )

扁桃腺も胸焼けも排膿による副産物であったことには驚かされた。

まったく無知やシロウトの思い込みの怖さを痛感し、科学のあり

がたさを実感した。

治療効果は劇的である。

長い根気のいる治療ではあるが、口臭は服薬後1週間程度でま

ったくなくなり、ほっと一息であった。

この経験は私にとっても貴重であった。

隣りの職場の、若く、優秀な青年が、やはりある日突然口臭を、

放ちはじめた。

彼も鼻が悪い。

特長は“まきちらす”という形容がぴったりな程、唐突なところである。

ここが歯が原因な場合と明らかに違う点だ。

やっかいな所は、自覚がない・・・本人は口臭に全然気付いていないと

ころにある。

だからこそ、私は不憫に感じてしまう。

彼は経験上、間違いなく息子のパターンと合致した。

そこでさりげなく耳鼻科通いを薦め、通い出すとやはり、ピタリと

止まった。

知り合いにいたら、貴方も勇気を出して、ぜひさりげなく受診を

薦めてやって欲しい。

耳鼻科と歯科に行けば、一発で原因は突き止めてくれる。

本人の社会生活は大変に救われると共に、やはり大切な身体から

のサインであるからだ。

放っておけば、身体の機能そのものを長期的に損なうことになる。

 

五感の中でも、臭覚は最も原始的と言わざるをえない。

好みの香りは、条件反射的にしっかりとすり込まれてしまい、α波や

ストレス解消に役立つ反面、嫌悪感を伴う香りは、相手に対する今まで

の価値や評価をもおとしめる程強い力を併せ持つ。

たとえば、彼が恋愛の進行中だとしたら、百年の恋も冷めてしまうとい

った効果だ。

反対に寝食を共にした異性の香りの刷り込まれ方などの、淫靡な効果

は前技とすら呼べる身体的影響を発揮する。

なかにはノイローゼになって、自分は口臭持ちだと思い込み、対人

恐怖症になる輩も少なくない事もネットで知った。

匂いは人間関係のタブーだ。

それは香水を発明させ存続させる力が証明している。

いつの時代においても

「おまえ臭いよ」

はいじめにおける常套手段であるし、

口臭など身体を起因とする匂いの指摘し難くさはまた、独特だ。

逆に個体の香りが好みとマッチすると、その個体の人格判断以前

に好意を誘発させやすいのだから不思議である。

 

小説化において、言葉によって読み手の中に生理反応を再構築

しやすいのは、なにを隠そう臭覚である。

それだけにレパートリーが少なく、かつその絶大な効果を知ってい

る書き手もまた少ない。

T・コラゲサン・ボイルの人類退化(新潮社ニューゴシック)などは、

だからこそ逸品と言える。

それ以上生理に違和感なく、臭覚の効果を最大限に利用し、

想像的現実の創造化に成功した作品は、

“砂の女”

であると言える。

ドナルド・キーン氏が

『簡単でかつ少ない言葉が、読み手の中でいつまでも生長し続ける、

そのイメージの見事さ』

と指摘した秘密の一端は、ここにある。

臭覚についで味覚、聴覚、視覚の順になり、視覚に至っては応用

範囲は広くなるが、そのぶん状況表現に才能やセンスが求められる。 

安部作品の立体性は、読者の感覚機能を、生理に矛盾なく刺激

することに成功した結果である。

 

閑話休題

歯もほっとけば、いずれ自分で匂いを自覚できなくなり、立派な

“公害”の発生源になる。

なにより身体を蝕む原因になり、健康を損なう。

私も“まきちらす”ようになる前に決着をつけなければ・・・。

子どもの騒動が一段落して、こちらも意を決し歯医者に行く。

先生に

「もう気持ち悪くて我慢の限界、抜歯してでも良いから排膿を止めて

欲しい」

まったくシロウトの自己診断など、意味がないことをここでも痛感した。

てっきり

「右下の奥歯の根に嚢胞がありそこから排膿している」

のかと思い込んでいた。

レントゲンを取り先生と一緒に見る。

「根に嚢胞があると、痛くて噛めないんですよ。ほらないでしょう。

・・・これですね、原因は」

驚き!

そこには、奥歯の奥に横になって寝た格好で、大きな歯−親不知

が歯茎の中に埋まっていたのであった。

歯の頭が奥歯にぶつかり奥歯を押している。

そこに膿がたまり、歯茎との間から排膿しているとの事。

「これを抜くしかないね、わたなべさん。けれどこの歯と歯茎

の状態だと腫れるね。ここの骨を削ってね・・・」

かくして3月12日の午後3:00。

悩まされていた排膿に、別れを告げる日が決まったのである。

 

今回良かった事は、あらかじめ自分がどうなるか、事前に充分

情報を収集できたことである。

そして情報収集力において、インターネットの威力をまざまざと体感

することとなった。

人間、予測できないところに不安が生じるのだ。

私はとことん説明してくれる医師と、なによりインターネットに掲載さ

れている多くの体験談のお陰で、まったく不安を感じる必要がなかった。

まず私はgooの検索で「抜歯」をひいた。

次に「親不知」を検索し、私の場合「埋伏智歯抜歯」であること。

そして、抜歯のプロセス、リスク、痛み、費用、術後に至るまで、

経験者達の話しを通して擬似体験し、起こりうる事態を想定して

スケジュールに至るまでくみ立てることが出来たのである。

さて、当日。

結果的に、所用時間は1時間であった。

『まず麻酔をして・・・』

先生が注射器を歯茎に刺す

『オオッ、さすがウチの先生、注射巧いんだ』

様々な体験談を思い出し、ごちた。

麻酔が効くまでの時間たっぷりとってくれ、尚安心する。

『さて切開、先生バサッっとやっちゃって!』

心の中でつぶやいていると、先生がバサッとやってくれる。

まったく痛みはない、体験談にあったように、血がダラダラこぼ

れていて気持ち悪かった・・・ということもまったくなかったので、

水でゆすいだ時、血の量で歯茎を切開したことを確認した位

である。

そしてノミのようなもので、ゴリゴリ、タービンで削って、又ゴリゴリ

その繰り返しである。

『オッそろそろ山場かな・・・』

看護婦さんが後からアゴを両手で強く押え、彼女の腹にぼくの

顔を押しつけ固定する。

ミョーな気分・・・。

と、ノミに力が込められる。

私も首に力を入れて、取れるよう協力する。

そして・・・。

『はいっ、とれました』

見間違えでなければ、まるごと取れたように見えた。

コロッと大きな歯が、台の上に置かれた。

『さあ、縫いましょうか』

縫合だ。

思わず全身脱力。

『あとは、ガーゼを噛んで、すぐ痛み止めは飲んで・・・』

「はいっ、ガーゼ噛んで。わなたべさん、家まで何分かかる?」

「1時間ぐらいです」

「あー、麻酔切れちゃうね、帰ったらすぐに、痛み止め

のんでね」

「はいっ」

こうして施術は無事終わりを告げました。

 

当日はタラタラと少しづつ出血が続いた。

痛みは、薬のお陰でまったくといって良い程感じずにすんだ。

テッシュとゴミ箱をまくら元において、左を下にしてうつらうつら

朝まで寝た。

翌日、もう出血は止まっている。

そしてその頃から急に患部が腫れ出した。

痛みはない、口をあける時は、かなり痛む。

朝、昼、バナナのみ&薬。

やはり早退して歯医者へ消毒。

「おもったより口が開きますね、まだ腫れますよ。

フロオッケー、ただしすぐ冷やすこと。酒はダメ」

あわてて冷やし出す。(ここからマスク&冷えピタシート)

夜、鍋焼きうどん(コンビニの)&投薬。

3日目。

腫れがピーク。

首の下まで広がり、完全ニ重アゴ状態。

朝、昼、バナナのみ&薬。

夜、そばが食える&投薬。

寝る頃、腫れが引き始めた。

4日目。

朝、バナナ、昼そば。

だいぶ腫れが引いてきた。

早退通院、消毒と薬の処方。

夜外食の機会あり、しっかり食事が食べられる、

医師の許可を得たビールを大きめのビアグラス一杯。

とくに問題起きず。

5日目。

土曜日。

週末ボクシングのジムワークは医師から禁止される。

残念。確かにワンツーを力をこめて打つと、患部がドクドク

する。あたりまえか・・・。

午後PTAの理事会と新旧の役員会。

まだマスク&冷えピタシートのイデタチである。

6日目。

日曜日(本日)。

飴玉をしゃぶっている程度の腫れまでに、ひいた。

ただ冷えピタシートは気持ち良いので貼りつづけている。

アゴが開けにくいがほぼしっかり食事も出来、昼自分で

大盛りチャーハンを作り完食、ゴハンの旨さを堪能する。

子どもをジムに送り、爆睡昼寝。

 

このような感じで事態は推移した。

排膿は続いているが、明日抜糸予定。

その後はしっかり、プラーグコントロールをして、晴れて

完治の仲間入りを目指している。

そして今週金曜日は、息子の小学校卒業式。

それまでに腫れをとってやろうと、冷えピタ貼りに今、いそしんで

いる。

(追申、抜糸は20日水曜日に延びました

追申その2、無事抜糸しました。服薬も終了です。腫れは小梅

程度、外見はほとんどわからなくなりました)

 


 

2002.2.26「シネマ・パラダイス」

 

『ニュー・シネマ・パラダイス』の名を思い出す度、絵巻物の

ように画面が、ランダムにあふれ出てくる。

ディア・ハンター、クリストファー・ウォーケンの、ロシアン・ルー

レットで頭を打ちぬく直前の、笑顔。

シャイニングの双子の、無音に佇む少女。

砂の女、岡田英次と岸田今日子の取っ組み合い。

レプリカントであるルドガー・ハウアーの眼に映る、プレアデス星団。

初仕事に赴く、ロバード・デ・ニーロ。

エーデル・ワイスにつまるクリストファープラマー。

シャインのジェフリー・ラッシュ、ライフ・イズ・ビューティフルのロベ

ルト・ベニーニ、戦慄の絆の怪演、ジェレミー・アイアンズ、どこまで

も透き通った目のアンソニー・ホプキンスと、潤い憂うジョディー・ホ

スターの瞳。

レッド・バトラーに抗い、ついに抗したビビアン・リー・・・。

そして最後は必ず、トトの笑顔・・・。

何度見てもこの作品は、映画の持つノスタルジックな側面をギュ

っと凝縮し温かな手でそっと、差し出してくる。

やがて映像の羅列は、エンニオ モリコーネの軽快で柔らかな

音色にくるまれて、名残惜しそうに彼方に去っていく。

 

映画は『パラダイス』そのものだ。

2〜3時間凝縮された世界に否応なく飲み込まれ、明るみに放

り出された時。

ぼくは、

情念や殺意によって、

欲情し愛に目覚め、

不条理によって、

例えば、全力を出しきった水泳の後、水から身体を抜いた直後

感じる体感そのもののように、事前と事後では変ってしまってい

る自分を知らされるのだ。

そう、上質の映画は、人間を改造する。

上等な小説が、言語という唯一のツールを拠り所として読者の身

体の中に入り込んで直接連合野を攻撃し、創造的現実に誘うのに

対し、上等な映画は、視聴者を拉致し短時間の間に視覚、聴覚を

手掛かりにあの手この手でいたぶり、規定したイメージに観客を

監禁し、想像的現実の生き証人に仕立て上げるわけであるから、

拷問的悦楽とも言える。

小説はあまりに食えなければ、閉じて放棄するのは容易だが、映

画はその点手軽さはなく拘束行為に近しい。

食えなくても席を蹴るよりつい付合わされてしまう。

必然的に、主体的に映画を見るということは、『映画の出来にどん

どんうるさくなる』ということだ。

なにしろ、デフレであろうが不況であろうが、金はまだしも、時間を

“つくって”見に行く訳である。

雑な造りだったり、俳優の演技の質に問題があると、一瞬で最

後まで見るのが苦行になるのはいわずもがな、こういう場でこき

おろしたくなるのは必然で、非は、こちらに、ない。

まるで安物の遊園地の、ベニアの張りのはりぼてを見ているよ

うで、むかつけば悪態のひとつも垂れたくなるのは、いたしかた

ないではないか。

ここからは好みがでる。

だから皆さんの映画観もぜひ聞いてみたい。

ぼくの場合、演技の質は演劇を観劇するよりシビアに求めてし

まい、完全に演劇的アドリブ性を排除してしまう。

安部はTVを見た瞬間、これはドキュメンタリーか否かを登場人

物が語ってしまっている、『デジタル的演技』(意味化された演技)

に着目し、安部システムにおいてニュートラルを提唱した。

普段人間はそれほど、意味化した行動をとっていない。

会話においてもそうである。

繰り返しになってしまうので省略するが、会話中意味伝達の比

率を上げれば上げるほど、疲れてしまうのが人間だ。

『演じることを演じる、つまり二度演じてしまっている』

そこで生理反応を鍛え、嘘のないフィクショナルな作品世界を創り

上げられる素養が俳優に求められる。

だから演技は才能や感性だけでは高みに到達できない。

そこにどうしても知性の後押しが必要になる。

そういった見方をすると、ロバート・デ・ニーロと彼が誉めるメリル・

ストリープはピカイチだ。

ロバート・デ・ニーロがスタニフラフ・スキーシステムを熟知している

ことは周知の事実であるが、この演じることにどこまでも貪欲な俳優

が出している結果から推測するに、安部システムも研究済みでろう。

監督は、キューブリック、クローネンバーグとなる。

これも原点に“映画監督として許容する演技の質”を尺度とする故の

結論である。

安部を読み語ることが、ニューヨークのインテリの証明であるといっ

た流行りは今もすたれていない。

このタイプの俳優としては、ショーンコネリー、トミー・リー・ジョーンズ、

ケビン・スペーシー、ナタリー・ポートマンなどが入る。

かたや、知性の裏付けの有無は定かでないが、類稀なる才能で想像

的現実に対し、違和感なく演じきってしまう怪人がいる。

おそらく天才肌なのであろう。

たとえばジャックニコルソン、前出のジェレミー・アイアンズ、ジョン・

マルコビッチ、そしてビョーグ、ヘレン・ハントなどだ。

両者は対極に位置しているが、同じ結果が出せるところが素晴らしい。

作家はその点ムリである。

作家自身の認識の限界が、イコール作品の限界到達点となり、作家

はそこから一歩も出れない。

だから書き手が小説に関して、言っていることを聞けば、その到達域

ははっきりと解ってしまう。

ここには、悲しいかな、映画のような偶然性はまったく生まれない。

そういう点で俳優の方が、汎用性がある、融通のきく職業といえる。

作品は、実はウンベルト・エーコ原作の『薔薇の名前』がトップに挙る。

あの作品、見れば見るほど『安部公房総監督』作品っぽいところが、

理由のひとつだ。

このことは師に話せなかった、そして今でも聞いてみたい話の一つだ。

 

それと最近に至っては・・・。

演技の質さえ担保されていれば、・・・。

実は、それなりに楽しめてしまう口になってしまった。

ビール片手にB級映画なんていうのもオツだと思ってしまうシネマ・フ

リークである。

そもそも自分の最初の映画体験を思い起こしてみると・・・、

わかるでしょう。

親は昭和4年と6年という年代を考えてみてください・・・。

そうです!

シェーン、次に見たのが、七人の侍!

あまりの“典型さ”に今考えると笑える。

まさに時代を表す典型作品である。

小学校の中学年のことだったと思う。

今の自分にどのような影響を与えているか、定かではない。

ただただ、映画は“おもしろい”という印象をこの2作品から

植え付けられた。

早撃ち、剣豪、そして勧善懲悪、意気に感じ、みかえりは求

めずまた、旅に出る・・・。

あぁ、そうか、自分もやがて一人で、こうして旅に出るんだな

あと、遠い日に思いを馳せたものである。

そして中学生になって男子4人女子4人、初めてのグループ交際

が、映画であった。

銀座の映画館で見た・・・、題名を忘れてしまっている!

内容は極めて印象的であった。

大人を模した、子どもだけが演ずるミュージカルだった。

「女どもは、なんでこんな映画を選ぶのか・・・」

とブーたれていた男連中であるが、始まってみると様子は一変。

同年輩が派手な衣装に化粧して舞台まわしは、ゴット・ファー

ザー的マフィアの世界であるから、酒、タバコ、娼婦ありで、カラミの

シーン以上にドキドキしたものである。

食い入るように見つめる女の子達が妙に大人びて見えたことが印象

に残っている。

次にはやはり、中学時代、野球部の連中で見に行った

『小さな恋のメロディ』

ため息の連続であった。

そして極めつけは、

『アドベンチャー・ファミリー』

空気が悪い、子どもの体調も優れない、そこで思いきってロッキー山脈

のふもとに移り住む一家の物語である。

当然楽ばかりではない、むしろ苦、苦の連続だ。

けれども、移り住んだ彼等の、笑顔が抜群に素敵なのだ。

ちょうどその頃はまっていたジョン・デンバーのミュージックにシンクロ

し、自分の中でなにかがブレイクした音を、はっきり聞いた。

「やっぱり家族はこうでなくちゃ!おれは絶対将来ロッキーに住む」

帰り吉祥寺のル・エという喫茶店で友を前に力説した自分が、懐かしい。

以前書いたように、病床に長くあった自分にとって、文学は生命線であ

ったが、映画もまた人生を変える力をもった芸術であり、それに触れた

ことは、文学活動にとっても、良質な栄養に、確実になっている。

映画の力は侮れない。

この出会いが原動力になってぼくは、山に目覚め、高校時代から大学

時代、夏となれば必ず穂高の涸沢でトカゲをするに至る。

論文や小説も、打ち込むために何度山小屋に篭ったことか。

今でも、長野の富士見にある山小屋に、すきあれば心は飛んでしまう。

将来はオーストラリアだね、っとワイフと話している。

そして、この嗜好の核には、確かにあの映画体験が、ある。

 

白状すると、高校出て1年間、山手線がぼくの読書室代わりで、早稲

田のそばの映画館は、ぼくの休憩室代わりであった。

もちろん上映映画は総なめした。

当時は、レイジング・ブル、炎のランナー、ガンジー、ソフィーの選択、

愛と青春の旅立ち、愛と追憶の日々、そしてアマデウス・・・。

ロッキーやレイジング・ブルなどはボクシング指向を完全に決定づけ

る力があった。

今のボクシングに打ち込む若者の動機に

『はじめの一歩』

があるように。

この頃は映画史においても、丁度重要な作品が輩出された年々である。

この一年で完全にオタッキーな下地が出来てしまった訳である。

映画は特別な日の行事ではなく、ぼくにとって“日常”になった。

トレイン・スポッティングのダニー・ボイルも好きだし、パルプ・フィクショ

ンのタランティーノもいけている。セブンもよかったな〜。

『耳をすませば』などは青春映画の最高傑作として溺愛しており、一時

期は会う人会う人に勧めて、ずいぶん閉口された。

宮崎駿は、ナウシカで終わっている。

特に『千と千尋』は前半あらたなイメージが展開した分、後半これまで

のイメージのバリエーションに終始し、いただけなかった。

セックスと嘘のビデオテープやナイン・ハーフ系もはまる。

タイタニックでは食事や食材、ワイン・シャンパーニュの銘柄や葉巻

被服など妙なところに、感心したりした。

そういうわけで、定期的に映画館に足を運ぶくせは、終生治りそうに

ない。

子どもにもしっかり伝染しているから、親子2代フリークになりそうだ。

さて、提案である。

安部公房の『第四間氷期』

これを『友達』方式で映画化すれば、本気でアカデミーものだと思っ

ているがいかがであろうか。

道具だてさえ新しくすれば、プロット的には映画にあれ程、上質なか

たちでフィットする原作は類を見ないと思うのだが。

もちろん実写で!

誰かスポンサーになってくれるキトクな方(会社)はいらっしゃらない

ですか?

お礼にアカデミー賞をとってみせます!

さあ今度は貴方が、映画を語る番です。


 

2002.1.13「息子との約束」

 

ジムに向う道すがら小6の息子と、いろいろな話しをする。

今日もひとしきり話題が弾んだ。

と、彼が不意にしばし沈黙した。

突然息子は打って変った声色で

「今、話してくれたことを、ぜひホームページにのせて欲しい」

と言った。

「必ず心ある人にとどく、それによって少しでも世の中は

良くなるし、良くしていこうよ」

彼は、強い口調で、それを幾度も繰り返した。

 

その後ジムに着き、彼は小中のメンパーとリングの中で

車座になって行われる英会話のレッスンを一時間楽しんだ。

ぼくは用事を済ませた後、会長と話し込み、息子の英会話が

終わるのを待って一緒に、連日のジム・ワークをこなし、ヘロ

ヘロになって家路についた。

だが、息子の真剣な眼差しと、強い調子で繰り返された依頼は、

夜になっても、まるで喉の奥に刺さった、アジの小骨のように、

いつまでもぼくの心に引っ掛かった。

そして今、ぼくは話しの内容を書き始めている・・・。

 

その時息子が何気なくつぶやいた。

街道から裏道を通って住宅街に入った所だ。

「街をこんなにして、生のままの自然はどんどん減っちゃうね」

丁度僕等の前に、造成された団地が広がっていた。

良い機会だからちょっと、視点を変えてみた。

「じつは僕等が見ている山、たとえば高尾山や陣馬山の木々は

江戸時代の頃から本格化した植林によって、形作られたものだ。

そしてその頃の木々の姿は、さらに昔の人たちが造った姿だ。

それはこの辺りの山に限られたものではない。

人間の歴史は、あらゆるものに対して、それを人間にあう形に変

えてきた蓄積といえる。

人間は脳の構造の外に出れない。

光、音、振動、それら全ての情報の内、脳という構造が受け取れ

る物だけを人間は取りこみ、言葉に整理してそれを利用する。

人間の脳が理解できる形のもので埋め尽くす。

これを脳化するという。

生のままの、時には恐ろしい自然を、人間が利用しやすいよう、

理解しやすいよう加工し、つまり自然を脳化して、安心する。

これは『良い』『悪い』という価値判断を入れる以前の、人間の宿命

といえるだろうね」

すると彼は、

「なるほどね・・・。でも公害、なくしたいよね」

だから続けてこんな話しをした。

「うん、そうだね。

自然は反応しているだけなんだ。

その反応が人間にとって、悪いというだけ。

確かに公害なくそうって言うよね。

とうちゃんもなくしたいと思う。

どこの国も、進んでいる国、豊かな国は必ず言う。

先進国は公害をなくそうと言えるんだ。

先進国にいるからこそ、公害を解消したいという発想が生まれる。

けれど、今日の食べ物をどうするか、悩む人たち、皆がやっとそ

の日を生きている国の人たちが果たして、公害のことなどを考え

ることができるだろうか。

そんな国が、実に多い。

富める少ない国と、多くの貧困と飢えに苦しむ国。

そして片方で「公害をなくせ」といっておきながら、そういう国の人を

安い値段で働かせ、そういう国の森林を切らせて安く買い、資源を

買い叩いている、場合によっては廃棄物をそういう国に引き受けさ

せ、儲けているのは先進国だという構図。

本音と建前なんだね。

規制に引っ掛かった、一酸化炭素を多く出すような車を集めて、そ

ういう国に持ちこみ、身削って稼いだ金をとってくる。

少しでも安い値段でそういう国から材料や、資源を仕入れ、儲けを

増やしている先進国の経済活動。

先進国から公害をなくす働きかけを行うことは必要だよね。

それは先進国にしか出来ない義務だ。

だけど、公害を無くす為にまず、先にやらなければならない他のこ

とがたくさんある。

それには先進国が率先して彼等の痛みを引き受け分かつことしか

ない。

自然はただひたすらに正直だから、地球を人間にとって住み良く、

できるのは、人間だけだからね。

他人事ですまされない事態は、もうそこまできている・・・」

 

当初、話しの内容からして書いても意義はないかな、と思った。

だが、私の心は彼の言葉の音色に突き動かされた。

話した内容を書きたいということではない。

彼の眼差しによって、深く自戒させられた。

本音と建前と、割りきってあきらめる。

どうせ言ってもなにも変らない・・・。

そういう大人的姿勢こそが、すべての問題の根本的な解決を疎外

する最大の要因であるという事を、だ。

さらには、そういう姿勢こそが彼等の澄んだ眼を濁らせる、彼等の

純粋で、崇高な願いや意思を傷つける、という事。

伏線があった。

前日大型トレーラーのタイヤが外れ、1才と4才の子を連れた母を

直撃し、母は即死、子は軽症というニュースを見ていた息子が、

突然立ち上がって

「むごすぎないか、これは。子供はどうすればいい、どうしている

んだろう」

と絶句した。

その時の彼の表情。

彼はまじまじと事件現場を想像し実感し、

母の骸の脇で泣き佇む1才と4才の子を思い浮かべ、彼等の悲哀

にシンクロしているのがありありと判った。

成長期の彼の、そんなやわらかに打ち震える感受性を、同じ時

期を過ごした大人として大切にしてあげたいと、真に私はその時

思った。

大切な事は、あきらめず思いを持ち続ける事。

そして小さな一歩でもいい、前に進む事。

皆が寝静まった夜。

胸に刻まれた、彼の眼の深い色を思い出しながら、

初心の大切さを今、あらためて一人噛み締めている。

 


 

2002.1.5「Determination

 

 

 

あけまして、おめでとうございます。

本年もどうぞ、よろしくお願いいたします・・・。

と、こう書いてみると、なんとなく次に

抱負を述べたくなるから不思議だ。

では・・・と続けてみようとしたが、

抱負となるとじつは大変こころもとなくなる。

ほぼ恒例になった初詣、府中 大國玉神社での

お参りの刹那、頭に浮かぶのは毎度のごとく

“家内安全、無病息災・・・”

白状すると“お参り”などという行為は、“信心浅い”私

には、いささか熱が入らない。

自然さっさと巨大な賽銭箱に5円玉をぶっこみ、両手をパンパン。

次にムニャムニャ呪文のごとく唱えるには、この語呂は最適なのだ。

ためしに心のなかで貴方も、

「かないあんぜん、むびょうそくさい」

と唱えてみていただきたい。

ほら、なんとなく安心したというか、義務を果たした気になりません?

私にとって正直、初詣の楽しみはなんといっても露店おみくじ

新年の初悩みは“ヤキソバ”にするか“たこ焼き”にするか

“広島風お好み焼き”にするかで、これは最後まで迷いに迷った。

結局長男と私は“広島風お好み焼き”、ワイフと長女は

“たこ焼き”に落ち着き、その場で早速ほお張る。これがまた格別!

そして特大フランクフルトでとどめ。

例年ここには正月らしく缶ビールのおまけがついたが、今年の正月は

ひどく“酒あたり”したので想像しただけで脳がピヨッってくる始末、

結局やめておいた。

私にとって“酒”は鬼門の一つだ。

外見は非常に酒に“強く”見られるのと、人の期待に答えたがる

性格が災いする。

明らかに分解酵素が不足しており、脳を毒素が直撃するのだ。

あぁ、ここに表記するのはあまりに忍びない。

その実この冬休みも二週間で二度程頓死し、泣きの涙であった。

さて、もう一つの楽しみ。

毎年“おみくじ”は、自分のポテンシャルを最大限に引き出すため

に利用させていただいている。

暗示・思いこみという偉大な力を使って、良いときはそのまま信じ、

凶の時は“凶の年は縁起が良い”という風評をそのまま信じる。

中途半端な小吉などは、ご愁傷様と“他人事”に伏して終わり。

実に気分爽快である。

今年は“大吉”。

また、格別だ。

この方法を始めてから、年々運が末広がりで、人間正に

“気の持ちよう”を実践している。

だいいち個人の利益をひたすら追求できるような“脳天気な”

時代はとうに終わってる。本当にロケットランチャーに機関砲で

応戦する日常が、すぐそこまで来ている・・・。

とつらつら書き進めていたら、

突然また、鮮明に思い出した。

それは、師 安部 公房と交わした三つの約束だ。

こればかりは、“耳”に“タコ”ができる程“口すっぱく”“事ある毎に”

言われた事であるし、相手が師だから直の事、一生忘れられない。

その一、今の仕事を決してやめず、書き続けること。

そのニ、自作の解説ができるような作品を書かないこと。

そして最後は、小説と評論を同時に進めないこと。

簡単に要約すると、その一は

“創作活動に妥協を持ちこんではいけない、純粋たれ。

いわんやメシの種にするのはもっての他だ”

そのニは、

“真の作品は作家の所有物には成り得ない。作品が作者をして創

作せしめるものだ”

となる。

さしずめその三は

“デジタルとアナログのベクトルの相違を念頭に起き、それぞれの

機能を最大限に発揮させろ”

となろう。

こう書けば、すこしは耳が痛い御仁もいらっしゃるのでは、あるまい

か?

そして私は師ほど、生活上これを実践されていた作家を、他に知ら

ない。

安部公房全集はそれを裏付ける良い証拠だ。

売れるうちに売りまくる作家と異なり、自ら安部ブランドにこだわり、

言葉を一句もらさず大切にしているのが一目瞭然である。

文庫は流行りすたりを反映するから弟子としては絶版など心配しては

いない。

安部全集の完成こそ、その実私は大変危惧していたのだが、全てが

ほぼ出そろった今、正直ほっとしている。

あの言霊の群は一言一句に至るまで、稀代の天才の手で、時間とい

う研磨剤に対して、決して侵食されぬよう、丁重にコーティングされて

いるのだから。

時系列に丁寧に装丁されたあの全集のなかには、師は確かにいまも、

生きていらっしゃる。

年始、酒も抜け始めた頃、私はまずこの三つの約束を思いだし、初心

に立ちかえって襟を正す事が、近年の習慣となっている。

そして、この師の遺言は、非常に示唆に富んだ言葉だと思っている。

生きることと生活すること。

たとえば日本は“生きること”をあまりにも等閑にしすぎてきたのでは、

あるまいか。

そうして生活する上での快楽ばかりを追求し易いシステム化の果てに、

こんなに生活の質が低い、国の姿を皆でつくりあげてしまった・・・、

そんな気がしてならない。

たとえば平成9年から施行された週40時間労働。

今頃実際に40時間労働が定着していれば、これ一つとってみても、

内需は拡大したし、国債の発行高は抑制できたし、デフレは回避でき

たし、失業率はこんなに高くなかったはずである。

これは“本音”と“建前”が乖離しすぎた社会とも、言いかえられる。

そんな自己矛盾をかかえる生活になれすぎて、社会の構成員自身が

自分の生活状態の質すら客観視できない現状。

ためしにすべてを見て、模倣する子供達を無作為に大量に集め、

リラックスさせて次のように聞いてみれば良い。

“きみのまわりにいる大人がどう見える”と。

欲に振りまわされ、脳をピンクに染め、お金に振りまわされ、他人と比

べて背伸びする、ギトギトした大人達の姿がきっと浮き彫りにされるはずだ。

なぜなら身近な大人のアナロジーこそが、今の日本の社会の姿そのもの

であるから・・・。

 

初心に帰って思い出した事をもうひとつ。

私も自作の小説をこのサイトに上程している。

そういう訳で自作の解説は出来ないが、ひとつPRをお許し願いたい。

『閉塞状況』

は日本の現代文学の閉塞状況を書いた。

だから第一景『大岩壁』は司馬、井上靖に代表されるレトリックを用い、

第ニ景『壁』は森、芥川、大江の短編のレトリックを、第三景『変身』

は倉橋、筒井が好んで利用するレトリックを用い、その結果として現代

文学の閉塞状況を露呈してみた。

これ以上語ると、完璧“解説”になってしまうので、お暇な方は井上ひさし

の『私家版 文章読本』を片手にどうか読んでみていただきたい。

ちなみにこの話しを、在りし日の師にしたら大受けであった。

(特に壁、変身は短いのでお手頃です!)

今年は一作、なにか書いてこのサイトに飾るとしようか。

それから、ハリーポッターシリーズ、これは逸品である。

食わず嫌いは損の素、こちらは絶対読んでみて欲しい。

なんせ、構成力と文章力が、ずばぬけている。

よって、読みたい衝動を学ぶには、この本は、最上の指南書となるのだ。

教職者、心理学者、医師、物書き、思想家等、なまものを扱う職業人

必見の本だと思う。

きっとこの聖書をも超える勢いで金字塔を打ち立てた、はにかみやの作者

には近い将来、ノーベル・プライズの栄冠がくだることを、私は予感している。

ともあれ初心・・・。

・・・読みたい衝動で、唐突に思い出してしまった・・・。

 

今度は少し私の、子供の頃の体験談に付合っていただきたい。

といっても私には、いささかヘビィな思い出である。

なにせ、これは誰にも今日まで話さず、いや、話せず結果として30年あまり、

心の中に封印してきた過去の記憶であるのだから。

ともかく書き進めてみよう・・・。

住んでいた団地のまんなかに、広場と公園があった。

小学校低学年。

身体が小さい時のことだから、

50メートル四方の広場は、まるで広大な平野に見えた。

とある朝。

日曜日のまだ、朝食前のこと。

偶然早起きした私は、いそいそと家を出て一人公園に向った。

兄と父はまだ寝ている。

母は漸く味噌汁のダシをとり始めたところ。

この公園の目玉は、なんといっても宇宙船やカブト虫、

てんとう虫を模した、赤や青い色つきのコンクリートの

5・6体のオブジェであった。

天井がなく雨はしのげないが、まるく開いた上から

もぐりこんで中に身を沈めると、さながら潜水艦か、まるで

専用の小さな要塞になった。

子供二人が隠れるのにちょうど良い大きさ。

三人入るとちょっときつい。

したがって土日はかなりの競争率となる。

このお椀型の遊具には、窓のような穴も、一体につき

4つ位開いていて、それがまた、銀玉鉄砲の打合いには、

もってこいの頃合いに配置されている。

たとえばその中で、作戦会議を開いたり、ベビーラーメン

やホームラン・バーを食ったりする。

これがもう、最高なのだ。

ただし、その楽しみはなかなか享受できない。

あまりに魅力的なため、悲しいかなせっかく早く出張っても、

上級生達がすぐに乗りこんできて、こちらは潰されぬよう

慌てて這い出し、追い立てをくってしまうのだった。

その朝は、喜びの予感ではちきれそうになりながらぼくは

公園に走った。

宇宙船が一人で占有できる!

空はやけに青く澄んでいた。

晴天のなか、やはり、公園には人っ子一人いない。

ときおり眠そうなスーツ姿の勤め人が、休日出勤の分だけ重く

なった体を運び、公園と広場の間の通路を通るだけである。

日曜の朝は人通りも少ない。

ぼくはさっそく空色の円盤によじ登り、中に身を沈めた。

音が遮断される。

表紙がむしられ中の写真が露わになった雑誌と、オロナミンC

の空瓶が落ちている。

そういえば、ときどき夜、家族と外食の帰り道など、ここから

嬌声が聞こえてきて不思議に思ったことがある。

その時なんとなくぼくには理由がわかった。

雑誌をめくってみたりした。

喉の奥で、心臓がトクトクはねている。

窓をとおして見る外界はまた、格別だ。

歩いている女の人をひそかに指鉄砲をつくって、窓から

狙ってみる。

しばらくは時を忘れて、満喫した。

と、ベランダのドアが開く音が頭上の空高く響く。

見ると、公園に面した12号棟の五階のベランダに人が出たところだ。

こちらがそこから丸見えだ。

血の気がサーッと引いた。

ぼくは反射的に急いで、何食わぬ顔をしながら、その実大変名残惜

しく、せっかく占有した円盤から這い出て、その場を後にした。

まだもったいない気がしたぼくは、その足で広場にいった。

そこで走ってみた。

やはり、気持ちいい。

その時・・・。

と、ここから記憶が非常に鮮明になる。

その時、白い飛行雲がぼくの視界に入った。

青空の超高度をゆっくり進む白い線が、ぼくは大好きだ。

目を凝らす。

音は聞こえない。

だが、変だ、近い。

まるで五階建ての団地の倍程度の高さ辺りを、飛んでいるよう

に見える。

その瞬間、ぼくはそれが飛行機の形をしていないのを、認めて

しまっていた。

あわてて周りを見回すが誰もいない。

見るともうすぐそこを飛んでいる。

ぼくは身体ごと、かたまってしまった。

団地の上空を右から左に飛んでいるそれは、向きを180°転換

し、左から右下に高度を下げてきた。

もう見間違えることもできない。

それは車輪のない無人の、小型の連結した車両なのだ。

白く胴体にブルーのラインが入っている正にジェットコースターの

ような感じの五連結車両。

そしてそれはそのままかなりのスピードで、また方向を転換する

と右前方からぼくの左側に、勢い良く滑りこんできた。

肝を潰した。

もうすこしでぶつかりそうな距離になって・・・、実際はぼくの身体

をそれたのだが・・・、ようやく我をぼくは取り戻した。

冷たい風が正面から顔を打って、一瞬過呼吸になる。

もう、無我夢中である。

空気をゴクリと飲みくだすと、後も見ずにぼくは、走りに走った。

途中で、コリーとすれ違い、コリーの冷たい湿り気を帯びた鼻

の感触を左太ももに感じながら、そのままぼくは家になだれこんだ。

母はダイコンを刻んでいた。

手を止めて、肩越しにぼくを見た。

ぼくはそのまま食卓に座り、息がととのってもしばらく、口をきく

ことができなかった・・・。

ただ、冷や汗をかき続けながら、皆の顔を見回しながら、ひたすら

ゴハンを口に無言のまま詰め込み、咀嚼した・・・。

確か一週間ぐらいは公園に寄り付く事もできなかったことを覚えている。

そして一人になることをしばらくの間ぼくは、異常に恐れた。

これがぼくの経験の全てだ。

それ以降、度胸がついてからは自ら求めて、また遭遇しないか

と待ったこともあったが、ついぞこの一回きりである。

ちなみに、ここは東京都府中市日鋼町の日鋼団地にある中央公

園と言い、先日仕事を休んで父が入院していた、都立府中病院

を退院するとき、運転手した帰りに寄ったら当時のままであった。

この経験は、ぼくに決定的な教訓を植え付けた。

このことがあって、ぼくは不思議に、“経験”を絶対化しなくなった。

何故?と問われても判らない。

普通逆でしょ!と言われても困ってしまう。

前出の「夢について」に書いたとおり、ぼくは入眠時幻覚の経験

が抱負にあった。

だから

『なんでもあり!ただし事実は事実でそれ以上でも以下でもない』

と受け取る土壌が出来ていたのかもしれない。

またこうも思った。

『ぼくにとっての事実は、他者にとって事実でないこともまま、ある』

と。

だが、いまだにあと1回でも遭遇したいと切に願っている。

だって、半重力の科学的解明につながるかもしれないし・・・。

養老孟司氏は今でも、ある条件が整うと、神が降臨しその神と話す

のだという。

それは勿論見えて、聞ける体験だそうだ。

が、氏はその経験を脳の中の作用と片付け、否定せずただし、

誰にでも起こり得る現象として絶対化は、決してしない。

ぼくの場合も、氏の感覚と等しい。

つまり

『体験すなわち絶対ではない』

『個々によって脳に映る映像は異なる』

と考えているところが、だ。

これを絶対化したら、ぼくは教祖になってしまう。

いや、その方が儲かるかもしれないが・・・。

 

さてさて、なにが『Determination』なのであろう。

そろそろ落としどころだ。

かなり支離滅裂なスタートになってしまったが、今年は40歳の

通過点の一年として、

『今この時がもっとも若い、自分との出会い』

をイメージし

日々初心

これを断固たる決意をもって実践する年と、することにしよう。

 

そのようなわけで、どうぞ、今年もよろしくお願い致します。

まったく拙い出だしとなりましたが、日々精進し、良い年に

なるよう頑張りますとともに、皆様のご健勝、ご活躍をあわ

せて祈願いたします。

よし、だいぶ酒が抜けてきたゾ!


 

2001.12.22「やってしまった・・・」

 

 

『やってしましました、にゅうかい・・・』

「にゅうかいって、なんのにゅうかい?」

『いやぁ、あの・・・、ジムの入会で』

「ジムって、あぁ、トレーニングジムかなんか?」

『いやぁ・・・、ボクシング・ジム』

「へぇ〜・・・、誰がやんの?」

『・・・』

「うそっ・・・!」

そうなんです。

とうとうぼくも、

八王子中屋ボクシングジムに入会してしました。

来年40。

まさにシジュウのテナライです。

「あほかっ、こいつ・・・」

うぅ、まぁ、そう言わずにきいてくださいまし。

今回は、マニアックなボクシングの話ではなく、

ぼくの話です。

 

ボクシングのコラムを始めた理由は、いくつかあります。

たとえば、科学、宗教、哲学・・・。

こういった人間特有の、『ものの見方』。

これらすべては、言語機能を獲得した人間が、

現象を脳の中に取り込んで整理し、外界を脳化

するツールであります。

いろいろな種類の包丁で、ひとつの素材を

ことなった形の料理に仕上げるのと等しい。

そういう意味では、すべてが『言語機能の獲得』

という“遺伝子の変異”に端を発している。

だから、ぼくは常々師安部公房やDr養老が言っていた、

『アナログをデジタル化する試み』こそ人間の精神活動

のアナロジーだという主張に共感していました。

たとえば、不思議な現象や、謎、音や味。

これらを前にすると、どうしても原因を解明したい

衝動にかられる・・・。

アナログをデジタル化したくなるんですね。

なんでもいいんです。

人によって興味の対象も変る。

幽霊スポットでもいいし、釣りでもいい。

女性のスカートの中かもしれないし、好みの男とのロマンス

かもしれない。

それを知ったりやったりすることで、充実するわけです。

安心するといってもいい。

だからぼくは文化の成熟度を図る尺度として、これを用いる。

文化と呼び得るか否かは、解釈し続けても、解釈し尽くせない

実体を持っているかどうかにあります。

言葉で解釈を試みてもなお、説明し尽くせない魅力。

あるいは言語化の衝動を拒絶する魅力。

時代を超えて、古さを感じさせない魅力。

ぼくにとってのボクシングは、

そういった“文化”そのものなのです。

かの才媛、竹内久美子氏によると、文化は時代に淘汰され続ける。

時間は研磨剤となって文化の質を試し続けるといってもよい。

だから時代の波間に沈んでしまう文化は実は、数知れない。

よって長い歴史の研磨を経て、現代も継続されている文化は、

それだけで、洗練されていることの証明であるのだ。

その最たるものは、たとえば宗教、絶対者の概念、芸術等々。

聖書もコーランも、だからあなどれない。

時代を生き続けることで人間の普遍性にたどりついたツワモノ

ばかりであるから。

実はボクシングの歴史も極めて長い部類に入ります。

常に野蛮だ、危険だ、といった禁止令という研磨剤に、

絶えずさらされながら、なくならず人々を魅了し続けている。

なにより1度その魅力に囚われると、逃れるのは難しい・・・。

さらにボクシングのコラムを始めた理由に、結果的に言及する事に

なるのだけれど、ボクシングの魅力は、本当に千差万別なの

です。

各々に、各々の魅力が存する。

また、捕えられ方も千差万別です。

ある人はスポーツの王者と捕えるし、ある人は格闘技と捕える。

ある人は、試合結果に価値を見出すし、練習に意義を見出す

人もいる。投機の対象として、試合や選手をターゲットとしたり、

自分の人生を選手に賭けるものもいる。

ビックマネーを生み出す事業にもなるし、ショーでもある。

やらなくちゃ解らないという輩がいる一方で、見てこそが無上の

楽しみと公言する輩もいる。

さらには、いろいろ理由をつけて語っても語り尽くせない、不思議とも

言える魅力の正体・・・。

ぼくはそれを見つける為に、いや、たとえ見つけられなくても、

すこしでも、その魅力の正体にじりよりたいと思い、ボクシングの

コラムを始めることにしました。

本当に不思議な競技です。

書や禅、茶の湯といった精神修行とも相乗効果がある。

また、言葉をぽんぽん捨てれば捨てるほど、身体の反応がより

引き出せるといった質では、レースとも似ている。

たとえば護身という観点からみると、ボクシングはピカイチです。

空手や合気道の経験もありますが、いざ実践になるとこれは別

物ですから。

腕に覚えのある、アドレナリンが出まくっている相手と噛合ってご

らんなさい。

あなたも肌で実感します。

そんな輩とでは、腕をヘシ折ったぐらいでは、戦闘終結を迎える

ことはできません。

じゃぁ、どうしたら迎えられるか。

どんなに身体を鍛えた、アドレナリンばりばりのラクビー選手や

アメフト選手でもボクサーのシフトウエイトの効いたショートフック

をアゴの先端に決められると、およそ15秒間程度は例外なく戦闘

不能に陥ります。

たとえばさるスジのお方などと噛合う時にはこれは大変有効です。

チンをフックでなめ、ぱっと両手で相手の両胸の服を握り締め

ゆっくり寝かすだけ。

まず周りには何が起きたかわかりません。

せいぜい肩でもふれて、急に気を失った人間を抱きとめ、介抱し

寝かしたとしか見えない。

あとはその場をすみやかに立ち去るのみ。

あの、だらだら長いケンカが、これ一瞬で決着がついてしまいます。

ただし、禁則もある。

酔客に対してと、ストレートは使えません。

いずれも、相手を死に至らしめる危険がありますから・・・。

または、世界タイトルマッチ。

中でも、世界上位数パーセントの試合における、エレガントさ。

暴力とはかけ離れた、クレバーでクリアな技の極地。

その反射速度は、人間の限界に挑戦しつづける。

肉体の反射も、人間の場合、脳の高度な機能の表出だ。

それは、能や歌舞伎、ダンス・パフォーマンスに共通する魅力

である。

軌道修正。

つまりは、そんなボクシングの魅力を多角的に検証する。

ボクシングという大河の魅力の鉱脈のなかから、まだ見ぬ原石を

掘り当て研磨し、言葉におきかえる試み。

10代後半から20代前半にかけて、トレーニングしたボクシングから、

今度は少し離れて、その魅力の正体を俯瞰したい。

年齢と共に、ボクシングに対する関わり方は変るけれども、なんだか

のかたちで関わっていきたい、はらも出てきたし・・・。

30代後半を迎え、ぼくは常々そう思っていました。

でもボクシング好きの周りには、やはり何故かボクシング好きが集ま

ってくる。

そしてWOWOWエキサイトマッチのビデオを毎週届けてくれたりする。

そうすると、食事の後や雨の休日に、能書きたれながら、時に絶叫し、

それを見るでしょう。

今思えばぼくの傍らには、そんな時必ず、小さな息子がいたのです。

ワイフや娘は、“ウワァ”とか“ヒエッ”とか言いながら、ときどき相手を

するだけ。

自然、息子相手にうんちくをたれる。

勝因を分けた状況を、巻き戻したりして分析する。

ヒイキの選手のテクを絶賛する。

今思えば、これが彼にとって“学習”いわゆる“目利き”だったんですね。

そのうち持ちかえったボクシングのビデオを、遅くなったから子供を寝か

せてから見ようとすると、

『だめっ、明日一緒に見るんだよ』

などとクギをさされるようになる。

いつの間にか、水曜日持ち帰る少年マガジンを、彼のために持ちかえる

ようになる。

さらに彼は、押入れから、『はじめの一歩』やら『あしたのジョー』やらを引っ

張りだして、読みまくるようになる。

そして・・・。

『とうちゃん、ボクシングやったことあるの?』

『どうだった?』

『どんなことやるの?』

『楽しい?』

見るとなんと彼のまなこの中には、少女マンガのキャラのように星が、

輝いているではないか。

あはっはっ、やっぱり子供は親を鏡として自分を成長させるんだな、

などと、ひとりごちて。

『やりまくり、無敵だったよ、痛くないよ、殴られる前に殴り倒しちゃうから

サイコーだぜ!』

などと泡をふいて自慢すると・・・。

思えばもう、ホップ・ステップ・ジャンプのステップぐらいにいたんです。

この頃、すでに。

『ジャブ打ってみて』

『打ち方教えて』

こどもって無限の可能性を秘めた器だとぼくは思ってます。

そしてこの可能性の芽を摘む、もしくは狭めるのが、特に日本の親もし

くは近親者、指導者の得意技だと常々認識しています。

だから自分の子だろうと他人の子だろうと、誉めて伸ばす。

適度に負荷をかけつつ徹底的に心地好く関わらせる。

こんなにも楽しいよ、いっしょにやってみようか、というスタンス。

自発的に興味をもったことには、種の起源だろうと、遺伝子の構造だ

ろうと、将棋の定石だろうと、“いっしょ”に、“とことん”付合う。

そんなぼくにですよ!

そんなぼくに、ぼくの息子が

『ジャブの打ち方おしえてぇ〜』

とくるんだから、これはもう、彼最高です。

懇切丁寧におしえてもらえます。

そこにさらにごていねいに、たまたま開けた通販のカタログから

こんな商品がぼくらの目に飛び込んできた。

『初心者向け!ミット・アンド・グローブ、ボクシングのエクササイ

ズに最適です!』

買っちゃいますねぇ〜、当然。

飛んで火にいるなんとかです。

その頃子供は小学校五年。

今時の子供は栄養状態が良好なせいか、155センチはあって、

飲みこみも早く、すぐにバリエーションをこなします。

一年間、週二回はミットで、彼のパンチを受け続けました。

さて、六年生。

身長は163センチ。

完全に成長期です。

あたりまえだけど、ミット打ちだけでは、納まらない。

身長が止まるまでは、過度なトレーニングをさせたくはないけれど

やはり“鉄は熱い内に打て”でしょう。

なにより、早い内から他人に交わることは、この上の無い財産になる。

お金もかかることだし、本人の動機と情熱を見極め、最終的には

本人に決めさせ、今年の4月、八王子中屋ジムの門を叩きました。

このジムの傑出した、素晴らしい雰囲気は前出の『八王子中屋ボ

クシングジム』を見ていただきたい。

それからというもの、平日、仕事が定時に終わった時、ミット打ち

に付合い、毎週土曜日、息子を二時にジムに連れて行き、四時に

息子を拾って帰る日々がはじまったのです。

子供はジムで最年少。

しばらくは、トレーニングに入るまで、すごく緊張したそうです。

けれども終わると、ペットボトルからほんとうにおいしそうに、ミュー

をゴクゴク飲み、まるでひとっプロ浴びた後のような、爽快な笑顔

を見せる息子を見ているうちぼくまで、トレーニング後の心地好さを、

まざまざと思い出すようになりました。

娘もその時間近所のアトリエで絵を書いているので、ぼくは彼等が

終わるまで、喫茶店で本を読んだり、買い物したり、ジムを覗いたり

して時間を潰す・・・。

だけど、まず、夢に変化が現れましたね。

たとえば、こんな夢を見ます。

計量会場にいるぼく。

どうもぼくはボクシングの試合に出るらしい。

そしてもうすぐ、計量は始まろうとしている・・・。

ところが身体は今の自分なんです。

リミットを10キロ近くオーバーしている。

腹を触ってみる。

ぶよついて身体も重い。

おそろしい絶望感ですよ、本当に。

そして計量。

もちろんオーバーする。

けれど試合はあるんですね。

広い体育館のような計量会場は、そのまま控え室に

なっている。

ぼくはそこでひとりで、試合が始まるのを待っている。

頭を思いっきり巡らせて、なんとか勝つ方法を必死に

探しているんです。

だけど身体が想像と現実のギャップを予見する。

そんなところで夢が覚めました。

又ある時の夢は、

いつのまにかジムワークをしているぼく。

見ると、息子も、サンドバックを打っている。

ああ、ぼくは傍観者ではなく、まだ練習しているんだ・・・。

その安心感・・・。

 

ところで、ぼくは二年前から、片道1時間かけて歩いて通

勤しています。

高脂結症、コレステロール、中性脂肪と成人病のオンパ

レードになったのはまだしも、寝る前に息苦しさや圧迫感

を覚えるようになり驚いて歩きはじめたところ、一月経たず、

全ての数値が正常値以下になりました。

一年も経つと、かなり身体が“言うことを”聞くようになります。

時々走ったりしてみる。

そうすると、身体がもっと運動を欲してくるんですね。

不思議な事に、歩いているにもかかわらず、中性脂肪やコレ

ステロールの値があがってきた。

そこにとどめの一撃。

それは今や、拳もリーチもぼくを凌ぐ、息子からの誘いでした。

『とうちゃん、ボクシングやろう、いっしょに』

『いっしょにやろうよ、トウちゃん、楽しいよ』

あぁ、そうか。

ぼくはその時はじめて理解した。

そう。

ぼくはきみと“いっしょ”にトレーニングがしたかったんだ。

ぼくにはぼくの夢があり。

きみにはきみ自身の夢がきっと、きみの内に生まれてこよう。

そしてきみはいづれ、ぼくの元を巣立っていくんだ。

ぼくは老いる。

おそらくは順当に、いつの日かきみに看とってもらうことになるだろう。

そしてそんな時この思い出は、きっとぼくらにとって、最高の

ものになる。

だからこそ、共に鍛えられる時間が貴重なのだ。

しかし、もう残り少ない。

つまりは、今しかない。

きみとボクシングのトレーニングをいっしょにすることは、正に今

しかできないことだと思う。

膳は急げです。

さっそく我が家の財務大臣に折衝しました。

そして・・・。

今日ぼくは息子とともに八王子中屋の門を叩きました。

「すいません、今日は会長顔だしますが、すぐ出かけます」

そこでぼくはいいました。

「いや、四十の手習いです。練習をさせて欲しいんですが」

20年振りに、リングに上がり、ストレッチをしました。

不思議にバンテージはするする巻けた。

ロープをし、鏡の前でシャドウをしました。

サンドバック、パンチング・ボール。

たっぷり汗をかきました。

途中何回もヘタリ、会長にも、弟さんにも、

「無理しないで、ゆっくりやりましょうね」

と声をかけられました。

身体はやはり思ったようには動かなかった。

でも、最高の汗をかきました。

ほんとうに気持ち良かった。

そして、息子とならんで歩きながら、飲んだ

ペットボトルのミューの、とてつもなくおいしかったこと。

バンテージの巻き方が甘く、拳が擦り剥け、昔折った右の小指

の拳の古傷が疼く。

くじいた手首が痛み、腕は上がらないほど重い。

けれど、なんと冷えた冬の風の、心地好いこと。

まるで生まれ変わった爽快感を噛み締めながら、家路にむかい

ました。

以上がぼくの近況報告です。

この“やってしまった”ボクシングとの再会が、自分にとって今後

なにをもたらすのか。

自分自身楽しみにしています。

皆さんは、どんな自分との出会いがありますか?


 

 

2001.12.1「不良というレッテル」

 

『・・・ぐれん隊がいかにもぐれん隊らしくよそおうというのは、

考えてみれば、いかにも奇妙なことではないか。

本当に悪事をはたらこうというのなら、むしろ目立たないよ

うにしたほうがいいにきまっている。

・・・もしかすると彼らは、根っからの悪人などというもので

はなく、むしろ気の弱い、単なる小心者にすぎないのではあ

るまいか。

社会という満員列車のデッキの端で、いまにもふり落とされ

そうなその不安に耐えられず、むしろ落ちるほうを進んで

選んでしまった、落伍者なのではあるまいか。

・・・いたずらに非難をあびせる前に、しばらくじっと、耳をか

たむけてみる必要がありそうだ』

(安部公房 種のない話より)

今の子どもたちは、親達が思っている以上に競争に満ちた、

きびしいくもすさんだ世界を生きぬいている。

20年前は、せいぜい『学力.』が、競争の俎板に乗っていた

程度であったが、今や体力からいい子にみせることなど、

生活上のあらゆる事柄に、競争という物差しが導入され、

結果で比較されやすい生活にさらされているのだ。

塾や習い事の種類の多さを調べれば、一目瞭然である。

さらに親が彼等に強いる要求は、親自身の子どもの頃を

省みず、とどまるところを知らないときている。

そして肝心の、“さらされる緊張感”に対処する術を、

親は残念だが人まかせで、彼等に語ろうとしない。

これでは、方法(技術)は塾に任せ、『なぜ必要か』

肝心要な『理由』を語るといった、親としての義務は放棄

していると言わざるを得ないではないか。

だから彼等のこころは人知れず荒んで、耐えきれなくなり、

不本意ながら自ら白旗をかかげ、競争から降りるのである。

さらにそこに、トドメとばかり追い討ちがかかる。

“不良”というレッテル化だ。

原点に帰ってもう一度、よく考えてみたい。

どこが問題なのか?

彼等の方がむしろ『健全』といえる、『被害者』であるといえる

この現実の状況を。

あたりまえだが、この社会の在り様を容認し、作り上げたの

はぼく等大人であるのだという事実を。

ぼく等は忘れて、いや忘れたがっているが、

ぼく等大人には、社会の構成者の一人という理由で、彼等

の現在に対し等しく責任があるのだという事実。

だが、現実には彼等は、大人達の、好奇な、異物を見る

ような視線や言動によって、絶えず落伍者であることを意

識させられつづけているのだ。

犯罪者や筋者といわれる人間ですら、人格の構成期において

は、そのほとんどが人間関係における被害者であったとい

う事実・・・。

たしかに慣れないと、徒党を組んでタムロする彼等に声

をかけるのは、大変勇気がいる事と思う。

たしかに最初彼等は、ぶっちょうずらし、敵意を込めた視線

を投げかけてくる。

だが、小人数でいきり立ってない時をねらって、ためしに声

を掛けてみて欲しい。

すぐに貴方にもわかる。

彼等の素顔は実は、繊細で優しいことが多い。

 

私は肌で実感している。

例えば主宰している姉妹サイトを見て、中学生や高校生達が、

たまにくれるメールを読むと、よくわかる。

彼等がどれだけ

「理解して」「傷を癒して」

という叫びを張り上げているか。

がしかし最も彼等の身近な者、本来彼等を庇護すべき者た

ちが、その叫びに耳を一向にかさず、さらに、彼等を深く傷

つけるという、彼等をとりまく苛酷な現実・・・。

 

 

ここのところ、青少年育成関係の会議等に続けて出席

する機会があった。

ぼくはそこで、“如何に”“大人達が”“利己的で”“無理

解か”目の当りにした。

背広にネクタイを締め、よそゆきの上等なジャケットを

羽織った、様々な組織の代表のオエライ・・・町会長・

保護司・民生委員・育成会の代表・青少年を守る会

の代表等々・・・さん達は、如何にして彼等という“異分子”

に“暴走族”や“不良”といったレッテルをしっかりとはり、

どれほど彼等が迷惑な存在か、どれほど彼等を自分達

の地域から排除する必要性があるか、口々に、声高に

叫んでやまないのである。

あぁ、本当に彼等は可哀相だと、ぼくは絶望感に囚わ

れ、暗い会場を後にした。

むしろ子や親を支える、他の親の関わり方や協力体制、

地域の干渉の仕方や在り方にこそ、批判の目が、何故

向かないのであろう。

自分の子の“いい子さ”を図る鏡としてしか、彼等をみな

い利己的な自分に気付き、何故、自己批判しないのだ

ろう。

なぜ更正するチャンスを与えようとせず、排除すること

ばかりを考えるのであろう。

これは、かたちを変えた“いじめ”のように私には思える

のだが。

このレッテルこそが、より一層かれらの心音を荒廃させ、

あともどりできなくさせる・・・、狂暴化させる引き金である

のに。

 

暴走行為や暴力行為は許されざる悪である。

ぼくもそう思う。

では、どうすれば、本当に、それらが無くなるのか。

もう一度、皆さんと一緒に、真剣に考えてみたいと思う。

負の連鎖は、いかにすれば断ち切れるのか。

もう一度、皆さんと一緒に、思い出したいと思う。

傷が癒されなければ、決して根本的な解決に至らない

のだという事。

人から受けた傷は、人によって癒されなければ、絶対

に完治しないという事。

そして、深く傷ついた心を人から快癒させてもらった彼

等はかならずや、同じように苦しむ子達の、真の支え

になるということ。

おぃ、聞いてるか!町会長!

一張羅の背広に包まれて、エラそうに会議で、のたまっ

ている間、彼等は本当にボランタリィで子供達を周り、

真に癒す活動を実践してるんだ。

そしてその人知れず行われている地道な活動こそが、

犯罪被害者と加害者抑止の効果を挙げることに、真に

つながっている。

彼等の叫びが聞こえ続ける大人で、いつまでもあり続

けたい・・・、せめて彼等の未来に、あたたかな幸せが

待っているよう祈らずにいられない・・・、

そんなことを考え続けた、今日一日であった。


 

 

2001.11.7「PTA活動昨今」

 

 

今年度、ひょんなことから息子と娘が通う、小学校のPTAの役員

を引き受けた。

経過はいたって単純である。

“頼まれたら一年だけは、気持ち良く引き受けよう”

と二人して事前に決めていたからだ。

ある日電話がきた。

『・・・実はPTAの役員をやっていただきたいのですが・・・』

『はい、わかりました。やらせていただきます』

相手の方が、あっけにとられていた。

どうも、この手の交渉に、難航はつきものであったようだ。

電話口から相手の小躍りした雰囲気が、こちらにも伝わっ

てきた。

 

今でも時折夢で思い出す、保育園通園の八年間の日々。

朝、スーツの上からおぶいひもに長女をくくりつけ、長男の

手を握り締め、ねんねこばんてんをはおって、木枯らしの中

を“線路は続くよ”を歌いながら、人目を掻き分けて歩いた

日々。

長女のオムツがとれ、歩けるようになった頃には、おぶいひも

は自転車に昇格し、長女を前、長男をうしろにのせ、やはり

“線路が続くよ”を三人で大声で歌いながら、風を掻き分けて

通った日々。

やがて、来年長男が小学校に上がるという夏。

長女が中学校を卒業するまでの11年の長きを過ごすことに

なるであろう町を求めて、ぼくは市内を歩いた。

子どものことを考えたら、家は中古が良い。

まずは近くに学童がある。

さらに小学校と中学校も近ければ、理想的である。

少し歩くと山があり、できれば離れたところには川があり、

車が入りにくい、空気のきれいなところであれば、尚良い・・・。

程なくピッタリの物件が見つかり、ぼくら一家は移り住む。

そしてそれは、長男の小さな試練の、はじまりの合図でもあった。

学校には、長男が馴染んだ保育園から上がる友達は、ひとりも

いない。

朝、送ってくれる親もいない。

帰りはもちろん鍵っ子。

そして、逆に彼が友達をつくるには、旧知の仲ばかりの友達の

輪に分け入っていかなければならない。

いさかいなどが起これば、当然彼対多という図式。

だが、ぼくは学校生活には立ち入らず静観することをきめて

いた。

これは巣立ちの一過程である。

彼にとって、またとない、貴重なトレーニングであるからだ。

又、家族の構成員として、親が糧を得てくることは当然優先

される。

そして彼にも、それに協力することは、家族の構成員として

苦労でもなんでもなく、当たり前なことなんだと接する事で、

構成員たる自覚をもってもらいたかった。

まだ7歳の、身体がぼくの半分にも満たない彼は、けなげに

も、もくもくとその義務をはたした。

ある日、妻と妹は保育園かえりに買い物に行き、ぼくの会議

がながびき、あせって帰宅してみると、暗い家のなかで小さな

電灯だけ付けて、彼は一人本を読みながらじっと待っていた。

また、早退し用事を済ませ早めに帰ってみると、庭のほうから

物音がする。庭にまわり見上げると、2階のベランダから精一

杯身をのりだして、洗濯物を取り込む彼の姿があった。

彼の両手いっぱいにかかえられている洗濯物の山・・・。

不意にこころの底が熱くなり、涙が込み上げてきたことを昨日

ように覚えている。

そのかわり、家では彼を十二分に抱擁し、友達と遊びやすい

環境づくりに努めた。

幸い、夏も過ぎた頃、ぽつぽつとかわいい友達が我が家に

出没するようになり、冬を過ぎた頃には、土日などはクラスの

半数以上の男子が集う“溜まり場”になった。

アクシデントはいろいろあった。

だが、そういうときには、友達の家で暖をとったり、送ってく

れたり、必ず善意が彼を暖かく包んでくれたのであった。

2才年下の長女はその点楽だった。

兄の、有形無形の庇護を受けた。

通学一つとってみても彼女には心配は少ない。

兄についていけばいいのだから。

むしろ兄の方はその分責任が増える。

妹を無事に送り届けなければならないのだから。

結局、今までの6年間、彼と妹はいろいろな人に助けられて、

無事に成長した。

だから、すこしでもぼくらは、なんだかのかたちで、学校生活に

恩返しがしたかったのである。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

今日、来年度のPTA役員の打診の電話が来た。

早いものであれから一年。

恩返しも、いよいよ卒業間近となった。

このあたりでせっかくだから、すこし感想を述べてみたいと

思う。

もっとも、これは我が小学校PTAの事ではない。

一般的なPTA活動の在り方についてであることは、はじめに

おことわりしておく。

 

結論から言おう。

PTAは、日頃PとTのコミュニケーションを円滑にはかる事を

第一義的な目的に据え、もっと機能すべきだと考える。

もちろん、親子交流会やこどもをめぐる環境整備は重要であ

る。

だが、あまりにも教師との対話の促進と、学級経営の側面

支援いう活動視点が、抜け落ちているように、ぼくには思え

るのだ。

PTA役員の相手は、あたりまえだが学校経営者の校長や、

補佐役の教頭ではない。

あくまで教師である。

一方個々の子どもの心身を育んだ土壌は、間違いなく家庭

内の関係の在り方を起因としている。

家庭は非常に密室性に富んだ所で、なにが起きているか

そとから見えにくいブラックボックスといえる。

そして、人間関係に起因する摩擦の、根本的な原因はこの

ブラックボックスを解明し、修正しなければ図れないという点

で実は極めて修復しにくい、やっかいな問題であるのだ。

例えばDVの元凶を追跡すると3世代さかのぼるなどという

ことは珍しくない。

学校に上がり、しかも急激に成長する過程の多くの子どもた

ちがそこで、いっぺんに交わりだすのだから、摩擦が起きて

当然である。

だが、子ども達の間で、一旦問題が起きてしまってから、

慌ててコミニュケーションを円滑にはかろうと試みても、

残念ながら遅い、手遅れといえる。

なぜなら、問題が起きた・・・摩擦が社会化された時点で、

教師側にも親側にも、明白な利害という“壁”が存在してし

まうからだ。

だから、その前に相手の立場を実感し理解し、想像できる

土台を、コミニュケーションをはかることで造っておくことが

信頼関係を生み、問題が起きた時、利害を超えて共同で

問題に対処する姿勢を育むことにつながるのだ。

なぜか。

親は常に事象を、自分の子どもの目から見ようとしてしまう

ため、視野狭窄に陥りやすい。

一方教師は、クラスの人数分のひとつの命という所から、クラス

を見なければ、学級経営が成り立たない。

コミュニケーションはこの、それぞれの“出発点の違い”という

隙間を埋める必要不可欠かつ唯一無比な“パテ”の役割を果

たすからである。

両者の唯一の共通点。

子どものために・・・という最終的な動機。

コミュニケーションを穴掘り道具に仕立て、トンネルの反対側

から長い事掘り進め、両者がこの最終的な動機にたどりついて

ようやくはじめて、“握手ができる”のだ。

“相手の立場を実感し理解し、想像できる土台”

通常のコミュニケーションで、しかも『教師』と『父兄』という相手に

対する選択の余地のない関係において、この土台を作るの

は、実は容易な事ではない。

だが、土台がなければ、一旦事が起きると、瞬時に敵対関係に形

を変えやすいのだ。

だから土台を作る。

けれども土台作りには、時間がかかる。

それでなくともお互い忙しい間柄である。

なら、せめてPTA活動の時間は、もっとその土台づくりに寄与

するものであってほしいと、ぼくは思うのだ。

だが残念ながら、そういった主旨と機能をもつ活動はどこの学校

でも少ない。

だから、学校の問題に後手にまわってしまうのである。

だから、PTAが学校に起こる様々な問題に対して、無力なので

ある。

又、従前のPTAには、大きな視点が欠落していると思う。

それは教師に対する理解という視点である。

親である教師は多い。

親と対立する時、それが教師の孤絶感をさらに招く要因にすら

なるのだ。

その視点は実は解りにくい。

だが、ぼくには克明に解る事情がある。

実はぼくのワイフは小学校の教師をしている。

小学校の教師をワイフに持つ事がどういう事か。

今日はその視点の必要性を理解していただくため、

恥を偲んで、その一旦を皆さんに披瀝しよう。

 

人並みな生活は、学期の中の、行事の合間をぬった、1・2週間

程度。

あとは、土日、平日の食事後、就寝まで持ちかえり仕事である。

肩は常に板のようにこっている。

夫は肩もみが上手くなる。

別のところをもみたくても、我慢して肩をひたすらもむ。

学期も終わりに近付くと、一家総出で臨戦体制である。

帰宅は、校門が閉まってセコムを機能させる限界の時間。

家に帰ってきて、メシを食わせ、仕事にむかわせる。

当然、家事はほとんど夫がまかなわなければ家は回らない。

1・2学期2・3週間で終わるが、3学期は『あゆみ』と『要録』とダブル

ヘッダーなので(つまり成績表を二つ付ける)ゆうに一月はこんな状態

が続く。

そこで夫は料理や洗濯干しの腕が、確実に上達する。

あと、変な電話が増える。

泣きべそをかいた子どもだったり、無礼なおばさんだったりする

が、マニヤな父兄になると文字通り、夜討ち朝駆けになる。

こちらが思わず怒鳴り飛ばしてやりたい非常識な相手もいるが、

相手は親ばかをとおり越した、ばかな親であるからして、黙って

受話器をワイフに渡すと、ワイフは信じられないことにやさしく対

応している。

子どもが保育園児の時は、熱出しSOSの園から電話は、当然

のごとく夫の職場に入る。

担任はそう簡単には抜けられないからだ。

よって夫の休暇は減りまくる。

さらに学級の状況によっては、ワイフにカウンセリングは不可

欠な状態になる。

だが、信じられないことに、教師に定期的にカウンセリングすら

実施しない野蛮な国なのである。この国は!

だから夫が話を聞く。

必要以上に意見を言いたくなることもあるが、後でなお修復に

手間がかかるのでグッとこらえる。

ともかくひたすら聞く。

まじめに教師の夫をやっていると、だから話しを聞くのが上手くな

る。

ようやくひさしぶりのゆっくり日曜日だぁと思うと、教え子達が、大

挙して訪れたりする。

もっとも、これは楽しいことであるが。

小学校は女性職場である。

これにはありがたい。

彼女等は、電話でお互いを慰め合う傾向にある。

これには相当の電話代と相応の忍耐が必要である。

又、職場には子育てに伝統的に理解がある。

これには大変ありがたい。

こちらに保育園児がいたりすると、時たま仕事を先輩が被って

くれたりする。

だが、これは実は後々返すことになる。

つまり子どもが大きくなってくると、今度はこちらが被ったりする。

夏休みが長くていい?

いませんよ、ほとんど。

日直、プール、研修、研修、研修・・・。

残業代?

もちろんつきません、そんなの。

我が家の子ども達のそんな時の口癖は、

『かーちゃん、死なないでね』

これはまじめな話。

ぼくも真剣にそう感じることが年に何回かは、ある。

そして信じられない事に、ワイフに言わせると、彼女が特段勤勉

ではないというのだ。

 

彼女、彼らはほぼ例外なく、こんな生活を送っている。

そして例外なく、彼等は自分の意思で、よしとして、この激烈な

生活に『この子たちのために』と身を投じている。

何年か前に1度、労働基準法に照らし合わせて労働時間を積算

してみたが恐ろしくなって、というかアホらしくなってやめた。

何がいいたいか。

この激烈な仕事をこなす彼等に対して、親であることの利己性は

時としてあまりに残酷に映り、彼等を傷つける。

“最近は教師もサラリーマン化して・・・”

平気でこんなことを未だに言う人間には心底驚く。

そんな輩には思わずこう言ってしまう。

『もしかしたら、本当に、あなたより担任の方があなたのお子さん

のことを考えている時間が長いかもしれない』と。

一方、教師という仕事の質的転換は、ここ100年なされてないと

言っていい。

つまり教師をとりまく仕事の質を担保する環境整備と、科学的な

裏付けは遅々として遅れているのが現状といえる。

教師の実体は、相変わらず、密室の一人親方である。

大学出たての新任教師も、いざ担任する教室に入れば、孤立無

援の状況のなかで、仕事を進めなければならない現実が、今だ

にある。

今でこそ指導教官などの整備がすすめられているが、一人親方

あがりの指導教官に、指導を求める事は、土台無理がある。

そして『人を思いどうり操作するのが重要な仕事の使命』

などというオソロシイ仕事は他に類を見ない。

さらに、なにが局面局面において、教師として正しい行動の選択

足り得るか、などという道筋(方法)には、定式がない。

科学的に法則化されていない。

なまもの相手だからである。

新卒は、本当に悲惨だ。

学んできた理論が通用しない、いきなり学校に放り込まれたら、

例外則を瞬時に対応する状況の連続に圧倒される。

ただし、ハード(知識:学習目標)のノルマだけは課せられて

いる。

ようはノルマを思考錯誤しながら達成しろといった、野蛮な要求

に、なまもの相手に必要不可欠なカウンセリングなどなしに答え

なければならないのだ。

 

このような彼女等の実態はあまりにも、正当に理解も評価もされて

いない。

PTAには、だから『まず教師の役に立つことを手伝うことが、親の

視点を社会化するトレーニングとなり、教師とコンセンサスを得やす

い活動に発展するのだよ』と言いたいし、

教師にとってみれば、進んで親と目的のない対話する時間を持

つことが、ひいては理解者を増やす活動につながるのだ。

土台が出来ていれば、子どもが発する信号を拾う受容器が増え、

早期発見、早期対応、多角的・分業的な協力体制の構築が可能

となるのだ。

 

一応、当初の予定通り、来年度の役員の参加は固辞した。

そして今度は、より活動しやすい外野に戻って、恩返しをこんな方

向性をもって継続・実践していきたいと考えている。

細々とではあるが、活動してゆこう。

子どもたちのために。

 

 


 

 

2001.9.25「真の和平への道」

 

 

こんな有事の時であっても、器械の歯車程度の遊びが

効いている、行動原理のお陰で、他人事のようにぼくらは、

日常生活を営むことができる。

空爆後のテヘランの瓦礫の下に落ちていた一冊のドストエ

フスキーの「カラマーゾフの兄弟」の様に、原理主義勢力タ

リバーンのアフガンキャンプにも、一冊のカフカが落ちてい

ることを祈る・・・。

 

911日、メディアの力により全世界が未曾有の惨劇

の生き証人となった。

以来新しい紛争の成り行きを全世界は、固唾を飲んで

見守っている。

核の抑止が少しでも機能している限り、現代の闘争は

人類の終焉の可能性に直結するという事実において、

他人事ではすまされない恐怖が潜んでいることを、唯

一の被爆国国民である我々はもう十二分に知っている。 

先の対戦後約半世紀の間、東西対立から地域紛争を経

て、民族対立、イデオロギー対立へとその性質を変化

させながら、多数の犠牲者を伴う闘争は終わりを知ら

ない。

多国籍・多国間に渡るテロ支援ネットワークが計画し

た周到かつ大規模な殺戮という点では、確かに歴史上

始めて現れた形かもしれない。

だが、テロ実行犯は所詮イスラム原理主義という旗の

元に結託した“セクトの一形態”であるという見方に

立てば、なんのことはない、有史以前からなわばり争

いの対立を繰り返してきた人間の殺戮の歴史が又、繰

り返されただけのことであると残念だが言える。

個々の闘争に、もちろん闘う双方に、それぞれ闘わな

くてはならない理由が存在している。

そこには差別、機会不均等、貧困、抑圧、無理解とい

った独自の原因も内包している。

だが問題はこの闘争の歴史に、人類が終止符を打てる

か?という一点に集約されるのだ。

そう考えると、高度な文明社会を自らの手で葬ってき

た歴史がノーと告げている。

実はこの問題に対し、’86年ユネスコの東京国際円卓

会議基調報告の講演(後日毎日新聞に全文掲載)で、

全く新しい独自の視点を掘り下げ、対案までを提示し

た科学者がいる。

東京大学の医学部を卒業、日本語クレオール仮説を提

唱した作家安部公房その人だ。

カラスは、黒いぐにゃぐにゃする物に反応し回避行動

をとる。

それが、毛叩きか、きつねの尻尾か、婦人用襟巻きか

は問われない。

遺伝子にすり込まれた条件に反応することで天敵を回

避する、そういった動物の行動原理に対して“言語機

能”を遺伝的に獲得したおかげで人間はそれらを区別

し、他の種に比べて飛躍的な情報処理能力を獲得した。

だが言語は相反する二面性を併せ持つ。

理性化を促し個別化を促す言語機能と、理性を眠らせ

集団化を促進する、言語機能だ。

そしてこの後者の機能が非常に人間の集団に強力に作

用する現象に安部は着目した。

たとえば、普段国に対する帰属を意識していない都市

生活者が、オリンピックで自国の選手が苦労の末金メ

ダルを取るシーンを見て思わずもらい泣きするような

種類の衝動、ワールドカップにおける自国のチームを

応援する衝動の強さ等である。帰属のシンボルの旗を

さっと振られると、すっと理性が眠らされてしまう。

この言語機能の強さのアンバランスが、卓越した自然

科学に対する情報処理能力と、著しく低い人間の関係

に対する情報処理能力を併せ持つ人間という種を作り

上げてしまった。

したがって闘争の歴史に終止符を打つ可能性があると

すれば、イデオロギー対立を内包し助長する、政治学

や宗教によって問題の解決を試みるのでなく、万人に

等しく機能する科学に裏打ちされた、洗脳的言語機能

から理性的な判断能力を守る言語的訓練をつむ教育で

しかあり得ない。

安部は教育府による四権分立を提唱し、

人間は『自転車をこぎ続けるような継続的和平』を実

現するしかないと、喩えたのであった。

この提案は極めて新しい社会の共存の可能性と判断基

準を示唆している。

そして、この提案が示した可能性を、今日本がまず検

証し世界に提出すべきであろうと私は思う。

なぜなら、幼少から来世の為に現世の苦労を買い、本

懐は神の為に死ぬことと洗脳され続けた幼子の意識を

洗脳の呪縛から解き放ち、覚醒し得る唯一の手段は、

やはり同じ言語によってしかないのであるから。


 

 

 

2001.7.22「夢について」

 

『だから、毎朝目覚める事は、新しく誕生するようなものだ。

・・・ジークムント・フロイト』

 

それにしても、暑い夏になった。

例年この時期までは粘り続ける梅雨前線も、今年は7月早々に

太平洋高気圧にあっさりとその座を明渡してしまった。

シャワーを浴びて、きりっと冷やしたジョッキビールを流しこん

でから、炙ったうなぎでもいただいてようやく、一息つけるといった感じ。

まさに青息吐息。

暑すぎる、夏の滑りだしである。

こんな日には、外から家に帰って玄関を開けると、飛びこんだ

プールのようなエアコンの清涼感は格別だ。

これほど実感することはない、別天地。

ただ、それもよく冷えた、ビールの最初の一口と同じである。

慣れると、微妙にあたり続ける風が、身体の均衡を崩し始める。

何時の間にかそれは、身体の芯から、元気を奪うのだ。

まだ、夏の導入。

世の中も、何故か今年は、稀有なニュースに見舞われ続けた。

梅雨に入って、池田小の子ども達が、惨劇に見舞われた。

昨日は、明石の花火大会の会場付近で将棋倒しにより、10人の

犠牲者がでた。

これから2ヶ月あまり。

どのような夏が、これから待ちうけているのであろうか?

 

ぼくにとって、夏は夢のシーズンでもある。

ただし夢といっても、かなったり、かちとったり、あたったり

するのとは違う。

就寝中、時々みる、正に“ゆめ”。

何故かわからない。

夏になると、夢が長く、鮮明になる。

入眠時幻覚が時折出現するのも、必ずうだるような

夏の長い夜に限ってであった。

最近では、7・8年前、幼子を守るために侵入未遂を企てた輩を

夢の中で撃退し、気が付いたら団地の一階の部屋の、食堂の

窓を開け、正に空に向けて思いっきり咆哮する直前、己をとり

もどした。

窓の真下から、驚き、平伏した黒ねこが逃げ去り、時計を見ると

午前3時34分。

正面の5階建ての7号棟は、二つの部屋の灯りが灯っているだけ・・・。

 

夢はあなどれない。

たとえ忙しい生活に忙殺され、普段考えてみたことすらない貴方も、

今夜強烈な“かなしばり”に一旦遭ってしまうと、人生感すら変って

しまう事態に陥りかねない、そんな可能性をも秘めているのだ。

ユング派を批判し、言語のバイオ・プログラム説を推奨していた安部を

して夢は、“無意識への通路”もしくは“意識の活性化度を測る尺度”

と言わしめた。

“夢に出てはじめて、創作が軌道にのった”

のであり、長編の最後のイメージには、必ずと言って良い程

夢が使われている。

夢といえば、フロイト。

さらには、湯川秀樹、アインシュタイン・・・。

確かに、夢を“非現実”と言いきるような無教養な輩はまだしも、

普段意識していない誰もが、人生の重要な局面においてしばしば、

夢に啓示を見出し得る程、夢は人間の生理に食い込んでいると言え

よう。

夢は、時差をもった感覚器から集めた情報処理の結果であり、

それは現実に対応した脳内過程の、思わぬ吐露と言える。

ぼくは他の人より夢に、少し身近な人生を送っている。

ぼくにとって死は、“夢なき、終わりなき、眠り”でしかない。

以下は、少し長い、ぼくがぼくのために書いた、

夢に関するレポートである。

 

唐突に、ぼくは亡くなった大切な人と、電話で話す夢を見る。

起きて、そのあまりの生々しい感触に痺れ、愕然としている

自分を見出す。

もちろんこれは、ぼくの脳の中だけに起こった、

オートマティックな、欲求と記憶が処理された結果としての

現実体験である。

だが、大切な人とは、物理的に逢えないことに、変りはない。

そういった意味では、外界からのインプットなき情報処理と

言えよう。

夢に関する自然科学の対象としての歴史は、まだ新しい。

本格的に取り上げられたのは、19世紀後半、フロイトによる

精神分析学の立場からのアプローチであったと言えるだろう。

それまで科学は、夢を科学的な分析の対象とは認めず、哲学

宗教が取り上げるにすぎなかった。

その主な理由は、夢の土台となる睡眠自体の研究が、ここ

2・30年の間になって、ようやく多くの学者によってとりだたされ

飛躍的な研究成果が発表されたことによるだろう。

それまでは、夢が果たしてなんの結果であるか、その自身の

正体よりも、精神活動に与えている影響や役割、夢がもたらす

象徴的な意味の解明と経験との因果関係の関連付けが主題

であった。

幼児期欠如した願望充足の為や、眠りそのもの、ひいては生体

そのものを守るために、夢があるといったフロイトの理論や、夢

は未来を予見して現在の主体を導く役割をもつといったユング

の見解、その他様々な諸説は、その後科学的な実証検分による

裏付けを受けることなく、長く読み継がれてきたが、そのような

アプローチからでは、正体を暴く決定打は今もってないらしい。

1920年代に、脳波の測定が可能になってから、まず睡眠が、

科学的分析の対象として、受け入れられることになった。

その後時期待たずして、睡眠には、レム睡眠とノンレム睡眠とい

二つのことなる性質の睡眠があり、特にレム睡眠時に、かなり

高い割合でヒトは鮮明な夢を見ているということが確認され、よう

やく夢それ自身も解析の対象としての仲間入りを果たしたので

ある。

睡眠の基本的な実験は、現在もさして変らず、睡眠中に生じる

被験者の変化を記録し、解析することに終始している。

脳波、眼球運動、筋肉の緊張状態の測定をしてみよう。

眠りに入ると多くのヒトはまず、ノンレム睡眠と呼ばれる睡眠

状態に陥る。

ノンレム睡眠には四つの段階・・・第一段階から第四段階までが

あり、まるで階段を奈落に向って降りて行くように滑らかに順次

次の段階へと移行していく。

第一段階。

筋肉の緊張度がまだ高く、脳波は速く不規則になり、眼球は

ゆっくりローリングしている。

第2段階。

筋肉の緊張は目に見えて弱くなり、眼球の動きも静かになる。

脳波は若干不規則な動きを示した後、しん振幅の広いWAVE

変って行く。

さらに第三段階。

脳波はより一層ゆっくりとなり、眼球には動きが見られなくなる。

筋肉の緊張は極めて低くなり、第四段階になると、眼球はその

動きをほぼ停止する。

脳波はきわめてゆるやかで筋肉の緊張は低い。

そして次にもう一度、第2段階にJUMP UPした後、異質の世界、

最初のレム睡眠へと被験者の眠りは移行して行くのだ。

レム睡眠の特徴は、筋肉の緊張がほぼ完全になくなっているの

にも関わらず、脳波が突然覚醒時に近い速さで振れ、眼球が

急速に運動を開始することにある。

最初に出現するレム睡眠は短く、再び又第二段階から順に深み

に落ちて行くのだが、このサイクルは以後続かず、第二段階と

レム睡眠が交互に出現し、しかもレム睡眠は、夜もふければふ

けるほど長くなっていくのだ。

レム睡眠時には、他の身体各部の働きも活発になる。

筋肉の緊張がほとんど無いにもかかわらず、男性は性器が硬い

イモの様に隆起し、女性の性器は潤い、充血し陰核が顔を覗かせ、

例えばこれは、インポテンツが心因性か器質性かを判断する、

もっとも手軽な判断方法になっている。

そしてこの時に寝ているヒトを起すと、約八割方のヒトが夢を見て

いたことを語るのだ。

反対にノンレム睡眠時被験者を起すと、夢を見ていたヒトは二割

に満たない。

また、レム睡眠時の夢の方が明らかに臨場感があり、色彩が鮮

やかで、かなりセクシャルかつ情動的であり、しかも不合理・怪奇

的であるといった報告が多く、この傾向は、明け方のレム睡眠に

なればなるほど、強くなる。

では急速眼球運動と、夢の視覚体験に因果関係は認められるの

ではないか?と考え易いが、研究者によると、賛否両論のようだ。

ただ、実験では、例えばレム睡眠時に、ほとんどなくなっている筋肉

に緊張を与えるよう、ネコの骨格筋の活動を抑制している脳幹部位

を破壊し寝かせると、睡眠中実際にまわりに置いた餌がわりのネズ

ミには目もくれず、まるで夢に対応しているような行動、つまり夢の

中で見ているであろう餌に向って飛びかかってみたり、そこにない毛

玉にじゃれついたりすることが確認されているのは興味深い。

急速眼球運動が常に夢の視覚的現実を捉えていると断言はできな

いが、レム睡眠と夢には深い関わりがあるようだ。

また、筋肉に緊張が起こらなくなっている理由としては、レム睡眠中

外界からの様々な感覚刺激によって、脳の中で夢が形作られるこ

とが過度に疎外及び変質されない為と、脳の付加の軽減という夢本

来の生理的目的をすみやかに達成する為であろうと推測される。

おもしろい・・・!

ここまできて、ぼくはトレーニングによって夢に介入し、夢を変質するこ

とが可能なのではないか?という着想のトリコになった。

そして、もしそれが上手いけば夢の中で、重力から解放されたぼくは

空を矢のように飛び、電車を投げ、サメを蹂躙し、スカートの中に端か

ら頭を突っ込み、ぼくはその匂いも味も触り心地も極上の、なんの

規制もない世界・・・ぼく好みの世界・・・を縦横無尽に思う存分駆け巡る

ことができるのだ・・・。

まずは自律神経系に介入することから始めてみる。

さっそくぼくは覚醒時、心臓の鼓動を変化させるトレーニングを開始した。

これは集中すれば割りにあっけなく達成できる。

だが、無理をしすぎて呼吸や血圧、脈まで暴走しはじめ、おお慌てに慌

てる結果に陥った。

度をわきまえないと、余りに簡単かつ影響が大きいので、加減を失

敗し心筋を痛めてしまったら元も子もないので早々に切り上げる。

(ただこれは例えば競技/格闘技・陸上・水泳等々に利用できる気が

する)

次に、角膜に針をたてることをイメージし、身体にあたかも現実に起きた

ような反射反応を起させるトレーニングを試みた。

すぐに痛みと涙で目を開けていられなくなるまでになった。

ウォーミングアップを終えたぼくはその夜の課題を決定する。

それは

『夢のなかで最初に会った人と握手をすること』

そしてその夜、ついにぼくは・・・。

いや、実はここから先実に長く奇怪なドラマが待っているのだ。

これは又別の機会にしましょうか。

閑話休題。

だが、風邪をひくほどの頻度ではないにしろ、脳もまた、好不調を

繰り返す臓器である。

脳はそれ自体が精密過ぎるほど精密なセンサーでもあるのだ。

この微妙で精巧なバランスが何かの拍子で崩されると、悪夢や歯軋り、

さらに不眠や睡眠時失禁、といった睡眠障害として表出されることは

我々の周りに、珍しくない。

疾病と定義されているものには、例えば入眠時幻覚や夢中遊行があ

り、ここでは、夢と現実がしばし同じ土俵であいまみえることとなる。

前者は入眠と同時に自覚なくレム睡眠に移行する結果、しばし現実

と夢の境がなくなり恐ろしい体験を強いる事となったり、後者は逆に

深いノンレム睡眠時、覚醒時と同様に身体が動いてしまうもので、事

故に直結する厄介な症状が出現する。

身体が熟睡していて脳が極めて覚醒に近しい状態時、発現する

“かなしばり”などは軽症と言わねばなるまい。

昼間、睡眠発作に襲われるナルコレプシーなども睡眠と覚醒

のバランスがなんだかの原因でくずれた、典型的な、やっかいな

病状といわれている。

また、身体はストレスに対応し変化する。

遺伝的不眠症の睡眠サイクルを調べると、レム睡眠の出現が早く、

不眠でないヒトと同等の時間を消化していることがわかる。

同様に、睡眠時間を削るような激務を続けると、レム睡眠を確保

するべく睡眠サイクルも変化し、生体を維持しようと働く。

これをナチのように極端に被験者にストレスをかけ、寝かせない生

活を強いると、死んだとき脳の重量は極めて軽い。

いかに睡眠が大切かをこれらは、端的に啓示している。

 

夢うつつの状態と、深夜無理やりたたき起こされた時などには、確か

に現実と夢が混同するようなことがままある。

例えば、深酒に深酒を重ねて、ベットに倒れ込んで何時間後かに

繰り返し見舞われる、心地好い、長い長い放尿の夢。

立ち寄る先、至るところで、喫茶店で、カフェで、頻繁に繰り返す放尿。

幾度目かまたもよおしてきて捜すトイレ。

ところがドアが壊れていたり、開かなかったり、便器がなかったりして

なかなかトイレにいきつけない。

ようやくみつけた!

いつの間にか、生理的な、あまりにリアルな強い欲求が下半身にひろ

がり、うっとおしく、重くはちきれそうにのびきった膀胱の悲鳴が頭蓋

を共鳴するのだ。

戸を閉める間も惜しんでイチモツを引きずりだす。

いざ放尿すると、細い尿管を出口を求め、我先に殺到する感覚に飛

び起こされて、おお慌てに慌てて便所に駆け込む・・・。

さらにはもっと古い記憶。

遠い昔、幼稚園に入るか入らないか頃の、リアルな思い出。

近所ののっぱらでのかん蹴り。

尿意をもよおして、くさむらで友達の視線をさけ、心地好い放尿。

同時に広がるふとんに反射しパンツに溢れる温かな液体が、現実

を呼び起こし・・・。

失禁や夢中遊行が幼児期に起こりやすいのも、脳の脱皮の表れと

いえまいか。

夢に関して、別の角度からのアプローチが、一定の成果を挙げて

いる。

被験者から得られて情報の統計に基づいて、夢の性質を捕らえる

方法だ。

例えば夢をどのように“体験”している?の問に対しては、視覚的

であったという答えがほぼ90%で、以下、聴覚、運動感覚と続き、

味覚や匂いが体験できたという報告は、極めて少ないという結果が

得られている。

又、睡眠時に発語筋の放電を測定し、放電が激しいときに被験者

を起すと、夢で喋っていたとの報告が80%に達したことも興味深い。

さらに夢の中での時間と、実際の睡眠時間との相関関係はあるこ

とも実験で確認されている。

例えばレム睡眠に入ってからすぐに起した被験者から聞ける夢の

報告は短く、遅く起した夢は長い報告が得れる。

今度は夢の内容についての統計を、傾向で示してみよう。

全体の約三割は自分自身もしくは知人が、喋る・聞く・見るなど

なにかをしている夢が多く、やはり全体の三割は“骨の折れる”複雑

な運動はなしに、車などの乗り物に乗ったり、歩いたりといった“移動”

をしている。

つまりよく我々が日常的に行っている手仕事やパソコン、ワープロ、

掃除機かけなどはめったに夢に出てこない。

内容も喜びや幸福よりは、心配事や恐怖、もしくは不安を

象徴する内容であるほうが多く、夢の主体は殆どの場合“受身的”で

あると報告されている。

そして肝心な特徴は、数多くの矛盾が存在している『夢体験』時、主体

はそれを矛盾と感じていない点・・・。

さて、ここまできて、夢の正体をどれほど捉えることができたであろうか?

残念ながらまだ、輪郭が見えたにすぎないと言える。

今後、果たして夢に、どれ程の可能性と価値を見出すことができるの

であろうか?

最近の研究は統計を離れ、物質レベルの解明に進みつつある。

大脳生理学による新物質の発見と、それらの作用の解明による睡眠の

メカニズムの法則化。

局在するエリアからの物質刺激が大脳新皮質に拡散し、その刺激に

より夢がトレースされる報告や、睡眠物質の発見とその作用の報告は

捉えられる夢の姿に期待がもてるものといえよう。

 

現代社会。

夢は日常生活においてかなり市民権を獲得したといえる。

ポップスに歌われる、夢の頻度。

ホラー映画に登場する悪夢。

就学旅行の夜、交わされる金縛り体験。

湯川秀樹の中間子理論の詰めは夢によってなされた。

ケレクは、ベンジンの科学構造を夢によって解明した。

安部公房の方舟さくら丸は、夢のイメージが物語の核心に登場する。

こういった報告は実は多い。

夢は、おそらくは付加を軽減する為の脳の自動処理であり、

日常生活中行われている思考の整理や、覚醒時蓄えた無意

識的な情報の整理、発想経路の拡充と、負の体験の昇華など、かな

りの機能が、覚醒時の情報処理のバックアップ的な要素をはらんで

いると推測される。

たとえば貴方が今、仕事上複雑な問題を抱えていて、しかもその問

題に対して、貴方の意識が能動的に活性化しているときには、睡眠

時訪れる夢もまた、細部に渡って複雑化し、かつ細部まで具体的に

なっていることに気付くのではあるまいか?

それに貴方の寝床に忘れた頃にやってきては繰り返し見る、馴染み

の夢の記憶。

たとえば墜落の夢、天災の夢、人災の夢、電話を掛けようとして、何

回試みても、番号を押しまちがえたり、忘れたりして掛からない夢、

あと一歩で挿入できない夢、トイレの夢、家族や友達がいつのまにか

いなくなる夢、どこかで見たことのある知らない街をさまよう夢・・・。

また夢の生理には不思議なところがある。

例えば、まだ英語が充分に話せないにも関わらず、ホームステイ先

でみる英語だらけの夢。

矛盾を矛盾と認識せず受け入れるところ。

時々飛び起きて確認する、見た夢の恐怖と比例した心臓の鼓動の

速さ。

やはり、夢には昼間と違う法則が働いているらしい。

たとえば貴方はこんな夢をみたことがないだろうか・・・。

いつからであろうか、自分が飛べることに、気付いてしまっていた。

腕時計に念じて、ぼくは高く空に舞い上がる。

最初は軒の高さまで、おずおずと浮いてみる。

そして心地好いほどスイスイと楽に飛べてしまうのだ。

うきうきと軽い羽毛のような心。

友達とばったりあったりする。

さあ、飛ぼうか・・・。

だが、記憶と違ってどうも上手く、思い通りに飛べないのだ。

地面を捉える足の重さ。

でも、なんとか浮けたりする・・・まるでガス欠寸前の車の、最後の

ノッキングのあがき。

なんとかそれでも高度を稼ぎ始めた。

心はなんとなく毛羽立って、わさわさしたまま落ち着かない。

何時の間にか、街のはずれまで見渡せる高さまでたどり

着いた。

冷たい風がビュウと吹く。

歩いている人間はもはや見えず、車は足元に散らばる米粒のよう。

と、突然の、完璧なガス欠。

一瞬だけもがく。

ガクンと全身が揺れ、

凄まじい墜落。

そして唐突な、目覚め・・・。

ぼくの場合夢の生理は、嫌悪よりも恐怖に馴染んでいる。

またメンタルな体験の整理というよりも、生理的に植えつけられた負

の記憶の調整という感じを受ける。

迷子とか、離別とか。

ちなみに知り合いで夢をみたことないという輩がいたら、

拉致して裸にして寝かせましょう。

眼球かシンボルに変化があることを見極めて起せば、夢体験をその

輩にプレゼントできるかもしれません。

 

以上がぼくが調べてきた夢という素材に手心を加えた、

ぼくの料理だ。

今、脳という未知の領域に科学のメスが入ったばかりではあるが、

おそらく将来、科学は夢を再生し体験しえるマシンを誕生させることが

可能であるぼくは考えている。

その先には、映画『ブレイン・ストーム』の世界が、待っているのであろ

う。

人類の足跡は、まさに“人間の機能を外部に再構築する試み”と言

えるのだから。

そしてそれは視覚においてまず、先行するであろう。

今日も、夜がふけてきた。

一見自分とは無関係っぽい夢であるが、実はそこに、新しい自分

の可能性との出会いがある。

自分が普段意識していない、表層下の世界の処理結果=夢を捕え

客体化してみよう。

言いたいことは、おおむね言えたようだ。

さあ、こんどは、あなたのばんです。

 


 

 

2001.7.8「小説について」

 

確かに、安部公房についてのサイトなので、もう少し文学

関係の話題があってもよいのかもしれない。

隅から隅まで読めば、所謂作家ファンサイトというには

程遠い“特異”なサイトということを理解していただけるようだ

が、ネットサーフィン中の貴方にはそんな物理的な時間は

ないだろうし、だいいちかなり言語的な訓練をつんでいないと

メインメニュウは“むずかし”く、速読系でなければ、時間もかかる。

また、リピーターの貴方の、文学的な立場が鮮明に見えて

こない・・・というご指摘も充分頷ける。

そこで少し、今日は個人的な事をお話しようと思う。

 

ぼくには、“書物”と“文学作品”をはっきりと分ける、独自の定義

がある。

例えば、今読んだ小説が、どちらに属するか?

その判断基準は一つだけ。

『実体験たり得る構造と機能を併せ持っているもの』

つまり、追体験機能を駆使するのが書物、上手な書物、感想文、

エッセイ等々で、読書体験を実体験以上に昇華させる能力をもつ

書物だけが、ぼくのなかで“文学”という称号を勝ち得ることとなる。

このあたりの理論は、メインメニュウの後段にソースだけ

記載したが、要約すると

文学作品というのは

『「脳の中で、異なる物理学的性質をもつ物質を、等価交換する

情報処理能力を遺伝的に獲得した」人間の知的活動を、言語という

物質で刺激することによって、言葉を経験にフィードバックさせる

回路を刺激するシステムを駆使して編み上げられた言葉の群』

であり、無意識のうちにその効果を利用した−価値ある−作家は、

世界的に見て、何名かはいるが、いかに世界広しといえども、

この認識と機能を書き手が意識し、且つ最大限に作品に反映させ

た作家は、今のところ安部 公房唯一人であると言える。

大脳生理学、分子生物学、言語学の素養を利用しないと構築でき

ないこの理論という“尺度”を用いて文学作品を再評価してみせた

卒論が、安部の目にとまったということになろう。

安部以外の、それと同等の文学作品を生み出している作家の中で

もともとそういった素養のある作家は少ないが、そのかわり作品化

する姿勢に共通項を見出す事ができる。

それをわかりやすくならべてみると

1.作家が意識して、自作品に干渉(自作解説)しない

2.したがって私生活と作品が相互に干渉しないよう、

 特段の注意をはらっている

こととなる。

 

だから誤解しないでほしい。

メインメニュは、科学者安部の再評価が目的であり、

なんら安部の文学的成果と干渉しあうものではない。

一方、メインメニュの後段「安部作品の秘密」は

人間安部の生活の足跡となんら干渉しあうものでは

なく、作家論でしかないのであることを・・・。

 

安部は信念をもって、自作を作者としては、

語らなかった。

自作に対して何か問われたとき、常に一読者として、

終生作品の感想を述べるといった姿勢を意識してとり続けていた。

そしてその姿勢を貫いたことこそが、「作家に従属する

作品」を否定し、「作品に従属する作家」であり続けた事の

証明と言える。

だから、今日本から世界にむけて発信すべきなのは、

残った家族の思い出話や吐露話では残念ながら、決してない。

ましてやそれを、師の意志に添い、継ぐものである

と誤解してはならない。

また、作家安部のよき理解者(価値の発見者)たりえたいの

ならば、そんな記事を見つけて嬉々としてはいけない。

すくなくとも、師の晩年を知るぼくには、そのような行為は、

常に孤独に身を置くことで、創作の動機を風化させずに持ち

続け、虚栄を廃し、人間らしくあることの追究という至難な作業

に対して、誰より真摯かつ誠実であり続けたことを、文字通り

生き様で見せた師の価値を、おとしめるように思えるからである。

今真に日本から発信すべきことは、未知の原石(=安部作品)から

その輝きと価値を掘り当て、発信する事である。

故にぼくは、ドナルド・キーン氏、ナンシー・K・シールズ氏

に敬意を表してやまない。

反対に、熱心な安部の良き理解者といった顔を見せ、一見評

価してるような姿勢をとりながら、その実周到な用意をもって

価値をおとしめ続ける発言を、安部の死後一貫して続けている

某大家などは、作家の風上にもおけないと考えている・・・。

 

さて、多少なりとももつれた糸がほぐれたでしょうか?

まだもつれたままでしたら、メインメニュあたりにトライして

いただいて、それでもほぐれなかったらまた、教えてください。

解説いたします。

 


 

 

2001.6.19「子どもを生かす」

 

たとえば、あなたが身近な人から

やりたくもないことを、理由もわからず

無理強いされたらどうします?

まあ、依頼者に義理の一つも感じれば

あなたはやるかもしれない。

しかし、依然として説明はないんです。

なんか釈然としないでしょう。

すくなくとも、

「なんでやるのか」

「なんのためにやらなければならないのか」

ぐらいは知りたいと、自問自答するはずです。

長く続ければ、如何に身近な人で、あなたが相手に義理を

感じていても擦切れる。

痛んだり、荒んじゃう。

それじゃ、ということで

思いきって相手に、問いましょう。

それがいい、精神衛生上一番です。

理由を問う。

でもね、

相変わらず説明はないんです。

手変え品変え相手はいろいろ言うけど、

納得できる、十分な説明は何一つない。

釈然としないよね、不信感も強くなる。

ところが、続けていく内に、時間が経てば経つほど、

いつの間にやら、なぜか、義務化されている。

あげくの果てに、手をぬくと、よってたかって罵声をあびせられ

下手をすれば小突き回される・・・。

 

どうします?

「簡単だよ、納得できなければやらなければいい。

き然と断るんです」

「そもそも主従関係的な部分が、賛成できないわ。

やはり、どうせ関わるんなら、主体的に関わりたいもの」

できないんだなぁ〜これが。

できない。

そうできないから病根が深いんだ。

傷も深い。

 

親が子どもに当然な顔して強いる勉強。

ぼくはこれまで、それを念頭において話していました。

ね、できないでしょう?

だって、理由はどうあれ、親を喜ばすために、親子関係が

健全であればあるほど子どもは、頑張るもん。

頑張りすぎちゃう。

だけど、実は釈然としない、こころの底で、納得できていない。

そこに親が輪をかけて、

「なんで勉強するか?なんてまさに教師が教えるべきことだ」

なんてのたまうから、よけい傷が深くなる。

だって、もしそう本当に思っているのなら、勉強の出来や

結果だけをとって、あげつらうわけがないのだから。

全て教師まかせにするはずでしょう。

第一、そうなら『勉強しろ』なんて言う発想自体が出てこない。

子どもに暗黙の内に、本音と建前を吐露しているようなもんだ。

「競争に勝って」という本音と「あんたのためよ」っていう建前・・・。

 

だからぼくは、子どもに、勉強もボクシングのトレーニング

といっしょだと説明しました。

イメージどおり身体を動かすために、

反射速度を早くする。

だから、シャドーやミットやロープ、マスをやる。

結果としてそれが身体の成長の手助け・栄養になる。

同じように、脳の成長の手助け・栄養を与えるために

問題解決のトレーニングをするんだよ、と。

成長期の筋肉が自然に運動を欲求するように、

脳もまた成長を欲求する。

成長期において、問題解決能力の訓練は正に脳の成長を

助ける栄養です。

だから小学校から高校の前半まではそれをやる。

そういう意味でクイズと同じ。

トレーニングの結果が点数として、表現されるだけなんだ。

決して他人と比べるためじゃない。

だからそんなトレーニングの方法の一つとして、

テストがある。

もちろんそれで全てじゃないよ。

問題提起能力、創造力、想像力、physical control

mental control 等々。

図工や絵や音楽もそれぞれ、トレーニングの部位を変えて

栄養をなるべく沢山君の素敵な脳に送ろうとしてる・・・。

これだけでもちゃんと親が目を見ておだやかに説明すれば、

煮詰まった、釈然としていない子どもには

すごくいいです。

効果てきめん。

 

でも、まだ肝心なことが落ちてますね。

これだけでは実は、まだまだ足りない。

そのトレーニングは何のために行うか。

続けて行くと、何が待ってる?

何ができる?

これを実感できるかが肝心な所。

非常に大切な所です。

 

そしてその問いを満たすためには、

既成の勉強というスタイルの継続だけでは

難しい。

いかにアカデミックな興味につなげるかが勝負

になるからです。

星や、野性の動物や、魚つかみや

いかだ下り、読書がツールになる。

Dr養老が主張しているとおり

「未来の自分の姿を具体的に想像できてしまう

状態は心をすさませる、閉塞感でいっぱいにさせる」

だからこそ、不思議で素敵な世界に触れさせる。

人間の周りに存在する、未知の領域の存在と

それらを開拓する開拓者・研究者による研究の存在

を見せてやる。

勘違いしないで、恐いやつや怖いやつじゃないよ!

ほらっ、あの、“スプーンがまがる”とか“そこに誰かいる”とかじゃ。

 

人間にはまだまだわからない、解決しなければならない

問題がたくさんあるでしょう?

そんなことを、肌で実感させてやる。

これは“近親者”が“できるだけ早いうち”に触れさせて

やればやるほど、子どものストレスが昇華される。

そうすれば、勉強の終局の目標が、

“皆”が“らしく”“平和に”“幸せに”

生きれる世界の実現だということを共感的に話せたり

実感できるsceneが必ずやある。

すると、子どもは勝手にトレーニングの後に控えている

“知”のようなものを見据えることができるようになります。

極めて自然に・・・。

そうすれば、いわば勝手に、普段の無味乾燥と思えた

テストや宿題といった、“反復”に自分で意味を付与するように

なる。

 

ともすると、子どもは根源的な問いにまで

自ら突き進む“劇的な時”ってありますよね。

入笠山で降り続く星と、車の前を横切る鹿の群に

遭遇し興奮しきった当時小学3年の息子は、

その夜寝入る前フトンのなかで温まりながら

「とうちゃん、ぼくたちはどこからきて、どこへいく

んだろうね。

宇宙ってはてはあるのかな〜」

とため息をついていたことを思い出す。

読書用のランプに反射して、息子ははちきれんばかりに目を

輝かしておりました・・・。

 

もう息子も6年生。

時々は擦切れてみてとると、

一緒に戯れてやるが、そろそろ親離れの始まり

のような時期に入った。

これからは、答えたり教える以上に

割りきれる回答が得れない現実に遭遇し、

自らの能力で解決しなければならない局面も増える。

だから、今後はともに考え、

その考える喜びを分かち合う時間を時々持てればと思う。

 

さあ、そろそろ眠くなってきた。

明日も仕事。

このヘンで〆なくちゃ!

 

これはぼくの願いでもあるんだけど。

できうれば思春期をむかえる子ども達が

擦切れてしまわないように、

せめて

『考えもなく塾に行かせない』

あたりからはじめてみませんか。

いつまでも子ども達にとって家が、

疲れを癒す母体であり続けるために、ね。

無限の可能性を秘めている子どもの

門を閉ざすのが、大人の得意技になって

しまっては、申し訳ない気がするものだから。

 

 


 

2001.6.18「年輪」

 

 

湿気るねェ^、まったく。

インフルエンザは影をひそめるけど、

ダニ君はもりもりげんきに繁殖、活発化して、

鮨屋のひかりものの光沢が、俄然あやしくなる。

サバなんか、大好きなんだけど、思わず考えちゃう

よね~、まったく。

目の前の湿度計は、ナント80%。

何をしていても、ジトッ。

ナニをしててもジトッ。

こうしてキーボードを打っているだけで汗がングッと

汗腺からモッコリでてくるんだけど、肌は何時の間に冷えきって

冷たくなったりしていて。

カゼとまではいかなくても、絶好調には程遠いって感じ。

あつくてタオルケットでねっころがると、明け方、芯まで

冷えきって、寒さと鼻と喉の境の痛みで目さましたりなんかしてネッ。

この頃だよね、ま さ に、留学生諸君受難の季節。

貴方はダイジョウブ?

『カラダかびちゃいましタ、あたしシニソーデェース』

とかいって、ナミダちょちょ切りながら飛行機に飛び乗ったり・・・。

でも、ここが頑張りどころなんだよね。

ま さ し く“正念場”ってやつ。

気候風土との闘いでもあるわけだ、留学は。

そいつを克服しつつ、七人の敵と闘うわけ。

ここでもまず、持つべきものはトモダチなんだな。

なんでも聞けるトモダチがいるかいないかが、勝負の分かれ目。

意外とプライド高いからね、外人は。

まるで包○か○漏を告白すべきか否か、みたいに深刻な

顔して悩んだりしてる。

たしかにカラッとした気候風土では、水虫なんて出会いたくても

であえないからね。

でも口に出して相談できれば合格!

あとは、かゆみに、タム○ン○スプレーかましながらうんうんいって

机にしがみ付いて、しょもつをくれるか否か!

 

おっと、ここで、くしゃみを4連発。

Tシャツ一枚だと、汗はにじんで、腕は冷えきって。

ちょいと、パジャマなんぞをはおってきます・・・。

 

じつはわたくし最近、よわい39になりました。

39!

こどもの頃を思い出すと、もう正真正銘の、ブランドもんの

オヤジですよね、まったく。

子どもの目には、たいがいのことには動ぜず、

わからないものはないゾなんて

顔して、のさばってる感じ。

でも、自分がその年代になってはっきり解ったけど、

若人よ、だまされるな。

あれ、ぜんぜんわかってないね。

ただわかったフリしているだけ!

ようは面の皮がいっちょまえの厚さになったってこと。

年相応の完成度イメージを演じようと、変なプライドだけはもって

るから、欲深く、意地汚く、スケベで惑っているのを

厚い面の皮のなかに覆い隠す。

いわばカメレオンのような厚いころもで包んでるだけ!

成長なんて無縁になっちゃってる。

 

同世代の、そんなオヤジから受けるイメージ。

“ええかっこうしい”

“欲深”

“かたさ”

“かたくなさ”

“世間体”

“くりかえしの日常”

“安住嗜好”

そんな感じのまさにごった煮って感じ。

そして多分これから、年をとるたびに、そういったごった煮が

加速度的に助長されちゃうんだろうなァ〜、完璧。

悲しいかな。

そこらへんが“難しい”と言われるんだよ、

“上手に歳をとること”は、

きっと。

これが名実ともにオヤジ・ブランドの仲間入りした、実直な感想。

それでね、もう一つ解った事がある。

昔、40代は“死ぬ準備”をする年代って言ったでしょう?

(うぅっ、昔・・・言ったでしょう?なんて、まさにオヤジが好んで

いうセリフ!!)

それを自分なりに解釈すると、“だから、イカにいきるか、

真に考えはじめる”ことだとおもいました。

この“真”ってところが大事なポイント!

(ほらっ、オヤジらしくて、かっこいいだろう^!)

あのさ、結論から言っちゃうと、身に付いた“衣”(ヨロイ)

って自分が本当に求め選択したものではないいう事を

知るところから始まるんだ、それは。

たとえば小学校とか中学になって通った、塾。

自分一人で最初から最後までさがして選んできて、自分で決めた?

たとえば、受ける学校、ひとりっきりで選んで、決めた?

服や食い物なんかどう?

その好みって、何時の間にか、身に付いたものじゃない?

そうなんだよね。

親とか、先生とか、兄弟とか、そのヘンの輩の関与

や、そのへんの輩がひいたレールに気付かずのってた、

なんていうパターンでしょう、だいたい。

うん、甲子園球児や花園目指したのは、たしかにきみ自身の

紛れもない選択だったり、意志の反映だったりするよ、実際。

だけど、野球を見に連れて行ってくれたり、キャッチボール

に付合ってくれたり、めずらしく野球のことではほめてくれたりサ。

もっとすごいのになると、自分は少年野球の監督になって、

息子をチームに引き込んじゃうなんていうのを含めて、

必ず、他者の意志によって仕組まれ,定められた方向性っていうのが

見えちゃうんだよね、今にして思うと。

そして、ある時悟る。

“衣”ってそんなもんで出来た、いわばしょうもない“寄せ集め”

だということをね、ある日突然悟るんだ。

だからまとっている衣なんて、ろくなもんじゃないんだよ。

学歴、部活歴、カラダの特徴とその評価や価値観、

性格のお仕着せ、趣味から、ひどいのになると肩書きに至るまで・・・。

 

オレはこれを、真性オヤジになった時実感した。

もっとも何事においても早熟の熟々だから、オレは!

二十代後半、息子に“成長する”ことを共に教えられて、悟ったね。

もっとも、これが実感できるオヤジはかなりオヤジ族のなかでも

“まともな方”だと思ってる。

だってそれすら気付かずに、棺おけに入っちゃう輩の方が、

多いいもん、実際。

たとえば、退職したらすぐボケちゃう奴。

たとえば、『棒になった男』の主人公とか!(笑)

あれ、ほんとに見事だよね。

棒(−歯車)になることでしか自分の存在意義を見出せない

現代社会における人間性疎外の状況を、アバンギャルドな

手法で実感させる言葉の群!

長くなっちゃったけど、もう一つ解った事って

とどのつまり、そんな事。

 

“真”に生きるって、厚くなりすぎた“衣”を脱いでいくこと

だと思う。

これは厳しいことだね。

勇気もいる。

だけど、ねれてきたって、そういうことを言うんじゃ

ないかな?

そしてニュートラルな、本当の生のままの自分

と出会うことの喜び。

そこから見える、新しい世界と、あらたに構築される世界観。

そして思い出。

この悟っちゃった“スーパーオヤジ”のイメージは、ね。

“しなやか”

“自在”

“熱い”

って感じ。

カッコイイだろう!!(笑)

ちまたは、幼稚性を高いスーツかなんかで隠したままのオヤジ

がほとんどだ。

だけど、もうヒト頑張りしようや。

だって、おれ達の宝物達の時代が、もうすぐそこまで

来てるんだ。

ここでおれ達が頑張って踏ん張って、彼らの礎になる。

さらには、人生の円熟期がなんたるかを、奴らに

教えてやるんだ。

たかが十代、二十代のうちに形造られた“衣”なんぞ、

“学歴や、優越感や劣等感や、嗜好等々”なんてものは

さっと犬にでもくれてやってさ!

 

さぁ、いびつな厚き衣を脱捨てよう。

この湿度も、

やがて嘘のように、太平洋高気圧が、

きれいに取り払う日がくる。

夏がくるんだ。

ぼくらオヤジにも・・・。

これからは、世の中に一つしかない

オーダーメイドの、

自分だけの、

自分らしい衣を仕立て着流そう。

さぁ、衣替えの時です。

 


 

2001.6.4「表情」

 

 

Excitingな命題が二つある。

 

たぬきの敵対認知行動を、うっかり飼い主がとったばかりに、

その飼い主はたぬきの“敵”とすり込まれ、以後あわれ死ぬまで

その飼い主はたぬきに近寄る度にうなられ、かまれることとなる。

 

ある種の鳥は、特定の表情筋をわずかに動かすだけで、

群全体に所属する各個体の、遺伝子に生め込まれた衝動を

同時に刺激し、行動誘発によって群全体を回避行動に導く事

ができる。

また別の鳥のコロニーには、完全定員制がひかれている。

一匹溢れると、一匹死ぬかコロニーから去るまで、

猛烈ないじめが繰り返される。

 

アヒルの親のすり込みには、視覚が大きく影響する。

親を認識する視野における大きさは一定なため、アヒルは

すり込まれた親との距離を調整して、親に従う。

つまり、親はボールでも、人間でも、犬でも可だ。

 

くじらは特定の角度のスロープの存在を認知できない。

くじらにとってはそのスロープは、決して感知することのできない

“存在するはずのない浅瀬”

である。

そこへ、群が飛び込むと・・・。

 

まったく、遺伝子のクセはおもしろい。

また、種によってすり込まれ方が変るところも Funkyで、

すり込まれたら交換不可能なもの。

満たす条件だけがすり込まれるもの。

条件によってすり込まれ方が変わるもの。

それらが幾重にも複雑に組み合わされ強度を変化させることで

外界の刺激に対して、かなり複雑な行動パターンも展開可能だ。

 

だが外界と内界を結ぶ通路に、わずかな遺伝的変異を加えられ

誕生した種“ヒト”は、驚くべき勢いで自然を脳化し、食物連鎖の頂点

に君臨することとなった。

“アナログ情報をデジタル処理する能力”

言いかえれば

“ことなる物理的性質(Ex電磁波と音波)を脳内で等価交換(処理)可能

ならしめた変異”

それこそが我々に言語機能を獲得させ、、記憶や認識を発生させ自然

に対しての飛躍的な情報処理能力を獲得せしめた、“小さく大きな”

脳の構造と機能の変異であったのだ。

これにより、種のなわばり構造は、他の種に比べ抜きん出て高い

次元へとJump upした。

だが、明らかに生物としての限界を皮肉にも意識が発見する。

日頃意識していないが、その言語機能による客体化能力が、

我々人間の認識の限界の存在を明確に露呈することとなる。

例えば、あらゆる存在は、脳という構造によってTraceされた結果の

域を出ることができないという限界。

また、あらゆる発明も脳の構造からくる制約・拘束から逃れられない。

脳という構造が認知しえる方法でしか、対象の存在を知覚できない

という限界。

そして脳という構造から発生した言語機能は、

同様の脳という構造にのみ理解される認識にすぎず、ましてや

真理ではない。

そういう意味から言えば、

あらゆる科学は、同様の脳構造を持つもの同志にしか通じない

ルール・・・“言語機能の存在”という前提条件があって初めて

成り立つ、固有の法則と言える。

 

あらゆる脳の構造を包括しかつ、それまでにない新たな構造を

付与された脳を作りださない限り、脳という構造のクセから逃

れられない運命に、我々はある。

養老孟司は「脳と心」の冒頭でその限界を判り易く示している。

「・・・脳の進化は、その遺伝子あるいはゲノムのほうから、説明

すれいいではないか。それならうかがうが、ゲノムだとか進化だとか、

ブツブツ言っているのは、だれか。

それは脳である。

脳がなければ、そんな問題自体が消えてなくなってしまう。

だって、遺伝子がなければ、脳はないでしょうが。

そのとおりである。

しかし、脳がなくなっても、遺伝子はない。

考える主体がなくなるからである。

脳の進化を決めているのは、それでは遺伝子か。

それとも脳か。

もちろん、進化を決めているのは遺伝子である。

しかし、こういうふうに進化してきました、その理由は

これこれです。その進化過程を理解し、あるいは理解

しない。その理由で納得する、納得しない、それは脳である。」

 

安部公房は、

言語機能により構築される意識によるコントロールが行動選択に

介在しない動物の世界が月だとしたら、人間は大気という意識に

包まれた地球のようだといった。

では今後、ヒトはどちらの道を選択する運命にあろうか。

現在の脳を発展させるか。

それとも脳を包括する脳をつくるか。

これが第一の命題。

 

では、人間として進化したわたしたちにはもはや、

動物に見られるような強力な遺伝子の関与による

行動規制は、見出せないのであろうか。

例えば条件反射的なレベルであれば、それらを見出す

ことは日常的でかつ容易だ。

カレーライスの匂い。

いや、空腹時には、湯気のたつカレーライスの写真や

空想ですら唾液は溢れる。

レモンをかじった表情の映像効果。

例えば、百万遍の行為の果てにすり込まれた、体臭に

反応する器官・・・。

もっと微細に日常を思い出してみる。

向かい合った相手の、瞳の色の変化が引き起こす、

感情の小波。

一瞬にして劇的に変化した対象の心情を瞬時に

送り込んでくる、口元のこわばり・・・。

 

ではコロニーの群にまで影響を与える、衝動の誘発や

抑止はどうだろう。

ある・・・、いや、ありすぎる。

それがまさに人間の歴史だ。

個々は極めて高い教養をもった集団達が、

作用する刺激によって、理性的な判断を麻痺させられ、

煽動が感情を爆発させ暴徒に変容させる。

ユーゴ、東ティモール、ウガンダ、コソボ・・・。

この大規模な同種殺戮を、人間性を失わない方法で、

抑止もしくは制御するシステムの構築。

これが命題の二つめ。

これは、恒久的な和平を願ってやまない師の意志でもあった。

 

現代社会は距離を映像等で瞬時に縮める。

いわゆる地域を超えた同時代化である。

必ず心そのものを奪われる表情に出会うことがある。

それは、紛争地域の映像の片隅に映る、痛みとあきらめに

にた年老いた子どもたちの表情・・・。

“決してこどもから表情を奪わない社会”

そして、こんな社会の実現の為なら、

ぼくは心血を注いでも良いと師と同様思っている。

 

人間固有の問い。

何故生きるのか?

ぼくらはどこからきて、どこへいくのか?

これらの問いをいかに繰り返し日常生活の中で

持てるかが、充実した生の尺度になるのだと

常々考えさせられる。

なぜ自分は存在しているのだろう?

なんの為にこの世にいるのだろう?

そんな問いが自然に吐露して初めて、

人間らしい本来の時間が

始まるのだと実感する。

情報化社会における人間性の担保は

思ったより困難だ。

情報と回答が溢れすぎているからである。

現実から、なかなか新鮮な発見や驚きを享受されなく

なる。

だから、時々、子どもの目の光の色や、表情を

見ては高原に星を見に行っている。

 


 

2001.4.14「ファースト・インプレッション=演技の質」

 

新小6の息子が、八王子中屋ボクシングジムに入会した。

血は争えない。

小さい頃から仕込んだ訳じゃない。

ただ、物心つく前から彼は、ぼくと一緒にWOWOWのエキサイトマッチで

トリニダードやチューを見、あしたのジョーを引っ張り出し、

(もっとも、あしたのジョーは、ボクシングマンガではなく、

DV克服のドキュメンタリーであるが・・・)

気が付くと少年マガジン連載中の、はじめの一歩を毎週待ちわびる様

に、何時の間にかなっていた。

「ねぇ、殴られると痛い?」

「グワンとするよ、パンチはもらっちゃだめなんだ。身体がすくむ、もらい

グセがつくからね・・・。軸さえはずせばいいんだ、こうっ。やわらかく、

relaxconcentrationだよ・・・」

「フリッカーってどううつの」

「こうっ、snappyに、肘を先にもってく感じ・・・」

こんな会話を何年も続けていれば、致し方ないのかもしれない。

去年から続けてきたミット打ち、ロープ、シャドウも、家では限界がある。

というわけで、久しぶりにジムの門をくぐったが、父親のぼく自身が

クラクラするぐらい血の騒ぎを感じて、我ながら戸惑ってしまった。

いきなり身体が戦闘モードに飛びこんでしまう。

土曜の午後は、練習生ばかりで仕方ないが、ゆっくりした練習ペースに

舌打し、息子の袖を引っ張り、耳元で泡吹いて

「あんなトロトロ時間だけこなしたら、くさっちゃうよ!

全力出して、加減しないで、続く時間を長くしてく・・・。

ぶっちぎりな!・・・」

などとまくしたててしまう。

よくしたもんで、息子に

「我慢してないで、とうちゃんも、いっしょにやれば!やりたいんでしょ!!」

と諭される始末。

我ながら情けない。

ああ、やりたいよ、

今でも、リングに立つ、夢をみる・・・。

 

八王子中屋ジムは現在、正に飛ぶ鳥を落とす、日の出の勢い

をもつ筆頭のジムである。

最近までは東洋・太平洋のチャンプを持ち、日本チャンプ2人。

雄二・ゴメスにあっては、地元の商工会議所の肝いりでこのほど

「世界チャンプをつくる会」

が発足するぐらい、期待充分のパンチャーだ。

 

ボクシングというスポーツの特色として、

圧倒的多数の見るだけマニアの存在があげられる。

他のスポーツもそうだ!といわれるとそれはちょっと違う。

長島や松井フリークではないのだ。

ほとんどがボクシングを「見る」という行為そのものに、

とりつかれてしまう。

これは洋を問わず、一旦その魅力に囚われると、一生離れられない

ジャンキー的な素養が充分にあり、うまくその魅力を言葉にあらわ

せきれずにいる無数のファンに支えられているスポーツ・・・。

それがボクシングである。

安部 公房をしてエッセイ“現代のヒーロー”では

ボクシングは“肉体の即興詩”であり“一瞬先の予断も許さない

、肉体の対話の持続であり、観衆はいやおうなしに、

その対話への参加を強制されるのだ”と述べさせ“上手な体操競技と

ボクシングだけは、どんな犠牲をはらってでも、見ないではすまさ

れない”とまで言わしめている。

 

私が感じている、ボクシングの一つの特質。

それは

「見せる・演じるという要素が極端に入りにくい」

という特質。

だからこそ、ほんの一握りのクレバーな天才達のボクシング

が“芸術”の域にまで高められるのだ。

ボクシングでは、見られる行為の追究=見せるボクシングという、

超ハイリスクを承知で独自のスタイルを定着させたボクサー。

カシアス・クレイがモハメッド・アリになったとき。

そして、先日キャリア初の負けを喫した、ナジーム・ハメド。

世界の舞台で実践できた人間は、この二人をおいて他あるまい。

 

さて、そんなボクサーと対極の職業人といえば、

あなたはどんな職業を思い浮かべるだろうか?

私は“俳優”だと感じている。

俳優は文字通り、見られる行為を追及しつづける宿命をもった

職業人だ。

絶えず他者の為に、演じた自己をみせる商売。

だからこそ、自分が見たい視線・・・つまりは客体化された自己・・・

の純度をどれだけ高めるかで、演技の質の到達点を競うことができる。

その為に、スタニフラフスキーシステムがあり、安部システムという尺度

があるのだが、悲しいかな、特に日本では、マスメディア出現率の高い

マジョリティの俳優達のこのあたりの教養が、なさすぎるのである。

“TVのチャンネルを変えれば、それがドキュメンタリーかドラマか、

一目でわかってしまう”演技の質。

安部はそれを喩えで、“演じることを演じる、いわば二度演じている

意味化された演技”といい、レベルの低さを嘆き、ただ演劇という

ジャンルの持つ力は信じていて、それではと安部スタジオの結成に

乗り出したわけである。

安部は実は、ボクシング的効果を演劇活動で、安部スタジオにおい

て具現化した。

“肉体の即興詩”であり“一瞬先の予断も許さない、

肉体の対話の持続であり、観衆はいやおうなしに、

その対話への参加を強制されるのだ”

という実践を、である。

“俳優から意味の伝達者たる、稚拙なデジタル的演技を徹底的

に排除し、俳優の肉体を改造し、鍛え、俳優自身がアナログに

なり、観衆にいやおうなしに参加を強要する実践”

例えば、ロバート・デ・ニーロ、ジャック・ニコルソン、ヘレン・ハント

アンソニー・ホプキンス、ルドガー・ハウワー・・・。

それらと、TやKの演技の質を比べてみれば、俳優の教養が

いかに大切であるか・・・、観客であるこちらに伝わってくる情報

のアナログ度は、一目瞭然であるのだが・・・。

安部が突然安部公房スタジオを休眠させて以後、安部スタジオ

以外の劇団から、同じベクトルを持つ成果は皆無となっている。

さらには安部システムのかつての体現者たる当時中堅、

現在は大御所となった俳優達の、意味化された情緒過多な演技の

蔓延。

一方、特にアメリカとフランスでは、目覚しい発展形が、

舞台・映画・TVにおいて、かたちとして確認できる。

「桜の園だよね・・・」

はっきり言えば、責任は評価する尺度を確立できず、

能力すらもたなかった、日本のマスメディアにあるのだ。

せめて、責任ある立場の者は、スタニフラフスキーシステム

ぐらい学んで欲しいのだが・・・。

 

自身のファースト・インプレッションを大切にしよう。

あなたのセンサーは意味化する以前に必ずや、感知している

のだから・・・。

あとはあなたが今まで、積もりに積もった垢を自分で掻き落し、

トレーニングしコツを体得すれば、感知した生のまま

の情報と対面できるのだ。

コツは簡単だ。

意識から思い浮かんだあらゆる言葉をぽんぽん捨てよう。

捨てきったら、手足を脱力させ、首を寄りかからせ、

全身をだらしなく弛緩させ、しかし感覚器は敏感に開ききって、

来るアナログ情報に備えるのだ。

そして入ってきた感触が意味であったなら、・・・悲しいとか楽しい

とか苦しいだったなら、

そいつの演技はgrind だ!

さっそくビールを注文し、酒の肴にしてしまおう。

だが、なんだか判らぬ不安を感じたまま状況に引きずりこまれたら、

追っかける価値はあります。

きっと、その俳優と共有する時空との出会いは、あなたの人生

を鮮やかにするはずだから・・・。

 


 

2000.3.28「トン助、その後」

 

父の奇行が目立つようになった。

都の局長まで登り、地方官僚を地で行った男の、落日である。

彼はパーキンソン病を昭和六十二年に発症。

65才で一線を退く頃には、自立歩行はかなり難を見せていた。

それから5年、大脳新皮質、特に前頭葉と側頭葉にダメージを

受けた結果の、奇行である。

26日、急きょ仕事を休み父を介護施設に預け、都立府中病院

のドクターと面会をする。

投薬量は、今の時点で、マックスとのこと。

問題行動を抑えるには、投薬を減らし出力行動に制限を加えるか、

安定剤で意識レベルを低下させるかどちらかしかない。

いずれ、逆フィジカルロックかフィジカルロックかの、どっちもどっち

の選択しか、家族には残されていないのが皮肉である。

母と兄はかなり切なさを感じた様だが、わたしは内心ホットしていた。

パーキンソン病は、出力障害である。

入力できて出力できない、いわゆる筋肉死は、脳死以上にまま、

苛酷な現実を被症者に、その命の灯火が消えるまで与え続ける。

父はそれを恐怖していた。

よく広隆寺の弥勒の写真を、晩年見入っていたものである。

だが、脳も幸い一緒に機能低下してくれたお陰で、くよくよすることも

なくなり、介護者が大変ではあるが、彼自身は出力制限の恐怖から

解放され、存分に「奇行して」いるからだ。

家族にとって迷惑な奇行も、その時彼は生きる力に溢れている。

 

脳死に比べて、筋肉死に対しての認識が日本では遅れている。

たとえば、筋萎縮症側索硬化症に陥った方々の労苦が、

それを示している。

とともに、尊厳死の問題をそろそろ論議する必要があろう。

医学の精度の向上は、死を予測しうる精度も比例して、

上げるのであるから。

 

さて、本題である。

父は近日中に隣接する都立神経病院に投薬管理の入院となるこ

とになった。

病院の帰りにぼくらは懐かしい府中の日鋼団地を通った。

私が幼少の時生活していた団地である。

団地は小さくなったが、面影は私を30年前にリープさせるに充分で

あった。

期せずしてその時、ぼくらの話題がトン助に及び、

兄から「トン助」のその後を聞くことができた。

兄は結婚前までトン助に通っていたとのことだった。

ご夫婦も兄との再会を喜び、兄が結婚を期に府中を離れる、

直前まで、かわいがってくれたようである。

およそ、8年くらい前。

老夫婦は、府中に骨をうずめる気で、私達が住んでいた棟の並び

の日鋼団地の一室を買いとったらしい。

二人には息子が一人いたとのことであるが、その息子さんは、不幸

にして事故にあわれ若くしてなくなられたとのこと、そしてある日、

寝こんだ老婦は既に末期ガンで入院3日後にやはりなくなられてしま

った事。

その後なんとか一人で主が、店を切り盛りしていたが、兄が最後にあった

時、大盛りの味噌汁を兄に振るまいながら、

店をたたむ決心をしたことを、兄に告げたらしい。

ぼくらは、車をトン助の前まで走らした。

するとなんと、「とんかつ」ののろし・・・。

店はビルに変っている。

屋号は似つかぬもの・・・。

だが、場所がそこである。

そしてとんかつ屋ではあるまいか。

まさかね・・・結局ぼくらは父の帰宅時間を考え、寄らなかった。

冷静に考えると、希望を持つべきではないのかもしれないが、

心が温まる、楽しみが一つふえた感じである。

今度お見舞いの帰りによってみようと思う。

そして、できるならば、あの香ばしいカツカレーとの対面を

ぼくは願っている・・・。